その瞳に星は宿る



「難しく考えたことはありませんが……わたしは、そうしたいからそうしているのだと思います」
 あなたが誰にでも優しいのは何故なのか。知り合いの商人マティアスに問われた神官は、さらりと答えた。
(そうだったのか……)
 彼女が他人を慮る理由を、テリオンは今初めて知った。それは聖火教の教えによるものではなく、彼女の望みがすなわち「人に優しく接する」ことだったのだ。
 現在彼らはある事情により、浜辺の町ゴールドショアを急いで突っ切っていた。それなのに、道端でマティアスに声をかけられた神官はあっさり足を止めた。しかもマティアスは「神は本当にいるのか」などと埒があかない話題を出した。
 思わず口を挟もうとした矢先にこの返事だ。テリオンは驚いた。
「誰かにあざむかれてしまうかも、とは思わないのですか?」
 上質なコートを着た優男――マティアスは不思議そうに首をかしげる。神官は落ち着いて、
「確かにそういうこともあるでしょう。ですが、わたしは疑うよりも信じていたいのです」
 わたしは、あなたのことも信じています。
 いつかボルダーフォールで耳にした台詞が脳裏に蘇り、ごくりと唾を飲む。
 レイヴァース家の当主は、一度他人に裏切られた経験があった。それゆえ信じることの意味が分かる、と言っていた。では神官は? 彼女がそういう事態に陥ったとは聞いたことがない。それなのに、どうして断言できるのだろう。
 マティアスはどことなく不服そうにしていた。
「……なるほど、オフィーリア様のお話は興味深い。今はお急ぎでしょうから、またの機会に」
「ええ、その時を楽しみにしています、マティアスさん」
 話を切り上げ、彼女とテリオン、それに商人と薬屋は駆け足で町を出た。街道方面ではなく、海辺の岩場へと向かう。四人分の足音が重なって波音を打ち消した。
「ねえオフィーリアさん。さっきの人って商人よね?」
 トレサは後ろを気にしながら尋ねた。
「はい。レオニール商会のマティアスさんです。式年奉火の準備を手伝っていただきました」
「ふうん。だからかなあ……」
 トレサは言いよどむ。
「何がだよ」と薬屋が彼女を肘でつついた。
「えっとね、マティアスさんっていまいち商人っぽくないなーと思って。商売っ気がないっていうの? 教会相手に安定した取り引きばっかりしてるからかなあ」
 さすがは本職である。実はテリオンも同じ違和感を抱いていた。マティアスはどこか超然としており、俗世に馴染んでいない雰囲気だった。神官に観念的な話を持ちかけたあたり、余計にそういう印象が強い。
「あの人、商人の帽子かぶってなかったもんな」
 薬屋がそらとぼける。
「さすがにそれだけじゃないわよ! でも、うーん……うまく言えないわ」
「おい、話してる暇はないぞ」
 目的地である洞窟の前にたどり着き、テリオンは苦言を呈する。神官はうなずいて、
「そうですね。ドノヴァン司教様の娘さん……リサちゃんを早く助けないと」
 一行は数時間前にこの町に到着した。神官は式年奉火の儀式を行うためさっそく大聖堂に赴いたが、ここの教会を預かる司教が何やら挙動不審で、なかなか儀式をはじめようとしない。神官が追及すると、司教は「娘が誘拐されて犯人から脅迫状が届いた」と打ち明けた。それを聞いた神官は、自ら犯人の待つ洞窟に挑むことに決めた。
 テリオンは嫌な予感がした。犯人は娘の命と引き換えに、何故か式年奉火の種火を要求していた。聖火など金にならないし、儀式を妨害すれば聖火教会自体を敵に回すことになる。犯人はそれが怖くないのだろうか。だとすると、相当大きな組織が裏に控えている可能性がある。
 海辺の洞窟に乗り込むのはこの場にいる四人だ。他の四人は、心労により倒れた司教のそばで待機している。洞窟に行く前に、採火燈を持っていくかどうかで議論があったが、神官は「わたしにはこれが必要ですから」と言って押し切った。
 薬屋が斧を肩に担ぎ、洞窟の中を覗き込む。
「そういや、前にもこういうとこ来たよな」
「ヴァネッサとかいう女の時か」
 以前、彼らはこの町で悪徳薬師と対立した。副作用のある薬を町人に処方してわざと体調を崩させ、さらに高価な薬を売りつけるという悪事を働いた女だった。
「あいつ、今頃どうしてるかねえ……」
 散々迷惑をかけられたにもかかわらず、薬屋はしみじみとつぶやく。
「またどこかで活動してるだろ」
「腕自体はいいんだから、変なことはやめてほしいんだけどなあ」
 また甘いことを、とテリオンは顔をしかめる。ああいうタイプはたとえ牢屋に放り込まれても反省しない。テリオンと同じである。ただ、薬屋が施したシトゲ草とやらの効き具合によっては、多少方向性が変わるかもしれない。
 トレサがくすくす笑いながら指摘した。
「テリオンさんこそ、無駄話」
「……うるさい」
 薬屋が話を振ったのが悪い。応じたのはテリオンだが。
 神官が苦笑し、かつんと杖の柄で地面を突く。
「みなさん、行きましょう」
 その涼やかな音で意識が切り替わる。テリオンたちは武装を整え、洞窟に踏み込んだ。



 聖火神エルフリックよ。これより我が魂と血潮を捧げし原初の炎の灯火を、この地で人々を守りし聖火に注がん。式年奉火の秘蹟をもって、御身の慈悲と祝福を与えたまえ。
 よく通る声が神聖な文言を唱えた。神官の掲げた採火燈から青い輝きが移り、大聖堂の祭壇にある大きな炎が勢いを増した。
 テリオンは他の連れとともに長椅子から儀式を見物していた。炎の前に立つ白い背中を見るのはもう二度目だ。あとは彼女がフレイムグレースに戻れば、式年奉火という聖火教会の一大行事も終わりである。
 二十年に一度という重要な儀式を、まさか一介の盗賊が間近で見ることになるとは。それなりに感じ入るものがある。
 とはいえ、一番感慨深いのはやはりあの男だろう。ちらりと前の席を見ると、案の定学者は目を輝かせていた。前にセントブリッジで初めての儀式を見届けた時も、彼は大はしゃぎで神官に絡んでいたものだ。あの時の学者はほとんど子どものようだった。
「注ぎ火の儀式、終わりました」
「ありがとうございました、オフィーリア様」
 祭壇から戻った神官は、達成感に満ちた顔をしていた。ドノヴァン司教が穏やかに迎える。神官らが無事に娘を取り戻したため、司教はこうして迷いなく儀式を主導できた。
「聖火が末永くみなさんの心の拠り所になりますように」
「オフィーリア様とともに旅をし、その心を映した種火ですから、ゴールドショアの聖火はきっと優しく我々を見守ってくれるでしょう」
 話によると、種火は運び手によって異なる性質を持つらしい。彼女の先代、すなわち二十年前のヨーセフ大司教の時は、威厳に満ちた炎が採火燈の中で揺れていたと聞く。テリオンには炎の違いなど分からないけれど、少なくとも彼女にそういう貫禄はなかった。
 ドノヴァンは目を伏せた。
「オフィーリア様、種火は運び手に試練を与えるものとも聞きます。優しさというのは、誰かの苦しみを背負うことにもなりますから」
 神官はゆっくりと首を振る。
「それでも構いません。誰かの苦しみを背負い、やわらげることができるなら本望です」
「なんと強く気高い……その心に私たちも救われました」
 司教は礼拝堂の脇にある神官用の居住区に視線を向けた。そちらの部屋では救出した娘が眠っているはずだ。彼は気を取り直すように背筋を伸ばした。
「いよいよ、あとはフレイムグレースの大聖堂に戻るのみですな。本日はごゆっくりお休みください」
「はい、ありがとうございます」
 その時、入口の大扉が音を立てて開いた。
 暮れかけた太陽を背に、幽鬼のような表情の女が立っていた。儀式中の大聖堂には限られた者しか入ることができない。その女は神官服を着てはいたが、立派な部外者である。表を守る聖火騎士は何をしているのだ。
「リアナ!?」
 神官は血相を変えて駆け寄った。
「どうしたのですか。ヨーセフ大司教様のおそばにいなくていいのですか?」
 なんだか雲行きが怪しい。前の席のトレサが、隣にいた学者にこそこそ話しかけた。
「ねえサイラス先生、あの人って」
 学者は長椅子に座ったまま体をひねる。
「彼女はリアナさんといって、オフィーリア君の代わりに式年奉火を執り行う予定だった人だ。父親の大司教様が病で倒れたので、フレイムグレースに残って看病していたんだよ」
「ああ、オフィーリアと姉妹みたいに育ったっていう……」
 プリムロゼが納得したように唇に指をあてた。
 皆の視線を一身に浴びるリアナは、目の前の神官しか見ていないようだった。
「そのことであなたに話が……。宿に部屋を取っているから、そこでいいかしら?」
「ええと」
 神官は困ったように振り返る。意見を求められた学者は「どうぞ」と言ってあごを引いた。
「それでは司教様、失礼します」
「ええ、お気をつけて」
 挨拶を済ませた神官は、リアナに連れられて足早に教会を出ていった。
 リアナはどうして突然やってきたのだろう。急用でもあったのか。場所を移したということは私的な話題のようだった。
「俺たちも行こう」
 オルベリクの発言に全員が従い、ばらばらと椅子から立ち上がる。
 開け放たれた大聖堂の扉が、儀式の終わりを町に知らせた。
 ここは海を見下ろす高台の頂点だった。このあたりの地区は貴族街で、階段を下ると店屋や宿のある庶民の区画になり、海のそばには有名な金の砂の浜辺があった。
 いつしか太陽は水平線に沈もうとしていた。大聖堂の前からは、闇色に変わりつつある海が一望できる。
「さて、私たちはどうしようか」
 学者がくるりと振り向いた。傾いた日差しに漆黒の髪が明るく縁取られている。
「儀式が終わったんだし、オフィーリアのお祝いをしねえとな!」
「アーフェンはそれにかこつけて飲みたいだけだろう?」
 ハンイットが指摘すると、薬屋は照れ笑いした。
「ばれちまったか。ま、俺たちも一旦宿に戻ろうぜ。なんならリアナさんも誘えばいいしな!」
 この提案を受け入れて、七人と一匹はだらだらと帰路についた。
「リサちゃんをさらった犯人、変なやつらだったよね」
 階段を下りながらトレサが疑問を呈する。司教の娘は何事もなく奪還できた。しかし気になることが多い事件だった。
「救世主という者の存在、毒を飲んで命を断った犯人、彼らが種火を奪おうとしたこと……なかなか根が深そうだね」
 学者は目を細めて夕空を見上げる。こういう頭脳労働は彼に任せるに限る。テリオンは疲労でそろそろ頭のはたらきが鈍っていた。
 階段と階段の合間に設けられた小さな広場にさしかかる。と、いきなりトレサが立ち止まった。
「オフィーリアさんのお祝いをするんでしょ。あたし、買い出しに行きたい! 昼間ちょっと気になるものを見つけたの」
「なら私も行くわ。オルベリク、一緒に付き合ってよ」
 プリムロゼが口の端を吊り上げ、剣士の腕を引く。
「俺は荷物持ちか……」
 オルベリクはぼやきつつも先頭に立った。三人が列から外れる。
「また宿で集合ねー!」
「ああ、気をつけて」
 手を振りながら去るトレサを、学者が送り出した。
 残りの四人と一匹は貴族街を抜けて海の近くまで降りてきた。道の向こうに宿屋の明かりが見える。
 一番前を歩いていた学者が宿の入口に立つ。彼が取手を掴む寸前、勢いよくドアが開いた。
「おっと」
 出てきた人物に押しのけられ、学者がふらついた。たまたま近くにいたテリオンが腕をとると、「ありがとう」と礼を言われる。テリオンはどきりとして手を離した。
 続いて、開いた扉からもう一人が現れた。彼らは何も言わず一行の脇をすり抜けていく。両者はそろいの黒いフードをかぶっており、暗さも相まって顔はよく分からなかった。体格からして一人目が男、二人目は女のようだ。
「礼儀がなっていないな」
 ハンイットは無礼者たちの背中をにらんだ。学者が苦笑する。
「まあまあ。私たちも部屋に行こう」
 明かりの下に入る。すでに部屋は確保済みだ。学者がロビーを見回した。
「オフィーリア君たちはどこで話をしているのだろう」
「あの部屋じゃねえか?」
 フロントの前を過ぎると細い廊下があり、客室が一列に並んでいる。薬屋は廊下の半ばで開いたままになっているドアを指さした。
「いや、あの状態で話しているわけがないだろう」
 薬屋はハンイットの指摘を無視してのしのし歩き、遠慮なく部屋を覗く。もし他人がいたらどうするんだ、とテリオンが止める暇もない。
 直後、薬屋の顔は驚愕に染まった。
「オフィーリア……!?」
 彼は即座に部屋に飛び込む。反射的に後を追ったテリオンは、室内の光景を見て血の気が引いた。
 神官が床に倒れていた。そばには空のグラスが転がっている。薬屋が「大丈夫かっ」と助け起こした。何度か呼びかけるが、神官のまぶたは開かない。
「これは一体……」
 テリオンの後ろで狩人と学者が絶句する。倒れていたのは神官だけで、リアナはいなかった。こんな場所で何者かに襲われたのか?
 人間たちが戸惑う中、狩人のそばにいた雪豹が突然身を翻した。そのまま外に出ていく。
「リンデ、どうした!?」
 ハンイットは泡を食って相棒を追いかけた。テリオンは学者と顔を見合わせる。
「どういうことだ」
「まさか、先ほどの二人がオフィーリア君を……?」
 学者の発言にはっとする。リンデは宿の入口ですれ違った男女が犯人であると察したのだ。
 倒れた神官を薬屋に任せ、二人は狩人の後を追った。
 日が完全に沈み、あたりは濃密な暗闇に包まれている。テリオンの視線の先に、ハンイットのまとう毛皮が白く浮かび上がった。先行するリンデは町の出口へと向かったようだ。
 町を抜けて西ゴールドショア海道に差しかかると、ハンイットが立ち止まった。テリオンと、遅れて学者が合流する。
「何者だ」
 彼女は闇の中を鋭くねめつける。そこから二人の男が出てきた。神官を襲って逃げた二人と服装が同じだ。
(こいつら、海辺の洞窟の……?)
 司教の娘をさらった犯人と、どことなく雰囲気が似ていた。それをテリオンが伝える前に、相手は杖と思しき得物を振りかぶった。ハンイットの斧が閃き、テリオンは長剣で迎え撃つ。背後で魔導書がめくられる音がした。
「炎よ――あ、あれ?」
 急に学者が口をつぐんだ。魔法は発動しない。こんな時にとぼけるな、と思いながらテリオンは踏み込み、一人の腹部を切り裂いた。ハンイットが斧を横薙ぎにして、もう一人の武器を弾き飛ばす。
 結局、前衛だけで敵を打ち破った。黒い男たちは地に伏せる。
 一息ついている間に、リンデがとぼとぼと戻ってきた。逃げた男女を見失ってしまったらしい。
「リンデでも無理だったか……」
 ハンイットは雪豹の頭をなでてから、学者を見つめる。彼は何故か口元をおさえていた。
「サイラス、どうした?」
「いや魔法が……うん、使えるな」
 学者の指先に火が灯った。先ほど魔法を使いそびれた件は、何か理由でもあったのだろうか。
 テリオンは倒れた男たちを見やる。彼らはいつの間にかぴくりとも動かなくなっていた。
「毒を飲んだのか。キミたちから聞いた話のとおりだね」
 学者は平然として男の脈拍を確認する。テリオンたちの進路を妨害した者は、洞窟で娘をさらった犯人と同じ末路をたどった。どうにも不気味である。
 狩人は眉をひそめた。
「分からないことばかりだが……ひとまず、わたしは衛兵を呼んで彼らを片付ける。あなたたちはオフィーリアの容態を確認してくれ」
 狩人の申し出に従い、テリオンは学者とともに来た道を戻った。
 思わぬタイミングで学者と一対一になってしまう。テリオンは気まずさを感じて口を閉じた。
「もし、海辺の洞窟でキミが戦った犯人と、先ほどの者たちが同じ組織に属するなら――」
 早足で夜道をたどりながら、学者はひとりごちる。
「おそらく、狙っているものも一緒のはずだ」
 彼が示唆することに思い当たり、テリオンは息を呑む。
 それにしても、どうして彼は毎度のごとくテリオンに話しかけてくるのだろう。思考を整理するだけなら口に出す必要はないし、返事を期待されても何も返せない。
 テリオンは歩幅を広げて学者を置き去りにする。たどりついた宿の玄関を勢いよく開け放った。
「テリオンさん、先生……!」
「こんな時にどこ行ってたの?」
 宿のロビーには買い出し組の三人がそろっていた。商人は蒼白な顔でソファから立ち上がり、オルベリクは険しい表情で腕組みをして、踊子はこちらに非難のまなざしを向ける。神官の状態はすでに知れ渡っているらしい。
 学者は軽く頭を下げた。
「すまなかった。少し用事があってね。それで、オフィーリア君は……?」
「アーフェンが診察している。まだ結果は分からない」
 オルベリクの抑えた声にも懸念があらわれていた。
 その時、廊下の先で扉が開いた。先ほど神官が倒れていた部屋だ。
「アーフェン! ねえ、オフィーリアさんは大丈夫なの……!?」
 トレサが泣きそうに顔を歪め、出てきた薬屋にすがりつく。彼は力強くうなずいた。
「薬で眠らされてただけだ。もう目が覚めるぜ」
「良かったわ」
 プリムロゼは胸をなでおろす。そこで一転して薬屋は難しい顔になった。
「でも、ちょっとばかし困ったことがあってな」
 彼は言いよどみ、学者に目配せした。学者は何かを悟ったようにまつ毛を伏せる。
(……まさか)
 今しがた聞いた話のせいで、テリオンにも「困ったこと」の内容が分かってしまった。
 再び同じ部屋の扉が開く。
「アーフェンさん。それについてはわたしからお話しします」
 寝ているはずの神官だった。かつてないほど顔色が悪い。薬屋が背を支えてやり、「まだ寝てないとだめだって」と厳しく咎めた。
「ごめんなさい。でも、これだけはみなさんに相談しないと……」
 こういう時、彼女は絶対に意見を譲らない。神官は皆を見回し、「部屋に来てもらえませんか」と頭を下げた。
 彼女が寝ていた部屋は、七人で押しかけても十分なスペースがとれた。どうやらリアナが用意した部屋らしい。
 部屋にはベッドの他にテーブルが一台と椅子が二脚あったが、誰も座らなかった。皆が思い思いの場所に陣取ったのを見届け、神官はいきなり告白した。
「わたしの飲み物に薬を入れたのはリアナです」
 全員に衝撃と緊張が走る。
「そして、目が覚めたら――」彼女はごくりと喉を鳴らす。「採火燈がなくなっていました」
 式年奉火の種火が消えた。聖火教会の儀式の根幹をなす、この世にただ一つのものが。
 不信心者のテリオンですら絶句するような大事件である。その場にいたほとんどの者が顔色を失っていた。
「そ、それってどういう……」トレサの声が震えている。
「リアナさんが種火を奪ったということかな」
 冷静すぎる学者の問いに、誰もが我に返る。神官が青ざめながら首肯した。
「……はい。ですが、種火を奪った犯人はリアナの他にもう一人います。その人は、わたしが眠る寸前に部屋に入ってきました。リアナは誰かと結託していたようです」
 それなら辻褄が合う。先ほど取り逃した二人組は、リアナとその「誰か」だったのだ。
 プリムロゼが思いきり眉根を寄せる。
「つまり、リアナさんはそいつにそそのかされているか、洗脳されているかもしれないのね」
「はい」
 神官は途方に暮れた顔で学者に視線を送った。
 学者は式年奉火の記録係という役割を担っている。ウォルド王国と聖火教会の取り決めだそうだ。その関係もあり、神官はこうしてたびたび彼に意見を求めることがあった。
 学者が静かに口を開く。
「この件を素直に教会に話すか、それとも黙っておくか。まずはそれを決めなければ」
 リアナは明確に背信行為を働いたことになる。教会にばれたら厳罰どころではすまないだろう。しかし、種火の盗難という大事件を、教会の助けを借りずに解決できるのか。この厄介な二者択一は、他でもない神官自身が結論を出す必要があった。
「わたしは……」
 彼女は小さく唇を震わせた。
 常に他人を導いてきた灯火が、今にも消えそうに揺らいでいる。テリオンは落ち着かない気分になった。
 不意に、ノックの音が響く。神官はびくりと肩を揺らした。
「どちら様かな」部屋の入口に向かって学者が声をかける。
「失礼します」
 ドアが開いた。やってきたのは白いマントをまとった聖火騎士だった。見覚えのない顔である。
 神官にとっては今一番会いたくない相手だろう。思わぬタイミングで聖火教の関係者に出くわし、彼女ははっきりと動揺していた。
「ハンイット様はおられますか。あなたがたの旅に同行しているとうかがったのですが」
 聖火騎士はテリオンたちを見回した。神官ではなく狩人に用事がある? どういうことだろう。
 誰も答えられなかった。部屋全体が凍りついた刹那、沈黙を破って廊下の方から複数の足音が近づく。開いたままの扉から、今度は狩人と雪豹が顔を出した。
「ただいま戻った。みんな、どうしたんだ?」
 固まるテリオンたちを見てぽかんとする彼女に、聖火騎士が歩み寄る。
「ハンイット様ですね。あなたに知らせを届けに来ました」
 名指しされた狩人は、さっと顔色を変えた。
「わたしに? ひょっとして、それは」
 全員の気持ちが一致する。これは考えうる限り最悪の事態だ、と。
 聖火騎士はまったく悪気なくこう告げた。
「赤目の居場所が分かりました。サンランド地方の都市マルサリムの郊外です。今すぐハンイット様に来てほしい、というエリザ様からの言付けです」

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