第六章 勇者を救うもの



 ウルフとパーヤがイーガ団に連れて行かれた先は、ラネール参道の途中にある滝の裏だった。そこは洞窟になっており、奥にはなんと古代の祠が隠れていた。ここがイーガ団の臨時アジトになっているらしい。この祠をリンクがワープポイントとして解放していれば奇襲も期待できたのだが、残念ながら祠は未起動状態のオレンジの光を放っている。まあ、元シーカー族だというイーガ団が、そのようなミスを犯すはずもなかったが。
「ここであなたがたを痛めつけることもできますが……勇者が来てからでないと面白くありませんね。それに、加減できる自信がありませんから」
 やたらと丁寧な口調の幹部が、ここの頭らしい。パーヤは両腕を拘束され、ウルフはなんと首輪をつけられた。
(うわー、マジかよ……)
 かつて影の使者に捕まりハイラル城の地下に囚われた時ですら、拘束具は足枷だけだったのに。ウルフはかなりショックを受けていた。
 かろうじて食料は供給されていた。食べ物などバナナしかないのではないかと恐れていたが、幸いにもバナナを食べるのはイーガ団だけであった。
 常に監視の目がついている以外は、パーヤにもウルフにも手は出されていない。シーカー族たちを下手に怒らせた時の報復を恐れているのかもしれない。アジトは壊滅し、総長は穴に落ちて行方不明。今隠れ家にいるイーガ団は十名にも満たない。組織としてやっていける最低限の人数だろう。
 肝心のリンクはなかなかやってこなかった。次第にイーガ団は焦りだした。少なからぬ人員を割いてほうぼうに斥候を放っているようだが、まるで足取りがつかめないらしい。おそらく、カカリコ村側でも捜索が続いているのだろう。だがシーカーストーンを持った彼に追いつける者は、このハイラルにはいない。
 リンクはもう、ハイラル城の深部に挑んでいるのだろうか。ウルフ達の窮状にも気づかないまま。
(それならそれで、いいのかもしれない……先にガノンが倒されたら、イーガ団の活動意義はなくなるんだし)
 ただし、おそらくその時は腹いせに人質に刃が向けられることになるだろう。なんとしてでも、パーヤだけは守らなくては。
 ――それに。自分の知らないところでリンクが勝手に世界を救うのは、ウルフにとって面白くない事態だった。
 苛立ちを隠しきれず、だんだん人質への注意が散漫になってきたイーガ団の目を盗み、パーヤは小声でウルフに話しかける。
「ウルフ様……本当に、リンク様はここにいらっしゃるのでしょうか。パーヤはいつもご迷惑をかけてばかりで……恥ずかしゅうございます」
 彼女は申し訳なさそうに唇を噛んでいる。だが、パーヤが怯えてパニックにならないことは救いだった。リンクが心の支えになっているのだ。それは悔しいことに、ウルフも同じだった。
 急にイーガ団たちが騒がしくなった。外に偵察に行った一人が、何かを見つけて帰ったらしい。
 幹部が人質たちのもとにやってくる。パーヤははっとして、顔を上げた。
「外に出る時が来ましたよ」
 パーヤは無理やり立たされ、洞窟の外に連れて行かれた。ウルフも首輪についた鎖を引っ張られる。
 完全に動物扱いをされてむかついたが、それ以上の驚きが彼を襲っていた。
(ついに、来たのか。リンクが一人で!)
 ラネール参道は半ば水没しており、隠れ家のある中央広場には滝から水が注ぎ込んで、大きな池ができていた。そこに浮かべられたいかだの上に、人質二人が乗せられる。もちろんそばには一人のイーガ団が見張りについた。
 かろうじて浸水していない参道に、例の幹部が部下を引き連れて立つ。リンクがやってくるであろう西の方角を見つめて。
「……来たな、英傑リンク」
 つぶやきを耳で拾い、ウルフもそちらに頭を向ける。
 単身広場に来たリンクは黒っぽい大剣を背負い、青い衣――インパに賜った英傑の服を着ていた。顔はハイリアのフードを目深にかぶって隠している。
「よくぞ一人でやってきた。二人の命が惜しくば、おとなしくするがいい」
 リンクは黙って歩いてくる。イーガ団に取り囲まれた。
 不意に、勇者の姿が煙に包まれた。リンクが煙幕を張ったらしい。
「かかれ!」
 イーガ団たちは一斉に襲いかかった。
 ウルフはいかだから身を乗り出し、食い入る様に戦闘を見つめた。リンクは殺到するイーガ団を大剣で薙ぎ払う。あの太刀筋は明らかに――
「あれは無心の大剣。もしやリンク様ではない……!?」
 パーヤが小さく叫ぶ。ウルフも同感だった。普段のリンクとは、まるで戦い方が違う。
 どうやら幹部も気がついたらしい。風斬り刀を振り下ろし、鋭く誰何する。
「貴様、何者だ!?」
「リンク」はイーガ団からバックステップで飛び離れた。服の片袖をつかみ、はぎとるような仕草をしたかと思うと、魔術が解けてリンクとは似ても似つかぬ壮年の男が姿を現す。
「ドゥラン!?」
 宝珠を盗み、イーガ団の手引きをした門番が勇者に化けていたのだ。
「貴様、この裏切り者が!」
 ドゥランは幹部に負けず、いかだの人質に向かって叫ぶ。
「パーヤ様、今お助けいたします」
「ふん、助けるだと。我々が命を握っているのだぞ!」
 見張りがパーヤの喉元に首刈り刀を突きつける。
「くっ……」
 ドゥランはたたらを踏んだ。幹部は全身に怒りをみなぎらせていた。
「勇者はどうした。何故来ない!」
「それは――」
 非常にまずい状況だ。ウルフは刃物を向けられていなかったが、だからといってパーヤを助けられるわけではない。
(どうすりゃいいんだよ……!)
 ウルフが自分の無力を呪うのは何回目になるだろう。
 ――不意に、太陽が陰った。
 雲が横切ったのだろうか。ウルフは何気なく、空を見上げた。
 日光の粒すら見えるほどのスローモーションで、人影が空を横切っていく。風景が色を失った。のろのろ流れる時の中を自在に動けるのは、ただ一人。
(そうだ、あいつはいつもこうやって――怖がりで弱っちいくせに、俺のことを助けてくれた)
 雷獣山のライネルを撃破した時だって、ひとつも神獣を攻略していなかったにも関わらず、彼は確かに勇者だった。
 彼は滝のてっぺんからパラセールで飛び降りると、悠々と空中で矢をつがえる。狙うのは、パーヤを捕らえるイーガ団だ。
「ぎゃあっ」
 イーガ団は矢の刺さった腕をおさえ、撃たれた勢いで水に落ちた。
「何ッ!?」
 参道にいる幹部が驚愕の声を上げる。リンクはいかだの上に着地すると、にやりと笑って剣を抜いた。
「お前たちの狙いは僕なんだろ」
 そして体の線に沿った身軽そうな服装。あれはカカリコ村で売っている忍びスーツだ。そうだ、あのリンクが英傑の服をこれみよがしに着るわけがないのだ。
「リンク様……!」「リンク殿、どうして」
 パーヤとドゥランは驚愕している。ウルフは、何故か満足していた。
「か、かかれ!」
 残ったイーガ団たちが池に押し寄せた。足に何かの器具をつけ、水の上を走ってくる。
 リンクはシーカーストーンを素早く操作し、アイスメーカーで氷のブロックをいくつもつくり上げる。氷はそのまま防壁となり、敵の進行は阻まれた。矢がいくつか刺さるがびくともしない。
「だが、いつまでも隠れてはいられまい。荷物を三人も抱えて、一人でどう立ち回る!?」
 幹部が叫ぶ。言葉の通り、ドゥランは一人、リンクとは離れた参道で膝をついている。ウルフもパーヤも、水に囲まれてはろくに身動きがとれない状況だ。
「そうだな。一人きりなら、無理だったかも」
 リンクは心配そうなウルフとパーヤに等分に視線を投げかけ、安心させるように微笑んだ。
「氷の影に隠れてて」
 リンクはブロックの上によじのぼると、池に向かってジャンプした。
「血迷ったか」
 イーガ団たちが一斉に武器を構える。その視線の先で、ざばりと水が盛り上がった。リンクが着地したのは、水面ではない。赤い影がその下にいた。
「それじゃ、右回りでお願い!」
 彼はイーガ団とは比べ物にならないほどの勢いで、水の上を走りはじめる。
 パーヤはリンクが乗る者の正体を察し、口を開く。
「あれはもしや、ゾーラ族では……」
(ってまさか、シド王子か!?)
 王族を移動手段に使うなんて! ウルフがたまげる前で、リンクは金に縁取られた豪華な弓を構え、次々と矢を放った。氷の矢が当たる度にイーガ団の足元が凍りつき、刺客たちが沈んでいく。しかも、敵が落とした武器はマグネキャッチで引っ張り上げて処理するという徹底ぶりだ。
 部下たちがやられるさまを見た幹部は、やっと前に出てきて風斬り刀を振り抜いた。
「貴様ぁ!」
 真空の刃が水を切り裂いてリンクたちを襲う。とっさにリンクはアイスメーカーで防御するが、砕かれてしまう。
「シド王子!」
「任せろッ」
 シドは、背中のリンクを放り投げた。それと同時にいきなり周囲に上昇気流が発生する。その直前にリンクが両手を広げるような動作をしていた。もしや、ウルフの知らない英傑の加護だろうか。
 そして、今度は弓矢ではなく背中の黒い剣を抜き、リンクはイーガ団幹部に向かって大上段から振りかぶった。
 リンクの体重と風のスピードを乗せた一撃は、風斬り刀を真正面から打ち破った。武器がばっきり二つに折れる。
 リンクはうろたえるイーガ団をそのまま蹴り倒して体の上に乗り、喉元に剣を突きつける。
「くそ……まさか、二人で来るなんて……」
 イーガ団が苦しげにうめく。リンクがブーツの先を肩にめり込ませたのだ。
「卑怯だって言いたいの? 人質とってるそっちが言うことじゃないよね」
 リンクの目線はこの上なく冷たい。
「これで分かっただろ。僕はお前たちよりも強い。今度やればシーカー族だけでなくゾーラだって敵に回る。それでもいいなら何度だって襲えばいいさ。その度に返り討ちにしてやるよ」
 彼は言い切ると、ジャンプして幹部の上からどいた。イーガ団幹部は悔しげにうめくと、魔術でどこかへと消え失せる。
(結局、見逃すのか……)
 その処置は甘いと言わざるをえないが、もし次があれば宣言通り徹底的に潰すのだろう。今の彼にはそういう気迫があった。
 リンクは静かになった参道を駆け抜け、荒い息を吐いていたドゥランを助け起こす。
「大丈夫ですか?」
 ドゥランは首を振った。
「リンク殿……私は、元イーガ団なのです。あなたの情報をずっとやつらに流していました。ウルフ様が一度凶刃に倒れたのも、私の流した情報が原因なのです。かつて妻はやつらに殺されました。耐えきれずイーガ団を抜けると言うと、今度は子どもたちが人質に取られて――宝珠を盗んだのです」
 リンクが一瞬、無表情になる。
「……でも、僕のふりをして戦ってくれましたよね。パーヤさんとウルフくんを助けるために」
 シド王子に縄を外してもらったパーヤが、水浸しの道をリンクたちの方へ歩いて行く。
「そうです。ですからドゥラン、自分の正体を子どもたちにばらすなんてことは考えないでください」
「パーヤ様……」
 ドゥランはうなだれる。参道の石材に、あたたかい水がぱたりと落ちた。
 ウルフをいかだから降ろしたシド王子が、リンクのもとにやってくる。
「リンク、すまないがウルフの鎖を外してやってくれないか。オレには無理そうだゾ」
「分かった」
 リンクはウルフに駆け寄った。途端に、険しい顔になる。
「首輪だなんて……ウルフくんになんてことを」
 彼は滅多にないほど怒りに震えていた。リンクがあの凄まじい切れ味の黒い剣を振るうと、すぱりと首輪は断たれた。
(はー、やれやれ)
 やっと楽に息ができるようになった。ウルフはぶるりと体を震わせる。毛皮から水滴が飛び散った。
 リンクは正面にひざまずき、ウルフをじっと見つめていた。
「ごめん、遅くなっちゃって。それと……置いていって、悪かったよ」
 ウルフはぱちりとまばたきした。
「実は、あの後ハイラル城に行ってた。でも僕一人じゃどうしても奥に進めなくて……一度帰ってきたんだ」
 リンクは両腕を掻き抱く。
「怖いものは怖いんだよ。ガーディアンの目が光ると、どうしてもだめでさ。僕、いつまでたっても弱虫なんだ。本当はきみを守れるくらい――きみがいなくても平気だって言えるくらい、強くなりたかった。でもそれは、僕にはできないことだって、はっきり分かった」
 静かなリンクの告白を、皆が黙って聞いている。
「だから僕はこのままで行くよ。弱虫で怖がりのまま、厄災と戦う」
 彼の指がウルフの頭を軽くなでる。
「シド王子が言ってくれたんだ、何かあれば頼れって。イチカラ村にも行った。みんな、僕がハイラル城に行くって言うと、地図を貸してくれたり、武器を調達してくれたり……こっちの事情なんて知らないのに、助けてくれた。
 勇者の使命を誰かに押しつけるなんて、できないって思ってたよ。でもみんなが力を貸してくれた。だから僕は人に頼ることにした。昔の自分みたいに、なんでも一人でできる勇者にはなれそうもないから、足りない者同士で力を合わせる。みんなにお願いして、協力してもらう。シド王子はその最初の一人なんだ」
 ウルフは、かつての自分自身の冒険――魔王に支配されたハイラル城に挑んだ時のことを思い出した。
「相棒」と二人だけの旅路。影の国という世界と関わった、誰にも話せない勇者だけの戦い。それでも、ウルフには「仲間」と呼べる人たちがいた。彼らは危険を顧みず、事情もろくに話していないのに城に来て、援護してくれた――
 あの時胸にわき上がった喜び、あたたかさ。今ここにいるリンクは、それを自分の手でつかんだのだ。
 シド王子に勇者としての使命を説明するのは、どれほど大変だっただろう。王子がいかに協力的といえど、彼はゾーラ王家の将来を担う人物だ。ハイラル城に赴くにあたって起こりうるリスクを説明し、それでも戦いを手伝ってもらう。もし拒絶されたら……という気持ちとも戦ったはずだ。
 リンクは自ら評する通り、怖がりかもしれない。でも、誰かに素直に頼ることができるという点において、ウルフよりもはるかに強い心を持っているのだ。
「でも、僕がそう思えたのはきっと、きみがいたから。ウルフくんこそが、僕にとっての勇者なんだ。きみみたいになりたいってずっと思ってた。初めて出会ったあの瞬間からずっと――きみはとても大切な相棒だったんだよ。一度きみを失ってから、もう一度あんなことがあればもう耐えられないと思った。だから、戦いから遠ざけてしまったんだ」
 リンクは細く長く息を吐き出す。
「相棒らしくなかったよね。ごめん。エポナのこともきみのことも、心の底から信じられてなかったみたいだ」
 そして彼は破顔した。
「やっぱりきみがいないとやる気が出ないよ。これからもそばにいて、僕のことを見ていてほしい」
 薄雲が晴れ、ラネール参道中央広場に太陽の光が差し込む。それと同じくらい、リンクはまぶしい笑顔をウルフへ向けた。
 この気持ちをどう表せばいいのだろう。ウルフは衝動の赴くまま、リンクに体当たりした。
「うわっ」
 水たまりの上で転んだリンクの右手のひらに、自分の左前足を置く。リンクは笑みをこぼしてウルフの足を握った。
「……ありがとう」
(お手じゃないぞ。これは握手だからな)
 もうずっと人間の姿に戻っていないから、感情表現まで動物のものになってしまったようだ。
 パーヤがおずおずと口を挟む。
「リンク様……そろそろ、カカリコ村へ帰りましょう。おばあさまに報告したいこともありますし、ドゥランを手当てしなければ」
「あ、そうだね! 行こう行こう」
 リンクは真剣な空気を一変させて、明るく同意した。シド王子は遠慮がちに、
「オレもお邪魔していいのか?」
「もちろんだよ! インパさんも喜ぶよきっと」
 ほら、とリンクがウルフに手招きする。ウルフはつんと鼻を上げて、相棒の少し前に出た。
 あははと笑うリンクの声が、オオカミの背中を優しくなでた。



 カカリコ村に帰ると、一行はシーカー族たちに大歓迎された。
 ドゥランの処分はインパが一時預かるという。彼がイーガ団であることはインパ以外には秘密にしてある。ドゥランの妻――プリコとココナの母親がイーガ団に始末された、という情状酌量もあった。
 ドゥランが盗んだ宝珠は、なんとカカリコ村の滝壺に沈めてあった。ドゥランに頼まれて、子どもたちがこっそり水に放り込んだらしい。リンクはその宝珠によって村の森にあるラーナ・ロキの祠を解放した。その様子をそばで見ていたパーヤは、自分のことのように大喜びしていた。リンクとウルフは森から足を伸ばし、ラネール参道の滝の裏の祠にも向かった。
 その間に、シド王子はインパと何事か協議すると、いったんゾーラの里に帰っていった。
 そして――
「何? ついに十二枚全ての地を見つけ出したと!?」
 族長の屋敷を再訪したリンクは、「写し絵の思い出を全て見つけた」とインパに報告したのだ。これにはウルフも驚いた。
(いつの間に……案外マメなんだな)
「でも、まだ肝心の思い出がそろっていない、と思うんです」
 リンクの不思議な発言に、インパはうなずいた。
「うむ……どうやらそなたに、最後の思い出の地を教える時が来たようじゃ」
 インパはゆっくりと座布団から立ち上がる。
「実はのぅ、このことは『最後に教えるように』と、ゼルダ様に託されておったのじゃよ」
 老女は思いがけず身軽に壁まで歩いていく。そんなに素早く動けたのか、とウルフは目を丸くした。
 インパは壁にかけられた大きな絵を示す。
「この絵が最後の一枚じゃ」
 写し絵と同じくらい写実的な絵画だった。朽ちたガーディアンが多数並ぶ草原が描かれている。遠くの方には山も見えた。
 リンクはじっと絵を観察している。
「どうじゃ、見覚えはあるか? この村からなら半日もあればたどり着ける場所のはずじゃ」
「もしかして……」
(たぶん、あそこだよな)
 ウルフにも覚えがあった。
「このインパ、心の底より強く願う。ゼルダ様の想いをしかと……しかと、受け止めてほしい」
「分かりました」
 念のため、リンクはウツシエで絵を撮影した。パーヤが玄関口まで見送りに来てくれる。
「リンク様、ウルフ様……どうかお気をつけて」
「うん。行ってきます」
 この挨拶にも慣れたものだった。カカリコ村はリンクの第二の故郷と呼べるくらい、心安らぐ地となっているようだった。その理由としては、やはりパーヤの存在が大きいだろう。
 カカリコ村を出たリンクは、迷いなく坂を下りていく。このあたりはウルフと彼が初めて出会った場所だった。あれからもう何度も往復したが、その度に当時のことを思い出す。
 リンクは目的地に向かいながら、独りごちた。
「……正直、怖いよ。分かってるんだ、最後の思い出の場所も、その内容がどんなものなのかも……だから、怖い」
 あの絵が示すのは、クロチェリー平原。ウルフが双子馬宿で初めて「夢」を見た舞台だろう。
 これから彼が向き合うのは、自分の死の記憶なのだ。そしてガーディアンに対して抱くトラウマの根源でもある。
 石橋を渡ってなだらかな草原に足を踏み入れる。リンクはおっかなびっくり写し絵と景色を見比べ、該当の場所を探した。
「ここだ……」
 朽ちた遺物のまっただ中だ。リンクは一度その場でしゃがみこみ、目をつむった。右手をウルフの体の上に置く。小刻みに手が震えている。
(俺はずっとここにいるぞ)
「ありがとう」
 リンクは覚悟を決めてまぶたを開いた。そして、最後の記憶を思い出した。
 ――意識を取り戻した彼は、強くこぶしを握る。
「……この思い出で、ゼルダ姫は何を伝えたかったんだろうな」
 ただ、知ってほしかったのではないだろうか。かつて何が起こったのかを。しかし、ゼルダ姫が森にマスターソードを戻す時、非常に後悔している様子だったことがウルフは気になる。
「あーあ、やだなあ、あんなふうに死ぬの。昔の僕なんて全然怖がってないみたいだったけど、あんなの異常だよ。なんか壊れてるんだよ、きっと」
 リンクは軽口を叩きながらも青ざめている。彼はふらふらする足をなんとか奮い立たせ、カカリコ村に帰った。
 村の入口で迎えてくれたパーヤは、明らかに調子の悪いリンクを見て顔を曇らせる。
「リンク様……大丈夫ですか?」
「きついかも。ちょっと早いけど、宿で休んでくる」
 リンクはそのまま宿へと足を向ける。パーヤはとっさに、
「それなら、わ、私のベッドをお使いくださいませ!」と引き止めた。
(マジで!?)
 ウルフはその大胆さに仰天するが、
「ごめん、ありがとう……」
 リンクは特に気にした様子もなく、パーヤに肩を貸してもらって屋敷に行くと、二階にあるパーヤのベッドに倒れ込んだ。
(こいつの神経はどうなってるんだ……)
 ベッドサイドに控えるパーヤは顔を真っ赤にしながらも、かろうじて平静を保っているようだった。
「少し落ち着いたよ。さっきクロチェリー平原でさ、自分が回生の祠で眠る直前の記憶を見たんだ……」
 リンクは仰向けに寝転がり、ぽつりぽつりと最後の記憶についてパーヤに話す。そうすることによって、自分の頭を整理しているようだった。
「そうですか……ゼルダ姫様が封印の力に覚醒したのは、リンク様がガーディアンに敗れる間際であったのですね。きっと、リンク様への強い気持ちがあったのでしょうね」
 パーヤは羨むような、愛おしむような表情を浮かべていた。
「そういうことになるのかな。それと昔の僕は、『勇者を救えるのは勇者だけだ』って言ってた……。あれ、きっとウルフくんのことだよね?」
「ええ、私もそう思います」
 ウルフはやれやれという気持ちで鼻から息を吹いた。呪いのようにウルフの旅路につきまとった言葉も、やっと素直に認められるようになった。
 幾分か回復した様子のリンクが、身を起こす。
「そういえばパーヤさん、『勇者の魂』のことを気にしてたよね。あれからちょっと考えたんだけど、僕が怖がりになったのって、勇者の魂が抜けちゃったからじゃないかな」
「魂が……抜ける?」
 パーヤは目を瞬く。
「昔の僕は、勇気にあふれてた。限界を超えてるレベルでね。勇気っていうのは恐怖を乗り越える力だと思うけど、あれはなんか、ちょっとおかしかった。最初から恐怖なんてないみたいで……人として、足を踏み外してるみたいだった」
「なるほど……勇者の魂によって、恐怖を軽減できるのかもしれませんね」
 ウルフにも思い当たる節はあった。強敵と渡り合う時の高揚感――まわりが見えなくなるあの感じ。一度ならず、かつての旅路で相棒に注意された覚えがある。
(そうか、やっぱりおかしいのは俺の方だったんだ。リンクは普通の気持ちを取り戻したんだ……)
 勇者としては半人前でも、人として持つべきものに恵まれている。もしウルフが言葉を話せたら、「良かったな」と心の底から祝福してやりたかった。
「怖くない代わりに一人で戦わなくちゃいけないのなら、僕はみんなと一緒のほうがいいなあ」
「リンク様らしいです」
 パーヤはくすくすと笑う。この照れ屋の少女も、ずいぶんはっきりとものを言えるようになったものだ。リンクはパーヤに目線を合わせる。
「ねえ、こんな僕でも勇者って思う?」
「リンク様は私に、立ち向かう勇気を与えてくださいました。イーガ団に捕らえられても心が折れなかったのは、リンク様とウルフ様のおかげです」
「そうかな……?」
 リンクはほおを染めて頭を掻く。さすがに照れたようだった。
 そして、彼はぴょんと飛び起きた。すっかり顔色が良くなっている。
「ベッド貸してくれてありがとう。僕、もう行くよ」
「ハイラル城へ行かれるのですか?」
「その前にちょっとやることがあってね。結婚式をあげるんだ」
「……え?」
 パーヤが凍りつく。ウルフは声も出せない。
「イチカラ村ってところが会場でね。あ、そうだ、ハテノ村に寄って来賓を呼ばないといけないんだった。それに、おめでたい式なんだから、おしゃれもしていかなくちゃ!」
(待て待て、いつの間にそんな話になった!?)
「リンク様……お相手の方は!?」
 パーヤは必死の形相をしていた。反対にリンクはきょとんとしている。
「ゲルド族の、パウダって人だけど。知り合いのエノキダさんって大工さんと、その人が結婚するんだ」
「あ、ああ……お知り合いの方の結婚式なのですね」
 パーヤは明らかにほっとしている。ウルフはまた別の意味で度肝を抜かれたが。
「結婚式って初めて行くから楽しみ! パーヤさんもそういうの興味ある?」
「あ、ありますありますっ」
 リンクはそっと微笑む。
「パーヤさん綺麗だから、きっと花嫁姿もばっちり似合うよ」
 という言葉をかけられたパーヤは酔っ払ったような足取りで、ベッドの上に沈没した。
「あれ、大丈夫!?」
(無自覚すぎるだろ……)
 自分も昔、相棒にそうやって罵られた気がしたけれど。ウルフはそのことは棚に上げる。
 それにしても、結婚式だなんて。これから厄災との決戦に挑むという時にのんきなものだが、まあ、悪くない。
 きっとそういうささやかな平和を守るために、リンクやウルフは戦っているのだから。

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