第一章 私たちの生きる世界



 鉱山を後にしたティパキャラバンは、痛む傷跡をさすりながらマール峠に帰還した。ほんの数日だけ休んで、あとは村まで一気に駆け抜ける予定だ。
 今や、ハルトの抱えるクリスタルケージはミルラの雫で満杯だった。これを村に持ち帰り、一年のクリスタルの汚れを祓う「水かけ祭り」を行うことが、旅の一番の目的である。
 帰郷を目前にして浮き足立った四人は、鉱山攻略前に峠へ送り届けたハーディの存在など、すっかり忘れていた。ここでとある人物に出会うまでは。
「やあキミたち、御機嫌よう」
 疲れた四人に胡散臭い笑みを向けたのは、伝道師とは正反対の人物——キャラバンからは「詐欺師」と呼ばれて忌み嫌われる、ガーディであった。
 彼は嘘つきのクラヴァットとして有名だった。伝道師のようにキャラバンに相乗りするのだが、当のキャラバンへと詐欺を働く。怪しげな品を売りつけたり、いかがわしい儲け話でそそのかしたりと、その手口は多岐にわたった。服装まで、赤やピンクを使った見るからに毒々しい色だ。
「ハーディと同じ温の民とは思えない」と、乗り合わせたキャラバンは思わず天を仰いでしまう。
「なんだ、いつも街道をフラフラしてるわけじゃないのね」
 トゲのある物言いをしたのは、タバサだ。筋の通らないことが大嫌いな彼女にとって、ガーディは天敵だろう。
「心外だなあ。ボクだってクラヴァットらしく、汗水垂らして働いたりするんだよ?」
 ガーディはどんな苦言も涼しい顔で流す。そのくらい面の皮が厚くなければ、詐欺師はつとまらない。
「路銀稼ぎ……もしかして、宿屋の呼び込みをしてるの」
 ペネ・ロペが苦笑いした。ガーディは、ヒュー=ミッドが経営する宿の入り口を塞ぐように立っていた。
「ああそうさ。どうだい、今夜はここに泊まるってのは。安くしとくよ」
「マール峠に宿はここしかないんだけど」
「逆に値段を吊り上げるんじゃないのか?」ユリシーズは半信半疑だった。
 ガーディはふと、自分に向けられる目線に気づく。
「そこのキミは初対面だね。どうしたんだい」
 ハルトのことだ。ペネ・ロペが慌てて紹介する。
「あ、その子はちょっと訳ありで……。ハルトくん、この人はガーディさん。キャラバンに同乗して旅をしてるのよね」
「行く先々で詐欺を働きながらな」「中身セルキーなんじゃないの?」
 ユリシーズとタバサは全く容赦がない。
 二人をなだめようとしたペネ・ロペは、ハルトの様子がおかしいことに気づく。
「どうかしたの?」
 彼は瞬きもせずにガーディを見つめていた。
「……っ」先ほどから、ハルトは何故か強烈な既視感にとらわれていた。現実が二重写しになるような感覚。頭がくらくらして、ガーディの姿が誰かと重なり——。
 がくり、突然ハルトの膝が折れた。そのまま崩れ落ちる体を、ユリシーズがとっさに支えた。
「ハルト!?」
 完全に意識を失っている。漆黒の瞳は、苦しそうに閉じられていた。
「ガーディさん、そこを通してくださいっ」
「はいはい。四名様ご案内ね」
 やはり鉱山で無理させすぎたのだろうか。ペネ・ロペはおろおろしながら宿に駆け込む。
 ハルトとガーディとの初対面は、こうして幕を閉じた。



 キャラバンはハルトを部屋で休ませた後、交代で彼のそばに控えることにした。最初はタバサの番だ。
「いい機会だから、二人で羽を伸ばしてきたら?」
 年長組は顔を見合わせた。
「ありがたいけど、俺、鍛冶屋に寄りたいから」
 ユリシーズが素知らぬ様子で答えると、「はいはい」タバサは薄ら笑いで手を振る。
「ペネ・ロペはどうする?」
「あたしもやりたいことがあるんだ」
 二人と別れたペネ・ロペは、ぶらぶら外を歩きながら、手紙に目を通すことにした。
 街道で郵便モーグリから受け取った便りだ。差出人はクラリスで、一行目から「ハルトの様子はどうだ?」である。直接のやりとりでは面倒くさがって教えてくれないらしい。ペネ・ロペの頼みは大抵聞いてくれるハルトだが、姉に対しては素っ気ない態度をとるようだ。思わぬ一面が垣間見えた。
 つい先ほどハルトが倒れてしまったことは、果たして伝えるべきだろうか。返事を考えつつ、家の角を曲がった。
「きゃっ」
 体に衝撃が走った。持ち前の身体能力を生かして、なんとか踏みとどまる。
「ご、ごめんなさい!」おまけに荷物の口が開き、手紙があたりに散らばった。
「ああ……っ」
 何ともタイミングの悪いドジだ。彼女はしゃがんで拾い集めた。ぶつかった相手もわざわざ腰を曲げて手伝ってくれた。
「ほほっ、気にする事はない」
 クラヴァットの老人——確か、セシルという名前だった。幸い怪我はないようだ。年齢に見合わず女好きで、ペネ・ロペは数年前に声をかけられたことがある。
「ありがとうございます」
 礼を述べれば、老人は彼女の胸元に目をやった。ペネ・ロペは苦笑する。セルキーの乙女なら、誰しも感じたことのある視線だった。いくらのほほんとした彼女といえども、自らの体型が魅力的に映ることは、重々承知している。
 しかし予想は外れた。セシルが注視するのは、ペネ・ロペが拾い上げた手紙であった。
「それは何じゃ?」
 強く握れば破れてしまいそうな、ボロボロの手紙だ。確かに、こんなものを後生大事に持ち歩いているのは、妙だと思われるだろう。
「これは、少し前にティダの村で拾ったんです」
 答えると、セシルの表情が変わった……ように見えた。
「読んでみてもいいかね?」
「いいですよ、って、あたしが言うのも変だけど。恋文って奴です」
 セシルはじっくり文面を読んだ。手が少し震えている。ペネ・ロペは怪訝そうに、
「大丈夫ですか?」
「おお。もう、返そうかいの」ボロボロの手紙を渡される。
 その時。空を覆っていた雲が切れて、太陽が眩しく光った。日差しを受けたその一瞬だけ、セシルの姿が何十歳も若返って見えた。
「ありがとうよ、お嬢ちゃん」
 背筋を伸ばして歩いて行く彼を、ペネ・ロペは不思議な心地で見送った。
「——そうそう、こんなことがあったのよ」
 夜、ペネ・ロペはやっと体調が良くなったハルトに、昼間の出来事を報告した。ティダの村で一緒に手紙を拾った彼には、知らせておきたかったのだ。
「女好きのおじいちゃんだから、ラブレターを読んで血が騒いだのかな? 急に若くなったみたいでね」
 ハルトはかすかに首をひねりながら、話に耳を傾けていた。
「何十年も前の、相手に届かなかった手紙って、ちょっとロマンチックよね」
 屈託なく笑うペネ・ロペは、この手紙がのちにある出来事を引き起こすことになるとは、予想だにしなかった。



「これはね、世界のモデルケースと言うんだ」
 散々もったいぶりながら、ガーディは品物を取り出した。……見た目は、普通のいなかパンである。どの集落でもよく見かける、一番ポピュラーなパンだ。
 翌朝、マール峠の町角で。ティパキャラバンに同乗を断られたガーディは、代わりに北にあるシェラの里からやってきたキャラバンを移動手段として確保し、ついでにとある交渉を持ちかけていた。
 ユークのみで構成されたシェラキャラバンのリーダー、アミダッティはふうむと仮面を撫でた。
「これが、瘴気の蔓延した世界の様子をテストできるという……」
「そうさ。いろいろこみで、一万ギルだ。一年間の保証も付けちゃうよ」
 アミダッティはいかにも智の民らしく、考え込んでいる。
「少し、仲間と話し合ってもいいでしょうか」
「どうぞどうぞ」
 ガーディは鷹揚に頷いた。
 馬車の近くで待っていた仲間と相談し、アミダッティはギルの詰まった袋をガーディへ差し出す。
「今の持ち合わせでは、五千ギルで精一杯です。これで何とかなりませんか」
「仕方ないなあ、ボクと先生の仲だ。それでいいよ」
「あなたとは初対面のはずですが……」
 とにもかくにも、取引は成立した。アミダッティは世界のモデルケース(もとい、いなかパン)を手に入れた。
「いやー、いい買い物したよ、先生」
 そこへ通りかかったティパキャラバン。ユリシーズ得意の読唇術によって会話を把握し、ガーディの詐欺現場を目の当たりにしていた。
 アミダッティが馬車に戻ったのを確認してから、一行はガーディの前に飛び出す。
「やあ、キミたちは……どこのキャラバンだっけ?」
「すぐ忘れるのね。ティパの村よ」タバサの声は汲みたてのミネよりも冷たい。
「そんなにつっけんどんに言わなくてもいいじゃないか。何か用かい」
「……シェラキャラバンに詐欺を働くのはよしなさい」
 彼女は凄んで見せた。小さくて可愛らしいリルティだが、こうしてみると迫力満点だ。続けて問い詰めようとしたところで、タイミングの悪いことにアミダッティたちが戻ってきた。
「おおティパの。ガーディどのと知り合いなのか」
「ええ、まあ」
 ペネ・ロペは歯切れが悪い。
「先ほど、彼からいい買い物をしたのだ。世界のモデルケースと言ってな、クリスタルのない世界がどう推移していくのか、これひとつで試すことができる。今度会った時には是非、経過を話そう」
「は、はあ……」
 タバサはやきもきしたが、目の前でガーディを糾弾してアミダッティの面子を潰すわけにもいかない。ユリシーズあたりは、密かに「案外アミダッティも分かっているのでは?」と思っていたのだが。
 アミダッティはパパオの手綱を引いてきた。
「では行きますよ、ガーディどの。それともティパのと一緒に行くか?」
「結構ですっ!」勢い良くタバサが断った。他の三人も同感だった。
 悠々と馬車に乗り込みかけて、思い出したようにガーディが振り返る。
「ああ、ハルトくん……だったかな。あれから、大丈夫だったのかい」
 ティパ村のことは覚えていなくても、先日顔を合わせただけで倒れてしまった少年は、印象に残っていたようだった。
 ハルトはガーディが登場してからずっと顔を青くしていたが、かろうじて首を縦に動かした。
「そうかい」
 ふっと目を細め、ガーディは不思議な詩を口ずさんだ。
「流砂を見下ろすキノコ燃ゆれば、炎の心が生まれいずる」——どうも一つの詩の断片らしく、会う度に一連ずつ教えてくれる。今までの詩は、ペネ・ロペが全て年代記に書き記していた。ああ見えて、実は詩人を気取っているのかもしれない。
 散々一行を引っかき回した詐欺師は、シェラキャラバンとともに村を後にした。
 タバサは憤懣やるかたなし、といった風に肩をブルブル震わせている。
「やっぱりガーディ、許せないわ」
「ああいうのもひとつの生き方だろ。感心はしないが」とユリシーズ。
 ハルトは大きく息を吐き、膝に手を突いた。ペネ・ロペはその背をさする。
「大丈夫……?」
「ハルトだって、あの態度にムカついたんじゃないの」
「にしてもこの反応は異常だ。何か、心当たりはないのか」
 少年はかぶりを振った。隠しているわけではなく、本当に分からないらしい。
「馬車で休んでて。ここから村までは一気に飛ばすから」
「……」
 ハルトは頭痛がして、大地色の髪をぎゅっと押さえた。ガーディとの出会いは、何かの転機をもたらす——そんな予感だけがあった。



 私たちのキャラバンが帰ってくる。今年も満杯のミルラの雫を抱えて。
 ペネ・ロペの手紙が帰郷の時期を知らせると、ティパの村人たちは限りない幸福に包まれた。
 粉ひきの娘アリシアは知らせを聞きつけて、朝から目一杯パンを焼いている。
「うわっ何だよ。このいなかパンの山は」
 家を訪ねてきた鍛冶屋の息子カム・ラは、空気中を漂う小麦粉にむせてしまった。
「ハルトに、食べさせてあげようと、思ってっ」
 パンの生地をこねながらアリシアが答えた。腕に力を入れる度、いちいち台詞が途切れる。運動は苦手で花が好き、クラヴァットらしく大人しい彼女だが、パンをこねるのは大の得意だった。
「手紙にね、パンをつけて送ったら、すごく喜んでくれたの。キャラバンの先輩たちにも大好評だったんだって。えへへ」
 彼女はとても嬉しそうだった。頬が上気している。カム・ラはほんの少しだけ、面白くない気分になる。
「……それはいいけどさ、俺との約束忘れてない?」
 ふくれっ面になった彼を見て、アリシアはやっと思い出した。
「ああ、そっか。ごめんねカム・ラ」
「きりのいいところまで終わったら、ルイスさんの家に行くぞ」
 近くのイスを引き寄せて、どっかり座り込む。舞い上がった小麦粉は、カム・ラの赤いバンダナにもその下の紫の髪にも、平等にうっすら降り積もった。顔立ちはセルキーらしくなかなか整っているのだが、表情と動作のせいで年齢より幼く見られがちだった。
「カム・ラ、そんな顔してると女の子にもてないよー?」
 分かりやすく不機嫌になった彼がおかしくて、からかうアリシア。よく手入れされた亜麻色のポニーテールは、粉まみれでもさらりと流れた。白いうなじが眩しい。
「別に、もてなくてもいいし!」とカム・ラは強がった。そういう反応もまた子供っぽい。
 やがて生地を寝かせる工程に入り、彼女はエプロンを脱いだ。
「さ、行こっか」
 髪をほどくと、ストレートのセミロングが現れる。クラヴァットの幼なじみは日増しに魅力的になっていくようだ。健全なセルキーの男子は不本意にもどきっとしてしまった。
「あ……ああ」
 肩に積もった小麦粉を払い落とし、二人は連れ立って錬金術師ルイス=バークの家へ向かった。
 ルイスは一昨年までキャラバンのリーダーをつとめていた。気さくな性格で実力も申し分なく、村の人間からはよく慕われていた。誰彼構わず冗談を言ってからかう癖があるため、現リーダーのペネ・ロペはどうも苦手に思っていたらしいが。
 キャラバンを立派に勤め上げた彼は、順当に実家を継いだ。今は日夜錬金術の研究に明け暮れている。
 カム・ラがルイス宅の玄関をノックしようとした時、何かが焦げたような異臭がぷんと漂ってきた。
「ん……?」
 二人は鼻を動かし、顔を見合わせた。数瞬後、扉が内側から勢いよく開かれる。
「うわっ」カム・ラは飛び退く。
「よ、よお二人とも。元気か」
 飛び出してきたのはルイスだった。家の中からもうもうと煙が漏れて、アリシアが咳き込む。
「ルイスさんこそ、大丈夫なんですか?」訊ねながら、カム・ラは彼女を下がらせた。
「あーいや、いつもの失敗だよ」
 ルイスは被ったなべをこつこつ叩いた。リルティはしばしば兜や鉄仮面で顔を隠すことがある。彼の場合は、それが何故か家庭用のなべになった。キャラバン時代は防御のためと思われたが、その後も続いている所を見ると気に入ったらしい。
「いつものって……」
 カム・ラは笑おうとして失敗し、中途半端な表情になる。
「安心しろ、お前らのレシピは大丈夫なやつだから」
 ルイスはカム・ラの肩を叩く。そう、彼の錬金術の腕前は、壊滅的なことで知られていた。そんな彼に家を継がせるなど、親も英断を下したものだ。
「まあ入れよ」
 足の踏み場もない工房へ、二人はおそるおそる入っていく。
 部屋の主はテーブルの上を雑に片付けると、空いたスペースに古ぼけたレシピを広げた。
 錬金術とはすなわち、素材を元に武器防具やアクセサリをつくる方法を考える技術だ。そのためには、天啓とも言えるひらめきが必要になる。不幸なことにルイスはその才にはあまり恵まれず、見当外れのレシピを思いつくことが多かった。
「これは、俺の先祖が書いたものらしい。クラヴァット専用のアクセサリだ。見るからに複雑で、相当難易度は高いぞ。それでもやるのか」
「はい。ハルトのために、二人でつくるって決めたんです」
 アリシアははっきりと宣言した。キャラバンに行っている幼なじみの助けになりたかったのだ。そのための素材も、商人の娘ヒルデガルドに仕入れてもらえるよう交渉していた。
 粉ひきに鍛冶屋というと、アクセサリの作成は専門外になる。この村には裁縫屋(タバサの実家だ)も存在するが、どうしても自分たちの力だけで完成させたかった。
「俺の方からも、ユリシーズと連絡とって素材の調達を頼んでみるから」
 ユリシーズは珍しいものに目がない。ダンジョン攻略そっちのけで素材を探すくらいだから、きっと二人の助けになるだろう。
 ルイスはふと視線を外して、
「でも、このアクセサリが一体何の役に立つかは、分からないぞ。なにせ作り方しか書いてないんだから」
 とのたまった。
「……え? そんなこと聞いてませんよ」カム・ラが青灰色の瞳を真ん丸くした。
「またいつもの冗談ですよね」
 アリシアは笑ったが、ルイスは珍しく真面目そのものだ。
「いや、本当の話。難易度が高いからって、いいものができるとは限らないからな」
 それが錬金術の難しいところだ、と彼は悪びれもせず付け加えた。
 カム・ラはがっくりと肩を落とし、隣のアリシアは目を覆う。
「失敗したら、ハルトには内緒にしておこうぜ……」
「うん……」
 と、二人はこっそり約束し合うのだった。

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