第三章 Climb every mountain



 ウルフは待ちぼうけを食らっていた。
 朝日を浴びるデスマウンテンで、いくら待ってもリンクは帰ってこなかった。ユン坊はひとまず組長に報告してくると言い残し、先にシティに戻っていった。
(もしかして、リンクもゴロンシティに行ってるとか……?)
 ありそうなことだと思い、ウルフは山道を駆け下りていく。
 ――途中で急ブレーキをかけた。
「あ、おかえりー」
 リンクは道中にあったゴロン温泉に肩まで浸かってくつろいでいた。もちろん素っ裸である。
 どう反応していいか分からず、ウルフは知らないふりを決め込んだ。
「ごめんってば! ダルケルったらこんな場所に僕を移動させてさ。ミファーは気を利かせてくれたのにね」
 リンクは笑って立ち上がる。そしてウルフに向かって手招きした。
「ねえ、温泉ってすっごく気持ちいいよ。朝のデスマウンテンは最高だね。ウルフくんも入らない?」
 おそらく、この湯にはウルフの知る温泉と同じく、治癒効果があるに違いない。リンクは神獣内部でつくった傷を癒やしているのだろう。ウルフだって暑さで減衰した体力を回復させたかった。だが、
(この姿だしなあ……)
 湯に飛び込めばさぞ気持ちいいのだろう。だが、汚れきったケモノの体でそのまま温泉に入れば、きっとゴロンたちに迷惑がかかる。このような観光地でなく、滅多に客の来ないような秘境であれば考えたのだが。
(元の姿に戻ったら、絶対入ってやるぞ)と彼は心に誓うのであった。
 リンクは温泉をにらんで悶々とするウルフを不思議そうに見つめていたが、ふと何かを思い出し、
「そうだった……デスマウンテン山頂からの景色、ウルフくんと一緒に見てない!?」
 彼はざばりと水滴とともに立ち上がった。そのまま再び山道を走っていきそうな勢いだ。
(アホか! そんなところいつだって行ける、今は他にやることがあるだろっ)
 ウルフはオルディン橋へ向かう道に回り込み、なんとかリンクの暴走を止めた。リンクは渋い顔をしていたが「お腹も減ったし、シティが先かな」と言って、しっかりと耐火服を着込んだ。初めて出会った時と比べると最低限のマナーは身につけたようで、安心するやら、していいのか不安になるやらだ。
「デスマウンテンは今度リベンジしよう。ハイラルにはいろんな山があるし、いつか全部ウルフくんと登ってみたいなあ」
 ゴロンシティに向かいながら、リンクはのんきな願望を垂れ流す。二番目の神獣を無事に解放した彼は、なかなか元気そうだった。ウルフが見守る限りの戦闘でも、自力でどうにか切り抜けていたようだ。
 すでに残りの神獣は半分の二体となっている。これは立派な戦績といえるだろう。
(やりたくないやりたくないって、さんざん駄々こねてた割に……やるじゃねえか)
 これに関してはウルフも認めるしかなかった。とにかく、リンクが順調に旅を進めれば進めるほど、マスターソードに近づけるのだ。応援しない手はない。だが、なんとなく面白くない気分もある。頼りない後輩が成長していくのは、喜ばしいはずなのだが。
 二人は崖をくり抜いてつくられたゴロンシティの入口をくぐった。入ってすぐの場所に、戦友が待っていた。
「リンク、おかえりゴロ」
「ユン坊! わざわざここで待っててくれたんだ」
 水色の布をはためかせたユン坊が、歓迎するように両手を広げた。
「だってリンクはルーダニアを鎮めた英雄ゴロ。本当にありがとうゴロ!」
 ストレートに褒められて、リンクは破顔する。
「いや。こっちこそ、助かったよ」
「キミがルーダニアの中で何してたのかは知らないけど――」
 ユン坊はウルフに意味ありげな視線を送る。二人は、リンクがカースガノンと呼ばれる魔物を退治したシーンをはっきりと見ていた。つまり、知らないふりをしてくれるということだろう。リンクはユン坊の言葉を鵜呑みにしたようだが。
「アイツ、すっかりおとなしくなっちゃったゴロよ」
「そっか。それは良かった」
 ユン坊は胸を弾ませ、とっておきの話をした。
「あのね、さっきボク、ルーダニアの上に立つダルケル様を見たんだよ! あれは幻だったのかなぁ? でもなんだか少し勇気がわいてきたゴロ」
 リンクはそれを聞いて驚いたようだったが、黙って笑みを返した。
「あっそうだ! リンク、組長に会いに行くゴロ。ボクが事情を説明したら、とっても喜んでたゴロ! 早く来るゴロ」
「う、うん」
 リンクはやや強引にユン坊に手を引かれ、組長と呼ばれるゴロンの家へと向かう。ウルフはその後ろを追いかけた。
(そういえばユン坊、言葉づかいが変わったか? 『コロ』から『ゴロ』になってる)
『コロ』といえば、ウルフのいたハイラルでは子どものゴロンが語尾につけていた。それが、大人の使う『ゴロ』になったということは――
(あの戦いで成長したってことなのかな)
 しかも、それはリンクが促したものだ。自分が他者に与える影響を、彼は自覚しているのだろうか。何気なくウルフが見上げると、リンクはユン坊の隣でへらへら笑いながら、ゴロンシティのマグマの上にかかった橋を渡っている。
(気づいてなさそうだな……)
 それにしても、熱い。暑い、ではなくもはや熱い。ウルフは舌を外に出して体温調節を図った。燃えず薬をたっぷり飲んでいても、やはり熱さは厳しかった。飲み水はゴロンシティで大量に仕入れていたはずだが、デスマウンテンの火口で戦っていたリンクはそれでも干上がりそうだったことだろう。
 ゴロンの組長ブルドーは右目を眼帯で隠したゴロン族だ。白い髭と髪と眉毛とが全てつながっている、特徴的な見た目をしていた。髭はあごの下でいくつかの房に分けて結っており、そのあたりが彼一流のおしゃれなのかもしれない。
 自宅で待っていたブルドーは歓声を上げた。
「オォ、ユン坊! リンクを連れてきてくれたのか。お前ハイリア人なのにすげぇなぁ、あのルーダニアをやったんだろ? このユン坊もちっとは役に立ったか」
 組長はばしんばしんと容赦なくユン坊の背を叩く。「ぼ、ボクだって結構がんばったゴロ~」とユン坊は半分悲鳴を上げていた。
「二人とも大したもんだぜ、全く。オレの腰痛も治ってきて、今からルーダニアを潰しに行こうと思ってた矢先によォ。これじゃ仮病使ったみたいじゃねェかァ……」
(気にするところ、そこかよ)
 ウルフは呆れたが、リンクははばかることなく、くすっと笑っていた。
「まあ、とにかくありがとよォ! ワーッハッハッハ」
 リンクはブルドーから友情にあふれた平手打ちを背中に食らい、地面に膝をついてむせた。
「おっとやりすぎた。悪ィ悪ィ。にしても、ユン坊もどことなくしっかりしやがった。アンタのおかげだよ」
 リンクは「そうなの?」と言いたげに首をかしげた。ユン坊ははにかんだ笑みを返す。
「それにしても……見てみろィ!」
 ブルドーが示すのは、デスマウンテンの頂上にでんとおさまったルーダニアだ。動き出す気配はまるでない。
「神獣ヴァ・ルーダニアもおとなしくなっちまってざまあねぇな。これでまた、デスマウンテン近くの鉱石を採掘できるってもんだぜィ」
 ゴロンたちは鉱石を他種族に売って生計を立てているらしい。ウルフのハイラルでは主に温泉が収入源だったと記憶している。同じ種族でも、ずいぶんと様相が異なるようだ。
 ブルドーはリンクに視線を戻した。
「……そうそう、アンタに礼しなくちゃなァ!」
「そんな、別にいいですよ」
「構うこたぁねえ。良かったらこれを持ってってくれや」
 ブルドーは家の壁にかけてあった大剣を差し出した。石打ちよりもさらに大きい。リンクに扱えるギリギリのサイズだろう。
「巨岩砕きだ。ダルケル様が使っていた特別な業物だから、きっとアンタの役に立つと思うぜェ。ほらよ」
「うわっ。あ、ありがとうございます」
 ブルドーによって軽々と放られた武器を、リンクは全身全霊をもって受け止めなければいけなかった。腕がずしりと下がる。これを抱えて下山するのかと思うと、あまり喜んでもいられないだろう。
 リンクは「あっ」と声を上げる。
「でも、いいのユン坊? ご先祖様の武器を僕が持ってっちゃって……」
「いいゴロ。旅をしてるリンクが使うのが、一番その武器にとっていいゴロ。組長もそう思って渡したゴロ」
 ブルドーはいい笑顔を浮かべていた。ユン坊の成長が嬉しくて仕方ない、という風である。そして、巨岩砕きを持つリンクをまじまじと見つめた。
「しかしなんだなァ。アンタもハイリア人なら知ってるかもしらねェが、百年前のハイリアの英傑様も、退魔の剣とかいう剣を持ってたらしいなァ」
「ああ……話は聞いたことがあります」
「その剣はここから西の迷いの森に眠ってるって噂だぜィ」
(なんだって!?)
 ウルフは浮足立った。いきなりマスターソードに関する重要な情報が出てくるなんて、油断ならない。ここから西――迷いの森まではどのくらい距離があるのだろうか。今すぐリンクからシーカーストーンを奪い、地図を確認したくてたまらない。
「なんなら、アンタも探してみたらどうだィ?」
「んー、考えておきます。その退魔の剣がひとりでに動いて敵を勝手にやっつけてくれる、とかなら探す気も起きるんですけどね」
「なんだァ、そりゃあ」
 ブルドーは冗談と受け取ったようだが、リンクの目は真剣だった。
(目下のところ、マスターソードに近づくにあたって一番問題になるのは、距離よりも何よりも、こいつの存在だよなあ……)
 ウルフはうんざりした。明らかに退魔剣探しに乗り気でないリンクを、どうやってその気にさせればいいのだろう。こういう時、言葉によって思いを伝えられないことがもどかしくなる。
 巨岩砕きを背負ったリンクはあることを思い出して、ブルドーに小声で何かささやく。
「あの、ひとつだけお願いがあるんですけど……」
 内容を聞いたブルドーは厳しい顔をしたが、リンクが必死に頼み込み、なんとか了承してもらう。
(ああ、もともとここに来たのはそれが目的だったな)
 と耳の良いウルフはため息をつく。
「それじゃ、そろそろ行きますね」
 組長の家から出た瞬間から、ハイリアとゴロンの戦友たちはそれぞれ別の道を行く。ユン坊はゴロンシティに守るべきものがあり、リンクは旅の中に見つけたいものがあるからだ。
 別れの間際、ユン坊はおずおずと尋ねた。
「ボクもリンクみたいに強くなれるかな……?」
 リンクは心底びっくりしたように口を開けた。それからにっこりと笑う。
「大丈夫。僕全然強くないし、ユン坊なら楽勝だよ」
 ユン坊は底抜けに明るい笑みを浮かべた。
 リンクは組長の家から十分に離れてから、
「さあて、やっとイチカラ村の移住候補者を探せるぞー!」
 とこぶしを振り上げた。
 リンクがゴロン族の住まうオルディン地方を訪れた真の目的は、神獣ではなくそちらであった。最初から分かっていたのに、ウルフはがっかりしてしまう。
 すでに、リンクは候補者の見当をつけていた。ゴロンシティに来る前に通った南の採掘場。あそこに「ププンダ」「グレーダ」という兄弟がいる、と噂を聞いていたのだ。しかし、採掘真っ最中の昼間に訪れたため、鉱夫たちは皆忙しそうにしており、誰も話を聞いてくれなかったのである。
 間の悪いことに、すでに夜は明けている。採掘場のゴロンたちは徐々に活動しはじめた頃だろう。
 一方のリンクは、神獣内部で一晩中戦い続けていた。彼はふわあ、と大きなあくびをする。
「まずは腹ごしらえと睡眠かなあ。よーし、ゴロンの香辛料で辛ぁ~い料理でもつくろうかな。宿は奮発して岩盤浴ってのをやってみるぞ」
 旅を続けるうちに、リンクは多少、料理の腕を上げていた。カカリコ村で恥も外聞もなく小さなココナに指導を仰ぎ、「まずはブナンな食材の組み合わせから試すのがいいのですよ」とまともすぎるアドバイスをもらったことが大きい。
 リンクはのんびりと宿を目指す。それを追うウルフの頭の中では、マスターソードの話がぐるぐる回っていた。
(あと少しだ。あと少しだけ我慢したら、元の姿に戻れる。そうしたら、リンクとも別れるのか――?)
 最初はそのつもりだった。けれども、だんだんと事情は変わってきた。
 第一に、自分がいなくてリンクはまともに勇者としてやっていけるのか、という疑問がある。
「僕は彼がいないと何もできない」という発言には驚いた。そしてウルフがいなくても普通に神獣を攻略できている事実にも。完全に矛盾している。終始へらへらしているリンクだが、ふとした時に見せる影の一面がどうしても気になってしまう。
 第二に、シーカー族と交渉するにしても、リンクがいた方がおそらく話が簡単になる。彼と共にいることによるメリットは確かにあった。
(そういえば……俺が元の姿に戻っても、リンクは今と同じような感じで接してくるのかな)
 かの勇者は非常に分かりやすい気質のはずが、これだけはウルフにも読めなかった。



 たっぷり睡眠を取ると、もう夜だった。岩盤浴で思う存分汗を流したリンクはすっきりした顔をしていた。日が沈んで少しだけマシになった気温の中、二人は南の採掘場に歩いていった。
 山道の脇にある岩場が採掘場である。ここはルーダニアが暴れた影響によりデスマウンテンで採掘ができなくなったため、新たに開発された場所だった。
 休憩スペースの天幕の下に、眠そうに目をこすっているゴロンの子どもがいた。黄色いヘルメットをかぶり、あごの下によだれかけのようなものをつけている。
 リンクは子どもに近寄り、じいっと見つめた。
「……ボクの顔に何かついてるコロ?」
 当然、子どもは不審そうに問う。
「きみの名前はなんていうの?」
「ボク、ププンダ!」
「名前の最後が『ダ』だね!?」
 リンクはものすごい勢いで食いつく。不審者扱いされないか、とウルフは危ぶむ。
 幸いにも、ププンダは「うん!」と無邪気に笑ってくれた。
「ねえきみ、腕っぷしが強かったりしない?」
(まさかこんな子をイチカラ村に連れて行くのか!?)
 あの僻地の村で待っているのは、岩を砕く大仕事だ。いくらゴロンでも子どもに任せていいものではないだろう。
「強いコロ!」
(即答かよっ)
「でもグレーダ兄ちゃんはもっと強いコロよ~!」
「へえ、そうなんだー」
 リンクはにんまりした。その答えを待っていた、というように。グレーダとププンダの兄弟――噂で聞いた通りだった。
「良ければ、僕にお兄さんを紹介してくれないかな」
「いいコロ。連れてくるコロ」
 親切なププンダは、向こうで休んでいた兄を引っ張ってきてくれた。
「休憩中なのに……何か用?」
「あなたがグレーダさんですよね。ここで働いてるんですか?」
「見ての通りの採掘員ゴロ」
「お仕事や現状に不満を抱えていませんか」
 いくらなんでも、質問が直球すぎるだろう。採掘員と言えば、ルーダニアの危機が去ってデスマウンテンに入れるようになったこれからが出番だろうに。
 だが驚くべきことに、グレーダは心の底から不満がある、というようにうなずいた。
「実は……毎日毎日採掘採掘で、やんなったゴロ。ボクはこんなところでくすぶってる場合じゃないと思うゴロ」
 見ず知らずの人間に愚痴を言うほどだ。リンクは水を得たゾーラのように、はたまたロース岩を食べたゴロンのように目を輝かせる。
「グレーダさんは腕っぷしに自信があるとお聞きしました。実は、あなたの長所を活かせる耳寄りな情報があるんですよ!」
(一体どこで覚えたんだ、そんなセールストーク)
 リンクの精いっぱいの勧誘は、ウルフにとってはかなり怪しげなものに聞こえた。
「え……? どういうことゴロ? 人様の役に立てる仕事が、この近くにあるゴロ?」純朴なゴロンはあっと言う間に引き込まれていたが。
「その通りです。場所はここからちょっと離れてるんですけど……イチカラ村です」
「聞いたことないゴロ。くわしく教えるゴロ」
「東にあるアッカレ地方で、サクラダ工務店さんがつくりはじめた村です。まだまだ発展途上にある村なので、腕っぷしの強いあなたみたいな人を探していたんです!」
「へぇ、アッカレ地方……そこに、ボクを必要としている人がいるゴロね」
「そうなんです。お願いできませんか」
 明らかにグレーダの心は動きかけていたが、何かが足を引っ張っていた。
「で、でもボクは組長に頼まれた採掘員ゴロ……勝手にここから出ていくわけにはいかないゴロ」
 当然その話になる。だが、リンクの根回しは完璧だった。
「実は、ブルドーさんにはもう許可をいただいてるんです。採掘員を一人、もらってもいいって」
 ルーダニアを退けたリンクは、その立場を利用してブルドーに直接交渉したのだ。グレーダが抜けてできる穴と、神獣の危険が去り旅人たちがもたらすであろう経済効果を照らし合わせれば、ブルドーはうなずかざるを得ない。リンクはなかなか意地の悪い交渉術を持っていた。
 グレーダは輝ける未来を見透かすように、黒い眼をきらめかせた。
「よ……よし、そういうことなら善は急げゴロよ」
「行ってくれますか!」
 グレーダは大きく頭を縦に振った。
「教えてくれてありがとう。早速ププンダと一緒に行くゴロ!」
(弟も連れて行くのか……)
「ありがとうございますっ」
「そうと決まれば。ププンダ、行くゴロォ!」
「……コロ!」
 ププンダは文句も言わず、兄に従うようだった。兄弟二人は体を丸めて地面を転がり、下山していった。
「ふっふーん。我ながら、なかなかの説得術だったなあ」
 リンクは自画自賛している。元からグレーダが不満を抱えていたといえど、彼の話術によってスムーズに事が運んだのは間違いない。ウルフはなんとなく釈然としなかったが。
 リンクはウルフに微笑みかけた。
「さあて、僕らも下山しないとね。エポナが山麓の馬宿で待ってる」
 麓にある馬宿で休んだ際、「馬は火山地帯に連れていけない」と馬宿の主人に引き止められたため、預けてきたのだ。
(そうだ。エポナにも、マスターソードの話をしないとな)
 もしも元の姿に戻れたら――ウルフはブルドーに迷いの森の話を聞いて以来、そのことばかり考えている――下手をすれば、リンクと自分でエポナの取り合いになるのだろうか。正直、負ける気はしない。何せウルフとエポナとは、ある人と共に魔王と戦った経験すらあるのだ。
(頼むから、さっさと西に、迷いの森に向かってくれよ……)
 ウルフは、このハイラルで一番有名な神様であろう女神に祈った。
 だが、このリンクが思い通りに動いてくれるはずがないのだ。



 オルディン地方を出てリンクが向かったのは、当然のように迷いの森ではなかった。むしろ遠ざかる方向――東だったのである。街道沿いに、赤や黄色に色づいた綺麗な木の葉が増えてくる。アッカレ地方だ。
 リンクはグレーダたちを追って、イチカラ村に戻るつもりなのだ。
(まあ、別にいいよ。こうなるのは薄々分かってたからな。ふーんだ)
 自分を慰めるウルフに対し、ここのところリンクはご機嫌だった。馬宿から引き取ったエポナに荷物を預け、のんびりと街道を征く。時折写し絵を撮る余裕すらあった。
(俺、延々アッカレ地方とカカリコ村近辺を往復してる気がする……)
 ウルフはまだシーカーストーンの地図の東半分くらいしか歩いていない。西は完全に未知の領域だった。
 リンクは基本的に、避けられない戦い以外は徹底して避ける。戦うと疲れるし、武器防具は壊れるし、倒しても結局赤き月で復活するし、そもそも魔物にだって己の生活はあるしで、戦闘によるメリットが薄いかららしい。相手の強力な武器を奪える、魔物の体の一部を素材として入手できる(意外と高く売れたりもする)という大きな利点があるだろう、とウルフは思うのだが。ともかく、そのおかげでウルフはすっかり忍び足がうまくなってしまった。
 しかしリンクは、アッカレ大橋を渡ったところで珍しく自ら戦いを仕掛けに行った。遠くに見かけたモリブリンにこそっと近づいていくと、背中から不意打ちを喰らわせる。荷物の肥やしになるばかりだった石打ちを、大胆にも脳天に向かって投げつけたのだ。
 ウルフの出る幕もなく、モリブリンは情けない断末魔とともにバランスを崩し、すぐ脇の崖下へと落ちていった。
 もちろんこの非道な仕打ちには理由がある。何故なら先ほどのモリブリンは、崩れた橋を背にする旅人に襲いかかっていたのだ。
「大丈夫でしたか?」
 リンクは肩で息をする旅人に駆け寄り、ハイリア草と呼ばれる回復効果の高い薬草を差し出す。
「す、すまない……。はっきり言って、今の魔物はやばかった」
 そのハイリア人の男はぼろぼろになった白い前掛けをしていた。胸のあたりには、ウルフも知っている、正三角を三つ組み合わせたハイラル王家の紋章が刻まれていた。
(もしかしてこいつ、ハイラルの兵士の子孫とか?)
 旅人はハイリア草を少し食んで人心地つくと、姿勢を正した。
「私はネルフェン。剣には自信があったのだが……。これは礼だ、取っておいてくれ」
 それはカチコチ薬という、頑強さを上げる薬だった。リンクはありがたく受け取る。
「あの、こんなところに何をしに来たんですか」
 リンクが尋ねると、ネルフェンは首を上に向けた。視線の先には、リンクが「面倒だ」と言って無視し続けているアッカレ地方のシーカータワーがある。その根本に、黒っぽい頑強な建物がとりついていた。
「私はこの砦を目指してここまで来たんだ」
「砦……ですか?」
「ああ。あれはアッカレ砦。ハイラル王国がまだ健在だった頃、このアッカレ地方を守るために建設されたもので、難攻不落の砦と言われていた」
「何もない」と言われるアッカレ地方を守る砦とは、またおかしな話だ。大昔にはアッカレ古代研究所もなかっただろうに。
「それが、あの大厄災でハイラル城が焼かれ、王と姫君を失ったハイラル軍はなすすべをなくし……ここを拠点にして最後の抵抗をしていたそうだ」
 そして今では、砦はあの物騒な飛行物体に支配されている。結末は明白だった。
 ネルフェンは力なく首を振った。
「だが暴走したガーディアンの猛攻を止められるわけもなく、結局は砦は陥落した……。いわばここは、ハイラル王国が滅んだ最後の地だ」
 ウルフはぶるりと体を震わせた。この砦には無数の屍が眠っているということだった。背筋が寒くなる。
 一方リンクの表情は奇妙に不透明で、悲しんでいるのか怖がっているのか、よく分からない。瞳の色だけが妙に澄み渡っていた。
 ネルフェンはこぶしをぎゅっと握った。
「私の先祖もここで死んだと聞いてな。一度は弔いをしたいと足を運んだのだが……ガーディアンが動いているとなると、ここまでのようだな」
「あの飛んでるやつも、ガーディアンなんですね」
「ああ。ガーディアンに立ち向かって生き残った人間はいないそうだ……」
 だが、ハテノ砦で大厄災と戦った剣士――おそらく百年前のリンクは生き残った。いや、正しくは彼も「死んだ」と言うべきなのか。
「お前はそんな無謀なやつには見えないが、もし砦に向かうのなら十分注意するのだぞ」
「あ、はい」
 当然、リンクには微塵もそんな気はないだろう。ガーディアンと砦から興味をなくしたように、顔を背けている。
 ネルフェンは遠くを見透かすように目を細めた。
「こんな巨大な建造物や廃墟になった街を見ていると、いかに昔のハイラル王国が栄華を誇っていたというのが見てとれるな。次は中央ハイラル平原の遺跡でも巡るか……。
 では、またどこかで会えたら」
 と言い残し、兵士の子孫は去っていった。
「僕、絶対ガーディアンなんかと戦わないからね」
 リンクは無意味な宣言をする。彼はロベリーからガーディアンに効くという古代兵装・矢をもらっていたが、結局あの矢はエポナの背負った荷物の奥にしまい込まれたままだ。いずれハイラル城に向かうとなると、そこには厄災の操るガーディアンがたくさんいると思われる――
(こいつのことだから、全力で戦いを回避していきそうだな)
 その様子がありありと想像できるウルフであった。
 アッカレ砦の脇を抜け、イチカラ村に向かう道を辿る。今回はさすらいの料理人マッツには会わなかった。リンクは「料理の腕を見せたかったのに」と残念そうにしていた。
 アッカレ湖は今日も穏やかに光を反射している。東から例の小島へと回り込むに連れて、村の様子が明らかになってきた。
 イチカラ村予定地は、相変わらず荒涼とした土地だった。しかし岩は半分ほどに減り、その分平地ができて、家まで建っている。入口にたどり着いたリンクは矢も盾もたまらず駆け出した。
 エノキダは今日も黙々とツルハシを振るって岩を削っていた。奥にある別のかたまりのそばには、グレーダもいる。リンクが近寄ると、エノキダは気づいて手を止めた。
「リンクか。ゴロン族を連れてきてくれてありがとう。さすがは力自慢のゴロン族、確かな腕っぷしだ。すごい勢いで岩を撤去してくれている。名前もグレーダとププンダで申し分ない」
「それは良かったです!」
 リンクは満面の笑みを浮かべた。たまたま名前の最後が「ダ」で、かつイチカラ村の建設に積極的なゴロン族。それを偶然見つけるのは、どんな確率だろうか。
「それと、岩を壊したら出た鉱石をププンダが売りはじめた。あとで見ていってくれ」
「へえ……分かりました」
 まっさらだった土地に、もう産業が生まれはじめている。このようにして、徐々に村としての体裁が整っていくのだろう。
「さて、次なんだが」
(やっぱりまだあるのかよ)
 あまり次々と頼まれると、肝心の勇者業が進まなくなる。何しろこのリンクは根っからの寄り道好きだ。できればゾーラの里やカカリコ村ではなく、リンクの行ったことのない場所にいる人物をご所望ならいいのだが――
「一日中作業をしていたら、すぐに作業着が傷んでしまってな……なので裁縫が上手なやつを探してくれないか?」
(また抽象的だなあ)
「お裁縫が上手って、おばあちゃんとかですか」
 記憶喪失のくせに、リンクは妙に偏ったイメージを抱いていた。
「いや、裁縫が上手といえば、ゲルド族を当たればいるかもしれない」
 リンクはきょとんとし、ウルフはぴんと耳を立てる。ゲルド族。ウルフも聞いたことのない種族だった。
「ゲルド族ってどういう人たちなんですか」
「会ったことがないのか。砂漠に住む、背が高くて、女性しかいない種族だ」
「女性しかいない!?」
(それで子孫を残せるのか……!?)
 一体どういうカラクリなのだろう。ウルフは俄然気になってきた。砂漠と言えば森とは正反対の土地になるわけだが、そこは道中に森があることを期待しよう。
「そして、彼女たちの住むゲルドの街には、どの種族であろうと男は入れないらしい」
「へええ……」
 変わった種族もいるものだ。街にリンクが入れないとなると、一気に勧誘できる幅が狭まる。うまく条件の合う女性がいることを祈るしかない。
(ていうか、こいつに女性を誘うなんて高等技術があるのか?)
 一応、パーヤの心はばっちり射止めているようだったが、基本的にリンクは女性に対してそこまで興味を示さない。男女構わず同じような接し方をしていた。
(絶対ナンパなんてできないタイプだな)
 ウルフは思いっきり自分を棚上げにしていた。
「とにかくゲルド族ですね。分かりました」
「ああ。彼女たちは花嫁修業のために、裁縫やら料理を熱心に練習していると聞いたことがある。だがそんなに都合よくいるもんだろうか……」
「また探してみます。名前の最後が『ダ』ですよね?」
「そうだ。よろしく頼む」
 エノキダは目礼した。ゴロンを首尾よく見つけてきたことで、本格的にリンクを信用する気になったようだ。この調子だとどんどん仕事を投げられてしまいそうで怖い。
 リンクはぐるっとイチカラ村を一周することにしたらしい。ププンダが開いたという店に足を向ける。と言っても露店で、雨を凌ぐための屋根すらない。しかし、店頭にはダイヤモンドやサファイアといった、旅をしていてもたまにしか見つからない貴重な鉱石がごろごろ置いてある。どうやらここは相当に豊かな土地だったようだ。
「あ、グレーダ兄ちゃんのお友達の人コロ!」
(あれ、そうだっけ?)
 グレーダ兄弟とは一度会ったきりなのだが。リンクは気にせず、
「こんにちは。イチカラ村はどう?」
「寒いコロ。ゴロンシティが熱すぎたってのもあるけどね」
「あはは。そっか」
 ちなみにアッカレ地方はウルフにとってはちょうどよい気候である。
 ププンダは破顔した。
「でも兄ちゃん、南採掘場にいた時より楽しそうコロ! 岩をどかすのが早いって褒められてたから、きっと嬉しいコロ。リンクも会いに行くコロ」
「うんっ」
 リンクは自分まで嬉しくなったようだった。高揚した気分のまま、作業に没頭するゴロンの元へ走る。
「グレーダさん、お疲れさまです」
 リンクが呼びかけると、グレーダはツルハシを止める。ヘルメットが日差しで輝いていた。
「オー、キミかー! ボク、見ての通りバリバリやってるゴロよ! 岩を壊せばエノキダに褒められるし、結構鉱石も取れるみたいゴロ。もっともっと働いてイチカラ村を立派にするゴロー!」
 グレーダは採掘場にいた時の無気力っぷりが嘘に思えるほど、前向きになっていた。
「ありがとうございます。僕も紹介した甲斐があるってものです。そうだ、この村って、旅人は来ますか?」
 グレーダは少し考え込むようにあごをなでる。
「そういえば、ちょっと前までここにリト族の吟遊詩人がきてたゴロ」
(もしかして、山麓の馬宿で聞いたやつか?)
 姿は見ていないが、馬宿を訪れた旅人たちが噂をしていた。少し前までここに珍しい吟遊詩人がいた、と。
「各地に伝わる言い伝えを集めて、あちこちに広めて回っているみたいゴロ。詩がうまくて休憩中のいい暇つぶしになったゴロ。次は南の方に行くって言ってたゴロ」
「へえー……」
 リンクたちと同じように旅をしているのなら、その吟遊詩人ともいつか出会うのかもしれない。リト族、というのはまた知らない種族だった。
 一通り村の様子を確認して、リンクは胸いっぱいに息を吸い込んだ。
「いい村になるといいなあ」
 彼はどうしてこんなにもイチカラ村に協力的なのだろう。村がだんだんできていくのは面白い体験だけれども、旅の目標として最優先にすべきものなのだろうか。
 リンクはシーカーストーンを眺めて次の目的地を探している。
「そうだ、ウルフくんを案内したいところがあるんだった。一度荷物も整理したいし。よし、帰ろう」
(帰るって、どこにだよ。お前が百年寝てたっていう祠か?)
 リンクはエポナを促しイチカラ村出口を目指す。ウルフは内心首をかしげながら従った。
 ――彼はすっかり忘れていたが、リンクは帰る場所を手に入れていたのだった。



 久々のハテノ村である。ゆっくり回る風車の根元で小麦畑が豊かに実り、黄金色の穂を垂れていた。
 リンクはエポナの手綱を引き、目抜き通りから一歩それる。そこには、イチカラ村で見かけたのと同じ形のカラフルな家が何軒か建っていた。家の間を抜け、崖にかかった吊橋を渡ると、それがあった。
「じゃーん。ここが僕の家!」
 自慢げに腕を広げるリンク。ウルフはぽかんと口を開けた。
(これを自分で買ったっていうのか……!?)
 おそらく三、四人の家族で住むような二階建ての家である。広葉樹が木陰をつくる広い庭に、馬屋までついていた。
(一体いくらしたんだよ、これ)
 しかし観察するうちに瑕疵も見つかった。家は一見すると立派だが、一部の壁が壊れかけで、何故か玄関扉がない。取り壊される寸前だったところを買ったと言っていたので、そのせいだろうか。
「どう、すごいでしょ」
 リンクは一人ではしゃいでいる。ウルフは家の規模に少しでも圧倒されてしまったことを認めたくなかった。だが、
(ウルフのおうちより大きいね)
 というエポナの何気ない一言が、ぐさりと心に刺さった。一人暮らしに特化したウルフの自宅と比べると、二倍以上の床面積がありそうだった。
 家のそばにある野外炊事場では、青い法被を着た二人の男がくつろいでいた。
(なんだこいつら)
 人様の家の前で火を焚いているなんて、怪しすぎるだろう。
 近づいてきたリンクに気がつき、片方が立ち上がる。
「ハ~イ、久しぶりね」
「サクラダさん。すみません、家の留守を見てもらっちゃって」
 サクラダといえば、サクラダ工務店の社長だろう。彼が例の妙なダンスを広めている張本人らしい。禿げ上がった頭――もしかしたら剃っているのかもしれない――に、ピンクのはちまきを巻いている。そこはいかにも大工らしいのだが、つぶらな瞳となよなよした仕草にウルフは違和感を覚えた。
「でもアナタ……まだまだ満足してないって顔してるわね」
「え?」
「フフッ、言わなくても分かるワ。家を買っただけで、中身はカラッポだものね。あなたなら、特別価格にするワよ」
 どうやらサクラダは、自分の工務店にリフォーム工事を発注せよと言っているらしい。リンクもそのことに思い当たったようで、大きく首肯した。
「いいワ、そのガッツいた目……ほんとアタシの若い頃そっくり」
「えへへ、そうですか?」
(照れるな照れるな)
「というワケで、アタシが家具でも外構でもなんでも五千ルピーで――と言いたいところだけど、アナタなら百ルピーでつくってあげる!」
 おまけのしすぎである。それだけ値引きをして採算がとれると思えない。リンクは変な意味でサクラダに気に入られているのではないか、とウルフは一瞬不安になった。
「ありがとうございます! とりあえず、玄関扉とベッドが欲しいんですけど」
(ベッドもなかったのかよ)
 ウルフやエポナに堂々と自慢するほどの家ではなかったわけだ。
 リンクは即金で百ルピー払った。地道に素材や鉱石を売って小金を貯めていたのはこのためだ。
「よし、オッケー! やるわよカツラダ」
「了解ッス」
 カツラダと呼ばれた弟子らしき男は腰の大工道具に手をやる。
 サクラダははちまきを締め直し、軽く腕を回した。
「さてと……腕がなるワ~。カツラダ、アナタの中の漢を見せて!」
「待ってましたッス!」
 カツラダは威勢よく応じた。
 二人が仕事をはじめてから注文の品が完成するまでは、あっという間だった。寸法を測り、図面を描き、材料を用意し、切り出して組み立て、据え付ける。リンクがわざわざ鍋の前でぼうっとして暇をつぶすこともなく、扉とベッドは完成した。
「我ながらなかなかの力作よ」
 やりきった顔で工務店の二人が家の中へと案内する。玄関扉はスムーズに開閉し、一人で寝るには大きすぎるくらいのベッドが二階のロフトに置かれた。寝具は当然新品ぴかぴかだ。
「すごい! ありがとうございまーすっ」
 照明すらないが、ベッドがあるだけでずいぶんと「家」に近づいた気がする。
「つくってほしいものがあれば、また呼んでネ」
 サクラダは語尾を弾ませ、カツラダを連れて家から出て行った。
「よし……荷物の整理でもするか」
 リンクはずっとエポナの背に預けていた袋を下ろし、彼女を馬屋に案内してたっぷりの水と食料を与えた。やっとエポナの努力が報われたようで、ウルフもほっと一息ついた。
 階下の収納スペースには、少しガタのきていたミファーの槍と、結局一度も使っていないダルケルの大剣が置かれた。
「なんかもったいなくて使えないよね、こういうの……。壊れたら直してくれるらしいけどさ」
(気持ちは分かるが、なあ)
 現代に生きる英傑の関係者たちはきっと、勇者に使ってもらいたいがために武器を託したのだと思うのだが。
 それに、リンクは未だに一度も英傑の服に袖を通していない。理由は不明だが、勇者であることを嫌がっていたことに関係がありそうだ。インパはさぞ嘆いていることだろう。
 リンクは自作の晩ご飯で空腹を満たすと(ウルフは当然調理前の食材を食べた)、ベッドにごろんと寝転がった。明かりがないため日が沈むとやることがないのだ。ウルフもクッションを与えられ、その上にうずくまる。
 ふとんにもぐりこみ、リンクは誰ともなしにつぶやく。
「本当に、なんでここを買ったんだろ。でもこの家を見た途端、欲しくてたまらなくなったんだよね……。
 そういえば、前にハテノ砦でこの村を守ったっていう剣士の話を聞いたでしょ。その剣士のがんばりがあったから、この家も守れたんだよね」
(ん、この家は百年前からあったのか?)
 彼の発言からするとそういうことになるが――ウルフは目を閉じたまま、脳裏に疑問を浮かべる。
 リンクはベッドの上で寝返りを打った。声は眠気でとろりとしていた。
「明日はプルア博士に会いにいくよ。エポナを見せて、また驚かせようね……」
 すやすやという寝息が聞こえてきた。ウルフも本格的に睡魔に襲われる。
 ――久々に、夢を見た。



 どうやらウルフがたまに見る夢は、その土地で起こった過去の出来事のようだ。さらに、その場にいる誰かの視点を借りて見ているわけではなく、透明なウルフがその場にいて、過去の光景を眺めている状態に近いらしい。
 というわけで、今回の夢の舞台はリンクの買い取った家であった。
 まだ玄関扉がついていた頃の話だ。家の一階には、何故か大勢の兵士がひしめいている。二十人近くはいるだろうか。どの鎧も汚れ、少なからず血がついていた。力尽きて床に座り込む者、黙々と剣を磨く者などさまざまだが、皆が皆、決死の表情をしていた。
(もしかして、大厄災の直後くらいか……?)
 以前双子馬宿で見た、百年前のリンクの姿が思い出される。自然とウルフの気は引き締まった。
 兵士たちの中でもとりわけ立派な鎧をまとった人物が扉の前に立って、拳を振り上げた。
「皆、よくここまでたどり着いてくれた。私はもう隊長を引退した身だが……この老体に宿る力、全てハイラル王家のために使いたい」
 彼の金の髪には白いものが混じっている。現役を退いたとはいえ、体の鍛え方も眼光の鋭さも、そこら辺の兵士をはるかに上回るだろう。ただ、片足をかばうような立ち方をしていることが気になった。もしかすると足を悪くしているのかもしれない。
 皆は低く声を上げて、肯定の意を示した。
 元隊長――ハイラルの騎士団長でも務めていたのだろうか――と名乗った男はたっぷり時間をかけて傷ついた兵たちを見回し、宣言する。
「我々はハテノ砦ではなく、アッカレ砦に向かう」
 家の中を漂う淀んだ空気に、動揺が走った。一人の兵士が立ち上がり、元隊長に詰め寄った。
「な、何故ですか。ハテノ村やカカリコ村は見捨てるのですか!」
「違う。我々がガーディアンの注意を引きつけるのだ。それが村を守ることにつながる」
 元隊長は冷静に言い放つ。しかし、ウルフには分かってしまった。あれは死地に赴く者の目だ、と。アッカレ砦といえば、イチカラ村に行く前に出会ったネルフェンの発言が脳裏によみがえる。
(アッカレ砦に立てこもる前、兵士たちはこの家に集まってたのか……)
 何故この家なのだろう。ハテノ村は大厄災の被害が少なかった場所なので、兵士たちが逃げのびていてもおかしくない。だが、どうして他の家でなく、いずれリンクが買い取るこの家に集まったのだろう。集会を開くのにちょうどよい規模だったのか。もしくは元隊長の実家だったのかもしれない。
 ウルフの疑問に答える者はおらず、兵士たちは元隊長の発言に心を震わせているようだ。命を捧げようとしている彼の思いがよく理解できるのか、中にはすすり泣く者もいる。
「きっと、帰れない旅になる。それでも、ついてきてくれるか」
 涙を浮かべた兵士が耐えきれないように声を上げる。
「隊長。息子さんのことは――」
「……あいつは騎士として使命を全うした」
 ぴしゃりと遮ると、元隊長は篭手をはめ、黒い大剣を背負う。
「それに、この家があれば、息子が帰ってくるような気がするんだ」
 元隊長は玄関を開け放ち、外に踏み出す。
 その寸前、ウルフの目に映った横顔は、どこかリンクと似た笑みを浮かべていた。

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