第三章 Climb every mountain



「……マジ? 今度は馬まで呼んじゃったの?」
 翌日のウルフの目覚めは最悪だった。がんがんする頭を抱えてハテノ古代研究所までやってきた彼は、プルア所長の甲高い悲鳴を聞いて、よりひどい痛みに襲われた。
 リンクは得意気に胸を張る。
「どうです、すごいでしょう!」
 開け放った扉の向こうにはエポナがいて、白く美しいたてがみを風になびかせていた。
 シーカーストーンの第一人者と呼ばれるプルアにも、この現象は全く予想できなかったらしい。
「もはやシーカーストーンの機能じゃないでしょそれ……。そうそう、あれからいろいろ調べてみたけど、結局ウルフがこっちに来た原因は分かんなかったヨ。こんな馬になると、もうお手上げだわ」
 プルアは心底うんざりしているようだった。ウルフとしても、召喚の原因が不明なのは遺憾である。もっとも、プルアたち古代研究者はウルフを帰したくないらしいので、わざと調べないでいる可能性は否定できないが……。
 リンクはウルフの新たな情報を聞き出せなかったことに対して、これといって残念に思ったようでもなく、
「そうですか……それはそうとして、もうひとつお願いがあるんです」
「何? あ、ハイラル図鑑のデータでも買ってく?」
 資金難はどこの研究所でも同じらしい。がめつく儲けようとするプルアにリンクは首を振る。
「そうじゃなくて。シーカーストーンのワープって、二人以上で使えるようになりませんかね」
 プルアはメガネいっぱいに瞳を開いて、小さな頭を掻きむしった。
「むぎゃー! またむちゃくちゃな提案するんだから!」
「だって、ウルフくんやエポナを置いて冒険なんてできませんよ!」
「だったらお金! お金ちょうだいよ! お金がなくちゃ開発したくない!」
 プルアは叫びまくって身もだえした。助手のシモンは苦笑すらせず、わざと本棚の整理に没頭していた。ウルフもできることなら知らんぷりを決め込みたい。こういう時、我関せずを貫けるエポナのポジションが羨ましくなる。
「お金ですか……。一体いくら必要ですか?」
「十万ルピーでいいヨ」
(じゅうまん……!?)
 目玉が飛び出るかと思った。家の整備にぽんぽん百ルピー払うリンクもリンクだが、さらっと十万ルピーを欲しがるプルアも異常だ。かつてウルフは、寄付という形で千ルピー単位の金を扱ったことがあるが、それよりも二桁上になると想像もできない。
「十万ルピーかあ……」
 リンクは腕を組み、どうやら真剣に検討しているようだった。プルアは面白がるような目線を向ける。
「ほー。稼ぐあてでもあるの」
「ないことはない……です」
(嘘をつけ)
 ちなみにウルフにはまったくない。リンクの自信は一体どこから来るのだ。
 リンクの収入源といえば、各地を旅して手に入る素材を売り払うことである。一山当てるには希少な鉱石の採掘が一番だろう。だが十万ルピーもの大金となると、デスマウンテンにこもって鉱石を採掘しても厳しい。だいいちルーダニアを撃破した現在、ゴロン族たちと取り合いになる可能性が高い。イチカラ村で得られる鉱石は、あそこの発展に尽くすための資源であるし――
 ウルフにはリンクの思考がまるで読めなかった。
「とりあえず、ルピーを用意できるのはまだ当分先だよネ? リンク、せっかく来てくれたんだしシーカーストーンの整備をするから、シモンのとこ行ってくれるかな」
「あ、はい」
 そしてプルアはウルフに向かって目配せ……というかウインクした。実際は百歳を超えているとは思えないなまめかしさだ。子どもの見た目で中身が大人なのだから、たちが悪い。
 ウルフはまたもやプルアの部屋に連れて行かれた。散らかり放題の床の上で座る場所を探すことにも慣れた。
 プルアはご機嫌のようであった。
「ロベリーやインパからの手紙で読んだ通りだわ。もう神獣を二体も解放したらしいじゃないの。ウルフ、アンタのおかげでこっちは助かってる。リンクのこと、これからもよろしくネ」
(だったらタダで俺の帰る方法を開発してくれよ……)
 シーカー族の連中は、ウルフの存在によってリンクを操ろうとしている。その期待を裏切りたくて仕方ないウルフであった。
 プルアは大人っぽい仕草で肩をすくめる。
「不満そうな顔してるね。感謝してるのは本当だヨ。ウルフと旅をはじめてから、あの子は変わった。最初に会った時は、あんなに笑ったりする子じゃなかったもん。やっぱりアンタは、勇者を助けられる存在なんだ」
 もちろん、こうやって褒められるのはそう悪い気分ではない。しかし……。
「リンクを騙してるのは悪いと思ってる。ハイラル図鑑のアンタの情報も、正直全く解読不能だったんだヨ。だから、昔ロベリーが傾倒してた外国の言葉を借りたんだ。オオカミはその国の言葉でウルフって言うらしいからね」
 なるほど、こういう理由でウルフの名前が決まったのだ。
(俺が変な名前で呼ばれるのも、一向にあっちのハイラルに帰れないのも、全部こいつらのせいなんだ。いつか絶対に元の姿に戻って、見返してやるぞ)
 いくら腹がたっても、ウルフにはプルアをにらみつけることしかできなかった。博士は涼しい顔である。
 今回は何事もなくシーカーストーンの整備を終えることができた。ハテノ古代研究所から出て、リンクはエポナの毛並みに手をすべらせながら、
「ハイリアの英傑が使ってた伝説の退魔の剣って、いくらくらいで売れるかな」とのたまった。
(本気で、言ってるのか……?)
 もしそうだとすれば許されざる暴虐だ。この調子だとミファーやダルケルの武器も換金しかねない。ウルフが怒ることもできずに唖然としていると、
「そういえばミナッカレ馬宿あたりに退魔の剣を探してる人がいたような……」
 リンクは指を折って算段しはじめる。冗談かどうか分からないが、これはますますウルフがマスターソードを確保しなくてはならないだろう。
(そもそも、そんな不埒なことを考えるやつにマスターソードが抜けるわけないだろ)
 理由はどうあれ、リンクが退魔の剣に興味を持ったらしいことは一歩前進とみなしたい。
「退魔の剣があるのは迷いの森、だっけ。でもそれより先に、あれをやるかなあ」
 リンクは南西の空を眺める。すでに、ウルフにも次に彼がとる行動が読めてきた。



 ハテノ砦を過ぎ、双子馬宿と双子山の麓を通って、街道をとにかく西へ西へと向かう。
 長い旅だった。リンクはエポナに荷物を預け――つまり意地でも馬には乗らず、ひたすら徒歩旅を敢行した。ウルフも仕方がないので黙って従った。
 谷底に細い川が流れる吊り橋を幾つか渡り、乾いた風の吹き抜ける谷間を通る。道の左右にほとんど垂直にそびえる崖は、赤茶けた岩がむき出しだ。心なしか気温がどんどん上がっていく。もうそろそろいい加減あれがあるだろう、とウルフが思ったちょうどその時、馴染みのある馬の頭の大きなシルエットが見えた。
「やっと着いたー!」
 暑さと疲れに閉口してだらだら歩いていたリンクは、急に元気を取り戻して走っていく。エポナがその後を追いかけ、ウルフが念のため警戒しながら殿をつとめた。
 その拠点は、ゲルドキャニオン馬宿という名前だった。ゲルド砂漠の入口であり、砂漠に向かう旅人が必ず足を休める場所だ。ウルフのハイラルでは、砂漠は山脈によって王国から隔離された土地であったが、このハイラルではきちんと街道が通り、交流と交易がなされている。
 それに、この馬宿を旅人が訪れることには、重要な理由があった。
「この先は砂漠ですから、馬を連れて行くことはできませんよ。ひづめが砂に埋もれてしまいますからね」
「あっ……そうなんですか」
 山麓の馬宿の時と同じだ。リンクはエポナを預ける手続きと、宿の確保を行う。無事にベッドを手に入れたリンクは、昼寝に直行しようとして――その音を聞いた。
 ウルフは彼が気づくより少し前に立ち止まっていた。音ではなく、音楽だ。聞いたことのない楽器が、のどかなメロディを奏でている。
 不思議そうにあたりを見回したリンクに、
「今、リト族の吟遊詩人の方が来ているんですよ。宿から少し先にある平地で演奏してらっしゃいます」
 馬宿の主人が教えてくれる。
「リト族って……もしかして、イチカラ村でグレーダさんが言ってた人かな」
(たぶんそうだろうな)
 リト族とやらがすべからく吟遊詩人をしているのでなければ、同一人物だろう。
 馬宿からも見える広場に、旅人や商人が集まって輪をつくっていた。その中心に、件の吟遊詩人がいる。リト族について何の感慨もなくウルフが抱いた感想は、「青い羽毛を持った二足歩行の鳥」だった。ウルフの知らない楽器を両手で扱い、メロディラインのはっきりした独特の音を鳴らしていた。
 リンクは空いている場所を探し、腰を下ろした。吟遊詩人はちらりとこちらを見る。
(……おっ?)
 何故か目が合った気がして、ウルフはぴくりと耳を立てた。
 十分に聴衆が集まったことを確認し、吟遊詩人は低く通る声で朗々と歌い上げる。
「太古より栄えし王国ハイラル――その歴史は、ある者との戦いの歴史でもありました」
 どうやらこのハイラルの歴史を語るつもりらしい。ウルフは断片的に知っているだけで、きちんと通して聴いたことはなかった。これは役に立ちそうだ、とリンクの隣に座る。
「ある者とは、災いをもたらし、幾度滅びてもよみがえる者。その名をガノンという厄災です」
 幾度滅びてもよみがえる――それが本当ならば、ウルフが魔王を打ち破ったことも、結局は無駄だったのだろうか。ガノンを封印した後に一時的に訪れる、何百年かそこらの平和のために勇者は戦っているのだろうか。現在、ガノンとの二度目の戦いにほとんど肩までどっぷり浸かっているウルフは、途方に暮れそうになった。この調子で三度目もあったら、自分はどうすればいい? 
 そうならば、勇者の存在にはどのような意味があるのだろう。
「しかしハイラルには、王国を護る宿命を持って生まれ出でる者たちがおりました。勇者の魂を持つ剣士と、女神の血を引く聖なる姫。いつの時代にも、ガノンと戦うべく姿を表した者たちです。
 彼らとガノンとの戦いは語り継がれ、詩となって伝承されました。そしてこれより詠うは……今から一万年ほど前の、厄災ガノンとの戦いの物語です」
 ここからが吟遊詩人の本領発揮だ。吟遊詩人は音楽の調子を変え、言葉に節を付けた詩に入る。
「古の王国ハイラル、目覚ましき繁栄の時を迎えん。その文明と技――もはや忌むべき敵、魔物すら脅威に能わず」
「古の民たち、その技を新たな力とすべく奮励す。厄災ガノンに立ち向かいし勇者と姫に助力せんがために」
「民が生み出したる新たな力。それは厄災封印の与力となるからくりたち」
「獣の姿を模り造られし四体の巨大な獣――その名は神獣」
「己の意志持つからくりの兵――群れなし敵を襲う者たち、その名はガーディアン」
「類い稀なる力を持つ四人の民、神獣を操る者として選ばれん」
「勇者、姫、神獣、ガーディアン……厄災ガノンへの備え万全に整えり」
「甦りし厄災ガノン……彼の者には此度の戦い、最悪となりし」
「仇敵に加え、新たな力の群れにも迎え撃たれたが故に……」
「ガーディアン、その数をもって勇者たちを守り……神獣、その巨体から猛撃を放ちガノンの力を奪う」
「古の勇者、退魔の剣を持ってガノンに止めを刺し、聖なる力受け継ぎし姫、その力をもって厄災を封印せん……」
 なるほど、一万年前はシーカー族の協力体制が磐石であり、厄災との戦いも楽勝だったわけだ。全く羨ましい限りである。そう思う一方で、ウルフは内心苦笑いしていた。ガノン側としては、せっかく復活したのにその状態だったら泣きたくなるだろう。
 詠い終えた吟遊詩人はゆるやかに音楽のテンポを落として、
「……これが今から一万年ほど昔の、厄災ガノンとの戦いの物語を紡いだ詩なのです」
 と言葉を結び、優雅に一礼した。
 割れんばかりの拍手がゲルドキャニオンにこだまする。吟遊詩人の脇には楽器のケースがおいてあり、そこにおひねりのルピーが投げ込まれた。
「ご清聴、ありがとうございました」
 何度も礼をする吟遊詩人は、リンクの方を向いて目を細めた。
 リンクも立ち上がり、「いい詩でした」と感想を言いながら、ルピーを入れる。
「申し遅れました。私はカッシーワという者です」
 突然名乗られたので、リンクはきょとんとした。
「ああ、僕はリンクです」
 それでも律儀に答える。
「私は少し前、山麓の馬宿を訪れたのですが、あのあたりで暴れていた神獣が落ち着いたそうですね」
「へーそうなんですかー」
 何かを察知したリンクは適当に流そうとするが、
「湿原の馬宿でも、ゾーラの里に雨を降らせていた神獣がおとなしくなったと噂になっていましたよ。各地の事件が解決する時、必ずあるハイリア人の旅人が目撃されるそうです」
 リンクは笑顔を深めて警戒オーラを発する。
「面白い話ですね」
 カッシーワは微笑み、話題を変えた。
「それはそうと、リンクさんは手紙の御用などありませんか。良ければ預かって、届けますよ」
「手紙?」
 そういえば何人かの旅人がカッシーワに封筒らしきものを渡していた。基本的に、このハイラルでは手紙は一般の旅人が運ぶ。シーカー族などは情報漏えいを避けるために独自の伝令を使っているらしい。すなわち、ポストマンという職業が存在しないのだ。中央ハイラル平原が危険な土地だからだろうか。リト族は翼を持つため、手紙の配達人にはぴったりだった。
「私もリトの村に残してきた妻子に手紙をよく送ります。どうでしょう」
 リンクは少し考え込む素振りをした。
「……カカリコ村にも、行ってもらえますか」
「ええもちろん。この後向かうつもりでした。最優先で届けましょう」
「じゃあ、宿に戻って書いてきます。カッシーワさん、またどこかで会ったら、詩を聞かせてください」
 リンクは終始にこやかに応対していたが、顔に「この人は苦手だ」と書いてあった。
 そのまま彼はあくびをひとつして、馬宿に戻っていく。手紙のことを忘れてベッドに直行しないか気がかりだ。
 ウルフもそれを追おうとして、
「そこの、ケモノのお方」カッシーワに呼び止められた。
(……見えてたのかよ)
 そんな予感はしていたけれど。カッシーワの物腰はやわらかだが、どことなく得体の知れない雰囲気がある。
「リンクさんと旅をしているのですね。……旅人は皆、孤独なものです。どうか、彼をよろしくお願いします」
(こいつ、何か知ってるのか?)
 シーカー族もカッシーワも、皆が皆、ウルフに「リンクをよろしく」と言ってくる。
 任される方の事情も知らないで、とウルフは苦々しく思った。

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