第三章 Climb every mountain



 ハイラルの最高峰であり、死の名を冠する山デスマウンテン。その山肌を、トカゲの姿をした異形が這い回っていた。異形がまるで生物のように一声鳴けば、山からマグマが吹き出す。
 あれは百年前、英傑ダルケルが操った神獣だった。それが何故、故郷のゴロンシティを襲っているのだろうか。
「ボケッとするなァ、ユン坊!」
 叱咤を受け、ユン坊は慌てて両腕を目の前にかざした。己の外側を分厚い岩が覆っている光景をイメージする。すると、オレンジ色の薄い水晶壁のようなものが現れ、火山弾からユン坊を守った。
 だが、彼とコンビを組む相手にはその護りはない。
「組長ぉ!」
「オレは平気だ、さっさとやるぜェ」
 山のゴロン族を取り仕切る組長ブルドーは、彼にしか扱えない大砲の操作席についた。ユン坊は火山弾をかいくぐり、急いで砲身の中に入る。
「行くぞ、歯ぁ食いしばれよ!」
「分かったコロっ」
 爆薬が破裂した勢いで、一気に空を飛ぶ。「ダルケルの護り」と呼ばれる不思議な技を英傑から受け継いだユン坊自身を弾にして、ゴロンシティを襲う神獣ヴァ・ルーダニアを討とうというのだ。
 ユン坊は空を飛ぶ感覚が嫌いではなかった。怖さをこらえて目を開けば、回転する景色の中で一瞬だけ眼下にゴロンシティが見える。マグマの上に橋を架けた、岩だらけの町。他の種族からすれば何故こんな場所に住まうのかと思われそうだが、それでもシティは彼らゴロン族の故郷であり、誇りだった。
 ――ご先祖様の英傑ダルケルもまた、この光景が好きだったはずなのに。
 にぶい衝撃がして、自分の体がヴァ・ルーダニアに命中したことが分かった。痛みはない。跳ね返ったユン坊はしばらく地面を転がると、なんとか平衡感覚を取り戻し、立ち上がった。
 見れば、ルーダニアがのそりのそりと火口へと引き返していく。
「今日もやったみてェだな」
「組長、さすがコロ」
「こんなもん大したことねェよ。うっイチチ……」
 ポキポキと嫌な音がして、ブルドーは腰を押さえた。慌てて駆け寄るユン坊。
「また痛み止めを取りに行くコロ?」
「いや、家に残ってるはずだからいい。とにかくシティに帰るぜェ」
 デスマウンテンから下山し、忘れずにオルディン橋を上げて一般人が入れないようにしてから、二人はシティに帰還した。
 町の入り口で幾人かのゴロン族が帰りを待っていた。
「組長、ユン坊、おつかれ様ゴロ~」「今日もいい飛びっぷりだったゴロ」
 口々にねぎらってくれる。
「ユン坊なんて怖がりなのに、よくやるゴロ」
「でもユン坊があの神獣を退治するのは当然ゴロ。だって英傑ダルケル様の神獣が暴れてるなら、子孫がなんとかするべきゴロ」
 その発言に悪気はないのだろう。だが胸にピッケルが突き刺さったような心地になり、ユン坊はうつむいた。ブルドーが荒々しくその肩を叩く。
「ダルケル様を悪く言うんじゃねェ。ユン坊のこともだ」
「でも――」
「ユン坊のダルケル様の護りの力なしじゃルーダニアは倒せねえよ。なんだか知らねえが、ハイラルの方で暴れてる厄災とかいうやつの仕業だろィ」
「ゴロ……」
 文句を言ったゴロンは不満そうに去っていった。
 ブルドーは鼻息荒く、
「あんなこと気にするなよォ」
「……分かってるコロ」
 だが、自分と組長がそろっていても、ルーダニアの問題を根本的に解決することはできない。できるのは、ただ撃退するだけだ。それにますます神獣の出現頻度は上がっていた。
 どうすればいいのだろう。考えても答えが出ない問題を抱えたまま、ユン坊は家に帰る。自分の体の形にくぼんだ岩がゴロン族のベッドだった。いつもは疲れてすぐに眠りに落ちるのに、その日はなかなか寝付けなかった。
 翌日。ユン坊が組長から与えられた仕事は、他の多くのゴロンと同じように鉱石を掘ることだ。今日も南の採掘場に行こうと思い、その前に挨拶のために組長の家に寄ったら、彼は寝込んでいた。
「組長! 痛み止めは……」
 ブルドーが自身の腰について明かしている相手は少ない。ルーダニア退治でコンビを組むこともあり、ユン坊は全てを聞かされていた。
 ブルドーは岩の上でゴロゴロとうなる。
「切らしてたんだよォ。北の廃坑の倉庫になら、いくつかあったはずだが……」
「ボクがとってくるコロ!」
 ダルケルならば必ずこう言うはずだ、とユン坊は胸を叩いた。彼は英傑の子孫たる証として、空色の布を肩にかけている。ダルケルがこの布をかつてハイラル王から賜った時、二つに裂いて片方を里に置いた、という言い伝えがあった。それは誰に何と言われようとユン坊の誇りだった。
「無茶だ、やめろィ。あそこは今魔物のたまり場になってる」
「知ってるコロ、でもボクにはダルケル様の護りがあるコロ」
 ブルドーは不機嫌そうに、
「……すぐ戻ってくるんだぞ」
 と送り出してくれた。
 ユン坊は勇み足で北の廃坑に向かった。ゴロンシティから歩いてすぐの場所だ。立地はいいのだが、デスマウンテンの方が上質な鉱石が取れるため閉鎖された場所である。
「ユン坊、こーんな場所に何の用ゴロ。許可はもらってるゴロ~?」
 廃坑の入り口では、門番ドリジャンが立ちふさがる。ヘルメットをかぶり、武器の代わりに鉱石採掘用の「石打ち」と呼ばれる長物を持っていた。
「奥の保管庫に、組長の薬をとりに来たコロ」
「ユン坊が一人で? 大丈夫ゴロ~?」
 ドリジャンは思いきり訝しんでいたが、「平気コロ!」とユン坊が無理やり頼み込むと、渋々通してくれた。
 北の廃坑には現在、火吹きリザルフォスたちが巣食っている。ユン坊は魔物に見つからないように得意の丸まりを駆使して、慎重に道を抜けた。
 マグマを渡っていくと、一番奥にある保管庫――岩をくりぬいた小さな部屋にたどり着く。ここはかつて休憩所として使われており、廃坑となる際に置いてきた当時の物資がそのまま残っている。ブルドーがゴロンシティで手に入る限りの薬を使い切った時、ここに取りに来るのだ。
「確かこの辺にあったはずコロ……」
 ユン坊が棚をあさりはじめた時、ずしんと地響きがした。
「まさか」
 またルーダニアが姿を現したというのか。昨日追い払ったばかりなのに。
 ルーダニアは火山と呼応しデスマウンテンを活性化させる力を持つ。大きな音がして、このあたりにも火山弾が降ってきた。部屋の中なので被弾の可能性はないが、恐怖を感じたユン坊は思わずまぶたを閉じ、ダルケルの護りを発動させて縮こまる。
 不意に、近くで何かが炸裂した。ぎょっとして目を開けると、保管庫内が暗くなっている。外からの光がすっかり遮断されていた。
(閉じ込められたコロ!?)
 慌てて入口に駆け寄った。どうやら運悪く火山弾が入口にあたり、岩が崩れたらしい。
「だ……誰か助けてコロー!」
 必死に叫んでも、入口にいたはずのドリジャンは来なかった。もしかすると危険を感じてシティまで避難しているかもしれない。
 ユン坊はなんとかして岩をどかそうとしたが、びくともしなかった。がっくりとその場に崩れ落ちる。
(組長に薬を届けなきゃいけないのに……)
 強い気持ちはあれど、何もできなかった。疲労が重なっていたらしく、ユン坊は気がつくと眠ってしまっていた。
 目を覚ましても内部は暗いままだった。どれくらい時間が経ったのだろう。そろそろ誰か来てもおかしくないのに、その様子はない。
(ボク……見捨てられたコロ?)
 少し涙が出てきた。ユン坊は暗闇の中でしゃくりあげる。だから、「その音」に気づくまでに時間がかかった。
「ここが保管庫かな? それらしいのって、今までなかったよね」
 突然、岩の向こうから誰かの声がした。全く聞き覚えのない声だ。それに足音は妙に軽く、しかも一人分ではない。
「えっ、ここからゴロンのにおいがするの? やっぱりユン坊ってヒトが中にいるんだね。おーい!」
 誰かが助けに来たのだ! 矢も盾もたまらず、ユン坊は叫んだ。
「助けてコロ! 出られなくなっちゃったコロ~」
 岩の外にいる人物は、ユン坊を安心させるように微笑んだようだった。声色がやわらかくなる。
「分かりました、今助けます。ちょっと奥に避難してください」
 ユン坊は言われた通りに後ずさる。「こ、これでいいコロ?」
 すると、爆発音と共に岩の隙間から青色の光が散った。しかし、岩はびくともしない。
「だめかー……それじゃ、あっちを試そう。ユン坊さん、ちょっと待っててくださいね!」
 声と足音は遠ざかった。
 とにかくこれで助かるのだ。ユン坊はほっとして息を吐いた。
 突然、先ほどとは比べ物にならないほどの大きな音と衝撃が、保管庫を揺らした。ユン坊は飛び上がる。
「ミギャー!? こ、怖いコロ……!」
 反射的にダルケルの護りを発動していた。体の震えが止まらない。
「もう大丈夫ですよ」
 歯の根が合わず心臓もばくばくうるさかったのに、その声は何故かすっと耳に入ってきた。
「コロ……?」
 おそるおそる顔を上げる。そこにいたのは、金髪を後ろで結った旅人だ。シティでハイリア人用に売っている耐火装備を着込んでいる。足元には、このあたりでは見たことのない黒灰色の動物を連れており、ユン坊はしげしげと観察した。
「僕はリンク、こっちはオオカミのウルフくんです」
「よ、よろしくコロ」
 もしかして、この動物がにおいで自分を探し当ててくれたのだろうか。
「僕たちはゴロンの組長さんに頼まれて、あなたを探しにきました」
「あ、そうなんだ! ハァ~……なんにせよ、助かったコロ」
 どっと安堵が押し寄せた。ユン坊は興奮気味に旅人に話しかける。
「知ってると思うけど、ボクはユン。みんなからはユン坊って呼ばれてるコロ。組長の痛み止めを取りに来たら、火山弾で岩が崩れて閉じ込められちゃってね……。そう言えばキミ、どうやって入口の岩を壊したコロ?」
「それはですね。このあたりにあった大砲を使って、一発ドカンと」
 リンクは得意気に胸を張る。ユン坊は驚愕した。
「ええ~組長の大砲使ったコロ!? あれ使うの難しすぎて、組長以外使いこなせないコロよ!」
「そうなんですか? 結構雑に扱っても大丈夫でしたけど」
「キミはなかなか恐ろしいことをするコロ……」
 ウルフと呼ばれた動物はやれやれと首を振っていた。
 ここで、ユン坊は大事な物をずっと握りしめていたことに気がついた。
「あっ……おしゃべりしてる場合じゃないコロ。早く痛み止め届けなきゃ」
 ユン坊はリンクに向き直り、お辞儀する。
「悪いけど、ボクもう行くコロ。後で組長のところに来て! ああ見えて組長は義理堅いコロよ。きっとお礼をくれるコロ!」
 リンクは何故か意外そうな表情になり、
「お礼ですか? いや、そうじゃなくて――」
「じゃあねぇ~」
 別れ際に何か言われた気もするが、ユン坊は手を振り、坂を転がって全速力でシティへの帰路につく。
 リンク……不思議な旅人だった。オオカミを供に連れ、たった一人で魔物の巣窟の奥まで来た。道すがら廃坑の様子を確認すると、火山弾かはたまたリンクの仕業か、いくつかリザルフォスのいるやぐらが破壊されていた。帰りは安全そのものだった。
 自分にも彼のような力と勇気があれば――ないものねだりと分かりつつも、ユン坊は願ってしまう。
 無事にゴロンシティにたどり着き、門番に適当に挨拶してから、彼は集落の底にある組長の家へと転がっていく。
「組長! 痛み止め、持ってきたコロ~」
「遅かったじゃねェか」
 ブルドーは寝床から上半身を起こした。薬を渡しながら、ユン坊はリンクのことを語らずにはいられない。
「実は、さっきの火山弾で保管庫の入口が塞がって……ハイリア人の旅人さんに助けてもらったコロ」
「ああ、あのリンクとかいうやつか? 本当に北の廃坑まで行ったんだなァ」
「もしリンクが組長に会いに来たら、お礼をあげてほしいコロ」
「もちろんだぜィ」
 返事をしつつ、ブルドーは袋の中身をくっと飲み干す。苦いのだろう、岩のような顔にしわを刻んでいた。
 ブルドーの体調が落ち着くのを待って、ユン坊は話を切り出す。
「組長……またルーダニアが出たコロ?」
「ああ、出やがった。デスマウンテンに張り付いてやがるぜィ。追い返さなくちゃなァ」
 ユン坊は身を乗り出した。
「痛み止めが効くまで、まだ時間がかかるコロ。ボク、先に行ってるコロ!」
 しかしブルドーは難色を示した。
「お前一人で平気なのかよォ。オルディン橋のあたりにゃ、最近魔物が――」
「平気コロ! さっきだって、ダルケル様が護ってくれたコロ」
 ユン坊は堂々と背筋を伸ばした。ブルドーもそれ以上は止めなかった。
「それじゃあ行ってくるコロ~」
 先ほどとは反対方向にシティを抜ける。温泉の脇を通り、山道を行くと、真正面にデスマウンテンが見えた。山肌には予想通り、ルーダニアが這い回っている。
 大厄災と呼ばれる百年前のその日、英傑ダルケルは一万年ぶりに現れたガノンを討つため神獣に乗り込んだ。それ以来、英傑はルーダニアもろとも消息を絶っていたのだが、つい最近神獣だけが現れ、暴れ出したのだ。
 ユン坊はダルケルの子孫だ。大厄災前に英傑が残した子どもから、子々孫々力を受け継いだ。だから、自分がルーダニアと対峙するのはきっと定めなのだ。
(ボク、やるコロ……!)
 溶岩の川を越えてデスマウンテンに渡るための唯一のルートが、オルディン橋である。彼はその手前にある大砲のそばでじりじりと組長を待った。橋は昨日、組長が上げた時のままだ。
 ブルドーはなかなかやってこなかった。痛み止めが効かなかったのだろうか。少し不安になりながら背伸びをして道の向こうを見る。すると、誰かの頭が見えた。
「組ちょ……」
 ではなかった。黒色をした、見るからに強そうなモリブリンである。しかも二体。ユン坊を見つけると、魔物たちは手に持った削岩棒を振り上げ、咆哮とともに襲いかかってきた。
「ミギャー!」
 ユン坊は震え上がった。用心のために一応石打ちを持って来ていたが、削岩棒とはリーチが違いすぎる。
 逃げてばかりは嫌なのに――また自分は、護りの中に閉じこもるしかないのだろうか。
(ダルケル様……!)
 英傑ならば護りの力と己の腕力、その双方を自在に扱えていたはずだ。ユン坊に足りないもの、それは自らを奮い立たせるための勇気であった。
 不意に、飛んできた矢がモリブリンの足元に刺さった。魔物が「何事か」と後ろを振り向く。
 そこに黒灰色の俊敏な影が踊りかかった。

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