若葉のワン・ステップ



 トレサがゴールドショア商会の応接間を訪れるのは、これで三度目だ。おまけに、今回は客を招く側としてソファに座っていた。
(大丈夫大丈夫、絶対うまくいくわ。下調べも準備もばっちりだし、あとはあたしがミスしなければ……!)
 何度も頭の中で手順をおさらいする間も、心臓が異様な速さで鳴り続ける。
 その隣には、いつもの踊子服からシックなワンピースに着替えたプリムロゼがゆったりと構えている。請われてやってきた彼女は、ひととおり部屋の内装を観察してから、がちがちになったトレサを叱りつけた。
「大事な舞台の前に何をびびっているのよ。あなたがやるって決めたんでしょ?」
「だって、緊張するんだもの……!」
 胸の前で握った手がぶるぶると震える。この作戦が失敗すれば、自分や仲間だけではなく商会にも損害を与えるかもしれない。絶対に成功しなければならなかった。
 そうだ商品を取り出す練習をしよう、と床におろしたリュックを探ったトレサは、目当ての箱を床に落としそうになった。
「もう……仕方ないわね」
 プリムロゼはぶつぶつ言いながら自分の小物入れを取り出し、中から何かを掴む。そしてトレサに手を伸ばした。
「え、何?」
「いいから動かないで」
 ほっそりした手がトレサの首の後ろに回る。ふわりと花のような香りが立って、つかの間彼女はぼんやりした。
 プリムロゼは体を離し、満足げに首肯した。
「大人の女の身だしなみよ。大丈夫、結構似合ってるわ」
 素肌に冷たい金属が触れた。トレサは自分の体を見下ろす。
「わあ、これって……!?」
 胸元に輝くのは、一昨日プリムロゼに買い取りを拒否されたペンダントだ。トレサはいきなりのことに頭が追いつかず、あわあわと口を開く。が、唇に踊子の指があてられた。
「静かに。入ってくるわよ」
 ちょうどノックの音がして、応接間のドアノブが回った。トレサは思わずつばを呑む。
(まだ心の準備が……!)
 とっさにペンダントを触ると、指先にひやりとした温度が伝わった。何故かそれだけですっと気持ちが冷えていく。
 隣には頼もしい仲間がいるのだ。トレサは堂々としていればいい。
「失礼する……ん? お前はなんだ」
 扉を開けた途端、尊大な調子で誰何した男は貴族のドレビンだった。薄暗い路地にいた時と違って、立派なガウンを羽織って身なりを整えている。
 彼はちらりとプリムロゼに視線をやって、軽く目を見開いた。対する踊子はうっすらとほほえむ。背の低い少女と、謎の妖艶な美女――あらかじめドレビンが商会経由で話を聞いていても、この二人組の目的が商談だとはなかなか思えないだろう。
 トレサは立ち上がり、うやうやしく貴族に着席を促す。歓迎の意を示すため、テーブルにはあらかじめ冷たいお茶を準備しておいた。彼女は腹をくくって、にこやかに説明した。
「あたし――私は今回碧閃石を運んできた行商人です。この度はお買い上げありがとうございます」
 舌の回りは悪くない。しれっとついた嘘にも、ドレビンは気がついた様子がなかった。彼は野盗がターゲットにしていた行商人の風貌を知らないようだ。
 とっておきの作戦を思いついたトレサは、「どうしてもドレビンと取引がしたいので商談の場を用意して欲しい」と商会の主人に頼み込んだ。主人は何も言わず、その日のうちに準備してくれた。ドレビンと野盗のつながりについては主人に知らせていない。最悪こちらの目論見がドレビンにばれた時、主人にはうまくしらを切ってもらう必要があった。
「お前みたいな子どもが行商人なのか?」
「はい」
 トレサは表情筋を微動だにさせずうなずく。横からプリムロゼの探るような視線が刺さったが、無視した。
「実は、商会のお得意様であるドレビン様にだけ、特別にお見せしたいものがあります」
 もったいぶった語りで相手の注意を引き、トレサはリュックから木の箱を取り出す。ゆっくりと箱を開けば、中に入っていたのは貝がらのネックレスだ。ドレビンは前のめりになった。
「これが商品か?」
「ええ、このあたりの海岸でしか取れない貝でつくったものです。この大きさの貝がこれほどたくさんそろうことは、めったにありません」
 だんだん舌がなめらかに動いてきた。思い出すのは、クオリークレストで出会った好敵手アリーの口上だ。商品の価値を何倍にもふくらませるあの語りこそ、今のトレサに必要なものである。
 彼女はプリムロゼが耳を澄ませる気配を感じながら熱弁した。
「碧閃石は確かに今の流行ですが、いずれは別のものに取って代わられます。ドレビン様のようなご慧眼の持ち主は、次の流行を取り入れるべきでしょう」
「ほう。だが、この貝はそんなに特別なものなのか?」
 きた、想定問答の一つだ。トレサは冷静に首飾りをひっくり返す。
「貝の裏側を見てください。虹色に輝いているでしょう? 真珠にも通じるこの光沢こそ、本物の証拠です。
 実際に首飾りをつけた状態を見た方が、イメージをつかみやすいでしょう。どうぞご覧ください」
 トレサは慎重にプリムロゼの首にネックレスをかけた。彼女は軽く髪を振って、妖しく微笑する。
 たとえガラス玉だろうと美しく輝かせる逸材であるプリムロゼこそ、この商談に必要な切り札だった。内側から光を放たんばかりの美貌に目を奪われているドレビンへ、トレサはさらに畳み掛けた。
「どうですか、これが本物の輝きです」
「確かに……」
 ドレビンは魅入られたように立ち上がり、プリムロゼに無造作に近寄った。その距離の詰め方にトレサは不穏を覚える。踊子の体がこわばった。貴族は彼女を上から覗き込むように顔を近づけて――
「あ、危ない」
 トレサはとっさにテーブルの上のカップをつかみ、ドレビンに向かって倒した。こぼれたお茶がかかった貴族は飛びすさり、プリムロゼが黙って目を丸くする。
「何をするんだね!」
「いえ、ドレビン様の足があたったんですよ。こちらのハンカチをお使いください」
 トレサがしれっとハンカチを渡すと、貴族は唇を引き結んでズボンを拭いた。その間にトレサは踊子の首からネックレスを外し、木箱に入れ直す。
「いかがでしょう。商品についてご不明な点があれば質問をどうぞ」
 ドレビンは背もたれによりかかり、偉そうな態度で尋ねた。
「それで、値段は? いつまでにどのくらいの数を用意できるんだね」
 トレサはプリムロゼにならって澄まし顔をつくりながら、内心ほくそ笑む。そして紙にさらさらと値段を書き出した。
「これは商会に認められた最高級品ですから、このくらいはいただかないと……」



 ゴールドショアのさざ波は、今日も穏やかに引いて寄せる。雲ひとつない青空は、トレサの商談の成功を祝福しているかのようだった。
 商会の建物を出た二人は、軽い足取りで仲間たちが待つ宿に向かう。
「あー気持ちよかった!」
 トレサが大きく腕を広げながら言うと、プリムロゼがくすりと笑った。
「さっきのネックレスって、そのへんの子どもが集めてるような貝がらでつくったのよね?」
 彼女が指さした方向に黄金の砂浜がある。それはいくらリーフを積んでも買い取れない、唯一無二の景色だ。
「うん。アーフェンの知り合いの子どもが集めてたやつを、無理言って譲ってもらったんだ」
 ドレビンに詐欺をはたらく――その案を思いついてから、トレサの行動は早かった。
 まず彼女はエリンたちの家を訪ねて取引をした。たくさんの貝がらと、商会から買った碧閃石のペンダントを物々交換したのだ。「貝の代わりにお母さんに渡してね」と言い添えて。突然子どもから高級アクセサリをもらった母親はさぞ驚くだろう。そのあたりのフォローはアーフェンに頼んでおいた。とにかくトレサには時間がなかったのだ。
 続いて彼女は宿で待っていたハンイットと教会から戻ってきたオフィーリアに頼み込み、貝がらで首飾りをつくってもらった。短時間で見栄えのするアクセサリを製作する役には、手先の器用な二人が適任である。そして目玉商品をつくる間に、トレサは同じく宿にいたプリムロゼに協力を要請した。彼女は驚いた風だったが、案外あっさりと承諾した。
 踊子を商談にふさわしい服に着替えさせた後で、トレサは商会にとんぼ返りして主人と交渉し、貴族を応接間に呼び出してもらった。我ながらずいぶん働いたものだ。
「それにしても、よくドレビンにあの貝を高級品だと信じ込ませたわね」
 感心した様子のプリムロゼに、トレサはちっちっち、と指を振る。
「サイラス先生が言ってたでしょ、ドレビンは自分で目利きをしないって。だからうまくやれば口先でごまかせるって思ったの。あとはもちろん、プリムロゼさんが商品の価値を引き上げてくれたからよ」
「ふふ、そのために呼ばれたからね」
 踊子は自慢げに胸元に手を置く。その均整の取れたプロポーションは、同性からみても魅力にあふれていた。
 ドレビンからは商会経由で代金を受け取ることにして、その場で売買の契約を取りつけた。トレサは「在庫はあとで届ける予定だが、首飾りは今生産中なので少し遅れるかもしれない」と言っておいた。ドレビンが待ちぼうけている間に彼女たちはゴールドショアを去る、という算段だ。
「在庫が届かない上、あのネックレスが全然売れないって分かれば、ドレビンも自分の目利きのなさに気づくでしょ。あいつの目的が私腹を肥やすことなら、お金儲けに大失敗すればちょっとは反省するはずよ」
 親指を立ててにやりとするトレサに、プリムロゼが言う。
「あなたも立派な詐欺師ね。テリオンの弟子になれるわよ」
「それ、テリオンさんが聞いたら怒りそう」
 トレサは破顔一笑した。詐欺といえばそうなのだが、彼女にとってあの貝がらはドレビンに売るだけの価値があるものだった。双子や仲間たちの協力があってこそ生まれた、本来は値段のつけられないお宝だ。自分が扱った商品としていつまでも覚えておきたかった。
 宿までの道のりはまだ半ばだ。波の音が心地よく鼓膜を叩く。
「……私、あなたのことを見くびってたわ」
 不意にプリムロゼがつぶやいた。トレサは「へ?」と聞き返す。
 踊子は光の粒を散らした海を背景に、憂いのにじむ横顔を晒していた。びっくりするほど絵になる光景だった。
「武力に頼らない選択ができるのは、大人の証拠よね。私の案はちょっと短絡的だったかも」
 プリムロゼは腰の短剣に触れた。トレサは慌ててかぶりを振る。
「そんなことないわ。あたしだって、他に方法がなかったらプリムロゼさんと同じことをしてたかも」
「ううん、あなたは私とは違うわ」
 彼女はトレサがあまり見たことのない、痛みをこらえるような表情をしていた。気まずくなって、だんだん心拍数が上がってくる。
「あ……えっと、そうだ。このペンダント返すわね」
 トレサは自分の首の後ろに手を回し、鎖を指でたどって小さな金具を探した。ドレビンとの商談の時からつけたままになっていた。この小さな重みが首元にあるだけで、不思議と勇気が湧いたものだ。
 プリムロゼはひらひらと手を泳がせる。
「それ、あなたにあげるわ」
「……いいの?」
 トレサは静かに息を呑んだ。プリムロゼは相好を崩す。
「もちろんよ。そのペンダントはね、本当は人からもらったものじゃなくて、私がサンシェイドで初めて一人でステージに立った日に、自分で買ったものなの。大人になったみたいで嬉しくて、お祝いしたのよ」
「そうだったんだ……」
 トレサはその光景を思い浮かべた。故郷から遠く離れたサンランドで、父親の仇を求めて一人で生きてきたプリムロゼは、さぞ不安だっただろう。だから「踊子としてやっていける」と分かった時、自分のために記念品を買ったのだ。
「そんな大事なもの……ありがとう」
 トレサは緑の石を握りしめてうつむく。たとえただのガラス玉だろうと、思いのこもった品だ。自分の目利きは確かだった。しかし……
 プリムロゼが身をかがめてトレサの顔を覗き込む。
「あら、不満そうね?」
「だって、正々堂々買い取りたかったんだもの!」
 トレサは波音にも負けないくらい大きく叫んだ。プリムロゼは全身の力を抜く。
「あのね、これはあなたを大人だって認めた証なんだけど?」
「分かってるわよ。でも、こういうことはきちんとしておきたいの。次は絶対プリムロゼさんから何か買い取るからね!」
 白けた顔をしていたプリムロゼは、やがてこらえきれなくなったように苦笑を漏らした。トレサも笑った。
 宿に戻ると、ロビーでいきなりテリオンと出くわした。
「遅い」
 彼はそう言って、問答無用でトレサの胸に紙を押しつける。それは商会からもらった装備品のリストだった。
「あ……もしかして、買ってくれたの?」
 テリオンの後ろには仲間たちが勢揃いしていた。すでに荷物をまとめている。あらかじめ「ドレビンとの商談が終わったらすぐに町を出たい」と伝えていたので、気を回してくれたのだろう。商談のことで頭がいっぱいだったトレサはそこまで意識が向かなかった。
「ああ、皆で手分けして買いそろえておいた」オルベリクがうなずき、
「それだけではない。リンデに居場所を教えてもらって、もう一度野盗を捕まえてきたぞ」
 ハンイットは得意げに肩にかけた弓を揺らす。言われてみれば、仲間たちは少し疲れた様子だった。
「え、そんなことまでしてくれたの?」
 トレサがぽかんと口を開く横で、何故かプリムロゼは訳知り顔で首を縦に振っている。
「あのまま野盗を放置するわけにはいきませんから。衛兵には、教会から圧力をかけてもらいます。今度こそ野盗が反省するまでは牢屋にいるはずです」
 オフィーリアは微笑すら浮かべながら言った。彼女こそ最も敵に回してはいけない相手だろう。トレサは笑いの形に口を歪める。
「そ、そっか……ありがとう。あたしの方も、みんなの協力のおかげで商談がまとまったわ」
「結構うまく喋ってたわよ。さすがは未来の大商人ね」
 プリムロゼがぱちりとウインクする。なんだか照れくさくなる褒め言葉までもらってしまった。「それは何よりだ」とサイラスが朗らかに笑う。
 穏やかなムードが漂う仲間の輪から、テリオンがいち早く抜け出した。彼はトレサを押しのけ、宿の玄関ドアに手を伸ばす。
「別に、商談の方は心配していない」
 すれ違いざまにささやきが聞こえてトレサはびっくりした。彼は作戦の成功を疑っていなかった――ぽっと胸があたたかくなる。
「こっちこそ助かったぜトレサ、これでエリンたちも安心して貝を集められるってもんだ。さ、行こうぜ!」
 調子のいいアーフェンがばしんとトレサの肩を叩き、テリオンの後ろに従う。
 すでにチェックアウトは済んでいた。トレサは仲間から自分の荷物を受け取って、建物を出る。
 八人は逃げるように、しかし楽しげに会話しながら町の入口に向かった。その途中でアーフェンが頭の後ろで腕を組む。
「にしても、これからはゴールドショアに来づらくなっちまうかな……」
「そのあたりは商会にとりなしてもらうさ。金銭の授受は商会経由にしたから、主人がドレビンとうまく交渉すればどうとでもなるだろう」
 サイラスがなめらかに説明する。商会はトレサたちの行いについては被害者の顔をする一方で、これまでどおりドレビンをお得意様として扱う。すでに野盗は捕らえて教会の圧力もかかっている状態だから、ドレビンもそこまで強くは出られないだろう。
「だが、トレサは貴族街に近づけなくなったのではないか?」
 ハンイットが整った眉を寄せる。もちろんトレサもそのリスクを考えなかったわけではないが、仕方ないと割り切ることにしていた。
「いいよ、それより野盗退治の方が重要だったから……」
「あら。あなたが胸を張ってゴールドショアを歩ける方法があるじゃない」
 プリムロゼがすらりとした足を踏み出し、隣に並んだ。緑の双眸がにこりと細められる。
「次ドレビンと会う時までに、見違えるくらい『大人の女』になっていればいいのよ」
「……そうね、あたしにかかればそのくらいは余裕よ!」
 堂々と胸を叩けば、プリムロゼは「あら」とつまらなさそうに息を漏らした。トレサだって、いつまでもすねているばかりではないのだ。
 何気なく踊子の視線を追ったオフィーリアが、トレサの首元に目を留めた。
「そういえばトレサさん、そのペンダントはどうされたのですか」
「本当だ。朝はつけてなかったよな?」
 アーフェンが目を丸くした。トレサは大きく息を吸い込み、プリムロゼに目配せする。
「これはね……大人の証として、ある人からもらったの。よく似合ってるでしょ?」
 踊子の色づいた唇が弧を描いた。仲間たちは顔を見合わせる。
 町の入口の先に小さな段差が見えた。トレサは胸元の石と同じ若葉色の瞳を輝かせ、ぱっと駆け出して次のステップに足をかけた。

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