第一章 雨に閉ざされた地



 もしも貯水湖に飛び込んだ二人をシド王子が見つけて岸まで運ばなかったら、水死体が二つほど上がるところだった。
 当然、高所から飛び降りて水面に叩きつけられた衝撃は相当なもので、パラセールで軽減することもできなかった。リンクはしばらく立ち上がれなかったほどだ。
 さんざんシド王子に心配されながらも、二人はゾーラの里の宿で体力を回復し、翌朝貯水湖に向かった――今度はちゃんと早い時間に起き出して。全く、リンクもウルフも呆れるほどにタフであった。
「おお、来たなリンク!」
 朝日を反射してきらめく貯水湖。その桟橋で、シド王子は神獣ヴァ・ルッタから目線を外し、二人に向き直った。
 昔、ウルフはルッタと似たような動物を絵本で見たことがある。確かゾウという名前だった。ルッタは、ゾウの持つ大きな耳の代わりに、回る水車を備えていた。ロープのように長い鼻からは大量の水を上空へと吹き出している。これなら雨も降るはずだ。
「待ちわびていたゾ。体はもう平気か」
「その節はごめんなさい……」
 リンクは頭を下げる。待たせたどころかシド王子には盛大に迷惑までかけたのだ、ウルフもしおらしくこうべを垂れる。
「気にするな。ライネルを倒し、復活されながらも生きて帰ってきたのは本当にすごいことなのだゾ」
 また王子の決めポーズだ。最初はどうも胡散臭い印象だったが、今ではなんだか頼もしく見える。
「ゾーラの鎧と電気の矢の準備はできているようだな。グーッジョブだ! さすがはリンク。さあ、水の神獣を鎮めに行くゾ!」
「それっ」とシドは貯水湖に飛び込む。そしてあっという間に遠くまで泳ぎ、水から顔を出してルッタを指さした。
「神獣の背中を見てくれ!」
 ルッタの側面には二つほど滝ができていた。左右合わせて合計四つ。その水の吹き出し口の上に、ピンク色の光が見える。
「あれを電気の矢で射るんだゾ! キミにはゾーラの鎧に宿る滝のぼりの力がある。オレがキミを神獣のそばまで連れて行くから、装置の近くの滝から飛んで、ピンクの光を狙うんだゾ!」
「え? えーと、電気の矢を持って、シド王子に連れて行ってもらって、ルッタが近づいたら滝をのぼって、飛んで、矢を射る?」
 リンクは「やること多すぎないかな」とぶつぶつ復唱した。
「キミならやれる! オレは信じているゾ」
「丸投げしないでほしいよね、全く」
 リンクはそう言いながらも、もう嫌そうな顔はしていないのだった。
 シド王子は再び桟橋に戻って来て、
「さあ、オレの背中に乗ってくれ!」
 リンクはおずおずと尋ねる。
「あの、もちろんですけど、ウルフくんを連れて行くことは……?」
「すまないが、無理だ」
(いーよ別に。ケモノ姿じゃあ矢なんて扱えないしな)
 だがもしも元の姿だったら、リンクに任せるより自分がやった方がよっぽど早く終える自信があった。
 リンクはしゃがみこんで、ウルフと目線を合わせた。
「ここで待っててくれる……?」
(仕方ないな)
 ウルフは湖に張り出した桟橋にぺたんと座り、うなずいた。
 リンクもしっかり頭を縦に振ると、決意に彩られた表情でシドに向き直った。
「王子、お願いします」
「いい返事だゾ。よし、来い!」
 シド王子の背中に乗り込み、リンクはウルフへと手を振った。
「行ってくるね!」「行くゾーッ!」
 二人は水の上をすべるように移動し、ルッタに肉薄した。
(あの神獣、攻撃してくるのかな)
 とウルフが思っていたら、早速動きがあった。神獣の体の光が明滅しはじめる。
「ルッタが反応している! いったん離れて、攻め入るスキをうかがうゾ」
 シド王子の声は遠く離れても聞こえるほどに大きい。一方で、リンクの返事は分からなかった。
 ルッタの周囲に四角い氷が出現した。それはふわりと宙に浮かび、リンクたち目掛けて発射される。
「神獣ヴァ・ルッタは古代の不思議な力を使ってくる! あの氷のようなブロックも古代エネルギーらしい。対処はキミに任せたゾ!」
 氷とリンクたちは真正面からぶつかった。途端にリンクの悲鳴が聞こえてくる。王子の背中から振り落とされでもしたのかとウルフは色めき立つが、リンクはかろうじて落水を免れていた。手に持った槍で氷を突いて、なんとか対処したらしい。
 はらはらしながら戦闘の様子を眺めるウルフは、自分も戦いたくて仕方なかった。
(いけ、そこだ! あー惜しいっ。次は行けるんじゃないか!?)
 リンクが氷を全て破壊したのを確認し、シド王子はルッタのつくる滝に接近した。リンクが水に飛び込んで、ゾーラの鎧の力で上まで登る。ミファーの鎧の効力はすさまじかった。
 滝をのぼったままの勢いで空中に飛び出すと、彼はパラセールを開いた。装置の位置を確認しているらしい。パラセールと交代で、今度は弓を取り出す。またあの時間が止まるような感覚があって、リンクは電気の矢を打ち込んだ。慎重に狙いを定めたおかげか、見事に命中する。
 シド王子は落ちてきた彼を回収しながら歓声を上げた。
「リンク、最高だ!」
 二人は傍からみても、なかなかいいコンビだった。
 一度シド王子はルッタから離れる。すると防衛のための氷が再びつくり出された。今度は先ほどの倍の数に増えている。おののくリンクの顔が容易に想像できた。
 ウルフは自分の方に神獣の意識を向けられないか、と桟橋から吠えた。反応したのはルッタではなくリンクで、彼はウルフの方を向くと、何故かはっとしたように腰に手をやった。氷に向かってシーカーストーンをかざす。するとどういう理屈か知らないが、触れもしないのに氷が壊れはじめた。
「リンク、さすがだ!」
 シド王子の絶賛を受け、リンクは桟橋のウルフに向かってこぶしを振り上げる。「ウルフくんのおかげだよ」と言う声が聞こえるようだった。
 清々しくリンクを褒めちぎるシド王子に、ウルフを絶賛するリンク。
(なんだこれ、あとは俺がシド王子を褒めればいいのか?)
 ウルフはなんだかこっ恥ずかしくなってきた。
 二人の奮闘の末、最後の装置に電気の矢が刺さった。苦労して集めた甲斐があって、矢の効き目は抜群だった。
 ルッタはまるで生き物のように断末魔を上げる。
「うおおッ! 最高だゾーッ!」
 神獣の鼻が力なく湖面に打ち付けられ、沈んだ。雨が上がり、空が急激に晴れていく。
「見ろリンク、ルッタの放水が弱くなったゾ! キミの目的は中に入ることだろう。そばまで寄せるゾ、うまくやって来てくれ」
 ルッタが半分ほど貯水湖に沈んだおかげで、リンクは神獣の体の外にある足場に飛び乗ることができた。
「……リンク、キミは最高だッ!」
 リンクがその曇りのない賞賛にどう答えたか、ウルフには分からない。
 神獣はゆっくりと浮上していく。リンクだけを乗せて。ただ、神獣の内部に入る寸前、彼がこちらに手を振ったことは分かった。
(ま、せいぜいがんばれよ)
 シド王子のアツすぎる声援を受けて、あのだめ勇者はやっとやる気を出してくれたみたいだった。
「ウルフ! ありがとう、キミも最高だったゾ」
 桟橋に上がってきたシドは、床に片膝をつき、まるで握手をするようにウルフの前足を握った。
「リンクが氷の破壊方法に気づいたのは、キミを見て何かを思い出したからだろう。彼をここまで連れてきてくれて、本当に感謝しているゾ!」
(そりゃ、どうも)
 ルッタの氷を砕いたのは、マップやウツシエと同じく、シーカーストーンの機能だったに違いない。ウルフはシーカーストーンによって召喚された。だからリンクは遠吠えを聞き、石版の機能を思い出したのだ。
「オレは里に戻って父上に報告しなければならない。キミはどうするんだ?」
 ウルフはしっぽをぺしんと床に打ち付けた。
「……そうか、ここで待つんだな。ではオレは、二人が帰ってくるのを里で待っているゾ!」
 王子は身を翻し、颯爽と去っていった。
(良いやつだったなあ、シド王子)
 ウルフの知り合いの王子といい、ゾーラのプリンスはいい人ばかりなのかもしれない。彼は自分のハイラルに思いを馳せるのだった。
 貯水湖の上では太陽が輝き、濡れそぼった毛皮がどんどん渇いていくのを感じる。雨の降らなくなったラネール地方は、とても過ごしやすい気候だった。
 ウルフはあくびを噛み殺しながら、ルッタを見守る。
(おっ?)
 突然、神獣が動き出した。鼻が徐々に持ち上がり、中途半端なところで止まる。ウルフが訝しんでいると、水平に近くなった鼻の上を小さな人影が走っていくのが見えた。もちろんリンクである。
(もしかして、ルッタを操作してるのか?)
 神獣が自らの意志で動いているわけではなさそうだ。どうやらリンクは鼻の先端に乗りたいらしく、何度も角度を微調整している。
 なんとか目的地にたどり着いたリンクは、一気に鼻の角度を上げる。リンクの足場はどんどん高くなっていった。それが頂点に達した時、彼はパラセールで空に飛び立った。
(おっ……やったみたいだな)
 滑空して徐々に高度を落としたリンクは、無事にルッタの頭の上に降り立つ。「やったよ」とでも言っているのか、彼はまたウルフの方へ手を振っていた。
 それからしばらく、ルッタには動きがなかった。相変わらずのぽかぽか陽気が眠気を誘う。ウルフがのんきにうつらうつらしていたら、
(な、なんだ!?)
 出し抜けに禍々しい気がルッタの中からあふれ出した。貯水湖の桟橋にまで邪気が届く。それまで窓のように開いていた神獣の体のあちこちが、全て閉ざされてしまった。
(あいつ、閉じ込められたんじゃないか……!?)
 ウルフはにわかに不安になった。しかも、この気配からすると、リンクは今ごろ神獣を暴走させていた元凶と対峙しているに違いない。
 だが彼がどれだけ焦ろうと、状況は変わらない。ひたすらに待つしかなかった。このような経験はしたことがなかった。いつもウルフは誰かを待たせ、自分の足で迎えに行く側だったのだ。
(くそっ。こっちにきてから、調子狂いっぱなしだよ)
 太陽が中天を過ぎた。長くなっていく自分の影を横目で見ながら、ウルフはじりじりと待ち続ける。
 変化はいつも唐突だった。ルッタの体から放たれる光がピンクから青色に変わった。見る者を安心させるような穏やかな色だ。そして神獣は咆哮を上げ、ずぶずぶと湖に沈み込む。
(えっ……リンクは?)
 ルッタは完全に見えなくなってしまった。どうやら水の中を潜って移動しているらしい。ウルフが桟橋から降りて追いかけると、神獣は川を下り、水を噴き上げながら岩山の上に登っていく。
 そして、まっすぐに南西の方を向いた。ゾウでいうところの口にあたる部分に赤い光が集まる。ルッタは空へと目掛けて太い光線を打ち放った。
 惚けたように神獣に見入っていたウルフは、ルッタの上に立つ人物に気がついた。薄ぼんやりとしているが、どこかで見たような緋色をしていた。彼女は小さな生き物に目を留め、微笑んだ――ようだった。
(神獣と、英傑が解放されたんだ。長かったな……)
 ところで、リンクはどこに行ったのだろうか。まさかルッタと一緒に高台まで運ばれたのか、とウルフが浮足立ったら、
「おまたせ、ウルフくん!」
 背後からいつもの声が聞こえた。
 食料やら予備の武器やらで膨らんでいた荷物は半分以下に減っている。あちこち傷だらけで、ゾーラの鎧も薄汚れていたが、リンクの顔は晴れやかだった。
「待っててくれてありがとう。ちゃんと一人で神獣解放してきたよ」
 リンクはへらへら笑いながら伸びをする。
「いや~大変だったよ。神獣の中に制御端末っていうのが散らばってて、それにシーカーストーンを使って制御を取り返していったんだけど、端末がまた変な場所にばっかりあってさ。あれは侵入者用の仕掛けなのかなあ。だから、ミファー……英傑ミファーの声に助けられながら、攻略したんだ」
 先ほど見た影は本物だった。神獣には英傑の魂が宿っていたのだ。
「それで、最後のメイン制御端末を起動させようとしたら、水のカースガノンっていう一番悪くて強いやつが出てきたんだ。おっきな光る槍を持ってて、それでばんばん突いてくるの。もう何個焼きリンゴ食べたか思い出せないよ。ミファーに弱点を教えてもらって、なんとかかんとか、やっつけたんだ」
 なめらかに喋りつつ、リンクはゾーラの里へ足を向ける。ウルフはゆっくりとその横を歩いた。
「ミファーはカースガノンにやられちゃって、魂になってから百年、ずっとルッタに閉じこめられてたんだって……。何も知らない僕なんかが助けに行ったから、落胆させたかと思った。でも来てくれて嬉しいって言ってくれたよ……。別れ際には、『ミファーの祈り』っていう加護をくれたんだ」
 初めて使命を成し遂げて興奮しているのだろう。リンクはいつになく早口だった。
 そして彼は足を止め、岩山の上の神獣を指さす。
「ルッタはあそこからハイラル城に狙いを定めてる。僕がガノンと戦う時に、援護してくれるって言ってた」
 ウルフは黙ってまばたきした。
「ごめん、べらべら喋っちゃって。でもこれで、ちょっとだけ肩の荷が下りたんだ。インパさんにも手土産ができたかな」
 リンクは「大変だった、苦労した」という割には、妙に嬉しそうだった。
(こいつ……別に俺がいなくてもやっていけるんじゃないか?)
 ウルフの胸に浮かんだのは、疑問だった。リンクが一人でちゃんとやりきったことは喜ばしいはずなのに、ほんの少しだけ、面白くない。
 まるでそんな気持ちを見越したかのように、リンクはウルフの前に出て姿勢を低くした。
「でもね、これは全部ウルフくんがいたからなんだよ!」
 輝くような笑みをこぼす。
「きみが待ってるって思ったからルッタとも戦えたし、カースガノンも撃破できた。だから――」
 何故かその顔を見ていられなくて、ウルフは里に向かって駆け出した。
「あ、ちょっと!」
 背中を追いかけてくるリンクの声は、どこか楽しげだった。



 暮れかけの日差しを浴びるゾーラの里は、雨霧に霞む姿よりも一層その美しさを際立たせていた。
「英傑リンク様、ありがとうございます!」「ドレファン王がお呼びです!」
 二人が里に到着すると同時に、ぞろぞろとゾーラが集まってきた。異口同音に王宮に誘導してくる。二人はゾーラたちを率いて、王の元に参上した。
「おおリンク、よくぞ戻った! 待っておったゾヨ。あれほど猛威をふるった豪雨が嘘のように止み、この里の危機は消え去ったゾヨ。ハイラルの大地が水没する心配はもうなくなったゾヨー!」
 玉座の間に拍手が満ちる。
「ソナタのおかげで里は救われた! 期待以上の働きをしてくれたソナタに、民を代表して心から感謝の意を示したいゾヨ」
 リンクはゾーラの輪の中心で照れくさそうに笑っている。
 ムズリがのそりと前に出てくる。
「……リンク。お前に辛く当たって、すまんかったゾラ。お前もミファー様のことを考えてくれていたのゾラな……。
 元老院の面々も、ヒレを畳んで感謝しておるゾラ。ワシら老人の多くは、ハイリア人を誤解していたのかもしれぬ。虫のいい話だが、もし許してくれるならば、こんなに嬉しいことはないゾラ」
 リンクはぶんぶん首を横に振った。
「許すも何も。僕がミファーのことを全然覚えていなかったのは事実です。でもこれからは、里にやってきたハイリア人を是非歓迎してあげてください」
 ムズリは感激に耐えないように、深々と頭を下げた。
 ドレファン王は満面の笑みを浮かべる。
「リンク! ソナタには礼を渡さねばならぬゾヨ」
「え、お礼なんてそんな」
 謙遜する勇者へ、シド王子が一本の槍を差し出した。彼がダルブル橋で使っていた銀の槍を想起させる――だがさらに華麗で瀟洒なつくりだった。
「さあ受け取ってくれリンク。これは光鱗の槍。ミファー姉さんがずっと愛用していた形見のようなものだゾ」
「友好の証として、ソナタに持っていてほしい。そしてどうか、いつまでも大切に……」
 リンクはゾーラの鎧を受け取った時と違い、しっかりとうなずいた。そのまま槍を背負う。
 ゾーラの鎧に光鱗の槍――見事なミファー装備だ。神獣の肩の上で、ミファーの魂も喜んでいるだろう。その姿をじっくり眺め、ふと気づいたようにドレファン王が口を開いた。
「そういえばリンク、ソナタは退魔の剣を持っておらぬが……かつての記憶と共に、剣もなくしたゾヨか?」
「退魔の剣、ですか?」
 ウルフは大きく目を見開く。
(マスターソード! やっぱりどこかにあるんだ!)
 希望がぽっと胸に灯った。夢の中で百年前のリンクが持っていた剣は、真にマスターソードであったのだ。
(そうだよ。あの剣さえ見つければ、もうこんなやつに頼らなくていいんだ)
 彼は以前、呪いによってオオカミの姿を強制されたことがあった。その時はあの退魔の剣に触れることで、元の姿に戻ったのだ。
 ハイリア人の姿にさえ戻れたら、リンクにいちいち「敵じゃない」と説明してもらう必要もなくなる。自分で好きに行動して、元のハイラルに帰るすべを探すことができる――何故かずきりと痛む心に、ウルフは無理やり知らないふりを決め込んだ。
 ドレファンは「退魔の剣」にピンときていない様子のリンクへ、
「むぅ、やはり忘れておったかゾヨ。あれは、英傑のリーダーであるソナタにしか扱えぬ剣。きっとこのハイラルのどこかで主が来るのを待っているに違いないゾヨ」
「分かりました。探してみます」
(どこにあるのかな。やっぱり迷いの森の奥か?)
 ウルフはその情報をしっかりと胸に刻みつけた。
 ドレファン王は大きく首肯した。
「リンク。今回のソナタの働きには、ゾーラ一同心から感謝するゾヨ! ……そして、シド」
 唐突に息子へ視線を移動させた。シド王子ははっとして居住まいを正す。
「お前がリンクと共に神獣と戦ったこと……父親として誇りに思うゾヨ。知らぬ間にそんなにたくましくなりおって。もうワシの跡取りとして申し分ないゾヨ!」
「ち、父上……!」感極まったのか、シド王子は表情を隠すようにうつむいた。
「豪雨も止み、神獣も戻った。なんとめでたいゾヨ!」
 ドレファンはジャブフフフッと大笑する。
 シド王子はリンクの前に進み出た。貯水湖でウルフにしたように、勇者の右手を取ってしっかり握る。
「リンク、本当にありがとう! キミには感謝してもしきれないゾ」
「いえ、そんな」
「壊滅する運命だった我らが里を、キミは救ってくれた! さあ最上級の感謝を贈るゾ!」
 シド王子は勢いよく両手を上下させる。
「ゾッ! ゾッ! ゾッ! 最高だゾッ!」
 そして背筋を伸ばした王子はリンクから離れ、片手を胸に当てる。ゾーラたちの歓声が王宮中にこだました。
 リンクはほおを上気させ、笑顔でそれに応えていた。
(これで一件落着、か)
 ゾーラ川道中の戦闘にはじまり、電気の矢集め、ライネルとの戦い、神獣攻略。やっと一段落ついたわけだ。
 だが安堵するウルフと違い、まだ「終わっていない」と感じる者がいた。
「リンク……ソナタに聞きたいことがあるゾヨ」
 ドレファン王はリンクに王宮に残るように命じると、人払いをした。
(ああ、あの話をするのか)
 察しの悪いリンクは不思議そうな顔で王を見上げる。
「水の神獣ヴァ・ルッタの中からソナタは生還した。じゃがミファーは戻ってこなかった……これはやはり、あれか。もう手遅れだったということか?」
 リンクは息を呑む。彼には、英傑ミファーの最期をその父に伝える義務があった。
 彼は震える唇で、
「ミファーの魂と、会いました」
 とだけ言葉を紡いだ。
「……そうか。それでミファーは……娘は何か言っておったゾヨか?」
 リンクは切れ切れに、思い出せる限りのことを伝えた。ミファーはカースガノンに負けて魂となって以来、毎日泣いていたこと。リンクのおかげで神獣の制御を取り戻し、ハイラルのために最後の力を使うと決めたこと。
 ドレファンは腕を持ち上げ、顔を覆った。
「そうか、ミファー……なんということ。ワシは何もしてやることができなかったゾヨ……。じゃが、ミファーは英傑の使命を果たしたのだ。それなら、それを見守ってやるのも父親の務めだったと思うべきか……」
 リンクは唇を噛む。かける言葉が見つからないらしい。
「リンク……あれはソナタのことが大好きだった。今もきっと、ソナタの助けができて喜んでおるに違いないゾヨ」
「そうだといいのですが……」
「どうかソナタも、ミファーのことを忘れないでやってほしい」
「はい。ミファーとは、いつも一緒ですから」
 リンクは胸のあたりに握ったこぶしをあてる。英傑の加護がそこに宿っているのだろう。
「む、そう言ってもらえるとは! 本当にありがたいゾヨ。リンク、何かに困ったらいつでもこの里に来るがよい。どんな時でも一族全員で歓迎するゾヨ!」
「分かりました。それでは――」
 リンクは湿っぽさに耐えられないのか、すぐにきびすを返す。
 その背中に「ありがとう……」という弱々しい声がかけられた。彼は振り返らずに退出した。
 王宮の外では、父親とは対象的に明るい顔をしたシド王子が待ち構えていた。
「リンク! 今時間はあるか?」
「え、ええ……」
 テンションの切り替えができずに戸惑っているリンクへ、シドは微笑みかける。
「どうしてももう一度、きちんと礼を言いたくてな。元老院の爺様方の反対を押し切ってでもハイリア人のキミに手伝ってもらって、本当に良かったと思っているゾ。魔物の増えた道を通って里まで来てくれたこと、共にルッタと戦ってくれたこと、ミファー姉さんの無念を晴らしてくれたこと――キミには感謝してもしきれないゾ! こんな強引なオレに最後までついてきてくれて、本当にありがとう!」
(あ、強引って自覚してたんだ)
 意外な気がした。もしかすると、本来はここまで強引な性格ではなかったのかもしれない。やはりシド王子も切羽詰まっていたのだろう。
「キミがいなければ今のゾーラの里はなかった。これからも何かあったらこの里に立ち寄ってくれ! オレたちはいつでもキミの手助けをするゾ」
 シド王子はドレファン王とそっくり同じ提案をしてくれる。「どうもありがとう」とリンクははにかんだ。
「ああ、最高だゾッ! リンク、キミは最高のハイリア人、そしてオレの最高の友――相棒だ!」
 その台詞を聞いて、リンクは一瞬目を丸くし、次いで太陽のように輝く笑みを浮かべた。
「ごめんなさいシド王子。僕の相棒はもう決まってるんです。ね、ウルフくん!」
 リンクは空色の瞳を細めてウルフを見つめた。シドもつられて目線を落とす。
(お……俺?)
 そう、リンクは「ウルフこそが相棒だ」と言い放ったのだ。それでもシド王子は胸を張る。
「それはそうだ、ウルフは間違いなくキミの相棒だろう。だがオレだって負けていないぞ!」
「だめです、一番はウルフくんです!」
 リンクはシドの主張を笑ってかわしている。
「相棒」という響きは、ウルフの記憶を強烈に刺激していた。
(俺にだって、相棒がいた。そうだ、大切な相棒が……)
 ハイラルを救う旅の中で、ウルフは常にその人と共にあった。そして旅の終わりに別れたのだ。
 黄昏色の空を背景に、くっきりと浮かび上がる黒いシルエット。切れ長の瞳は一見すると冷たいが、その奥は故郷への思いで熱く燃えている。
 相棒として、ウルフはその人とたくさんの記憶を共有した。それなのに。
(なのに、どうして、顔も名前も思い出せないんだ――!?)
 和やかな会話の中心に立ちながら、ウルフは奈落に落ちていくような感覚を味わっていた。

inserted by FC2 system