第三章 Climb every mountain



 日中は体中の水分を奪われて干からびるのではないかと思うほどに暑く、夜は吐く息が白くなるほどに寒い。砂漠とはそういう場所である、とウルフはよく知っていたし、リンクもゲルドキャニオン馬宿で聞いていたはずだが――
(まさか、遭難するなんてな)
 二人はリンクのつくった小さな砂よけの裏で縮こまるしかない状況に陥っていた。
 そう、ウルフたちは砂嵐のまっただ中にいたのだ。
 ――砂漠に入ってしばらく経った時のこと。砂丘の向こうに、オレンジの光が小さく見えた。
「あれ、古代の祠じゃない?」
 リンクは嬉々として道を外れた。街道はかろうじて硬い地面が確保されていたが、一歩でもそれると足が砂に沈み込む。嫌な予感はいくらでもした。
「大丈夫だよ、僕にはシーカーストーンがあるんだから」
 万能マップを眺めながら直進していく。ウルフは仕方なく付き合った。
 リンクがのしのし砂をブーツで巻き上げて進んでいたら、突然強い風が吹きはじめ、視界があっという間に砂だらけになった。
「え、なにこれ」
 リンクは必死で地図を確認するが、何故かうまく表示されない。研究所で整備してもらったばかりだというのに、壊れたのだろうか。
「や、やばい……どうしよ!? わっ」
 真っ青になったリンクはパニックになりかけていた。ウルフが脇腹をどついて黙らせる。
「ご、ごめん。そうだ」
 リンクは足元の砂を手で掘ると、できた穴にパラセールを広げてたてかけた。簡易の砂よけのでき上がりだ。ウルフは少し感心する。戦闘技術よりも、こういう技能だけはみるみる上がっていく勇者だった。
 二人はパラセールの影に身を寄せ合って隠れた。
 砂嵐がやまないまま、日が沈んでしまう。どんどん気温が下がっていくのが分かる。
「ウルフくん、これ使ってよ」
 リンクは自宅に置いたり馬宿に預けたりして減らした荷物の中から、一枚の毛布を取り出した。二人で一緒に羽織る。厳しい寒さも少しはマシになった。
 耳に入るのは、びゅうびゅうと風が吹く音だけだ。
「いつの間に、こんなに遠くまで来たんだろうな」
 黙っているのも飽きたのか、リンクは突然口を開いた。誰にも聞こえなくていいというくらいの小さな声だったが、ウルフの耳はしっかりと拾った。
「もう二つも神獣を解放できた。この砂漠にも、もう一体いるはずだっけ。……ずいぶん進んだよなあ」
 じっとウルフが視線を注いでいたことに気づき、リンクはほおをほころばせる。
「ウルフくんがいなかったら、こんなところまで来られなかった。きみが来てくれて本当に良かった、ってずっと思ってる。ありがとう」
 言葉がまっすぐすぎて照れる暇もない。それに、神獣を解放したのは紛れもなくリンクの功績だ。彼自身はそれをあまり認められていないようなのが、ウルフには気になる。
「神獣と戦うのは……正直あんまりやりたくない。あーあ、他に勇者がいたら、その人に全部任せるのに。それで、僕はずっときみと一緒に旅をするんだ。デスマウンテンだって登りきってない。ハイラルにはまだまだたくさんの山も、川も、平原もある。……いつか全部の土地に行ってみるんだ」
 リンクは当初より勇者業に対してやる気を出したように見えていたが、やはり根っこのところはあまり変わっていないらしい。それでもリンクは顔を上げ、砂によって拡散した月の光に瞳を輝かせた。
「でも、何故か勇者は僕しかいないみたいだし、きみが隣にいてくれるから、僕はやる。前に進むよ」
 ――何故リンクはここまでウルフのことを思ってくれるのだろう。ウルフはそこまで感謝されるようなことをしたのだろうか。リンクは最初から一貫してウルフに好意的に接していた。彼が魔物と呼ばれた時は、いつもかばってくれた。見た目は十割オオカミという動物なのに、リンクは自分と対等かそれ以上に扱ってくれた。
(……分っかんねえ)
 ウルフは思考を放棄した。まともに考えると、きっと恥ずかしくて仕方がなくなるだろうから。
 だが――このままリンクと共に最後まで戦うのかもしれない、と少しだけ考えてしまった。
 心地よくあたたかい沈黙が降りる。気づけば砂嵐が収束の兆しを見せていた。
(おーい、もう出発できるぞ。って、寝てる……)
 しばらく黙っているなと思ったら、リンクはうつらうつらしていた。ウルフが体当たりすると、ぱちりと目を開ける。視界から砂の壁がなくなっていることに気づいたらしい。おあつらえ向きに、祠の光まで見えた。
「あ、ごめん、寝てた。よし、ゲルド族を探して街を目指すぞー!」
 そのリンクの顔に先ほどまでの真剣な色はなく、いつもの調子が戻ってきている。ウルフは何故だか安心するのだった。



 祠のそばで野宿して夜を越した。翌日になってたどり着いたのは、カラカラバザールというオアシスだった。湧き水によってできた泉のまわりに背の高い木が生えた、砂漠における貴重な休憩スポットである。そこはまだゲルドの街ではないらしく、街に入れなかった男性がわんさかたむろしていた。彼らはゲルド族の運営する露店に入りびたりながら、なんとか侵入の糸口をつかもうと奮闘していた。
 だが、リンクが用があるのはゲルド女性である。彼女たちはハイリア人の女性とはまるで違った容姿をしていた。ルビーを溶かしたような髪を持ち、肌は浅黒く、そしてリンクよりもはるかに長身である。ハイラル国内なのに異国情緒が漂い、ウルフはくらくらした。
 恐れ知らずのリンクは早速彼女たちに果敢にアタックしはじめた。
「おはようございます!」
 真っ先に声をかけた短髪のゲルド族は、リンクをじいっと見下ろす。リンクはどきりとしてまばたきの回数を増やした。
「うむ、お前は旅人のようだな」
「そ、そうですけど……?」
「すまんな。私はルーカ。こう見えて実は、ゲルドの町の兵士なんだ」
「へええ」
 兵士という割には背中の荷物が妙に膨らんでいるし、オアシスを守る他の兵士たちよりも格好がラフだった。
「街の平和を脅かすイーガ団という賊がいるんだが、そいつらのおかげで今ゲルドの街は大変なことになっている」
「イーガ団!?」
 リンクは顔色を変える。ウルフもぎょっとした。
(って、確か俺がこっちに来た時に撃退したやつらだよな)
 あれ以来姿を見かけていないが、まさか砂漠に出没していたとは。
「そいつらは旅人に変装し、悪事を働くという噂があってな。だから私もこうやって旅人になりすまし、賊が紛れ込んでいないか見張っているんだ」
「お、お疲れ様です……」兵士らしからぬ格好はそういうわけだったのだ。
 ルーカという名前はイチカラ村の条件には合致しない。リンクはおとなしく引き下がった。
(街が大変なことになってるって……イーガ団に襲われてるのか?)
 だが、それならオアシスがもっと騒然としていてもおかしくない。ごく一部の人間、主に兵士たちにとって大変な事態になっているのかもしれなかった。
 リンクはイーガ団については深入りせず、相変わらず裁縫上手の女性を求めて、泉のほとりを歩く。
「あれ、ここは……」
 ふと立ち止まり注視したのは、何の変哲もない木――ヤシの木というらしい――の前だ。腰からシーカーストーンを外し、呼び出した画面と見比べる。
「やっぱり写し絵の場所だ」
(ここが?)
 百年前、ゼルダ姫はこんな場所も訪れていたらしい。行動範囲が広すぎないだろうか。かなり活発なお姫様だったようである。
 リンクは写し絵を見ながら、細かい角度を探す。途中でいきなり棒立ちになった。
(記憶を思い出してるんだな)
 ウルフが待っていると、突然リンクはがくんと膝を折った。砂の上に座り込む。
(ど、どうした!?)
 駆け寄ったウルフの頭を、リンクはゆっくり腕を持ち上げ、ぽんぽんとなでる。
「あ……ごめん。ぼーっとしてた」
 心なしか顔色が悪い気がする。リンクは無理に笑顔をつくった。
「いやー、イーガ団って百年前からいたんだね。てっきり最近現れたのかと思ってたよ。今見た思い出は、かっこいい百年前の僕がゼルダ姫を助けるシーンだった」
 冗談めかした口調とは反対に、ウルフの頭に置かれた手は、何故か少しだけ震えていた。
「……強かったんだよね、昔の僕。騎士の中の騎士って感じでさ。僕より全然勇者らしいな。昔の僕が、ガノンを倒しておいてくれれば良かったのに」
(でもそいつは負けたんだ。だから今のお前があるんだろ)
 ウルフは、リンクが自分を卑下する調子なのが気に食わなかった。
 リンクは額に流れた汗を拭き、なんとか立ち上がる。
「まあ、思い出のことは置いといて。お裁縫上手のゲルド女性を探さないとね」
 あたりを見回したリンクは、天幕の下で涼んでいる女性を見つける。迷いない足取りで近づいていった。
「おはようございます」
「サヴォッタ」
 ゲルドの女性は長い赤髪をポニーテールに結っている。つり目が特徴的なゲルド族の中でも、顔のバランスが良い気がした。要するに美人だ。
「さ、さぼ?」
 聞き取れない単語にリンクが戸惑っていると、ゲルドの女性は突然身を乗り出した。
「あなた、よく見たらヴォーイじゃない!」
「えっ」
「う~ん……華奢なヴォーイはママは許してくれなそうだな」
 よく分からないが、リンクはあちらのお眼鏡にかなわなかったようだ。女性はひらひらと手を振った。
「あ、ごめんなさい。私はパウダ。ゲルドの街から来たの。それにしてもこんなしきたり……もうウンザリ」
「しきたり、ですか」
「ああ、あなたみたいなハイリア人には関係ない話だけど。ゲルドの民は、私くらいの歳になるとまわりがうるさくてね」
 リンクは困ったようにウルフに視線を落とす。
(いや、しきたりなんて俺が知るわけないだろ)
「知らないの? ゲルドの民が、適齢期になると街を出て、婿を探す風習……いわゆる『ヴォーイ・ハント』ね」
 女性しかいないゲルド族にとって、婿の発見は最重要事項だろう。つまり先ほどは、婿としての品定めをされ、リンクは不合格だったわけだ。
 パウダは両手の指を合わせる。
「私、こう見えてもお料理もお習字もお裁縫も得意で、一通りの教養はあるつもりなんだけど、この辺のヴォーイは求めてないみたいなの」
「そんな。お料理上手なんて羨ましいです。それに、特にお裁縫の腕を求めてるぼーい――男の人を、僕は知ってますよ!」
 出た、リンクの営業トークだ。パウダはまんまと引き込まれたらしく、目を輝かせた。
「え、なになに? 藪から棒に……くわしく聞かせて」
 リンクは手早くイチカラ村のことを話した。
「ふうん。エノキダって人が、作業着を繕ってほしいの? それくらいお安い御用だけど、アッカレ地方はちょっと遠いわね……」
「うっ、確かに」
 ここに来るまでの道中を思い出す。体力のあるリンクですら、ちょっとうんざりしていた。女性の一人旅で越えるのは厳しいだろう。
「でもここにいても埒が明かないし、そのイチカラ村とやらでヴォーイ・ハントかな……うーん」
 パウダは悩んでいる様子だった。ここでもうひと押しとばかりに、リンクが提案する。
「なら僕が一緒に行きますよ!」
(えっ!?)
 確かにリンクが護衛をすれば確実だ。だが、彼は「嫁入り前の娘と一緒に旅をしたい」と宣言したことに、気づいているのだろうか。このリンクなら変な心配はいらないだろうが……。
(いざとなれば俺もいるし)
 パウダはぱっと顔を明るくした。
「本当? ありがとう!」
 どうやらオーケーだったようだ。ママの許しの出ないヴォーイだから、快諾したのだろう。
「長旅になるわよね。いったんお家で大きな荷物を取ってくるわ。明日の昼にはこのバザールに戻ってくるから、そしたら出発しましょう」
「よろしくお願いしまーす!」
 パウダの後ろ姿が見えなくなってから、ふう、とリンクは息を吐く。さすがに少し緊張していたようだった。しかし見事に女性一人を口説き落とした。ある意味ナンパを成功させるよりも難しい課題だったのに。
「よしよし。ウルフくん、二人でパウダさんを守ろうね!」
(それはいいけど……そんなことしてる暇あるのか?)
 どうやらリンクは砂漠にいるはずの神獣を後回しにするようだった。砂嵐のまっただ中でも「神獣解放は嫌だ」と愚痴っていたが――ゼルダ姫が必死にガノンを抑えているという話ではなかったのか。またインパに怒られそうだ。
 だが、アッカレ地方ならここよりもずっと迷いの森に近い。ウルフにとってはチャンスである。
(お前だけじゃなくて、俺にも思惑があるんだからな)



「――つまり、勇者というのは『勇者の魂』を持って生まれた者、ということなのですか?」
 パーヤはカッシーワの長い語りを聞き終え、感想を述べる前にそう尋ねた。
 カンギスの紹介によりカカリコ村のインパの屋敷に招かれた吟遊詩人カッシーワは、大きくうなずく。
「そうですね。私が師匠からうかがった伝承では、そうなっています」
 パーヤは絶えず筆を動かし、気になったことを帳面に書き留めながら、
「勇者の魂とは、一体何なのでしょうか」
「私は勇者が生まれ変わるためのものと認識していました。一万年前の古の勇者、そしてそれよりも前に存在したであろう勇者も全て、ひとつの魂を引き継ぐ生まれ変わりだったのだと……」
「それだけ、勇者の魂は尊いものであるということでしょうか」
「ええ。幾度もハイラルを救うために現れる勇者――とても心強い存在ですね」
 カッシーワはふわりと微笑む。
 でも、とパーヤは顔を暗くした。リンクは百年前に一度死にかけたのに、また復活して、戦い続ける。何度でも生まれ変わり、その度に厄災と戦う。そのような人生を送るのは、どのような気持ちなのだろうか。ある意味、呪いにも似たものだと思えてしまう。
 カッシーワは少し身をかがめて、パーヤの帳面を覗き込むようにした。
「勇者について、熱心に調べておられるのですね」
 パーヤは赤面し、腕で帳面を隠す。
「い、いえ! ですが、私の生きている間に勇者様が目覚められたので、どうしてもお役に立ちたくて……」
 後半の声はどんどん小さくなっていった。カッシーワは優しく笑みを浮かべる。
「私は語ることでしか彼の助けになれません。ですが、パーヤ殿はきっと別の方法で支えることもできるはずですよ」
「別の方法……」
 分からない。パーヤに今できるのは、勇者について調べることだけだ。
「そういえば、リンクさんからこれを預かってきましたよ」
 カッシーワが差し出したのは手紙だった。確かにリンクの名が記してある。
 何気なく触れた指先が灼熱した。パーヤの顔は瞬く間に真っ赤に茹で上がった。
「な、な……っ!?」
 しかも宛名はインパではなく、パーヤだったのだ。
「確かに届けましたからね」
 カッシーワは意味深に目を細め、屋敷を出ていく。パーヤは急いで自分の部屋に戻ると、そうっと手紙を開封した。
 内容は、どうしてリンクがいきなり手紙を書いたのか、という理由からはじまっていた。手紙を届けてくれるというカッシーワと出会い、リンクには家族はいないが、近況を報告する相手として真っ先にパーヤのことが浮かんだらしい。今はゲルドキャニオン馬宿におり、これからきっとハイラル平原を通ってアッカレ地方に向かうことになるだろう、と書いていた。最後には、気が向いたらまた手紙を送りたい、とあった。
 リンク様が、私のことを……。
 パーヤは手紙を持ったまま、夢遊病患者さながらの動きでいつの間にか屋敷の外階段を降りていた。向かうのは、リンクのつくったスープを飲んだあの調理場だ。そこで何度も手紙を読み返していたら、
「オオカミさん、また来るのー?」
 すぐそばで子どもの声がした。プリコに見つかってしまった。パーヤは慌てて背中に手紙を隠す。
「しばらくは来られないそうです。ハイラル平原を横切って、アッカレ地方に向かうとか……」
「えー、つまんなーい!」
「こらプリコっ」
 門番をもう一人のボガードに任せたドゥランが、子どもを回収に来る。
「家でココナが晩ご飯を用意してくれているよ。帰ろう」
「うん、行くー!」
 プリコは姉の待つ家へとぱたぱた走っていった。どきどきして親子を見守っていたパーヤに、ドゥランは一礼する。
「もしかして、リンク殿からお手紙が届いたのですか」
 パーヤは飛び上がりかけた。もうばれている。もしや、カッシーワがあちこちで宣伝していったのではないかと勘ぐってしまう。
 ごまかすのは諦めて、パーヤは素直に答えた。
「ええ……ハイラル平原といえば、ガーディアンのいる危険な場所です。ご無事であればよいのですが」
「そうでございますね」
 しきりにうなずきつつ、何故かドゥランの目が光ったような気がした。



「へえ、リンクはイチカラ村のために、いろんな街から人を集めてるんだ」
 街道を往くエポナの背には、パウダが乗っていた。リンクは隣で手綱を持って誘導しながら、答える。
「はい。あそこに立派な村ができたらいいなって思ったので」
「今時、熱心な旅人なのね」
 二人と二匹はマイペースに街道を歩く。そこは、ちょうど中央ハイラル平原と呼ばれるあたりだった。道沿いの遺跡が特に多い。かつては村や町や砦があったのだろうが、ガーディアンの残骸とともにむき出しの柱が風雨にさらされている。
「熱心……なんですかね?」
「そうよ。新しく村をつくるだの、それに協力するだの、かなり労力が必要なことでしょ。私は砂漠から出たことがなかったけど、ハイラルの方はたくさんの村がなくなったって聞いたわよ。だからこそ、新しくつくるんでしょうけど……」
 リンクの顔に影が落ちる。それは大厄災の爪痕に思いを馳せて暗い気分になったから――だけではなかった。
 一行の真上にかかろうとしている雲が、不穏な灰色をしていた。やがて濁った空から、ぽつりぽつりと水滴が降ってきた。
「まずい、雨だ」
 パウダは慌てて雨よけの外套を羽織り、リンクも黒いフードをかぶった。
(この雲、たくさん水が降る)
 エポナがつぶやく。ウルフも同意した。あたりにむせ返るような土の香りが立ちこめている。
 小雨は徐々に勢いを増していった。
「本当に空から水が降るのね。すごいなあ、ゲルドじゃ雨なんて降らないし、帰ったら自慢しよう」
 とパウダも最初は楽しそうだったが、いつしか滝のようになった雨で体がびしょびしょに濡れる頃には、すっかり閉口していた。
「あそこの樹で雨宿りしましょう!」
 一同はリンクが指さした大樹の下に駆け込んだ。大所帯だが、なんとか全員入りきる。たまたまそこには先客がいた。
「こんにちは。雨、大変ですね」
 リンクが声をかけると、旅人は深々とかぶっていたフードを少し上げる。女性らしい。
「ええ、まさかこんなに降るなんて……」
 旅人はそれきり黙り込んで、木の幹の反対側に移動した。どうやらリンクたちに気を使ったらしい。
 しばらく待ったが、雨は止むどころかどんどん激しくなり、雷まで鳴り出した。分厚い雲のあちこちがチカチカ光っている。
「やばっ」
 リンクは金属の装備を外し、こういう時のために大枚をはたいて購入した、絶縁体製の袋に放り込む。このハイラルでは、雷は金属に落ちる性質があるらしい。しかも金属を外したからといって絶対に雷が落ちない保証はない、という嫌らしいものだった。
 ウルフはぴくりと耳を動かす。雨音に混じって、どこからか別の流水音がしていた。ごうごうとうねるような流れを感じる。
 土砂降りで視界の悪い中、音の発生源を探した。
(おい、あっちを見ろ)
「どうしたのウルフくん」
 ウルフが服のすそに噛みついて引っ張ると、パウダに聞こえないようにリンクは小声になった。ウルフの視線の先に目を凝らし、「あっ」と大声を上げる。
 彼らが雨宿りしている大樹は、川のすぐそばにあったのだ。リンクはおそるおそる確認するが、川はどんどん増水し、危険水域まで達しているようにみえる。山の上ではもっと雨が降っているのかもしれない。
「パウダさん、このままここにいても、まずいかもしれないです」
「ど、どうするの」
 パウダは怯えたように外套の前をかき合わせた。リンクは決断する。
「ここからリバーサイド馬宿はそう遠くありません。雨の中を突っ切って行きましょう」
 そして、同じく雨宿りしている旅人に「先に行きます」と声をかけようとしたが、もう彼女はいなかった。
「あれ……?」
 彼女が幻でなかった証拠に、足元には何故かバナナの皮が捨ててあった。
(逃げたのか。判断が早いな)
 とにかく一行は雨の中に飛び出し、全力でぬかるみの中を走った。エポナとパウダを先に行かせ、リンクとウルフは少し距離を置いて追走する。
「あれ、さっきの旅人さん」
 彼女はフードを目深にかぶったまま、一行の行く手を塞ぐように雨の中に突っ立っていた。パウダはエポナを操りきれず、その脇を抜けていく。
(あいつは……!)
 ウルフは全身に突き刺さるような殺気を感じた。彼が吠えて警告するよりも早く、旅人は剣を抜いてリンクにまっすぐ突っ込んだ。
「っ!?」
 喉元を狙った攻撃をリンクはバックステップでかわした。雨ですべって転びそうになったが、なんとか踏ん張る。
「リンク!?」
 ずいぶん先行していたパウダが気づき、声を上げたが、
「大丈夫です。エポナ、先に行って! 馬宿は北にまっすぐ行けばあるから!」
 本格的に駆け出す前、エポナはウルフの方を振り向いた。
(リンクのこと、お願い)
 と言い残す。ウルフは一言、「分かってる」と吠え返した。
 いつの間にか、旅人は赤い装束に着替えていた。逆さになったシーカー族の目玉マークを刻んだ仮面が顔を覆っている。イーガ団が正体を現したのだ。
 彼女――もしかしたら彼かもしれない――は、手に持った曲刀をリンクに向かって振り下ろす。
 リンクはギリギリのタイミングで剣を抜き、受け止めた。雷が鳴っているから金属製の武器は使えない。彼がとっさに選んだ武器は、ガーディアンナイフという名の小剣だった。刀身が古代炉の炎ような青色に光っている。切れ味は抜群だが、耐久性に欠けるのが難点だ。
 鍔迫り合いになってリンクがナイフを振り切ると、イーガ団は飛びすさって距離を取る。雷がそう遠くないところに落ちて、二人と一匹の姿を照らし上げた。
 ふと、敵の姿が掻き消えた。リンクは視界の悪い中必死にあたりを見回す。その上空に気配を感じ、ウルフは出現位置を予測して飛びかかった。
「ぐっ」
 リンクの頭上に現れ、武器を振り下ろそうとしたイーガ団に体当たりをする。くぐもった声がした。やはり男か女かはっきりしない。イーガ団は斜面を転がって立ち上がり、明らかにウルフをにらみつけている。
(やっぱりこいつらには俺が見えてるんだ)
 刺客の注意がウルフに向いた。いつもなら、ここでリンクが攻撃に転じるタイミングだった。だが彼は動かず、あらぬ方角を向いて立ち尽くしていた。
(ボケッとしてる場合かよ!?)
 焦ったウルフがイーガ団の相手もほどほどに、リンクの視線の先を確認する。彼は丘の向こうに釘付けになっていた。
 また雷が光り、リンクの顔を青白く照らした。
「あ……あ……」
 リンクの唇が震えている。ガーディアンナイフが今にも手から落ちそうになっていた。
 ウルフは全身の毛が逆立つのを感じた。
(あれは!?)
 ハテノ砦の悪夢がよみがえる。そこにいたのは、目を爛々と光らせた一体のガーディアンだった。しかも動いている。六本の足を縦横無尽に動かし、丘を越えて来た。ウルフはガーディアンが動くのを実際に見るのは初めてだった。
(速い!)
 遠くに姿を現した、と思ったらあっという間に距離を詰めてきた。そして、明らかに危険な光をまっすぐリンクに注ぐ。
 イーガ団すら、古代遺物に圧倒されて動けないでいるようだった。篠突く雨以外の全ての時間が静止している中で、ガーディアンが破壊の力を目に込める。
 ウルフはとっさにリンクに体当たりした。
 雷ではない光が、目を焼いた。雨に濡れた草原すら燃え上がらせる光線を、間一髪で二人は避けた。
 一緒に斜面をごろごろ転がる。ウルフはそれでもなんとか四肢を突っ張って体勢を立て直した。
 イーガ団に、ガーディアン。同時に戦うべき相手ではない。
(もういい、逃げよう。なんとか振り切ったら、リバーサイド馬宿でエポナたちと合流すればいい)
 そう考えたウルフが意見を求めるように目をやると、尻餅をついたリンクの膝ががくがく震えていた。
(……まさか、怖いのか)
 胸に生まれたのは失望ではなく、納得だった。
(そうか、こいつははじめからずっと、そうだったんだ)
 百年前の全ての記憶を失ったリンクは当然知らないことだが、彼は昔このガーディアンに――殺されている。体に染みついた恐怖というものがあるとすれば、動けなくなるのは当然だ。それは、まるっきり普通の人間の反応だった。何もおかしくない。
 ならば、ウルフの取る行動は決まっていた。彼は追ってきたガーディアンの前に立ちふさがった。ちょうどリンクを背中にかばうように。
「う、ウルフくん」
 言うことを聞かない足に力を込めて、リンクは必死に立ち上がろうとする。
(いいから無理するなって)
 という気持ちを目線に託し、少しだけ振り向いた。リンクが息を呑む。
 なんとかしてこのガーディアンを撃退する。それしか自分たちが生き残る方法はないだろう。
 だがガーディアンはウルフの一番苦手な、遠距離攻撃を得意とする相手だった。それでもふところに潜り込めばなんとかなるかもしれない。足をもぐという手もある。リンクの所持する古代兵装があれば話は簡単なのだが、今の彼はとてもではないが矢を命中させることはできまい。
 ガーディアンとにらみ合いながらウルフが慎重に機をうかがっていると、頭に光線の照準が合わさり――
「うわあああっ」
 突然、リンクが叫びながら突っ込んできた。ウルフの前に踊り出ると、彼はガーディアンガードという名の盾をかざした。それと同時に体のまわりを薄い障壁が覆う。
(おい、ばか!)
 再び視界が白熱する。だが爆発は、ガーディアンの体で起こった。
「や……やった!?」
(もしかして、ガーディアンの光線を跳ね返したのか!?)
 リンクは土壇場でとんでもないことをやってのけた。あれはダルケルの護り――ユン坊が使っていたのと同じ英傑の力を発動させたのだ。
 だが、攻撃を受けてもまだガーディアンは動いていた。今度の狙いは、より近くのイーガ団だった。
 呆然としていた刺客は迫る危険にやっと気づいたようで、体を震わせる。
 リンクはとっさに動こうとした。その一瞬前、ウルフが大きくジャンプした。
 爆発が巻き起こった。
 驚愕の表情のリンクが、爆風にあおられて、丘を転げ落ちていく。全ての動作がスローモーションに見えた。リンクが空中で矢を放つ時のように、時間が引き伸ばされたような感覚がある。
 ウルフは全身から力が抜けていくのを感じていた。地面に投げ出された足が、透けている。
 リンクは自らの行動を後悔するだろうか。きっとそうだろう。
(でも……おまえのやったことは間違ってないよ、リンク)
 怖さを当たり前のように感じられること――それはウルフに欠けていることだった。
 少しだけ、勇者らしくない勇者のことが羨ましかった。

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