第四章 空に樹にひとに



 深夜、カカリコ村の滝を月が白く染め上げる時刻。インパは屋敷の広間に孫娘パーヤを呼び出した。
 プルアから速達が届いたと前置きし、重々しく内容を読み上げる。
「リンクが……ウルフを失った。そしてマスターソードのある迷いの森に向かった。しかしその後の消息が完全につかめなくなっている……そうじゃ」
 パーヤは口元をおさえた。
「ウルフ様が……そんな……」
 今のリンクがどんな状況に陥っているかは想像に難くない。インパは言った。
「なんとしてでも勇者を立ち直らせねばならぬ。パーヤ、そなたの出番じゃ」
 肩を震わせていたパーヤははっとする。
「私の……?」
「そうじゃ。リンクはお前の言うことなら、年寄りの言葉よりも聞くのではないか」
 祖母が孫に期待していたのは、ウルフと同じ役割だったのだ。
「そうやって……リンク様をまた戦いに向かわせるのですか」
 パーヤの声は徐々に大きくなっていく。
「あの方は傷ついておられます。あれほど大切になさっていたウルフ様を失ったのです」
 彼は、驚くほどにまっすぐな感情をウルフに向けていた。大事な相棒を手放して、平静でいられるはずがない。もともと、精神的には少し不安定なところがある人だった。
 インパは目をつむる。
「じゃが、勇者なしではハイラルは滅びの時を待つのみじゃ。あやつはゼルダ様のことを、やはり何も分かっておらぬ。記憶をいくつか取り戻したと言っておったが、これでは……」
「そうかもしれません。ですが、おばあさまもリンク様のことを分かっていないのではありませんか」
 インパの眉がひそめられた。
「勇者という称号はあの方を縛るものでもあるのです。パーヤには、リンク様が勇者としてやっていくべきなのかどうか、分かりません……」
「リンクを放っておいていいと申すか」
「いいえ。だからこそ、傷ついた心を癒やし、立ち直る道筋を示すべきなのです」
 書庫を調べはじめてから、パーヤは変わった。いや、それはリンクと出会ったからこその変化なのだろう。
「……何か考えがあるのじゃな?」
「おばあさま。私に任せていただけますか」
 パーヤの脳裏には、青い翼を持つ吟遊詩人の姿が浮かんでいた。



 トンミはハイラルを股にかけるトレジャーハンターである。
 相棒……と呼ぶには少し頼りない子分ニルヴァーを連れ、あちこちの村や砦の廃墟をめぐる。大厄災以後、ハイラルは廃墟だらけになった。そういう場所には大抵お宝が眠っているのだ。どんなに価値ある逸品も、死蔵していては意味がない。だからトンミが回収し、経済のために有効活用する。
 シーカー族の血が混じった彼女は、隠密行動にかけては天賦の才能を持っていた。輝くような銀髪にも自信がある。いつしか噂されるようになった「美人トレジャーハンター」という称号を誇りに思っていた。
 その日も彼女は子分と共に、稼業に勤しんでいた。ここしばらく、トンミたちはラウル丘陵と呼ばれるなだらかな丘を探索していた。
 中心にあるのはラウル集落という、数軒の家が集まっていた場所であった。が、今はもう見る影もなく焼け焦げている。木造の家はほとんど柱と基礎だけになっていた。
「このあたりもやられちゃったね。一昔前までは、小さいながらも栄えてたのに……」
「トンミ姐さん、歳がばれるッスよ」
「うるさい」
 感傷に浸っていたのに……とトンミはニルヴァーを肘で小突いた。ただひとつまともに残った石造りの井戸に腰掛けて、息を吐く。
「最近魔物がどんどん凶暴化してる。こういった小さい集落はもうやっていけないだろうね」
「逆に、こういった場所にはお宝が眠ってるってワケですね」
「あんたも分かってるじゃないか。ならさっさとお宝を探しな!」
 トンミは足を組んで子分に命令した。
「へい……」と力なく答えて、ニルヴァーは瓦礫をあさりはじめた。
 彼女は子分から視線を外した。ラウル丘陵はハイラル城からお堀を越えた、ちょうど背面に位置する。かの魔城は、百年前から変わらず黒っぽい霧に覆われている。トンミが生まれた頃にはすでにああなっていた。昔は栄えていたなんてとても思えない。
 トレジャーハンターの中には、あの城に入ってお宝をくすねてくる豪傑者も多かった。だがトンミは決して危険を冒さなかった。案の定、つい最近になって魔物が暴れはじめ、ガーディアンの活動も活発になった。それからというもの、城に挑んで帰ってくる者はいなくなった。
「こんな国でも生きていくしかない、か……」
 彼女とて、お気楽にトレジャーハンターを続けているわけではない。だがどれだけ現状を憂えても、一介の旅人にはどうしようもできないのだった。
「うわっ。ね、姐さん!」
 突然のニルヴァーの大声が、沈思を破った。
「なんだい、大物が見つかったのかい!?」
 トンミは嬉々としてニルヴァーのもとに駆け寄る。彼は首をかしげていた。
「い、いや……こんなところにガキがいて」
「ガキ?」
 トンミは訝しんだが、その発言は本当だった。金髪のハイリア人の少年が、崩れかけの家屋のわずかな隙間に入り込み、ぼろい毛布をかぶって目を閉じている。寝息すら聞こえてきた。旅人らしき服装だが、こんな場所で眠るとは大胆すぎる。
 彼女は盛大にため息をついた。
「起こしてやりな」
「え?」
「見つけちまった以上、こんなとこに放置するわけにはいかないだろ」
 ニルヴァーが感激のまなざしを向ける。
「姐さん、案外優しい……」
「い・つ・も、優しいだろ?」
 トンミが笑顔で凄んでみせると、ニルヴァーは酢でも飲んだような顔になって廃墟へ侵入し、少年を揺り起こした。
 少年は薄くまぶたを開けた。目の下にはかなり濃いくまができている。
「あ……」
 と、うめいた少年の額を、トンミはげんこつの尖った部分で軽く叩いた。
「こんなとこで寝るもんじゃないよ。ガキは家に帰ってねんねしな。あんた一人かい?」
「……」
 少年は口を閉ざす。目がうつろだった。トンミはしびれを切らす。
「埒が明かないねえ。黄チュチュゼリーでも口に放り込むか」
「感電しますって。ぼうず、なんだってこんなところにいるんだよ」
 ニルヴァーがやや乱暴に肩を揺さぶると、少年はやっと我を取り戻したようだった。
「ここに来たら、疲れて寝ちゃって……。お姉さんたちは、旅人ですか」
「まあね。トレジャーハンターって言ってほしいかな。あたしはトンミ、こっちはニルヴァー」
 少年の目はひどく暗い。雷雲に覆われた空のようだった。この世の終わりでも見てきたようなレベルである。はたまたラウル集落の生き残りだったりするのか、とトンミは勘ぐる。
 眠気が薄れるに従って、少年はだんだん力を取り戻していく。
「僕は……リンクです。あの、トレジャーハンターなら、知りませんか」
「何を?」
「ひたすらぼーっと過ごせる場所……できれば、ガーディアンとか魔物とかイーガ団が少ない地方がいいんですけど」
「何言ってんのあんた」
 トンミは面食らった。その年齢で隠居生活を送るつもりなのだろうか。だが、リンクは真剣だった。
「お願いします」
「つってもねえ……」
「あ、あそこはどうっすか。前に姐さんが、老後はここでのんびり海を見て過ごしたいって言ってたところ」
 トンミは素早くニルヴァーの頭をはたいた。
「ああ……ウオトリー村だね。リンク、地図を貸しな」
「ちょ、なんで今殴ったんですか」
 涙目になるニルヴァーを無視する。リンクが差し出したのは、手のひらサイズの石版だった。
「なんだいこれ、あんたの地図?」
「そうです。どのあたりですか」
 その石版にはかなり細かく地形が現れていたが、そもそも小さいし、一部が真っ黒で何も書かれていなかった。これなら自分のものを見せたほうが早い、とトンミは地図を取り出す。大昔にマップ売りから底値で買って、自分の足で調べながら書き足していった大切なものだ。トンミの指が南東を示す。
「ここだよ。フィローネ地方の東の端。ここから行くなら、相当時間がかかるけど……」
「いえ。時間はいくらでもあるので」
 リンクはよろよろと歩きだす。背負った剣と盾は普通の旅人が持つようなものではなく、鋼鉄製の意外に立派なものだった。
 トンミは腕組みしてその背をにらみつけた。
「ちょっと。その前にあたいに言うことがあるだろ」
「ああ」
 リンクはくるりと振り返り、トンミの手に何かを握らせた。
「お礼です」
 それは、なんと真っ赤に輝くルビーの原石だった。ずしりと重い。商店に売れば数百ルピーはくだらないだろう。トンミは目を丸くした。
「ちょ、あんた一体……?」
「もういらなくなったので、あげます」
 ふらふらしているわりに足は早い。リンクはあっという間に丘の向こうに消えていった。
 トンミは最後までその後ろ姿を見送ってしまう。なんとなく、放っておけない雰囲気の少年だった。
「儲かりましたね」
 ニルヴァーは即物的なことを言っているが、彼もリンクのことは気になっているらしい。
「ガキにお宝を恵まれたみたいで、なんだかねえ……」
「本当にウオトリー村まで行くんでしょうか。ここからめちゃくちゃ離れてますよ」
「行くだろうよ、きっと。癒やしたい心の傷でもあるんだろ」
「まさかこの村の生き残りとか……?」
「どうだろうね」
 トンミはルビーを握りしめる。これはありがたくもらっておこう。
 何故だか、リンクとはもう一度会うような気がした。



 ただ海があるというだけで、豊かになる生活もあるものだ。
 ヌマヒノはウオトリー村の漁師である。他の漁師仲間と同じように、朝日が昇る前から小舟を繰り、沖に出て漁をする。漁はモリを持って素潜りするのが基本だった。このあたりの海では、少し潜るだけで色とりどりのタイに出会え、サザエもとれる。海は恵みの象徴であった。
 こういう場所に住んでいると、人は自然と穏やかになる。食料の取り合いがないからだ。必要になったら海から取ってくればいい。年中温暖な気候で、外でも眠れる。そして皆、海や天候に対する畏怖を抱き、自然と謙虚になるのだ。
 大昔、この海を超えて外の国を目指した者もいたという。大厄災の直後のことだ。ハイラルに見切りをつけて逃げ出したのだった。だがハイラルには造船技術がない。この国が他と比べて豊かな土地であることは明白であったし、人は「それ以上」を求めなくても生きていけるから、船をつくる必要がなかった。だから小舟で東の果てを目指した人々の末路は知れないが、あまり幸福なものではなかっただろう、とヌマヒノは勝手に思っている。
 その朝もヌマヒノは漁に繰り出す。途中で、薄暗い海を見下ろす桟橋に旅人が立っていることに気づいた。
「おはようさあ」
 と挨拶する。見知らぬ人に声をかけるのは防犯の基本でもあった。
 金の髪を首の後ろで無造作に束ねた少年だった。丈の合わないシャツとズボンを身に着けている。帯刀もしていないから、旅人というより観光客だろうか。
「……おはようございます」
 と少年は薄ぼんやりした返事をして、再び海に視線を戻す。いかにも無害そうな旅人だった。
 ヌマヒノはすぐに少年のことを忘れて、その日の漁に向かった。
 用意していた昼食を船の上で食べ、午後になってから戻る。船にはたくさんの魚が乗っていた。新鮮な魚はすぐによろず屋に卸し、金に換える。実に分かりやすい経済のまわり方だ。
 今日も大漁でヌマヒノは気分がいい。モリを担いで家に帰ると、その途中で桟橋に目がいった。
(あれ?)
 例の少年はまだそこにいた。ぼうっと海を眺めている。
 思わずヌマヒノの足はそちらに引きずられた。
「あんた、何やってるさあ?」
 少年はゆっくりと顔を上げ、
「ぼーっとしてました」意外とはっきりした声で答える。
「一日中?」
「はい」
 他にやることはないのか……とヌマヒノは不安になった。漁がない日は、自分も(あることを除けば)これといって用事がなくなるのだが、それは置いておく。
「あんた、宿はもうとったのさ?」
「とりあえず、一ヶ月分の代金を払いました」
「一ヶ月!? そんなにここにいても、やることなんてないさ!」
「いいんです。そのために来たんですから」
 ヌマヒノは呆れて肩をすくめた。おかしな観光客が来たものだ、と思った。再び少年は海を見つめる作業に戻ったようで、その場から動かなくなった。ヌマヒノは頭を振り、家に帰った。
 翌日は雨だった。ウオトリー村の漁師は、朝の時点で雨模様ならその日はすっぱりと漁を諦めることにしている。荒れた海に出てもいいことはない。ならばあそこに行くか、とヌマヒノは何気なく家の窓から外を眺め、驚愕した。
 あの少年は雨の中、桟橋に座っていた。
 ヌマヒノは傘をさして走っていく。少年の粗末な服はびしょびしょに濡れていた。
「こんな日に何してるさあ! いくらウオトリー村でも、風邪引くさあ」
「でも、することがなくて……」
「じゃあこっちに来るさ」
 少年の腕を引いて立たせる。ここで初めて、ずっと曖昧だった彼の表情が動いた。少年は整った眉を上げ、驚いたようだ。
「どこへ……?」
「雨の日、村の漁師が行く場所なんて決まってるさあ」
 ヌマヒノは偉そうに言ったが、胸を張れるようなことではない。
 二人が向かった先は宝箱屋――つまり、博打が目当てだったのだ。
 すでに他の漁師たちも集まっている。
「遅かったさあ、ヌマヒノ。そっちの子どもは誰さ?」
「……暇人の、旅の人さあ」
 そういえば名前も知らなかった。失礼すぎる紹介になったが、少年は気分を害した様子もなく宝箱屋の内装を観察している。
 この店では、三つの宝箱からどれかひとつを選んで開け、中に入っていた金額が賭けたルピーより上だったらそっくり自分の儲けになる、という簡単なルールを定めている。
「あんたもやるさあ?」
「とりあえず、見てます」
 少年は宝箱に興味深そうなまなざしを向けていた。
 ヌマヒノは漁師仲間たちと順繰りに賭けに挑んだ。ギャラリーがいるならきっと調子も良くなるはずだと考えたが、賭けを続ければ続けるほど金が減っていく。ついに資金が底をついた。
「あちゃー、今日はもうこれっきりさあ」
「僕がお金貸しましょうか?」
 と少年が申し出た。まわりの漁師が囃し立てる。
「やめとけやめとけ、ヌマヒノは仲間内で一番賭けが下手さあ」
「う、うるさいっ」
 だが少年は取り合わない。
「別にいいですよ。好きに使ってください」
「もし勝ったら賞金の半分は返すつもりだけど……いくら貸してくれるのさ」
 少年はサイフからぽんと金色のルピーを取り出した。
「これでどうです」
 漁師たちは目を剥く。その輝きはハイラルの貨幣価値にし三百ルピーに相当する。小さな村ではめったに見ることのない金額だ。
「しょ、正気さあ!?」
「……悪いけど、負けたら一ルピーたりとも返せないさあ」
 ヌマヒノが意地悪く確認すると、「どうぞ」というように少年はうなずいた。彼は頭がおかしいのだろうか。それとも三百ルピーなど、少年にとってはした金なのだろうか。
 ヌマヒノは手のひらに吹き出した汗を拭いて、宝箱をにらみつける。三つのうちのひとつに、大当たりが入っている。どれを選ぶべきか――迷っても結果は変わらないだろう。真ん中にある宝箱に決める。
 少年はうっすら微笑んだ。
 ヌマヒノはえいやと宝箱を開ける。そして中身の輝きに圧倒された。
「に、二千ルピー……!?」
 信じられない額だった。掛け金が大きかった分、大当たりの金額も跳ね上がったのだ。今日の負けは大きく取り返せたわけだ。
「嘘だろ……」「借りた金なら調子が出るさあ~?」さすがに漁師仲間も唖然としている。
「こ、これ、半分さあ」
 ヌマヒノはおそるおそる少年に千ルピー分を渡す。彼は、三倍以上になって戻ってきたお金を不思議そうに見ていた。
「そっか、また増えちゃったのか。もういらないのに……」
 どこか寂しそうな笑みを浮かべながら。



 あの雨の日以来、ヌマヒノは少年を見かける度に立ち止まり、世間話をするようになった。
 名前もやっと聞き出せた。リンク――彼は旅に疲れてウオトリー村で休暇を取ることにしたらしい。賭けをしたのは、溜め込んでいたルピーを使う機会を持て余していたからだという。その後も自分一人で何度か宝箱屋に足を運んだが、その度に当たりを引いて財産が増えてしまうそうで、やがて店長から出入り禁止を食らっていた。
 リンクは村をぶらぶらと歩き回るようになった。そして狭いコミュニティの中を確実に開拓していった。同じ旅人のゲルドの女性と知り合いになった、子だくさんのキキョウ一家のところに行って海鮮パエリアのつくり方を教わった、などと、ヌマヒノが会うたびに新しい話題を持ってきた。彼には皆の視線を引きつけ、他人のふところに入り込む不思議な力があるようだった。
 それでも変化の少ないウオトリー村では、いつか旅人は飽きてしまうだろう。一ヶ月の休暇は長すぎる。案じたヌマヒノはある日、リンクにこんな提案をした。
「そうだ、リガニーに会いに行ったらどうさ~?」
「リガニーさん? どなたですか」
「ここからちょっと北にあるヤシノ遺跡にいっつもいる男さあ。考古学者を気取って何か調べ物してるさ」
「へえ……」
 リンクは興味を示したらしい。ヌマヒノが漁に行って昼過ぎに帰ってくると、リンクは村にいなかった。
 代わりに、宿のあたりが騒がしかった。子どもたちが宿の前に集まり、なんとか中を覗こうとヤシの木の陰から首を伸ばしていた。
「どうしたさ~?」
 子どもたちは一様に興奮していた。
「トリみたいなにーちゃんがいたさー!」「お歌をうたってたさあ」
 小さな子どもほど、日常に変化を欲する。大人になれば、やがてひたすら漁を続ける生活に疑問を持たなくなるのだが。
 ヌマヒノも気になり、それとなく宿の前を通りがかってみる。温暖な気候のため、ウオトリー村の家には扉がない。入口にはすだれを垂らしてプライバシーを確保する仕組みだ。宿のすだれの奥で、村長と誰かが会話していた。
「ここで興行をしたいと考えております。許可をいただけませんでしょうか」
 朗々と響くいい声をした、リト族の男だった。噂には聞いていたが、ヌマヒノは初めてリト族を見た。かたわらには楽器らしきものを置いている。どうやら吟遊詩人らしい。
「そりゃあもちろん大歓迎さ。ただ、村の男たちは昼間は漁で出払ってるさあ。夜、皆を集めてやるのがいいさあ」
「ご厚意、感謝いたします」
 吟遊詩人はすだれ越しにヌマヒノの方を見て、目を細めた。ばれていたのか。リト族の表情は少し分かりづらいが、どうやら笑ったらしい。
 吟遊詩人といえば、遠く離れた土地のことを物語ってくれるものだ。変化のない生活に、リンクが訪れ、吟遊詩人までやってきた。ヌマヒノは少しだけわくわくしていた。
 夕方、ヌマヒノが散歩に出ると、遺跡から帰ってきたリンクがほくほく顔で焚き火のそばに座っていた。
「リガニーさんの石碑の欠片探しを手伝ってました。欠片に文字が書いてあって、それを解読するらしいです。もう二つも見つけたんですよ」
「ほおー。リガニーも研究が進んで喜ぶさあ。そういえば今夜、吟遊詩人が詩を披露するって話は聞いたさあ?」
 リンクの表情が劇的に変化した。安堵から緊張へと。
「吟遊詩人……もしかして、リトの?」
「お、知ってる人さあ? なら会ってくといいさあ、同じ宿に泊まるみたいだし」
「そ、それは……」
 リンクは腰を浮かし、あたりをきょろきょろ見回している。何故か、今にもこの場から逃げ出しそうに見えた。
「どうかしたさ~?」
 挙動不審になった彼を安心させようと、ヌマヒノはあえてのんびりした声を出す。
「ごめんなさい、今日はちょっと」
「リンクさん。やはりここにおられましたか」
 吟遊詩人の低い声がリンクの全身を貫いた。彼はびくりと肩を震わせ、振り返る。
「カッシーワさん」
 リンクの声には諦めがにじんでいる。ヌマヒノは黙ってその場で話を聞いた。
「どうしてここが。プルア博士か、インパさんあたりですか」
「いえ。私にあなたを探すよう頼まれたのは、カカリコ村のパーヤさんですよ」
「パーヤさんが僕を……?」
 リンクは目を丸くする。
「あなたはそれだけ皆さんに心配されているのです。ここを突き止めたのは、たまたま馬宿で、あなたと会話したという旅人を見つけたからですよ。彼女がウオトリー村を紹介した、と聞きました」
「トレジャーハンターの人たちだ……」
 リンクは呆然とつぶやく。
「あなたはどうやっても人とのつながりを絶つことはできません。どんな場所でも、友人をつくってしまうのですよ」
 そう言うと、カッシーワは気まずげにしているヌマヒノに、やわらかな視線をやる。
「でも……そんなこと言われても、僕にはなんにもできないんだ。勇者だなんて、期待するほうが間違ってるんだよ……」
 リンクは苦しげな顔で肩を落とした。勇者? ヌマヒノもさすがにその単語は知っていたが、目の前の少年と全く結びつかなくて混乱する。
「ですが、神獣を二体も解放なされたのは事実でしょう」
「そんなの、彼がいなかったらできなかった……やろうとも思わなかった」
「リンクさん。あなたを見込んで、お願いがあるのです」
 カッシーワは突然、深く頭を下げた。
「私の故郷、リトの村でも神獣ヴァ・メドーが暴れています。私の妻や子どもたちも怯えていると手紙で知りました」
「え、奥さんが……? それなら、あなたが迎えに行けばいいのに」
「私には、使命があるのです。それを果たすまでは、家には帰れません」
 カッシーワはきっぱりと言い放った。リンクは気圧されたようだった。部外者のヌマヒノにも、カッシーワはリンクとは覚悟の決まり方が違うように見えた。
「リンクさん、お願いします。ヴァ・メドーを鎮め、リトの村を救ってくれませんか」
 ウオトリー村の夜に沈黙がおりた。リンクは額を手でおさえ、
「一晩考えさせてください……」
 と絞り出すように言う。
 カッシーワはうなずき、宿に戻っていった。
 ヌマヒノはやっと呪縛から解放された心地だった。気落ちした様子のリンクへ声をかける。
「あ、あのリンク、勝手に全部聞いちゃって悪かったさあ」
「いえ、気にしないでください。でもちょっとだけ……一人にさせてください」
 リンクはかぶりを振って、またあの桟橋に向かった。
 夜、村の全員が宿の前に集まって、カッシーワの詩を拝聴した。それは一万年前に活躍した勇者の物語であった。絵本で何度も読んだ話だが、これだけいい声と音楽で語られるとまた違った感慨がわいてくる。
 古代の勇者の詩を聞いて、ヌマヒノの脳裏に浮かぶのはリンクの顔だった。
 翌朝、いつものように漁の準備をしていると、家にリンクが訪ねてきた。
 あの簡素なシャツとズボンではなく、肩当てが付いた旅人用の服を着ている。背中には剣やら盾やら弓矢を背負い、完全武装だ。だが、旅装束の方がいつもの格好よりはるかに似合っていた。
「……行くのさ?」
 リンクはうなずく。
「はい。いろいろとお世話になりました」
「こっちだって千ルピー儲けさせてもらったさ~」
 リンクはくすりと笑った。
「リトの村に行ってきます。でもそれは、村を救うためじゃなくて、失敗するためなんです」
「はい?」
 ヌマヒノはぽかんと口を開けた。リンクは淡々と語る。
「完璧に失敗して、こいつはだめだって思われたら、今度こそみんな僕のことを見放すと思って。僕は……本当にどうしようもないやつなんです」
 リンクの青い瞳は、日の差さない海の底のように淀んでいる。でも、とヌマヒノは反論せずにはいられない。
「あんたは案外、文句言いながらもやっちゃうタイプだと思うさあ」
 ぱっとリンクは破顔した。
「そうだといいですね。僕が失敗して、ここに戻ってきた時は、また相手してください」
「かまわないさ。賭けの元金だけは持ってくるさあ」
「はい」
 リンクは笑ってウオトリー村から旅立っていった。
 彼と関わったことを、いずれ自分は誇りとするのだろう。根拠のない未来の展望がヌマヒノにはあった。

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