その瞳に星は宿る



 フラットランド地方の丘陵地にあるウィスパーミル村は風の通り道だ。なだらかな坂の上にはいくつもの風車が回り、大きな羽根で自然の恵みを受け止めている。
 オルベリクは眼前に広がる畑と牧場をぐるりと見渡した。懐かしきコブルストンの村を思わせるのどかな景色だ。しかし、あちらとは違い、村を歩くとどこからともなく敵意に近いものを向けられる。どうやら自分たちは歓迎されていないらしい。
 一方で、オルベリクの前をゆくサイラスは、四方から刺さる冷たい視線を微塵も気にしていなかった。
「失礼。この村で聖火教の神官を見かけなかったかな?」
 サイラスは通行人をつかまえては容赦なく質問を浴びせる。オルベリクは周囲への警戒を続けながら、黙って彼に従った。
 話しかけられた村人がうさんくさそうに目をすがめる。ちょうど農作業に出るところだったのか、肩に道具を担いでいた。
「神官なんて、うちには来ないよ」
 すげなく返事をして、村人はそのまま畑に向かう。
「とりつく島もないという感じだね。次に行こう」
 学者はまるで動じていない。さすが、普段から見ず知らずの相手に怒鳴られているだけはある。
 二人は素朴な土の道を移動した。やはり視線を感じるが、あたりは無人だった。いくら小さな村にしても、日中にこの有様はおかしい。
 途中で一軒の家の前を通った。ちょうど玄関が開いて、誰かが出てくる。今まで出会った村人とは違う雰囲気の若者だ。彼はこちらに目を留めて、ぱっと顔を明るくする。
「サイラスさん! お久しぶりです」
 誰かと思えば、サイラスの知り合いの教師テラキアだった。オルベリクは以前、ノーブルコートで顔を見た覚えがある。
「やあテラキア君。こんなところで会うなんて思わなかったよ。キミは子どもたちに勉強を教えに来たのかい?」
 サイラスはほおをゆるめた。オルベリクの記憶では、テラキアは教育の普及のためフラットランドの集落を巡っていた。その過程でウィスパーミルを訪れたのだろう。
「そうなんですが……なかなか難航していまして」
「ほう」
 サイラスはテラキアと並んで村を歩く。オルベリクはそれとなくあたりに注意を向けながら、二人の後ろをついていった。
「この村では半年ほど前に流行病があって、多くの人が亡くなったようです。そのせいでしょうか……みなさん話を聞いてくれないんですよ」
「それはどういうことかな」
 サイラスの目が鋭く光る。テラキアは困ったように眉を寄せた。
「親御さんが子どもを授業に出してくれないんです。みなさん『それどころじゃない』と言って、とても熱心に祈っているみたいで」
「祈る? 聖火に?」
「いえ、また別のものらしいのですが」
 サイラスがちらりと振り返った。オルベリクはうなずきを返す。
 ドノヴァン司教の情報は正しかった。この村には間違いなく「聖火教に異を唱える者」がいる。
「ところで、サイラスさんたちはどうしてここに?」
「式年奉火の儀式の関係で、ちょっとね」
 オルベリクはぎょっとする。どこに耳があるかも分からない場所で、あまりにも挑発的な発言だった。
「そういえばサイラスさんは式年奉火の記録係でしたね。そろそろ儀式も終わりと聞きましたが」
「ああ、セントブリッジとゴールドショアの儀式は完了した。あとはフレイムグレースに戻るだけだよ」
 最後の儀式を行うのは種火を取り戻した後だ。そのために今、オルベリクたちが行動している。
 しばらくして別の家の前にたどり着く。テラキアが一礼した。
「僕はまた家を回ってみなさんと交渉してみようと思います。では」
「ああ、気をつけて」
 友人を見送ったサイラスは、オルベリクのそばに来て囁いた。
「これだけ注意を引きつければ十分だろう。あとは『彼』がうまくやってくれるさ」
 今回二人がここを訪れた目的は情報収集ではなかった。オルベリクは小さく首肯する。
「俺たちはどうする?」
「そうだね……いかにも怪しい行動をしようか」
 サイラスはさざなみのような笑い声を立て、村の入り口へと移動した。もう視線はついてこなかった。
 二人は種火を奪った犯人をあぶり出すため、わざと目立つ動きをしていた。サイラスが式年奉火の記録係ということは相手も知っているはずだ。なので陽動は彼本人と、護衛としてオルベリクが担当した。
 この策謀の本命はテリオンである。彼は別ルートから村に潜入し、隠れて情報を探る役割を担っていた。
 肝心のオフィーリアは、村の外で待機するようサイラスに厳命されていた。犯人たちは運び手本人を最も警戒しているに違いない。そのため、彼女はテリオンが情報を持ち帰ってから行動をはじめる手はずになっていた。村全体が罠という可能性すら考慮すべきだとサイラスは主張し、オルベリクも賛同した。
 二人は村外れの林に足を踏み入れた。木がまばらになってぽっかり空いた土地を見つけ、サイラスが立ち止まる。
「このあたりでいいかな」
「追手が来るのか?」
「うまくこちらに引きつけられたらね。それまで少し時間がかかりそうだな……そうだ、あれの練習でもしよう」
 サイラスはそう言って自分の荷物から紐を取り出した。
「オルベリク、端を持ってくれ」
「こうか?」
「そうそう」
 何をするつもりだろう。まあそのうち説明があるかと思い、指示に従った。
 サイラスはもう一方の端を持つと、オルベリクから離れて紐をぴんと張った。次に取り出したのは杖だ。先端で地面をえぐる。どうやら紐を使って距離を測り、オルベリクを中心にして土の上に円を描こうとしているらしい。
「サイラス、これは一体……」
「オフィーリア君から種火を奪った犯人と対峙した時、私は一時的に魔法が使えなくなった」
 唐突に話がはじまる。オルベリクは面食らった。
「……なんだと?」
「沈黙状態とも違ったんだ。魔力の流れがせき止められたようで、詠唱しても魔法として実を結ばなかった。犯人が立ち去るとすぐに解除されたのも不思議だったよ。それからずっと原理を考えていたのだが――」
 こちらの疑問には答えてもらえないらしい。杖を持って移動しながら話し続けるサイラスを、オルベリクは眉をひそめて見守る。
「あれは呪術……辺獄の書に記された魔法かもしれない」
 辺獄の書はサイラスが追い求める謎多き書物だ。オフィーリアを襲った犯人が、もしその書物と関わりがあるとすれば――
「何か心当たりがあるのか」
 オルベリクの肝が徐々に冷えていく中、サイラスは円を描き続ける。
「オデット先輩やアトラスダムでの調べが進んだ結果、辺獄の書の内容が明らかになってきていてね。あの本には、そのような魔法が記されていてもおかしくない」
 彼は杖を地面から離した。気づけばそこには見事な正円が描かれていた。オルベリクが促されるまま円の外に出ると、サイラスは紐をしまって線を書き足しはじめた。今度は直線だ。
「つまり、辺獄の書を盗んだ者と、種火を奪った犯人はつながっている可能性がある」
 平然と放たれた台詞に、血の気が引いた。オルベリクは重い口を開いて指摘する。
「可能性、ではないだろう。お前は確信しているのだから」
「……はは、そうだね。騙したようで悪かったよ」
 オルベリクは息を吐き、手近な木の幹に背を預ける。サイラスは話の間もひたすら手元に集中していた。
(これは魔法陣か?)
 陣によって発動する魔法もあると聞く。そういえば、クオリークレストでサイラスが踏み込んだ地下水道にも魔法陣があったらしい。
 サイラスが陣を描く場面は今まで見たことがなかった。もしや、以前薬師や商人とともにアトラスダムに戻った時、新たに習得したのだろうか。
 ――先生のこと、ちょっと見ててほしいんだよ。なーんか気になるんだよなあ。
 ゴールドショアでの別れ際、オルベリクはこっそりアーフェンから頼まれごとをした。かの優秀な薬師は、学者とともにアトラスダムを訪問した時、何かを察知したようだった。
 アーフェンは「先生は隠しごとをしてる」「直接聞き出そうとしたけど無理だった」とも言っていた。ウェルスプリングに彼らが異様に早く到着した件とは、また違うらしい。アーフェンの推測どおり、確かに学者は重大な話を胸に秘めていた。問題は、これが秘密のすべてとは到底思えないことだった。
 話が進めば進むほど、オルベリクの中で焦れったい気持ちがかさを増していく。サイラスは一体何に気づいていて、何を告げようとしているのだろう――
 学者は複雑な文様をなぞりながら、また口を開いた。
「トレサ君とプリムロゼ君がマルサリムに行ってくれて助かったよ」
 また突拍子もなく話題が飛んだ。
「あちらには聖火騎士がついているから、しばらくは尾行者も手出しできないだろうね」
「ああ……その話か」
 彼らは以前、ヴィクターホロウの町でトレサを付け狙う正体不明の人影を発見した。サイラスがストーンガードで罠にかかった件もあり、その場で取り押さえようとしたが、あえなく逃げられてしまった。あれから一度も気配は感じていないが、またどこかで遭遇するかもしれない。
「それに、プリムロゼ君の最後の仇であるシメオンは黒曜会の幹部……下手をするとトップか。そちらもどう処理するか、考えなければ」
 佳境に突入した彼らの旅には、敵対者が次々と姿を現した。テリオンには盗賊団が、プリムロゼには黒曜会が、トレサには尾行者が、オルベリクにはヴェルナーが、そしてサイラスにはルシアが。現在もオフィーリアを襲った相手に対応している最中だった。
「万一『あちら側』に結託されてはたまったものではないから、なんとか各個撃破に持っていきたいね。さて、どうしたものか」
 杖の先が地面から浮く。魔法陣が完成したらしく、学者は満足気にこちらを振り返る。
「サイラス、お前……」
 オルベリクはそれしか言えなかった。
 これほど込み入った事情を、たった一人で抱えていたのか。以前からサイラスはこういう情報処理や後始末を一手に引き受けていた。彼の得意分野であり、アトラスダムの強力な後ろ盾もそれを後押しした。けれど、いつの間にかオルベリクたちが想像するよりもずっと、サイラスの負担は増えていたらしい。
 学者は持ち前の好奇心で情報を探り、あらゆる声を拾ってしまう。見えるものが人より多い分、その身に抱えるものも増えるのだ。
 サイラスは軽く額を拭い、肩をすくめた。
「突然で驚かせてしまったかな。だが、ハンイット君に脅されたんだ。きちんと情報を共有しろと」
「脅された?」しかもハンイットに。
「ああ。あまりにも隠しごとが多いと、もうクラップフェンを……いや、今後一切料理をつくらないと言われた」
 一転してサイラスは深刻そうな顔になった。オルベリクは脱力する。そんなことで脅しになるのか。サイラスにとっては死活問題のようだが。
「このことはまだハンイット君に打ち明けていない。まずはあなたに話そうと思って」
 真っ先にオルベリクを頼ってくれたことは喜ばしい。しかし、こちらからも言いたいことがあった。
「サイラス。一方的に話をするのは、相談とは言わないぞ」
「それは、そうなのだが……なかなか慣れていなくてね」
 彼は困ったように柳眉を下げる。きっと今までも、サイラスはオルベリクたちが知らぬうちに、こういう話を解決してきたのだろう。戦闘ならば皆で協力できるが、こういう事情を汲み取り彼を補佐できるような仲間はいなかった。
 学者の負担を増やしてしまったのは自分たちなのかもしれない。オルベリクはつかの間暗澹たる気分になり、唇を閉ざす。
「……ずいぶん遠くまで来てしまったな」
 サイラスは青いまなざしを林の先に投げた。木々の向こうで、昼の光を浴びた草原が風にそよいでいる。ウィスパーミルは比較的アトラスダムから近い場所だが、彼が言及しているのは心理的な距離のことだろう。
「みんなの旅も、もう終わりが目前だ。厳しい道のりかもしれないが、私は全員の旅が楽しく終われるようにしたい……」
 オルベリクは目を見開いた。
(そんなことを考えていたのか)
 無造作に整えられた学者の黒髪が微風になびく。思えば近頃のサイラスは、朝の身支度をそつなくこなすようになった。それは成長というより、隙を見せなくなったと評するべきかもしれない。
「きっと、あなたも私と同じことを考えているのではないかな。人々の未来を守りたいと……」
 サイラスは澄み渡った瞳をこちらに向けた。オルベリクはため息をつきたい気分になる。
「俺が守りたいのは、お前を含めた皆のことだ」
 全員の旅が楽しく、と言いながらサイラスは当たり前のように自分を勘定から外していた。その語り口にオルベリクは我慢できなくなったのだ。本当は「いい加減にしろ」と言ってやりたかった。しかし学者も学者で強情だから、素直に受け取らないだろう。だから、代わりにそう宣言した。
 するとサイラスは青空のような目を細めて、
「嫌だ」
 とにこやかに答えた。
「……どういう意味だ?」
 表情と台詞がまるで合っていない。子どもっぽい否定なのか深い意図があるのか判別できず、オルベリクは当惑する。
 サイラスはくすりと笑った。
「あなたの言う『守る』には、いつもあなた自身が含まれていないように感じるんだ。違うのかな?」
「それは……お前も同じだろう」
「そんなつもりはないのだがね」
 人を食った返答だが、おそらくはサイラスの本心だ。まったく困った男である。
 オルベリクは口では彼に勝てない。ならば行動で示すまでだ。そもそも、仲間は誰一人として失ってはならないということを――自分もその中に入っていることを、サイラスは知っておくべきだ。
 学者はこちらの内心などお構いなしに話を進める。
「それに、私はエアハルト氏にもあなたのことを頼まれたんだ」
 オルベリクは目を丸くする。すぐに事情を察した。
「いや、エアハルトはそういう意味で言ったわけではないぞ……」
 おそらく「ちゃんと協力してくれ」程度の意味合いだったはずだ。己の全力を尽くしてオルベリクを支援しろ、ということではない。自分の発言が勘違いされたと知ったらエアハルトも驚くだろう。
「とにかく、お前の荷をこれ以上増やさないようにする。合流したら今のことをハンイットにも話しておけ」
「分かったよ。でも、負担が増えたとは思わないな。これは私が任されたことだから」
「誰に?」
「……テリオンに」
 サイラスはさりげなく視線を外した。
 ああ、これはもしかして――オルベリクはいよいよ頭を抱えたくなる。サイラスがやけに張り切っているかと思えば、そういうわけか。
 彼はいつの間にかテリオンと話して旅の体制を決めていたらしい。それ自体はありがたいが、話し合いの内容が問題だった。またいつものように、テリオンの言葉足らずをサイラスが勝手に拡大解釈したのではないだろうか。
 サイラスは不思議そうに首をかしげている。剣でしか語れぬと自覚しているオルベリクの方が、まだまともに意思疎通できるのでは、と思える事態だった。学者も盗賊も片方だけなら普通なのに、どうして二人そろうとこうなるのだろう。
 オルベリクが盛大に嘆息した時。
(……来たか)
 どこからともなく強い視線を感じた。即座に体を反転させ、身構える。
「どうしたんだい」
 きょとんとするサイラスを背中側にかばった。周囲をすばやく見回せば、少し離れた木立の陰に何者かの気配がある。
「誰か来たようだ」
「……しまった、話に夢中になりすぎたね。何か聞かれた可能性は?」
「気配を感じたのは今だ。おそらく大丈夫だろう」
 うなずきながら、学者は魔導書を取り出した。オルベリクはかぶりを振る。
「サイラス、お前はオフィーリアの……いや、テリオンの元に急げ」
「私も戦うよ」
「ゴールドショアでは魔法を封じられたのだろう。そうなったら俺でも守りきれん」
「それは……」
 サイラスは息を呑んだ。
「だが、お前には対抗策があるのだろう?」
 きっとあの魔法陣がそうではないか、とオルベリクは見込んでいた。サイラスは硬い表情でうなずく。
「ああ、今の練習が役に立ちそうだ。あなたはどうする気だい」
「後から向かう。いいから早く!」
 サイラスの背を押して距離をとると、オルベリクは槍を構えた。長剣よりもリーチを確保でき、大人数にも対応しやすい。木の後ろには複数人が潜んでいるようだった。
 不意に、トレサに槍の使い方を教えた日々が頭をよぎった。まさか部下でもない年下の少女を指導することになるなんて、ホルンブルグ時代には考えもしなかったな、と軽く苦笑する。
「オルベリク……武運を!」
 短い激励とともに、黒いローブが木々の向こうに消えた。
 その直後、下生えを踏み荒らしながら襲撃者が姿を現す。数は三人。決意を新たにしたオルベリクは、槍を構えて相手に向き直った。

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