第三章 ただひとつ輝ける星



 キャラバンの間では半分お尋ね者扱いされているガーディだが、同じクラヴァットでも伝道師ハーディはその好対照をなしている。
 休息を取っていたアルフィタリアキャラバンを見かけたペネ・ロペたちは、喜んで馬車を寄せた。そばにハーディの姿を見たからだ。
「こんにちはー」
 が、しかし。ソール=ラクトの様子はどことなく変だった。
「……おつとめ、ご苦労である」
 セリフの切れも悪い。ペネ・ロペはきょとんとしてソールとハーディを見比べた。
「やあ、キミたち」
 ハーディが浮かべた胡散臭い笑みは、どう考えても別の人物のものだった。
「え。伝道師さんじゃ、ない?」
 ペネ・ロペの顔が凍り付く。冷や汗が流れるのは、背後から伝わる怨嗟の感情のせいだ。宿敵ガーディの姿を発見し、タバサが勢いよく馬車から飛び出した。
「あ、あんたねーっ、まさか服装まで変えて人を騙すなんて」
 ガーディは余裕の表情でリルティの突進をかわす。
「いやいや、騙そうとしたわけじゃないんだよ。実は、この服を持っているのはボクの兄さんなんだ」
「兄さん? あんたとハーディさんが、兄弟ってこと!?」
 衝撃の事実に、タバサは目を丸くした。他の三人も同様だ。ガーディはふふんと鼻で笑った。
「そうだよ。……そっちの二人には話したけど、ボクには記憶がない。ほとんど唯一持っている記憶が、兄さんのものなんだ。
 まあ、ボクは会ったことがないんだけど、ね」
 ガーディの苦い顔を見て、何故かハルトは胸が詰まった。
「お兄さんなのに、会ったことがないの?」
 ペネ・ロペも不思議そうだ。
「うん。朝目が覚めると、たまにこの服が掛けられていてね。今日はきまぐれに着てみたってわけ。
 兄さんは、ボクと違って真面目なんだ。すごいことをしようとしていたんだよ。何だと思う?」
 挑むように投げかけられた質問に、ユリシーズが答える。
「……瘴気を、消そうとしていた?」
 ペネ・ロペたちは、はっと息をのむ。ガーディは大きく手を広げた。
「正解。まったく、すごいことを思いつくものだよね。でも、かなり真実に近づいたみたいだよ」
 伝道師が黒騎士を雇ったのは、瘴気を晴らすためだった。点と点が一つに結ばれてきた。
 ガーディは不意に声を沈ませた。
「でも、正直どう思う。瘴気を消したって、レベナ・テ・ラのような時代が戻ってくるとは限らない。むしろ千年前の戦争が繰り返される可能性だってある。
 どうして、兄さんは瘴気を晴らそうとしたんだろう。瘴気のない世界は、本当の楽園なのかな」
 らしくもない自嘲だった。
(確かに……)ペネ・ロペは白いあごに手を当てる。キャラバンをやっていれば、誰でも一度は瘴気の根絶を望むだろう。あくまで夢物語として。実現不可能と思い込んでいた彼女は、「瘴気のない世界」がどういうものか、空想したことはなかった。二千年間も瘴気に蝕まれてきた人々は、楽園を取り戻すことを諦めてしまったのだ。
 ガーディは、ただひとつ残った記憶——兄ハーディの思い出を何度も反芻することで、この考えに至ったのだろうか。
 重い沈黙を吹き飛ばすように、詐欺師はからりと笑う。
「ま、難しい話は兄さんに任せるとして。ボクは詩でも詠もうかな」
 口ずさむのは、当然あの詩だ。
「忘れっぽいキミたちのために、最初からつなげて詠んであげるよ。
 ハリの大王、雷撃たれ
 旅宿朽ちて、重さに沈む
 流砂を見下ろすキノコ燃ゆれば
 岩三兄弟、次々凍てつき
 大いなる胸に抱かれた花を
 聖なる光で照らし出せ
 ……ボクが知っている詩は、これで最後だ」
 ペネ・ロペは反射的に心にメモした。
「実はこれ、ただの詩じゃあないんだよね。砂漠に隠されたと言われる、伝説の宝物のありかを示しているのさ」
「ほー、宝物か!」「伝説の財宝ぉ〜?」
 ユリシーズは期待を込めて、タバサは胡散臭そうに、それぞれ反応した。
「信じるかどうかはキミたち次第だよ。ほら、ボクの言うことは全部、嘘で塗り固められているわけだからね」
 皮肉交じりに言って、ガーディはアルフィタリアの馬車へと身を翻した。その袖を掴んで引き留めたのは、ハルトだった。
「おや、キミは。どうかしたのかい」
 ガーディは柔らかいまなざしを向ける。こんな表情、他ではなかなか見せないだろう。
 ハルトがポーチから取り出したのは、しましまりんごだった。
「盗賊よけかな? ありがたく頂いておくよ」
 アルフィタリアの無骨な馬車が完全に見えなくなってから、ハルトはその場にへたり込む。ユリシーズが駆け寄った。
「一体どうしたんだよ、あんなもの渡してしまって」
「……」
 少年は何度も首を横に振った。自分の心の動きに翻弄されているようだった。
 先ほどのりんごは、ハルトの家から持ってきたものだ。ペネ・ロペたちも道中でたくさん食べた。小さいけれど味が詰まっていて、なかなか美味しかった。
(ティパの村の物を、渡したかったのかな)とペネ・ロペは考える。
 何故かガーディは「ティパの村」という名前をちっとも覚えてくれない。だから、ハルトはあのりんごを手渡したのではないか。理由はどうあれ、誰かに忘れられてしまうのは悲しいことだ。
 すっかり毒気が抜かれた四人は、しばらくぼうっと突っ立っていた。
「きっと、ガーディこそハーディ自身なんだろうな」
 突然ユリシーズが確信的なつぶやきを発した。
「えっ?」ペネ・ロペの口が半開きになる。
「だって、そうだろ。ハーディのことしか覚えてないってことは、記憶を失う前はハーディとして生きていたんだよ」
 詐欺師と伝道師が同一人物だった。あまりに受ける印象が違うので気がつかなかったが、確かに顔立ちは似ていた……というより、そっくりだったかもしれない。
「それならハーディさんは村長の息子ってことよね?」
 タバサが鋭く問いただす。
「瘴気を晴らす」と言ってティパ村の外に出た若者の話と、村長夫妻に息子がいたという真実を総合すると、このような結論が導かれる。村長は若者が自分の息子だとは覚えていないようだったが、それも物忘れ病のせいだとしたら——納得できる。
「つまり、ガーディさんは記憶を失ったハーディさんが生み出した、新しい人格なのかしら」
 ハーディも黒騎士も、一体どんな事件が起これば、記憶をまるごと失う羽目になるのだろう。物忘れ病に振り回される人々を助けることは……出来ないのだろうか。
 タバサは地団駄を踏む。
「それにしても、何であんな性格になったのよ。別人格ならもっとマトモなのがいくらでもあるでしょ!」
 苦々しい口調だ。尊敬していた伝道師の正体に、がっかりしているようだ。
 ユリシーズは大まじめに、
「ハーディさんはもともと真面目な人だったようだし、一度はっちゃけてみたかったんじゃないか。案外ガーディみたいな性格に憧れてたんだろ」
「まさか、ユリスじゃあるまいし」
 とペネ・ロペは笑う。
「いやあ、あり得ないとは言えないぞ。絶対に身近なところにモデルがいたんだ」
 ユリシーズはなぜだか自信満々だ。
「ティパの村で友だちだった人とか? 誰だろ。ルイスさんだったりしたら、おかしいね」
 ひとしきり冗談を言い合って、ペネ・ロペは少年を振り向く。
「そうだハルトくん、去年ガーディさんに会った時のこと、覚えてる?」
 彼はこっくり頷いた。
 あの時、詐欺師の背中を見ながら二人は幻聴を聞いた。そこでは「エズラさん」と「ラモエ」という名前が登場した。黒騎士の本名はレオン=エズラだ。
「あれはハーディさんの記憶だったのね」
 さらに、ハルトにはもう一つ手がかりがある。黒騎士のいまわの際に出会った、少女の声——事件には「ラモエ」という存在が関係していることを、彼はもはや確信していた。
「なあ、ペネ・ロペ。これから行くのはライナリー砂漠だったよな」
 といういささか唐突な発言により、リーダーはユリシーズの言いたいことを察してしまった。
 彼女は苦笑し、同意を求めるように仲間を見回した。
「いいわよ。ハーディさんの記憶の手がかりになるかも知れないし。探してみましょうか、砂漠の秘宝とやらを」



 ルダの村へ進路を定めて、キャラバンはジェゴン川西岸から船に乗った。一時的にティパの港へ寄ったのは、長旅にはつきものの補給を行うためだ。
 閑散とした渚で、リルティの少女がぼんやり空を眺めていると。
「ねえ、タバサはハルトくんのこと、どう思ってるの?」
 同じくトリスタンの準備を待っていたペネ・ロペが、突然そう訊ねてきた。
「は?」年上だと言うことも忘れ、タバサは失礼な返事をしてしまう。
「二人って仲いいじゃない。だから、どーなのかなって」
 ペネ・ロペは意地悪く微笑む。「どう」というのは「そういう意味で」だろう。タバサは大げさに肩をすくめた。
「べっつに、何とも思ってないわよ。面倒な後輩ってだけ」
 噂の人物は、ユリシーズと共に荷積みをしていた。この港はティパの村から馬車で数日の距離にあり、かつては交易で賑わったらしい。現在はトリスタンとキャラバンくらいしか訪れないようだが。
 ペネ・ロペはちらっと彼らに視線を飛ばした。
「あたし、二人は結構お似合いだと思うのよ」
「問題外だわ。天地がひっくり返っても、万に一つもあり得ない」
 タバサは即答してから、不足分を付け加えた。
「あのねえ。種族越えの恋愛なんてロマンチックなことが出来るの、ペネ・ロペさんたちぐらいよ。あなたたちが特別なの。私は断然、同種族がいいもの」
「そうかもしれないけど……」
「だいたいハルトって母親似でいやに見た目がほんわかしてるじゃない。正直そのあたりも好みじゃないわ」
 後輩の不在をいいことに、けちょんけちょんにけなしている。ペネ・ロペはたじたじになりながら、
(それだけよく観察してるってことじゃないのかな?)
 見当外れと言われるのがオチなので、黙っていたが。
 タバサはふと、青い瞳を翳らせた。
「それにあの子……私たちには、何も言ってくれないじゃない」
「声が出ないのは仕方ないよ。あんな事故があったんだから」
「違うわ。言葉以外でも伝える手段はいくらだってあるのに、ハルトはそれをしようとしない。その甘えきった態度が、どうにも気にくわないのよ」
 ペネ・ロペはゴクリと唾を飲み込む。
 ハルトのように愚痴も何も吐き出さないなんて、そうそう出来ることではない。彼女なら絶対に抱えたものの重さで潰れてしまう。彼には、そうまでして守り通すべき秘密があるのだろうか。
「タバサ——」
「おおい、ちょっと相談があるんだが」
 いいところでトリスタンが駆けてきた。後ろからユリシーズとハルトもついてくる。
「あれ、モグだ」さらに、いつの間にやらティパ村専属の配達員まで加わっていた。
「トリスタンさんに、お手紙を運んできたクポ」
「ルダキャラバンから連絡が入ったんだ。明日こっちに到着するから、一緒に船に乗せて欲しいってさ」
「えーっ」
 つまり、ダ・イースたちを待つため、今夜はここで野宿することになる。絶句するペネ・ロペに、タバサは提案した。
「せっかくなら、モーグリの巣にお邪魔させて貰ったら? ハルト、知り合いなんでしょ」
 首を縦に振る少年。崖の中腹にはモーグリの住まう洞窟がある。かくして今夜の宿は決まった。
「今度は絶対、リバーベル街道のボクの家に来るクポ……!」
 ハルトが同種族にお世話になると聞いて、モグは残念そうに去って行った。
 その晩、キャラバンは最高のもてなしを受けた。なんとモーグリは蔵からワインを引っ張り出してきたのだ。どこで入手したのだろう。かくしてささやかな酒宴がとり行われ、四人は大いに盛り上がった。普段は酒類を口にしないハルトも、モーグリの強いすすめを受けては断る理由がなかった。
 数刻ののち、宴はお開きになった。酒精で火照った体を冷まそうと、タバサは外に出る。
 海辺の桟橋には先客がいた。ハルトだ。月の見えない夜なのに、不思議とあたりは明るい。彼女は何かに導かれるように歩み寄る。
 少年はさざ波の音に耳を傾け、物思いにふけっているようだ。
「ハルト」
 振り向いた顔を見て——失敗した、と思った。
 彼は、どきっとするほど物憂げな表情をしていた。黒い瞳は半ば伏せられ、薄い唇がかすかに震える。頬にさす赤みは決して酒精だけのせいではない。
 タバサは思い出した。ティパの港は彼にとって、特別な思いが眠る地だ。
「ここに流れ着いた時のこと、思い出してたの?」
 ちょうど十年前、村の崖から落ちたハルトは、数日後にこの港で発見された。極端に体温が低下していたが、人々の献身的な看護により一命を取り留めた。誰もが奇跡のような子供の生還を喜んだ……けれど、代償として彼は声を失った。
 現在タバサの前で、静かに呼吸するハルトの手には、クロニクルがあった。広げたのは、黒騎士が——レオン=エズラが亡くなった日のページ。
 少年は苦しそうに目をつむる。
(これは、アリシアも心配するはずよ)
 あれから一年が経とうとしているのに、彼はずっと黒騎士たちを救えなかったことを悔やんでいた。
 タバサは今年のはじめ、フィオナとの会話で「ハルトはユークみたいな奴だ」と評したことがある。あれは表面的な感想だったらしい。どうしようもないほど、彼は温の民らしい性格をしている。
 彼女はまっすぐ少年へ視線を合わせる。
「ハルト、あんたはどうして旅を続けるの」
 どうしても答えを知りたかった。この場にいない、アリシアの代わりにも。
「お姉さんとの大切な約束があったから?」ペネ・ロペから以前聞いたことがある。クラリスと交わした約束を果たすため、ハルトは姉に代わってキャラバンに入ったのだと。
「——でも。今は、それだけじゃないんでしょ」
 少年は弾かれたように顔を上げる。
「旅に出て、色んな人と知り合って、たくさんの思い出が出来て……愛着がわいた。キャラバンの立場を手放したくない、ずっと続けていたいと思ってる。そんなところかしら」
 大きく目を見開き、こちらを凝視してくる。そんな彼に、タバサは微笑みかけた。
「……私もよ」
 彼女たちは今まで、瘴気や魔物が引き起こす理不尽にいくつも遭遇した。だからミルラの旅を続けながら、心のどこかではずっと、悲劇を取り除く方法を探り続けていた。
 かつてロルフ=ウッドと語らった、タバサ自身がキャラバンに執着する理由はそれだ。数えきれないほどの思い出をつくり、たくさんの希望を見出すことが出来る。だからこそ、旅は楽しい。
「いつか絶対、あんたを暗ーい悩み事から解放してあげるわ。武の民としてね!」
 タバサは一方的に宣言すると、反応を確かめることもなく、巣の方へ戻っていく。
 ハルトはあっけにとられたが、やがて頬を緩めた。重くわだかまる記憶の中に、心地よい風が吹いている。
 夜の空気は冴え冴えと冷たくも、星空は優しくキャラバンを見守っていた。



 明くる朝。ルダのキャラバンは、予定時刻よりも大幅に遅れて港に到着した。
「ごくろーさんっ」
「ほんっと、お疲れさまね〜」
 いつもの挨拶を口走る。ダ・イースたちは同乗者を連れていた。
「あ、クノックフィエルナさんだ」
 とお供の犬ディアドラである。もはや見慣れた顔ぶれだ。侍従長が向かう先にはすなわち、
「フィオナ姫、こっちに来てるんですか?」
「そうじゃ。ディアドラが姫様のにおいをかぎ当てたのでな」
 犬は誇らしげにしっぽを振っている。ディアドラも、城を抜け出せて嬉しいのだろうか。
 キャラバンと会話する侍従長からそろりそろりと離れ、ルダの二人は何故かハルトに近づく。ダ・イースは少年の肩に腕を回して、こっそり囁いた。
「ハルトー。悪いな、こうなっちゃった」
「……」
「まあ、だいたい一年くらい旅ができたらって話だから、いいよね」
 ハナ・コールはあくまで能天気だ。ハルトは肩をすくめた。
 タバサは目ざとくそんな三人を見つけ、
「なあに、何の話?」
「こっちの話〜」
 ハナ・コールはへらへらして誤魔化した。しかしタバサには心当たりがある。ジャック・モキートの館で、ハルトはルダキャラバンへ手紙を書いていたはずだ。
「ふうーん?」
 タバサが赤マスクの奥でにやりと笑うと、後輩は気味悪そうに眉をひそめていた。



 トリスタンの船で数日海を征くと、セルキーたちの住まうルダの村にたどり着く。
「一昨年は、この村でいろいろあったねー」
 揺れる船上から固い地面へぴょんと降り立ち、ペネ・ロペはハルトに話しかける。二人は二年前の水かけ祭り後、揃ってこの村を訪れた。それが、滅んだティダの村にまつわる物語の発端となったのだ。思えばあの時とくらべて、ずいぶん後輩とも親しくなった。
 ちなみにダ・イースとハナ・コールはあの教訓を生かす気はさらさら無いようで、今年もまだ二箇所分雫が残っているのに、ひとまず故郷に帰ってきた。ここまでくるといっそ清々しい。自分たちの力量だけでなく、村の人々をも信じているのだろう。
 キャラバンが船から荷下ろしをしている間に、クノックフィエルナ侍従長はとっとと村の探索に出たようだ。
 ほどなくして、坂の向こうから声が上がる。
「姫様!」
 ティパの四人は、はっとしてそちらを見た。
 ド・ハッティという物静かなセルキーが管理するたき火の近くで、侍従長とディアドラ、そしてフィオナ姫が対峙していた。
「へええ、あれがハーフのお姫様かあ。やっぱり来てたのね」
 ペネ・ロペは精一杯背伸びする。完全に野次馬気分だ。
 タバサは近くにいたルダ村の二人を鋭く睨む。
「ダ・イース、ハナ・コール。あんたたちが手引きしたんでしょ」
「え、あ? なんのことかな」
「♪〜」
 セルキーの男女は下手な芝居をしたり、口笛を吹いたりした。その程度で武の民は騙されない。
 フィオナは今や、はっきりと王者の風格を醸していた。セルキーの村にいるだけに、種族の違いは火を見るよりも明らかだ。どうして昔は我の民と認識できたのか、不思議なくらいである。
「クノックフィエルナ。お願いします。もう少しだけ旅を続けさせてください。まだ見てみたいものがあるのです。それさえ叶えば、すぐにでも城に帰ります!」
「むう……分かりました、心の整理がつくまでお付き合いしましょう」
 フィオナは強い言葉で侍従長を説き伏せると、見物していたキャラバンたちに向き直り、一礼した。
「ルダのみなさん、そしてティパのみなさん。その節は、どうもありがとうございました」
 特にダ・イースたちと、ハルトに向かって微笑みかける。蚊帳の外のペネ・ロペなどは(どういうこと?)と首をかしげていた。
 タバサの脳裏にはファム大農場の出来事が蘇り、どうしても表情が硬くなってしまう。それでも、勇気を出して声をかけようとした。
「あの、フィオナ姫」
「キャラバンのみなさん。折り入ってお願いがあります」王女は言った。タバサの声は耳に届かなかったようだ。
「何ですか?」
「私を、ダンジョンの奥まで連れて行ってくれませんか。かの有名なミルラの木のお姿を、自分の目に焼きつけたいのです」
 ペネ・ロペはぽかんと口を開けた。
「お姫様を? あたしたちが、ですか」
「これでも武術の心得はありますし、ショートクリスタルも所持しています。決してご迷惑はおかけしません」
「そ、そう言われても……」
 リーダーは困ったように恋人へ視線を向けた。ユリシーズは仮面の頭をなでて、
「まあ、クノックフィエルナ殿が納得するなら、いいんじゃないのか」
 体よく責任を放り投げた。侍従長は重々しく「仕方あるまい……」と頷いた。
「ありがとう!」
 見るからに嬉しそうな王女を、ペネ・ロペは素早く観察した。ルダキャラバンが用意したであろうセルキーの変装に、金属製の小手。腰には長剣を帯びている。さりげない身のこなしから、かなりの使い手と見受けられた。実戦経験はなくとも足を引っ張ることはないだろう。さすがは武の民の頂点に君臨する者だ。
「みなさんは、これから早速出発ですか?」
「いや。宿で休んで、明日の朝早くに出ます。こんな暑い時間帯に、砂漠なんて歩けませんよ」
「なるほど、さすがプロですね!」
 フィオナは早くも気分が高揚しているようだった。思わずキャラバンは苦笑を漏らした。
「それと」ペネ・ロペは付け加える。
「今回あたしたちはミルラの雫以外にも、目的があります。それでもいいですか?」
「もちろんです」
 やりとりの間、フィオナは終始ニコニコしていた。アルフィタリアで会った時よりもずっと生気に満ちあふれている——とタバサは思う。やはり、旅が彼女を変えたのだ。
「良かったな、お姫様」ダ・イースたちも満足そうだ。一番最初に王女を城から連れ出したのは、彼らだった。
「もちろんあたしたちのおかげよね?」
 ちょっぴり図々しいハナ・コールにも、フィオナは一も二もなく同意していた。
「それではお先に失礼する」
「また明日、よろしくお願いしますね」
 クノックフィエルナに率いられて、姫は一足先に宿に向かった。というのも。
「おいおい、いくらなんでも遅すぎるぞ!」
 キャラバンは荷下ろしの途中だった。痺れを切らしたトリスタンが迎えに来ると、
「ところでハルト、さっきの話を詳しく」
「そーよそーよ! お姫様と一体どういう関係なのっ」
 キャラバンは別の話題で盛り上がっていた。



 夜更け、タバサはフィオナを探してルダの村をさまよった。侍従長曰く、宿を出て散歩に行ったらしい。どうやら王女の中で、放浪癖が目覚めつつあるようだ。
 タバサは歩きながら、ちょうど昼間に郵便モーグリから受け取った手紙のことを思い出していた。差出人は姉、内容は母親の経過について。幸い、順調に回復へと向かっているらしい。姉は旅を続けるタバサを恨めしく思っているようだが、手持ちの風邪薬を送ったことに関しては感謝された。
 今日は瘴気が薄く、星がよく見える。ティパ半島よりさらに南にあるライナリー島の星空は、一段と綺麗だった。
 フィオナ姫は、村の崖っぷちにあるたき火のそばに座っていた。近くにいるセルキーの青年はド・ハッティだろう。いつも海を見つめて哲学している人物だ。二人は何やらぽつりぽつりと言葉を交わしている。
 タバサは足を止め、耳を澄ませた。王女の静かな声が鼓膜を叩く。
「……母が亡くなってからというもの、悲しくて悲しくて。それで、じいやからすすめられて、ほんの少しの間だけ、外の世界を見て回ろうと思ったの」
 揺れる炎に照らされたフィオナの横顔は、昼間よりもずいぶんと沈痛な雰囲気を湛えている。タバサはどきりとした。
「外の世界?」ド・ハッティが続きを促す。
「そう、閉ざされたお城の外のことよ。世界がこんなに明るいものだったなんて、ぜんぜん知らなかった……」
 タバサは何度もそうしたように、自分と王女をもう一度重ね合わせる。ティパの村だけでは知り得なかった、世界の果てしなさ。石造りのお城は途方もなく広く、てっぺんに上ればアルフィタリア盆地を全て見渡せるようだけど……もしかすると、ある意味ではティパの村より狭かったのかもしれない。
「すると城の中ってのは、真っ暗闇なのか? この夜みたいに」
「そうね——夜は空を見上げれば、お星さまが輝いているけれど、お城の中は、輝く星すら見当たらなかった」
 ド・ハッティは薄く笑った。
「おれたちは、外の世界のコトしか知らないから、よくわかんねぇな」
 旅人が天の星を頼りにして歩くように、人は誰しも光を見つめて道を探す。深すぎる闇の中では、どちらに向かえばいいのか皆目見当がつかない。母を失った王女は、まさしくその状態になった。
 フィオナは大切なものを慈しむように、目を細めた。
「旅の途中でね、クリスタルキャラバンの方たちに出会ったの。なんだかすごく、うらやましくてね」
「ああ。あいつらは瘴気の闇の中にあって、その中でただひとつ、輝ける星なんだよな」
 タバサはだんだん思い出してきた。村人にとって、キャラバンはいつだって光り輝く憧れの存在だった。故郷に残してきたヒルダやアリシアたちの気持ちが、やっと分かった気がする。
 だが……瘴気の中を進むキャラバンにも星は必要だ。タバサにとってそれは、武の民としての「誇り」だった。
 ジャック・モキートの館で見失い、セレパティオン洞窟で探り当てた「誇り」。果たして競争相手のフィオナは、夜空に浮かぶたったひとつの星を、掴み取ることが出来たのだろうか。
「みんな、とってもまぶしかった。私もあんなふうに輝きたい」
「星は、太陽があるうちは見えないよな。夜になったら輝きだすもんだ。星が輝けば夜道さえ明るく照らす。だから、おまえもよ、そろそろ……」
 フィオナはかぶりを振った。
「それ以上は言わないで。もう気づいたから。私が輝いて、照らしださないといけないものがあるって、気づいたから。あの星たちのように」
 ド・ハッティはほのかに表情を緩めると、腰を上げた。足音が遠ざかっていく。
 緊張が途切れて、ふとタバサがバランスを崩した拍子に、じゃり、と足下の砂が容赦なく音を立てる。
 はっと身を強張らせたフィオナと、目が合った。
「あ……タバサさん?」
 リルティの少女は慌てて表情を取り繕った。「い、今、話しても大丈夫?」
 ハーフの王女はくすりと笑う。
「ええ、どうぞ」
 タバサは近くに座り込んだ。冷えた体をたき火がじんわりあたためる。
「フィオナ姫。あの——ごめんなさい。ファム大農場では、失礼なことを言ってしまって」
 真っ先に、彼女は深々と頭を下げた。とにかく謝りたい気持ちでいっぱいだったのだ。
「顔を上げてください。……もちろん、言われた時はショックでした。でも、確かに私の心には、責任から逃げてしまう弱い部分がありましたから」
 フィオナはそっと胸を押さえる。
「先ほどの話は、聞かれましたよね」
「え、ええ」
「どうして、タバサさんはキャラバンに参加しているのですか」
 その質問に、彼女は懐かしい記憶を掘り起こした。アリシアからタバサへ、タバサからハルトへ。そして今度はフィオナから、彼女は同じ質問を受ける。
 タバサは慎重に言葉を選んだ。
「うちの村は他と比べたら歴史は浅いけど、私はあそこが好きなの。四種族揃った村にいるからこそ、リルティが必要とされる場面がある。その一番はクリスタルキャラバンでしょう」
「立派ですね」
「いいえ。借り物の歴史に、とってつけたような誇りよ。キャラバンは私がいなくたって成り立つんだから」
 自嘲するタバサへ、フィオナは真摯な瞳を向けた。
「それでも、今のティパキャラバンの雰囲気は、あなたがいなければ成り立たないものではありませんか」
「え……」
 タバサは王女とそっくり同じ、青い目を瞬く。
「ド・ハッティさんにもお話ししましたけど、私にはあなたたちが輝いて見えます。それはきっと、お仲間や村の人を信じているから……。自分というものは、どんなものの代わりにはなりませんよ。家族だってそうでしょう」
 母を失ったフィオナだからこそ、発言に重みがある。
「旅をして、キャラバンの人たちと関わって、分かったんです。旅はたくさんの思い出をはぐくみ、強くしてくれること。私たちは決して、ひとりで瘴気の中にいるわけではないことを。きっとそれは——お城の中でも同じなんですよね」
 フィオナは旅をして、自分を支えてくれる人たちのことを知った。無償で彼女を助けてくれたキャラバンたち。どんなに離れた場所でも必ず追いかけてきたクノックフィエルナ。そして、娘の帰りを城でずっと待ってくれている、父親。
 大切な人たちを、今度は自分が照らす番だ。幸福なことに、彼女にはそれだけの能力がある。
「私の誇りは……リルティの父とクラヴァットの母の間に生まれたことです」
 フィオナは立ち上がり、ありったけの思いを込めてお辞儀した。「タバサさん。ありがとうございました」
 タバサの目に、じわりと涙がにじんできた。自分の旅路は無駄じゃなかったと、はっきり肯定された。嬉しくて仕方なかった。
「え、あれ? どうしたんですかっ」
 慌てふためくフィオナ。タバサはごしごし涙を拭き取って、笑いかけた。
「どういたしまして!」

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