第二章 エンドレス・ステップ



 今年はジェゴン川以西のダンジョンに挑戦する、とペネ・ロペは宣言した。
 ヴェオ・ル水門での快勝は、ティパキャラバンに闘志をみなぎらせていた。「この調子で残りの雫も集め切ってしまいたい」——これが四人に共通した思いだ。
 遠くヴェオ・ル高地から南下し、マール峠から一路西へ向かうと、渡し守トリスタンがいるジェゴン川東岸にたどり着く。
 ティパ村に注ぐベル川を大きく上回る大河は、往時の水量を取り戻していた。これなら、ファム大農場にも十分なうるおいが与えられているだろう。
「良かった……」
 西岸を目指してキャラバンに同行するラケタが、ほっとしたように息を吐いた。一年以上も他の集落から断絶されていた郷里のことは、やはり気がかりだったのだろう。
 ハルトは船一つ浮かべてもまだ届かない対岸へと、視線を向ける。
「ここは昔、村だったのよ。ジェゴン村って言ってね、クラヴァットたちが住んでいたの」
 川の中州にある大きなクリスタルを指さし、タバサが説明した。あのクリスタルはアルフィタリアキャラバンが清めているらしい。
「ヴェオ・ル水門が出来てから、村人はファム大農場に移ったんだよなー」
 さすがは学生と言うべきか、ラケタは豊富な知識を持っている。
「今はこんなに寂しい場所なのにね。ティパの港も、前は漁業で賑わったみたいだけど」
 ペネ・ロペは唇に指をあてた。こちら側の岸には渡し守の家がぽつんと一軒あるだけで、閑散としていた。トリスタンは母親と二人で暮らしているらしい。
「それでも、ティダの村みたいになるより百倍マシだわ」
 タバサの断言は、四人の苦笑を誘った。
「クポクポ〜! お手紙クポっ」
 トリスタンの出航準備を待っていると、モグが郵便配達にやってきた。一体どういうネットワークを駆使しているのやら、彼らは確実にキャラバンの元へ手紙を届けてくれる。
「も、モーグリ? こんなところでも会えるんだな」とラケタはびっくりしている。
「うちの専属配達員だからねー。ダンジョンの奥にも来てくれるのよ」
 タバサが自慢げに胸を張った。
「ユリシーズさん。デ・ナムさんからお返事クポ」
「ありがとう」
 彼はその場で手紙を開封した。ペネ・ロペが後ろから覗きこもうとしたが、さりげなく背中で視界をふさがれてしまう。
「デ・ナムさんかー。ユリスと仲がいいのよね」
「へえ。そういえばシェラの里で一緒にいたなあ」
 もはや遠く離れてしまった第二の故郷を、ラケタは思い返した。
「私は会ったことないわ。セルキーの学者だっけ」タバサは興味なさそうだ。
 ユリシーズは仮面から生えた角を無意識のうちになでている。
「今は里を離れて、ちょうど川の向こうにいるみたいだな。どこで抜かされたんだろう」
「それって研究のため?」
「ああ。だが、どうも難航しているらしい……。不思議な液体でも送ってやるか」
「嫌味にならないかなあ」
「いやいや、瘴気を研究してるなら必要だろ」
 談笑する四人をちらちら気にしながら、モグはハルトに近寄ってきた。
「ハルト。ちょっといいクポ?」
 と前置きして、少年へ耳打ちする。
「ボクたち、実はデ・ナムさんから直接手紙を受け取っているわけじゃないクポ。手紙は、決められた場所に置いてあるだけクポ」
 ハルトは軽く目を見開いた。
「だから、本当にあの人が元気にしてるのか……ちょっと心配してるクポ」
 モグは可愛い顔を歪めた。すなわち真実はユリシーズしか知らない、ということだ。力なく垂れた頭のボンボンを、彼はそっと撫でてやった。
「出航するぞー」
 船の方からトリスタンの声がする。準備が終わったのだ。ペネ・ロペはパパオの手綱を引き、
「おーい。気持ちはわかるけど、あんまりモグくんの仕事の邪魔しちゃダメよ?」
 熱心に話し込んでいる後輩を叱った。モグは早口になる。
「ごめんクポ。それとなく、確認しておいて欲しいクポ〜」
 ひとつ頷いた少年は、眉間のあたりに暗い影を落としていた。
 一行は船でジェゴン川を渡った。目的地はすぐそこだ。すなわち、ラケタとはもうお別れである。
 結局、どうやって彼とクラリスを再会させるか、具体的な計画を立てないまま、ファム大農場にたどり着いてしまった。
「ありがとう、みんな。楽しい旅だったよ」
 集落の入り口で、ラケタは数週間ともに旅をした四人を振り返る。感謝の言葉は心の底から出てきた。
「私も、退屈しなかったわ」
 タバサは瞳の奥に、寂しげな光を揺らめかせていた。
 愛する人に、どうにか受け入れてもらいたい——乙女のような悩みを抱えたラケタは、案外彼女とよく気が合った。クラリスとのあれやこれやについて、真剣に相談している場面も多く目撃されていた。
「ラケタくんも、元気でね」
 ペネ・ロペは控えめに手を振る。
「うん。キャラバンの旅、がんばってくれよ」
 激励の意味も込めて、ラケタはしっかりハルトの手を握った。困った顔をしながらも、少年は握り返してくれた。
 あっさりした別れは、再会の希望があるからこそ。一度繋がった縁はなかなか切れない。ラケタも四人も、近いうちにまた会えると確信していた。
 今回はクラヴァットたちが暮らすのどかな農場には滞在せず、キャラバンはファム大平原を西進した。



「こんにちは、いい天気ね」
 街道をのんびり走っていた時のこと。御者台で馬車を操るハルトに声をかけてきたのは、黒い髪を結ったクラヴァットの女性だ。道の脇で休憩している四人は、黄色を基調とした服装をしており、一目でファム大農場キャラバンと知れる。彼女はリーダーのシューラだ。
 ハルトは一礼し、幌の中で休んでいた仲間たちに合図を送った。
「本当にいい天気ですねえ」
 馬車から降りて、ペネ・ロペは明るく応じる。のほほんとしたクラヴァットと相対すると、その雰囲気に引きずられてニコニコしてしまう。
 クラリスのような例があるので忘れがちだが、温の民は場を和ませる力を持つ。種族間の大戦争を仲裁したという話も頷けた。
 しかし。ペネ・ロペは一度だけ、何かの拍子にぶち切れた彼女を目撃していた。糸目は微笑みの形にしたまま、普段のシューラからは想像も出来ないほど冷え冷えとした空気を漂わせていた。
「ところでティパのみんなは、もうご飯食べた? このあたりで食事にしようと思っているの。一緒にどうかしら」
 シューラの誘いに、一も二もなく乗ったのはタバサだ。
「さんせーい! もうお腹ぺこぺこだったの」
「もう、はしたないわよタバサ。……いいんですか?」
「そりゃあもう。ウチの畑でとれたおいしいまんまるコーンもあるぞ」
 副リーダージェイクの発言に甘えたティパキャラバンは、ファムの四人と一緒に食卓を囲むことになった。
 ファムキャラバンが用意してくれたのは、野菜をふんだんに使ったランチだ。ニクやさかなを好むリルティには少しだけ物足りないけれど、彩りまで気を配られた食事は見た目にも楽しい。
「むう……このピクルスはどうやって作るんだ?」
 ユリシーズは料理人の血が騒ぐらしく、食べながらたくさん質問していた。新鮮な野菜でお腹をいっぱいにして、誰もが大満足だった。おまけにティパキャラバンは食材まで分けてもらった。
 シューラは食べ終わったにじいろぶどうの種を、街道の脇に埋めている。
「このあたりは土がいいから、きっと野生でも育つわ」
「野生のぶどうかあ。いいですね」
 たわわに実るぶどうを想像して、ペネ・ロペはうっとりした。考えるだけで唾液が出るような光景だ。
「そうだ、あなたたちがジェゴン川の流れを元に戻してくれたのよね」
 シューラがキャラバンを代表してお礼を言った。もう、こんなところまで一行の武勇伝は届いている。ペネ・ロペは照れくさそうに頬をかいた。
「えへへ、そうです」
「ありがとう。川の水がなくなって、とても困っていたの。同じミルラの木からは二年経たないと雫が採れないから……」
 ファムキャラバンとしてはそれが一番の問題だったのだろう。一つのケージに同じ場所から採取したミルラの雫を入れるには、一定の期間待たなければならない。それは、誰が決めたとも知れない厳格なルールだった。
 今年も活動範囲が西岸に限られていれば、相当厳しい旅になった。どこからも雫が取れなくなってしまうと、行き着く先はティダ村のような滅亡だ。
 ペネ・ロペはぶるりと肩を震わせる。
「本当に、良かったです。それじゃあ、これからは東岸に行くんですね」
「ええ。カトゥリゲス鉱山へ」
「気をつけて下さい」
 前年の苦戦を思い出し、ペネ・ロペは心から応援した。
「……あれ」
 ふと、空気が動いた気がした。セルキーだけが持つ野生の勘で、彼女は何かを察する。
「! シューラさん、馬車を見に行ってください」
「え?」
「たぶんまだ間に合うわっ」
 同じく勘づいたタバサが、ユリシーズが駆け出す。ハルトとファムの四人はその場に取り残された。
「しましま盗賊団!」
 一足先に駆けつけたペネ・ロペたちの前に、紫の服に身を包んだ三人組が姿を現す。セルキーのバル・ダットにメ・ガジ、そしてモーグリのアルテミシオンだ。折しもファムキャラバンの馬車から降りてきたところで、手にはりんごだけでなく、目一杯食べ物を持っている。
「あなたたち……よくもやってくれたわね」
 遅れてやってきたシューラが、鬼気を発し始めた。
 バル・ダットは冷静に手下たちを制し、胸を張った。
「それじゃ、オレが決めさせてもらうぜ!」
 勢いよく右の拳を突き出して、
「ら、らら、雷電の空……? いや天だ、天んッ! ……えっと」
 何やらしどろもどろになっている。ペネ・ロペはぽかんと口を開けた。
「ほら、がんばるのじゃ! 手のひらに人って書いて飲むんじゃ!」
「しっかりしてボス、盗賊団のかっこよさ見せつけてやってクポ!」仲間たちが次々ボスを鼓舞した。
 バル・ダットは地団駄を踏み、
「〜ッ! やーい、ばーかばーか! 盗んでやったぞーっ」
 子供みたいな捨て台詞を吐いて、脱兎のごとく駆け去った。
 泡を食ったのはメ・ガジとアルテミシオンだ。ボスの持つ至宝ショートクリスタルがなければ、彼らは生きていけない。
「ひ、こりゃ、老人を置いてゆくな〜!」「待ってボス〜!」
 一体盗賊たちが何をしようとしていたのか、キャラバンにはサッパリ分からなかったけれど、大量に食材を盗まれたことだけは確かだった。
 シューラはぎゅっと拳を握りしめる。
「……許せないわ」
「まあまあ。ちょっと痛んでたしな、あのりんご」ジェイクは彼女の肩を叩いたが、彼自身、全く目が笑っていなかった。
 ファムキャラバンから漂う冷え切ったムードに恐れおののき、ペネ・ロペは後ずさりする。
「で、ではあたしたちはこれで。また会いましょうねっ」
 ティパ一行は、不穏なファムキャラバンから逃げるようにパパオを走らせた。幸いにも彼らの荷物は無事だった。
 こうして罪悪感を抱きながらも、しばらく食事の面では贅沢の限りを尽くした四人だった。



 デーモンズ・コートは、魔物の中でも特に狡猾なリザードマンたちが築き上げたとされる、悪魔の巣窟だ。ハルト以外のメンバーは、二年前にも攻略した経験がある。
「ここのミルラの雫は、夜にしか採れないんだ」
 砦の入り口でユリシーズが説明した。
「レベナ・テ・ラという昔の都もそうだな。理由は分からないが、今までどのキャラバンが行ってもそうだったんだ。多少暗いが、諦めろ」
 というわけで、彼らは日が落ちかけた時分に、魔物たちの砦へと攻め入った。
 地形はペネ・ロペが完璧に把握している。ミルラの木がある闘技場へ侵入するには、魔物がどこかに隠し持っているカギが二つ必要だった。
「まず左から行きましょう」
 砦の各所に掲げられた松明が、リーダーの金髪を煌々と照らし出す。
 麻痺毒を仕込んだ針を持つ蜂キラービー、減速魔法スロウを操る亡霊レイス、詠唱の早さが厄介な豹クアール、そして各種リザードマンがひしめく砦は、過去にいくつものキャラバンが葬られたとされる難所だ。キャプテンリザードに統率された魔物は恐るべき戦力となることを、三人は身をもって知っていた。
 ペネ・ロペはいつも以上に気を張っている。
「レイスね、ホーリーお願い! 意外とリーチが長いから気をつけて」
「キラービーには近づきすぎないで、まずグラビデの準備を」
 他の村のキャラバンと熱心に情報交換を続けた甲斐もあって、彼女の脳にはほとんどの魔物の生息場所や弱点、攻撃方法が蓄積されている。ラケットを持った手を絶えず動かしながら、仲間に的確な指示を飛ばしていく。
 キャラバン六年目、リーダーとしては二年目を迎えたペネ・ロペは、押しも押されもせぬベテランの貫禄を醸していた。
「前方にリザードマン三体! キャプテンもいるわ、注意して」
 魔物は狭い範囲に固まっていた。マジックパイルを打つチャンスだ。続けて彼女が命じるよりも早く、氷結系の極大魔法・ブリザガが発動した。
「へ」
 巨大な氷の花が空中に咲き誇り、リザードマンをまとめて凍り付かせる。
 ペネ・ロペが慌てて視線を走らせると、仕掛け人のユリシーズはぐっと親指を立てた。
「よっと」
 そうして出来た三つの氷像を、タバサは楽々と槍の一閃で砕いていく。
「……みんな、張り切ってるなあ」
 彼女だけではない。四人それぞれが努力を重ねた結果、今のティパキャラバンは存在する。
 ペネ・ロペは、ふっと口の端を釣り上げた。
「あたしも負けてられないなっ!」
 と元気に打ち振ったラケットが、デーモンズ・コートの各所に配置された投石機の一つにぶち当たった。勢いよく発射された石は、タバサの頭をかすめて飛ぶ。
「ペネ・ロペさぁん?」まさに間一髪で避けたタバサが、腹の底から声を出す。
「あ、はは……ごめんなさい」
 久々にドジを発揮したリーダーは平謝りした。



「まさか、この建物全部、魔物が作ったってわけじゃないわよね?」
 きっちり木で組まれた足場を見上げて、タバサは嘆息する。辺りにはすっかり夜の帳が下りていた。
「闘技場を本来の目的で魔物が使うとは思えないわ。レベナ・テ・ラが近いし、昔は剣闘士の試合でもしていたのかもね」ペネ・ロペはかさついた唇を手でなぞった。
「じゃあ、ジャック・モキートの館はどうなんだ。あそこなんかは、家具まで明らかに魔物用のサイズだったぞ」
 ユリシーズは、北のアルフィタリア盆地にある、異形の夫婦が住まう洋館を例に出した。
「作ったんじゃないの、ジャック・モキートとか使用人のトンベリとかが」
「マギー奥様は現場監督かな」
 冗談を言い合いながらも、寒気を感じずにはいられなかった。彼らは魔物の生態も、その技術力もろくに知らない。
「……なあ。もし、デ・ナムの研究が上手くいったら、魔物とも仲良くやっていけるのかな」
 手の中の魔石に目を落とし、ユリシーズがポツリと呟いた。すぐさま、タバサが否定する。
「それとこれとは別でしょ。瘴気の中を歩けるようになっても、魔物が味方になるとは限らないわ」
「でも、キャラバンの旅がなくなれば、魔物も脅威じゃなくなるだろ」
 彼にしては珍しく、控えめに反論する。ペネ・ロペはかぶりを振って、魔宮殿を睨んだ。
「いいえ、戦いは終わらないわ。魔物は私たちを食べるんじゃなくて、殺そうとしてくる。それは多分、あいつらの本能なのよ」
 人は動物や植物を食べて生き永らえ、やがて土に還って他の生き物の糧となる。しかし魔物はどうだろう。一部を除いて人を捕食することはないし、モーグリには興味を示さないことが明らかになっている。ただ人を傷つけるために生まれた、生き物の枠から外れた存在なのだ。
「そうだよな」とユリシーズは笑い声をたてた。
 ハルトは一心にその仮面を注視して、少しでも感情を読み取ろうとしていた。ジェゴン川で聞いたモグの懸念——そしてシェラの里で抱いた疑問がよみがえる。
 彼がもやもや考え込んでいるうちに、タバサがリザードシューターの槍投げをかいくぐり、見事カギを奪い取った。一行は闘技場へ向かう。
「ここのボスは正面に立つと危険よ。それと、取り巻きが厄介ね。クアール二体とリザードシューターにウィザード。シューターは罠を発動させてくるから要注意」
 ペネ・ロペがてきぱきと解説し、仲間たちは装備を調えていく。
 鍵をセットすると、怪物の顎を模した入り口が大きく開かれた。趣味の悪い装飾だ。
 どきどきしながら扉をくぐるキャラバンの後ろで、音を立てて鉄格子が下りる。もう後戻りは出来ない。
 気づけば四人はクアールの群れに囲まれていた。
「出たわね」
 タバサが顔をしかめた。しばしその場で魔物たちと睨み合う。
「まだ、動くな」とユリシーズが言った。優美な動きに惑わされてはいけない。うかつに手を出せば、強烈なしっぽの反撃をもらってしまう。
「……来る」
 リーダーはバトルフィールドの反対側にある扉へ鋭く視線を飛ばした。うやうやしく控える二匹の豹の間を抜け、堂々と現れたのは、魔物ながらに王者の風格をまとうリザードマンキングだった。
 名前からしてリザードマンの一種のようだが、実は最新の研究ではドラゴンに分類されている。冷気への耐性を持ち、一筋縄ではいかない相手だ。
「行くわよみんな!」
 キングは右腕にパイルバンカーという恐ろしい古代武器を備え、また左腕のボウガンからは一度に五本の矢を発射してくる。右左どちらの攻撃でも、当たったら怪我どころではすまない。
 タバサはごくりと唾を呑み込み、魔物に正面から打ちかかった。武器と武器とがぶつかり合って、激しい金属音が鳴り響く。それが実質的な戦闘開始の合図だった。
 おともとして出現したクアールやリザードマンも、油断ならない相手だ。単純に数の上でも負けているのに、一匹一匹がそれなりの実力を持っている。
(これは捌ききれないかも……)
 雑魚処理を担当するペネ・ロペは内心冷や汗をかく。案の定彼女は防戦一方になったが、タイミング良く後衛のサンダガが発動して、対峙する魔物が軒並み平伏した。
「ペネ・ロペ、一旦下がれ!」ユリシーズも不利を悟ったようだ。「いいえ、まだ行ける——」だが、彼女が必殺技を準備する隙をついて、リザードマンのサンダーが炸裂する。
「痛っ」たまらず、彼女は膝をついた。痺れが回復するよりも前に、周りに魔法の気配が走り、ぴりっと肌が粟立った。立て続けに放たれたのはクアールのサンダラだ。
「きゃああ!」あっという間の出来事だった。
 避けようもなく砂の地面に倒れたペネ・ロペを見て、ユリシーズは愕然とする。
「これはまずい……」即座にハルトがレイズを唱え始めたが、リザードシューターから槍を投げられ、中断せざるを得なくなる。嫌な連携を決めてくるものだ。
 ユリシーズは声を張り上げる。
「ハルト、俺が注意を引きつける。ケージを持って逃げるんだ」
 聖域の中に魔物が入り込み、行動範囲は非常に狭くなっている。誰かがおとりになる作戦は悪くない。倒れたペネ・ロペを敵から引き離すことも出来る。
 だが、少年は逡巡した。
 必死にキングの猛攻を押しとどめるタバサは、
「だめよ! ユリシーズさん、きっと瘴気の中で相手をする気だわ」
 ユークには体を透明にする秘術がある。あらゆる攻撃を無効化できる代わりに、その場から身動きがとれなくなる技だ。彼はそれを使うつもりなのだろう。
「そうでもしないとペネ・ロペを回復できない。お前だって分かるだろ!」
 タバサがだめだと言う理由も、ユリシーズの感じる焦りも、ハルトには両方理解できた。ケージを持って走るべきか、それとも——。悩んでいる間にも苛烈な攻撃は降り注ぐ。
 敵のファイアが衣の裾を焦がした。魔物は魔石を必要とせずに、こうも簡単に属性を操る。
「……」
 かつて楽園に生きた時代、人々も同じように魔法を扱えていた。瘴気の到来によって大切な何かが欠けてしまった結果、今の自分たちは魔石に頼っている。師リュクレールは、世界の真理は魔法と結びついているのだと語っていた。
 倒れたペネ・ロペを見る。どうしても遠い距離、足りない詠唱時間。それでもリーダーとして前をゆく彼女に、立ち上がってもらいたい。今すぐに。
「ハルト!」
 催促するようにユリシーズが叫んだ。少年は、高く腕を天に差し上げる。
 より遠くへ、より強い力を、より早く。掲げたレイズの魔石が一瞬で砕け散った。
「え!?」
 信じられないものを目にして、タバサはぽかんと口を開けた。
「ぷはーっ、ただいまみんな!」
 ペネ・ロペが文字通り息を吹き返していた。彼女は全身のバネを使って起き上がると、
「さっきはちょっと油断しちゃった。ユリス、ハルトくん、三人で魔法剣やるわよ!」
「あ、ああ」
 いつも以上に体に活力が満ちていることに、ペネ・ロペは気づいていないのだろう。今ハルトが放ったのは、マジックパイルでしか発動しないとされる完全蘇生魔法アレイズだった。
「……」
 怪訝な目を向けられているとも気づかず、ハルトはぎゅっと拳を握りしめる。手のひらに破片がちくちく刺さった。
 ——これは違う。ただ、魔石に宿った力を一度に使い切っただけ。その気になれば誰だって出来ることだ。
 でも、何かを掴めた気がした。アレイズを放った時のふわりと浮き立つ感じは、今までに無い感覚だった。
 仲間から叱責が飛ぶ前に頭を切り換え、彼はファイアを用意する。
 復活を果たしたペネ・ロペは縦横無尽に戦場を駆け回った。華麗なるラケット捌きに、魔物たちも気圧されている。ひらりとバック宙でパイルバンカーをかわし、完成した魔法に乗せてラケットキックをたたき込んだ。
 炎に身を包み、苦悶の声を上げるキング。
「今っ」
 叫ぶとすぐにタバサが真空突きを放った。ハルトはユリシーズとともに、さらなるマジックパイルで炎の大渦を生み出す。
 全ての攻撃がやむと、空気が焦げ臭くなっていた。
 どうと仰向けに倒れたリザードマンキング。すぐにユリシーズが駆け寄って、容赦なくうろこをはがした。
「うわっ」
 タバサが気持ち悪そうに顔をしかめる。
「おお、これが王のうろこか」
 彼は嬉しそうに素材を眺め回して、いそいそと荷物へしまい込んだ。
「何に使うのよ、そんなもの」
「さあ? 前は入手に失敗したからな、とにかく欲しかったんだ」どうやら収集癖もあるらしい。
「あはは……」
 ペネ・ロペは、少しくたびれた様子で笑った。
 奥にあるミルラの木を目指し、静かになった闘技場を横切る。その途中でタバサは歩を緩め、一番後ろを歩いていたハルトに並んだ。
「さっきのあれ、どうしちゃったの」
 彼は疲れたように、ゆっくりと首を振る。たとえ文字に書き起こしても、説明できる自信はなかった。
「……まあいいわ。それよりも、ユリシーズさんよ。最近、ちょっと様子がおかしいと思わない?」
 はっと息を呑む気配が、タバサの方まで伝わってくる。
「やっぱり。普段ならあんな自分を捨てるような作戦、思いつくはずないもの」
 彼女は肩をすくめた。
「ユリシーズさんって、ちょっと地に足ついてないところがあるのよね。自由人っていうか、ユークなのにセルキーの気質があるっていうか……。なんだか、目を離したらふらふらどこかに行っちゃいそうな感じ。曲がりなりにもあの人がキャラバンを続けてるのは、ペネ・ロペさんやクラリスさんがいるから、なのかも。
 ——あの人、後ろ暗かったり弱かったりする部分は、なかなか他人に見せないのよね。特にペネ・ロペさんや、私には。でも……喋らないあんたになら、逆に心を許すかもしれない。
 それとなく、気にしておいてくれる?」
 モグの頼み事と同じだった。ハルトは胸に手を当てる。相手は仮面の下に全てを隠してしまう種族、ユーク。タバサの言うように、果たして自分にだけ何かを打ち明けてくれるのだろうか?
 ミルラの木が雫を落とす瞬間も、彼はそのことばかり考えていた。
「お手紙の配達クポ!」
 モグがやってきた。ジェゴン川で会ったばかりなので、久々という気はしない。
 ユリシーズはまたデ・ナムの手紙を受け取った。性急に一読すると、わずかにため息をつく。
「ペネ・ロペ、次はどのダンジョンに行く予定だ」
「次? ええとね、西岸で最後の雫を取りたいから、セレパティオン洞窟か、レベナ平野に挑戦してみようかな」
「湿原に行けないだろうか」
 ペネ・ロペは目を丸くした。彼から提案があるとは珍しい。
「コナル・クルハ湿原? いいけど……」どうして、と表情が尋ねている。
 ユリシーズは平然と嘘をついた。
「あそこのボス、ドラゴンゾンビだろ。ドラゴンのキバが欲しい」
 リーダーは恋人のわがままにも慣れきったものだ。苦笑して、
「いいわよ、行きましょう。あそこはアンデッドが多いって聞くから、ちゃんと準備していかないとね」
 さっそく彼女は頭の中で作戦を練り始めたようだった。
 そんな二人の様子を、ハルトは少し遠くから見つめている。
「クポー。ハルト、これ……」
 低空飛行でこっそり近寄ってきたモグが、口にくわえた手紙を差し出した。
「?」ハルトはとりあえず受け取った。手紙は全体的に薄汚れており、泥が乾いたような跡があった。
 署名を確かめて驚く。デ・ナムだ。宛先はかすれていて解読できなかったが、明らかにこれは——
「お願いハルト、黙って読んで欲しいクポ。こんなことしたら、ボクは配達員として失格だクポ……でもきっと、放っておいたら大変なことになるクポっ!」
 意を決して封を破った。文面を見た途端、ハルトはみるみる表情を厳しいものへと変えていく。
 もはや一刻の猶予もない。くしゃりと音を立てて手紙を握りしめるユリシーズを、彼は不透明な黒の瞳で凝視していた。



 街道の端で、シェラキャラバンが休息をとっていた。会うのはほぼ一年ぶりになる。ペネ・ロペはぱっと顔を輝かせて駆け寄ったが、途中で足を止めた。
「ガーディさん……」
 シェラ一行には、かの詐欺師が同行していたのだ。
「やあ、えっと、どこかの村の。こんにちは」相変わらず名前を覚えてくれない。
 仕方なくペネ・ロペが名乗ろうとすると、
「ごきげんよう、ティパの」
 アミダッティがやってきた。
「そなたらは、世界のモデルケースを覚えているか?」そして妙に早口だった。どうも興奮しているらしい。
「あ、はい……」
 むしろ、シェラキャラバンといえば世界のモデルケースを思い浮かべてしまうくらい、印象に残っている。大層な名前のいなかパンを思い出して、隣のハルトも微妙な顔だ。ちなみに今、ガーディを特に敵視しているユリシーズとタバサは昼寝中だった。
「聞け。世界のモデルケースは完全に異物に取りこまれた。しまいには虫にたかられ目を覆う有様。これは、さしずめ魔物のモデルとでも言ったところか」
 単にカビが生えてしまっただけでは、とペネ・ロペは思うが、口には出さない。
 シェラキャラバンの他の面々も順番に発言する。
「あのモデルにはクリスタルの力を表したシステムがなかった。故に、ただ滅び行くしかなかったようだな」
「私たちは、あの異物がモデルケース内で発生したものではないことを突き止めました。つまり、アレは外界より来て世界のモデルケースの力を吸収していたようです」
 アミダッティたちはあくまで真面目に考察しているようだ。なんとも滑稽な話である。いやに静かだと思えば、ガーディは満足そうな顔で大人しく傾聴していた。
「事実、この世界でも古にこのようなことが起きた」
「それって、隕石のことですか」
 ペネ・ロペの質問に、考察能力に定評がある女性ユーフィーナが頷く。
「先日発見されたセルキーの古文書に記されています。瘴気は隕石にのってこの世界にもたらされた、と」
 アミダッティはピンと人差し指を立てた。
「しかし、今回のケースと事実に食い違いがいくつかある。異物はモデルから力を吸収していたが、この世界ではどうか? 瘴気の源について、我々は呆れるほどに考えていなかった。そしていにしえに突然発生した多くの魔物を、世界の仕組みの内に捉えていた」
「確かに……」
 ペネ・ロペはゴクリと唾を飲み込む。知識量の豊富なレオミナールが台詞を引き継いだ。
「たとえば、オークの子供やその誕生の瞬間を見たことがありますか? あれほどメジャーな魔法でも出自が明らかにされているわけではないのです」
「……」それについては、デーモンズ・コートでも話し合った。ハルトは眉間にしわを寄せる。
 アミダッティは腕組みをした。
「瘴気は外より来て今も発生し続けている。それはどこからか? 魔物の多くは生物ではないが、生み出され続けている。それはどこからか? そして、そのエネルギーを何より得ているか?」
「あのモデルケースは思いのほか、私たちに重要な見落としを気づかせてくれたようです」
 ユーフィーナの声には微笑のさざめきがある。
「いなかパン侮るべからず。だな、ティパの?」
 最後に、アミダッティは茶目っ気たっぷりに言った。
 びっくりしたのはペネ・ロペたちだ。
「知ってたんだ……。アミダッティ、侮るべからずね」というリーダーの呟きに全力で同意するハルトだった。
「というわけで、もっとボクに感謝してもいいんだよ?」
 詐欺師のガーディは偉そうに反っくり返る。
「そうだな。一万ギルでなく、たったの五千ギルで購入できたことは幸いであった」
 思えばシェラキャラバンは上手いことモデルケースを半額に値切っていた。変人集団といえど、まったく油断ならない。
「……しまったなあ」
 ガーディは今さら気づいて、不機嫌そうになる。
「あ、あの、ガーディさん」
 ペネ・ロペは彼に一歩近づいた。詐欺師に対して厳しく当たる仲間たちが寝ている今、込み入った質問をぶつけるチャンスだ。
「どうして詐欺まがいのことをするんですか。それだけ頭が回れば、普通に働いても食べて行けると思うんですけど」
 なるほど、当然の疑問だった。それをストレートにぶつける辺りが、彼女の正直さを表している。
 ガーディは軽く肩をすくめた。
「詐欺だなんて失礼な。そういえば、言ってなかったね。ボクには記憶がないのさ」
「え」
 唐突な告白に、ペネ・ロペとハルトは目を白黒させた。
「自分が空っぽだなんて嫌だろう。だから、なくした記憶を嘘で埋めるんだ。
 もしもボクの言葉に本物があったら、それはなくした記憶の一部なのかもしれないね」
「そう、ですか」
 ペネ・ロペの胸に寂しい風が吹き込んだ。なくしたものや足りないものは、そうやって他の何かで補うしかないのだろうか。空っぽといえば、記憶を求めて武器を振り回していた黒騎士のことが連想される。
 そろそろ行きますよ、とアミダッティが手を振った。「それじゃ」会話を切り上げて、ガーディは二人に背を向けた。
 その時。不意に、地面がぐらりと揺れた。
「うわっ」
 ペネ・ロペの視界がぶれる。ガーディの姿が二重写しになり、どこからともなく声が聞こえてきた。
「隕石……巨大な影」
「どこだ……誰?」
「光……エズラさんが……そして、私も」
「ラ……モエ……!?」
 あまりに突然で、何のリアクションもとれない。戸惑っているうちに、彼女の目の前は真っ白に染まった。
『あなたたちではラモエに勝てないわ。思い出もつくれないほど、純粋すぎるもの』
 少女のものらしき高い声が頭にこだまする。台詞には切実な響きがあった。
 その白昼夢は予告もなく始まり、そして唐突に終わりを告げた。
 視界が回復し、ペネ・ロペは数度瞬きする。白い世界はどこかに消えてしまい、見慣れた街道が伸びている。
 ガーディが肩ごしに振り返った。
「ああそうだ。今回も詩を詠んでおこうか」
 ——岩三兄弟、次々凍てつき、冷気をまとった御身現す。
 正直、ペネ・ロペは内容に集中できなかった。
 半ば混乱したまま、シェラキャラバンの馬車に乗り込む詐欺師を見送る。すると、幌の中からアミダッティが顔を出した。
「そうだ、ティパの。デ・ナム殿を見かけなかったか」
「え、デ・ナムさんですか?」
 これまた脈絡のない話題が出てくるものだ。
「我らがファム農場まで送ったのだがな、その後の消息が知れないのだ」
「今回、あたしたちは農場に寄ってないんです。……うちのユリシーズが手紙のやりとりをしてるので、大丈夫だと思いますよ」
「そうか。ならばいいのだが」
 アミダッティは微妙に言葉尻を濁した。あの変人が心配するということは、よほど不安要素が多いのか。あとで恋人に尋ねてみようかな、とペネ・ロペは思った。
 すっかりシェラキャラバンが瘴気の向こうに消えてから、彼女はハルトに確認する。
「さっきの……見た? いや、聞いた? あの夢みたいな——」
 どう表現すればいいか分からず、なんとも曖昧な言葉になった。後輩はそれでも理解したらしく、こっくり頷いた。
「あれ、ガーディさんの記憶なのかな。ラモエって、何なんだろう」
 一陣の風が吹き、ペネ・ロペのプラチナブロンドを揺らした。



 コナル・クルハ湿原を目指す短い旅程で、一行はレベナ平野帰りのマールキャラバンとすれ違った。
「よお、お疲れさん」
 草の上に座り込み、気さくに声をかけてきたのはリーダーのロルフ=ウッドだ。血の気が多い典型的なリルティの性格をしていて、何年か前にはアルフィタリアキャラバンと街道で口論になっていたこともある。
「今回はたくさん魔物を捕まえられたのよ」
 ほくほく顔で紅一点のルッツ=ロイスが言う。マール峠の三人は素材集めに余念がなく、魔物を追いかけ回る姿があちこちで目撃されていた。同じ傾向のあるユリシーズは「ほおー」と興味津々である。
「どこに行ってきたんですか?」
「レベナ・テ・ラだよ。しんどかったけど、もうお宝ざくざくでさあ」
 二年前、ペネ・ロペがクラリスから別れを告げられた場所だ。マジックパイルを多用する必要があり、魔法が不得意なリルティには特にきついダンジョンだろう。
「今は休憩中ってわけね」タバサが頷く。
「まあな。そうだタバサ、思ったより多くとれたから、これやるよ」
 ロルフはケルベロスのキバを差し出した。その様子を、羨ましそうにユリシーズが注視している。
「ありがとう」
 彼女は綺麗な青色の目を細めた。間近で見て、ロルフがどきっとする。
「——って、渡してくれないの?」
 タバサは固まってしまった相手を不審そうに見やった。焦って手を離すロルフ。
「悪い悪い」頬がちょっぴり赤くなっていた。
「あの……ロルフさん、最近魔物が強くなってる気がしませんか」
 ペネ・ロペはヴェオ・ル水門あたりから抱えていた疑問を投げた。同じキャラバン同士、きっと分かるだろうと思った。
 案の定、ロルフは難しい顔をした。
「俺たちも、似たようなことを考えてた。何年か前より数が増えて、質も上がっている」
「いい素材はたっぷりとれるんだけどな〜」とライン=ドットがため息をついた。
「おまけに街道に出てくる魔物も多くなった気がするわ。キャラバンならまだしも、行商人にとっては怖い話よね」
 ルッツも頷く。
「やっぱり……」
 ペネ・ロペは憂鬱になる。予測が確信に変わっても、原因が分からない限り対処のしようがない。
「いっそ、魔物の巣でもあれば楽なのにね」
「だがなあ。あいつらは生殖行動で生まれてくるわけじゃないって話だぞ」
 タバサの文句に、ユリシーズがどこからか仕入れた知識で反論した。偶然だが、先日のアミダッティたちの話とも繋がる部分がある。
「難しいことはわかんないけどさ。これから先の引き継ぎが心配になるよな」
 キャラバンには世代交代がつきものだ。後輩へ役割をバトンタッチすれば、どうしても現在より戦力は落ちる。ロルフはそれを心配しているのだろう。
 他のキャラバンにも話をしてみると約束し合い、ペネ・ロペたちは再び馬車に乗り込んだ。
「あ、そーだ」途中、タバサがマールキャラバンを振り返る。
「ロルフ。二年前にもらった槍、大事に使わせてもらってるわよ」
「え、マジで?」
 タバサは愛用の槍を高く掲げた。それはロルフが、キャラバンに入りたての彼女へと贈ったものだ。実は、鍛冶屋を目指す彼自身が、初めて一から作り上げた逸品だったりする。
「武器の手入れは得意だからね。すごく扱いやすいわ、ありがとう」
 赤いマスクに隠されても、その輝くような笑顔ははっきりと彼の目に飛び込んできた。
「それじゃ、また会いましょう」
 タバサは幌の中に消えた。マール峠の仲間たちは、立ち尽くすロルフへ声をかける。
「おーい、リーダー?」
「だめだこりゃ……」
 呼びかけにも気づかず、ロルフは去りゆくティパキャラバンの馬車を熱いまなざしで見送った。



 往来に、人が倒れていた。
 ぐらりと世界が傾いだ気がした。あの紫色は間違いない。しましま盗賊団の、メ・ガジだ。
 ティパ村キャラバンは、直前まで街道で魔物と交戦していた。アルフィタリアの兵がいくら優秀でも、完全に危険を排除することはできない。ダンジョンから抜け出た魔物たちが徒党を組んで、襲いかかってきたのだ。マールキャラバンの危惧していた通りだった。
 魔物は妙に興奮していて、魔石もない状態の戦いは困難を極めたが、四人はなんとか包囲網を脱した。伊達に修羅場をくぐり抜けていない。
 戦闘後、あたりを警戒しながら馬車と一緒に歩いていると、石畳の上にメ・ガジが倒れ伏していた。
 反射的に飛び出そうとしたハルトを、一番前にいたユリシーズが止めた。
「!?」
 何故、と少年は目で訴える。ユリシーズには分かっていたのだ。老人はすでに、フェニックスの尾が効くような状態ではない。
「なんてこと……」悔しそうにタバサが首を振った。ペネ・ロペは、ショックのあまり言葉を失っている。
「誰かっ、誰かぁー!」盗賊団のモーグリ、アルテミシオンの悲鳴が聞こえた。ユリシーズがメ・ガジを抱え上げ、キャラバンは声の方向へ駆け出した。
 茂みを乗り越えると、アルテミシオンと盗賊団ボスのバル・ダットがゴブリンに囲まれていた。ボスは小刀を手にしていたが、身を守るにはいかにも頼りない。
 すぐに四人は戦闘態勢へと移った。魔物の中では「弱い」部類に入るゴブリンだが、普通の旅人には十分な脅威だ。
「伏せてっ」
 ペネ・ロペはラケットを大きく振り上げた。ユリシーズが無言でリングから魔力を解放し、二人は合体攻撃サンダー剣を放つ。そうして切り崩したところを、タバサが槍でなぎ払った。
 それだけで数は半減する。残りは逃げ出した。ペネ・ロペは深追いせず、草の上にへたりこんだバル・ダットに声をかける。
「大丈夫?」
 差しのべた手はしかし、パシッと跳ねのけられてしまった。
「一人で立てる」
 こうして向かい合ってみると、バル・ダットの顔立ちはよく整っていた。セルキーには珍しい赤髪だ。そんな彼が柳眉を逆立てて睨んでくるものだから、たまらない。
 バル・ダットはユリシーズが抱えるメ・ガジを一瞥した。
「……じいさん、魔物にやられちまった」
「元気出してよボス〜」
 体を紫色のしましまに塗り分けたアルテミシオンが、ぴょこぴょこ耳を動かす。四人はしばし何も言わず、盗賊団の会話を見守った。
「ハッ、よせよ。俺はしましま盗賊団のボスだぜ? 手下が一人消えたくらいなんだってんだ」
「そ、そんな酷いよボス!」
「うるさいな……。それより何か食わせろよ。腹減って動く気力も出ねェ」
 そっぽを向くバル・ダットに、カッときたタバサが食ってかかる。
「ちょっと、その態度はないんじゃないの。メ・ガジさんはあんたをかばったのよ」
「そうさ。まるで、クラヴァットみたいな死に方しやがって」
「おかげであんたは助かったんでしょ!」
 怒りをあらわにするタバサの肩に、ペネ・ロペが手を置いた。
「それだけ守りたいものがあったのよ」哀れむような声だった。
 バル・ダットは天を仰ぐ。
「セルキーには、リルティのような歴史も、ユークのような伝統も、ましてクラヴァットのような協調性もない。俺たちには何もないんだ。……だから盗む。セルキーならそれでいいだろ? 盗んで遊んでのたれ死んでさ」
「……っ!」
 ペネ・ロペの顔に苦みが走る。彼女も同じ我の民だが、境遇も考え方も、何もかも違っていた。
「じいさんをよこせ。俺が弔う」
 ボスはユリシーズに詰め寄った。「ああ」素直にメ・ガジを引き渡す。乱暴な言葉遣いとは裏腹に、遺体の扱いは優しかった。
 まとわりつくアルテミシオンを邪険に振り払い、その場に穴を掘ろうとするバル・ダット。ユリシーズは見かねて、
「手伝う」
「いらねえよ」
「お前、手で掘るつもりか?」
 馬車が泥にはまった時のために用意したスコップを、ユリシーズはこれ見よがしに持ち出してきた。バル・ダットは暗赤色の目をすがめた。
「……じゃあ、スコップだけよこせ」
「やだね。誰が盗賊に物を貸すか」
 彼にしては珍しく正論だった。バル・ダットは諦めて、物好きなユークに任せることにした。
 他の仲間はアルテミシオンを囲んで何か話しているようだ。せっせと土を掘り返しながら、ユリシーズが訊ねる。
「メ・ガジじいさんとは、どういう知り合いだったんだ」
 完全にふて腐れていたバル・ダットだが、彼の質問には何故かすんなり答えることが出来た。
「俺の父親に世話になったとかで、いきなり現れたんだ。その時から結構なじいさんでさ。アルテミシオンと二人で、仲間にするかどうか悩んだもんだよ。おとりくらいには使えるか、って盗賊団に入れたけど……結局、しょっちゅう居眠りして、役立たずだったな」
「そうか」
 ざく、ざく、ざく。土が掘り返されていく。
「そういえば、あの日のしましま盗賊団は何をしていたんだ? ほら、ファムキャラバンの馬車に盗みに入った時があっただろ」
 バル・ダットは恥ずかしそうに、
「決め台詞の練習だよ」
「は? ……ははあ」
 ユリシーズは意味ありげに笑い声をたてた。お茶目な盗賊団だ。
 空を仰ぎ、バル・ダットは流れる雲に遠い日の記憶を重ねた。
「……お前、そういえばオレたちのことをどうでもいいとか、むしろ憧れてるとか言ってなかったか」
 案外記憶力がいい。今年の初め、しましま盗賊団がティパ一行からりんごを盗んだことがあった。
 ユリシーズは軽く顎を引いた。
「言ったな、確かに。使命に縛られるキャラバンの旅よりも、盗賊の方が自由に思えたんだ」
 バル・ダットは土にまみれた手をぎゅっと握る。
「これを見ても、まだ憧れるのか?」
 ユークの青年は沈黙した。
 やがて、「終わったぞ」とスコップを放り出す。そこには十分な深さを持つ穴が出現していた。
 バル・ダットが頷く。
「悪いな。ついでに、アルテミシオンを呼んできてくれねえか」
「おう」
 ここから先は、身内の時間だ。
 一方、アルテミシオンはキャラバンの三人と会話していた。
「アルテミシオンくん、うちの村に来ない?」
「え……」
 ペネ・ロペの申し出に、モーグリは可愛い眉間にしわを寄せ、考え込んだ。
「そう言ってくれるのは嬉しい。ちょっと期待もしてたし。でも、やっぱりボスと一緒に行くよ」
「そっか」
 タバサがぽん、と頭の飾りを触った。モーグリは気持ち良さそうにする。
「アルテミシオン。バル・ダットが呼んでるぞ」
 やってきたユリシーズに促され、彼はボスのもとに飛んでいこうとする。その体を引き留める者がいた。ハルトだ。
「クポ?」
 きょとんとするモーグリの前で、彼はしましまりんごを取り出した。小刀で真っ二つに割り、片方だけ渡す。アルテミシオンははっとした。
「……ありがとう。ボク、いつかもう片方も盗みに行くよ」
 物言わぬ少年の「言葉」を正しく理解して、紫のモーグリは明るい声を出した。そしてハルトの顔をのぞき込み、
「ボクね、星になりたいの。夜の暗闇を明るく照らすような存在になりたい。昔そう言ったら、ボスには笑われたけど……やっぱり、諦められないよ。キミの目を見たら、思い出したんだ」
 黒い瞳が何度か瞬く。
「盗賊らしくはないけど、素敵な夢じゃない」
 タバサの発言に嬉しそうに頷くと、アルテミシオンは一直線にバル・ダットの方へ向かった。それを見送りながら、キャラバンは一足先に馬車を動かすことにした。
「セルキーの居場所は、ああやって自分で見つけるしかないのね」
 寂しそうにペネ・ロペが呟く。バル・ダットに見せつけられた我の民の生き様は、彼女の心のキャンバスに深い色を加えていた。
「あの二人、まだ盗賊業を続けるのかしら」タバサの問いに、「多分な」ユリシーズが答える。
「なら、ちゃんと迎えうってあげないとね。それがメ・ガジさんへの礼儀よ」
 タバサは青の瞳を厳しく細め、赤いマスクを締め直した。

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