序章 剣持たぬ勇者



「待って。……敵がいる」
 ハテノ砦を抜けると鬱蒼とした森にさしかかった。木の幹の向こう側、確かにうごめく赤いものが見える。独特の匂いが「彼」の鼻を刺激した。
(お、いよいよこの勇者様の実力が見られるんだな)
 イーガ団とかいう相手には情けない姿を晒していたけれども。彼が少しわくわくしながら眺めていると、
「足音立てないようにね」
 リンクは身を低くして、そろりそろりと歩きはじめた。
(戦わないのかよ!?)
 見たところ魔物は体も小さいし、簡単に勝てそうだった。まっすぐ進む方がどう考えても早いのに――
 見知らぬ土地に放り出され、彼はいつしか鬱屈した気持ちを抱えていた。それはケモノの闘志を燃え上がらせ、戦闘へと駆り立てた。
 わおん、と彼は一声上げた。一斉に敵意がこちらを向くのが分かる。
「ちょ、ちょっと!」
 焦った様子のリンクを無視して、彼は草むらから飛び出した。
(こっちの魔物の実力、見てやろうじゃないか)
 対峙するのは赤い体色の小鬼が三匹。動きはのろい。一体ずつ確実に対処すれば問題ないだろう。
 小鬼は棍棒を振り上げた。彼がすかさず腕に噛みつくと、魔物は濁った悲鳴を上げて武器を取り落とす。
(よし、まず一匹! ……いてっ)
 突然、小石が頭に当たった。
 しかも石はひとつだけでなく、何個もばらばらと降り注ぐ。いつの間にか魔物の中に青色の小鬼が一匹が混ざり、彼を狙ってしきりに石を投げていた。
 魔物が投石してくるなんて! 手元に武器がなければ、そこにあるものを使うのは道理である。だが、彼のハイラルにはそんな高等テクニックを持つ魔物はいなかった。
(ちょっとこれ、まずいかも)
 慌てて彼が距離を取ると、青い小鬼の頭に、放物線を描いて飛んできた木の矢が突き刺さる。
 いつの間にか木立の間にリンクが立っており、弓を構えていた。それで加勢してくれたのだ。
 小鬼は頭から矢を抜き、怒り狂った。
「あれ、効いてない!?」
(矢の勢いが弱かったんだよ!)
 だがおかげでリンクに注意が向いた。その隙を逃さず、彼は青い魔物に後ろから突っ込んだ。もみ合いになるが、彼はケモノ姿での戦いにおいてもなかなかの実力を持っていた。無事に仕留める。その間にリンクは慎重に狙いをつけて、赤い小鬼を退けた。二人がかりで奮闘して、なんとか四匹に打ち勝った。
 リンクはオオカミに駆け寄った。軽く息が上がっている。
「あ、ありがとう。あんなにたくさんのボコブリンに勝てたの、初めてだ」
(あの程度で苦戦するとか、これまでどうやって戦ってきたんだよ)
「今までは怖くて一匹ずつ不意打ちばっかりしてたから」
 偶然にも会話が成立した。
 ボコブリン――彼のハイラルにも同じ名前の魔物がいた。しかしずいぶんと違う見た目だ。怖さが薄れた分、知能が上がっているようだ。
「赤いやつはまだ何とかなるんだけど、青いやつが厄介で。頭に石ぶつかってたけど、痛くない?」
(正直、割と痛い)
 彼は渋い顔をした。リンクは荷物をあさると、何故かリンゴを差し出した。
「これ、食べて」
(……なんで?)
「えっと、ハイラルの食べ物には体力回復の効果があるんだって。料理するとさらに効果が高まるらしいよ」
 なるほど、だからリンクは下手くそなりに料理をしていたのだ。
(あんな微妙な料理なら、そのまま食べたほうがマシだろ)
 それに、食べ物で体力が回復するとはどういうことだろう。確かに食物は体をつくる源となるが。
 というわけで彼は半信半疑でリンゴを食べたが、その効果は案外すぐに現れた。
(あれ、痛みが引いてる……?)
 この分なら腫れ上がることもないだろう。本当に傷への効能があるなんて。
(これからは、戦いの前は腹を減らさないといけないな)
 戦いの最中にリンゴをかっ食らう羽目にはなりたくない、と思う彼だった。
 森を抜け、村の入り口らしき門が見えた。カカリコ村のものと違って、彼にも馴染みのある形式だ。書いてある文字が読めないことを除けば。
 門を通り抜けようとしたリンクの前に、農夫らしき格好の男が立ちふさがる。
「ここはハテノ村――ああ、あんたか」
 知り合いらしい。入口近くの畑を耕しつつ、門番の役目を兼ねているようだ。もちろん、オオカミの姿には気づきもしない。
「前来た時は、研究所に行くって言っていたな。例の小うるさいばあさんには会えたのか」
「ええ、まあ」
 リンクはぎこちなく返事した。そういえば、彼らは東の研究所を目指していたのだった。この奥にあるのだろうか。そして所長は女性らしい。
「勝手に会いに行くのは止めないけど、揉めごとを村まで持ち込むなよ」
「はーい」
 リンクは適当に相槌を打って門を抜ける。村人に警戒される博士――これからの展開に、若干の暗雲が立ち込めてくる。
 石畳の道、土壁の家々、回る風車(絵物語で見たことがある)。道も水路も植栽も、よく手入れされている。この村には彼の故郷トアル村にも似た、穏やかな空気が流れていた。
「ハテノ村だよ。ここが、ハテノ砦のおかげで守られたっていう村」
 大厄災とやらの被害の少ない場所だ。そのせいか、カカリコ村よりものどかな雰囲気だった。
 リンクはふと、足を止める。オオカミの低い視点からは見えない、家並の向こうに注目しているようだった。
「あんなところに家なんてあったかな……?」
 首をかしげ、
「ちょっと待ってて!」
 いきなり飛び出していった。意外に足が早く、急いで追いかけたら吊り橋を渡る後ろ姿だけが見えた。
(え、俺のこと置いてくのかよ)
 素直に待つべきか、追いかけるべきか。迷った末、彼は第三の道を選んだ。
(先に研究所に行こう)
 どう考えてもその方が早い。どうもこのリンクは話し好きかつ、寄り道癖があるようだし。自分も重度の寄り道癖があることは棚に上げ、彼は一人うなずく。
 掃き清められた石畳を踏んで、商店街を抜ける。看板は読めないけれど、服屋やよろず屋があることは確認できた。ひとつだけおかしなにおいが流れてくる店があり、嗅覚が敏感になった彼は避けて通る。
 のんびりと村を眺めながら歩く彼の横を、村の子どもたちが追い抜かしていく。
「ねえどこ行くの?」
「古代研究所だよ。お前だって例のあれ、気になるだろ!」
 二人の子どもはぱたぱたと軽やかに足を運ぶ。
(お、ラッキー)
 どうやら研究所まで案内してくれるようだ。彼は小走りでついていった。
 村の奥にある急な坂を上る。その半ばで子どもたちは二手に分かれると、それぞれ木の陰に隠れて坂の終点――高台に立つ研究所の様子をうかがった。
「見えるかー?」
「いや、全然……」
「どこ行ったのかなあ、シーカー族の女の子」
(女の子? 研究所にいるのか)
 インパに対するパーヤのように、所長のばあさんにも孫娘がいるのだろうか。彼は少しだけわくわくしてきた。
 いつまでも研究所を観察している子どもたちを置いて、坂を上る。道の途中には青い炎の燃える灯籠がたくさんあり、そのそばに看板があった。大きく黒々とした文字は、なんだか脅し文句のようにも見えた。
(研究所、ってどんなところなんだろ)
 いよいよ坂のてっぺんが見えてきた。白くつるりとした円筒形の建物をとりまくように、様々なもの――螺旋状の外階段であったり、巨大な望遠鏡らしきものであったり――がくっついていた。玄関の上にはメガネをかけたカエルの像があり、こちらを見下ろしている。ここがハテノ古代研究所らしい。
 当然だが、研究所の扉は閉まっていた。二足歩行のできない彼には、扉を開ける手段がない。ひとまず窓から中を覗こう、と勢いをつけてジャンプし、壁に前足をかけた。
 ガラス越しに、メガネの奥の瞳と目が合った。
(……へ?)「う、うぎゃーッ!?」
 可愛らしい悲鳴が研究所内で響き、彼の耳を貫く。
(やっべ、ばれた!)
 カカリコ村を出てから、すっかりリンクと魔物以外には視認されなくなっていたものだから、油断していたのだ。
 中の研究員は甲高い声で騒いでいる。
「シモン、武器持ってきて武器!」
「どうされましたか所長」
「外にオオカミがいたのヨ! アタシがこんな姿で外に出られないの知ってるでしょ、追っ払ってちょうだい」
「はあ……」
 泡を食った彼は手近な物陰に隠れる。道中も見かけた青い炎が燃え盛る炉だ。不思議なことに、近づいてもそこまで熱さを感じない。
 シモンと呼ばれたシーカー族の男が扉から出てきた。一通りあたりを見回し、首をかしげて戻っていく。
「オオカミなんていませんけど……」
「ウソだ。絶対その辺にいるって」
 研究所の扉は開けっ放しであった。彼は「今がチャンス」とばかりにするりとシモンの足元を抜け、研究所に入った。
 台の上に立った子どもが彼の姿に気づき、目をまんまるにする。
「わあっ!? 今、あ、アンタの足元!」
「ええ?」
 シモンはどうやら彼を視認できないらしい。これ幸いと、彼は研究所内をざっと確認する。あちこちに本や書類が散乱し、床は混沌としていた。向かって左側の壁に、見覚えのある目玉マークの刻まれた石の台を発見する。
「ああーっ、アタシのかわいい勇導石ちゃんに何すんのっ」「所長、先ほどから何と会話しているのですか……?」
 ぎゃあぎゃあ騒ぐ子どもと困惑するシモンを無視し、彼は片足を上げて目玉模様を示した。
「え、何、シーカーシンボルがどうしたの」
 子どもは初めてオオカミに興味を示したらしい。大きな瞳に理知的な光が宿る。
 その時。開け放たれた扉の前に、新たな人物が立った。
「プルア所長、彼は僕の味方です」
 何が何やらという顔のシモンを押しのけて研究所に入ってきたのは、リンクだった。大幅に減った荷物を背負い、オオカミと子どもの間に割り込むように位置どる。
 リンクはこの子どもを「プルア所長」と呼んだ。すると、子どもたちが探していたシーカー族の女の子こそが所長だということになる。ばあさんではなかったのか。村人と研究所は没交渉らしいが、一体何があればそんな勘違いが生まれるのだろう。
 プルアは椅子の背につかまり、肩を震わせている。
「み、味方? いつの間にこんなの手なずけたのヨ、リンク」
 リンクは胸を張り、もったいぶって答えた。
「彼はシーカーストーンのショウカン機能によって呼び出された――このハイラルの真の勇者なんです!」
 空気が凍りついた。
 オオカミはゆっくり足を運び、得意満面になったリンクの足に噛みついた。
「痛ぁーっ!?」
「……違うって言ってるみたいよ?」
「じょ、冗談ですってばーははは」
(反応しにくい冗談はやめろ! 一瞬、正体がばれたのかと思っただろ……)
 彼は思わずドキッとしてしまったことが悔しかった。
 リンクのボケ発言のおかげで、プルアは幾分か冷静さを取り戻したらしい。息をととのえ、丸メガネをかけ直す。
「ところで、そいつがシーカーストーンの召喚に応じたっていうのは、本当なの?」
「はい。イーガ団に襲われた時、とっさにショウカンを使ったら現れたんです」
 リンクは所長にシーカーストーンを差し出す。プルアは慣れた様子で石版を操作した。
「おっかしいなあ。ショウカンは無生物しか呼び出せないはずなんだけど……」
「そうなんですか?」
「この機能は、異世界から勇者リンクの冒険の助けになるものを呼び出す機能だよ。例えば食べ物とか武器とかね。異世界側の立場で考えなヨ、いきなり生き物がいなくなったらびっくりするでしょ」
「た、確かに」
 あの小さな石版によって彼をここに呼び出した、とリンクは言っていた。マップだけでなく、他にも様々な機能が備わっているらしい。
「うーん、どうやって来たのかなあ。この端末じゃ、こんなに大きな質量を転送できる古代エネルギーなんて扱えないはず……」
 プルアはシーカーストーンをいじくり回した末、オオカミに向かって石版をかざす。
「あ、ウツシエですか?」
「そう。ハイラル図鑑に情報が眠ってないかと思ってね」
 カシャ、と小気味よい音がした。彼は全身を震わせた。
(な、何されたんだ?)
 当然説明はなく、プルアとリンクは石版の表面を覗き込む。
「本当だ、ハイラル図鑑に載ってますね! でも……読めない字だ」
「古代文字かな。いつの時代のだろ。ちょっと解読してみる」
(もしかして、俺のハイラルの文字が出てるのか……?)
 気になった彼が覗く前に、プルアがシーカーストーンをかっさらってしまった。彼女はそこら中の本をひっくり返しはじめる。
 おそるおそる、という風にシモンがリンクに近寄ってきた。
「あの……そこに、私の目には見えなくて、プルア所長やリンク様にだけ見える、生き物がいるんですよね?」
「あ、はい。オオカミっていう種族みたいですよ。四つ足で、馬ほどじゃないけど体が大きくて、鋭い牙があって」
「何故私には見えないのでしょうか……」
 この世界はトワイライトに閉ざされているわけではない。ならば、考えられる理由はひとつだ。
(たぶん、センスを持ってるか否かだろうな)
 どうも、このハイラルにはセンス持ちの人が多いようだ。そしてセンスがないと見えないほどに、今の彼は不安定な存在であるとも言える。
「不思議ですよねー」
 リンクは原因を推測しようともせず、お気楽ににこにこしていた。
 部屋の隅で文献を調べていたプルアが、シーカーストーンを持って戻ってくる。
「リンク、一部だけ解読できたよ」
「何が分かったんです?」
 リンクは身を乗り出す。
「このオオカミの名前。ウルフ……って書いてあった」
「ウルフ?」
(いや、俺そんな名前じゃないんだけど……)
 ハイラル図鑑とやらにはずいぶんとデタラメが書いてあるようだった。プルアの解読法が間違っているのでは、と邪推してしまう。
 それでも、「リンク」という名前がばれて大騒ぎになるよりはマシかもしれない。この分だと、だめ勇者に何を押し付けられるか分かったものではない。
 リンクは彼の真正面にしゃがみこんで、
「これからはきみのこと、ウルフくんって呼んでもいいかな?」
(はいはい。もう勝手にしろよ)半ば諦め、彼は首を縦に振った。
「よろしくウルフくん!」
 こうして「彼」は、不本意ながら「ウルフ」になった。
 プルアはシーカーストーンをリンクに手渡しながら、しかめっ面になる。
「名前の他は、残念だけどアタシには分からなかったヨ。もしかしたら、アッカレにいるロベリーなら解読できるかもしれない」
「ああ、北の地方でしたっけ?」
「そうそう。手紙書くから、それ見せて解読してもらいなヨ」
 プルアは机の上の紙束からしわくちゃになった便せんを引っ張り出し、素早くペンを走らせる。
(今、ものすごい乱雑に書いたな)
 リンクはそれでも嬉々として受け取り、荷物にしまいこんだ。
「そうだ、カカリコ村のインパのところに行ったんでしょ、どう、記憶の手がかりは見つかったの」
 プルアが何気なく尋ねると、朗らかなリンクの表情に雲がかかる。
「……ああ、それが、その。シーカーストーンに残った写し絵が記憶の手がかりだってことは分かったんですけど、インパさんと喧嘩しちゃって」
「喧嘩ぁ? な、なんでよ」
「僕がうっかりゼルダ姫のことを『知らない人』って言ったから……」
 プルアはあっけにとられたように口を開ける。それから大きなため息をついた。
「そりゃあ怒るよ。まあ、あの子も歳だし堪忍袋の緒はゆるゆるだろうからね。それに、アンタの記憶をふっ飛ばしたアタシにも責任がある」
(どういうことだ……?)
 リンクの記憶がないらしいことは知っていたが、それは本当にプルアのせいなのだろうか。
「とにかく記憶を思い出せば、ちょっとは不安もなくなるんじゃない?」
「そうだといいんですけどね……」
 リンクの返事は歯切れが悪い。少し暗い雰囲気になったので、プルアがやめやめ! と腕を振り回す。
「シモン、せっかくだからリンクの身体の調子を見てやって。リンク、ちょっとこの子――ウルフを借りるよ」
「あ、はい」
 プルアはオオカミに「ついてきて」と言った。
(一体何の用なんだ……)
 扉から首だけ出し、注意深くあたりを観察して誰もいないことを確かめると、プルアは螺旋階段を駆け上がった。研究所の一番上にある狭い部屋に入る。
 おそらくそこはプルア所長の私室なのだろう。汚さが半端ではない。プルアは唯一綺麗な椅子の上に腰を下ろし、ウルフは困った末に床のわずかな隙間に座った。
 プルアはずいと上半身を前に倒す。
「アンタ、ただのオオカミじゃないネ。リンクやアタシたちの言葉分かってるでしょ? かしこそうな目してるわ~」
(ま、まあな。逆に、動物の言葉が分からないんだけど)
「アンタはシーカーストーンに呼び出されて来た……きっと、勇者リンクの助けになるために。そんな顔しないで、不満も不服も分かるヨ。たぶんアンタにもやらなくちゃいけないことがあるんでしょう。でも、ちょっとだけアタシたちに……いや、リンクに協力してやってくれないかな」
 ウルフは黙って続きを促す。
「知らないかもしれないから、ちゃんと説明しておく。このハイラルは百年前に一度、『大厄災』によって滅びたんだ。あれは一般には自然災害だって言われてるけど、本当は違う。大厄災を起こしたのは、厄災ガノンっていう恐ろしいやつなの」
(ガノン――ガノンドロフ!?)
 リンク、ゼルダときて、ついには魔王の名前が出てきた。そうだ、ハイラルに勇者がいるのなら必ず倒すべき存在もいるはず。忘れていたわけではないが、重い衝撃が走る。のどかに見える王国は、実はあの魔王に支配されているのだろうか。
「アタシたちは百年前、ガノンに負けたんだ。あの悔しさは今でも忘れられないよ」
(ん? どういうことだ)
「あ、ちなみにアタシ見た目はこんなのだけど、実際は百歳超えてるから」
(うええっ!? 嘘だろ)
 ウルフとしてはむしろその事情を知りたかったのだが、プルアは真面目な表情をつくって続きを話す。
「百年前、ゼルダ姫は厄災を抑えるために、単身でハイラル城へ向かった。今もきっと、あそこで一人で戦っている……。
 そして勇者リンクはね、大厄災の時にガノンにやられて瀕死になったんだ。だからアタシたち研究者が、『回生の祠』っていう場所で眠りにつかせた。そこで傷を治して、いつかまた厄災を討つために」
 怒涛のごとく情報を詰め込まれ、頭がうまく働かない。ウルフの抱いた感想は、
(ということは、リンクも百歳超えてるのか)という間抜けなものだった。
 だがリンクは肉体的には十代半ばのようだし、精神的にも幼さが見える。回生の祠とやらには、眠っている者の時を止める効果があったのかもしれない。
「百年経って傷は治ったけれど、回生の祠は実は不完全な状態で起動していた。そのせいでリンクの記憶がなくなってしまったのヨ。あの子はつい最近目覚めたばかりで、何も知らない状態からひとつひとつ覚えながら、一人でここまで辿り着いたの。
 だからどうも不安っていうか、自分の状況に対して戸惑ってるみたいだったんだよネ。そりゃあ記憶がまっさらになって、アタシやインパがいろいろ吹き込むから、そうなるのも仕方ないけど。あの天才剣士クンを知ってる身としては、複雑でもあるかな……」
(ああ、それであいつ、勇者やりたくなさそうだったんだ)
 合点がいった。そこでプルアは、びしっとウルフに指を突きつけた。
「でもね、アンタといると全然違うの! あんなにやる気にあふれたリンク、百年経ってから初めて見たわ」
(……俺?)
「何故かは分からないけど、リンクはアンタのことを信用してるみたい。だから……リンクについていって、あの子の旅を助けてやってくれないかな。アタシたち昔の仲間はもうみんな歳だから、あの子のそばにはいてあげられないのヨ」
 プルアの幼い声が、見た目に似合わぬ真剣味を帯びている。
「百年前、ゼルダ姫が言ってた……勇者を救えるのは、勇者だけだって。あの言葉がずっと気になってたんだけど、もしかして案外、本当にアンタは勇者だったりしてね?」
 ウルフはぷいと横を向く。
(ご想像におまかせします)
 プルアの話が途切れた。一気に聞かされた話を、ウルフはゆっくりと咀嚼していく。
(リンクを助けて、か……。そんなの、このハイラルの人でなんとかしろよ。手伝ったところで、俺にはメリットがなんにもない。俺は早く帰って、やらなくちゃいけないことがあるんだ)
「あの子はハイラルの希望なの。リンクのことを何とかしてくれたら、アンタが元の世界に帰る方法を探してやってもいいよ」
 ぐらり、とウルフの気持ちが揺らぐ。自ら望んでここにやってきたわけではない現状、シーカーストーンの権威であるプルアに頼るのが、自分のハイラルに戻るための一番の近道なのだ。
(仕方ない、か……)
 渋々ながらうなずきかけた時、
「うぎゃああっ!?」
 階下からリンクの悲鳴が聞こえた。思わず外に飛び出すウルフ。
(ど、どうしたんだ!?)
 一階の研究室に駆けつけると、リンクが何故かパンツ一丁の姿で床にひっくり返っていた。シモンが紫の液体を脇に置き、情けない勇者を助け起こす。
 遅れてやってきたプルアが真顔で腕組みをした。
「んー、やっとの思いで手に入れたマモノエキスを投与したんだけど。刺激が強すぎたかなあ」
(こりゃ、リンクに警戒されて当然なんじゃ……)
 彼はやれやれというように首を振る。心配して損した。
 リンクは戻ってきたウルフに気がつくと、ぱっと笑顔になった。
「上で何のお話してたの?」
「ちょっとね、秘密の話だよネ~ウルフ」
 プルアが目配せする。先ほどの話の了解を得るかのように。
 ウルフはリンクと視線を合わせた。秘密って何、と駆け出し勇者は目で尋ねている。
(これから、こいつの面倒を俺が見るのか……)
 リンクは何故だかきらきら輝かんばかりの表情だ。
(そういえば、転んだコリンを起こした時も、こんな顔してたっけ……)
 懐かしき弟分を思い出した。だんだん、ウルフが生来持つ面倒見の良さが頭をもたげてきた。
(危ない、流されちゃだめだ。こいつといたら都合がいいから協力するだけ! 単に自分のハイラルに帰るため! 勇者っていうなら、ちゃんと自分で自分のハイラル救ってみせろ! 俺はちゃんとやりきったぞっ)
 ウルフはつんと鼻を高くする。「ど、どうしたの?」リンクは顔中に疑問符を浮かべていた。
 何はともあれ、この研究所でなすべき用事は終わった。リンクは立ち上がる。
「それじゃあ、次はアッカレ地方に行ってみたいと思います。どうもありがとうございました」
 そのまま扉を開けようとしたので、ウルフは背中に体当たりを仕掛ける。
「え、何?」
「ウルフの言う通りだヨ。アンタ、その格好で外に出るつもり?」
 リンクは自分の体を見下ろした。彼はパンツ一丁のままだったのだ。
 プルアは笑顔で「その調子でよろしく」とウルフに声をかける。
(……やっぱりこいつ、俺がいないとだめかもしれない)

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