我らはひとつ船の中



 夜半、焚き火の明かりに浮かび上がる文字を、サイラスは目をすがめて読みふける。
 炎の向こうでアーフェンが唇を尖らせた。
「せんせー、そんな必死に読んでたら目が悪くなっちまうぜ」
 そう言う彼こそ、頼りない光の下で熱心に薬を練っている。漂う草の香りはスイミンカだろう。指摘するかどうか迷ったサイラスが口をつぐむと、アーフェンは手を止めて首をかしげた。
「その手紙、誰から?」
「テレーズ君だよ」
 この前立ち寄った町で受け取った書簡は、夜のひとときに読み返すにはちょうどよかった。
 一行は野宿をする際、交代で二人ずつ見張りを立てている。今は学者と薬師の番だった。明かりの届かぬ暗闇では男女に分かれて天幕が張られ、中で仲間が静かに眠っている。
 かの生徒と何度か会話したことのあるアーフェンは、ぱっと顔を明るくした。
「おー、テレーズさん元気にしてるって?」
「うん。勉強も順調そうでなによりだ。ただ……」
 サイラスが言いよどみ、アーフェンは怪訝そうな顔になる。
「彼女は私の様子を相当心配しているらしいんだ」
 もう一度手紙の文面を読み直して、サイラスはうーんと唸ってしまった。
 現在、一行はグランポートを目指している最中だった。海辺の街道には終わりが見え、何日か続いた野宿もこれが最後になるだろう。サイラスはかの港町で手紙の返事を出すつもりだが、その内容に困っていた。
 アトラスダムで勉学に励むテレーズは、長旅をしている教師をことのほか気遣っていた。「お仲間のみなさんがいるからきっと大丈夫でしょうが」と前置きしつつも、体調は大丈夫か、無茶はしていないかなど複数の質問が手紙に綴られていた。
「テレーズさんにとっちゃ大事な先生なんだし、色んな意味で気になるだろ」
 アーフェンは苦笑しながら何故かぎこちなく返事する。サイラスはかぶりを振った。
「食事も睡眠も、旅先ではあるが十分にとっているつもりだ。しかし私がいくら『大丈夫だ』と書いても、テレーズ君が納得するとは思えなくてね。どう返事すべきか……」
「そりゃあ先生が元気な顔を見せに帰るのが一番だけどよ」
 一旦言葉を区切ったアーフェンがぽんと膝を叩く。
「そうだ、テレーズさんを安心させたいなら、先生に全然足りてないもんがあるぜ!」
「え、なんだい?」サイラスは思わず身を乗り出す。
「休みだよ!」
 アーフェンはぴんと指を立てる。サイラスは一瞬思考を止めた。
「ほら、先生っていっつも何かややこしいこと考えてるだろ? 最近は辺獄の書の翻訳で忙しいんだろうけどさ、たまには頭を休めりゃいいんだよ」
「と言われても……翻訳はオデット先輩にも手伝ってもらっているし、今は拾い読みの段階だから、そこまで負担ではないよ」
 ダスクバロウで手に入れた書物からは、主にフィニスの門に関する情報を集めている。あの門を封印すると決めた以上、重要な情報源だ。判明した内容は仲間たちとも逐一共有していた。
 アーフェンはちっちっち、と指を振る。トレサがよくやる動作だ。影響を受けたのだろうか。
「んなこと言って、気づかないうちに疲れてるんじゃねえの。そういう時こそ好きなことして遊ぶんだよ。うまいもん食うとか、ぼーっと景色眺めるとか、釣りするとか」
 挙げられた例はおそらくアーフェンなりの気分転換なのだろう。サイラスにはあまりぴんとこなかった。手紙をしまい、傍らに置いた鞄に目を落とす。
「私は……そうだな、最近は買い求めたきり鞄の底に眠ったままの本が増えたから、時間があればそれを崩したいな」
「ほら、先生もやりたいことあんじゃねえか」
 アーフェンがにやりとして頭の後ろで手を組んだ。
「なるほど、休息か……」
 ふむ、とサイラスはあごをつまみ、頭上に広がる暗い空を眺める。真っ黒なキャンバスにちらちらと星が散っていた。野営地を囲む岩場に反響した静かな潮騒が、旅人たちの眠気を誘っている。
 そういえば近頃は移動続きで、休みらしい休みをとっていなかった。気づかぬうちに仲間たちにも負担がかかっていたのではないか。サイラスは視線を戻して提案する。
「ならば、グランポートで目的を済ませたら二、三日程度ゆっくりするのはどうだろう。明日にでもみんなに相談しようか」
「やった!」
 アーフェンが諸手を挙げて喜ぶ。彼のことだから自分の望む結論に誘導したわけではなく、単にアイデアが通ったことを喜んでいるのだ。ほほえましい姿だった。
 他の仲間にもこうして歓迎されたら良いのだが。闇越しに背後の天幕を振り向き、サイラスはぼそりとつぶやいた。
「……そうすれば、テリオンにもあまり心配されなくなるかな」
「え?」
 小さな声だったがアーフェンには聞こえたらしく、目を丸くしている。サイラスは慌てて弁解した。
「ああ、いや、彼はどうも私の行動に神経を尖らせているようだから……」
「あー……そうだな」
 あくまで推測の話だったが、アーフェンは納得したように相槌を打った。
 その事実は、以前クオリークレストの宿に泊まった際に判明した。サイラスが魔大公の祠で授かった魔術師の力を受け止めきれずに倒れてしまった後、テリオンは根気強く枕元で目覚めを待っていたそうだ。起きてから交わした問答により、どうやら彼はずっと前からサイラスの行動に不安を煽られていたらしいことが判明した。
 手紙で近況を知るしかないテレーズが先生の安否を心配する、というのは理解できる。だが、あの自立した盗賊が、いち学者にそこまで気を取られるのかという驚きがあった。つい最近までサイラスがまったくテリオンの心境に気づかなかったのは、こうした先入観のせいもある。
 アーフェンは口元を引きつらせ、奇妙な笑い顔になる。
「あいつ、先生のことが心配なんだって自分でも気づいてねえ感じだったな」
「そうなのかい?」
 あれは無意識の行動だったのか。クオリークレストで指摘した時、テリオンがやけに気まずそうにしていたのもそのせいか? 
 不意にアーフェンが声を低める。
「あのさ先生、テリオンにはそのこと内緒にしといてくれよ」
「うん? それはどうして……」
 すると手招きされたので、サイラスは焚き火を回り込んだ。アーフェンは万が一でも外に漏れないように、口の横に手をあててささやく。
「ほら、テリオンってめちゃくちゃプライド高えから。あんまし言われると意固地になりそうで」
「交代の時間だぞ」
 唐突に背後から無愛想な声が降ってきた。はっとして振り返ると、冷たい目をしたテリオンがすぐそこに立っていた。さすがは神出鬼没の二つ名を持つ盗賊だ、まったく気配がなかった。アーフェンの顔がこわばる。
「も、もう交代? いやーありがてえな!」
「二人で何の話をしていたんだ」
 遅れて天幕から出てきたオルベリクが尋ねる。次の夜番はこの二人だった。アーフェンが言葉をつまらせたので、サイラスは助け舟を出す。
「明日の朝にでもみんなに提案するよ。アーフェン君がいいことを思いついたんだ」
「ろくでもない話じゃないだろうな」
 テリオンがじろりと薬師をにらむ。
「えー、信用ねえなあ俺……」
 しゅんと肩を落とすアーフェンを見て、サイラスは笑いのさざなみを立てる。
「それは明日になれば分かるさ。では二人とも、後は任せたよ。おやすみ」
 なおも不審そうにするテリオンの視線を振り切って、アーフェンと二人で寝床に戻る。移動の間、薬師は肩をすくめて黙りこくっていた。これ以上の質問を拒んでいる雰囲気だ。
 それにしても。アーフェンの忠告のとおりだとすると、テリオンは生徒たちとも違う複雑な心理を抱えていそうだ。
(彼を心配させないためには……やはり、迫る危険を減らすしかないのだろうか……)
 サイラスはぐるぐると考えながら床につき、布団をかぶった。



 その翌日。太陽が天高く昇る頃にたどり着いたグランポートの町は、相変わらず波音をかき消すほどの喧騒に包まれていた。
 オルステラ大陸の最東端であり、外国とつながる玄関口だ。遠目に見える港にはいくつもの船が停泊していた。あの中には多くの物資が詰め込まれているのだろう。ものが動けば人と金も動く。だからこの町はいつも活気に満ちていた。
 宿に荷物を置いた一行は、石畳の広場に集まった。
「それでは今日の予定を発表します!」
 トレサが仲間たちの前に出て、高らかに声を響かせる。彼女は「腕が鳴るわ」と言いながら手元のメモを見て、なめらかに説明をはじめた。
「これから二組に分かれて行動するわよ。あたしとサイラス先生、ハンイットさん、プリムロゼさんは商店街で消耗品の買い出しね。で、その間に残りの四人――アーフェン、オフィーリアさん、テリオンさん、オルベリクさんは露店街で自分の装備を見繕ってて。
 お金の交渉は、最後に露店街で合流してからあたしがまとめてやるわ!」
 彼女が張り切っているのは、この町で大きな買い出しが控えているからだった。
 辺獄の書の翻訳は最終段階に進み、いよいよフィニスの門の場所を特定する間際まで来た。そのため門の先に待ち受けるものをうっすらと予期する一行は、オルステラでも最大級の商業の町で装備を整えようと考えたのだ。それに、ヴィクターホロウの人喰い花のような危険な魔物にいつ襲われるかも分からないので、準備は常に万全にしておきたかった。
 買い出しの方針については誰も異論を唱えなかった。プリムロゼが隣のサイラスを肘でつつく。
「……で、買い物が終わったらしばらく好きにしていいのよね?」
「もちろん」
 と答えると、皆の表情が明るくなった。今朝、サイラスが食事の席で「グランポートに着いたら休暇を取ろう」と提案したところ、歓迎とともに受け入れられたのだ。彼は改めて「自分では思いつかなかった案だな」と思った。
 アーフェンは満足そうにあごをさする。
「休みなんて久々だよな。何しよっかなー、迷うぜ」
「あたしは絶対食べ歩きする! 前から露店街の屋台が気になってたのよ。新鮮な海の幸の串焼きがおいしそうで……」トレサがうっとりと目を閉じる。
「ねえハンイット、時間があったら私に付き合ってよ。アクセサリを見たいの」
 プリムロゼが狩人の腕にしなだれかかった。ハンイットは「構わないぞ」と答え、その横でオフィーリアがにこにこしている。黙しているオルベリクやテリオンも、狩人の足元でおとなしくしているリンデも、きっとそれぞれ予定があるのだろう。
 実を言うと、サイラスもわくわくしていた。少なくともこの休みの間にテレーズへの返事をしたためるつもりだ。時間に余裕があるので、いつもより難しい課題を出せるかもしれない。
「それじゃ、あとで大競売所の前に集合ね。よろしくー」トレサが笑顔で手を振り、
「トレサさんも交渉がんばってくださいね」
 オフィーリアが応じて、仲間たちはそれぞれの道に別れた。
 グランポートには陸と海の二つの入口があり、その狭間に人々が暮らしている。陸の入口――街道からつながるエリアには、住民たちが利用する商店街や住宅地、旅人用の宿などがある。一方海の入口としては港があり、そのそばに行商人たちが開く露店街、トレサが十億リーフを勝ち取った大競売所などが並んでいた。そのため、サイラスたちは二手に別れて効率よく買い物をしようと考えたのだ。ただし交渉ごとはトレサが仕切るので、先に露店街へゆく者たちはその場で即決できないのだが。
 今回の買い出しにあたって、サイラスはトレサにあらかじめ購入品目のメモを渡していた。
「このリスト、薬が多すぎる気がするんだけど……あってるのよね?」
 早速商店街に入って道具屋に向かいながら、メモを読んだトレサが問う。ハンイットとプリムロゼが横から紙を覗き込んだ。
「確かに普段の備蓄の倍はあるな」「アーフェンに脅されたんじゃないの、先生」
 踊子の冗談を流し、サイラスはからりと笑った。
「個数はテリオンやアーフェン君と話し合って算出したよ。今後の戦いでは、回復薬やその素材が重要になると予想しているんだ」
 大陸各地を回るうちに、一行は魔術師と星詠人に加えて、魔剣士や武芸家といった隠された守護神の力を発見したが、どれも彼らの身に余るものだった。そのため戦力を補う手段として、薬の使用を考えたわけだ。それに、果物を通してオルステラの大地に宿る力を摂取するのは、神々の残した力を扱うことに通じる部分がある――というのはこじつけだろうか。
「ふうん。まあ理由は分かったわ」
 プリムロゼはまだ不服そうだった。一方のトレサは夢見心地でリストを眺める。
「あたし、久々にジャムが食べたいなあ」
「あれは貴重だから、わたしがつくるもので我慢してくれ」
 ハンイットが真顔で口を挟み、サイラスも「そうしてくれると助かるよ」と苦笑した。
 リンデの背中を追って四人で会話しながら道具屋を目指す。と、商店街の中ほどに人垣ができていた。仕方なく真正面から突っ込んだところ、人だかりの原因が判明する。どうやら人々は道の中央を歩く人物に注目しているようだ。
 グランポートは避暑地としても有名なので、富豪や貴族が頻繁に訪れる。今人々の中心にいるのもそういった身分の者だろう。それにしても警備が厳重だった。その人物は四人もの護衛に周囲を守らせていた。
 何気なく護衛の間を覗き込み、知った顔を発見したサイラスは驚く。
「コーデリアさん?」
 思わず声を上げると、あちらも気づいて立ち止まった。
「みなさん! 偶然ですね、こんなところでお会いするなんて」
 護衛が退き、姿を現した少女は涼しげな色のワンピースの裾を優雅に持ち上げた。コーデリア・レイヴァース――内海を挟んで大陸のはるか反対側、崖地の町にいるはずの少女である。トレサたちも「久しぶりね!」と笑顔を向けた。
 だが、応えるコーデリアの表情はどこかぎこちない。サイラスはそれを気に留めつつ説明する。
「私たちは買い物のためこの町に立ち寄りました。今、テリオンとは別行動していまして」
「そうでしたか。あ、わたしはテリオンさんに用があるのではなく……友人を訪ねてきたのです」
 彼女は思いつめた顔で告白する。何かを察した商人は当主に近寄り、小声で言った。
「コーデリアさん、話なら聞くわよ」
 トレサはテリオンが竜石奪還の報告をする際に何度かコーデリアと顔を合わせており、さらりとこういう気遣いができた。若き当主は表情を緩め、護衛に下がるよう視線で指示してから道の端に移動した。集まった野次馬たちは護衛ににらまれて解散していく。
 コーデリアは金の髪を海風に揺らし、憂うように目を細めた。
「わたしにはノーアという友人がいます。以前この町に避暑に来た時に偶然知り合って、すぐに親しくなりました。それからずっと手紙でやりとりしていたのですが」
「ノーアって、あたしの友だちよ!」
 トレサが目を白黒させた。話題に出たのは大富豪ウィンダムの娘だ。歴史に何度も名を刻むような大陸有数の名家に生まれながら控えめな性格で、おおよそ金品をほしがることがないという。さらに生まれつき足が弱く、この町にはもともと療養のために来ていた。彼女とトレサの間に接点が生まれたのは、父親のアストンが娘への贈り物を見定める品評会を開いたことがきっかけだ。トレサはそこで見事にノーアの心を射止めたのだった。
 驚いたコーデリアが口元に手をあてる。
「まあ、トレサさんも……! 実は、ノーアからの返事がいつまで経っても届かないので、心配になって直接ここに来てしまったのです。郵便事故だとしても、これほど長期間連絡がないのはおかしいと思って……みなさんは何かご存知ありませんか?」
 この町はボルダーフォールから相当離れている。その距離を厭わずにやってきたのだから、コーデリアはよほど心配だったに違いない。声が上ずり、瞳が揺れている。
(なるほど。文通相手の連絡が途絶えると、これほど不安になるものなのか……)
 サイラスは妙に納得してしまった。テレーズにも事故を疑われたら困るので、やはり返事は早く出した方が良さそうだ。
 トレサはぶんぶんと首を振った。
「あたしたちも今日着いたばっかりなの。そっか、療養って言ってたけどノーアはまだグランポートにいるのね」
「ここに来てから体の調子が良いので長く滞在しているそうです。ノーアは手紙に『とてもいいものを手に入れた』と書いていました。くわしいことは次の返事で教えてもらえると思っていたのですが……」
 コーデリアが顔を曇らせる一方で、トレサはそわそわしていた。ノーアが手紙で言及した「いいもの」とは、きっと品評会で十億の価値がついた「名無しの旅人の手記」だろう。
 落ち着かない様子のコーデリアは、それでもきっぱりと顔を上げる。
「わたしはこれからノーアが滞在している別荘に向かいます。訪問を知らせる手紙はボルダーフォールから出したので、もう届いているはずです」
 彼女はその返事を待たずにここまでやってきたわけだ。盗賊を罠にはめて竜石奪還を依頼する、という大胆な手段を選んだだけあって、非常に行動力があった。きっと今頃、あの屋敷は執事のヒースコートが責任を持って守っているのだろう。
 そこで、トレサがもの言いたげな顔で仲間たちを振り返った。
「あ、あのさーみんな……」
 プリムロゼが呆れたように腰に手をあてる。
「トレサの言いたいことは分かったわ。コーデリアさんと一緒に行きたいんでしょ?」
「ノーアさんに何かあれば大変だからな。買い物は後でもできるだろう」ハンイットがうなずき、リンデがガウと啼く。
「……というわけです。私たちも協力しましょう」
 最後にサイラスはコーデリアに向けて言った。彼女は喉を震わせる。
「みなさん……ありがとうございます。本当にわたしの思い過ごしならいいのですが」
「きっと大丈夫よ。さあコーデリアさん、ノーアの別荘に案内して!」
 トレサはにっこりして当主の手を取った。

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