我らはひとつ船の中



「テリオンさんは、この買い物が終わった後のお休みで何をするおつもりですか?」
 露店に並ぶブレスレットを白い指でつまみ上げ、オフィーリアがほほえみながら尋ねた。
 テリオンは返答に窮した。予告があったとはいえ、野営地における今朝のサイラスの提案はいささか唐突だった。「みんなもそろそろ疲れただろう。だからグランポートでゆっくり休養を取ってほしいんだ」――仲間たちは歓喜に湧いたが、テリオンはいまいち同調できなかった。
 休みといっても、何をしたらいいのかよく分からない。食べ歩きや個人的な買い物など、仲間たちの案はどれもしっくりこなかった。かといって盗みをはたらくには適さない町だ。ここで悪事がばれたら、回り回ってトレサの評判にもヒビが入りかねない。さすがに十億リーフをふいにする可能性を考えると、慎重にならざるを得なかった。
 結局、テリオンの思いつくことは一つだけだ。
「……一人になりたい」
「ふふ、それもいいですね」
 オフィーリアは朗らかにうなずく。別にテリオンは仲間が鬱陶しいわけではない――もう大人数の旅も慣れてしまった――が、たまには一人の自由を味わいたい。彼はそういう人間だった。
 二手に別れてやってきた露店街で、テリオンたちはさらに二人ずつ別行動をしていた。武器を見たいというオルベリクとアーフェンと別れ、オフィーリアと一緒に装飾品を物色しているのだ。こういう装備は特別な効果を持つことが多いので、慎重に吟味する必要があった。ただ、一見すると女性と二人できらびやかな装飾品を選んでいる状況だから、周囲には気楽な物見遊山と思われていそうだ。
 テリオンは陳列されたバッジの裏を確かめながら問い返した。
「あんたは何をする予定なんだ?」
「プリムロゼさんにお茶と買い物に誘われているんです。ハンイットさんもいらっしゃるみたいですね。他には、トレサさんと食べ歩きの約束もしていますし……」
 オフィーリアは実に楽しそうに答えた。そしてさりげなく付け加える。
「サイラスさんは積んでいた本を崩すそうですよ」
「宿にこもる気か、あいつ」
 せっかく風光明媚なグランポートに来たのに、他にすることはないのか。オフィーリアは苦笑した。
「それもお休みの過ごし方のひとつです。もともとサイラスさんが休暇を提案されたのは、テレーズさんに手紙で心配されたからだとお聞きしました」
 危なっかしい教師に大真面目に懸想しているあの生徒のことだ。果たしてサイラスの「十分に休んだ」という返事だけで納得するだろうか。
 テリオンは台の上に置かれたネックレスを何気なく手に取る。説明書きによると、身につけるだけで体力の底上げができるそうだが、怪しいものだ。
 ふと、背中越しに視線を感じた。彼はアクセサリを元の場所に戻す。先ほどから同じ男が露店街を行ったり来たりしながら客に注意を配っている。おそらく警備の巡回だろう。以前はこのようなことはなかった。最近物取りでも出て、警備を強化したのかもしれない。
 ぼんやりと考えていたら、不意にオフィーリアがささやいた。
「……テリオンさんもサイラスさんのことが心配ですか?」
 思わぬ質問にダメージを受けたテリオンがにらみつけると、彼女は慌てたように首を振る。
「すみません。ですが、テリオンさんはダスクバロウの時や魔大公の祠の後……サイラスさんが危ない目に遭う度に、取り乱したご様子だったので」
 まったく、彼女に筒抜けになるほど態度に出ていたらしい。この分ならほとんどの仲間にばれていそうだ。今まで何も言われなかったのはテリオンの内面に配慮していたからだろう。彼は大きなため息をつく。
「……それ、本人にも言われたな」
「そ、そうなのですか」
 もしかして、私のことを心配してくれていたのか……? 
 サイラスがこわごわ尋ねる声が耳の奥に蘇る。魔大公の祠からクオリークレストの宿に帰ってきた後のことだ。
 ああやって直接訊かれては、もう認めるしかなかった。それでも最後の抵抗とばかりに返事を濁したが、はっきり言って気まずい。それまでさんざんサイラスのことを邪険に扱ってきたからなおさらだ。ちなみに学者本人にはテリオンの軟化の理由がまったくもって伝わっていないらしいが、ある意味で好都合だった。
 オフィーリアが微笑する。
「誰かを気にかけるのは悪いことではありませんよ。わたしもつい、サイラスさんのことは心配してしまいますから」
「それにしては余裕があるように見えるな」何気なく指摘すれば、
「ええ。もう覚悟を決めたので」
 彼女は力強く断言する。テリオンの肩がびくりと跳ねた。
 それは一体どんな覚悟なのだろう。もしかすると、彼女は今の状況を打開するヒントを持っているのかもしれない。
「あんたの覚悟ってのは――」
 テリオンが問おうとした矢先、乾いた破裂音がした。
「何の音?」「うわ、煙!?」
 露店街に集まった人々が悲鳴を上げる。音の方に目を向けると、もうもうと白い煙がわき上がっていた。発生場所はここから近いようで、あっという間にもやが迫ってくる。周囲の人は驚いて固まっていた。これでは誰も逃げ切れない。
 すぐにテリオンはマフラーを鼻まで引き上げ、オフィーリアにも口元を覆うように身振りで指示した。彼女は目を丸くしながら従う。
(一体なんだ……?)
 白く染まった視界の中、煙を吸い込んだ客たちがげほげほ咳き込んでいる。かすかな刺激臭はあるが、目を開けても痛くなることはなかった。火事ではなさそうだな、とテリオンはもやの中を見回した。
「きゃっ」
 突然オフィーリアが前のめりになってよろけた。とっさにテリオンはその肩を支える。無理に動いた客がいたのか、後ろから押されたのだ。相手はテリオンの横をすり抜けてさっさと離れていった。
 やがて海風が吹いて煙を空に散らした。後には困惑した様子の人々が残される。倒れている者はいないので、やはり人体には害のない煙だったようだ。
 テリオンが体を離すと、オフィーリアは「ありがとうございます」と礼を言う。
「一応持ち物も確認しておけよ」
「分かりました。あら、これは……?」
 ごそごそと鞄を漁ったオフィーリアがつまみ上げたのは、小さな宝石がはめこまれたリングだった。
「わたしのものではないのですが……誰かの落とし物でしょうか」
 その時、戸惑う彼女の背後で鋭い声が上がった。
「うちの商品が盗まれた! 誰の仕業だ」
「私の財布もないわ!」
 オフィーリアがはっとしたように振り返る。その隙にテリオンはリングを奪った。彼女が視線を戻す前に身を翻し、すばやく大股で歩き去る。
「テリオンさん!?」
 驚く彼女の声にもテリオンは振り返らなかった。
「返してくる。あんたは追ってくるなよ」
 彼は表面上平静を保ちつつ、内心むかっ腹を立てていた。
 やられた。あの煙の中で、オフィーリアにぶつかった誰かがリングを彼女に押し付けたのだ。おそらくリングは今騒ぎになっている盗品ではないか。のんきに持ったままでいたら、オフィーリアが盗みの犯人に仕立て上げられてしまう。
(誰だか知らんが、舐めた真似をするもんだ)
 唇を噛む。目の前で発生した盗みを防げなかったのは、我ながら弛んでいたと言わざるを得ない。幸いにも相手の背格好だけはぼんやりと覚えていた。煙の中に消えていくほっそりしたシルエットは女性のように見えた。ぶつかる瞬間までテリオンに存在を悟らせなかったのは、なかなかの腕前だ。
 彼は影が去った方に足を向け、未だに騒然としている人々の間をすり抜ける。
(どうしてオフィーリアに押し付けたんだ。自分のものにするためにリングを盗んだんじゃないのか?)
 考えれば考えるほど不可解な状況だ。それに、この足の速さがあれば楽勝で追手から逃げ切れただろう。わざわざ他人に罪を着せる理由がない。
 結局、露店街の終点にある大競売場の前にたどり着いても、それらしい影は見つからなかった。テリオンはぎゅうっと眉根を寄せる。
 まずいことになった。本当にこのリングが盗品だとすると、今度はテリオンが犯人扱いされかねない。しかも彼は今回こそ無実だが、以前グランポートを訪問した際に露店街を荒らし回っていた。あれは仲間にすらばれていないはずだが、もしここで過去の所業まで持ち出されると弁解のしようがない。
 これなら身元の確かな神官がリングを持っていた方が、まだマシだったのではないか。判断を誤ったかもしれない。
(……とにかく逃げるか)
 こういう時は迅速に行動すべきだ。大競売場の前は広々としているが、本日は競売が開催されていないためか人けがなく、潜伏するには不向きだった。
 テリオンは再び露店街に入り、早足で屋台の隙間を抜けた。闇雲に歩いた末に人通りの少ない路地を見つけて飛び込む。背中を壁に預け、ほっと息をついた。
 今後の身の振り方を考えながら息を整えていると、こつりと路地の入口で足音がした。そのまま近づいてくる。テリオンはそちらに目を向けぬまま、静かに腰の短剣に手をやった。
「テリオン。こんなところにいたのか」
 まっすぐに通る低声が頭を冷やす。やってきたのはオルベリクだった。万一彼が追手だったら歯が立たなかったな、とテリオンは脱力した。改めて、コブルストンの村で剣士に戦いを挑んだ山賊たちは本当に身のほど知らずだった。
 オルベリクはテリオンの内心の評価も知らず、瞬きを繰り返す。
「お前が路地に入っていくのが見えてな。オフィーリアがいないようだが、何かあったのか」
「ああ、面倒ごとに巻き込まれた。あんたもさっきの煙は見ただろ」
「見た。俺たちのいたところまでは流れてこなかったが……まさか、あの時煙の近くにいたのか? 大丈夫だったか」
 気遣わしげに目を細めるオルベリクへ、テリオンはリングを見せながら状況を説明する。犯人への怒りが漏れ出て、つい語気が荒くなってしまった。
「なるほど、煙に乗じて盗みがあったのか……。盗品を押し付けて逃げるのは確かに不可解だな」
 眉をひそめた剣士はテリオンを隠すように大通り側に立った。通行人の視線を遮ってくれたのだろう。
 二人は目線を交えず、路地の壁に背をつけたまま会話する。今度はテリオンから尋ねた。
「アーフェンはどうした?」
「あいつは煙を見た途端、怪我人がいるかもしれないと言って走っていったぞ」
 オルベリクは苦笑した。薬師らしいお人好しな行動だ、とテリオンは嘆息する。オフィーリアも似たような気質を持っているから、もしかすると今頃薬師と合流しているかもしれない。
 テリオンは無意識に手の中のリングをもてあそんでいた。それを眺めながらオルベリクがつぶやく。
「露店の出入口が全て封鎖されたのは、盗難があったせいかもしれないな」
「は?」
「そう聞いたぞ。盗人を逃さないためにやっているのだろう。出入口では荷物検査もするそうだ」
 露店街を取り仕切っているのはグランポート商人協会である。その組織が出入口の封鎖に動いたのだろう。スリを捕らえるための措置にしても、明らかにやりすぎだった。よほど盗難被害が頻発しているのだろうか。以前来た時はそんな様子はなかったが。
 荷物検査自体はそこまで問題ではない。テリオンの腕前なら小さなリング一つくらい余裕で隠せる。だが、出所の分からない盗品を所持したままというのは落ち着かなかった。
「煙騒ぎに盗難か。買い物どころではなくなってしまったな……」
 オルベリクは肩をすくめ、テリオンに顔を向ける。
「そろそろ残りの二人と合流したい。アーフェンにははぐれたら大競売場の前で集合と言っておいたから、そこに向かおうと思う。いいか?」
「分かった」
 オルベリクに先導されて再び大競売場を目指した。途中、サイラスたちがいるであろう商店街へとつながる通路を横目で見ると、人だかりができていた。あれが荷物検査か。何ごともなければ通行自体は可能らしく、客の不満はぎりぎりで抑えられているようだ。
(犯人はあそこから脱出するために盗品を押し付けたのか? だが、オフィーリアが狙われたのは出入口が封鎖される前だったな……)
 頭がこんがらがってきた。推理は学者の得意分野だろうに、何故自分が考える羽目になっているのだ、と理不尽な怒りが湧く。
 露店街を抜けると、視界が開けて大きな円形の建物が見えた。大競売場だ。ヴィクターホロウの闘技場と似ているが、あちらと違って屋根がついているのが特徴だった。ここは街道や港といった町の出口に直接つながっていないためか、荷物検査はやっていないらしい。
 二人は足を止めた。建物の前でオフィーリアとアーフェンが待っていた。
「テリオンさん、オルベリクさんも……!」
「あっぶね、全然来ないから探しに行くとこだったぜ」
 オフィーリアが胸をなでおろし、アーフェンが舌を出す。どうやらすれ違う寸前だったらしい。「無事に合流できて良かった」とオルベリクが苦笑する。
 テリオンの提案で一行は大競売場の隅に移動した。植栽があって人目につかない位置だ。
 オフィーリアは瞳の色を沈ませる。
「すみませんテリオンさん、ご迷惑をおかけしました」
「迷惑をふっかけてきたのはどこぞの盗賊だろ。気にするな」
 落ち着いて返せば、横にいたアーフェンがうんうんとうなずく。
「俺、煙が消えた後で怪我人がいないか見に行ったけど、ぶつかって転んだ人がいたくらいだったな。ついでに煙の出所に燃えかすみたいなもんがあったから、ちっと調べてみたぜ」
「あの煙はある薬品を混ぜて発生させたものと思われます。毒などはありませんが、ああやって目くらましができるそうです」
 オフィーリアが話を引き継ぐ。そこでアーフェンが眉を急角度に曲げた。
「で、ここからは露店を仕切ってる商人協会から聞いた話な。最近、二人組の盗賊が露店市場を荒らしてるんだとよ。さっきの煙もその盗賊の手口と同じらしい」
 盗賊の一人が奇術のようなものを用いて光や音、煙を出す。それで周囲の注意を引いた隙に、別の一人が盗むという。今回の煙はこれまでの被害の中でも特別に規模が大きかったそうだ。
 盗みに陽動を絡めるのは定番だが、ああいう煙を使うのは手が込んでいるな、とテリオンは分析する。犯人は薬の知識でも持っているのだろうか。
 オフィーリアがかぶりを振る。
「二人組の正体についてはほとんど何も情報がないようです。煙が発生したと思ったら、もう別の場所で盗まれているような状況が続いて……しかも、盗賊は仕掛けを使って時間差で煙を立てるので、余計に犯人を絞れていないとか」
 よく考えられた手口だった。テリオンは舌打ちする。
「少なくとも、盗みを働いた方は多分女だ。それらしい後ろ姿を見た。追いかけるうちに見失ったがな。結局リングは返しそびれた」
 テリオンはリングを手のひらに載せた。緻密にカットされた宝石がはまっているので、きっといい値段がつくだろう。自分が盗んだ品でないことが癪だった。
「あんたが仕損じるなんて珍しいな……。そういや盗みの被害者の話も聞いたけど、指輪をなくしたって人はいなかったな?」アーフェンが頭を掻いてオフィーリアを見やる。
「わたしも聞いていません。他には露店の商品や、お客さんの財布がなくなったそうです。もしかすると、まだ盗まれたことに気づいていない人がいるのかもしれませんね……」
 彼女たちは顔を見合わせた。テリオンはますます不機嫌になる。指輪の持ち主さえ分かれば、探してそっとポケットに戻しておく手もあったのに。普段はありがたい宝石の輝きが、この時ばかりは憎たらしく思えた。
 それにしても、今の話からすると犯人の片割れの女は煙の中で複数の盗みをこなしていたようだ。
(もしかして他の盗品も誰かに押し付けたのか?)
 似たような事態があちこちで発生していたとして、押し付けられた側がテリオンと同じように名乗るに名乗れない状況になっている可能性はある。まったくはた迷惑な犯行だった。
「やはり、露店街の出口が封鎖されたのは盗賊のせいか。商人たちはよほど大きな被害を受けているのだな」
 オルベリクが腕組みする。オフィーリアが神妙な顔になった。
「ええ、被害額は合計十万リーフ以上になるそうです」
「それは……」
 剣士が絶句した。トレサの資産と比べると一万分の一程度の額だが、それでも大金である。露店街でそこまで稼ぐとなると、かなりの数を盗まなくてはならないだろう。盗賊は相当長い期間町に居座っているらしい。
 このまま放っておけば、最悪の場合こちらが十万払う羽目になりかねない。買い物資金を冤罪で消費する、なんて事態だけは避けたかった。共有の財布はトレサが努力を重ねてやりくりしたものなのだ。
「どうする、テリオン」
 オルベリクの問いかけにより、仲間たちの視線がテリオンに注がれる。彼は決意とともにおもてを上げた。
「犯人を捕まえて商人協会に突き出す。それで恩を売って、迷惑料として露店の商品の割引でもしてもらう」
 低く宣言すれば、オルベリクが驚いたように眉を持ち上げた。
「犯人のあてはあるのか。相手はもう盗品を持っていないかもしれない。荷物検査をすり抜けて、露店街どころか町を出ている可能性も――」
「それはない。あの女はまだ近くにいる」
 テリオンは懐から財布を取り出す。
「これを犯人からすったからな」
 オフィーリアが目を丸くした。「え! いつの間に……?」
「煙の中ですれ違った時だ」
 ほとんど反射だった。オフィーリアにぶつかった女が近くを通り抜けようとした際、外套の下にあったテリオンの手がたまたま犯人の体をかすったのだ。その時慣れた感触がしたのでとっさに掴んで引き抜き、後で確かめてみたら財布だった。彼の手癖の悪さが功を奏したわけである。
 テリオンはにやりと笑って手首を振り、財布を空中に泳がせる。
「相手も盗賊なら取り返そうとするだろ。今頃露店街を探し回っているはずだ」
 オフィーリアは感心したように両手を胸の前で組み合せる。一方の男性陣は呆れ顔だ。正しい反応である。
 オルベリクが軽く両肩を上げてから尋ねた。
「理屈は分かった。だが、どうやって犯人を見つけるんだ?」
「一つ試したいことがある。協力してもらうぞ、薬屋」
 テリオンが視線を向けると、アーフェンは自分を指さして「俺?」と首をかしげた。



 その老婆は、困ったようにあたりを見回しながらのろのろと露店街を移動していた。視界に入る商品には目もくれず、何かを探しているようだ。
 テリオンたちは相手に勘付かれない距離をとって、それとなく老婆を観察していた。
「本当にばあさんだな……。あれが犯人なのか? テリオンが見たっていう女は足速かったんだろ」
 怪しまれないよう露店の商品を見るふりをしながら、アーフェンがぼそりと尋ねた。
「分からないから、これから確かめるのだろう」
 言いながらオルベリクがすっと列を外れ、オフィーリアも続いた。
「頼んだぞ」テリオンは体の向きを変えず静かに送り出す。
「ええ、任せてください」
 オフィーリアはにこやかに請け負い、剣士とともに老婆の方へ向かった。
 一方でアーフェンが商品を棚に戻してぐるぐる腕を回す。
「んじゃーそろそろ俺も準備すっかな。テリオンこそしくじるなよ!」
「言ってろ」
 テリオンは鼻で笑った。その横でアーフェンが身を乗り出して、露店の主に挨拶する。
「悪ぃな親父さん、ちょっと店先借りるぜ」
「構わんさ。代わりに絶対盗賊を捕まえてくれよ」
 気さくな店主は笑顔で念を押した。薬師はうなずき、その場にしゃがみこむ。露店にはあらかじめ商人協会経由で話を通しておいた。「頻発する盗難を解決するため、あることに協力してほしい」と頼むと、ここの店主が立候補したのだ。
 首を回したテリオンは再びオフィーリアたちを見やる。ちょうど彼女らは早足で老婆に近づいていくところだった。テリオンはよく耳を澄ませて会話を傍聴する。
「あの……もしかして、あなたは商人協会に落とし物を探しに来た方ですか?」
 背後からの控えめな呼びかけに、老婆がぱっと振り向いた。
「まあ神官様。そのとおりですが、何か私にご用ですか」
 見た目から想像した通りのしゃがれ声だ。テリオンは人混みの隙間から老婆の一挙手一投足をじっと観察する。
「実はわたしたちがその落とし物を拾ったんです。このお財布ですよね」
 オフィーリアが笑顔で財布を差し出す。テリオンが犯人からすったものだ。オルベリクは無言だが、そこにいるだけで周囲に絶妙な圧迫感を与えていた。
 受け取った老婆は表情を明るくした。
「ありがとうございます! これですこれです、助かりました」
「いえ。商人協会に落とし物を届けに行った時、少し前に持ち主が来たというお話を聞いて、あなたを探していたのです。お役に立ててよかった」
「これからは落とさないよう気をつけます」
 老婆は平身低頭した。神官は一瞬だけテリオンの方を確認してから、来た道と反対方面に歩き去った。
 一人きりになった老婆は財布の中身を確かめている。テリオンはそのタイミングで視線を戻した。
「準備はいいか、薬屋」
「ばっちりさ」
 アーフェンは露店の前の地面に数枚の葉っぱを用意していた。首肯したテリオンは手のひらに小さな火を生み出し、葉の上に置く。葉が燃えて細い煙が立ちのぼった。
「あとはうまくやれよ、テリオン」
 薬屋がどんと肩を小突く。互いに得意分野を熟知しているからこその役割分担だった。テリオンは目の動きで返事してその場を離れた。
 直後、アーフェンが胴間声を上げた。
「大変だ、また煙が出たぞ!」
 普段から騒いでいるだけあって、よく通る声だった。彼の指差す先には確かに白い煙が発生している。周辺の人々が異変に気づき、混乱が広がっていく。
 テリオンはマフラーで口を覆い、煙の出所に背を向けると、慎重に例の老婆に近づいていった。
 アーフェンが起こした煙は最初にテリオンたちが巻き込まれたものより断然規模が小さかった。それに気づいた人々は避難の足を止め、戸惑いながら煙を遠巻きにしている。
 テリオンが注視する先で、老婆はすばやく人々の輪に入っていく。不自然に機敏な動きだが、誰にも見咎められていない。
 老婆は自分の財布に手を突っ込むと、中から何かを取り出した。握り込んだ手を、煙を眺める野次馬の腰へと近づけていく。
「ばあさん、ずいぶんきれいな肌してるんだな」
 追いついて背後を取ったテリオンが声をかければ、ぎくりとその動きが止まった。老婆は手を引っ込める。
「……私に何か用かい?」
 老婆はゆっくりと振り返る。ほほえみを浮かべる目元に深いシワが刻まれていた。
 テリオンは冷え冷えとした視線を彼女に刺した。老婆がその手に握ったものをしっかり確認していたからだ。
「よくできた変装だが、足首までは誤魔化せなかったのか」
 老婆の長いスカートの裾からちらりと若々しい肌が覗いていた。注意深く観察すれば、彼女が年寄りのふりをした若者であることは簡単に見抜ける。動きの端々にその片鱗があったし、何よりも変装ならばテリオンだってそれなりに経験を積んでおり、見分けるコツを知っていた。犯人は老婆を装うことでまわりの油断を誘い、盗みを働いていたのだろう。
 さっと顔色を変えた老婆は思わぬ速度で反転すると、テリオンを突き飛ばして逃げ出した。その拍子に石畳の表面で澄んだ金属音が鳴る。まわりの人々が驚いて声を上げた。体勢を立て直したテリオンは、落ちたものを拾い上げて即座に追いかける。
 老婆はその健脚を存分に発揮していた。向かう先は手近な路地だ。しかしそこには――
「おとなしくしてもらおうか」
 先回りしていたオルベリクが立ち塞がった。彼はひるんだ老婆の腕を容赦なくひねり上げる。テリオンが到着した直後にオフィーリアとアーフェンも合流した。
「くぅっ……」
 逃げ場のなくなった犯人は悔しげにうめいた。
「助かった、オルベリク」
「このくらいはな。お前の作戦があってのことだ」
 剣士は重々しく言う。露店のある通りには群衆がいて身動きが取れないから、土地勘のある犯人は路地を通って逃げるだろう、というテリオンの予測が的中したわけだ。盗賊の思考回路などだいたい皆同じである。
「ホントだよ。よくこんな罠考えたよなー」
 アーフェンがなれなれしくテリオンの肩に手を置く。その隣でオフィーリアもにこにこしていた。
「……別に。どれか一つでもハマれば良かったからな」
 テリオンはそっけなく答えてから犯人に肉薄する。
「あんたがこれを盗んだんだろ?」
 彼は先ほど拾ったリングを突きつけた。
 露店街で捕物を行うにあたって、第一段階として財布を持ったオフィーリアとオルベリクが商人協会の本部に赴いた。犯人はまだ面が割れていないから、自分の財布がないことに気づけば「落とし物をした」と言って何食わぬ顔で敵陣に出没する可能性がある、と一行は考えたのだ。
 予想は当たり、神官たちは「一人の老婆が遺失物を探して協会を訪れた」という情報を入手した。年配の女性というとテリオンが目撃した犯人の特徴とは一致しなかったが、ひとまずその人物が怪しいと見当をつけた。ついでに、商人協会には「盗賊を捕まえるから協力してほしい」と依頼して、煙を出す許可を取った。
 合流して首尾よく老婆を見つけた一行は、例のリングを忍ばせた財布を犯人に渡した。先ほどの反応を見るに、老婆は財布を届けに来た神官が自分の犯行の被害者だと気づかなかったようだ。煙の中でほんの一瞬しか接触しなかったからか。万一神官が警戒された場合は、その場でオルベリクが取り押さえることもできた。
 戻ってきた財布の中に例のリングを見つけた犯人はきっと動揺するはずだ。そこでダメ押しで煙を起こした。うまくいけば、犯人は「相方の煙だ」と錯覚して何らかの行動を起こすだろう。これらの作戦を実行すると、案の定犯人は再び他人にリングを押し付けようとした――
 バラバラだとどれも決定打に欠ける罠だったが、段階を踏むことで相手を追い詰め、見事に犯人確保に至ったわけだ。
 テリオンは薄ら笑い、老婆の懐に手を突っ込む。引き出したのは膨らんだ財布とアクセサリだ。前者は別の客の持ち物で、後者は露店の商品か。リングと違ってこれらは他人に押し付けなかったようだ。
「残念だったな。これは持ち主に返しておくぞ」
「あんた……まさか同業者か」
 今の手付きで勘付いたのだろう。女は眉間にしわを寄せ、若く刺々しい声で言う。テリオンは何も答えなかった。
 オルベリクが怖い顔で問うた。
「露店を荒らす盗賊はもう一人いるのだろう。居場所は?」
「教えるはずないだろ」
 女はそっぽを向いた。
「では、この指輪の持ち主はどなたですか?」というオフィーリアの質問にも黙秘を貫く。
 アーフェンがうめいて頭を抱えた。
「埒が明かねえよ。このまま衛兵に突き出そうぜ。そこでじっくり聞き出してもらえばいいだろ」
「そうだな」
 直接の裁きは衛兵や被害者たる商人協会がすべきだろう。女はオルベリクとオフィーリアが衛兵の詰め所まで連れていくことになった。
 去り際、神官がテリオンに一礼する。元はと言えば彼女がリングを押し付けられたことが騒動の発端だったので、テリオンの行動に感謝しているのだろう。別に気にする必要はないのだが、律儀なものだ。
 静かになった路地では、アーフェンが大喜びしていた。
「やるなあテリオン! これで商人協会からたっぷりお礼をもらえるぜ。せっかくだし武器以外も新しくしよっかな」
「そのくらいはいいんじゃないか」とテリオンが適当に答えれば、
「あんたが急に優しいこと言うとびびるな……」
 アーフェンは身を引いて失礼な発言をした。
 テリオンは肘で薬師の脇腹を突いてから路地を出る。すると、真正面に意外な人物を発見した。
「あ、テリオンさん……!」
 大きく目を見開いて露店街に立ち尽くすのは、ボルダーフォールにいるはずのコーデリア・レイヴァースだった。テリオンは呆気にとられる。
「あんた、なんでここにいるんだ」
 当主はサマードレスというのか、肩が見えるタイプの高級そうなワンピースを着ていた。バカンスに来たような見た目の彼女は、焦った表情で質問する。
「ノーアかサイラスさんを見ませんでしたか?」
 テリオンは横にいた薬師と顔を見合わせた。何故急に学者の話が出てくるのだ。アーフェンが首をひねる。
「ノーアさんって大富豪の娘さんだよな。俺たちは見てねえよ。ていうか先生は商店街にいるはずだろ?」
「いえ、サイラスさんはわたしと一緒にノーアを探していたのですが、先ほどの煙ではぐれてしまって……」
 どうして学者と二人で行動していたのか、まるで経緯が読めなかったが、コーデリアにそれを説明している余裕はないらしい。
 もしや、煙というのは最初の事件――オフィーリアがリングを押し付けられた時のものではないか、とテリオンは察する。アーフェンが起こした煙は、誰かを見失うほど広範囲に拡散していないはずだ。つまり、コーデリアはあの時からずっと知り合いを探していたのか。
(サイラスがいない……?)
 たったそれだけのことで、これほど嫌な気分になるのはどうしてだろう。テリオンは持ったままになっていたリングを無意識に指でいじる。オフィーリアあたりに渡して商人協会に届けてもらえば良かったな、と頭の隅で考えながら。
 するとコーデリアが息を呑んだ。
「その指輪……前に見たことがあります。もしかしてノーアのものでは?」
 アーフェンがぎょっとして前のめりになる。
「え、マジで? これ盗品なんだよ。煙を起こした犯人の片割れが、どさくさに紛れてオフィーリアに押し付けてきたんだ」
「では、ノーアはまだどこかで指輪を探しているのでしょうか……?」
 コーデリアが不安げにつぶやく。アーフェンが焦ったようにこぶしを握った。
「と、とにかく二人を探そうぜ」
「ええ」
 コーデリアたちが動き出す。テリオンもやや呆然としながらそれに続こうとした。
 その矢先に、通りの向こうから別の仲間が歩いてきた。アーフェンが顔を輝かせる。
「ハンイットじゃねえか。ちょうどよかった、今――」
「悪い知らせがある」
 いつも彼女の足元に付き添う相棒の雪豹がいなかった。眉根を寄せたハンイットはコーデリアに目を合わせて、
「サイラスがいなくなったとコーデリアさんから聞いて、みんなで手分けして探していたんだ。そうしたら、リンデが手がかりを見つけた」
 彼女は言葉を区切り、こちらに背を向けて違う路地に入っていく。狩人らしくない一方的な行動だ。有無を言わせぬものを感じ、テリオンたちは早足で従った。
 狭い道の先でリンデが待っていた。雪豹がしっぽを打ち付ける石畳には、何か黒っぽいものが染み込んでいる。
「これは、血……ですよね」
 近づいたコーデリアがごくりと喉を動かす。テリオンはすっと体の芯が冷えていくような感覚を味わった。
 路地に残っていたのはそれだけではない。リンデが鼻先で割れたガラスをつついた。細かい破片が床に散っている。
「これ、俺が昨日の夜に先生に渡した瓶だよ。中身も間違いねえ……」
 しゃがんで調べたアーフェンが青ざめる。リングと割れた薬瓶、そして血痕まで残っているのに、本人たちはどこにもいなかった。
(あいつ、どこに行ったんだ……)
 テリオンは息苦しさを感じて首元を緩め、視線を前に向けた。路地の先はもう海だ。壁に切り取られた波の上を、大きな黒い船が横切るのが見えた。

※続きは同人誌に収録

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