その瞳に星は宿る



 全員の視線がオフィーリアに集中した。
 種火を失った直後に赤目の行方が判明した。あまりの情報量に、頭が真っ白になりそうだった。
(ハンイットさんはすぐにでもマルサリムに行きたいはずですよね。なら、わたしはどうすれば……)
 盛大に混乱した彼女は、とにかく何か言わなければ、と口を開く。
「騎士殿」
 そこに、涼やかな声が割って入った。
「すまないが、私たちは今日、式年奉火の儀式を終えたところでね。くわしい話は後ほど聞かせてもらえないかな」
 前に出たサイラスが聖火騎士に応対する。その途端、オフィーリアは安堵でへたり込みそうになった。
 騎士が聖火の運び手に気づいてかしこまる。
「オフィーリア様が……! これは大変失礼しました。とにかくマルサリムでエリザ様が待っております。ハンイット様、よろしくお願いします」
「ああ、伝言ありがとう」
 ハンイットは硬い表情で送り出した。
 騎士が去り、部屋には弛緩した空気が漂う。だが、オフィーリアの責任が消えたわけではない。少しだけ落ち着きを取り戻した彼女は、震える唇でその名を呼んだ。
「サイラスさん、少しお時間をいただけますか。相談したいことがあります」
 どうしても目線が下がり、顔の横に力なく髪が垂れる。
「もちろん。長くなるなら、みんなには先に夕食をとってもらおうか?」
 今の彼女では思いもつかない配慮だった。顔を上げれば、仲間たちが心配そうにこちらを見ていた。
「そうですね。みなさん、すみませんが――」
「気にするな」とオルベリクが首を振り、
「オフィーリア、ゆっくりしていいのよ」プリムロゼが微笑する。
「まだ薬だって抜けてねえしな」アーフェンの気遣いが痛み入り、
「酒場で待ってるわよ、オフィーリアさん!」トレサの明るさに胸が軽くなった。
 テリオンやハンイットの無言も、今はただありがたかった。六人は静かに部屋を出ていく。
 残ったオフィーリアは卓に移動し、サイラスと向かい合わせに座った。ちょうど、先ほどリアナと話した時と同じ構図になる。
「サイラスさん。その……」
 オフィーリアは何度か肩を上下させて呼吸を整えた。
「ヨーセフ大司教様が、亡くなられたそうです」
 我ながら、まるで他人事のような調子だった。サイラスが目を見開く。
「大司教様が? それは……リアナさんが話した情報、ということかな」
「はい。そう打ち明けた時、リアナはかなり取り乱していました。わたしは彼女をなだめようとしたのですが……」
 続きが喉の奥に消える。それ以上声が出ない。
 サイラスが立ち上がり、卓を回り込んで来た。彼は、いつかオフィーリアが「子どもにはそうしてあげるのだ」と教えたように、しゃがんで目線を合わせる。
「オフィーリア君」
 肩にあたたかい手が置かれる。体の震えが止まった。
「我慢しなくていい」
 その台詞を聞いた瞬間、こらえていたものがついに決壊した。ぼろぼろと涙がほおを流れていく。オフィーリアは両手で顔を覆った。
(ヨーセフ父様はもういない……!)
 養父の死を知り、姉妹に薬を盛られて、彼女の心は千々に乱れていた。嵐のような感情に身を委ね、しばらく嗚咽を漏らす。
 衝動が落ち着くまで、サイラスは黙ってそばにいてくれた。
「……ありがとうございます、サイラスさん」
 オフィーリアはようやくおもてを上げた。学者の柳眉がなだらかな弧を描く。
「もういいのかい」
「はい。とりあえずは、ですが……」
 どうにか笑顔をつくると、サイラスは目元をやわらげた。
「それよりも、今後のことを相談させてください」
「分かった。まずは、大司教様が亡くなられたという話の裏をとるべきだと思う」
 彼は即座に提案した。オフィーリアをなだめつつ、考えを巡らせていたのだろう。
 リアナの狼狽の仕方からすると、おそらく大司教の逝去は真実だ。けれども念のため確認は必要だった。
 そもそも、リアナはどうやってこの町に来たのだろう。彼女は「葬儀はすでに終えた」と話していたが、親族としても神官としても、なすべきことがたくさんあるはずだ。「オフィーリアに一刻も早く知らせたい」とでも言ってフレイムグレースを飛び出してきたのか。
「その後の方針を決めるにあたっては、キミの意見を聞きたい。キミは、リアナさんをどうしたいのかな」
 サイラスはずばり核心に触れた。唇を結んでしばらく考える。答えが出るまで彼は辛抱強く待っていた。
「リアナの行動には何か事情があると思います。わたしは……種火もリアナの心も取り戻したい」
 父親を失ったばかりのリアナが正常な精神状態にあるとは思えない。きっと彼女は何者かによって悪い方向に誘導されたのだ。
「教会の手は、まだ借りません。それでどこまでできるか分かりませんが……」
「私も全力を尽くそう。キミならきっと大丈夫だよ」
 サイラスは安心させるようにほほえんだ。つられてオフィーリアも肩の力を抜いた。
「それでは、キミを襲った犯人について何か心当たりはあるかい?」
 眠りに落ちる寸前だったので記憶にはもやがかかっていた。オフィーリアは目をつむり、ぼやけた景色をなぞる。
「その人はリアナと何か会話していました。知っている声のような気もしましたが、分かりません……」
 リアナは迎えに来た犯人と一緒に部屋を出ていった。去り際、彼女は倒れたオフィーリアに「ごめんなさい」と小さく謝っていた――
「なかなか調べ甲斐があるね。腕が鳴るよ」
 サイラスはふむふむとあごをつまむ。情報収集において彼の右に出る者はいない。オフィーリアは頼もしさを感じながらも、罪悪感を募らせる。
「いつも手伝ってもらって……すみません」
 深々とお辞儀すれば、サイラスはきょとんとした。
「そんなことはないさ。私はキミのおかげで式年奉火の儀式を見ることができたんだ。本当に感謝している。キミが無事に旅を終えられるよう、いくらでも力を貸すよ」
 サイラスは笑みをつくり、オフィーリアの手を取った。
(わたしはこの手に導かれて、ここまでやって来たんですね)
 オフィーリアの旅路は、ほとんど常にサイラスとともにあった。二人はあらゆる困難をともに乗り越えてきた仲間だ。学者の思いに応え、リアナを助けるために、立ち止まっている暇はない。
「……はい!」
 いつしかほおはすっかり乾いていた。



 話し合いを終えたオフィーリアは、サイラスと連れ立って酒場に向かった。波間に星の瞬きが弾けるような明るい夜だった。
 あたたかい灯火に引き寄せられ、酒場の戸をくぐる。途端に二人は喧騒に包まれた。港近くの酒場は大勢の客でごった返していた。漁師町らしくあちこちのテーブルから荒っぽい声が聞こえる。彼女は仲間を探してきょろきょろした。
「おかえり、オフィーリア」
 そんな場所でもハンイットの声はよく通った。オフィーリアは安堵とともに移動し、サイラスと並んで空いた席に座る。すると、プリムロゼが学者に胡乱な目つきを向けた。
「ちょっとサイラス……オフィーリアに何したのよ」
「えっ」彼は固まった。
「外に出る前にちゃんと拭かないと」
 プリムロゼがハンカチを持った手をオフィーリアのほおにあてる。どうやら涙の跡が残っていたらしい。ありがたく拭ってもらった。
「すまない、まったく気づかなくて……」
「いいえ」
 謝るサイラスにオフィーリアは笑顔を向ける。普段なら彼がこういう配慮を忘れるはずがない。ああ見えて学者も気が動転していたようだ。オフィーリアは少し愉快な気分になった。
 卓の上に並ぶのは海鮮がたっぷり使われたメニューだった。湯気を立てるクラムチャウダー、白身魚の丸焼きに岩塩をふったもの。さてどれから手をつけよう、としばし迷う。
「オフィーリアさん、これおいしいわよ!」
 トレサがにこにこしながら皿を差し出した。半分に切られたパイが載っている。カニの身が入っているらしい。以前アトラスダムで食べたシンクガニのパイを思い出して、顔がほころんだ。
「本当は、儀式が終わったお祝いに用意したんだけど……」
 トレサは少し表情を翳らせた。昼間に市場を通った時、良さげな魚介に目をつけたらしい。儀式を終えて大聖堂から帰るついでに買い出しに行き、酒場の主人に無理を言ってパイをつくってもらったそうだ。
「いえ、とても嬉しいですよ。大事にいただきますね」
 皿を受け取り、切り分けたものを口に含む。濃厚なクリームの味が舌の上に広がった。オフィーリアは、在りし日に姉妹が言ったことを回想した。
(元気出さないとご飯もおいしくないのよね、リアナ……)
 こみ上げてきた涙はスープと一緒に飲み込んだ。
「それで、オフィーリア。これからどうする?」
 ハンイットがおもむろに切り出した。一刻も早く師匠を助けたいだろうに、彼女はあくまでこちらを気遣った。オフィーリアは落ち着いて答える。
「リアナの心を取り戻しに行きます」
 それは「教会には隠したまま種火を取り返す」という宣言だった。
「そうか」
 オルベリクの低声が胸に響く。皆が神妙にうなずく中、ハンイットは端正な顔を歪めた。
「わたしも手伝いたい気持ちは山々だが……赤目が現れたからには、そちらに向かいたい」
「もちろんです」
「ならさ、また半分ずつに別れたらいいんじゃねえの?」
 アーフェンの提案に反論は出なかった。
 こういう時はどうやって人員を割り振ればいいのだろう。オフィーリアは意見を求めてサイラスを見やる。すると、彼はテリオンに視線を飛ばした。テリオンはいきなり輪の中心に引き上げられ、目を白黒させる。
「……メンバーはあんたが決めろ。誰も文句は言わん」
 彼はオフィーリアを見据えてそう告げた。どきりと心臓が跳ねる。
「わたしもそれでいい。仲間を選んでくれ」
 ハンイットにも後押しされ、オフィーリアはうつむいた。
「分かりました……」
 目を閉じて思考に入る。自分は誰についてきてほしいのだろう。誰と一緒なら、リアナを助けることができるだろう。
 心はすぐに決まった。
「それでは……サイラスさん、オルベリクさん」
 今回の事件が式年奉火に関わる以上、サイラスは当然の選出だ。オルベリクは、対人戦を見越した結果である。
「最後に、テリオンさん。わたしについてきていただけますか」
 銀髪の彼をまっすぐ見つめる。テリオンは無言で肩をすくめた。
 ハンイットが大きく首肯する。
「よし、決まりだな。わたしたちは明日の朝に出発するぞ。急な話だが、砂漠に向かう準備を頼む」
「了解!」
 プリムロゼ、トレサ、アーフェンが異口同音に応じた。
 オフィーリアは胸の前で両手を組み合わせる。
「わたしは……この町でリアナの行方を探ってから、旅立とうと思います」
「そうか。どこで合流する?」
「できればフレイムグレースの儀式はみなさんと一緒に迎えたいのですが……どうでしょう」
 控えめに提案すれば、
「もっちろんよ!」「俺も協力するぜ」
 仲間たちが次々と応じてくれた。
 オフィーリアは笑った。何もかもいつも通りとはいかないけれど、それは本心から浮かべた笑顔だった。



「それでは行ってくる。オフィーリアも気をつけてな」
「ありがとうございます。ハンイットさんたちに聖火のお導きがありますように」
 翌朝、ハンイットら四人ははるか西のマルサリムへと旅立っていった。
 仲間を見送ったオフィーリアは、サイラスとともにドノヴァン司教のもとを訪れた。幸いにも、採火燈の不所持には気づかれなかった。代わりに司教は眉をひそめた。
「オフィーリア様、私のもとにも知らせが届きました。大司教様のことは……ご愁傷さまでした」
 やはりリアナの話は真実だった。オフィーリアはそっとまぶたを伏せる。
「旅に出た時から覚悟はしていましたが……。一刻も早くフレイムグレースに戻らなければなりませんね」
 もちろんリアナと一緒に。
 ヨーセフが実の娘に看取られたことは、せめてもの救いだった。運び手を引き受けた意味は確かにあったのだ、と考えることで、オフィーリアは胸を裂くような痛みを少しでも和らげようとする。
 サイラスが一歩踏み出した。
「司教様。昨日の誘拐犯について、何か判明したことはありますか?」
「申し訳ないのですが、まだほとんど分かっていません。手がかりが少なくて……。
 ただ、彼らの言う救世主という者の噂は聞いたことがあります。オフィーリア様たちはまだしばらく町にいらっしゃるのですよね? 何か分かればお知らせします。聖火教会としても、大きな問題ですから」
「ありがとうございます」
 サイラスが如才なく約束を取り付ける。二人はドノヴァン司教と別れて大聖堂を出た。
「オフィーリア君、本当にいいのだね。フレイムグレースに戻らなくても……」
 サイラスが改めて尋ねる。オフィーリアも、心の底では「帰って現状を確かめたい」「せめて墓標に挨拶だけでもしたい」と思っていた。だが、今はリアナを追いかけることを優先すべきだ。
 サイラスは過去に一度、ヨーセフ大司教と顔を合わせている。オフィーリアと二人で原初の洞窟に赴き、種火を持ち帰った後だ。病床にあった大司教は「娘を頼む」とサイラスに頭を下げていた。口には出さないけれど、サイラスも大司教の死に関して思うところがあるようだった。
「はい。父様はきっと『生きている人を優先せよ』と言うはずですから」
「それなら私はリアナさんの行方を探ることに集中しよう」サイラスはあごをなでる。「しかし、関係者が全滅しているからね……調べてはみるが、少し時間がかかりそうだ」
「すみませんが、よろしくお願いします」
「オフィーリア君はひとまず休んだ方がいい。疲れが出ているよ。美しい顔が台無しだ」
 いつもの美辞麗句を、彼女はさらりと聞き流す。
「……そうですね。少しゆっくりしようと思います」
 彼は調査をはじめるため、さっそく町に繰り出していった。
 一方オフィーリアは勧められたとおり宿の部屋に戻った。ベッドに横たわり、まぶたを閉じる。昨晩はあまり寝付けなかったこともあり、夢も見ずにぐっすり昼寝した。
 目を覚ませば太陽が中天に昇っていた。フレイムグレースで暮らしていた頃とは大違いの怠惰な生活に、我知らず赤面する。だが、おかげで体も心も軽くなった。
 すっきりした気分で廊下に出ると、テリオンとばったり鉢合わせた。彼は珍しく外套を脱いでいた。
「テリオンさん! ……どうされたのですか?」
 シャツ姿だと妙にくつろいで見える。テリオンは答えず、何故か気まずそうに目をそらした。
 彼の後ろからオルベリクがやってきた。こちらも軽装だ。彼は布で額を拭いていた。
「オフィーリアか。司教の話はどうだった?」
「まだ何も……情報がつかめたら教えてくれるそうです」
「頼れるのか、あの司教」
 テリオンは鼻を鳴らす。昨日のドノヴァン司教は娘を人質に取られたことで気を患い、オフィーリアたちの目の前で倒れてしまったのだ。テリオンの危惧も理解できるが、最終的には娘を取り戻してすぐ儀式を行ったのだから、十分立派な人だろう。
「ところでお二人は何をされていたのですか?」
「それはだな、テリオンが……」「やめろ」「俺に剣を教えてほしいと言うから」
 テリオンの小さな否定がオルベリクの声にかき消される。オフィーリアは吹き出してしまった。
「おい、笑うな」
「ごめんなさい。剣のお稽古ですか。いいと思いますよ」
 外で一戦交えた後、宿に戻って汗を流したようだ。この分だと、オフィーリアとサイラスがいない時を狙って練習に励んでいたのかもしれない。
「テリオンはあまり鍛錬を見られたくないらしい。隠れてやっていたのに、ついにばれたな」
 オルベリクがからりと笑う一方で、テリオンはぷるぷると肩を震わせ、そのまま立ち去ろうとする。
「あ、待ってください」
 まだ用があるのか、と言わんばかりににらんでくるテリオンに、負けじと声を張った。
「お話ししたいことがあります。テリオンさん、一緒に来ていただけますか」
 この機会を逃したくなかった。彼女はまなざしに力を込める。テリオンはわざとらしく息をついて、
「……分かった」と答えた。
 表面上はどんな態度を取っていても、彼は決してオフィーリアの頼みを断らないのだった。



 ゴールドショアは美しい砂浜で有名だ。ここに暮らす貴族たちはプライベートビーチで海水浴を楽しんでいるらしい。その一方で漁業も盛んに行われ、海に近づくほど活気に満ちていく。こんな時でなければのんびり過ごしたくなるような町だった。
 オフィーリアは商店が立ち並ぶ通りをそぞろ歩く。隣で歩調を合わせるテリオンは、いつものように紫の外套をまとっていた。しばらくして、彼は小声で尋ねる。
「で、俺に何の用だ」
「え?」
「だから……」
 言い募るテリオンに、オフィーリアはくすりと笑った。
「ごめんなさい、テリオンさんとお散歩できるのが、なんだか楽しくて」
 彼は両肩を上げた。呆れられたかと思いきや、その表情は凪いでいる。
 さざなみの音と人々の話し声の真ん中を縫うように進んだ。二人の間の小さな沈黙は、どんな言葉よりも雄弁だった。
(テリオンさんはずいぶん変わりましたね……)
 彼はウェルスプリングで昔馴染みの盗賊団の頭と会ったらしい。その後、ボルダーフォールに戻ってレイヴァースの屋敷を訪れたあたりから、ずいぶん雰囲気が落ち着いてきた。
 出会ったばかりの頃、彼は何かを諦めたような顔をしていた。だが今、テリオンの目には静かな決意が燃えている。オルベリクと稽古をはじめたことからも分かるように、彼は仲間と深く関わるようになった。
 きっとこれが本来の彼なのだろう。その変化にオフィーリアは好ましいものを感じていた。
 こうして町歩きに誘ったのは、それを伝えるためでもある。彼女が口を開いた時、
「あっ、オフィーリアさん……それにテリオンさんも!」
 背後から弾んだ声がかかった。足を止めて振り返れば、そこに金髪の旅人がいた。
「まあ、クリスさん。お久しぶりですね」
 会うのはノーブルコート以来だろうか。彼女はあの町でクリスを旅芸人の一座まで導いた。あれから互いに旅を続けて、ここで再会したのだ。
 クリスは嬉しそうに走ってくる。
「僕たち、今日この町に着いたところなんです。近くの月隠れの街道にテントを張ることになりまして」
「また一座で公演されるのですね」
 残念ながら、オフィーリアたちは見物できそうにない。
「ちょっとは芸が身についたのか?」
 テリオンがからかうように口の端を上げる。クリスは肩を落とした。
「それが、全然なんです……」
 クリスは真面目な分、少し不器用なのかもしれない。それでも挫けず旅芸人を続けているあたり、性根は明るいのだろう。
「そういえば、お父様の行方は分かりましたか?」
 彼は行方不明になった父親を探すため、旅芸人一座に席を置いていた。クリスははにかむ。
「はい、実は手がかりが見つかりそうなんです!」
「それは良かったです」
「でも、この先一座が向かう町は、手がかりの場所とは逆方向みたいで……どうしようかなと思って」
「一座を抜けるのですか?」
「まだ考え中です。もし辞めるとしても、その前に何か恩返ししたいのですが」
 クリスはしきりに商店を見回した。
「一座の看板が色あせてきているから、塗り替えるための顔料を探しているんです。テリオンさん、何か持ってませんか」
「あるわけないだろ。俺は商人じゃない」
「ええっ、つれないこと言わないでくださいよ」
 食い下がるクリスは、ずいぶんテリオンに懐いている様子だった。テリオンもまんざらでもなさそうな態度である。
 オフィーリアはほほえましい気分になった。
「クリスさん、グランポートに行くのはどうでしょう? あそこは商売の町ですから、きっといい顔料がありますよ」
 グランポートは北にある交易都市だ。海の向こうの国々と貿易し、あらゆる品物を大陸にもたらす重要拠点である。「大競売」という商人の祭典が開かれることで有名であり、トレサの最終目的地でもあった。本来はこの町で儀式を終えた後はそちらに向かう予定だったが、今回の事件により変更を余儀なくされたわけである。
「うーん、でもこれから公演があるし……ちょっと考えてみます」
 悩むクリスに、オフィーリアはにっこりする。
「早くお父様に会えるといいですね。クリスさんに聖火のお導きがありますように」
「ありがとうございます、オフィーリアさん。ではお二人とも、また!」
 寒色のマントが雑踏に消えた。彼も充実した日々を過ごしているようだ。旅芸人一座に導いて良かった、と思う。
 クリスと別れたオフィーリアは、「少し休みましょう」と提案し、道端で見つけたベンチにテリオンを誘った。
「……あんたは他人を気にしすぎだ」
 腰を落ち着けるなりテリオンが言った。オフィーリアは目をぱちくりさせる。
「ええと、何のお話でしょう」
「父親のことだ。……亡くなったんだろ」
 仲間には昨晩の時点で大司教の死を打ち明けていた。こう見えてテリオンも心配してくれていたのだ。じわりと胸の奥が熱を持つ。
「父様は聖火に導かれて死の門をくぐられたのです。わたしの一存でどうにかできることではありません」
 人は死ぬと霊魂になり、この世ならぬ場所につながる死の門をくぐる。門を通った魂が現世に戻ることは決してない。別れは誰にとっても必然である。
「ですが、父様はまだ近くにいるように感じるのです。わたしやリアナを見守っておられるような気が……。だから、大丈夫です」
 テリオンは眉をひそめた。
「だがな……」
「わたしのことを気にかけていたのですね、テリオンさん。ありがとうございます」
 心からお礼を述べると、彼は何故か軽くのけぞった。
「……結局、俺を選んだ理由はなんだったんだ?」
 ずっと気になっていたのか、単に話題を変えたかったのか。テリオンはぼそぼそと質問する。散歩に付き合ってくれたのも、それを聞きたかったからかもしれない。
「何故だと思いますか」
 オフィーリアは少々意地悪に問い返した。
「どこかに潜入する必要があるから、か」
 確かに彼は、サイラスとは別方面において情報収集能力が高い。だがオフィーリアはかぶりを振った。
「それだけではありません。テリオンさんに、サイラスさんと仲良くしてほしいからです」
「はっ……?」
 テリオンの目が点になる。
 オフィーリアは思いきって彼の右手を取った。外套の下から重い金属の腕輪が現れる。テリオンは体をこわばらせた。
「近頃、お二人があまりお話しできていないように見えたのです。何かあったのですか」
 彼女がそれに気づいたのは、ちょうどサイラスがアトラスダムから戻ってきた後だ。なんだか、二人の接し方がそれ以前とは違って見えた。
 テリオンはひとたび「学者の芝居をする」となれば、サイラスを完璧に模倣できる。彼があの学者から多大な影響を受けていることは間違いない。それなのに、最近の二人の間にはほとんど会話がなかった。あっても一言二言で、互いにそれを問題とは思っていないらしい。オフィーリアにはそれが不思議であり、不満でもあった。
 テリオンは左手で額をおさえた。
「あんた……いい加減にしろよ」
「どうしてですか? もうみなさん旅の終わりも近いのですよ。このまま別れてしまってもいいのですか」
 オフィーリアは座ったままテリオンににじり寄り、緑玉のような目をじいっと見つめた。やがて彼は根負けしたように言葉をこぼす。
「……らないんだ」
「え?」
「あいつが何を考えているか、さっぱり分からん」
 そう言った彼は、親に置き去りにされた子どものような顔をしていた。オフィーリアはぽかんとしてしまう。
「それは……」
 ぎこちないやりとりは、テリオンの戸惑いのせいだった。例えばウェルスプリングで再会した時、サイラスは突然テリオンの呼び方を変えた。あれも部外者のオフィーリアはなんとなく理由を察したけれど、テリオン本人には伝わっていなかった可能性がある。
 その答えはとても簡単だ、と彼女は思う。だが自分から伝えてしまって良いものか。迷っているうちに、こちらに近づいてくる人影があった。
「テリオン、オフィーリア君」
 日差しの中に黒く影を落とすのは、学者サイラスだった。隣にはオルベリクもいる。
「……どうかしたのかい?」
 サイラスはベンチに座って向かい合う二人を見て、首をかしげた。当然、彼は話題の中心が自分であるとは想像もしていないだろう。
「なんでもない」
 テリオンが即座に身を離す。いっそ本人に打ち明けてしまおうかとオフィーリアが考えた時、サイラスが言った。
「リアナさんの行方が分かったよ」
「本当ですか!」
 オフィーリアはぱっと立ち上がった。
「司教様が『救世主』について調べてくださってね」
 サイラスは海の向こうを指さす。
「フラットランドの最北端、ノーブルコートのさらに北にウィスパーミルという村がある。最近、そこに聖火教の教えに異を唱える者たちが集まって、救世主と呼ばれる存在を仰いでいるらしい。キミを襲った者はその村に向かったのだろう」
 リアナはきっとそこにいる。オフィーリアは見えない採火燈を握るように、手のひらに力を込めた。
「ありがとうございます」
 感極まって頭を下げると、サイラスは目を細めた。
「ドノヴァン司教様のおかげだよ。私もオルベリクと一緒に海辺の洞窟に行ってみたのだが、見事に空振りでね」
「手がかりといえば、これくらいしか見つからなかった」
 オルベリクが取り出したのは小さな瓶である。
「誘拐犯があおった毒だ。まだ少しだけ残っているから、アーフェン君がいれば何か分かったのかもしれないが……薬だけでなく、毒の知識も教わるべきだったな」
 サイラスは残念そうに眉を下げた。オフィーリアも同じくアーフェンから薬学の手ほどきを受けていたが、毒となるとお手上げだった。
「でもリアナの行き先は分かりました。みなさん……どうかわたしについてきてください」
 オフィーリアは両手を祈りの形に組んで、三人を順繰りに見つめた。
「もちろんだよ」
 学者は言葉で、剣士と盗賊は力強いうなずきによって答えた。
 聖火はなくとも、彼女のそばには仲間がいた。それに、目に見えない家族もそばで応援してくれている。
(父様、わたしに力を貸してください。リアナを助けるための力を……!)
 オフィーリアは思い出の中の養父に向かって呼びかけた。

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