子連れオオカミ



 ふところがあたたかいのは太陽の光のせいではなく、もちろん盗みが成功したからだ。
 テリオンは近頃ずっと追いかけていた大きな仕事を終え、首尾よく目当てのものを手に入れたところだった。おかげで彼は気分良くフラットランドの平原を北上していた。
(そういえば、最近学者先生からの呼び出しがないな)
 立ち止まってアトラスダムの方角を見る。きっとまた研究が忙しいのだろう。自分から会いに行くつもりはないので、久々に他の仲間の顔を見るついでに近況でも聞いてみるか。
 再び歩き出そうとしたテリオンは、ふと動きを止めた。
「……リオン! おーいっ」
 遠くからでも異様に響く大声が鼓膜を叩いた。テリオンは振り返る。
「なんだ、アーフェン」
 街道を駆けてこちらに追いついたアーフェンは、はあはあと肩で息をする。よほど急いでいたらしい。彼とはここしばらく会っていなかった。手入れを怠ったのか、薬師のあごひげは前よりも伸びている。
「今朝あんたが近くの村を発ったって聞いて、慌てて追いかけてきたんだよ。あんた、あっちこっち行くから全然つかまらなくて……みんなで探してたんだぜ」
 テリオンは片方の眉を跳ね上げる。
「俺に用があるなら、居場所を見つけるのがうまいやつがいるだろ」
「あ、いや……それが……」
 アーフェンは途端に口ごもり、気まずそうに目をそらした。彼は嘘のつけない人間だ。その態度に言いようのない胸騒ぎを覚えた。テリオンは唇を閉ざす。
「テリオン、最近アトラスダムには行ってないんだよな?」
 アーフェンは妙な確認をしてきた。彼の言葉を聞く度に、追い詰められるような心地になるのは何故だろう。テリオンは平静を装った。
「おたくも知ってるだろ。最近どころか十数年は行ってないが」
「あーだよな……。あのさ、落ち着いて聞いてくれよ」
 薬師の大きな手が両肩に置かれた。どういうわけか奇妙に力がこもっている。
 もしかして、彼は重大なことを告げようとしているのではないか。そう考えると、いつものように振り払えなかった。
 アーフェンは何かをこらえるように眉間にしわを寄せてから、非常に言いづらそうに切り出す。
「しばらく前の話になる。サイラス先生が、アトラスダムで――」



「テリオンさん! ……その子は?」
 慌てて礼拝堂にやってきたオフィーリアは、テリオンの膝もとで眠る子供を見つけて、声のボリュームを落とした。
 ――気を利かせた農家が日の出とともに馬車を出したおかげで、旅程は大幅に早まった。テリオンは雪道に差し掛かる場所で馬に乗り換え、時折休みながら山道を駆け抜けて、日の落ちかけた時間帯になんとか大聖堂までたどり着いたのだ。馬にまたがった子供は途中まで無邪気にはしゃいでいたが、揺れが心地良かったのか、フレイムグレースに到着する頃にはすっかり眠りこけていた。よく馬の背から落ちなかったものだ。
 テリオンは宿に馬を預けると、即座に大聖堂の戸を叩いた。扉を守る聖火騎士はテリオンの抱えた子供を見た途端、「どうぞお入りください、あたたかいですよ」と笑顔で歓迎した。やはりテリオン一人の時とずいぶん態度が違う。ちょうどいいので、オフィーリアを呼んでもらうよう騎士に言付けた。それから眠る子供を抱えて礼拝堂の椅子に腰を下ろし、信者たちの祈りを聞き流しながら、数年前の儀式から変わらずに燃え盛る大聖火をぼんやりと眺めて待った。
 テリオンは久々に会うオフィーリアを無遠慮に見つめる。少し衣装が豪華になったのは、もしや昇格したのか。髪も伸びたようで、少女らしい面影は消えて落ち着いた女性へと成長していた。彼女は「テリオンと子供」という見慣れない組み合わせに困惑した様子である。
「説明はあとだ。どこか話ができる場所はないか」
「ええと、それならわたしの部屋に……あっ」
 戸惑いながらも彼女が答えた時、子供がぱちりと目を開ける。オフィーリアはすぐさま笑顔をつくった。
「こんばんは。わたしは神官のオフィーリアです。昔、テリオンさんと一緒に旅をしていました」
 流れるような説明を聞いた子供はテリオンの服にすがりつき、じっとこちらを見上げてくる。いきなり目の前に美人が現れて緊張したのかと訝れば、
「テリオンさんって誰……?」と子供がつぶやく。
「えっ」
 オフィーリアが目を丸くし、テリオンははっとして口元を手で覆った。そういえば、今の今まで子供に対して名乗っていなかったのだ。
「……俺の名前だ。聞いてこなかったから、言う機会がなかった」
 言葉の後半はオフィーリアに対する弁明である。彼女は苦笑した。
「何か事情があるのですね。ここでお話するとお祈りをする人たちの邪魔になりますから、わたしの部屋に行きましょう」
 子供はこっくりとうなずいて、テリオンの膝から下りる。しばらく載せていたらすっかり膝に体温が移ってしまった。眠る子供は熱の塊のようだったので一瞬風邪を疑ったのだが、どうやらあれが平熱らしい。
 オフィーリアは穏やかに笑いながらごく自然に子供の手を取り、居住区に向かって廊下を歩く。もはや彼女は杖を鳴らす動作すらなく子供を導いていた。子供は大聖堂が物珍しいのか、キョロキョロとあたりを見回している。
 彼女の住まいは相変わらずリアナとの相部屋だった。相当高位の神官でないと一人部屋は難しいらしい。扉を開けると、机で聖典を読んでいたリアナがこちらに首を向けた。
「あ、テリオンさん!」瞠目した直後、リアナは黒髪の子供に気づいて「お子さんですか……?」と首をかしげる。
「違う。全然似てないだろ」
 すると子供は何故か恨めしげにこちらをにらんできた。オフィーリアがくすりと声を漏らす。
「おい、笑うな」
「すみません。ええと、こちらはわたしの姉妹のリアナです」
「オフィーリアさんとリアナさん……よろしくお願いします」
 子供は丁寧にお辞儀する。リアナは「こちらこそ」と応じてから、当惑したように子供とテリオンたちを見比べた。
「えっと……もしかして私、お邪魔かしら? 席を外しましょうか」
「だったらそのガキも連れて行ってくれ。オフィーリアと話がしたい」
 今度はリアナがむっとした顔をこちらに向けた。
「それは構いませんが……あのですね、相手が子供でもちゃんと名前で呼んであげてください。あなた、お名前は?」
「サイラスです」
 子供が答えた瞬間、オフィーリアの顔から表情が抜け落ちた。リアナが何かを察したように立ち上がる。
「……そう、確かに大事な話がありそうね。私はこの子を連れてしばらく部屋の外にいるわ」
「あ、それなら大聖堂を見て回りたいです! 案内してください」
 子供は大人たちの間に漂う微妙な空気を察したのか、わざとらしく明るい声を出した。こういう聞き分けの良さは彼本来の資質なのか、それとも生育環境によるものか。どちらにせよありがたいことだ。
 リアナと子供が部屋を出て、ぱたんと扉が閉まる。オフィーリアは自分の椅子に座り、テリオンにはリアナが腰掛けていた椅子を示した。二人は正面から向き合う。
 顔を上げたオフィーリアは、言葉を探すように部屋の中に視線を走らせて、
「あの、お腹は空いていませんか? 余りものですがお菓子がありますよ」
 かごに盛られた焼き菓子を勧めてきた。ジャムの塗られたクッキーだ。
「別にいい」
 特に空腹でもないので断る。するとオフィーリアが不安げに両眉を下げた。
「テリオンさん、最近あまりご飯を食べていないのでは? 少し痩せたように見えます」
 トレサだけでなく、ここでも飯の心配をされるとは。神官が有無を言わせぬ様子でかごを押し付けるので、仕方なくクッキーに手を伸ばす。
「そうでもない。昨日、あのガキを連れて行った風車小屋で、粉挽きから山ほどパンをもらったからな」
「まあ」
 オフィーリアは自分も菓子をほおばり、目元を和らげた。それから探るような調子で声を出す。
「……あの子とはどこで出会ったのですか?」
「フラットランドの川で拾った」
 テリオンは簡単に経緯を話した。川辺に引っかかっていたところを発見したが、子供は自分がどこから来たのかも話さず、ただサイラスとだけ名乗った、と。
「俺は、学者先生とは関係ないと思う」
 テリオンはあえてそう明言した。子供を見た瞬間、強烈な既視感を覚えたのは確かだ。物事への好奇心の向け方もどことなく学者と似通っていた。しかし、テリオンにとって二人は完璧な別人だった。
 オフィーリアは同意するように首を縦に振る。
「そうですね、見た目はサイラスさんと少し似ていますが……同じ名前のご親戚がいるというお話は聞いたことがありませんから。
 それで、テリオンさんはどうしてここに?」
 今こそ本題を切り出すタイミングだ。テリオンは身を乗り出す。
「あいつをあんたに引き取ってもらいたい。教会はそういうのもやってるんだろ?」
 オフィーリアは考え込むように、形の良いおとがいを手でつまんだ。
「わたしも大司教様に拾っていただきましたから、制度上は何も問題ありません。ただ……そのことはもうあの子に話したのですか?」
 そういえば、テリオンは「お前を知り合いのところに連れて行く」と告げただけで、教会に預けるとまでは伝えていなかった。子供もそこまで踏み込んだ質問はしなかった。
「……いや。だが、俺についてくよりここにいた方がずっといいだろ。あの体力じゃ長旅なんて無理だ」
「それもそうですが……ご本人の意思は確認しないと」
「わかったわかった。あいつらが戻ってきたらな」
 子供はテリオンに対して基本的に従順だから、どうとでもなるだろう。ごく気楽にそう考えて、彼は爽やかな柑橘のジャムを味わう。
 ここに来た目的は無事に達成できそうだ。肩の荷が下りると、暖炉のあたたかさも手伝って気分がくつろいできた。行儀悪く足を組むテリオンに対し、オフィーリアは膝の上で手を揃える。
「改めて……お久しぶりですね、テリオンさん。もう会いに来てくださらないかと思っていました」
「そんなに間が空いたか?」
 オフィーリアはさみしげに唇の端を持ち上げた。
「わたしの感覚かもしれませんね。最近、どんどん時間の流れが早くなったように感じます。あの人が……サイラスさんがいなくなってから……」
 彼女は声を震わせ、こらえきれない様子で目をつむった。テリオンは心に走った動揺に気づかないふりをして、そっと目をそらす。
 ――その訃報がテリオンのもとに届いた頃には、すでにサイラスの葬儀から何ヶ月も経過していた。
 ほとんど事故のような事件だった。アトラスダムで教師をしていたサイラスは、時折請われて王女メアリーに勉学を教えていたという。それも学者を王城に招くのではなく、王女自ら学院へと足を運んでいたそうだ。しかし、移動によって王女の警備が手薄になった隙を突かれた。
 サイラスは王女を狙った暗殺者に割り込み、凶刃をその身で受けた。刃には致死性の毒が塗られていた。それさえなければ回復魔法で対処できたが、結局薬師も間に合わず、彼は泣いてすがる王女の前でまぶたを閉じた。
 犯人はその場で取り押さえられた。話によると、怪しい薬を飲んで錯乱していたらしい。ウォルド王国はすぐに犯人への制裁と原因の究明に動き、同時に学者の葬儀を盛大に執り行った。
「わたしもみなさんも、何もできなかったんですよね。大切な仲間だったのに……。サイラスさんの一番大事な時には、そばにいられなかったんです」
 後悔にまみれたオフィーリアの声が、失ったものの大きさを悟らせる。何年経っても学者の不在は仲間の心に深い傷を残していた。
 事件に関する情報は生徒のテレーズが必死に集めて仲間たちに共有した。しかしそのほとんどが国家機密に該当するらしく、王女と距離の近い彼女ですらくわしいことは分からなかったそうだ。旅の仲間など所詮他人であり、一番近い町にいたプリムロゼがテレーズの知らせを受けて急行しても、葬儀に間に合わなかった。彼女はテレーズに対して「これじゃ復讐もできないじゃないの」とこぼしたという。
 ――その話をアーフェンから聞いて自分がどう反応したのか、テリオンはあまり思い出せない。足元が崩れ落ちるような感覚の中、大きく顔を歪めるアーフェンを見て、冗談ではないらしいと理解したことだけは覚えている。テリオンの様子を目の当たりにしたアーフェンは、心配になったのかしばらく旅についてきた。
 あの件で、テリオンは人の命などいつ失われるか分からないのだと改めて実感した。ただし、相手が盗賊であれば運が悪かったと諦めがつく。だが学者は違う。サイラスは理不尽な死から最も遠くにいるはずだ、とテリオンは勝手に思い込んでいた。
 彼はカーテンの引かれた窓に視線を投げた。
「もう、あいつは放っておいても大丈夫だって……思ってたんだがな」
「テリオンさん……」
 あの学者は本人でも制御できないほどの好奇心を持っていて、その先がたまたまフィニスの門につながっていた。テリオンは、あの旅で学者の厄介な方向性をある程度修正したつもりだった。しかし、実際サイラスの命はそれとは無関係にあっさりと失われたのだ。
 こんなことなら妙な意地なんて張らず、自らアトラスダムに行くべきだったのだろうか。テリオンは未だに何が正解だったのか考え続けていた。
 オフィーリアは神官服のスカートをぎゅっと握り込む。
「あの人から教わるべきことは、もっとたくさんあったはずなのに……思い出そうとすると、プリムロゼさんに女性の扱いの件で怒られていたり、カードゲームで苦戦されていたり――そんな関係のない場面ばかりが浮かんできます。何故か酒場での思い出が多いんです」
 オフィーリアは目元をそっと指で拭った。テリオンはゆるく息を吐く。
「あいつ、酒に強かったよな」
「ええ、わたしは酔ったあの人を一度も見たことがありません」
「俺は一回だけあるが……こっちも酔ってたから幻だったのかもしれん」
 それは、事もあろうにテリオンが一番最後にサイラスと会った時だ。そう、学者はあの時、テリオンに何か言い残したはずだった。
 だが、酔ったテリオンは眠りに落ちてそれを聞き逃した。次に気づくと、彼は宿のベッドの上にいた。サイラスがどうにかして送ってくれたのだろう。本人はとうの昔にアトラスダムへと発っていたから、テリオンはろくに別れの挨拶も交わしていない。
 確かに耳に入れたはずのその言葉を、どうしても思い出せなかった。「次会った時に聞けばいい」と考えていたら、その機会は永遠に訪れなかった。
 菓子が口の中で苦くなった気がして、彼は顔をしかめる。オフィーリアは赤い目元でこちらを見つめた。
「テリオンさん、本当にあの子――サイラス君を教会に預けるつもりですか」
「……どういう意味だ?」
 急に話を蒸し返され、テリオンは眉根を寄せる。彼女は祈るように両手を組んだ。
「これはわたしの勝手な思いですが……あの子がそばにいることは、あなたのためにもなると思うんです。テリオンさんはあれからもずっと一人で旅を続けてきたのでしょう。まわりに誰もいないと、ついサイラスさんのことを思い出してしまうのではありませんか?」
 確かにこの二日ほど、余計なことを考える暇がないほど子供に振り回されていたのは事実だ。だがテリオンはかぶりを振る。
「俺にあのガキが必要だって言いたいのか? あいつ、このまま俺についてきたら盗賊になるかもしれないんだぞ」
 あの子供は明らかに今までまともな人生を送ってきた。何があったかは知らないけれど、いくらでも他の選択肢がある状態で、よりにもよってそんなろくでもない生き方を選ばせるわけにはいかない。
「つまりあなたはサイラス君を盗賊にさせたくないのですね」
 オフィーリアは確かめるようにその名を口にした。テリオンはある可能性に気づき、うろたえる。
「まさか、あんた……名前が同じで見た目も似てるから、俺があいつにサイラスのことを重ねてるって思ってるのか?」
「いいえ。テリオンさんはあの子がどんな見かけをしていても助けたのでしょう」
 とっさに二の句が継げなかったテリオンに対し、オフィーリアは今日一番力強いほほえみを浮かべた。
「わたしとあなた、サイラスさんとあなたの関係と同じです。たまたま出会ってしまったから、助けたんですよ。
 もちろんあの子の気持ちを尊重した上で決めなくてはなりませんが、二人が一緒に旅をするのはそう悪いことばかりではないはずです」
「……いいや、あいつは絶対ここに置いていく」
 きっぱり断ると、オフィーリアはそれ以上何も言わなかった。黙ってクッキーをつまむ彼女につられて、テリオンももう一枚かじった。じわりと口内に甘みが復活する。
 そのうち、廊下側から軽く扉がノックされた。
「もうお話は終わった?」
 リアナと子供が戻ってきたのだ。子供はほおを上気させている。テリオンは未だにその顔を見る度、どきりとしてしまう。
「ええ、おかげさまで。リアナの方はどうでしたか」
 寒い廊下を歩かされたはずのリアナは、何故か上機嫌そうに子供の肩に手を置く。
「この子、とっても知識の吸収が早いのよ。大聖堂の建築様式は教えたそばからどんどん覚えるし、お祈りの言葉なんて元からすらすら唱えられたの」
 子供は誇らしげに胸を張った。なるほど、彼はテリオン以外から見ても頭の回転が速いらしい。ならば、突然の話にもある程度対応できるだろう。
「おい、ガキ」
 と呼びかければ、子供は褒められるとでも思ったのか、何ひとつ疑わない目をこちらに向けた。
「約束通り、俺は知り合いのところまでお前を連れてきた。ここで旅は終わりだ。お前は置いてくからな」
 一方的な宣言が下され、子供の表情は漂白された。部屋の空気がしんと冷える。
 その一瞬後。
「……嫌だ」
「は?」
 思わず威圧するように問い返してしまった。子供はうつむいて肩を震わせる。今までずっとテリオンに従ってきたのに、このタイミングでいきなり歯向かうのか。テリオンににらまれた子供は、必死に小さな舌を動かした。
「そ、その、僕は悪い人に追われてて! だから同じ場所にはいたくないんです」
「嘘をつけ、今までそんなこと言ってなかっただろ」
「でも……とにかく嫌なの!」
 子供はこぶしを握って駄々をこねはじめた。これは力ずくで押し通るための反抗ではなく、こちらの情に訴えているのだ。幼子がそうやって大人に楯突く場面には遭ったことがなかったので、テリオンは唖然としてしまった。
「テリオンさん……こんなにきかん坊を教会に任せられては、困りますよ」
 叱るような口調のくせに、リアナの顔は笑っていた。テリオンは眉間にしわを寄せる。
「俺が面倒を見る筋合いもないだろ」
「でも、テリオンさんがこの子を拾われたのですよね?」
 オフィーリアが静かに痛いところを突いてきた。
 そうだ、そもそも子供との接点を作ったのは自分だった。いつだってテリオンは大事な出会いの局面で選択肢を間違える。
「大聖堂に置いていかれたら、サイラス君は一人で飛び出してしまうかもしれませんよ。どうか連れて行ってあげてください。それが聖火のお導きです」
 なだめるようなオフィーリアの言葉に、テリオンはぐっと詰まる。子供がいたら「本業」に精を出すことなんてとてもできない――という言い訳はもはや通用しなかった。今の彼には他にも金を稼ぐ手段があり、オフィーリアはそれをよく知っていた。
 自分が優勢になったと悟ったのか、子供は必死の形相で主張する。
「テリオンと一緒にいれば、もっと面白い場所に連れてってもらえる!」
「それが本音か。というかなんで俺を呼び捨てにするんだ」
「だってテリオン、全然名前教えてくれなかったから」
 どうやらその件も込みですねているらしい。「まるで親子げんかですね」というオフィーリアの感想は聞こえないふりをした。
 テリオンは一旦唇を閉ざして熟考し、やがて心を決めた。
「……分かった。なら、これから別の知り合いがいるところに順番に連れて行ってやる。そのうち誰かはお前を引き取るだろ」
 これは建前だ。旅が長引けば、いつかは子供が音を上げるはずだ。フレイムグレースまでの旅路ではかなり甘やかしたが、今後は野宿だって容赦なく決行する。それに、あちこち回れば子供の事情も少し分かるかもしれない。親族を見つけたらそれこそ引き渡すチャンスだ。
 子供はみるみる表情を明るく変え、「うん!」と大きく首肯した。先のことはともかくとして、今ここに置き去りにされなかったことを喜んでいるらしい。幼子らしい単純さだ。
 オフィーリアは両手を胸の前で合わせる。
「いいですね。みなさん、テリオンさんがサイラス君を連れて行ったらきっと喜びますよ」
「別にあいつらを喜ばせるためじゃない」
「ええ、分かっています」
 彼女はきっとテリオンの意図を見透している。その上で送り出そうとするのは、先ほどの発言のとおり「テリオンには子供が必要だ」と思っているからだろうか。
 リアナは満足げにうなずき、ふと思い立ったように尋ねる。
「そういえば、今晩の宿はどうされますか? 大聖堂にも泊まれますよ。お部屋なら巡礼者用のものがあります」
「俺は宿に戻る。お前はどうする」
「……僕もテリオンと一緒に帰る」
 子供にぎゅっと手を握られた。びっくりするほど高い温度が肌から伝わる。少しでも目を離せばテリオンに置いていかれる、などと危惧したのかもしれない。オフィーリアがぱちりと手を叩く。
「では夕飯だけでも食べていってください。今から伝えておけば、お二人の分も用意してもらえますから」
「ありがとう、オフィーリアさん!」
 子供は満面の笑みを浮かべた。テリオンは若干苦い心地で唇を噛む。
(こいつ……やっぱり俺以外には敬称をつけるのか)
 この子供はもうすでにいい性格をしている。盗賊と一緒にいてまともな人間に育つのか、なんてことは考えなくてもいいのかもしれない。
 四人は部屋を出て食堂へと移動した。道中子供はテリオンの隣を陣取り、声をはずませる。
「大聖堂ってすごいんだよ。壁を薄くして窓を広くとるために、壁の向こうに支えがしてあるんだ」
 得たばかりの情報を朗らかに披露していく。なんでいちいち俺に教えるんだと尋ねようとして、テリオンははたと閃いた。
(もしかして、こいつも誰かに知識を広めることが好きなのか?)
 思わずまじまじと子供の顔を見ると、相手は「な、何?」と不気味がってリアナの方に逃げていった。だんだんテリオンに対する遠慮がなくなってきたのではないか。
 入れ替わりにオフィーリアがさり気なくこちらに身を寄せて、囁いた。
「懐かれていますね、テリオンさん」
「なんでこうなったんだろうな……」
 思えば最初から子供はテリオンに対して好意的だった。理由など思い当たらないのに。
「それはきっと、サイラス君にあなたの思いが伝わったからですよ」
「どういう意味だ?」
 するとオフィーリアは意味深に目を細めて、テリオンのほおのあたりを指差す。
「気づいていませんか? 今のテリオンさん、久々に笑ってますよ」

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