その瞳に星は宿る



「リアナ様が、救世主様のお導きで神子となるそうですよ」
「ああ、これで望みが叶うんだな」
 テリオンは草むらに身をひそめ、村人たちの会話に耳を傾けた。
 学者と剣士はしっかり陽動の役割を果たしたようで、村人は誰一人として彼の潜入に気づかなかった。学者たちがそばにいないのをいいことに、道端でべらべらと機密事項を話す始末だ。リアナと救世主がこの村にいることはもう確定である。きっと種火もどこかにあるに違いない。
 学者の作戦はやはり的確だった。面倒な仕事を丸投げした甲斐はある。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
「にしても、あんなところに洞窟があるなんてなあ……」
 村人たちは東の森に向かってぞろぞろ歩いていった。
(洞窟か)
 そこに何か隠しているのか。できればリアナがいて、種火も保管されているとありがたいのだが。
 それなりに有力な情報が集まってきた。村の外で待機する神官のもとに一旦戻ろう、と考える。
 ――と、また別の者がやってきた。女が一人に男が二人。どうやら村人は総出で洞窟を目指しているらしい。テリオンは再び身をかがめる。
 ウィスパーミルの住民はどこにでもいるような素朴な人々だ。「聖火教に異を唱える者」と聞いた時にテリオンが想像したような、狂信めいた雰囲気はどこにもない。そんな彼らがしきりに「救世主」だの「神子」だのと口にする光景は、少し不気味だった。
 不意に女が立ち止まり、村一番の高台にある風車を見上げる。
「これでよかったのかしら。あの神官様、式年奉火の儀式をされているのよね。それを騙して捕まえるなんて……」
 びくりとテリオンの肩が揺れた。音を立てずに済んだのは幸運だった。
(あいつが捕まった……?)
 まさか、待機場所が見つかったのだろうか。
 女の弱気な発言に、男たちがいきり立つ。
「何を言うんだ。聖火を信じて救われたことがあったか? 私たちが信じるのは救世主様だろう!」
「救世主様は流行病も鎮めてくださった。あの方の言うとおりにすれば、みんな救われるんだ」
 話を切り出した女性は、不安げにまぶたを伏せた。
「……そうね。そうよね」
 三人は洞窟があると思しき森の方へ足早に去っていった。
 テリオンはしばし考え込む。確かに彼自身、聖火によって救われた覚えはない。だからといって、思考停止して「救世主」を名乗る人物に従うのは論外だろう。それで状況が好転するとはとても思えなかった。
 人心を掌握するために不安をあおるのは、権力を求める者の常套手段である。救世主とやらは村人の心の隙につけ入ったに違いない。流行病を治したという話にも裏がありそうだ。
 それにしても、神官は本当に捕まってしまったのだろうか。ひとまず洞窟は後回しだ。先にそちらを確認しよう。
 テリオンはあたりに人がいないことを確かめてから、茂みを抜け出した。村を一望する高台へと歩を進める。先ほどの女が見つめていた場所だ。
 丘の頂上にはひときわ大きな風車と、寄り添うように小屋があった。あそこが怪しいな、と思った途端に小屋から誰かが出てくる。テリオンは木の裏に隠れ、少しだけ顔を出して様子をうかがった。
(あいつ……マティアスとかいう名前だったか)
 相変わらず浮世離れした雰囲気だ。彼はどこか愉快そうな表情で、村人と同じ方向に歩いていった。
 テリオンはピンときた。
(今回の主犯はあいつだな)
 ただの勘だが、そう考えると筋が通る。マティアスは商人を名乗り教会に近づく一方で、救世主として暗躍していたのだ。式年奉火の準備をしていたというから、リアナとのつながりも十分にある。トレサの「商人らしくない」という指摘にも納得がいった。
 マティアスの出てきた小屋にそっと近づく。窓は内側から板か何かで塞がれており、中の様子は分からない。ここに神官が囚われているなら、内部に見張りがいる可能性があった。
 だが、すでに種火を奪った以上、神官本人に大した用はないはずだ。テリオンは思い切って真正面から扉を開けた。
「テリオンさん……!?」
 案の定、中の牢屋に神官が捕まっていた。見張りはいない。見慣れた白い服を視界に入れ、テリオンは拍子抜けする。
「なんでこんなところにいるんだ。学者先生に来るなって言われてただろ」
 学者の予想通り彼女は村人に警戒されていた。神官は力なくうなだれる。
「……ごめんなさい。リアナがいるかもしれないと思うと、居ても立ってもいられなくて。それに、テリオンさんやみなさんが先に潜入していたので、何かあっても大丈夫かなと……」
 テリオンは大きく息を吐く。実際こうして助けに来てしまったので、何も言い返せない。
「村人に騙されたんだって?」
「ええ……まあ。お子さんの具合が悪いから家に来てほしいと言われたのですが、それが嘘だったんです」
 神官は歯切れ悪く答える。いかにも彼女らしい話だった。相手は神官の性質をよく知っているようだ。
「ですが、おかげでマティアスさんとお話ができました。あの人が村人を操る救世主です」
 神官の瞳が鋭く光る。やっぱりな、とテリオンはうなずいた。
「あいつがあんたの友人を操って、聖火を盗ませたのか」
「はい。そのようなことを言っていました」
 テリオンは喋りながら牢屋の錠前を確認する。大したことはない。このくらいなら簡単に外せるだろう。さっそく作業をはじめた。
 それにしても、鉄格子の中にいる神官を外側から見るのは妙な気分だ。本来そこにいるべきなのは自分ではないか、と思ってしまう。それほど彼女に牢屋は似合わなかった。
「マティアスさんは、黒呪神ガルデラの力を使おうとしています」
 神官は突然おかしなことを口走る。テリオンは返答に窮した。
「……なんだそれは」
「世界をつくった十三柱の神のうち、聖火神エルフリックによって死の国に封じられた魔神です」
「はあ」
 神官は無知なテリオンの質問にも律儀に答えた。マティアスはその魔神とやらを利用して、自分の力をより強大にしようと目論んでいるらしい。テリオンはまるで興味がなかったので、適当に聞き流した。
 かちゃりと音がして、錠前が外れた。
「よし、早く逃げ――」
 不意に背後から物音が聞こえた。ドアの向こうだ。
「テリオンさん、誰か来ます」
 神官の声に焦燥がにじむ。テリオンは錠前を形だけ戻してうなずいた。
「分かってる。一旦隠れる」
 部屋の隅に置かれたタルの蓋を開ける。たまたま空だったので、するりと中に入った。普段は憎らしい体の小ささも、こういう時に役に立つ。
 静かに扉が開き、何者かがやってきた。足音からして女が一人。
「……オフィーリア?」
 ひそやかな呼びかけが鼓膜を叩く。神官が息を呑む気配がした。
「リアナ!」
 わざわざあちらからやってきたらしい。好都合だ、と思いながらテリオンは耳を澄ませた。
「しっ……! 大きな声を出さないで」
 リアナの声はしっかりしていた。ゴールドショアで見かけた時から、少しは精神的に持ち直したようだ。
「ごめんなさい、オフィーリア。今ここから出してあげるから」
 鉄格子の音が鳴る。リアナが牢屋の鍵を持ってきたのか。錠前はすでにテリオンが開けていたが、幸いにも気づかれなかった。
「リアナ、どうして……」
 神官は言葉を途中で飲み込んだ。リアナはいやに落ち着いた声で答える。
「私が神子になれば、父様は必ず生き返るって……あの人が教えてくれたの」
 生き返る? 彼女たちの父親、すなわちヨーセフ大司教のことか。「あの人」というのは間違いなくマティアスだろう。下手な嘘を吹き込むものだ。
 神官が困惑した声を出す。
「何を言っているんですか。そんなことあるはず――」
「どうしてそう言うの?」
 ヒステリックな叫びとともに、耳障りな金属音が響いた。リアナが力任せに鉄格子を握ったらしい。
「オフィーリアは父様がいなくてもいいの? みんなでお話したり、笑い合ったり……それがもうできなくなるのよ」
「そうですが……でも、亡くなった方は蘇りません」
「どうして!? オフィーリア、そんなに冷たかったの?」
 冷静なのは表面だけで、リアナは錯乱気味だった。これでは話が通じるわけがない。神官は必死に声を張り上げる。
「違いますよ! わたしも大司教様に生きていてほしい。でも、死の門をおくぐりになった以上、それは無理なのです。それにあの人――マティアスさんは封じられた神の力を使うと言っていました。嫌な予感がするのです」
 死者の蘇生は不可能だと言い切る神官に、諦められないリアナ。両者は完全に平行線をたどっていた。同じように大司教に育てられてもここまで差があるのか。もしかすると、リアナはフレイムグレースにいる時から、マティアスによって精神的に誘導されていたのかもしれない。
 リアナは声を震わせる。
「それでも私は諦められない。きっと父様は帰ってくる。そうすれば私たち家族も元通りよ。オフィーリアも喜んでくれるでしょ?」
 神官は答えなかった。
「鍵は開けたわ。見つからないうちに逃げて。あとは私に任せて……」
 足音が遠ざかり、ぱたんと扉が閉まる。
 テリオンは完全に気配が消えた後、タルから這い出す。神官は蒼白な顔で牢屋の中に座り込んでいた。
「リアナを追います」
 彼女はそれだけを告げる。テリオンはうなずき、一向に立ち上がらない神官の代わりに牢屋の扉を開けてやった。
「立てるか。ほら」
「あ……ありがとうございます」
 手を差し出せば、神官は素直に握って立ち上がる。彼女は両手でほおを軽く叩き、気合を入れ直した。なんだか商人のやりそうな仕草だった。
 横目でそれを眺めながら、テリオンはつぶやく。
「あんたの友人は、自分一人だけ苦しんでいるような言い方をしていたな」
 ゴールドショアで養父の死を知らされた時、神官は相当大きなダメージを受けていた。それは気丈な彼女ですら学者に頼らなければ持ち直せないほどだった。
 それでも神官がごく短期間で復活したのは、もともと備わった精神力と、「リアナの心を取り戻す」という使命感のおかげだろう。
 一方で、リアナは神官の受けた心の傷などおかまいなしに、自ら神官との仲を壊そうとしている。このまま行けば修復不可能な領域に踏み込んでしまう。神官はその前にリアナを止める気だ。
 彼女はぎこちなくほほえんだ。
「リアナと父様は血のつながった家族ですから、仕方ありませんよ」
「あんたはどうなんだ」
 養父といえど、関わりの深さは本物だったのではないか。そういうつもりで言ったら、
「わたしは……わたしにも、肉親がいました。別れたのは十五年ほど前になります」
 何を勘違いしたのか、神官は身の上話をはじめた。
 彼女は子どもの頃、リバーランド地方で起こった戦争に巻き込まれた。彼女は両親を失い孤児になったが、たまたま大司教に拾われて、フレイムグレースにやってきたのだという。
「わたしも『祈れば両親は蘇るのではないか』と考えたことがあります。あの時は、まだ死というものをあまり理解していませんでしたから……。でも、ヨーセフ大司教様は、そうではないと教えてくれました。リアナも落ち込むわたしを外に連れ出してくれました。
 わたしは家族のおかげでここにいます。今度はわたしがリアナを助ける番なんです」
「家族に救われた」と打ち明ける彼女は、救った側のリアナよりもずっと精神が強いのだろう。けれども、彼女にとっては家族に助けられた瞬間こそが原点で、永遠なのだ。
(家族か……)
 テリオンがどうやっても得られなかったものだった。彼はふっと視線を外す。
「……オルベリクたちと合流しよう」
「そうですね。マティアスさんは恐ろしいことを企んでいます。もう一刻の猶予もありません」
 二人は小屋の外に出た。ひとまず丘を下り、村の中心部に赴く。村人は全員洞窟に行ったのか、あたりは静まり返っていた。
 道の先に背の高い人影が見えた。みるみるこちらに近づいてくる。
「テリオン……! オフィーリアもいたのか」
 オルベリクだった。驚いて口を開ける彼に、神官は頭を下げた。
「すみません。わたしが勝手に村に入って牢屋に捕らえられたところを、テリオンさんに助けてもらいました」
「そ、そうか。無事だったのなら良いが……」
「学者先生は?」
 テリオンは反射的に口を挟む。見たところ剣士は一人だった。
「すまない、はぐれた。村外れで何者かに襲われてな」
「そんな……大丈夫でしたか?」
 よく見れば剣士の青衣は少し汚れていた。どうやら怪我はなさそうだ。
「ああ、全員気絶させた。そのせいで話を聞きそこねたが」
 さすがは剛剣の騎士である。襲撃者たちは己の無謀さを思い知ったことだろう。そこで、オルベリクは何かを悟ったように眉間にしわを寄せた。
「……俺たちに追手がかかったのは、オフィーリアが捕まった後かもしれんな。一応警戒はしていたのだが、追手が来るのが妙に遅かった」
「え? もしかして、わたしが軽はずみな行動をしたから……」
「いや、その前に聞き込みを切り上げた俺たちにも責任はある。それに、待ち時間があったおかげでサイラスと少し話ができた」
 オルベリクは何故かこちらに目を向けた。何か言いかけて、諦めたように口を閉じる。不審な行動だった。
「サイラスさんは今頃どうしているのでしょう」
 祈るように手を組む神官に対し、テリオンは首を振る。
「あいつは放置だ。どうせまた適当な時に出てくるだろ」
 神官と剣士は互いに顔を見合わせた後、そろって生ぬるいまなざしをテリオンに向けた。一体何だろう。テリオンはただ正直に予測を述べただけなのだが。
 ウェルスプリングの騒動の際、学者はほとんど完璧なタイミングで姿を現した。きっと今回もそうなるに違いない。根拠はないが、テリオンは確信していた。
「そうですね。そうしましょう」
 神官は何故か笑顔でうなずいてから、オルベリクに説明する。
「わたしは牢屋の中で、レオニール商会のマティアスさんという方に会いました。彼がリアナをそそのかして種火を盗ませた犯人です」
「ほう」マティアスと面識のないオルベリクは曖昧に返事をした。
「マティアスは村人を連れて、この先にある洞窟に向かった。多分、種火もそこにある」
 テリオンは盗み聞きで手に入れた情報を報告した。オルベリクが重々しく首肯する。
「分かった。サイラスのことは一旦置いて、その洞窟に行こう」
 洞窟があると思しき森は、丘を越えた先だ。テリオンが先に立って案内しようとした時――
「ああ、ここにいたのですか」
 近くの家の扉が開き、男が顔を出す。すわ村人か、とテリオンは身を固くしたが、
「テラキア殿。また会ったな」
 オルベリクの知り合いらしい。「安心しろ、旅の者だ」と彼は小さく言い添える。なるほどテラキアは村人と違って垢抜けた服装で、おかしな信仰にはまっている様子もなかった。
「おや、そちらの方々は……サイラスさんの生徒ですか?」
「違う」
 テリオンは力いっぱい否定した。隣で神官が苦笑している。学者の生徒などとひとくくりにされるのは我慢ならなかった。この男は学者とも顔見知りのようである。
 きょとんとするテラキアは、見知らぬ男の子を連れていた。
「その子どもは?」とオルベリクが尋ねる。
「それが、親御さんがどこかに行ってしまったようで」
 思えば洞窟に向かった村人たちは全員大人だった。そもそも、テリオンは今初めてこの村で子どもを見た。親に「外に出るな」とでも言われていたのか。
 流行病があってから半年でマティアスへの信仰が急成長したとすると、おそらく子どもの処理能力ではついていけないだろう。大人ばかりがこぞって救世主にはまりこんでいたらしい。
「あのね、お姉ちゃん」
 柔和な雰囲気を感じ取ったのか、子どもが神官に駆け寄った。
「はい、なんでしょう」
 彼女はかがみ込んで目線を合わせる。子どもは不安そうにあたりを見回した。
「お母さん、なんか怖い顔で家を出ていっちゃったの。ちゃんと戻ってくるかなあ」
「大丈夫です。わたしが必ず見つけますから」
 神官がしゃらりと杖を鳴らす。その導きの音を聞く度に、テリオンは背筋が伸びる心地がした。
「テラキアさん、わたしたちはこれから村の人を探しに行きます。子どもたちのお世話をお願いできますか?」
「はい、そのくらいは。どうかお気をつけて。サイラスさんによろしく」
 あまり事情が飲み込めていないテラキアにも、神官の真剣さは伝わったらしい。彼はしっかりとうなずいた。
 三人は懸命に手を振る子どもに別れを告げ、村の奥に踏み込んだ。

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