第六章 勇者を救うもの



 インパの屋敷の前に、棺桶が置かれていた。
 いや、前と後ろに担ぐための持ち手がついているので、棺桶とはまた違うのだろうか。だが中に入っているのは、間違いなく死人だった。
(……リンク)
 ぼろぼろに傷ついたかつての勇者がまぶたを閉じていた。英傑の服ではなく、そこらにあるような平服を着せられて。
 ――ウルフはまた、百年前の出来事を夢に見ているようだった。
 そして棺桶を見つめる人物は、彼の他にもいた。
「……ありがとうございます。早く始まりの台地に向かってください。リンクのこと、頼みました」
 薄汚れた白い装束の少女――ゼルダ姫だった。彼女が命じると棺桶の蓋が閉じられ、そばに控えていたハイリア兵と思しき二人が棺桶を担いだ。
 ゼルダは静かな光を瞳にたたえている。そんな彼女の前に、シーカー族の若者が二人出てきた。
「回生の祠はアタシが必ず起動してみせる。ゼルダ姫は安心して待っててネ」
「プルア女史がミスをしたら、ミーが補佐するから大丈夫です」
「そんなことにはならないよーだ」
 スタイルのいいメガネの女性と、長めの髪を後ろで束ねた男性である。どうやら研究者のようだった。
(もしかしてこの二人、プルア博士とロベリー博士か……!?)
 声や喋り方で何となく分かる。百年前なのだから、二人の若い頃を見られるのは当然だ。プルアに関しては、見た目はむしろ年を取っているのだが。
 ゼルダ姫は軽く一礼した。
「ありがとうございます、二人とも。シーカーストーンの封印もよろしくお願いします。では、気をつけて……!」
「任せてヨ!」
 担ぎ手に博士たち、それに護衛の幾人かがカカリコ村を出発していく。リンクが目覚めた始まりの台地にある祠まで、彼を運ぶのだ。
 一行を見送り、ゼルダは大きく嘆息した。その背後にある屋敷から誰かが階段を下りてきた。
「ゼルダ様……お召物の替えはよろしいのですか」
 目つきの鋭いシーカー族の女性は、おそらくインパだろう。今まで全く気づかなかったが、プルアとよく似た顔立ちをしていた。輪郭のあたりが特にそうだ。どうも姉妹だったらしい。
 ゼルダの巫女装束は、血と泥まみれだ。だが彼女は首を振った。
「いえ……私よりも、リンクの英傑の服を頼みます。なんとか修復し、彼が再び目覚めるまで保管していただけますか」
「それはもちろん」
 インパの心配そうな目線はおさまらない。彼女に何か言われる前に、ゼルダが機先を制した。
「インパ……あなたに頼みたいことがあるのです」
「は、なんなりと」
「私は回生の祠に託したシーカーストーンに、いくつかの写し絵を残しました。リンクと訪れた各地の景色を、十二枚。私がこの力でつくり出したものです」
 ゼルダが差し出した右手に、淡く黄金色の光が宿る。迷いの森で見た夢で、魔物を消し飛ばした力だ。
(え、あの写し絵って実際にゼルダ姫が撮ったものじゃなかったのか……?)
 つまり、ゼルダ姫はシーカーストーンに干渉して念写したということになる。インパは首をかしげた。
「何故そのようなことを?」
「回生の祠の眠りにおいて、リンクの記憶は全て消えてしまうからです」
「なんですと……!?」
(ゼルダ姫はこの時点で分かってたのか!)
 ウルフはびっくりしていた。それでもゼルダは祠を起動させたのだ。インパの驚愕も無理はない。
「そ、それをプルアたちは知っているのですか」
「いいえ。可能性は予測しているでしょうが、確信はしていないでしょう。帰ってきたら、インパから話してあげてください」
 このゼルダ姫は、シーカー族の有力な研究者にすら先んじていたことになる。リンク曰く彼女の趣味は遺物研究であったはずだが、これはもはや趣味というレベルを超えている。
「十二枚の写し絵は、リンクが記憶を取り戻す手がかりとして残しました。写し絵に描かれた場所を訪れた際、彼は記憶の中にかつての自分の姿を見るでしょう」
 ゼルダは寂しげに微笑んだ。その表情がウルフの胸を打つ。
「つまり、リンクに写し絵の場所を探せと言えば良いのですね」
「ええ、お願いします。
 私、わがままばかりで本当にだめな王女だった……。記憶を失った彼が私のしでかしたことを知れば、きっと嫌いになります。もし、それでも助けに来てくれたとしたら――」
 ぼそりとつぶやいたゼルダは、顔を上げて宣言する。その手には、白い布で巻かれた長物があった。
「私はこれからマスターソードを迷いの森に封印し、その足でガノンの力を抑えに行きます」
 インパは彼女の発言に翻弄されてばかりだった。
「お一人でですか!? 私も向かいますっ」
「いけません、インパ。あなたはこの村を守り、いつの日かやってくるリンクを迎えるのです」
 ゼルダの発言には有無を言わせぬ迫力があった。
 彼女はゆっくりとインパを先導して屋敷に戻りながら、滔々と語る。
「ハイラル王家に伝わる力は、実際は封印だけに特化したものではありませんでした。手にした瞬間から、私の頭にはありとあらゆる知識が流れ込んできました。これは、なんでもできてしまう……万能の力だったのです。もしも彼を失う前の私が手にしていたら、使い方を間違えていた。だからこそ、今の私には扱えるのでしょうね……」
 ゼルダはほおを持ち上げ自嘲気味に笑った。屋敷の広間にやってきて、壁を指さす。
「写し絵に残した十二枚とは別に、先ほどリンクが倒れていたクロチェリー平原の景色を絵に描いて、この壁に飾ってください。それが、最後の記憶となります」
 ゼルダは壁に手をかざした。手のひらから金の光があふれる。
「こうすれば、絵と場所と記憶とが結びつくはずです」
「ゼルダ様……あなたは、何を……」
 インパはもはや年下の主君に圧倒されていた。ゼルダはそれを分かっていて、あえて突き放す。
「勇者を救ってくれる勇者を見つけられるよう、シーカーストーンに願いをかけておきました。それが彼の人生を縛り付けてしまった私にできる、最後のこと……。きっと彼はここに来ます。私のためでなく、ハイラルのために」
 ゼルダはマスターソードを包んだ布を持ち、右手を天に差し伸べる。
「……行ってきます」
 彼女の姿は神々しい光そのものとなって掻き消えた。



 結婚式のためにおしゃれをしよう! とリンクが言って向かったのは、何故かゲルドの街であった。
 もちろんリンクは女装姿で歩き回る。「ハイリアのヴァーイ」は族長とともに神獣を鎮めたと噂になっており、あちこちで声をかけられた。
 やっと人ごみをかき分けてたどり着いたのは、広場に面したアクセサリーショップである。ここの店長も、リンクの顔を知っていた。
「あら、族長の言ってたヴァーイね? ヴァーサーク、あなたが来たらサービスするようにって言われてるんですよ」
 リンクは(ウルフから見て)かなりわざとらしく身をくねらせた。
「ありがとうございます~! 実は、ピアスを見たいんですけど……」
 黄色い声も堂に入ったものだ。こんな勇者見たくなかった、というのがウルフの本音であるが。
 さっそく店長はショーケースからいくつかの商品を取り出す。
「こちらなんてどうです? シンプルだけど可愛いでしょう」
「いいですね! じゃあこのデザインで、夜光石を使ってほしいんですけど……」
「オーダーメイドですね。ご自分用ですか?」
「えへへ、実は……」
 二人は女子さながらのきゃぴきゃぴしたやり取りをしている。ウルフは飽きてしまい、店先に出て街の広場を眺めていた。神獣がいなくなったのでにぎわいが戻り、リト族やハイリア人、何故かゴロン族までいる。
(あいつらみんな男じゃなかったのか……?)
 ウルフが真剣に悩んでいると、リンクはスキップしながら店から出てきた。
「おまたせ。ウルフくん、ちょっとじっとしてて」
 リンクの顔がウルフのすぐ目の前まで近づく。
(な、なんだよ)
 オオカミが身を硬くすると、ぱちんと音がして、耳が軽くなった。すぐにまた何かがぶら下がる。
「えーと、鏡……ウツシエでいっか。ほら、どう?」
 リンクは素早く撮影してシーカーストーンの画面を見せた。ウルフの両耳に、夜空の色をしたピアスが新しく下がっている。リンクが買ったのは、ウルフ用のピアスだったのだ。
 喜ぶよりも前に(俺、男にアクセサリーもらったのか)と思ってしまう。
 とはいえ女性用のデザインではないらしく、これならウルフとしてもそこまで恥ずかしくはない。リンクは女装してテンションまで女子のものになったのか、一人ではしゃいでいた。
「よく似合ってると思う。これで結婚式の準備もばっちりだね!」
「ほう、誰と誰が結婚するのじゃ?」
「それは、イチカラ村の――」
 リンクはふと顔を上げ、目を丸くする。
「ルージュさん!」
 アクセサリー屋の店先に立った族長は、軽く片手を上げた。彼女は神獣関連の心労が晴れたおかげか、ずいぶんすっきりした顔をしていた。
「ハイリアのヴァーイが戻って来たと、噂になっていたぞ。ウルフのアクセサリーを買いに来たのか」
「それもありますけど……ちょうど良かった、ルージュさんに話したいことがあって」
 リンクは真剣な顔に切り替える。こうなると、もはや女性らしくない目の鋭さだ。
「大事な話か。屋敷で聞こう」
「お願いします」
 きびすを返したルージュの後ろに従う。リンクは少し緊張しているようだった。
 ウルフは一声小さく吠える。リンクを勇気づけるように。
 彼は息を吐いて肩の力を抜いた。
「ありがと。……大丈夫、やれるよね」
 これからリンクは、ゲルドの族長ルージュの説得に挑むのだ。
 屋敷に帰り、謁見の間で玉座に座ったルージュの前に、リンクはひざまずく。族長のかたわらには側近ビューラが控えている。
「まず、僕の旅の目的について話そうと思います。それは各地の神獣を解放して回ることだけではありません。最終目標は、ハイラル城の厄災を倒すことです」
「厄災ガノンを……!」
 声を上げたのはビューラだった。ルージュにはそのあたりのことは以前説明している。
「さすがは英傑。神獣を全て解放したということは、ついに城に挑むのだな」
「はい。そこで、ご相談があります……ゲルド族にも、それを手伝ってほしいのです」
「分かった。わらわは何をすればいい?」
「えっ」「ルージュ様!」
 びっくりしたリンクの声とビューラの叫びが重なった。ルージュは軽く笑い、ひらひらと手を振る。
「今のゲルドの街があるのは、全てリンクのおかげだ。わらわにできることであれば、ぜひ協力させてくれ」
 それを言われてしまうと、ビューラにも反論できないらしい。リンクはうなずいた。
「できれば、兵士を何人か貸してほしいのですが……あそこはすごく危険な場所です。だから精鋭が欲しくて」
「武器や物資の提供だけでは済まぬのか」とはビューラの苦言である。
「人が圧倒的に足りません。偵察だけでもできると全然違います」
「ほう。精鋭ではないが、わらわが行こうか。一度はハイラル城を見てみたい」
 にやりとルージュが笑うと、案の定ビューラが反対する。
「なりません! ……私が行きます」
「ビューラさんが?」
 ルージュはくすくす笑っている。(分かってて挑発したな)とウルフは呆れた。あの幼き族長は、うまく大人を手玉に取っているようだ。
 ビューラは切っ先を下にして持った大剣をどんと床に突き、目つきを鋭くする。
「ふん、貴様にだけ任せてはおけないからな。選りすぐった部下を数名連れて行こう」
「ありがとうございます! ここからはちょっと遠いですが、森の馬宿に集合します。僕はもう少し仲間を集めます」
 リンクは本格的に団体戦でガノンに挑もうとしている。このハイラルにおいて、厄災との戦いは何度も繰り返されているらしいが、かつてこのような道を選んだ勇者はいたのだろうか。きっといないだろう、とウルフは思う。だからこそ、リンクが皆に頼るという選択をしたことが誇らしかった。
 ルージュは玉座から身を乗り出した。
「リンク。お前は本当に厄災を倒そうとしているのだな」
「僕だけじゃ絶対に無理です。でも、ウルフくんやルージュさんやビューラさん……仲間たちがいれば、きっと勝てます」
 その発言に偽りはない。ルージュは改まって頭を下げた。
「期待している。わらわの分も、ウルボザ様の分も、厄災に一太刀浴びせてやってくれ」
 リンクはしっかりと首肯した。



 次にリンクが訪れたのはゲルド砂漠のはるか北、リトの村だった。
 ここは、彼がウルフと一度別れた際に訪れ、神獣を攻略した場所だ。大岩を止まり木にして神獣ヴァ・メドーが翼を広げている。ここでもリンクはリト族と親交を深め、協力してメドーと戦ったらしい。
 彼は大岩を取り巻く階段を上り、とある家に向かった。「ごめんください」と訪問すると、鋭い目つきをした男が出迎える。
「お久しぶりです、テバさん」
「お前か。俺に何か用か」
 白い羽毛を持つテバはリンクをじろりと眺める。そして、ウルフに視線を落とした。
「……お前の連れか」
「はい! 前ここに来た時ははぐれてたんですけど、あの後無事に合流できたんです」
 リンクは嬉しそうに紹介した。とりあえずウルフは頭を少し低くする。
 彼は相棒の自慢をしたくてたまらないようであったが、テバの静かな視線を受けて早々に本題に入った。
「それで……テバさんに、折り入ってお願いがあるんです。危険だし、ご家族が心配されるかもしれない……でも、あなたに頼みたいんです」
 テバは腕組みをする。
「とにかく、内容を話してみろ」
「ハイラル城に忍び込んで、一緒に中心にいる厄災ガノンを討ちとってくれませんか」
 テバはどっかりと座り込み、目を閉じた。返事はない。リンクはびくびくしながらも話を続ける。
「一度は僕一人で行ったんですが、全く歯が立たなくて。翼を持つリトの戦士のテバさんなら、僕にはできないアプローチで侵入したり、敵を探ったりできると思ったんです。でも、当然リスクはかなり高いです。メドーの時みたいな砲台――ガーディアンがたくさんいるし、いつ撃たれてもおかしくない。バックアップの態勢はきちんと整えるつもりですが、そんなの何の保証にも……」
「その危険な場所に、お前は一人で挑んだと?」
 テバの語気は何故か怒りをはらんでいる。リンクは大きく肩を揺らした。
「そ、そうですが、いくらなんでも無茶だったと今は思ってます!」
「当たり前だ。翼のないお前が行ってできることなど、たかが知れている」
 テバは立ち上がると、リンクを無視して家の玄関に向かった。
「あの、テバさん?」
「どうした。行かないのか、ハイラル城」
 リンクは目を輝かせた。ウルフも安堵する。気難しいようで、テバは話の分かる人物であった。
「いいんですか! でも、ご家族のことは」
「俺が説得する。それで、すぐに向かうのか」
「いえ。他の仲間も呼んでるので、一度森の馬宿に集合します」
「分かった。ハーツにいい弓を用意させるか。あいつも気合を入れるだろう」
 テバはにやりと笑った。リンクは陽光のような笑みをこぼした。
「ありがとうございます……!」
 これでまた仲間が増えたわけだ。
(本当に、あちこちで味方をつくってるんだな)
 ウルフは後輩の成長っぷりが頼もしかった。
 今にも準備のために家を出そうだったテバは、ふと足を止めた。
「そういえば、カッシーワが村に戻ってきたぞ」
「えっ? それじゃあ、あの人は使命を果たしたってことなんですか」
「理由は聞いていないが、家族は喜んでいたな。少し前まで、祠の前の広場にいたはずだ」
 リンクはテバに礼を言って別れ、そちらに急いだ。
「ウルフくんは知らないだろうけど、あの人にはたくさん助けてもらったんだ。ちゃんとお礼を言っておかないと」
 雪化粧したヘブラ山を一望する広場にて、青い翼の吟遊詩人は色とりどりの羽を持つ子どもたちと一緒に、詩を奏でていた。カッシーワは例の楽器を操り、子どもたちはその喉にメロディを響かせて。
「ああ、リンクさん!」
 徐々に音量を落として曲を終わらせると、カッシーワは声を上げた。子どもたちが一斉に振り向く。
「お歌、もう終わりなの~?」
「私はこの人と大切な話があるから、少しだけ、休憩させてもらえないかな」
 カッシーワは子どもにも優しい。よくできた大人であった。小鳥たちはぴよぴよ言いながら広場を駆けていく。
「あなたに来ていただけて、助かりました。ちょうどリンクさんにお話したいことがあったのです」
「いや、こちらこそ……いつもいつも迎えに来てもらって、ご迷惑をおかけしました」
 リンクはしおらしく低頭した。初めてゲルドキャニオンでカッシーワと出会った時と、ずいぶん態度が違う。ウルフの知らないところで迷惑をかけたというのは本当らしい。
「いえいえ。それで、お話したいのは私の師匠についてです。私の師匠はハイラル王家に仕えるシーカー族の宮廷詩人でした」
「え、それって、百年前の……?」
 突然の告白に驚きつつ、リンクは聞き返す。「宮廷詩人」という職業が成立したのは、百年以上前に限られるのだ。
「そうです。当時、王家には美しい姫様がおられ、師匠と年齢も近かったそうです。そしてかなわぬと知りながら、師匠は恋に落ちてしまったのです……ですが姫様は、いつしかお付きの近衛騎士に想いを寄せるようになりました」
 リンクは大きく目を見開いた。
(まあ、あれは、なあ……)
 ウルフが夢で見たゼルダは後悔している様子ばかりだったので、その気持ちが恋愛かどうかは判別できなかったが、どちらにせよかなりの想いを寄せていたことは間違いない。それにしても、カッシーワはそんな昔話をして何を伝えようとしているのだろう。
「師匠は嫉妬しました。近衛騎士とて貴族や王族ではないのに、と。そんな時、かの大厄災が起こったのです」
 カッシーワは言葉を続けようとして、くちばしを不自然に閉じた。
「……師匠はこの厄災を鎮める勇者が必ず現れると信じて、詩をつくりました。ですから、この詩はあなたにお聴かせしないといけないのです」
 胸にあの楽器を抱いて、朗々と歌い上げる。
「古の勇者ら封印せし厄災、万年の時を経てついによみがえる」
「ハイラルの近衛騎士、己が身をもって姫巫女の盾となり、力尽き倒れる」
「その騎士を想い、姫巫女の力ついに放たれ、厄災を城に封ず」
「近衛騎士、回生の祠にて傷を癒やし、永き眠りから目覚めん」
「幾多の試練を乗り越え、力を取り戻せしその騎士……現世の勇者となりて、再び厄災に挑み、姫巫女を魔の手より奪還す」
「勇者と姫巫女ともに手を取り、再びハイラルに光を取り戻さん……」
 その詩には、ウルフが夢で見た百年前のリンクの最期だけでなく、未来への希望も含まれていた。
「師匠は大厄災の時、真っ先に故郷のカカリコ村に向かって逃げました。その道中に偶然、体を張って姫様を守った近衛騎士を見たのです。そして村の長であるインパ様から事の次第を聞いた師匠は、決心しました。厄災を封印した古の勇者の詩、これを調べていつか戻ってくる近衛騎士に伝えようと。そして姫様を救っていただきたいと……それが私に遺した、師匠の最後の言葉でした」
 カッシーワは黙っているリンクに向き直る。
「……近衛騎士殿。今は亡き師匠の詩、受けていただけますか?」
 リンクは眉を曇らせた。だがそれは、かつてのように責任から逃れたいがためではない。
「近衛騎士っていうのは、やめてください。でも……厄災は必ず倒します」
 晴れた空色の瞳には力がみなぎっている。カッシーワは目を細めた。
「ありがとうございます。あなたならきっと、そう言っていただけると思っていました。姫様はたいそう美しい方だった、といつも師匠から聞かされていました。私もぜひお会いして、姫様のための詩をつくって差し上げたいものです……。
 長い話に付き合っていただき、ありがとうございました」
「カッシーワさんの夢がかなえられるように、やれるだけやってみます」
 リンクが請け負うと、カッシーワは優雅に礼をした。
「今のがカッシーワさんの使命だったんですか?」
「ええ、勇者であるあなたを詩によって導き、厄災から姫様を救ってもらうこと。それが師匠の悲願でした。ですがあなたに教えられた詩はほんの一部……それでも、リンクさんはここまでたどり着きました。あなたならきっと、やり遂げられます」
 リンクは少し照れたように赤くなったほおを掻いた。
「重要なのは詩じゃなくて、カッシーワさんやお師匠さんの『気持ち』じゃないでしょうか。そのためなら僕は戦えます。ね、ウルフくん!」
 ウルフも頭を縦に振って同意した。カッシーワは遠くを見るような目になる。
「あなたは師匠から聞いた騎士様とは、ずいぶん違いますね。最初は少し不安にも思いましたが……今は安心して託せます。そう言っていただけて、師匠も喜んでいるでしょう」
 広場に再び子どもたちが戻ってくる。静かにはじまった親子の演奏に、リンクとウルフはしばらく聴き惚れた。



 その次に向かったゴロンシティでは、リンクはもちろんユン坊に声をかけた。
「ユン坊、きみの力を貸してほしい。ダルケルの護りで、このハイラルを守ってほしいんだ」
 リンクはどうやらイチカラ村の勧誘によってトークスキルを養ったようだ。相手に合わせて完全に戦略を変えている。これを素でやっているのだから恐ろしい。天然たらしというやつだ。
 案の定、突然のお誘いにユン坊は驚いた。
「ええっボクが!? なんだかよく分からないけど……リンクの役に立てるゴロ?」
「そうだよ、これ以上ないくらい。実は、僕と一緒にハイラル城に行ってほしいんだ」
「は、ハイラル城~!?」
 ユン坊は仰天して尻もちをついている。ツルハシが腕から転げ落ちた。
「あ、あそこは魔物の巣窟って聞いたゴロ!」
「そうだ、すごく危険な場所だった。でも、きみの他にもたくさん仲間を誘ったんだ。ゾーラにゲルドにリト。みんな僕のことを助けてくれるって言って……本当に嬉しかった。だからユン坊にも、どうか手伝ってほしい」
「で、でも組長の許可がないと――」
「行ってやれィ」
 ここでブルドー本人がどすどす足を踏み鳴らしてやってきた。良すぎるタイミングでの登場だが、あらかじめリンクが頼んでおいたのである。こういう抜け目なさは、正直ウルフも怖いと思う。
「ダルケル様の仇を、子孫のお前が取るんだよ。リンクはその機会をくれるんだぜィ」
 ブルドーは言葉によってユン坊の背中を押してくれた。
「……ボク、やってみるゴロ!」
 ユン坊は腕を振り上げた。事実、無制限に護りの力を使える彼は最終決戦において相当頼りになる。その活躍には大いに期待していいだろう。
「仲間たちとは森の馬宿に集合することになってるんだ。先に行っててくれる? 僕らはまだ、やることがあって」
 リンクはウルフと目を合わせた。目いっぱいのおしゃれである夜光石のピアスが、ウルフの耳で揺れていた。



「ちゃお~! あらやだ、素敵な村じゃないの!」
 イチカラ村に到着するなり甲高い声を上げたのは、ハテノ村からリンクがはるばる連れてきたサクラダだった。そして弟子のカツラダ――この二人が、エノキダに頼まれた結婚式の来賓である。
 イチカラ村は、ウルフが来ない間にすっかり村として完成を迎えていた。ハイラルに暮らす全ての種族がそろっていることは、他のどの街にもない強力な長所だ。
 マッツと共にこの土地にたどり着いた時は、こうなるとは想像だにしていなかった。じんわり感慨深さがウルフの胸にこみ上げてくる。
(このハイラルの人たちは、強いんだな……)
 彼らはどんな厄災からも立ち上がる力を持っている。リンクが瀕死の状態から復活を果たしたように、他の人々も懸命に生きて命をつないでいる。そして、その全てを百年間支え続けるゼルダ姫――人の輪がリンクを通してつながっていき、命を紡ぐ。それこそがこのハイラルの強さであり、リンクの持つ唯一無二の武器なのだ。
 サクラダ工務店の二人は、懐かしき社員を見つけて走っていく。
「あらエノキダ!」「エノキダさんっ」
 偉業を成し遂げた社員とその社長、後輩が久々に再会した。これは話が長くなるだろう。
(式はもう少し先になるかな?)
 ウルフがぼんやり考えていると、いつの間にかリンクのまわりにわらわらと人が集まっている。
「リンクさん、古代兵装持ってきまシたよ!」
 一番に話しかけてきたのは、金髪の見知らぬシーカー族であった。古代兵装ということは、ロベリー博士の関係者らしい。
「ハイラル城の地図、できる限り今の状態に近いのを再現したんだけど」
 銀髪の美しい女性は大きな地図をリンクに差し出し、
「矢なら各種そろって大量入荷したよ~!」
 よろず屋を営んでいるらしいリト族まで勧誘してくる。リンクは笑顔で一人ひとりに対応していた。
 ウルフは軽くため息をついて人気者から離れ、ぐるっと村を回ることにした。
 道は石畳で舗装されてずいぶん歩きやすくなっている。前は岩の隙間にぽつんと放置されているようだった女神像も、立派な台座をもらって喜んでいるようだ。村には老人も子どももいて、休息を取る旅人らしき姿もたくさん見える。
 エノキダとリンク、二人の活躍がなければこの村はなかった。結婚式の話には驚いたが、今では素直に「良かったな」と思える。
 ウルフがのんびり村を回遊していると、鼻のてっぺんに何かがのった。
(なんだこれ。花びら……?)
 床に落として確認すると、白い花弁のようであった。不思議に思って顔を上げれば、空の彼方から無数に同じものが降ってくる。どこか近くに花畑でもあって、風に乗って飛んでくるのだろうか。
「新郎新婦! 式を挙げるには今しかないゾラ!」
 神父らしき腰の曲がったゾーラが宿から出てきて、いきなり叫んだ。まだ普段着だったエノキダたちは、すぐに着替えのために家に戻る。
「いきなりどうしたんッスか? 明日にでもゆっくりやればいいのに」
 カツラダが疑問を抱いている。ウルフも同感であった。
「いやぁね、だってこの花びらは……」
 と言いかけて、サクラダは唇を閉じてウインクした。
(なんだその含みのある言葉は)
 げんなりしていると、知り合いとの会話を切り上げたリンクがこちらへ駆けてくる。
「ウルフくん、ちょっとブラッシングしてあげる」
 リンクは毛皮の上に落ちた花びらを手でよけ、持ち歩いているブラシでウルフの毛並みを整えはじめた。
(そんなことより、自分の服はいいのかよ)
 リンクはデスマウンテンで着ていた耐火装備のままだ。ウルフのじと目を受けて、リンクは服を見下ろし、
「ああ、正装かあ……よし」
 一度宿に取って返した。
 ゾーラの神父が陣取る女神像の前に、人が集まってきた。種族がさまざまで正装の観念もバラバラだからか、式場には色とりどりの花が咲いているようだ。
 新婦は白いヴェールをかぶり、ゲルドの民族衣装をアレンジしたドレス姿で、新郎は何故か肩がむき出しの純白のベスト。それが妙に似合っている。
 遅れて式場にやってきたリンクは、なんとあの英傑の服を着ていた。確かにこのハイラルの勇者としては正しい服装である。やっとあの服を着る決心がついたのだろうか。何にせよ、リンクの金髪と明るい顔に、英傑のシンボルである空色はよく似合っていた。
 ゾーラの神父カポーダはじろりと人々を眺め回すと、ひとつ咳をした。
「みなさん静粛に。え~ウム……。ソレデワ只今ヨリィ~、新郎エノキダ、新婦パウダの結婚式を行いマ~ス!」
 カポーダは突然おかしな口調になった。これが神父の正しい発声法なのだろうか。人生で初めて結婚式に出席するウルフには、よく分からない。
「新郎エノキダ。汝女神ハイリアの名の下ニィ~……健康ナル時も~病メル時も~妻パウダを支エ~、愛スルことを~誓イマ~スか~?」
 なんだか異様に間延びした進行だった。この爺さん大丈夫なのか、と思ってしまう。
「誓います」
 エノキダは短くすぱりと答える。
「ヨ~ロスィ~。新婦パウダ。汝女神ハイリアの名の下ニィ~、健康ナル時も病メル時も~夫エノキダを支エ~、ツイデニ~スポーツマンシップに則リィ~、正々堂々戦うことを誓イマ~スか?」
(なんだそりゃ)
「……ちょっと、この神父いろいろおかしくない?」パウダはこそっとエノキダに話しかける。
「そうか?」
 いつまでもパウダが答えないことに業を煮やしたのか、ピンクの衣装に身を包んだサクラダが身を乗り出し、
「イヤならアタシが誓うワ!」「マジッスか!?」カツラダが大袈裟に驚く。
「スポーツマンシップに則り!」よろず屋のペーダが、「正々堂々戦うことを!」鉱石売りのププンダが、「誓うゴロ!」元鉱夫のグレーダが喜んでこぶしを握る。
「わははは!」
 珍しいことに、エノキダが大笑いした。パウダは諦めたように、「……誓います」と言う。
「ヨ~ロスィ~。ソンナコンナで~今ココに~、新たな夫婦が誕生シマ~シタ」
 サクラダが用意していた紙吹雪を投げる。相変わらず空から降り注ぐ花びらとあいまって、おめでたい雰囲気は加速していた。
「新ナル門出を歩みはじメタ夫婦に~、盛大なるゥ祝福を!」
 カポーダが言うと、大きな拍手がアッカレの空を埋めた。
「あはははは……」
 リンクは嬉しそうに笑っていた。彼の頭にも花びらが降りそそぐ。
 きっと今、彼はずっと欲しがっていたものを――勇者ではない自分だけの存在価値を手に入れたのだ。
「無限に降る花は、無限にあふれる愛をあらわすの。素敵でしょう?」
 サクラダが誰ともなしに同意を求めている。
 エノキダとパウダは腕を組み、くるりと背後を振り向く。その正面にはリンクがいた。
「リンク……本当にありがとう。この場を借りて、礼を言う」
 リンクはいきなり自分が主役になって、焦ったようだった。
「お前にはやることがあるんだったな。ハイラル城に行くんだったか」
「気をつけてね。イチカラ村は、いつでもあなたの帰りを待ってるから」
 リンクは涙を浮かべていないのに、まるで泣き笑いのような表情になっていた。
「はい。でも、もう大丈夫です。みんなが僕の力になってくれるから」
 結婚式は終わった。人々はアッカレの幸がふんだんに使われた料理を味わうべく、立食パーティへと流れていく。
 その一方で、リンクは旅立ちの準備を進めた。
 地図や武器防具、その他たくさんの思い出と土産をエポナの背に乗せて、リンクは旅立った。向かうは森の馬宿だ。
 彼らは二次会の半ばでひっそりとイチカラ村を後にしたのだが、エノキダだけが見送りに来てくれた。
「……リンクのこと、頼んだぞ」
(お前俺のこと見えてたのかよ!?)
 最後にウルフは突然エノキダに声をかけられ、仰天した。



 森の馬宿――そこは普段、主にハイリア人の旅人が利用する拠点であったが、ここしばらくは何故か他種族であふれかえっていた。特別な寝具の準備など、馬宿の主人は対応にてんてこまいであった。
「遅くなってすみません!」
 全ての「やるべきこと」を終えて集合場所にやってきたリンクは、エポナを馬屋に預け、ウルフを連れてテントの中に駆け込む。
 そこで待っていたのは、シド王子、ユン坊、テバ、ビューラと部下の二人。錚々たる面子である。
 シド王子は鷹揚に笑った。
「準備を万全に整えていたんだろう? 必要なことだゾ」
 テバは軽くあごをしゃくった。
「こちらも、すでに作戦をあらかた固めていたところだ。……この御仁が中心になってな」
 見れば、彼らが囲むテーブルにはもう一人、フードをかぶった見知らぬ男がいた。
「あの……どちら様ですか?」
 リンクが不思議に思って覗き込むと、その人物はフードをとる。
「……リンク殿」
 照れくさそうに笑う、白い髭をたくわえたシーカー族だ。
「ドゥランさん!? インパさんに言われて来たんですか? でも、娘さんたちが……」
「いいえ、私が自ら申し出たのです。どうしてもリンク殿のお役に立ちたくて。娘たちはむしろ、笑って送り出してくれました」
 リンクはそれでも申し訳なさそうに、
「罪滅ぼしとか責任とか、そういうことは考えなくていいんですよ……?」
「いいえ。ハイラルのために剣を振るえる幸せは、私一人では得られないものです。リンク殿がいるからこそ、厄災に挑めるのですよ」
 ドゥランの発言に、集まった仲間たちは異口同音に賛成した。
「あ……ありがとうございます」
 リンクは頭を下げる。
 そして、皆を見回した。その瞳は真剣なのに、どこかわくわくする気持ちを抑えきれていないようだった。
「ここに集まってもらったのは――僕が考えうる限りの、ハイラル最強の布陣です。お堀を抜けられるゾーラ族、守りを固めるゴロン族、空から攻めるリト族、団体で戦えるゲルド族、それに忍びのシーカー族までそろっている。まだ厄災とは戦ってもいないのに……僕はもう、負ける気がしないんです」
 そこでリンクは少しだけ肩の力を抜いた。
「こうして考えると、ハイリア人の強みってなんなんでしょうね。泳ぎも遅いし空も飛べない、僕はマスターソードだってまともに抜けないし……」
 彼は苦笑しているが、シド王子が真っ先に反対意見を述べた。
「リンクは実にハイリア人らしい強さを持っていると思うゾ!」
「そうゴロ、リンクがいなかったらみんなここにはいないゴロ」
「翼もないくせに、寒い土地にも暑い土地にも行けるっていう長所があるだろ」
「あまり認めたくはないが……イーガ団のアジトを攻略した手腕は見事だったな」
「人々をつなぎ、まとめて、導く。それがハイリア人の英傑の力なのではないでしょうか。パーヤ様がそうおっしゃっていました」
 最後にドゥランが言葉を結ぶ。リンクはくしゃりと顔を歪めた。
「パーヤさんが……。そっか。でもそれは、みんなの力があってこそなんだ。僕一人じゃなんにもできなかった。誰かに頼ることを教えてくれたのは――いつだって、ウルフくんだったよ」
 リンクは足元の相棒に笑いかける。
(そういえば、ここに集まったやつらは、ほとんど俺のことが見えるんだった……)
 ウルフは急に気恥ずかしくなってきた。リンクはしゃがみこんだ。
「だから、落ち着いて聞いて。ウルフくん……きみは、ここで僕らの帰りを待っていてほしいんだ」
 自然とウルフの口が開く。リンクは首を振った。
「前みたいに、きみが傷つくのが嫌だからじゃないよ。一度ハイラル城に挑んでから、いろいろ考えたんだ。オオカミのきみは、あそこを抜けるのはかなり厳しい。ガノンとの戦いがどうなるかは分からないけど……とにかくガーディアンとは相性が悪いでしょう。きみの力が必要な時はきっとくる。でもそれは、今じゃないんだ」
 悔しいけれど、ウルフも自分が戦力にならないことは痛感していた。
(でもお前、俺がいなくて平気なのかよ。ちゃんと怖がらずに進めるのか……?)
 リンクはウルフの前足をとって握った。
「いつだってきみが見守ってくれたから前に進めた。本当にただそれだけで、僕は強くなれるんだ」
 リンクを信じ、その帰りを待つ。それがこのハイラルで、勇者ではないウルフにできることだった。
(……いいよ。頼りない後輩だもんな、俺くらいは信じてやらないと)
 わう、とウルフは吠えた。リンクはにっこり笑って立ち上がる。
「よし。さっそくだけど詳細を詰めよう」
「分かったゴロ。さっきボクたちで話し合ったことなんだけど――」
 いつしか夜になっても、彼らの間では白熱した議論が戦わされた。それになんとか結論を出してから夕飯ということになった。
 夕食は、リンクがマッツに教わったという究極の料理――に近いメニューらしい、カレーライスを皆に振る舞った。炊き上げた白米にブラウンシチューに似たルウをかけた料理で、あまり見た目はよろしくないが、辛くておいしいらしい。ウルフは正直苦い思いをしながら、いつもの肉を食べた。
 翌日。朝焼けがまぶしい時間帯に、リンクたちは出発した。
 彼らは正面からではなく、裏から回るルートをとるらしい。もともとリンクはそのつもりで、集合場所にハイラル城の背面に位置する森の馬宿を指定したのだろう。
「あ、そうだ、城に行く前にみんなに渡すものがあるんです」
 リンクはエポナの背に詰めてきた大荷物から、次々と武器を取り出した。
「これは、ミファー姉さんの槍!?」
 受け取ったシド王子は仰天していた。リンクはハテノ村の家に置きっぱなしだった英傑の武具を回収して、皆に配ったのだ。ミファーの光鱗の槍は壊れかけだったはずだが、いつの間にかきちんと修復していたようだ。
「ダルケル様の武器ゴロ!」「リーバル様の弓か」「ウルボザ様の剣と盾など、恐れ多い……」
 英傑の関係者たちは魅入られたように武器防具を見つめている。
 リンクは最後に残ったシーカー族へ、
「ごめんなさい、ドゥランさんはこれで」
 と言って近衛の剣を渡す。ドゥランは「かたじけない」と腰帯に鞘を差した。
「英傑の武器です。どうか使ってください。僕が使うより、みんな喜びます」
 全員がうなずいた。
「それじゃ、行ってきます!」
 朝焼けに包まれ青い衣をまとったリンクが、ウルフとエポナへ手を振る。愛馬も一緒に馬宿で留守番だ。
(何日かかっても、必ず待ってやるぞ)
 リンクはウルフへ背を向けた。矢筒と弓、盾、マスターソード、そして腰にはもうひとつの片手剣とシーカーストーン。大量の装備でごちゃごちゃの背中だ。
 いつだってウルフはその背中を見送ってきた。いつしかリンクの背は、彼に安心感を与えるものとなっていた。
(お前はいつもちゃんと帰ってきてくれた。俺の大切な――相棒だ)
 やっとウルフはそれを認められた。彼には他に相棒がいたけれど、リンクはその人とはまた違う、けれどもかけがえのない相棒だった。
 リンクの後ろ姿が朝もやに溶けて、黒いシルエットになる。
 その時――ウルフは何故か、ここではないハイラルの黄昏色の景色を思い出した。リンクとは似ても似つかない、背の高い後ろ姿。そうだ、「彼女」はとても大切な相棒だった。
(……ミドナ)
 ずっと探していた答えがすんなり出てきた。その名とともに、思い出せなかった自分の「最期」が、急激によみがえってくる。
 ウルフは旅の終わりに相棒ミドナと別れた。影の一族である彼女とは、いずれそうなる運命だったのだ、とあちらのゼルダ姫にも言われた。それはよく分かっていた――つもりだった。
 だが、ウルフはいつまで経ってもミドナのことを諦め切れず、影の世界につながる道を探しに行くことにした。マスターソードを台座に戻し、エポナとともに故郷の森から旅に出た。
 きっと自分は、その途中で死んだのだ。
 目の前の景色がだんだん薄れていく。遠ざかるリンクの背中が、よく見えなくなる。
 ガーディアンに撃たれた時と同じだ。景色が薄くなっているわけではなく、自分が消えかかっているのだった。
(だめだ、待ってくれ。今さら帰ったって、俺にはもうできることなんてないのに)
 ウルフは必死に体に力を込める。だが四肢の感覚すらもうほとんどない。
 自分はここで、リンクの帰りを待たなければならない。あんな頼りない勇者を放置していたら、また誰かに迷惑をかけるに決まっている。ウルフがいないと、彼は――
(リンク……)
 ウルフは自分の本当の名であり、相棒のものでもあるその名前をつぶやいた。
 完全に彼が消えてしまう寸前、脳裏に優しい声が聞こえた。
 ――大丈夫です。一度つながった縁は、決して切れることはありませんから。

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