第五章 迷い子



 バナナで釣って捕らえたイーガ団は、まとめてゲルドの街の外にある監視所の近くに引っ立てた。このあたりは砂嵐がひどく、神獣も近い。拷問にはうってつけの場所だ。
 ビューラは縛り上げたイーガ団の一人と向かい合う。
「答えろ。何故雷鳴の兜を盗んだ?」
「……」
「これでも、吐かないのか」
 ビューラは恐ろしげな声色をつくり、ツルギバナナを無造作に砂の上に投げ捨てると、ヒールのかかとで踏み潰した。
「なっ!? なんてひどいことを……分かった、答えよう」
 驚くべき変わり身の早さだった。こんな連中に自分たちは遅れを取ったのか……と、拷問の様子を眺めていたルージュはげんなりする。真面目な顔をして演技するビューラも大変だろう。
 イーガ団はぺらぺら喋りはじめた。
「俺たちの総長、コーガ様のご命令だ。雷鳴の兜がなければナボリスは攻略できまい。そして神獣のいるところには、必ず英傑リンクがやってくるってな」
「英傑リンク……?」
 ルージュは目を見開いた。旅人のリンクと同じ名前だった。
「バカな。英傑は皆、百年前に命を落としたはずだ」
「理由なんて俺が知るかよ。でもとにかく百年前の英傑が、どういうわけか最近復活したんだ」
「ウルボザ様と同じ英傑が、復活していた……?」
「俺たちは何度かリンクを追い詰めたんだが、いつもあのオオカミが邪魔をして……」
 ルージュは思わずイーガ団に詰め寄り、
「あのオオカミとは、あそこのケモノのことか」
 彼女が指さす方向から、ウルフと呼ばれたリンクの友が走ってきていた。
「そうそう……って、ああ!?」
 イーガ団は驚愕した。どうやら、あのオオカミはイーガ団とルージュ、それにリンクにだけ見えるらしい。
 ルージュは急ブレーキをかけたウルフに話しかける。
「どうしたウルフ。こちらの作戦は順調だぞ。まさか、リンクに何か……?」
 ウルフはこくりとうなずく。ルージュはすぐに、ビューラに命じた。
「兵を再編成せよ。敵の数は減らした。チークたち本隊を助太刀に行くぞ!」
 その場にいた兵士たちはルージュの声に沸き立った。
 囚われたイーガ団は、忌々しいと言わんばかりに怨嗟の声をウルフに投げかけた。
「くそ、いつもいつもお前のせいで失敗する……何なんだよお前。一体どっから来たんだよ。英傑にこんなのがついてるなんて、俺たち知らなかったぞ」
 ウルフは鋭くイーガ団をにらんだ。大型のケモノが目をすがめると迫力がある。イーガ団は気圧されたが、それでも叫んだ。
「でもな、お前がいてもガノン様にはかなうまい。ハイラル城に行くには、ガーディアンの砲火をかいくぐる必要があるんだ。どうせ最後は、英傑リンクは一人で戦うんだよ!」
 ルージュは我慢できずに叫んだ。
「ウルフ! そのような者に耳を貸すな。わらわをリンクのもとに案内してくれ」
 ウルフはイーガ団を一瞥すると、来た道を戻っていった。



 長い夜だった。ビューラたちを率いて、ウルフは砂漠を駆けていく。これで何往復目になるのかは忘れてしまった。
 そういえばカルサー谷に残してきたリンクは薄着のままだったが、寒くないのだろうか。
(……にしてもまさか、女装するだなんて思ってもなかったなあ)
 ゲルドの街は男子禁制である。しかしゲルドの族長から神獣の話を聞くためには、どうしても街に入らなければならない。悩んだ末に、リンクは「男の商人が街の潜入に成功したらしい」という噂を聞きつけ、カラカラバザールに向かった。
 そこにいたのは男ではなく、ゲルドの格好をしたハイリア人の女性商人であった。だがウルフにはにおいですぐに分かった。紛れもなく、そいつは男なのだと。
 リンクはその人物こそがゲルドの街潜入への糸口であると見当をつけていたので、なんとか情報を聞き出そうとした。
 彼は会話の流れで「素敵な格好ですね」と素で褒める。すると女装商人はなまめかしく微笑んだ。
「ありがとう。アナタもこういう衣装を着たら、結構イケる口だと思うのよ」
「はい?」
「きっと世界が変わって見えるわよ……」
 怪しすぎる誘い文句に興味を惹かれ、リンクは大枚六百ルピーをはたいて服を購入した。それが、商人の衣装と色違いの服であった。
「こ、これは……!?」
 一式身につけてからやっとリンクは気づいたらしい。下はズボンなので着心地はいつもの服と近いだろうが、明らかにそれは女性用だった。
 ヴィヴィアンと名乗った商人は身をくねらせる。
「イヤ~ン、可愛い~! ウフフ、思ってた通りだわ。イイ女になったじゃない」
「そ、そうですか……?」
(照れるな照れるな)
 そしてもじもじするな。
 だが、ウルフはもう一度リンクの格好をじっくり観察してしまった。
 悔しいことに、よく似合っていた。水色のヴェールにそろいの口元の布が、リンクが本来持つ健康的な美にミステリアスさをプラスしている――と形容できなくもない。肩も腹も大胆に露出しているが、骨格のせいかゲルド族と比べれば女性に見える部分もある。非戦闘用の装飾過多な服装も着こなすあたり、普段は気にならないけれど実はリンクは非凡な容姿を持っているのだ。
 だが、見た目が整ったというだけで、リンクはまるきり男のままの所作である。かろうじて下がスカートではないことが救いだろうか。歩き方や仕草で正体がばれるんじゃないか、とウルフは危惧した。
 そして何より、勇者が女の格好をするなんて。そのことがウルフにとっては結構ショックであった。
「このあたりだったら、その服を着てたら誰もアナタが男だなんて思わないはずよ!」
 果たして、ヴィヴィアンという商人が太鼓判を押した通りであった。
 女装の効果はすさまじかった。リンクは早速カラカラバザールで哀れなハイリア人男性からナンパされていた。彼はヴィヴィアンの忠告を思い出し、できるだけ小さな声を出すようにしていた。バザールの警護の兵士も、宿の主人も皆、彼を女性と信じて疑わなかった。
 もちろんそのままゲルドの街にも潜入できた。リンクは大はしゃぎで女だけの街を巡った――基本的に他人に見えないウルフもその恩恵に預かり、正直、かなり楽しんで観光していた。
 だが、肝心の族長の屋敷は門戸を閉ざしていた。そこは部外者お断りで、日夜神獣の対策を練っているという。
 無理に忍び込むこともできず、リンクは手をこまねいて、何日か宿に泊まりながら様子を見ていた。
 ある日突然、族長からのおふれがあった。「神獣と戦うため、旅人からも戦士を募集する」と――。
 渡りに船と、リンクはさっそく志願する。すると彼の実力を確かめるため、ゲルド兵士たちとの連戦となった。だがリンクはすでに、そこら辺の兵士には決して負けない実力を持ち合わせていた。ウルフが満足できるレベルの戦いっぷりを見せてくれた。
 正式に雇われて屋敷に足を踏み入れたリンクは、やっと族長と顔を合わせる。族長ルージュは、驚くべきことにまだ幼い少女だった。大きすぎる金の冠を頭に乗せ、責任感ではちきれそうになっていた。
 彼女は神獣攻略の前に、イーガ団に盗まれた雷鳴の兜を取り返してほしいと言う。リンクはひとまず正体を隠したまま族長に従うことにしたようだ。イーガ団のアジトをつぶせば今後の役にも立つ、との考えだった。
「何せ、ウルフくんの仇だからね」
 とリンクはさらりと笑顔で言ったが、目は笑っていなかった。かなり根に持っているらしい。もちろん、それはウルフも同じだ。
 かくしてリンクの提案により、バナナを使った囮作戦の決行となった。彼はシーカーストーンでいずこかへ転移し、大量のバナナを仕入れてきた。その黄色い果物がイーガ団の弱点であると気づいたのも彼だ。思えばウルフも刺客と遭遇する度にバナナを見かけていたが、リンクほどはっきりとは因果関係に気づけなかった。
 ――作戦は成功したかに思えた。しかし、イーガ団の方が一枚上手だったようだ。どうもバナナの撒き餌を警戒したグループがあったらしい。単なるお笑い集団ではなかったようである。
 ウルフは族長ルージュと側近ビューラ、それに部下たちを引き連れて、リンクたちが戦っていたカルサー谷にたどり着いた。
(確かこの辺のはずだけど……)
 あたりを見回す。リンクたちは谷の入り口で襲われたはずだ。
 ビューラは背が高い分ウルフよりも視界が利く。いち早く目的の人物を見つけたようだ。
「チーク!」
 谷の間でゲルドの兵士が塊になって休んでいた。あたりには何人ものイーガ団が倒れている。どうやら気を失っているだけのようだ。
「ビューラ様、族長……来てくださったのですか」
 チークは槍にすがりつくようにして立ち上がろうとしたが、ビューラに押しとどめられる。
「大事はないか」
「ええ。皆無事です、が――」
 ウルフはすでに気づいていた。リンクがどこにもいないことに。
 チークは苦々しげにつぶやいた。
「あのハイリア人が――リンクが単身、アジトに乗り込みました」
(なんだって!?)
 今まで、イーガ団との戦いではろくに活躍していなかったくせに、なんという無茶をするのだろう。
「あのヴァーイはすさまじい手練です。イーガ団を蹴散らした後、我々に回復薬を残して一人でアジトへ……囚われているバレッタを救うと言って、向かいました」
「リンク……」
 ルージュが心配そうにうなだれた。ウルフだって気が気でない。
 ビューラは素早く判断し、
「よし。半数はここで族長とチークたちを守れ。後は私に続け!」
 と大剣を振り上げた。
 ルージュはアジトに向かうウルフにささやきかける。
「ウルフ、わらわの分も、リンクのことをどうか……頼んだぞ」
(分かってるよ族長さん)
 リンクを託されることにも慣れたものだ。ウルフの気分は苦い。
(あいつ……俺がいないとだめだとか、さんざん言ってたくせに)
 その理由は苛立ちと不安と、認めたくはないが寂しさがあった。
 ウルフはビューラたちとともに進軍する。カルサー谷には不気味な石像が大量にあった。カカリコ村でも見かけたカエルの石像――あれにイーガ団の目玉模様を染め抜いた布がかけられている。まるで、外部の侵入を拒むかのように。
 今そばにいるのは、全員ウルフのことが見えないメンバーだった。それでも一応彼女たちのことを気にしながら、ウルフは歩調を合わせて進んでいった。
 驚くべきことに、道の途中に点々とイーガ団が倒れている。
(これを全部、リンクが……?)
 いつの間にそこまで強くなったのだ。神獣を攻略するうちに、百年前の力を取り戻してきているということか。そうだ、彼はリトの神獣だって一人で攻略できてしまったという。
(それならもう、俺がいなくても……)
 ウルフは首を振って不吉な考えを追い出した。
 谷のどん詰まりには、意味深に燭台が置かれた洞窟があった。壁にはいくつもの垂れ幕が下がっていたが、ひとつだけ焼け焦げていて、その先に道が続いている。リンクが通った後だろう。
「この先がやつらのアジトか……皆、よく気をつけろ」
 ビューラに続いてゲルドの兵士が突入する。もちろんウルフはその前を走っていた。
 人工的に整えられた岩の階段を上ると、真正面に牢屋があった。中にいたゲルド族が驚いて飛び起きる。
「ビューラ様!?」
「バカ、声が大きい。バレッタだな」
 囚われの兵士は慌てて口をおさえる。彼女が、のんきに偵察に行って敵に捕まったというお調子者だろう。
「は、はい」
「もしかして、ここにリンクが来なかったか」
「来ました。私を助けようとしてくれたんですけど、どうしてもカギが開かなくて。だからカギを取ってくるって言って、この奥に乗り込んで行きました……」
「くそ。一人だけここに残れ。後はリンクを追うぞ」
 ウルフはビューラたちと離れ、リンクを探すために駆け出した。アジトの中で真っ先に目に入ったのは、倒れたイーガ団のそばにバナナ、という組み合わせだった。
(バナナで誘導した隙に不意打ちしたんだな……)案外容赦のない戦法を使うものだ。
 どこに行っても同じような格好でイーガ団が倒れていた。リンクはたった一人でアジトを壊滅に追いやっているようだった。
 一番奥の部屋――と思しき場所には、バナナと宝箱が残されていた。そして部屋の脇の壁が真四角に切り取られている。そこから風が吹き込み、金属音が聞こえてきた。誰かが戦っている! 
(リンク……!)
 ウルフは外に飛び出した。
 集会を行う広場だろうか。中心には何故か、円形の大きな穴が開いている。その上で、イーガ団の仮面をかぶった小太りの男が宙に浮かび、見えない力で巨大な鉄球を持ち上げていた。リンクのマグネキャッチに似た能力だ。イーガ団は元はシーカー族というから、同じ技術を持っていてもおかしくない。鉄球がリンクに迫る。
(危ない!)
「わ、ウルフくん!?」
 ウルフに体当たりされ、驚いたリンクが一回転してから起きる。
 小太りのイーガ団がびしりとウルフに指を突きつけた。
「そのオオカミ……報告を受けたぞ。さんざん俺たちの邪魔をしてくれたそうじゃないか!」
 こいつが総長コーガ様とやらだろう。ウルフは強くにらみつける。
 リンクは全身に怒気をみなぎらせていた。
「彼は関係ない。お前たちは僕が狙いなんだろ!?」
「うるさいうるさい、ムカつくもんはムカつくんだよ!」
 イーガ団のボスはずいぶんと子どもっぽい性格をしていた。リンクといい勝負かもしれない。
「はあ!? こっちだって何度も命狙われて、お前らのことはムカついてるんだよっ!」
(うん、いい勝負だ)
 だが命のやり取りの場面では、いい勝負ではいられない。ウルフたちは勝たなければならなかった。
「ウルフくん、下がってて。こいつは僕がやるから」
 と言われて素直に引き下がれるだろうか。コーガ様は再び巨大な鉄球を呼び出す。
 ここでリンクが使ったのはマグネキャッチだった。古代エネルギーで鉄球を押し合い、逆にコーガ様にぶつける。
「よっしゃあ!」
 リンクはらしからぬガッツポーズをして喜んだ。
 コーガ様は鉄球のトゲがもろに刺さった片腕を押さえて、息を切らしていた。
「くっ……俺様がここまでやられてしまうとは。なんだってこんなやつにっ」
「ウルフくんをひどい目に合わせた罰だよ。観念するんだ!」
「くそ、こんなことがあってたまるかー!」
 コーガ様は叫び、地団駄を踏む。本格的に子どものリアクションだ。こんなのが、あの暗殺集団イーガ団の頭領だなんて……ウルフは幻滅していた。
「おっと、つい怒りに我を忘れてしまった。くっそー忌々しい……このままやられるわけには――そうだ!」
 コーガ様は悪どいことを思いついたようだ。リンクが身構える。
「くくくっ……わーっはっはっは!」笑う度にたぷたぷお腹が揺れた。「この俺様を本気にさせてしまったようだな! 代々伝わる奥義でお前を葬り去ってやる」
「来るなら来いっ」
「これで終わりだっ!」
 コーガ様が両手を組み合わせて召喚したのは特大の鉄球だった。大きすぎて扱いきれなかったのか、鉄球は力の制御を失ってリンクとコーガ様の間に落ちる。
「わーっはっはっは! 巨大すぎたか? お前が見えなくなってしまった。まあいい、どうせお前は……今に消えていなくなるっ!」
「……」
 リンクはひどく冷たいまなざしになった。こんな顔の彼をウルフは見たことがない。
 リンクは無造作に鉄球を足で蹴った。鉄球はコーガ様に向かって転がりはじめる。
「この奥義はな、一族の長のみが使える、究極の……ひょああああ~!?」
 コーガ様は鉄球に追われて、背後にあった穴に落ちていく。
「卑怯者、覚えてろ~! 若い衆、あとは頼んだぞ~!」
 という断末魔とともに。
 リンクはその穴を覗き込みもせず、ウルフを振り返る。
(こいつ怒ると怖いタイプだったのか……ていうか俺、何もできなかったな)
 せめて元の体であれば……と思っても、迷いの森で見た悪夢がよみがえる。ここに来る前、イーガ団の下っ端に投げられた悪態も。
 結局最後は、勇者は一人で戦わなければならない――本当にそうなのだろうか。
「ウルフくん、来てくれてありがとう」
 それでもリンクは微笑み、ウルフに感謝するのだった。
(じゃあ、なんで一人で行ったんだよお前)
「さて、雷鳴の兜を探さなくちゃ。つい戦いに必死になって忘れてたんだよね……あと、バレッタさんの牢のカギも」
 リンクはこういう時、急激に察しが悪くなる。ウルフの疑問にはいつも答えてくれない。何故自分はオオカミの姿なのか、リンクとまともに言葉が通じないのか。ウルフは悔しかった。
「リンク! 無事だったか」
 やっと奥の部屋の抜け道に気づいたのだろう、ビューラが一人で姿を現した。
「ここは何だ?」
「イーガ団の総長、コーガ様の昼寝の場所とからしいですよ。今は夜ですけど。さっきまでここで、コーガ様と戦ってました」
「倒したのか!?」
「一応は」
 ウルフはリンクの背後の穴に目をやる。まあ、強いて生死を確かめることもなかろう。
 ビューラはふう、と息を吐いた。
「そうか……ご苦労だった。ゲルドの街に帰るぞ。ルージュ様が心配しておられた」
「あれ、雷鳴の兜はいいんですか?」
「もぬけの殻のアジトで発見した。バレッタもとうに救出している」
「そうですか。それは良かった」
 リンクはほおをほころばせる。反対にビューラは目を鋭くした。
「ところでリンク。ずいぶん声が低いのだな」
 ぎくりと心臓が跳ねた。リンクが女装していたことを、ウルフすら戦いの高揚で忘れていた。
「そ、それは……えっと」
「だが、お前のはたらきのおかげで、ゲルドの至宝を取り返すことができた。お前の処置は……ルージュ様の前で行うべきだろうな」
 ひとまず見逃してくれるらしい。ビューラは一足先にきびすを返す。
「……私はハイリア人やヴォーイのことを、少し見誤っていたのかもしれぬ」
 そのつぶやきは、ここにいないはずのウルフの耳にだけ聞こえた。



 長い夜が明けた。リンクはゲルドの街の宿で倒れ込むように寝ると、日が高く昇りきった頃に族長の屋敷に参上した。
 すでに彼の顔は兵士たちに知れている。一般人に対しては閉ざされた門も、すんなり通してくれた。
 二人は謁見の間に向かったが、空の玉座とビューラが迎える。
「ルージュ様なら二階だ。お前の疑惑についても話してある」
「分かりました……」
 リンクは恐縮し、階段を探す。ビューラはイライラした様子でつぶやいた。
「それにしても、貴様なんぞを寝屋に通すとは。ルージュ様は一体何を考えてらっしゃるのか」
(え、二階って、寝室にいるってことか)
 女性だけの街で、族長の寝室に入る……かなりの大ごとではないだろうか。下手なことをすれば、このビューラに斬られかねない。
「いいか、ルージュ様に何かしたら貴様、ただでは済まさんぞ!」
「え? はい」
 リンクは何を言われているのかまるで分かっていないようである。兵士がやたらとにらんでくるのに怯えながら、二階に上がった。
 族長ルージュは正確には寝室の前――ゲルドの街を一望できるテラスに出ていた。
「待っておったぞ。ああ、語らずとも良い。寝心地が良かったのであろう」
「あはは……」
 リンクは笑った。彼はもはや声をつくらず、素で喋る。
「それで、僕がぼーい……男だってことは聞いてますよね」
「ああ。そしてお前が百年前の英傑リンク、その人であるともな」
 リンクは息を呑む。ルージュは女装した勇者の腰に目をやる。
「その石版は勇者にしか扱えぬというシーカーストーン。それに、背中の剣は伝説のマスターソードであろう。母様は昔、ハイラルの姫がハイリアの英傑を眠らせたと言っていた。リンクはつい最近目覚めたのだな」
 ばれてしまっては仕方ない。リンクは女性らしさの欠片もない仕草で頭を掻く。
「実はそうなんです。だから、街の掟を思いっきり破っちゃったんですけど……」
 ルージュは目を細める。
「だがお前の功績は確かなものだ。イーガ団を破り、この雷鳴の兜を取り返してくれた。それにわらわからも頼みたい。お前がウルボザ様と同じ英傑ならば、あの神獣ヴァ・ナボリスに乗り込めると聞く。どうか、神獣を鎮めてはくれぬか」
 族長は頭を低く下げた。
「元からそのつもりで来ましたから」
 リンクは手を伸ばし、軽くルージュの赤い髪に触れた。
(おいおい大胆だな)
 ウルフが元の姿であったならば肩をすくめていたところだ。その動作すら、もはや懐かしい。
 ルージュの体がびくりと跳ねた。
「そ、そうか……ありがとうリンク」
 そして彼女は少し遠くを見る目になった。正面にいるリンクから、ゲルドの街並み、そして砂嵐の奥の存在へと視線を飛ばす。
「わらわは見ての通り、まだ童じゃ。民の目は皆あたたかいが、それがわらわにとっては辛いこともある……。一日でも早く、真の意味で族長として認められねばと気負っておったが、神器を盗まれた時は、正直目の前が真っ暗になった」
 ぐるりと視線を一周させ、彼女はリンクをまっすぐに見つめた。その目が笑っている。
「そんな中、お前が訪ねてきてくれたのは、ウルボザ様のお導きであろう」
 ルージュは取り戻した雷鳴の兜をかぶった。黄金色をした兜は、正面に六つのガラス玉が並んだ不思議なデザインである。正直、彼女の頭には大きすぎた。
「……ど、どうだ?」
 リンクは感想を言うため口を開き、そのまま停止した。双眸を静かに見開く。
 ルージュはまるで気づかず感想を待っていたが、リンクはまた何かを思い出しているのだろう。おそらくは、同じ兜を持っていた英傑ウルボザに関することを。
 やがて意識を取り戻したリンクは、「そうか、ゼルダ姫は、だから……」とつぶやく。
「どうした、ぼーっとして。それよりも――ど、どうだ! 似合うか?」
「よく似合ってますよ」
「そ、そうか?」
 ルージュは兜の位置を微妙に調整する。照れたのだろうか。族長として背伸びする彼女が子どもっぽさを覗かせる度に、ウルフは微笑ましい気持ちになった。
「神獣ヴァ・ナボリスが徘徊している場所だが、イーガ団のアジトを攻略している間に、大きく変わったとの報告があった。いずれ街にも危険が及ぶやもしれん。わらわは族長として――ゲルドの民として、何としてでもあれを止めねばならぬ。
 リンク。共に行ってくれるな?」
「もちろんです!」
 兜の下から覗く唇が、弧を描く。子どもと言えどやはりゲルド、どこか艶っぽい。
「ふふっ、なんだろうな。戦いの前だと言うのに、お前の一言でこうも落ち着くとはな……」
 その気持ちはウルフにも理解できる。リンクは性別種族年齢に関係なく、誰とでも正面から向き合う。そのふるまいが、他人を惹きつけるのかもしれない。
「この街の南東に、神獣の監視所がある。リンクは先に行ってそこで待っていてくれ。
 それと、ナボリスにはスナザラシに乗らねば近づけん。監視所は街からそう遠くないが、腕慣らしも兼ねてスナザラシでくるといいだろう」
「分かりました」
「わらわは愛スナザラシ、パトリシアちゃんと共に後から向かおう」
 なんだか強そうなスナザラシだ、とウルフは思った。リンクは首をかしげて、
「あの、どうして僕が先に行くんですか?」
「わらわにはこれから重大な仕事がある。ビューラを説得しなければならないのだ……」
 薄々気づいていたが、あの側近はかなり過保護のようだった。確かにこれは族長本人にしかできない仕事だろう。
「大変ですね……。何かあったら、僕が責任を取りますって言っておいてください」
(え! 大丈夫なのかそんなこと伝えて)
 ルージュは兜を外し、意味深に微笑む。
「今の言葉、撤回するでないぞ」
 これは神獣戦から帰ったら、またもやビューラに粛清されかねない騒動に発展するのではないだろうか。ウルフは気が気でなかった。
 ルージュが一足先にバルコニーを去った後、リンクはその場で腰を落とし、ウルフと目線を合わせる。
「それじゃ、ウルフくんはこの街で待ってて」
(……え?)
 直接神獣とは戦えないけれど、当然監視所まではついていくつもりだった――いつものように。
「スナザラシってやつ、ウルフくんには乗れないでしょ。だから、ね?」
(そんなの横を走ればいいだろ)
「でもナボリスは雷を降らせるらしいし、危険だから……」
(あんだけいろんなところを連れ回しておいて、今さら危険がなんなんだよ!?)
 ウルフは吠える。いつもならそれで「ごめんごめん」とおさまるのに、リンクは譲らなかった。
「お願いだから、ここで待ってて……」
 まるで懇願するような口調だった。リンクの真剣な顔を見ていたら、ウルフは何も言えなくなった。
 もしや、離れて行動していた間に何かあったのだろうか。リンクの感情など手に取るように分かったはずなのに、まるで読めなくなっていることに気づき、ウルフは愕然とするのだった。

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