第四章 空に樹にひとに



 リトの空が奪われた――それはリト族にとって、翼をもがれるに等しい大事件だった。
 リリトト湖の真ん中にぽっかり浮かぶ島は、まるごとリト族の止まり木だった。その村の上空を、少し前まではリト族たちが翼を広げて飛び回ったものだが、現在空を支配するのはたったの一羽。神獣ヴァ・メドーである。
 百年前、リト族の英傑リーバルが自在に操ったというヴァ・メドーは、最近になって突然姿を現し、空高く舞い上がるリト族たちをビームで攻撃するようになったのだ。
「村長。このまま何もせずにいていいのですか。空を奪われたままではリトの誇りに関わります! せめて、メドーの偵察に行かせてください!」
 リト族の中でも若く、血気盛んなハーツは、村長カーンの家に詰めかけていた。
 立派な眉とひげを持ち、体の大きさがハーツの二倍はある村長は、しかし穏やかな性格をしていた。案の定、この提案に難色を示す。
「確かにこのままではいけないと考えています。しかし、あのメドーの攻撃を見たでしょう。当たったらただではすまないのですよ」
「妻子にはもう説明しました。覚悟はしています。どうか……」
 カーンはくちばしを閉じる。やがて、小さくうなずいた。ハーツは歓喜に耐えないように何度も礼をした。
 月の光をメドーが遮るのを忌々しく思いながら、村長の家から階段を降りていくと、ある人物の姿がハーツの目に入った。
「テバ。さては聞いてたな」
 踊り場で待っていたのはハーツと同じくリトの戦士のテバであった。真っ白な羽毛が月明かりに輝く。
「……俺も行く」
 ハーツは肩をすくめた。
「こうなると思った。家族にはもう話したな?」
「ああ。無理に納得させた。決行は、明日の朝だな」
「日が出てすぐに向かう。背中は任せた」
 歳も近く、兄弟のようにして育ってきた二人にとっては、自然な流れだった。飛行技術も弓の腕も、一緒に鍛えたものだ。リトの戦士としての誇りは人一倍ある。
 ハーツと別れ、テバは愛用の弓の手入れをしながら考える。
(リーバル様、何故……)
 大厄災の日に神獣に乗り込んで以来、かのリトの英傑は消息を絶っている。メドーの現状を見るに、そこで命を絶ったと考えるのが自然だ。だからこそ、あのようなメドーが空にのさばるのを一番許せないのはリーバルなのではないか、と思うのだった。



 リトの村があるタバンタ地方は、すぐ北に年中雪の降るへブラ山がそびえる、寒い土地だった。
 馬宿に預けっぱなしにしていたエポナをようやく呼び戻したリンクは、一人の孤独を嫌というほど味わいながら、街道を抜ける。気温の冷え込みは、持ち合わせの防寒着だけではどうにもならないほどだった。少し前の彼ならそれでも寒さを楽しんだだろう。だが、吐く息が白くなるささやかな気づきも、共有する相手がいないとむなしいだけだ。
(さっさと失敗して、みんなに見捨てられよう)
 その思いだけを胸に抱き、リトの村を目指した。終着点が近づいてきて、まず目に入ったのは大きな岩だ。それが天に向かう柱のごとく立っており、木組みのかごのような家々が岩にとりついていた。そして上空には神獣ヴァ・メドーが旋回しているのだった。
 駈足を続けるエポナの上でリンクが見守る中、神獣が突然きらりと光った。出たばかりの太陽を反射したわけではなく、神獣自身が光を放っているようだ。いきなり、神獣は赤い膜のようなものに覆われる。さらに翼の端から、ガーディアンが放つものと似たような光線が発射された。リンクは思わず馬上で身をすくませる。
 よく見れば、神獣のまわりを二つの小さな影が飛び回っていた。
「もしかしてリト族……!?」
 叫んだ途端、ひとつの影にビームが直撃した。リンクは青ざめ、糸が切れたように下降していく影を目で追った。
「まずい、撃たれたんだ」
 思わずエポナに拍車をかける。その影は湖の外周に落ちたようだった。人馬一体となって猛進すると、黒い羽毛が草の上でぐったりしているのが見えた。
 やはりリト族だった。リンクはエポナを降り、荷物から回復薬をあさって駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
 助け起こすが、リト族の男は「うう……」と声を漏らすだけだ。怪我の具合は翼が一番ひどく、傷口が焼け焦げている。
 リンクが差し出したのはマックス薬という回復薬だった。体力の限界を超えて力をみなぎらせる、とっておきの秘薬である。
「今助けますから」
 それをくちばしから無理やり流し込む。
「おい、アンタ!? ハーツに何をして――」
 上空からばさばさ羽音を立てて降りてきたのは、先ほどメドーと戦っていたもう一人のリト族だろう。ハーツと呼ばれた黒いリト族とは違い、真っ白な羽毛にくっきりした黒い眉を持っていた。
「ごめんなさい、この人が上から落ちてきて……怪我をしてるみたいなので、薬を飲ませていました」
 リンクの話を聞き、彼の警戒は解けたようだ。
「そうか、客人か。なら、何か傷口を塞げるものを持ってないか」
「ありますありますっ」
 エポナの荷物から包帯を取り出し、渡す。
「ハーツ、待ってろよ。応急処置したらすぐに村に帰るからな」
「悪いテバ……メドーにやられちまって」
「いいから怪我人は黙ってろ」
 テバと呼ばれた男は手際よく包帯を巻いていく。リト族の手は大きな翼そのものだが、意外に繊細な作業に向いているらしい。
 リンクはおそるおそる申し出た。
「あの……良ければハーツさんは僕の馬に乗っていきませんか。ちょうどリトの村に向かう所だったので……」
「そうか。悪いな、遠慮なく借りる」
 テバと二人で協力してハーツをエポナの背に乗せた。リンクは駆け足で手綱を引いて、エポナを走らせた。
 リンクは並走するテバに質問した。
「テバさんたち二人は、空に浮かんでるやつと戦ってたんですか」
「お前には関係ないだろ」
 テバの応対はにべもない。
(関係なくは、ないんだけど)
 だがこのタイミングで説明することではないだろう。村にはおそらく族長ポジションの人物がいるはずである。まずはそこに話を通すのが道理だ。
(そうだったよね、ウルフくん……)
 かつて相棒がゾーラの里にまで導いてくれたことを思い出しながら、リンクはリトの村へ向かった。
 当然、村からもハーツが落ちるさまは見えていたのだろう。入口にまで心配そうなリト族たちが迎えに来ていた。真正面にいるのは、女性と子ども――ハーツの家族だった。リンクは胸が痛む。
 テバが前に出て説明する。
「客人に協力してもらってここまで運んだ。悪い、ハーツのことは任せた」
「おい、テバ……」
 エポナの背から数人がかりで降ろされながら、ハーツがうめいた。テバは振り返らず、村から離れていく。
「あ、あの」
 反射的に後を追おうとしたら、リンクの前に別のリト族が出てきた。
「旅人さん、ありがとうございました。ハーツのことでお礼も申し上げたいことですし、是非族長に挨拶していってください」
 胸当てを付けた彼は、衛兵のギザンと名乗った。
「さっきどこかに行っちゃった、テバさんのことなんですけど……」
 とリンクが言うと、ギザンはため息をついた。
「彼とハーツは、我らリトの戦士の中でも特に好戦的な部類でした。弓の技能にも長け、飛行能力も高い。今回のメドーのことで不平を漏らしていたことは皆知っています。今日はどうやら族長から許可をもらい、偵察に行ったようですが……ああなってしまいましたね」
「そうだったんですか」
 リト族なのに空が飛べない――それはゾーラで例えるならば、里の水が全て凍りついてしまったような事態なのだろう。すみかを奪われ、わいてくるのは憤りだ。リンクの唯一知っているリト族であるカッシーワが相当に穏やかな気性だったので、テバたちの血気にはやるさまを見るのは少し意外だった。
 ギザンは難しい顔をしている。
「テバが向かった場所も、分かる気がしますが……我々リト族の問題です。あまり関わらない方が良いかと」
 リト族は独立独歩の人格なのだろうか。これは英傑リーバルも厄介かもしれないぞ、と頭の隅で考える。
 リンクはギザンに礼を言って、族長の家に向かった。宿や防具屋に盛大に目移りしつつ、木の階段を上る。リトの村はかなり標高が高くて肌寒いのだが、村全体で旅人をあたたかく迎えるようなつくりであった。
 踊り場ではカラフルな羽を持つ女の子たちとすれ違った。
「メドーのせいでお歌の練習ができないよう」
「モモちゃんのパパが怪我しちゃったって。なんでメドーはひどいことするの?」
 ぴよぴよと愚痴が聞こえる。リンクはなんだか自分の至らなさを責められているような気がしてしまった。
 ハーツが運び込まれた家の前を通りがかる。中からすすり泣く夫人の声が聞こえた。リンクはさすがに足を踏み入れられなかった。マックス薬が効いているといいのだが。
 村の一番上にある鳥かごが、リトの族長の家だった。
「こ、こんにちは」
 部屋の真ん中にある安楽椅子に座るのは、とても大きな鳥だ。ゾーラ王ドレファンといい、偉い立場の者は自然と体が大きくなるのだろうか。ハイラル王はまだ普通の体格だったからそれは違うか、と思い直す。
 族長は椅子の上でうつらうつらしていたので、リンクは失礼にならない程度に体を揺さぶってみる。
「……おや。お客人ですかな?」ぱちりとまん丸の瞳を開いた。
「はい。先ほどハーツさんが落ちてきた時にたまたま居合わせて――」
 と説明するが、族長はリンクの腰を注目していた。
「ホホッ! それはまさか」
 リンクはどきりとして、思わず手でシーカーストーンを隠す。
「……申し遅れました。私はリトの村の族長カーン」
 カーンは大きな羽を広げる。
「ハーツのこと、ありがとうございます。落ち着いたら家族にも会いに行かれると良いでしょう」
「分かりました。容態の方は?」
「しばらくは飛べないでしょうが……あの怪我ならいずれは治ります」
「それは良かった」
 だが、治るまでメドーに挑むことはできないわけだ。カーンは目を細める。
「して……その腰につけたるは、シーカーストーンではござらんか?」
 リンクは一瞬言葉に詰まった。ここまで知っている相手をごまかすことはできないだろう。
「よ、よくご存知ですね」
「ホホーッ、やはり! となるとあなたもリーバル様と同じく、神獣ヴァ・メドーに乗り込める英傑のお一人――」
 カーンはものすごく飲み込みが早かった。それは、見ず知らずの旅人をシーカーストーンひとつで信じるほどリト族が切羽詰まっている、ということの裏返しかもしれない。
「いや、英傑様は全員百年前にお亡くなりに……。ということは、シーカーストーンを受け継ぎし末裔……? ああすいません、考え事を」
「いえいえ」
「英傑の末裔様……後生でございますが、この爺の話を聞いてくださらんか」
 なるほど、末裔というのが一番自然な結論だろう。ダルケルの子孫・ユン坊のような事例もある。百年生きたゾーラだからこそ、リンクが英傑本人であると気づけたのだ。リンクはその勘違いを訂正しないことにした。
「えっと、リンクでいいですよ」
「リンク様。お願いします」
「話を聞くだけなら……」
「ありがとうございます。あなたを見込んであらためてお願いがあります。今まさに空を回遊する神獣ヴァ・メドーを、止めていただきたいのです」
 分かっていたとはいえ、リンクは唾を飲み込んでしまう。
「神獣を止めるには、選ばれし英傑がやつを内部から制御するしかない。村の者にこう説明したところ、気の逸った若者――テバとハーツが、メドーの偵察に行きました。その後は……ご存知ですね」
「はい……」
「リンク様、お願いでございます。メドーの攻撃を免れたテバは、怒りに任せてたった一人でメドーを討たんとするはずです。テバを探し出し、ともに神獣ヴァ・メドーを止めてくださらんか」
「あれ、テバさんのことを止めなくてもいいんですか?」
 思わずリンクは純粋な疑問を口にしてしまった。
「ああなれば、誰にも止めることはできないでしょう。リトの男はそういうものです」
 やはりこれはリトの英傑も相当面倒な男だったのでは、とリンクは邪推した。
「僕も……実は神獣を止めるために来ました」
「ホッホウ! 心強いものです」
 カーンの瞳が輝く。これで後戻りはできなくなった。
「それで、テバさんは一体どこへ?」
「残念ながら、彼のいる場所は私には分かりかねます。テバの妻のサキならば所在を知っているやもしれません。拙宅の隣に住んでおります」
「分かりました。行ってみます」
「それではリンク様、メドーを……そしてテバをお願いします」
 カーンは重い老体を安楽椅子に預けた。おそらく族長も若い頃は自在に空を駆けたのだろう。暗にリトの翼を取り戻してくれ、と言っているようだった。
(話は受ける。受けるよ。でも実際やれるかどうかは別なんだ……)
 ウルフの助けなしで、神獣ヴァ・メドーと渡り合えるかどうか。リンクは全く自信がなかった。
 それでも彼は、言われた通りにテバの妻に会いに行った。サキは桃色の羽を頭の横でカールさせ、大きなイヤリングで耳元を飾った華やかな女性だった。
 訪ねてきたリンクが何か言う前に、彼女は頭を下げる。
「ごめんなさい……族長との会話が聞こえてしまいました。夫テバとともに、あのメドーを退治していただけるとか」
「ええと、とにかく、テバさんを探したいんです。居場所は分かりますか? ハーツさんを村に運んだ後、すぐにどこかに行ってしまって」
「夫が向かったのは、へブラ山脈の麓のリノス峠にある飛行訓練場と呼ばれる場所です」
 サキは即答した。
「飛行訓練……どうしてそこに?」
「そこはリト族の戦士たちが空中戦の練習をする場所です。おそらく夫は、メドーとの戦いに万全を期するため、武器を調達しに行ったのでしょう」
 翼と比べてずいぶん不自由そうな足を動かし、走っていったテバの後ろ姿を思い出す。
「歩いて、ですか?」
「そうですね。普段ならあのリーバル広場から飛行訓練場へと飛び立つのですが、今は空高く飛ぶとあのメドーに撃たれますから」
 家の窓から見える木組みの広場が、彼女たちの飛行場だったのだろう。床に描かれた文様は、パラセールの布に染め抜かれたものと同じようだった。
「あの広場はリトの英傑リーバル様からその名をいただいた憩いの場です。あの忌まわしき日のことが忘れ去られないように」
(僕はあの広場を知ってる……?)
 サキの声がどんどん遠くなっていく。リンクの脳裏に音と景色が洪水のように押し寄せた。
 ……リンクははっと我に返る。
「末裔様、どうされました!?」
 サキが血相を変えていた。直前までの光景とテバの妻に心配されている現状がつながらず、リンクはしばし混乱する。
 どうやら彼は、また記憶を取り戻したようだった。しかも、いい具合に英傑リーバルとの思い出である。
「あっ。すみません、ちょっとぼうっとしてました」
 リンクは笑ったが、サキは見るからに落ち込んでいた。
「ごめんなさい。私が色々言いすぎてしまったようですね」
「そ、そんなことないです」
 あの広場の模様を見ただけで思い出すなんて、自分にとってリーバルはどんな人物だったのだろうか――まあ、記憶の中の自分がとっていた近衛騎士らしからぬ態度から、大体は分かってしまったが。
「テバさんがいるのは飛行訓練場でしたよね。ひとまずそこに行ってみます」
「よろしくお願いします……」
 サキは物憂げな色を瞳に沈ませて、腰を折った。
 英傑の末裔ということで、カーンもサキも信用しているのだろう。だがリンクはその期待に応えられる気がまるでしない。
(テバさんのことは心配だから、迎えに行こう。それからは……どうしようかな)
 はるか上空を旋回するメドーを見上げる。あそこに乗り込んで、制御を取り戻せるのは自分しかいない、ということは分かっていた。だが……もしその自分が失敗したら。期待は何倍にも膨らんだ失望となってリンクに返ってくるだろう。
 どうしても勇気がわかなかった。リンクは自分に欠けたピースの大きさを実感していた。



 リリトト湖のほとりを大きく回り込んで北を目指す。みるみるうちに気温が下がり、雪が降ってきた。村でそろえた、リト族の幼子の羽毛を使った防寒着の前を合わせ、リンクはエポナと共に飛行訓練場へ急ぐ。
 道なりに進むと看板があった。訓練場は、見張り台のような木のやぐらの上だった。
 リンクはやぐらにかかったはしごを上りきり、動きを止めた。訓練場には白い一陣の風が舞っていた。
 天然の上昇気流が狭い谷から吹き出している。テバはぱっと羽を広げてその風に乗り、一気に上昇した。気流の頂点に達すると、体が重力に引かれて落ちる寸前に、持っていた弓を引いた。谷のあちこちに設置された的の中心に、次々と矢を当てていく。リンクもパラセールを使えば似たような真似はできるが、テバよりはるかに拙い動きになるだろう。何よりも、テバは絶えず動いているにもかかわらず、狙いが正確だった。これがリトの戦士の力だ。未だにエポナの上での戦いに慣れず、魔物が襲ってきた時は蹴って散らすかわざわざ地上に降りて戦っているリンクからすれば、驚異的な腕の冴えである。
 テバはあらかたの的を破壊すると、やぐらに戻ってきた。リンクを一瞥する。
「……お前か。俺は忙しいんだ。邪魔しないでくれ」
「一人でメドーに挑む気なんですか」
 テバはリンクに背を向けたまま、少しだけ振り返る。
「さては、族長や妻に何か吹き込まれたな」
「はい。あなたを手伝ってほしいと……」
「お前が、俺を? 翼もないくせにか」
 リンクは「うっ」と言葉に詰まった。確かに空を飛ぶ手段がなければ、メドーと戦えない。
「俺を連れ戻しに来たのかと思ったんだがな。どちらにせよ、俺はここを動くつもりはない。俺だってリトの戦士の端くれ。仲間がやられておめおめ帰るわけにはいかねぇさ」
「奥さんも族長さんも、テバさんはきっとそう考えるだろうと言ってました」
「ふうん、だからこそ連れ帰るんじゃなくて、手伝うってわけか。だがお前に何ができる?」
 テバの視線は鋭い。ただでさえきつい顔がより厳しさを増している。リンクは答えられず、唇を噛んで下を向く。
「やる気がないなら、村に帰れ」
 ――やる気は、ない。そのはずだった。そもそもメドー攻略を失敗してしまおう、そして見放されてしまおう、という気持ちでここまで来たのだ。
 だがテバを心配するサキや族長、ハーツの思いがリンクの中でぐるぐると渦巻いていた。
(このまま放っておいたら、きっとテバさんも怪我をして……メドーはそのままだ)
 リンクには、彼にしかできないことがあった。
 ぎゅっとこぶしを握り、顔を上げる。
「僕は神獣ヴァ・メドーの中に入って、あれを止めることができます」
 初めてテバが体ごと振り向いた。黒くくっきりとした眉が跳ね上がっている。
「ホラ吹きもいい加減にしろよ。メドーに到達するための翼もない上に、無知と来たか! じゃあ教えてやろう。神獣の中に入れるのは、百年前に実在した英傑と呼ばれる五人だけだ。そしてその英傑様は、全員その当時に亡くなっている。ガノンの手によってな」
 それを知っているとなると、自分がその英傑本人と判明すれば面倒なことになる。ここは族長の勘違いを利用させてもらおう。
「僕はその……英傑の子孫なんです」
「ハイリア人の英傑の? かの勇者はずいぶん若かったらしいがな」
「きっと奥さんも若かったんでしょう」リンクはしれっと自分の妻を捏造した。なかなかおかしな気分である。
「フム……」
 テバはあごに手をあてて、明らかに怪しんでいた。もうひと押し、とリンクはあるものを取り出す。
「それと、翼はないけど、こういうものを持っています」
 赤い布が貼られた木枠。亡霊と化したハイラル王から賜ったパラセールである。それは抜群の効果を発揮し、テバの瞳が大きく見開かれた。
「これは……大昔にリトの村から、ハイラル王家に贈られたっていう――」
「パラセールです。これで、僕は滑空くらいならできます。それにテバさんの飛行能力を合わせたら、なんとかメドーにも対抗できるんじゃないでしょうか」
 テバの表情は真剣な色に彩られる。
「俺とハーツの戦いは見たな。無闇にメドーに近づくと、やつの砲台の餌食になるだけだぜ」
「囮役と攻撃役に分かれましょう。僕が囮をやりますから、テバさんが弓で砲台を攻撃すれば――」
「翼もないのに囮は無茶だ。分かった、俺が囮を引き受けよう。その代わり、お前が空中から矢を射れ。メドーの付近もこの谷と同じく、すさまじい上昇気流がある。弓を引く少しの間くらいなら浮かんでいられるだろう。危ない時は俺が補助する」
「えっ……は、はい」
 テバは先ほどまでとは打って変わって乗り気になっていた。自分一人で挑むよりも勝算が高くなったのだから、当然だろう。要はメドーを鎮めることができればいいのだ。
 リンクはそっと息を吐いた。今さら怖気づいてどうする。テバにここまで言ったのだ、もう引くことはできない。
 テバはまじまじとリンクの顔を見た。
「そういえばお前、名前は? 最初から神獣目当てでリトの村に来たのか」
「リンクです。実は……カッシーワというリト族から、村を救ってほしいと頼まれて来ました」
 テバは驚いたようにくちばしを開く。
「カッシーワ――あいつか。リトの男のくせに、弓じゃなくて歌と楽器を選んだおかしなやつ。妻も子どもたちも村に置いて、どこをほっつき歩いてるのかと思えば……」
「あの人にはやることがあるみたいなんです。あんまり悪く言わないでください」
「そうかい」
 テバは肩をすくめた。さしあたってこの話題は思考の外に置かれたようだった。
 いつも待ってくれていたウルフはいない。それでも、リンクは神獣に挑もうとしている。何故かは自分でも分からない。
(ここで逃げたら、ウルフくんに顔向けできないからなあ……)
 いよいよ覚悟を決めたリンクは、テバに向かって大きくうなずいた。

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