第六章 勇者を救うもの



「この宝珠に認められし者、古の加護を受けん」――それがパーヤの磨く宝珠にまつわる言い伝えである。古の加護とは何なのか、それを解き明かした者は誰もいない。
 その日、パーヤはいつものように、屋敷の書庫に向かった。そこにある膨大な数の書物をじっくりと紐解いていく。
 目的はもちろん、勇者にまつわる記述を見つけることであった。
 古代シーカー族の残した文献は貴重である。技術的な話が載っている本は基本的に古代研究所が所持しているが、それ以外の風俗や掟に関する記述はここに集まっているのだとインパは言う。そういう本にこそ、勇者に関する情報があるとパーヤは踏んでいた。
 空色の布表紙の本を手に取った。あるシーカー族技術者の回顧録のようだ。これは期待が持てそうだ。
「シーカー族の宝珠は勇者の祠を起動させるためのものである」
「祠は勇者にしか開くことはできない」
「祠は我らからの加護として、勇者に祝福を与える」
 本からこれら三つの記述を集めた時、パーヤの頭に閃くものがあった。
 彼女が毎日磨いている宝珠――あれこそが勇者の祠を開くためのカギなのだ! 
(これでやっと、リンク様のお役に立てる……!)
 パーヤは有頂天になった。本を小脇に抱え、階段を駆け上る。早速インパに知らせようと思ったのだ。
 祖母はいつもの通り三段重ねた座布団の上に鎮座していた。パーヤを見て、少し瞳を大きくする。
「リンクなら、先ほど旅立ったぞ」
「えっ」
 パーヤが倉庫に入る前、リンクはここには来ていなかった。あの短い時間でインパと面会し、すぐに旅立ったということだろうか。
 急に腕に重さを感じて、本がずり落ちる。
「ど、どのようなご用事だったのですか?」
「リンクはついに全ての神獣を解放した、と言っておった……」
 インパはしみじみと息を吐く。彼女が百年焦がれ続けた悲願の達成は、もう目前だった。
「どれほどこの日を夢見たことか。いや、まだじゃ。ゼルダ姫様はハイラル城におられるのだから」
「それではリンク様はハイラル城へ……?」
「行き先は言っておらんかった。じゃが、そうだ、ウルフを連れていなかったな」
「ウルフ様が……おられなかったのですか?」
 あれほど大切にしていたのに、どうしてだろう。一度は失い、そして再会できた時の喜びようといったら、見ているパーヤの胸まであたたかくなるほどだった。それなのに……
「また何か事件があったのでしょうか」
「いいや、そういう様子はなかったな。リンクにも何か考えがあってのことじゃろう。ところでパーヤ、その本は――」
「あ、はい、ええと……パーヤはこの宝珠の謎を、ついに突き止めたのです」
 本の表紙を見せると、インパはかぶった笠ごと頭を揺らした。
「なんと!」
「この宝珠は、勇者のための祠を開くカギだったのです。祠とその台座は、おそらくこのカカリコ村の近くにあると思うのですが……」
「むう、もう少し早ければリンクに伝えられたのじゃが」
「パーヤは待ちます。リンク様は、きっとまたこの村にいらっしゃいます」
 そう信じると、いつもより少しだけ待ち時間が楽しくなった。
 本を二階の自室に置いた彼女は宝珠を丁寧に磨き、台座に安置した。そして宝珠に向かって両手を合わせる。
 ただ待っているだけ、祈るだけではなく、リンクの役に立てる。パーヤにとって、これほどの喜びはない。
 村には時折若い男性の旅人が訪れることもあるが、極度の恥ずかしがり屋のパーヤには、目を合わせることすら困難であった。でもリンクとだけは、不思議と落ち着いて話ができた。
 いつしか、彼のことを考えるだけで胸が高鳴るようになっていた。もしかして自分は病気なのかもしれない、と以前インパに薬をもらいに行ったら、それは恋だと言われた。
 恋――この感情に名前をつけるとしたら、そうなるのだろう。しかし、パーヤは「それだけではない」と思っている。リンクに伝わらなくとも良い。彼の笑顔を見られるだけで幸せなのだ。
 この日のパーヤはかなり長い時間、宝珠へと祈りを捧げていた。
「インパ様、お時間でございます」
 門番のボガードが屋敷を訪ねてきた。夕方、インパは外が涼しくなってから日課の散歩に向かうのだ。今日はボガードが補助をする番である。
 二人が出発するのを待って、パーヤはインパの座布団を予め干していたものと取り替え、自分も外に出た。
 木の外階段を降りる。もう一人の門番であるドゥランが頭を下げた。
「道祖神様にお祈りですか」
「いえ……賢者タロ・ニヒの祠の様子を見てまいります」
 あわよくばリンクと鉢合わせしないか、という思いがあったことは否定できない。ドゥランは何かを察したのか、黙って微笑んだ。
 タロ・ニヒの祠は、すでに昼間の時点で整備している。もはや掃除する必要はない。彼女はぴかぴかに磨き上げられた勇導石にそっと手を置く。
 リンクは全ての神獣を解放した。それはもしかすると、一万年前の勇者よりも、そして百年前の彼自身よりも素晴らしい功績を上げたのではないか、と思う。願わくば、彼がそれに気づいてほしい。リンクはどうも、自分の成し遂げたことの大きさを認められていないようだった。
(リンク様の心の有り様も、勇者の魂に関係しているのでしょうか……)
 結局勇者の魂とは何なのだろうか。未だにその答えは出ていない。
 白い月明かりと青い祠の対比の美しさを目にとめながら、パーヤは祠を後にした。
 門番ドゥランは目でうなずき、出迎えてくれた。インパとボガードはまだ散歩から帰ってきていないようだ。
 パーヤは屋敷に入り、自分の部屋に向かおうとして――違和感を覚えた。室内の風景に、大切な何かが足りない。
 いつも穏やかな黄昏色を放つ宝珠が、跡形もなく消え失せていた。
「え……」
 慌てて探し回った。磨いた後、無意識に別の場所に置いてしまったのかもしれない。だが屋敷中ひっくり返しても、ついに見つからなかった。
 一抱えほどもある宝珠が、どこかへ行ってしまった。
 彼女は気がつくと、
「い、いやあああっ!」
 と悲鳴を上げていた。



 目が覚めたパーヤは、自室のベッドの上にいた。ボガードが心配そうに覗き込んでいる。
「きゃあっ」
 彼女は思わずふとんをかぶり、顔を隠した。
「失礼いたしました。倒れていたパーヤ様を、ここまで運ばせていただきました」
 ボガードは少し傷ついたような声を出す。パーヤはあれから気を失ったのだ。
「ほ、宝珠は!?」と問うが、
「申し訳ございません。どこにも見つからず……あれほどのものが消えるなど、ありえません。どうやら不甲斐ないことに、我々は盗人の侵入を許してしまったようです」
 ボガードの話を聞いて、パーヤの胸にショックが染み渡る。
「盗人だなんて……そんな」
 これではリンクの役に立てない。代々守ってきた宝珠が盗まれた事自体よりも、パーヤにとってはそちらのほうがよほど深刻だった。
 消沈した様子の彼女を見て、ボガードが力強く宣言する。
「必ず我らで犯人を見つけ出し、宝珠を取り戻します」
「……はい」
 くらくらする頭に引きずられるまま、彼女はベッドに沈み込んだ。ボガードが部屋を出ていく気配がする。
 目尻ににじんだ涙を拭くこともできず、パーヤはさめざめと泣き出した。
 落ち込んだ心はさらに悪い気を呼び寄せる。パーヤはそれから熱を出し、寝込んでしまった。
 宝珠は決死の捜索の甲斐もなく、見つからなかった。事件当時門を守っていたドゥランが言うには、インパとパーヤの不在時に村人が二人訪ねてきたらしい。服屋の呼び込みラズリと、梅園の老婆メロだ。もちろんドゥランが呼び止め、インパの不在を告げて帰ってもらったという。
「私が村人と会話している隙をつき、屋敷に侵入することはできるかもしれませんが……」
 とドゥランは枕元で語り、
「すみませんパーヤ様、ご病床のそばでこのような話をしてしまって」
 頭を下げた。
「いえ。宝珠の捜索、ありがとうございます……」
 パーヤは無性にリンクの顔が見たかった。でも今彼が来たら、きっと自分は泣きついてしまうだろう。勇者の役に立つどころか、かえって面倒を押し付けることになる。
(この事件は、私が解決しなければ……)
 日が経つに連れて次第に病状は回復し、パーヤはやっと階下に降りられるようになった。しかし、インパのそばにある空っぽの宝珠の台座を見る度に、胸が痛む。今日もリンクは来ない。
 何もなくなった台座を清掃すべきか悩んでいたところ、わおん、と聞き覚えのある声がして、屋敷の扉が開いた。
「ウルフ様……!」
 リンクの連れが、一人きりでそこにいた。パーヤはふらふらと駆け寄る。
「どうしてここに。リンク様はどうなされたのですか」
 ウルフは低くうなった。なんだか怒っているようであった。
 座布団の上から、インパがおもむろに声をかける。
「ウルフよ。リンクからお前に伝言がある」
 ウルフは耳をピンと立てた。パーヤが倉庫にこもっていた時の短い邂逅で、ウルフに言伝を残していたのか。
「きっとお前はカカリコ村までは追ってくるだろう。でも必ず帰るから、ここで待っていてほしい、とリンクは言っておった」
 ウルフは黙っている。瞳はリンクとよく似た色で、しかし勇者より幾分か鋭い目つきをしていた。耳のピアスが少しだけ揺れる。そこにあらわれているのは、落胆の感情であった。
「リンクが何を思ってお前を置いていったのかは分からぬ……じゃが、最後に会った時のリンクは、今までで一番勇者らしかった。きっとお前のおかげなのじゃろうな。わしもパーヤも、感謝しておるぞ」
 インパの言葉に感じ入る様子もなく、ウルフはぷいと横を向いた。
「ウルフ様……」
 パーヤはしゃがみこみ、そっとケモノの頭をなでた。ウルフは驚いたように尻尾を立てる。
「そうじゃウルフ、この屋敷にあった宝珠は覚えておるか。実は、あれが盗まれてしまってな……今パーヤは落ち込んでおる。リンクを待つついでに、そばにいてやってくれぬか」
 ウルフは祖母と孫の間で何度か視線を往復させた後、ゆっくりとうなずいた。
「ありがとうございます、ウルフ様」
 リンクが「くん」付けをしていることからしてオスなのだろうが、さすがに動物相手では緊張がどうこうということはない。パーヤは自室に彼を案内した。
 そして、
「リンク様のことがご心配なのは分かります。パーヤもリンク様には一目お会いしとうございます……。少しそれと関わることなのですが、宝珠のことをお話してもよろしいでしょうか」
 許可の意味を持った沈黙を感じ取り、パーヤはウルフに経緯を話しはじめた。



 やれやれ。これは本来ならばリンクの役割なのではないだろうか。
 ウルフはそう思ったが、注意深くパーヤの話を聞いていた。
 宝珠を盗まれ、傷ついたパーヤの心。癒やすべきはリンクだろう。だが彼はこの場にいない。ハイラル城に行ってしまったとすると、いつ帰ってくるかも分からない。
 リンクは完全に行方をくらませてしまった。
(俺が足手まといだって言うのかよ……)
 ひたすら、気に食わなかった。百歩譲ってウルフは戦力にならないとしても、荷物を持ってくれるエポナすら置いていったのはどういうわけなのだ。
 ウルフがむかむかしてきたところで、パーヤは話し終えて息を吐く。
「……少し、落ち着きました。ウルフ様がそばにいてくださったおかげです」
 未だに「ウルフ様」という呼ばれ方には慣れなかった。パーヤにとって、ウルフはリンクの付属物だから様付けなのだろうか。
「私も盗人に立ち向かう勇気がわいてまいりました。泣いてばかりはいられませんね……」
 すでに夜がとっぷりと更けている。パーヤの話からすると、こんな時間帯に賊に入られたということだった。門番もいると言うのに。
 ウルフは相槌すら打たずにただ耳を傾けていただけだったのだが、パーヤはずいぶん調子を取り戻したらしい。
「あの時屋敷を訪れたのは、メロさんとラズリさん……。とにかく、あの日変わったことがなかったかどうか、お二人にお話を聞いてみようと思います」
 と決意して、部屋を出ようとする。
(こんな時間に一人で外に行く気か!?)
 ウルフは慌てて追いかけた。
「まあ、ウルフ様もいらっしゃるのですか? ありがとうございます、とても心強いです」
(いや、だって放っておけないだろ)
 村の中には、まだ賊が隠れているかもしれないのだ。パーヤは何かとウルフに好意的であるし、度の過ぎた照れ屋ではあるが、控えめな性格とリンクに向けるひたむきな想いは、なかなか好感触であった。
「まずはラズリさんを訪ねましょう」
 パーヤは屋敷を出て、左手にある坂を上っていく。そこはカカリコ村の目抜き通りだ。坂の中腹に、呉服屋「忍杏亭」がある。
「いらっしゃ~い、あら、パーヤ様。お召し物がご入用で?」
 服屋の入口では、ラズリという女性が呼び込みをしていた。
「今日はそのような用事ではないのです。宝珠が盗まれた日のことを聞かせてほしくて……少しお時間よろしいでしょうか」
「もう門番の人たちにさんざん話したんですけど……まあ、いいです」
 ラズリは少し面倒そうに、しかしすらすらと話した。
「あの日は、村の北にあるお墓を整備してほしいと、インパ様に奏上しに行くつもりでした」
「ああ……」
 パーヤは曖昧な顔でうなずいた。もしかするとラズリは親しい人物を亡くしているのかもしれない。
「でも、門番さんに、インパ様は散歩でいないって言われて、そのまま帰ってきました。だから屋敷には一歩も入ってません」
「その時、何か気になることはありませんでしたか」
「気になること……私のすぐ後にメロおばあさんも来てましたけど、同じく門前払いでしたよ」
 パーヤは目に見えてがっかりしていた。もうひとつの線もあっという間に潰されてしまったのだ。
「あ、そうだ、ドゥランさんのお子さん二人がお父さんに会いに来てましたねー。ほんと健気ですよね」
 晩ご飯ができたという知らせだろうか、もしくは父親へのねぎらいだろうか。
「かなり大きなかごを持っていて、二人で引きずるようにお家に帰ってましたよ」
「……? かご、ですか」
「晩ご飯かなにかじゃないですか」
 パーヤとウルフは顔を見合わせた。どう考えてもそれが怪しい、とパーヤの目が言っている。
 彼女はラズリに礼を言って別れ、
「ココナとプリコの家を訪ねましょう」
 と坂を上ったが、二人とも留守であった。この時間なら素材屋脇の調理場にいるだろうか、とそちらも覗くが、流浪の絵描きカンギスがいるだけだった。
「カンギスさん。ココナかプリコを見かけませんでしたか」
「子どもたちなら、そこの坂を上っていきましたが」
 呉服屋の前の坂である。ちょうど、父親のドゥランが歩いていくのが見えた。
「門番を交代したのでしょうか」
 パーヤが駆け寄ろうとしたところを、ウルフが軽く吠えて引き止める。
「ああ……ドゥランならきっと、子どもたちの居場所を知っているでしょうね」
 そうではない。ドゥランの動きは明らかに何かを警戒しているようだった。肩のあたりが張っている。みなぎる注意がオーラとなって見えた。
 パーヤもうっすら気づいたのか、唇の前で人差し指を立てる。
「……こっそり、ついていってみましょうか」
 シーカー族の着ている服は雨に強く、衣擦れの音すら抑えられるらしい。パーヤもお嬢様然としているが、そこはシーカー族だ。流れる血には逆らえない。家の壁や木の幹を巧みに使って身を隠しつつ、対象を追いかける技術はさすがであった。
 ドゥランは坂を上りきり、タロ・ニヒの祠の前を過ぎて、森の方へと入っていった。相変わらず、少し歩いては立ち止まって、あたりを見回している。
「この森には、前にリンク様とニンジンを取りに来たことがあります……」
 ささやくパーヤのほおはほのかに赤い。ニンジンというと、ココナからクリームスープを習った時の話だろう。ますますここにリンクがいるべきだった、とウルフは思ってしまう。
 ドゥランは森の奥を目指す。
(こんな場所に、あの子どもたちが……?)
 しかもとっくに夜を迎えている。月明かりがあるといえど、物騒には違いない。
 ドゥランは小さな池にかかる橋を渡っていく。パーヤはひとまず木の陰から様子を見た。
 橋の向こうの小島には、オレンジ色に光る台座があった。中心が半球形にくぼんでいる。ウルフはリンクとの旅の途中で何度か見たことがある。あそこに宝珠を入れると、古代の祠が出現するのだった。
 今、台座の上には宝珠ではなく、小さな二つの影と、旅人らしき人影がいた。
「父さま!」
 子どもたちが歓声を上げる。
「……二人を離してもらおうか」
 ドゥランの低く抑えた声は怒りに満ちていた。ウルフの耳がぴくりと前方を向き、パーヤの表情が変わる。
「先に宝珠を渡してもらってからです」
 子どもたちのそばに立つ旅人はそう言い放った。慇懃無礼という言葉がぴったりな態度だ。旅人の言葉は重く冷たい。子どもたちは状況が理解できずに、ぽかんとしている。
 ウルフは旅人の正体がほとんど分かってしまった。だが、それをパーヤやドゥランに教えて警戒を促すことができない。こっちのハイラルに来てからもう何度目になるだろうか、彼はオオカミの体を呪った。
「まさか、ドゥランが宝珠を盗んだのでしょうか……?」
 パーヤはショックが隠しきれないようだ。子どもたちを人質に取られたドゥランはうなだれ、苦悩している。
「どうしたのです。早くしないとあなたの正体を村中に――子どもたちにもバラしますよ」
 ドゥランは仕方なしに承諾しようとした。
「分かった。宝珠を渡そう……」
「いえ、渡してはなりません!」
 叫んだのはパーヤだった。橋に飛び出して仁王立ちする。両足は震えているが、一歩も引かない姿勢だ。
(なんでそこで出たんだよ!)
 このタイミングの悪さは、なんだかリンクを思い出す。ウルフは頭がくらくらした。
「パーヤ様、どうして!?」
 ドゥランがあんぐりと口を開け、旅人は低く笑った。
「おや、族長様の孫娘のお出ましですか。本当は英傑リンクその人が来てくれたら、一番良かったのですが」
「リンク様を狙うなんて……あなた、な、何者ですか!?」
 旅人は手を組むと、魔術を解いて正体を現した。
 肩まで筋肉の盛り上がった逆三角形の体は、体の線を浮き上がらせる赤い服に包まれている。その手には、身の丈ほどもある片刃の大剣――風斬り刀を持っていた。刀身を振り抜くと真空の刃を飛ばす危険な代物である。そして顔には、シーカー族の目玉マークを逆さに刻んだ仮面をつけていた。
「イーガ団……!」
 さすがに慄然として、パーヤが後ずさる。シーカー族の大敵がこんな場所に現れたのだ。
 状況は非常に悪い。相手はイーガ団の幹部級だろう。カルサー谷のアジトを壊滅させ、総長を倒しても、まだ残党が残っていたのか。
 この場でまともに戦えるのはウルフと、おそらくドゥランだけだが、子どもを人質にされた彼を頼りにするわけにはいかない。
「い、いや、父さま……!」
 イーガ団を見た子どもたちは泣き出しそうだ。幹部は今にも「うるさい」と言って剣を振り下ろしかねない。
「子どもたちは関係ないだろう!」
「さっさと宝珠を渡さなかったのはそちらでしょう」
 パーヤが一歩、前に出る。
「宝珠を盗んだのはドゥランだったのですね。このイーガ団に脅されて……!」
「脅すとは失礼な。なにせこの男は――」「やめろ!」
 ドゥランがイーガ団に突進した。混戦模様を描く三者が今にもぶつかり合いそうになった時、誰よりも早く動く影があった。
 ウルフだった。パーヤの隣をすり抜けて大きくジャンプすると、空中からイーガ団の首を狙った。
「なっ!?」
 やはりイーガ団には見えている。すんでのところで攻撃はかわされたが、敵の注意をそらすことに成功した。
「オオカミさん!」「プリコ、逃げるですっ」「二人とも早くこっちへ!」
 その隙に、ドゥランが子どもたちを抱えて退避した。
 パーヤは親子をかばうように両手を広げる。
「ドゥランさんは村へ応援を呼んできてください!」
(はあ!? なんでパーヤは逃げないんだよっ)
 イーガ団が風斬り刀を振り抜いた。
「きゃあっ」
 見えない刃によって、パーヤの衣の裾が切れる。怪我はないようだが、イーガ団の狙いは違った。
 パーヤの背後の橋が途中で真っ二つにされ、池に落ちる。ドゥランたち親子は渡った後であったが、ウルフとパーヤは孤島に取り残されてしまった。
 イーガ団がゆっくりと近づいてくる。パーヤは青くなって立ち尽くした。
「もはやあなたがたを生かしておくわけにはいきません……が、あなたには利用価値がありそうですね」
「わ、私に……?」
「英傑リンクと親しいのでしょう。やつをおびき寄せるエサにはちょうどいい」
 刺客は瞬間移動で距離を詰める。パーヤが身構えるよりも前に、手刀が飛んだ。彼女はがくりとくずおれる。
(やばい……)
 ウルフは冷や汗をかいていた。イーガ団が仮面越しに冷たい目線を送る。
「彼女を傷つけられたくないなら、せいぜいおとなしくすることですね」
 問答無用でなぶられるかと思ったら、違うようだ。命はつながったわけだが、依然として安心できるような状況ではない。
「あなたはさんざん我々の邪魔をしてくれましたが……特別に我々の隠れ家に招待しましょう。英傑リンクの目の前で、というのも悪くない」
 イーガ団は気を失ったパーヤを肩に担ぎ、歩き出した。
 ウルフのことは振り返らなかったが、どうやら「ついてこい」ということらしい。
 無論断ることはできない。悔しい気持ちでいっぱいになりながらイーガ団に従う。
 ふと、彼は乾いた笑いを漏らした。
(こいつも阿呆だな。こんなことしたって、あいつは来ないのに)

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