第二章 イチから、ゼロから



「この近くで馬を探すなら、西のキタッカレ平原のあたりがいいよ。いつも三頭くらいは群れてるから」
「ありがとうございます!」
 野生馬を探している、この近くに生息地はないのか、とヒガッカレ馬宿で尋ねると、馬宿の主人は快く教えてくれた。リンクは名物というヒガッカレまんじゅうをほおばりながら、テントの外に出た。
 マッツに言われてその気になったのか、馬を捕まえようというのだ。
 さっそく出かける。平原と言いつつ下り坂になっていた。このハイラルにはあまり平坦な土地というものがない。起伏の多いその地形こそが、生物や植物の豊かさにつながっているのかもしれなかった。今もトンボやチョウチョが飛び、キツネが野を駆け巡っている。
 真っ黒なマップの上に印だけつけながら、リンクは平原をのんびりと歩いた。ほどなくしてターゲットは見つかった。ちょうど三頭――青っぽい毛色の馬、茶色いぶち模様の馬、真っ黒の毛を持つ馬がいる。
「どれがいいのかなあ。単色馬は気性が荒いらしいから、ぶち模様にしようかな」
 しかし、平原ということは遮蔽物がないということだ。試しに背後からゆっくり近づいても、すぐにばれてしまう。一度は後ろ足で蹴られかけた。ウルフはあの馬特有の攻撃がとんでもない威力を持つことを知っていたので、かなりひやひやした。
 だからといって開き直って全力で追いかけても、当然逃げられる。
「ええーなんでだよー!」
(完全に警戒されたなあ)
 馬は遠く離れた場所に立ち止まり、こちらの様子をうかがっていた。こうなっては高所からパラセールで飛んで直接乗り込むくらいの曲芸をしないと、捕まえるのは無理だろう。リンクは諦めてその場に座り込み、
「何か使える機能とかないかな……」
 シーカーストーンをいじりはじめた。
「バクダンで動きを止める――のは、効果がありすぎるか。マグネキャッチで何かを移動させて道を塞ぐ? 金属製のものなんて近くにないよなあ」
 彼は目に力を込めて石版を眺めていたが、やがてそれすら手元から放り出し、仰向けに草原に倒れこむ。
「ねむ……」
 とつぶやきながら目を閉じた。
 ウルフがついているとはいえ、ここは馬宿などと違っていつ魔物に襲われてもおかしくない場所だ。アッカレ地方は過ごしやすい気候で、どこでも眠気を誘われるのだが、いくらなんでも無防備すぎはしないか。
(のんきに眠りやがって)
 足蹴にしてやろうとリンクに近寄って、ふと、ウルフはシーカーストーンが草の上に落ちたままであることに気づいた。不用心にもほどがある。
(俺が帰るための手がかりなんだから、大事にしろよ!)
 試しに前足で触れると、表面に青い文字が表示された。
(うわ、俺が触っても動くのか)
 そういえばプルア博士も操っていた。完全に勇者専用というわけではないらしい。
 青く輝くシーカーストーンを眺め、ウルフはあることを閃く。
(そうだ、ウツシエだっけ、あれで俺の情報を見てたよな。もしかして――)
 ずっと気になっていたことがある。プルア博士とリンクが「読めない」と言った文字は、もしかするとウルフの知るハイラルで使われていた文字かもしれない。これまでシーカーストーンはリンクが肌身離さず――それこそパンツ一丁で寝る時まで身につけていたので、確かめる機会がなかったのだ。
 ウルフはかすかに興奮しながら、爪で表面を傷つけないようにそうっと板を触る。
(くそ、肝心の文字が読めないから、どこに俺の情報があるのか分からん……)
 何度か画面を切り替えて、「これか」と見当をつけた部分に触れる。
 出し抜けに、目の前に金色の光があふれた。
(な、なんだ!?)
 光の向こうから馬のいななきが聞こえる。それは、何故かよく知っている声だった。
 視界が正常に戻った時、そこに棹立ちになっていたのは――
(嘘、だろ)
 ウルフがハイリア人だった頃、愛馬と呼んで旅を共にした、もうひとりの相棒。
(エポナ!)
 ウルフは駆け寄った。なめらかな栗毛を持つ優しい彼女は、不思議そうにオオカミを見下ろす。決して幻などではない。
(――リンク?)
 その名で呼ばれるのはいつ以来だろう。ウルフはうっかり涙ぐみそうになった。
(ゆ、夢じゃないよな。本当に、俺のエポナだ!)
 エポナは、ウルフがはしゃいでしっぽを振る理由が分からず、困惑したように頭を振る。
 そして、自分の足元で太平楽に船を漕いでいる男を見つけた。
(リンクが二人……?)
(ちげえよ、何で俺がそいつと一緒なんだ! いや、確かにどっちもリンクだけど……)
 金髪というくらいしか共通点がないはずなのに。それに俺の方が背が高いだろ、とウルフは確信している。
 エポナはウルフにそっと顔を寄せる。
(リンク。どうしてまたその姿をしているの。早く本当のあなたに戻って)
(うう……俺だって戻りたいけど戻れないんだ。ここは、俺たちが旅をしたハイラルじゃない。俺たち二人とも、そこで寝てるこっちの勇者に呼ばれて、こいつの手助けをすることを期待されてるんだよ)
 実際にエポナを呼び出したのはウルフだったが、そこは黙っておいた。
(この人も、勇者なの?)
(ああ。荷物持ちの馬を捕まえようとして失敗して、ふて寝してる)
 そう告げると、エポナは仰向けに寝転がるリンクに頭を近づけて、ふっと息を吹いた。
「んっ……え、わあああ!? 馬だぁっ」
 面白いほど大袈裟な反応を示したリンクは、文字通り飛び起きた。そしてじっとしているエポナと目を合わせる。
「き、きみ、一体いつから……」
 反射的にリンクは腰に手をやるが、そこに何もないことに気づく。すぐそばに落ちていたシーカーストーンを拾い上げた。
(エポナ? どうするつもりだよ)
 ウルフの問いかけに、エポナは答えない。
 シーカーストーンを操作して、リンクは首をかしげた。
「あれ……ショウカンになってる。起動させた覚えなんてないのに」
 それからリンクはエポナに目線をやり、合点がいったようにうなずいた。そして、おとなしくしている彼女にそろりそろりと近寄る。
「もしかして、きみもショウカンで来てくれたの? ってことはウルフくんの知り合いとか……?」
 こういう時だけ妙に察しがいいものだ。ウルフは大きく首肯してやる。リンクは表情をぱっと明るくした。
「そうなんだ! 良かったねウルフくん。
 ねえ、もし良ければきみも僕と一緒に来ない? その、あんまりいい待遇じゃないかもしれないけど……友達もいるんだし、帰る方法も探してあげられるかもしれないから」
(おい待て。お前俺の時に『帰る方法云々』って言ったことあるか?)
 たぶんない。それこそなんという待遇の差だ。
 エポナはいなないて前足を上げ、また棹立ちになった。
(よろしくね、リンク)
 それに、エポナが自分以外にそう呼びかけるのが、ウルフはどうしても面白くない。
「やった、馬ゲット! さっそく馬宿で登録しなくちゃ」
 リンクはそこで「あっ」と口を開き、
「どうやって馬宿まで連れていけばいいんだろう……?」
 エポナはくらも手綱もつけていない状態だった。困ったリンクが身振り手振りで促すと、エポナは彼の後ろについて歩いた。
「かしこいね。野生馬じゃないみたいだし、きっといい人に育てられたんだ」
 間接的にウルフは褒められたわけだが、ちっとも嬉しくなかった。
(エポナ~、本当にいいのかよ。こいつと一緒にいてもまずい飯しか食えないぞ)
 エポナはまっすぐに前を向きながら、
(いい。どんな場所でも、私はあなたと一緒がいい)
 ウルフはまた感涙しかけた。
「二人で何のお話ししてるのかな?」蚊帳の外のリンクは、妙に上機嫌だった。
 さっそくヒガッカレ馬宿に帰り、馬の登録手続きをする。
 ウルフと違い、エポナの姿は馬宿の全ての人に見えるようだった。一体どういう違いがあるのだろうか。まあ、透明な馬にまたがる変人が目撃されるよりは百倍マシだが。
「では登録料とくら、手綱の代金で二十ルピーいただきます」
「はーい」
 リンクが素直に赤ルピーを支払うと、馬宿の主人は(ウルフにとって)とんでもないことを言い放った。
「それでは所有馬となるこの子に名前をつけていただけますか」
「名前……?」
(ちょっと待て。エポナにエポナ以外の名前をつける気か!?)
 だが、ウルフにはエポナの本当の名を教える手段がなかった。彼は自分の名前はどう勘違いされても構わないが、愛馬におかしな名前をつけられることだけはどうしても我慢ならなかった。
(変な名前にしたら噛みつくぞ……!)
 と覚悟を決めて、リンクにきつい視線を送る。
 馬宿の主人はエポナをしげしげと見つめ、突然雷に打たれたように背筋を伸ばした。
「ちょっと待ってください……それは伝説の馬、エポナでは?」
「伝説の、馬?」
(え、いつの間に伝説になってたんだよ!)
「一万年前、勇者とともにハイラルを駆けたという馬ですよ。このような濃い栗毛の馬は、もう存在しないはずなのです。
 いやあ、驚いた。エポナの子孫がいたんでしょうかね。さすがにこの子にエポナ以外の名前をつけるわけにはいきません。馬好きが見たら一発で分かりますから」
「は、はあ。じゃあ、名前はエポナ? でお願いします」
 なんだか分からないが、ウルフの望む通りの展開になった。エポナは心なしか嬉しそうに首を伸ばしていた。
 これで登録作業は済んだ。馬宿の従業員によって、エポナに手綱とくらが取り付けられる。
(エポナが、俺以外の馬になるなんて……)
 ウルフは幼い頃からずっと彼女と一緒だった。自分以外がその主人になるのは、なかなか受け入れ難いことだ。
 エポナはリンクに首をなでられて目を細めながら、
(気にしないで。きっとこのリンクも、悪い人じゃない)
(そうかもしれないけど、俺は割り切れないんだよ!)
 リンクはさっそく、くらに荷物をくくりつけていた。
「おー、肩が軽い! いっぱい載る~!」
(まさか、本気で荷物持ちに使う気じゃ……。俺のエポナをなめんなよ、城勤めのアッシュにも、得難い駿馬だって絶賛されたのに!)
 先ほどと考えが真逆であることにウルフは気づいていたが、訂正するつもりはない。
 リンクは小声でエポナに話しかけた。
「せっかく来てもらって悪いんだけど、僕はできるだけ自分の足で歩きたいんだ。ウルフくんと一緒に。だからきみに乗って街道を走ることはほとんどないかもしれない。……それでもいいかな?」
 固唾を飲んで見守るウルフの前で、エポナは「構わない」と一声いなないた。
「ありがとう!」
(本当にいいのか、エポナ……)
 だが、ウルフとまともに会話のできる旅の仲間が増えたことは、純粋に喜ぶべきであった。
「馬に乗る練習だけはしておきたいなあ。ちょっと、さっきの平原で付き合ってくれる?」
 というわけで、リンクは再びキタッカレ平原に舞い戻り、乗馬の練習をすることにした。
 道すがら、ウルフはエポナに話しかける。
(なあ、実は俺、ここに来る直前のことを全然覚えてないんだ。お前と一緒にガノンを倒してハイラルに平和を取り戻したことまでは、はっきりしてるんだけど。もしかして、エポナは何か知らないか?)
 エポナは大きな黒い瞳を瞬く。
(私は、リンクとまた会えただけで嬉しい)
(……?)
 それが答えなのだろうか。また会えただけで、ということは――
(も、もしかして俺ってやっぱり向こうじゃ行方不明扱いなの? お前にも心配かけまくったとか?)
 エポナは何故か答えてくれなかった。言葉が通じて会話はできても、やはり相手は馬だ。思考体系が根本から違うのか、うまく意思疎通できない時もある。その点はリンク相手の方がコミュニケーションが成立するのだから、仕方ないといえど悔しい点だ。
(こりゃあいよいよ、早く向こうに戻らないと……)
 こちらのハイラルの行く末が全く気にならない、と言えば嘘になる。だが、ウルフには自分の生活があるのだ。それをおろそかにしてまで、勇者の手伝いをするのはどうなのだろう、と思ってしまう。
(エポナ、俺はこっちじゃウルフって名前で呼ばれてるんだ。お前がリンクって言ってくれたのはめちゃくちゃ嬉しかったけど、ややこしいからこっちのハイラルではウルフにしてくれ)
(分かった)
 ちょうどいい平地にたどり着いたリンクは、エポナの背を優しくなでる。
「よーし、この辺で練習だ!」
 彼は鎧に片足を乗せ、ひょいと体を持ち上げてくらにまたがる。
(記憶喪失の割に、こういう動作はできるのか)
 つまり、記憶を失う前は乗馬に慣れていたのだろう。片手剣だけでなく槍や大剣、ナイフのように明らかに扱いの違う武器も、リンクは一通り使いこなしていた。百年前の彼はクロチェリー平原での凄まじい戦いっぷりからも分かるように、相当な手練だったはずだ。この先、リンクの記憶と技能が復活することはあるのだろうか。
「軽く歩かせて駈歩、拍車をかけて襲歩……!」
 ウルフは走り回る馬を追いかけるのも億劫になり、地面に座って練習を眺めるだけにした。平原だから魔物が来てもどうとでも対処できる、と思っていた。
 だが、こういう時に限って厄介な邪魔者が現れるのだ。
(あれは……!?)
 坂の向こうから、イノシシに乗った赤と青のボコブリンの軍団が出現した。鉢合わせしたリンクに鬨の声を上げ、容赦なく矢を浴びせる。
「ひええ~っ」
 リンクはエポナをめちゃめちゃに走らせて逃げ回る。
(お前も弓で対抗しろよ!)
「なんで馬に乗りながら矢を打てるんだよ~!」
 ……やはり、初心者だった。リンクは手綱から手を離すことすらおぼつかないようだ。だがウルフが加勢しようにも、機動性の高い遠距離攻撃持ちなど相性が悪すぎる。
(エポナ、うまく逃げてくれ……!)
 ウルフが遠吠えすると、エポナは「分かった」と言うようにヒヒンと鳴いた。
「え、エポナ!?」
 馬は主人の命令を無視して猛スピードで足を回転させた。リンクは必死に背中にしがみつく。
(リンクが乗るより、自分で動いた方が生き生きしてるな)
 エポナは魔物たちをぶっちぎって坂を下りていく。追いつけず、やがてボコブリンたちは諦めたようだった。
 ウルフは魔物の視界に入らないよう慎重に回り込み、エポナの後を追った。センスを研ぎ澄ませて愛馬のにおいをたどればすぐだった。
 地面を覆うやわらかな草は、いつしか冷たい表面を持つ石となった。
「エポナ、大丈夫だった? さっきはありがとう」
 リンクはエポナから降り、持っていたリンゴをねぎらいの証として食べさせている。追いかけてきたウルフに気づき、
「ああ、ウルフくんも来てくれたんだ。はいおやつ」
 別のリンゴを渡した。ウルフはありがたくいただいた。
「それにしてもここ、何だろうね?」
 草原からは一段降りたところにある。石に囲まれた、人の手による空間だ。
 ふとウルフの耳がせせらぎの音を拾った。奥に向かう。すると、神聖な雰囲気を醸す泉があった。崖の上からこんこんと流れる滝が水源らしい。
(精霊の泉か……? でもなんか人工的だなあ)
 泉の中心には例の女神像が据えられていた。リンクがエポナを連れて歩いてくる。
「女神ハイリアの像だ。なんだろ……」
 リンクは泉に近づこうとして景色を見回し、不意に立ち止まった。
「ここ、もしかして!」
 シーカーストーンを取り出し表面を覗き込む。
「そうだよ、間違いない。ここに僕の記憶の手がかりがあるんだ……」
 リンクは石版に表示された絵をウルフに見せた。「写し絵」という景色を切り取る機能によるものだ。泉も女神像も、確かにここと同じ風景に見える。リンクはきょろきょろしてから、女神像の真正面に立った。
「このあたりかな。あっ……」
 リンクは大きく目を見開いたまま、静止する。ゾーラの里でミファーの記憶を取り戻した時と同じだった。
(どんな記憶を思い出してるんだ?)
 やがて、リンクは水面から顔を出した時のように荒い呼吸をする。
「はあ、はあ……今のは……うーん」
 彼は首をかしげていた。そして脳内を整理するために、ウルフとエポナに向かって話しはじめる。
「今見たのは、百年前にあった出来事だと思う。夜に、この泉で沐浴してる女の人がいたんだ。たまに聞こえてくるのと同じ声だったから、あれがゼルダ姫だと思う。でも、なんか……怒ってた。僕に対してじゃないけど、そばにいた僕に叫んでた。で、僕は反論も助言もしないで黙って聞いてた」
(それってやつあたりか……?)
「昔の僕ってゼルダ姫の近衛騎士だったんだよね。だからああやって話を聞いてたのかなあ」
(近衛騎士だからって、愚痴なんて聞くもんかなあ)
 ウルフはこの件に関しては完全に部外者であるが、もっと他に愚痴を言うべき人がいたのではないか、と思ってしまう。例えばインパとか。
「……ゼルダ姫って、難しい人だったのかなあ」
 リンクは少し期待はずれのような表情を浮かべていたが、すぐに切り替える。
「よし、そろそろ馬宿に戻ろうか。アッカレ古代研究所にも行かないといけないし、ね」
 今度はエポナに乗らず、手綱を引いて隣を歩いて行く。
 こうして乗馬の練習は、ほとんど練習にならないまま終わったのだった。



「あ、見えてきたよ、アッカレ古代研究所!」
 最果ての地方のさらに北端にある研究所は、小高い岬の上に建っていた。大きな風車の回る、壊れかけの煉瓦の家という風情だ。おそらく元は灯台だったのだろうが、改造されてよく分からない建造物と化している。入口の上にあるカエルのような置物は、ハテノ古代研究所と同じものだ。
「勇導炉もある。火が入ってないけど……」
 そういえばハテノ村でも見かけた炉が入口のそばにあった。青い炎は灯っていない。
「またあれをやるのかあ」
 盛大にため息をついたリンクは、エポナに「ここで待ってて」と言い、ウルフだけを伴って研究所に入った。
「ごめんくださーい」
 円形の部屋の中心には、一本の大きな柱が立っている。そのたもとに、古代エネルギーの証である青い光をまとった人形があった。
 大きさはリンクの背の半分くらい。線のように目が細く、耳には大ぶりの輪っか――イヤリングかもしれない――がついている。全体的に、人を縦に潰したような形をしていた。
「なんだろこれ?」
 リンクが手を伸ばすと、
「……オ……スカ」
 いきなり置物が喋った。ぎょっとして飛びのくリンク。
「な、なに?」
「……ンデ……ス」
(壊れてるのか?)
 もっとよく調べようとリンクが近づいた時、開け放った扉の向こうで、外にいるエポナが警告を発した。
(ウルフ、誰か来た)
 心の準備をする間もなく、すぐに玄関に人影が立った。二人は振り向き、気まずさで固まる。
「ヘイ、ユー……ここで何をしている?」「泥棒さんデスカー?」
 シーカー族らしき背の低い老人と、同じくシーカー族の民族衣装を来た妙齢の女性だ。老人の頭頂部は禿げ上がっているが、側面から生える豊かな髪を流線型に後方へと流している。さらには外から瞳の見えない変なメガネをかけていた。
 女性は本を小脇に抱え、銀髪を頭のてっぺんで団子に結っている。彼女はウルフに目をとめ、
「ここはペット禁止ですよー?」
(な、お、俺をペットだとぉ……!?)
 しかも、よりにもよってこのリンクの! 
 足元のウルフが怒気をはらんだことに気づいたのだろう、リンクは慌てて訂正した。
「か、彼はペットじゃありませんっ」
「それじゃあ野生?」
 相棒だと言いかけたリンクへ、老人の方がメガネをかけなおしてぐっと詰め寄る。
「ん? んん~!? ユーはまさか、リンク?」
「あ、はい、そうです」
 もしかして、この老人も百歳を超えたシーカー族の生き残りなのだろうか。
 老人は興奮を抑え、首を横に振る。
「ユーが本物のリンクなら、話さねばならんことがあるんじゃが……。さて、どうやったらユーが本物のリンクであることを証明できるかの?」
「えっと……このシーカーストーンじゃだめですか」
 老人はリンクの視線から逃れるように、天井に向かって話す。
「百年前にできた体の傷でも見れば、本物のリンクかどうか分かるんじゃがのゥ」
「え。ええぇ~……」
 まさか、ここで脱げと言うのか。リンクは気まずそうに女性の方へ目線をさまよわせた。
「あ、私はあっち向いてますマスねー」
 察しのいい女性は体ごと壁に向き直った。
「それじゃあ」と、リンクは仕方なしにハイリアの服を脱ぎ、老人に背中を見せた。
 怪我の跡をまじまじと観察するのはウルフも初めてだった。たくさんの白い線や、皮膚の引き攣れがある。もちろん治っているけれど、過去に受けた傷の深さは想像するだに凄まじい。
(本当に、瀕死の大怪我だったんだな……)
 老人は大きくうなずく。
「ジャスト、ユーの体の無数の傷跡――覚えておるぞ。ほとんど塞がっとるが、百年前ユーが厄災で受けた傷と一致しておるな」
 この老人は、死にかけたリンクの姿も見ているらしい。今、よみがえった勇者と会話するのはどんな気持ちだろう。
「あの、もう服着てもいいですか」「オーケイ」
 リンクは許可を得て頭から服をかぶった。
「フム。ユーをリアリィ、本物のリンクと認めよう。それではあらためて――」
 老人は腰に両手を当てる。
「ミーはガーディアン研究の第一人者にしてこのアッカレ古代研究所の所長……」うつむいて足踏みをし、「ドクトール・ロベリー!」右手の人差し指を勢いよく天井に向ける。
(また決めポーズ好きの男か)
 シド王子もロベリーもサクラダ工務店も、何故こっちのハイラルの男は決めポーズが好きなのか。
「それにしてもリンク、よく一人でこんなヘンピな場所まで来られたのゥ」
「一人じゃないですよ」
 とウルフを指す。その後玄関の方へ目をやったのは、エポナも仲間だと言いたいのだろう。
「それもそうじゃが、プルアのばあさんに会って、彼女の力を借りたんじゃろ?」
「ああ……プルア博士はおばあさんじゃなくて、子どもですよ」
「ハハン? プルアに子どもができた?」
「そうじゃなくて、若返ったんです。自分でつくったシーカーストーンの機能……アンチエイジとかいうのを使って」
(あれは自分で若返ったのか)
 と納得するウルフの前で、ロベリーは飛び上がらんばかりに驚いた。
「何!? リアリィ? マジ?」
「マジですよ。知らなかったんですか」
「フムムム……つまり、まだあのハチャメチャが続くんか。まあ、彼女の助手でなく、自分で試しただけマシというものじゃ」ロベリーは嘆く。
「ははは……」
 リンクは乾いた笑いを漏らした。ロベリーはゴホンと咳ばらいをし、話題を変える。
「ユーはあの厄災が再び力を盛り返してるのは知ってる?」
「もちろん」
「フム……それならウィらの経緯を話さんでいいかの?」
「いえ、彼にも聞かせたいので、お願いします」
 どうやらウルフに教えてくれるらしい。プルアから大体の事情は聞いていたが、このあたりできちんと話を整理するのも悪くない。
「あい分かった。ウィらシーカー族研究者の目的――それは、時を超え復活する厄災を完全に世の中から消し去ること。アンド、特に今回は、厄災に捕らわれておるゼルダ様もお救いせねばならん」
「はい」
「ウィらの研究は完成にこぎつけたが、厄災を倒すには歳を取りすぎた……バアット、幸いなことにウィらが生きている間にユーが目覚めてくれた。時は満ちた! 今こそシーカー族と力を合わせ、厄災を討つのじゃ!」
「おー!」
 軽いノリだが、リンクは一応やる気になっているらしい。ウルフは喜ぶべきなのだろうか。
「そんなわけで……前置きが長くなったが、ミーからは古代兵装を提供しようと思う」
「古代兵装?」
 リンクは目をきらきらさせた。古代兵装、なんとも強そうな言葉の響きだった。ウルフも少し心が躍る。
「古代兵装ちぅのは、シーカー族が開発した、古の力をまとった装備品じゃ。古代兵装のつくり方は簡単。ガーディアンが落とす古代素材――とルピーを、このチェリーちゃ……シーカーレンジに放り込むだけ」
 ロベリーは愛しいものを扱うようにシーカーレンジと呼ばれた置物をなでた。その瞬間、本棚をあさっていた女性からものすごく冷たい視線を感じ、ウルフはおののく。ロベリーもはっとして口をつぐんだが、リンクだけは気づかない。
 シーカーレンジは途切れ途切れに言葉を発していた。
「壊れてますね」
 ロベリーは頭を抱える。
「ハァ……また古代炉から青い炎持ってこなきゃだわ」
「ああ、やっぱりこれも炎で動くんですか。このあたりでは、どこにあるんですか」
「おお行ってくれるのか? ここから西のコーヨウ台地にあるんじゃが……くわしい場所は彼女に聞いてくれ」
 と言って女性を示す。リンクは首をかしげ、小声でロベリーに尋ねる。
「あのー、さっきから言ってるチェリーちゃんって、なんですか」
「チェリーちゃん……いやシーカーレンジは、古代兵装をつくるためにミーがつくった機械じゃ。なかなか可愛いじゃろ? ミーの初恋の子の名前なんじゃが、彼女には不評での……」
(そりゃそうだろ)
 とウルフは思う。機械に初恋の人の名前をつけて可愛がる研究者なんて見たくない。
「ジェリン、リンクを古代炉に案内してやってくれ」
 呼びかけられた女性はくるりと振り返り、
「ハーイ、了解デス! ア~ンド……チェッキー!」
 腰をひねりながら、中指と薬指を折った右手を顔の前にかざす。可愛い仕草なのかは、ウルフにはいまいち分からない。
「ハテノ古代研究所の所長の真似してみたんデスケド……初対面にしては飛ばしすぎって感じデスカ?」
「いえ。プルア博士もそんな感じだったので」
 リンクは笑顔で答えたが、決して褒めているわけではないだろう。どうやらこのハイラルでは、女性においても決めポーズの文化が浸透しているようだ。
「リンクさん、なかなかのフレンドリーで良かった! で、古代炉デスよね? マップはありマスか」
「ごめんなさい、まだここのシーカータワーを解放してなくて……」
「それならこの地図デスネ」
 ジェリンは本棚から埃をかぶった紙を取り出す。アッカレ地方の地図のようだ。大きく広げて、ある地点を指さした。
「今いるのはこのあたり。そして青い炎は、西のベニバ湖を越えた、コーヨウ台地のてっぺんにありマスヨ!」
「なるほど、ありがとうございます。ところで、あなたはロベリー博士の娘さんなんですか」
 地図をリンクに渡して、ジェリンはにこりと笑う。
「いいえ。ロベリーと私は半世紀以上離れた年の差婚……ぶっちゃけ旦那サン、デスヨネ」
「え、ご夫婦だったんですか!?」
「ハーイ、お間違えなく! つまりは夫婦でアッカレ古代研究所を切り盛りしてるとこデス。こう見えて息子もいるんですヨ?」
「息子さんまで……」(マジかよ……)
 もしウルフが喋れたのなら、そのあたりの事情を根掘り葉掘り聞き出していたところだ。
「私たちの息子、名前はグラネット言います。もしかして、道中見マシタ?」
「いえ、会ってませんが」
「デスカー……。見かけたら、仲良くしてあげてクダサイね」
 うなずいたリンクは地図を畳んで、ロベリーに向き直る。
「これから青い炎を取ってこようと思います。それで、僕がコーヨウ台地に行っている間に、調べてほしいことがあるんです」
 そう前置きして、リンクはプルアから預かっていた手紙を取り出す。
「くわしい事情はそこに書いてあるはずです。このオオカミ――ウルフくんって言うんですけど、彼についての情報がシーカーストーンの中にあります。でもハイラル図鑑はプルア博士にも読めない文字で書かれていました。その文字をロベリー博士に解読してほしいんです」
 該当の画面を見せながら、リンクは説明した。
「フム、プルアの頼み――これを聞けば、彼女に貸しができるな」
 ロベリーはにやにやしながらさっと手紙に目を走らせて、眉を微妙な角度に持ち上げた。
「ほうほう。分かった、やってみよう。その間、シーカーストーンは借りるぞ」
「お願いします。じゃあウルフくん、ちょっと行ってくるね」
(まあ、火を取ってくるだけなら一人でできるよな……)
 ウルフは少々不安な心地で見送る。研究所のたいまつを借り、リンクはエポナに乗って駆けていった。
 扉が閉じてから、ロベリーはウルフをじっと見つめる。
(こいつは俺を見ても反応が薄いな)
 もしかすると、リンクが手紙を届ける前に、別ルートでプルアから話を聞いていたのかもしれない。
「ヘイ、ユー。ウルフといったな。シーカーストーンで別の世界から召喚されてきた、と手紙にあったぞ。ワシは異世界云々に関しては門外漢じゃが、バァット、その身に満ちた古代エネルギーの力は理解できる」
(古代エネルギーが、俺の体に……?)
 そんなものなど感じたことがない。召喚の際のエネルギーの残滓だろうか。
「うむ、おそらくユーは元の世界に戻りたいじゃろう。じゃがそれは、ハイラルがリンクによって救われてからの話じゃ」
(は?)
 なんだか雲行きが怪しくなってきた。メガネの奥でロベリーの目が光った気がする。
「プルアはユーの存在を、勇者を動かすために使うことにしたらしい」
(……? なんだよそれ)
「ユーがいるとリンクはやる気を出す。そういうことじゃ」
(俺は、リンクを勇者にさせるためのエサなのかよ!)
 ウルフははっきりとロベリーをにらみつけた。
「不満じゃろうな。バァット、なんとしてでもリンクにはゼルダ様を救ってもらわねばならない。その後であれば、世界を渡る装置の開発もやぶさかではないぞ。プルアのところもうちの研究所も予算は厳しいが、なんとかしよう」
(このヤロ……そういう態度が、国の崩壊につながったんじゃないのかよ)
 装備をつくるだけつくって、あとは他人任せ――はっきり言って気に食わない。ウルフはきっぱりと、この研究者たちに見切りをつけた。
(こうなったら自力で帰る方法を探してやる。エポナもいるし、こいつらの助けを借りなくたって、なんとかなるさ)
 まだウルフには望みがあった。マスターソードだ。あれで元の姿に戻って、例えばロベリーと直接交渉すれば、今とは違う結果になるだろう。喋ることのできないオオカミだからこその不利は、確実にある。
 ――別に、リンクとの旅が嫌なわけではなかった。だがウルフにはやるべきことがあった。それは、思い出せない「相棒」に関することだったはずだ。
(だから俺はなんとしてでも、元のハイラルに戻る。こいつらの思い通りになんてなるもんか)
 ウルフが決意を固めた瞬間、突然外でものすごい爆発音がした。建物が揺れる。
(な、なんだぁ!?)
「おお、青い炎を持ってきたのじゃな」
 ロベリーは妙に冷静である。ウルフはまだ心臓がバクバクしていた。
(今のは一体……)
「ここの道を少し下ったところに、朽ちたガーディアンがおってな。いつも最後にあいつに狙われるのが、炎運びの難点でのぅ」
 つまり炎を持ったリンクが研究所のすぐそばにいるということだ。
(あいつ――生きてるのか?)
 不安になったウルフが玄関から飛び出そうとすると、シーカーレンジが息を吹き返したように輝きを強めた。
「どうやらうまくやったようじゃの」
 リンクが扉を押し開けて入ってきた。心なしか服が少し汚れている。
「なんとか、外のかまどに火を灯してきました……」
 彼は真っ青になって、よろよろと床に倒れ込んだ。全身が震えているようだった。ただごとではない。やはりガーディアンに狙われていたのだ。
 ロベリーは彼を助け起こし、持っていたものをリンクの手に握らせる。
「オゥ、サンキュ! これはチェリーちゃんを動かしてくれた礼じゃ。受け取ってくれ」
 それは青い短剣を木の棒にくくりつけた、不思議な形状の矢だった。こんなものがまっすぐに飛ぶのだろうか。
「それはシーカー族秘伝の英知の結晶。そしてミーが改良に改良を重ねた、対厄災用兵器。言うなれば、超超超すごい古代兵装のひとつ。名付けて――古代兵装・矢!」
 心なしか、ロベリーの台詞と同時にジャーンと効果音が鳴った気がした。
「へえぇ……ありがとうございます」
「古代兵装・矢以外にもいろんな古代兵装をつくれるぞィ。欲しけりゃ古代素材……とルピーをチェリーちゃんに渡すんじゃ」
「お金が必要なんですか?」
「許せ、リンク。ウィら研究者は、ハイラル城が破壊されてから、研究費がおりなくなってしもゥた。だからウィらを助けると思って、ルピーを……プリーズ! 
 アンドASAP、ミーとユーの協力で厄災を討ち倒すんじゃ!」
「お、おー!」
 もはやウルフは胡乱な目つきで調子のいいロベリーを見つめている。
 古代兵装・矢に目線を落としていたリンクははっとして、
「それで、ウルフくんのこと、何か分かりました?」
 と尋ねた。ロベリーは当然首を振った。
「残念ながら、そっちの役には立てそうもない。プルアほどの頭脳でも解析できない文字は、ミーには扱えん」
「そっか……やっぱりプルア博士にもうちょっと調べてもらおうかなあ。今度ハテノ古代研究所に行った時、ワープを僕以外にも使えるようにしてもらって、そのついでに聞いてみようか」
 リンクがどれだけウルフに対して好意的であろうと、ウルフの置かれた状況は変わらない。シーカー族にいいように踊らされているリンクが少し哀れだった。
(結局ハイラル図鑑の解読については触れもしなかったな……)
 案外本当に読めない文字が書かれているのかもしれない。こうなると、プルアが解読した「ウルフ」という単語も怪しいものだ。今度会った時になんとかして問い詰めねば。
 リンクはシーカーレンジに話しかけ、古代兵装のラインナップを調べていたが、難しい顔で腕組みをした。
「むー、素材が足りない。ルピーもないし、また今度来た時にします」
 彼はウルフを従えて、研究所の外に出ようとする。
 ロベリーはその背中に声をかけた。
「リンク、ユーたちはこれからどこへ?」
「うーん」
 リンクは扉から頭だけ外に出してあたりを確認し、それから西の空を仰ぎ見る。そこにはハイラルで一番高い山――絶え間なくマグマを噴き出す活火山デスマウンテンがそびえていた。
「あそこですかね」
「ほう。何故だ?」
「わけあって、ゴロン族を探さなくちゃいけないので。ゴロンってあの山のどこかにいるんですよね」
「そうじゃが。まあ、ユーの好きな場所に行くのがいいじゃろう。達者でな、リンク」
 デスマウンテンといえばゴロン族、マグマ、それに温泉だ。温泉で飲むミルクは最高だった、とウルフは思い出す。
 少し前まで、研究者たちの自分勝手に腹を立てていたのに。今ではすっかり新たな冒険後に思いを馳せて、わくわくしている。
(……なんだ、俺も案外楽しんでるじゃねえか)
 と気づき、彼は一人苦笑するのだった。

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