第一章 私たちの生きる世界



 通り雨で出来たぬかるみに、馬車がはまってしまった。
 こういった類のトラブルはキャラバンにとって一大事だ。大事な物資や食料を積み込んだ馬車が壊れると、命に関わりかねない。おまけに田舎道を走行していたため、他のキャラバンの助けも期待できそうになかった。
 縄をつけて自分たちで引っ張る、パパオの力を駆使して引き上げてもらうなど工夫を凝らして、なんとか泥沼から脱出する頃には日が沈みかけていた。
「今日はここで野宿かしらね」
「えーっ。せっかくアルフィタリアでのんびりできると思ったのに〜」
 ため息をついたペネ・ロペに対し、タバサは不平を漏らす。本来ならば、今夜はふかふかのベッドに潜り込めるはずだったのだ。そもそも田舎道を通ったのも、アルフィタリアまで近道するためだった。
「文句言うなよ。俺が晩ご飯つくってやるからさ」
 見かねたユリシーズがそう言って胸を叩くと、タバサとそしてハルトは、疲れが吹き飛んだようにころっと表情を変えた。
「本当に!」
「ああ。ただ、食材が乏しいからあんまり大したものは出来ないけどな」
 料理はユリシーズの得意分野だった。実家は牛飼いで、ミルクの新鮮さにはめっぽううるさい。食肉加工だけでなく、昔からチーズやバター作りにも精を出しており、食には高い関心があったらしい。
「何がいい?」彼がリクエストを募ると、
「私、ニクと野菜がごろごろ入ったシチュー!」真っ先にタバサが希望を述べ、
「あたしはサラダが食べたいな。ほら、アルフィタリアで買ったおいしそうな菜っ葉があったじゃない」ペネ・ロペは唇に人差し指を当てた。
「……!」
「ハルトはあれか、にんじんのグラッセだな。それといつものりんご」
 少年は満足げに頷いた。すっかりコックになりきったユリシーズは、すぐさま脳内でメニューを練っていく。
「みんなお腹ぺこぺこだよな。あんまり時間かけたら悪いし……よし、だいたい決まった。ペネ・ロペ、もう一品作りたいからさかな釣ってきてくれ」
「はいはーい!」
 漁師の娘が釣り竿を持って、聖域内にある小川へ出かける。年少組は火をおこして、ユリシーズに言われた通りの具材を用意した。
「待ってろよ、すぐにお腹いっぱい食べさせてやるから」
 てきぱきと動くユリシーズを見ていると、キャラバンではなくこちらが天職に思えるくらいだ。やがて新鮮なさかなを釣り上げたペネ・ロペも支度に参加し、仮設の厨房はにわかに活気づいた。タバサとハルトはぐうぐうお腹を鳴らしながら、食器を用意し、馬車の一角に敷布を広げた。
「できたわよ〜」
 湯気を立てる鍋を持って、ペネ・ロペが馬車に上がり込む。続いてユリシーズは大きな手で、さかなのムニエルとグリーンサラダを運んできた。思わずタバサは歓声を上げた。
「これこれっ、これがあるからキャラバン続けてるの!」
「そんな大げさな……」ユリシーズは苦笑した。
「こういうときだけ謙遜するのね、ユリス」
「俺はいつでも謙虚だぜ」
 胸を張った恋人に、ペネ・ロペは肩をすくめた。
 ハルトはごくりと喉を鳴らし、もう待ちきれないとばかりにユリシーズを見上げた。
「ああ、ごめんなハルト」
「ではではみなさん、お手を合わせて……いっただきまーす!」
 それはペネ・ロペの家に伝わる奇妙な習慣だった。ものを食べる前に両手を合わせ、まるで祈るようなポーズを取るというものである。はじめは彼女一人がやっていたのだが、何年も経つうちにキャラバン内にすっかり浸透してしまった。タバサは一度家でもやってしまい、家族から奇異の目で見られたことがある。新人のハルトも、おそるおそる手を合わせてからスプーンをとった。
 ひょうたんいもやニクなど、たくさんの具材が入ったホワイトシチューに、ほしがたにんじんのグラッセ。バターがとろりとかけられたさかなのムニエル。まんまるコーンの黄色とみずみずしい緑のコントラストが美しい、グリーンサラダ。どれもこれも、ふっくらしたいなかパンによく合うものばかりだ。デザートには模様を強調するように可愛らしくカットされた、しましまりんごまでついている。
「はあー幸せ。他のキャラバンはこんな食事してないのよね。信じられないわ。もう、主夫になれるわよ、ユリシーズさん」
「ははは……」
 コックは笑いながら、仮面の下に料理を持っていく。もりもりシチューを平らげるハルトは、ユークの独特な食事風景にちらちら目線を飛ばしていた。
「そういえばこのパン、ハルトくんの友達が焼いたものなのよね」
 思い出してペネ・ロペが訊ねると、彼はこくんと頷く。
「へえ、これアリシアが焼いたんだ。上手なもんね、さすが粉ひきの娘」
 話題に上ったクラヴァットの少女は、特にハルトと仲が良く、村で彼の帰りを待っているはずだ。
「このキャラバンにいたら、私太っちゃうかも」
 不意にタバサが深刻な顔になると、ペネ・ロペは不安そうに、
「えっ。いっぱい運動してるから、大丈夫でしょ」
「その油断が命取りなの。ペネ・ロペさんなんて、四年間もこのご飯食べてるのよ。もう舌が変わってきてるはず」
「う。確かに、グルメになっちゃった気はする。家のご飯に全然満足できないもの。……やばい、太るわ」
 口元を押さえた恋人を、ユリシーズは冷やかした。
「俺はちょっとくらいむっちりしてても好みだぞ」
「ユリス! なんてこと言ってんのっ」
 ペネ・ロペは顔を真っ赤にして怒った。もはや仲間内では親しい間柄を隠そうともしない二人だった。
「これだけ種族が入り乱れてるのに、みんなの好みの味を出せるんだから、すごいわよね」
 タバサが耳打ちすると、ハルトはこっくり首肯した。
「案外こういうところから、種族の融和がはじまるのかも」
 くすりと笑い、タバサはシチューのおかわりに行った。今し方覚えた体重増加への懸念は、おいしいものの前にはすっかり吹き飛んでいた。



 ティダ村の疲れをアルフィタリアで癒やした一行に、新たな同乗者が加わった。
「あの……着きましたよ、ハーディさん」
 ペネ・ロペはマール峠の家々から立ち上る煙を見つけ、御者台から振り返る。客人として迎えたのは、白い衣装に身を包んだ伝道師だ。
 黒騎士との関わりや忘れ物の件など、謎多き旅人のハーディ。だが彼と話していると、不思議と四人の心は穏やかになった。夜な夜な交わす会話はよく弾んだ。
 彼の理知的な語り口に、女性二人はすっかり魅せられてしまったようだ。アルフィタリアからマール峠までの短い間だったが、濃密な時間を過ごした。
「ありがとうございます、ペネ・ロペさん、みなさん。またどこかでお会いしましょう」
 彼とは、ヒュー=ミッドの宿の前で別れた。
 去り際があっさりしていることも、また高得点だったらしい。馬車の中では女の子らしく噂話に花が咲いた。
「素敵だったね、ハーディさん」
「あんな風にキャラバンの旅のことを言ってもらえると、嬉しいわよねっ」
 タバサの声も弾んでいる。ユリシーズはにこやかに聞いている——と思いきや、隣のハルトは彼の機嫌が悪いことに気づいていた。恋人を取られたように感じたのだろう。
 ティパキャラバンはこれから来た道を少し戻り、今年最後のダンジョンとなるカトゥリゲス鉱山に挑戦する予定だ。
「鉱山から帰ってきても、いてくれるかな?」
「さっさと終わらせましょうね」
 女性陣の都合に付き合わされる、男二人であった。



 カトゥリゲス鉱山。かつて鉄の力で世界を支配した、リルティのカトゥリゲス一族の名を冠する場所だ。
 だが、栄華を誇ったのは昔の話。鉄がとれなくなった現在は、揺らめく炎そのもののようなボム、盾と武器を持つオークといった魔物たちの巣窟になっている。もちろんそんな場所に訪れるのは、クリスタルキャラバンだけだ。
 坑道の天井には、ところどころにボムの形を模した角灯がぶら下がっている。その明かりを唯一の頼りにして、ティパ村のキャラバンはミルラの木を目指した。
 ペネ・ロペは、倒したオークの体からこぼれ落ちたブリザドの魔石を拾い上げた。
「ハルトくん、これ」
 少年が受け取る。これで、ボムの動きを封じることが出来るようになった。
 アームストロングと戦って以来、彼は回復役に加えてケージ運びにマジックパイルまで、合計三つの役割を引き受けていた。ユリシーズが進言したのだ。その方がペネ・ロペも戦況の把握に集中できるから、と。
 説明を受けてハルトは納得したようだが、リーダーとしては新人に余計な負担をかけることが心苦しい。
「本当に、大丈夫なの? またいつでも代わるからね」
「いけるいける。案外筋はいいぞ。なあハルト」
「……」ペネ・ロペの気遣いにもユリシーズの賞賛にも、彼はにこりともしなかった。
 リバーベル街道、ティダの村と、今年続いた苦戦にいい加減懲りた四人は、慎重に進むようにしていた。おかげで中層までは順調そのものだ。
 前を歩いていたタバサの足に、コツンと何かが当たる。
「あら、ミスリルだわ」
 彼女は微笑んだ。鉄よりも硬くて希少価値がある鉱物だ。先に発見され、ユリシーズが悔しそうに右手を握りしめた。武器防具用の素材はキャラバン内で共有しているものの、優先権は発見者にある。
「いいわね、ここ。リルティの歴史が見え隠れするわ」
 歴史好きの一面を持つタバサは声を弾ませた。今回はダンジョンの成り立ちに思いをはせる余裕すらある。
「タバサはさ、もし実家の職業が選べたら、やっぱりリルティらしく鍛冶屋が良かったの?」ペネ・ロペも調子を合わせた。
「もちろんよ。あっ商人もいいわね。世界の流通を担う仕事って、すごくやりがいがありそう。ペネ・ロペさんは?」
「うーん……錬金術師とか、面白そう。ルイスさんですら家を継げてるんだから、あたしでもいけるんじゃないかって思っちゃうわ」
 ルイス=バークはタバサと入れ替わりにキャラバンを引退した、リルティの青年だ。冗談が大好きで、素直なペネ・ロペあたりはしょっちゅうからかわれていた記憶がある。そんな愛嬌のある彼だが、錬金術師としての腕はいまいちらしく、実験に失敗する姿が何度も目撃されていた。
 ユリシーズも話題に乗ってきた。
「俺なら漁師だなー。自然相手の職業って憧れる」
「ええ、大変よ? 天候具合で全然魚とれなかったりするし」
 と、現役の漁師の娘であるペネ・ロペは反論する。
「天候の問題なら、農家だって一緒だろ。なあハルト」
 黙々とケージを持って歩いていた少年は、顔を上げた。彼は農家の長男だ。
「農家といえば……クラリス、大丈夫かなあ。お母さんがいるとはいえ、あの子が鋤に鍬持って畑仕事でしょ? 不安しかないわ」
 ペネ・ロペは嘆声を漏らす。話題に上ったハルトの姉は、細かい作業を非常に苦手としていた。
「そこは、ハルトがなんとかするんだろ」
「……」
 困ったように首をかしげるハルト。もしもこのまま姉が家を継いでしまえば、彼は最終的に実家から放り出される。キャラバンをやめた後はどうするのだろう。
 気配に聡いペネ・ロペが、立ち止まった。
「静かに。敵がいるわ」
 数体のオークに、石化のくちばしを持つ鳥コカトリス。闇の中にいくつもの目が光った。
「みんな、散って!」
 一瞬で雑談モードを終了させた四人は、それぞれの武器を握り直した。



 コウモリやアンデッド属性のゴーストといった新たな敵に道を塞がれながらも、四人はミルラの木の近くまでたどり着いた。かつては鉱山労働者の休憩所として使われていた広場だ。
 ペネ・ロペは持てる知識を総動員し、指示を飛ばす。
「この先にいるのは、オークキング。詠唱の早い爆発魔法エクスプロージョンと、ハンマーやロッドでの攻撃が厄介ね。確か後衛を狙ってくる性質があったから、二人は気をつけて」
 ユリシーズとハルトは頷いた。
「タバサ、準備はいい?」
 彼女は直前の戦いで破損した槍を直していた。手先の器用さには自信がある。
「ええ、大丈夫」
「じゃあ行きましょう。これが終わったら水かけ祭りね」とペネ・ロペは微笑んだ。
 かくして、戦いの火ぶたが切って落とされた。
 オークキングは、今年戦ってきたどんな魔物よりも大きな体を持っていた。そのたくましい腕で武器を振るうものだから、たまらない。
「うわあっ」
 ペネ・ロペは間一髪でジャンプし、キングのハンマー攻撃をかわした。衝撃波に当たっただけでバランスを崩しそうだ。案の定体重の軽いタバサが転びそうになるのを、ユリシーズが長い腕を伸ばして支える。
 事前に決めたように、リーダーが取り巻きのオークに対応し、タバサがキングを叩く。
「まずい、ハルトくんが狙われているわっ」
 キングはケージを持つ彼をターゲットに定めたようだった。当然ハルトは逃げまどう。同時に聖域がふらふら動くので、前衛は翻弄されっぱなしだ。
「こらあー! こっちを向きなさいっ」タバサが必死に槍を振るうが、キングは意にも介さなかった。
「タバサ、魔法剣だ」「了解っ」
 ユリシーズの声に従い、サンダーの魔法をまとった槍が繰り出された。体に痺れが走り、キングは初めて足下のリルティに気づく。
「どんなもんよ」
 真正面から一人でキングと対峙したなら、これほどの自信はわいてこなかったに違いない。しかし戦いの高揚と、何よりも仲間への信頼が、恐怖を緩和した。
 攻撃の嵐から解放されたハルトは、ようやくケアルに集中できるようになる。
 おとものオークたちを倒したペネ・ロペは、ユリシーズに声をかけた。
「あたしたちも、やりましょ」
「分かった」
 ファイア、ブリザド、サンダー——三色の魔法をまとったラケットが戦場を乱舞した。連携という点なら、やはり付き合いの長いこの二人がピカイチだ。
 怒濤のごとく攻め続けると、不意にオークキングは攻撃を止め、うずくまった。
「え、何……?」タバサはなぜだかぞくっとした。
「だめ、攻撃し続けて! 自爆されちゃうわっ」
 たちまちキングは白い光に包まれた。自爆するために力をため込んでいるようだ。みるみるうちに洞窟が明るくなっていく。
「急いでとどめを刺すのよ!」リーダーが号令し、ハルトも魔法を使ってキングの体力を削った。
 こんな時に限って、新たにオークが沸いてくる。
「相手してる場合じゃないのにっ」それでもタバサは無防備な後衛を守るために走った。
「まずいぞ、間に合わない!」
 ユリシーズが叫ぶ。眩しくて、もうほとんど目が開けられない。
(このままじゃ——全滅する!?)
 ペネ・ロペは身震いした。ティダ村の惨状が頭の中を流れていく。
 あの結末を回避するには、誰かが自爆から確実に生き残り、仲間を蘇生する必要がある。自分が? それではまた後輩を傷つけてしまう。やはり仲間に頼るべきか? だが、唯一の生存者はすさまじい重荷を負うだろう。リーダーの責務を、勝手に押し付けるわけにはいかない。
(どうしよう、どうすればいいの?)
 愕然とした彼女は、ラケットを持ったまま固まった。汗ばむその手に、誰かの手のひらが重なった。心臓が跳ねる。一瞬が永遠に引き延ばされた気がした。
「ハルトくん」
 ペネ・ロペを見つめる漆黒の瞳は、「それでもいい」と言っていた。そうだ——レイズの魔石にフェニックスの尾。彼は復活に必要なものを全て持っている。
 追い詰められたペネ・ロペは、思わずその手にすがってしまった。
「お願いっ!」
 閃光が走る瞬間、彼女はハルトを自らの体でかばうように引き倒した。
「……っ!」耳元、ごく近くで少年が息を吐いた。背中が焼け付くように痛い。そのまま自爆の第二波が到着し、ペネ・ロペは気を失った。



 額に冷たいものを感じた。
「みんな……?」
 声が出た。まぶたが開く。覚醒したペネ・ロペを、仲間たちが心配そうにのぞき込んでいた。
 彼女は三人の姿を確認する。服はところどころ焼け焦げているが、皆無事だった。近くに転がるレイズの魔石は散々酷使されたらしく、ひびが入っていた。やはり、ハルトが蘇生してくれたのだ。後輩の手には濡らした布があり、それで気を失った彼女の額を拭いていたらしい。
 出てきたのは懺悔の言葉だった。
「ごめんなさい」
 ユリシーズは何か言いたそうな気配を醸していたが、結局は沈黙を保った。
 彼女は地面に横たわったまま、まっすぐにハルトを見る。
「またキミに頼っちゃったね。本当は全部、リーダーのあたしがやらなくちゃいけないことなのに……ごめん」
「……」
 ハルトは当惑したようにユリシーズに視線を送る。ひとつため息をついて、彼は恋人を助け起こした。
「なあペネ・ロペ、俺たちは別に完璧なリーダーなんて求めてないぞ」
「え?」
「お前に出来ないことは、仲間が代わりにやってくれるってことだ。そうだろハルト」
 後輩はこっくり頷いた。ペネ・ロペの胸がじわりと暖かくなる。
 クラリスが彼をキャラバンに推薦した理由が、少しだけ分かった気がする。ハルトはペネ・ロペの弱い心をそのまま受け入れてくれた。救いの手を差し伸べてくれた。「弟の方がキャラバンに向いてる」という台詞の意味が、おぼろげに見えてきた。
 ハルトの茫洋とした瞳に視線を合わせると、まるで星空を見上げているような、不思議な心地になった。ペネ・ロペの顔は自然とほころぶ。
 タバサが後輩の背中をどついた。
「それじゃ、二度とこいつに頼らないよう、強くならなくちゃね。私も含めて」
「おう。二人だけに負担はかけないさ」
 ハルトだけではない。ユリシーズが、タバサが、彼女の背中を優しく押した。ペネ・ロペにのしかかっていた重圧は、いつしか消えていた。
「みんな……。ありがとう」
 近くに置かれたクリスタルケージは、最後の雫を今か今かと待っているようだ。ペネ・ロペはにっこり笑った。
「さ、雫を取りましょう! 家に帰るのよ」
 水かけ祭りへ向けて、四人は心を一つにした。

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