第二章 イチから、ゼロから



 そう、リンクとウルフはオルディン地方にあるデスマウンテンを目指したはずだった。
(なのになんで俺はカカリコ村にいるんだろう……?)
 族長の屋敷で、リンクは姿勢を正してインパの話を聞いている。
「百年前の思い出の地をひとつ、訪ねたのじゃな」
「はい」
 古代研究所を出た二人はアッカレ地方をずうっと南下し、一度ゾーラの里方面に戻った。そこで街道の分岐点があったのだが、「そういえば記憶を思い出したら一度来い、渡したいものがある、ってインパさん言ってたな」というリンクの一言によって、あっさりと進路は変更された。
 一人でデスマウンテンに向かうわけにも行かず、さらにはエポナまで従ったので、ウルフも仕方なくカカリコ村に引き返した。彼にとっては久々だが、リンクはウルフをゾーラの里に置き去りにした時に一度帰っているはずだ。
「そうか。姫様の記憶に触れ、そなたも少しは昔のことを思い出したじゃろう……忘れんうちに、これをそなたに渡しておかねばの」
 インパは立ち上がり、戸棚の引き出しを開けた。
(あ、この人立てたんだ……)
 ウルフが失礼なことを考える前で、インパは布を広げてリンクに見せた。青空を切り取ったような色の服だ。丈は長めで、腰をベルトでとめる構造になっているようだ。
 夢の中で見たことがある。それは百年前のリンクが身につけていた死装束だった。
「その昔、ハイラル王家から認められた五人の英傑が着用した由緒正しい服じゃ。そして、これは姫様から預かっておったそなたの衣。英傑となったそなたのためにあつらえられた特別な代物じゃ。手荒く扱うでないぞ」
「は、はい」
 リンクは緊張した面持ちで受け取った。
 インパは座布団の上に戻り、おとなしくしているオオカミへと目線をやる。
「どうじゃ。ウルフは勇者を助け、よく働いておるか」
「はいっ。彼が来てくれて本当に良かったと思ってます」
 リンクはぽんぽん、と軽くウルフの頭をなでた。振り払うのも面倒で、ウルフはされるがままになる。
「次はデスマウンテンに向かおうと思います」
「そうか。姫様は今も一人で戦い続けておる……。一刻も早く全ての神獣を解放するのじゃ。頼んだぞ」
「はい!」
 リンクは元気よく返事して、屋敷から退出した。
(そういえば、今日はパーヤって子はいないのか)
 出る間際にウルフは広間を見回して、少し残念に思った。老人ばかりが目立つシーカー族の中でもパーヤはとびきり若く、なかなか可愛かったので印象に残っているのだ。
 一方のリンクは特にパーヤの話題を出すわけでもなく、屋敷の外階段を降りていく。
 階段の脇には、ウルフを視認できない髭面の男――ドゥランがいた。その足下に、小さな子どもが二人まとわりついている。
「父さま、今日も帰りが遅いのですか?」
 少し背の高い方の女の子が口をとがらせた。舌ったらずなのに敬語を使うあたりが微笑ましい。
「すまない、ボガードが用事があるらしくて、夜番なんだ。だからココナとプリコ、二人は先に寝ていてほしい」
「父さまが帰ってくるまで、ココナ起きてるのです!」
「プリコも待ってる~」
 ドゥランは困ったように首を回し、リンクと目が合った。
「ああ……リンク殿」
「こんにちは。お子さんですか」
「ええ、ココナとプリコです。二人とも、ご挨拶は」
 父の横に並んだ二人はよく似た姉妹だった。どちらも子ども特有のふっくらした可愛らしい顔立ちをしている。小さな方が片手をあげた。
「プリコー!」
「ココナはプリコのお姉さんなのです」
 姉と言っても大して年齢が違わないように見えるが、ココナは精いっぱいお姉さんぶっていた。
「僕はリンク。よろしくね」
 リンクはしゃがんで微笑みかける。
 二人は彼の隣にいたウルフに視線を止めて、目を大きくした。
「わあー! おっきなイヌさん」
「プリコ、イヌさんじゃなくてオオカミさんなのです」
 ウルフはぎょっとして凍り付いた。
(この子どもたち、俺のことが見えてるのか!)
 親のドゥランには見えていないというのに。子どものほうが感受性が強く、したがってセンスも現れやすいという好例だ。シーカー族には比較的「見える」人が多いようであるから、種族的な性質もあるかもしれない。
 ドゥランは不思議そうにしていたが、やがて合点がいったようにうなずいた。
「リンク殿に従うというオオカミのことですね。インパ様からうかがいました」
「はい、見える人と見えない人がいるみたいで……」
 大人の小難しい話など姉妹の耳には入らない。二人とも、ウルフに興味津々だった。天衣無縫の笑顔が痛いほどにまぶしい。
「オオカミさん、プリコと遊ぼー」
「こらプリコ! この子はリンクさんのお供なのです! 邪魔しちゃだめなのです」
(お供じゃないぞ)と思いながら、ウルフはリンクに助けを求める。
「ああすみません、うちの子どもが……」
「いえいえ。そうだ、ドゥランさんは今日帰るの遅いんですよね」
(あれ、やな予感がするぞ)
「それまで僕とウルフくんが二人と一緒にいましょうか? 遊び相手でもなんでもしますよ」
 子どもたちが目を輝かせる。だがドゥランはかぶりを振った。
「そんな、申し訳ない。ハイラルの勇者に子守を任せるだなんて」
「今日はこの村に泊まる予定だったので問題ないです。ウルフくんも、いいよね?」
 すでにウルフははしゃいだ子どもたちにまとわりつかれて、身動きがとれない状況だった。
 階段を降りた先で待っていたエポナが、慈しむような哀れむような目でこちらを見ている。
 ここまで勇者に言われては、ドゥランとしても断る理由がないだろう。
「すみませんが、ココナとプリコをよろしくお願いします」
 と深々と頭を下げた。
(やっぱりこうなるのか……)
 ウルフは子どもたちに引きずられるようにして、屋敷から遠ざかっていった。



 オレンジの夕日がカカリコ村の女神像を照らし出した。空気が違うのか、はたまた光が違うのか、その黄昏の色はウルフが自分のハイラルで見たものとはどこか違っていた。
「リンクさんオオカミさん、ありがとうです。とっても楽しかったのですー!」
「こちらこそ……満足したよ……」
 リンクは椅子にぐったり腰掛けながら、へにゃりと笑う。午後の時間をたっぷり遊びに費やした子どもたちと勇者一行は、素材屋の脇にあるウッドデッキの休憩所で一休みしていた。
 姉妹との遊びでは、ウルフだけでなく当然リンクも犠牲になった。それは延々数時間も続くかけっことかくれんぼのループだ。子どもにスタミナで負ける勇者はどうかと思うが、オオカミになって持久力が格段に上がったウルフすら、へばりかけていた。子ども特有のあのバイタリティは恐ろしい。きっと夜はすぐに寝付いてくれるだろう。
 すでに、妹のプリコはウルフにもたれかかってすやすや寝息を立てていた。一方ココナは元気いっぱいで、
「そうだ。父さまのために晩ご飯をつくらないとなのです」
 と休憩所に置いてあったおたまを手にとった。
「ココナはご飯をつくれるの……!?」
 リンクは仰天している。眠っていた百年を除いても自分よりもはるかに年下の子どもが、親の分まで料理すると言っているのだから、微妙な料理製造機としては無理もない反応だ。
「ねえ、お母さんはいないの?」
 尋ねると、ココナの顔が曇る。
「母さまは、遠いところに行ってるです。今は帰ってこられないです」
 リンクはいまいちピンとこない顔をしていたが、つまりは……そういうことだろう。
 それを聞いてしまうと、眠りこけたプリコの下から這い出ようとはとても思えなくなるウルフだった。
「それで、今日のご飯はゴーゴー野菜クリームスープにするのです!」
「何それ、おいしそう」
「じようきょうそう……というのに良いらしいのです。ゴーゴーニンジンと岩塩とフレッシュミルクをお鍋に入れて、しっかり煮込むだけなのです!」
「それなら僕にもできるかな」
 リンクはすでにココナに教えを乞う気でいるようだ。
「むー」とうなりながら、ココナは目をつむって指を折る。自宅にある食材を思い出しているらしい。ぱちっとまぶたを開け、両手を振り回す。
「ああっ! でも今日はゴーゴーニンジンを切らしてたのです。プリコにスープつくるってお約束してたのに……」
 ココナは肩を落とし、見るからに消沈していた。
「ニンジンならお店に売ってないの?」
「買ってくるには、父さまにお金をもらってこないといけないのです。でも……今月の分はもう無駄づかいできないのです」
 料理だけでなく家計も預かっているなんて。ココナの涙ぐましい努力が透けて見えた。リンクが申し出る。
「僕が買ってきてあげようか」
「あ……ありがとうなのです! ニンジンが三本、ほしいのです」
「そんなに食べるの?」
「父さまと、リンクさんとオオカミさんの分も入っているのですよ」
 それを聞いて、リンクはとびきりの笑顔になった。
「すぐに買ってくるね!」
 彼は非常に現金だった。
「なら、ココナはお料理の準備をしているです!」
「分かった。すぐ戻るから、ウルフくんはここにいてね」
(はいはい、言われなくても)
 ウルフは黙ってプリコの枕になる。すぐそばにある宿の馬屋で休むエポナは、目を細めてその様子を見ていた。
 こういうのんびりした夕方も、たまには良いものだった。



 パーヤは日課の祠の掃除を終えると、その夜の食事の準備をするために、素材屋「満福」に向かっていた。
 と言っても、パーヤが料理するわけではない。家事は一通りこなせる彼女だが、料理だけはあまり得意でないのだ。調理は手伝いの者に任せ、彼女は必要な食材をそろえるだけである。
 今日はトリのタマゴを買わなくては、とメモを見ながら素材屋の引き戸を開ける。
「おやパーヤ様。ごきげんよう」
 店主の老婆シトラが出迎えた。その隣には、
「パーヤさんだ。こんにちは」
「リンク様……!?」
 宿屋「合歓」の横に見慣れぬ馬がいたから、もしかしてとは思っていたが――こんなにすぐ会えるなんて。パーヤの胸がどくんどくんと鳴りはじめる。
「お、お買い物でいらっしゃいますか」
「うん。パーヤさんも? 僕は人に頼まれて、ゴーゴーニンジンを買いに来たんだけど……」
 シトラが首を振る。
「あいにくと切らしておりまして。いやはや申し訳ない」
 パーヤはきょとんとした。
「ですが、ニンジンはシトラさんのご主人が育てていらっしゃるのでは」
「今日の分は売り切れです。うちの主人に言わせると、明日の分のニンジンは明日畑から抜くから、いい味になるらしくて」
「困ったなあ……」
 リンクは眉を寄せて腕組みする。
 パーヤも一緒になって考えた。ふと、脳裏によみがえるものがあった。
「あの……野生のものでよろしいなら、ゴーゴーニンジンの生えている場所に、覚えがあります」
「え? もしかして、この近くにあるの」
「私が案内いたしましょうか」
 するりとパーヤの口から誘い文句が出てきた。自分でも驚く。この前、祖母に書庫のカギを託されてから、彼女の中で何かが変わりはじめていた。
「いいの? パーヤさんも用があってここに来たんじゃ」
 すまなさそうにするリンクを遮り、
「わ、私の用など良いのです。さあこちらです、リンク様!」
 パーヤは顔を真っ赤にして素材屋の外に出た。背後ではシトラが「あらあら」と笑い声をこぼしていた。
「ごめんね。助かるよ」
「り、リンク様のお役に立てるのでしたら、大したことはありません」
 人々を導く勇者の前を歩く、というのはなんだか心地よく、パーヤは否応なしに高揚してしまう。
 整備したばかりのタロ・ニヒの祠を過ぎて、さらに奥の森へ向かった。
「ここは……?」
「我が村の守り神様がおられるという場所です」
「へえ」
 鬱蒼とした森だが、豊かな植生に恵まれていた。夜が近いため、しのび草がぼんやりと水色の光を宿しはじめている。
「確か、このあたりにあったはずなのですが……」
 二人で一緒に地面をくまなく探すと、
「あった!」
 リンクは歓声を上げ、オレンジの根菜を素手で掘り返した。
「よかった、数も足りる。ありがとうパーヤさん!」
「いえ、そんな……」
 ほおが熱くなるのを感じて、彼女はうつむいた。リンクは不思議そうにパーヤを見つめている。
「なっ何かご用でしょうか!?」
「パーヤさん、頭に何か……蝶みたいなのがとまってるよ」
「え」
 リンクは一層にじり寄り、何気なく手を伸ばす。パーヤは「ひいぃ」と顔を覆った。
「なんだろこれ? 光ってるからホタルかなあ」
 リンクの手の中でもがくものは、ピンク色の光の玉だった。左右に二つずつ薄い羽が生えている。パーヤは目を見張った。
「それは妖精です! こんな場所にいるなんて」
「妖精って……ああ、妖精の力水の」
 癒しの力を持つ、大妖精の眷属である。
「妖精を連れていると、旅人が力尽きた時に回復してくれるとうかがいました。他には……そう、料理を手伝ってくれるとも聞いたことがあります」
「料理を? へええ。くわしいんだね、パーヤさん」
 以前、インパの元を訪ねた旅人が残した噂話だ。パーヤはそれをずっと覚えていたのだ。
 リンクは突然ぱっと顔を明るくした。
「そっか、料理だ! 妖精さん、ちょっと手伝ってほしいことがあるんだけど」
 その後彼がささやいたことは、果たして妖精に通じたのだろうか。とにかく妖精はリンクが手を離してもずっとそばをついてきた。
 二人は来た道を引き返し、森を抜ける。去り際に、
「だ、誰か……」
 というか細い声が背中を叩いた気がした。パーヤは振り返るが、誰もいなかった。
「……?」
 気のせいだったのだろうか。
 二人は素材屋のすぐ脇にある休憩所兼煮炊きスペースに戻った。
 そこには門番ドゥランの娘たちと、ウルフが待っていた。遊び疲れた様子のプリコはオオカミの上ですやすや眠り、ココナが鍋の近くで料理の下ごしらえをしている。
「ただいま~」
「まあ、ウルフ様もいらっしゃったのですね。お久しぶりです」
 パーヤが挨拶をすると、ウルフは片耳だけ上げる。プリコを起こしたくないのだろう、身動きひとつしない。ただの動物とは思えないほどかしこいものだ。
「ゴーゴーニンジン、持ってきたよ」
 リンクはざっと洗ったニンジンを、プリコに手渡す。子どもにも優しく接する勇者なのだ、とパーヤは感動を覚えた。
「ありがとうなのです! 早速クッキングなのです」
「あの、良ければ僕も手伝いたいんだ。それで、クリームスープのレシピを覚えたくて……」
「リンクさんが? もちろんですよ。母さま直伝のレシピなのです!」
「ありがと。そうだ、パーヤさんはこれからどうする?」
 パーヤはお使いの途中だった。すぐにタマゴを買って、屋敷に戻らなければ。リンクのそばから離れるのは後ろ髪を引かれる思いだったが、彼女は我慢して頭を下げた。
「ここで失礼させていただきとうございます」
「分かった。さっきは本当にありがとう」
 きびすを返すと、寂しさのようなものが胸にこみ上げた。
 パーヤはまた素材屋に行き、残っていたタマゴを買い占める。夕日はほとんど沈みかけだ。帰るのがずいぶん遅くなってしまった。
「……ただいま戻りました」
 パーヤはインパに断りを入れ、食材を戸棚の所定の位置に置いて行く。手の動きがにぶいのが分かる。「ありがとう」というリンクの声が、いつまでも耳に残っていた。
 広間で瞑想していたインパは唐突に、
「リンクと話しておったのじゃろう」
「な、お、おばあさま!? どうしてそれを」
 パーヤは肩を震わせ、分かりやすく動揺する。インパは苦笑していた。
「聞かずとも分かるわ。リンクの元に行かなくて良いのか」
「そんな、わ、私にはやることが……」
「休息を取りに来た勇者をもてなすのも、大切な仕事じゃ」
 その言葉が、すっとパーヤの胸に落ちた。
 彼女は祖母に向かってお辞儀をする。
「夕飯は、外でいただきます。就寝時間までには必ず帰りますゆえ……!」
「気をつけるのじゃぞ、パーヤ」
 インパは優しく微笑んだ。
 小走りで外階段を降りて、休憩所に向かう。門番のドゥランは通り抜ける彼女を横目で見やり、小さくうなずいた。意味も分からずパーヤはほおをぼっと燃やした。
 煮炊き場からいい香りが流れてきた。鍋の上にあたたかい湯気が上がるのが見える。
 どうやって声をかけようかパーヤが迷っていたら、すぐにリンクが気づいてくれた。
「パーヤさん、来てくれたんだ。晩ご飯つくったんだよ、ちょっと味見していかない?」
 いつもは閑散としている休憩所に、ココナとプリコの姉妹にリンク、ウルフ、それにリンクの乗って来た馬までもがそろっている。皆、和気あいあいとしてスープがよそわれるのを待っていた。
 リンクが輪の中心にパーヤを引っ張って行くと、子どもたちが歓声を上げる。
「パーヤお姉さん、ココナの料理、上手にできたのです!」「食べて、食べてー!」
 煮炊き場には鍋が二つ用意してあった。リンクとココナ、それぞれでスープをつくったらしい。
 こっちがココナのものだな、とパーヤが見当をつけた方の鍋が、リンクの作品だった。つまり勇者の料理はそれほど拙かったのだが、彼に関してほとんど盲目なパーヤは、そういうギャップにもくらりときてしまう。
「パーヤさん、クリームスープは食べられる?」
「い、いただきますっ」
 宿屋から借りてきたらしい木の椀を受け取った。白くとろりとしたスープの上に、形がバラバラのニンジンが浮かぶ。パーヤはスプーンを受け取り、口をつけた。
「どうかな」
 リンクは期待のまなざしを注いできた。早鐘を打つ心臓をおさえて、パーヤはなんとかスープを味わうことに専念する。
「おいしい……!」
「本当?」
 嘘ではなかった。素朴で、体に染み渡るおいしさだった。贔屓目があるのは間違いない。だがどこか懐かしいようなほのぼのとした味は、悪くない。
「実は、さっきの妖精に料理を手伝ってもらったんだ。きっとそのおかげだね」
「そ、そんなことありません。リンク様は私よりもお上手です」
「そうなの? なら今度はパーヤさんの料理も食べて、比べないとね」
 勇者が自分の料理を食べる――!? パーヤは頭がくらくらして来た。
「よし、これならウルフくんも食べてくれるかも」
 リンクは期待しながらウルフの前に皿に置くが、そっぽを向かれる。
「やっぱりだめかあ……」
「ウルフ様はお料理がお嫌いなのですか」
「僕のつくったのは食べてくれないんだよね」
「そんな。もったいないです……」
 心の底からパーヤが言うと、ウルフはなんだか気まずそうに目線をさまよわせていた。
「でもココナのスープと比べると全然だめだ。具材によって火の通り方が違うってことかあ。もっと研究しないとね」
 ココナは小さな胸を張る。
「色々お料理をつくって、母さまみたいなお料理上手さんになるのです!」
「僕も負けてられないや」
 リンクはにっこり笑い、決意を新たにした。愛馬によく煮えたニンジンを与えつつ、残りのスープを平らげる。リンクの食べっぷりは見ていて気持ちが良く、少食なパーヤが釣られておかわりをしてしまったほどだ。
 にぎやかな休憩所に、一人の旅人がやってきた。
「すまない、ここの火を使わせてもらってもいいかな」
 空になった鍋を指さしたのは、背中に画材を背負ったシーカー族の男だった。
 パーヤはよく見知った顔だった。ココナも知り合いらしく、明るい声を上げる。
「カンギスおじさんも、ココナのお料理食べますか」
「いや、私は自分のを食べるよ。遠慮なく」
 と言って、彼は鍋の前で何かを用意しはじめた。
 興味津々、といった様子でそれを眺めるリンク。カンギスは不意にそんな彼に声をかけた。
「君は……ヒガッカレ馬宿で見かけた顔だな」
「え、えっと……?」リンクはぽかんとしてほおをかいている。覚えがないらしい。
「カンギスだ。趣味の絵を描きながら、ハイラルを回っている」
 カンギスは料理の準備を中断し、背負った荷物から紙の束をとりだした。皆で覗き込む。紙の上には、原色の世界が広がっていた。
 絵の中にカカリコ村の門らしきものを見つけ、リンクが尋ねる。
「カンギスさんには景色がこう見えてるんですか?」
「まあな。絵といえば、見たそのままを映し出す技法も素晴らしいものだが、私は一枚の紙の中に自分の内面をも表現したいと思っている」
 リンクは感心したようにうんうんうなずき、
「そうですね、景色をそのままを切り取るのは、絵の具を使わなくてもできちゃいますし」
 と言ってシーカーストーンを取り出した。パーヤはその石版に、目の前の光景を写し取る機能があることを知っている。
 リンクはカンギスに石版を見せながら、
「ほらこれとか、この前ゾーラの里に初めて行った時の景色で……」
「おお、これは!」
 カンギスは恐れ多くもシーカーストーンをひったくると、見よう見まねでアルバムを繰りはじめた。そのうちに、
「これも、きみの旅で見た景色なのか」
 あるひとつの写し絵を指さす。
「えっと、これは……僕が撮ったんじゃないんです。どこの景色か分からないから、撮った場所を探していて」
 百年前、ゼルダ姫が残したという写し絵のことだ。パーヤの胸がずきりと痛む。
 カンギスはふむ、と腕を組み、
「この場所なら、知っているぞ」
 あらためてパーヤも写し絵を確認した。大きな岩の門が手前にあり、その奥には雪山がそびえている。リンクは身を乗り出した。
「本当ですか!」
「この村からずっと東に行くと、大きな雪山がある。ラネール山だ。その麓にあるネルドーラ雪原の西に、その門があったはずだぞ」
「へえ……行ってみます!」
「役に立てて良かったよ」
 カンギスは微笑み、鍋の前に戻った。
 気づけばパーヤの椀はすっかり空になっていた。
「あ、おかわりいる?」
「いえ……それよりも、ココナとプリコが」
 子どもたちは鍋の片付けをしながら、眠そうにうつらうつらしていた。リンクは目を丸くする。
「うわ、大変だ。僕、ドゥランさんに言ってから二人を家に送るよ」
「わ、私も手伝います」
「いいって。すぐ戻ってくるから、先に休んでて!」
 最後のセリフはウルフに向けたもののようだった。
 ウルフはうなずくと、リンクの馬とともに宿へ帰っていく。
 その場に一人残されたパーヤは、ふと画家に声をかけた。
「あの、カンギスさん……」
「どうかしたかね、孫娘殿」
 パーヤはごくりと唾を飲む。
「ハイラル中を旅していらっしゃるなら、勇者の伝説についてご存知ありませんか。今、少し調べていて……」
「ふむ。それなら、私よりももっとくわしい男がいるぞ。この村を訪れたことはなかったかな、リト族の吟遊詩人だ」
 彼女は首を横に振った。
「残念ながら、存じ上げません。そ、その方をここまで連れてきていただけませんか。お礼は何もできませんが……」
「いやいや、インパ殿にはいつもお世話になっている。それしきのこと、お安い御用だ」
 カンギスは快く請け負ってくれた。
 パーヤは胸の鼓動を心地よく感じていた。リンクと関われば関わるほど、彼の助けになりたいという思いは増すばかりだ。
 明日は早起きして、リンクの出発を見守ろうと思う。



「ここかな、それともこの角度?」
 掲げたシーカーストーンを縦やら横やらに動かしながら、リンクはうなっている。
 目の前の景色と写し絵を比べているのだろう。そんな彼を、少し後ろからウルフとエポナは眺めていた。カンギスという旅人に言われた通り、リンクはラネール参道の終わりでそれらしい景色を見つけたのだ。向こうに雪山、手前に石の門。確かにロケーションは完璧だ。
「もしかして、こうかな!」
 ぴったりの場所を見つけた途端、リンクの腕から力が抜け、シーカーストーンごとぶらりと肩から垂れ下がる。
 ゾーラの里でミファーの像を見た時や、アッカレ地方の泉に入った時と同じく、百年前の記憶を思い出しているに違いない。
 やがて薄く目を開けたリンクは、先ほどまでとは打って変わって静かに口を開く。少し汗をかいているようだった。
「……大厄災がはじまった日のことだったよ。僕がいて、ミファーと、たぶん他の英傑たちもいて、真ん中には――ゼルダ姫がいた」
 それ以上は語らないので、ウルフは推し量るしかない。あまり精神衛生上よろしくない思い出だったのかもしれない。何を思ってゼルダ姫はこのようなヒントを残したのだろうか。
 リンクは写し絵を見返しながら、首をかしげた。
「あれは、本当に僕の記憶……なのかな」
(何言ってんだ。自分でちゃんと思い出してるんだろ?)
 ウルフが不審そうな目線を向けると、リンクは訥々と説明する。
「だったら、どうして僕が見ていた光景そのままじゃないんだろう。だって自分の背中まで見えたんだよ。それってもう、僕の記憶じゃないよね……?」
(――どういうことだ?)
 言いようのない薄ら寒さが、ウルフの背中を走り抜けた。

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