第三章 ただひとつ輝ける星



 灼熱の砂漠に、氷の花が咲いた。
 お手本のようなブリザガを放ったのはユリシーズとハルトだ。群がるラミアやサソリの魔物・スコーピオンの軍団を、極冷の中に閉じ込める。
「あ、一匹逃した」
「任せて!」
 ペネ・ロペとタバサがほぼ同時に必殺技を放つ。二つの気合弾はまっすぐにスコーピオンに向かい——
「やった!」
 飛び跳ねたのはタバサだ。見事に攻撃が命中し、サソリはきゅう、と崩れ落ちる。
「ちぇ〜負けちゃった」ペネ・ロペは頬を膨らませる。
「おいおい、遊んでないでこっちの相手もしてくれよ」
 ユリシーズの苦言に、「はーい」と女性二人は元気に返事する。ハルトは早くも次のブリザドを用意していた。
 そんな和気あいあいとした戦闘の様子を、フィオナは少し遠くから眺めていた。
 六体ほどの魔物の群れは、問題なく片付いた。
「終わったよーフィオナさん」
 王女はペネ・ロペの手招きに応じた。大地は柔らかくて頼りなく、一歩踏み出す度に足首まで砂に埋まる。
「お疲れ様です。鮮やかな戦いでした」
 魔物の脅威を目の当たりにしたのは初めてではない。だが、あの大群をたった四人で捌ききったことには感動した。
 ペネ・ロペは得意そうに腰に手を当てた。
「ありがとうございます。今日はみんな調子いいよね〜」
「セレパティオン洞窟の一件が嘘みたいだな」とユリシーズは笑った。あてつけられたタバサは、
「ふーんだ。私だって、ちゃんと反省したのよ。ねえハルト」
「……」
 後輩は力なく頷いた。
 彼は通気性に欠けるクラヴァットの服のせいで、ごっそり体力を奪われていた。直射日光を避けるという点では正しい服装だが、それとこれとは話が別である。いつも薄着のペネ・ロペすら戦闘時以外は日よけを羽織っており、タバサは自慢の赤いマスクも「汗を吸う上に暑苦しい」という理由で外していた。
 フィオナはきょろきょろと砂山を見渡して、
「それで、ミルラの雫以外の目的とは、一体……?」
「あ、うん。これよ」
 ペネ・ロペはクロニクルを取り出した。
 広げたページにはある詩片が書き込まれている。フィオナは興味を引かれた。
「ハリの大王、雷撃たれ
 旅宿朽ちて、重さに沈む
 流砂を見下ろすキノコ燃ゆれば
 岩三兄弟、次々凍てつき
 大いなる胸に抱かれた花を
 聖なる光で照らし出せ」
 いかにも意味深な内容だ。
「これはなんと、砂漠に隠された秘宝の在処を示しているの」
「まあ、ロマンですね! ですが、雷に撃たれたり、重さに沈むというのは……?」
「多分魔法のことだと思う」
 道中、彼らはサボテン(すなわちハリの大王)を見つけると、片っ端からサンダーを落としていた。その中の一つに、魔法を受けて白い光を放つものがあった。あれが正解だったのだろう。
「でも、本当に宝物なんてあるのかしら」
 懐疑的な声を上げたのは、タバサである。ペネ・ロペは痛いところを突かれ、
「う、うん。あのガーディさんが、唯一覚えていた記憶だもの。きっとあるわよ、ねっハルトくん!」
 リーダーは後ろを歩く少年を振り向いた。
「……」
 ハルトは必要最小限の動きで肯定した。
 ライナリー砂漠を焦がす日差しの下でも、ユリシーズは涼しい顔(仮面?)だ。
「楽しみだなあ〜砂漠の秘宝」
 すでに、はりいっぽんやズーのくちばしといったレア素材をたんまり見つけた彼は、わくわくしてしょうがないようだった。
「だったらあ、歩くけど……」タバサは口をとがらせた。「信じてるからね、ハルトっ」
 後輩は困ったように頬を掻いた。
 予想を遙かに上回る広さのダンジョンだった。ヘイストをかけてもかけても、目標にたどり着く前に効果が切れてしまう。キャラバンたちは、靴の中までじゃりじゃりにしながら、空の青と砂の黄の境目をひたすら歩き続けた。
「針の大王は、サボテンだったでしょ。旅宿も、さっき見つけた。岩の三兄弟もそれっぽいのを知ってる。キノコと花っていうのがよく分かんないなー」
 ペネ・ロペはブツブツ言いながら、必殺技ダブルショットでラミアを相手にしている。マギー奥さんの小型版で、時空魔法のストップとスロウを短い間隔で唱えてくる強敵だが、耐性のあるアクセサリさえ装備していれば問題ない。さらに、こちらには敵を上回る速度でクリアを詠唱してくれる味方もいるのだ。
 体に電気を帯びたエレキスコーピオンをブリザラで黙らせれば、戦闘は終了した。
「私、嫌な予感がしてきたんだけど」
「なあにタバサ」
「これってさ、目標が見つからずに、最後は野宿するパターンじゃない?」
 女性二人は顔を見合わせる。
「……なーに言ってるのよ! そんなわけないじゃない」
「そ、そうよねっ。ペネ・ロペさんの脳内地図はとっても正確だものね」
「おうともよ、任せておきなさい!」
 喋りながら全速力で走り出した前衛二人を、ケージ持ちのハルトと援護のユリシーズが必死に追走する。「あっ、待ってください!」フィオナも息を切らせて追いかけた。
「俺も別の意味で嫌な予感がしてきた」
「……」ハルトは渋い顔をして頷く。すでに足は棒のようだった。
 結局、徐々に後衛とフィオナが遅れはじめ、岩の三兄弟にもたどり着けないまま日が暮れて。ティパキャラバンは朽ちた旅宿(これはテントのことだった)の近くで、本当に野宿をする羽目になってしまった。
「ごめんなさいフィオナさん……本当に反省してます」ペネ・ロペは消沈した様子で深々と頭を下げた。
「いえいえ。お外での宿泊なんて、なんだかワクワクしますね。星もよく見えます」
 お姫様が前向きな性格で助かった。これで「ベッドでなきゃ眠れない」だの「下々の者と同じ寝床は嫌だ」だの駄々をこねられたら、たまったものではない。
 探索が長引くことは予想できていたため、食料や水の類に不足はない。道具の関係で、ユリシーズの手の込んだ料理を拝むことは出来なかったが、
「簡単な物になるけど、今晩はサンドウィッチだ。具材を用意したから、各自はさんでくれ」
 ニクの燻製を薄切りしたもの、ちぎった菜っ葉、牛飼いの家特製チーズなどなど。目の前に広がる色とりどりの食材を見て、フィオナは歓声を上げる。
「こんなお料理、お城でも見たことありません!」
「それは褒めてるのか……?」ユリシーズが苦笑する。もちろんですよ、と王女はまじめくさって答えた。
「うちのユリスの料理は大陸一だからね」
 ペネ・ロペは鼻息荒く「うちの」を強調した。
「いただきます」と全員で両手を合わせ、食べ始める。フィオナは実に幸せそうに咀嚼していた。王女という肩書きを取り払い、本来の性格のままにふるまっている。タバサとハルトはこっそり笑いあった。
 夕飯後、二人ずつ組んで不寝番をたてることになった。魔物のすみかのど真ん中なのだから、当然だ。
「組み合わせはどうするんだ?」
「あたしとハルトくん、ユリスとタバサでいいかな」
「了解よ」
「あのう、私もお手伝いします」
 おずおずとしたフィオナの申し出に、リーダーは笑って首を振った。
「いいわよそんなの。お姫様はゆっくり休んで」
「でしたら、はじめの方だけご一緒してもいいですか? みなさんといろいろお話ししたいんです」
 ペネ・ロペは仲間たちを見回す。首をかしげる、肩をすくめる、顎をなでるという、三者三様の反応が返ってきた。
「まあ……いいんじゃないかな」
 フィオナは笑顔の花を咲かせ、何度も頷いた。
 ランプの火を吹き消して、ユリシーズとタバサは先に眠りにつく。
 夜の砂漠は冷え込みが厳しい。残りの三人は焚き火を囲んで車座になった。
 ハルトはジャック・モキートに貰ったロードガウンを、フィオナの肩にかけてあげた。「ありがとう」王女がはにかむ。
 リーダーは率直な質問を投げた。
「そういえば、フィオナさんはハルトくんとどういう関係なの?」
「ど、どういうとは」戸惑うフィオナ。
「そのまんまの意味だけど。いつ知り合ったのかなって」
「ああ、それは……話してもいいですか?」
 思慮深い青眼を向けられ、ハルトはこっくり首肯した。
「私がハルトさんと出会ったのは、今年のはじめ、アルフィタリアでのことです」
 フィオナは落ち着いて語りはじめる。
 城下町では正体を明かさぬまま別れたが、その後すぐにハルトから手紙が届いた。彼は旅人の正体について、確信に近いものを抱いていたのだ。文通してダ・イースたちの目的を理解すると、ハルトはこっそりフィオナの旅を手伝うことにしたようだ。トリスタンと連絡をとって、ファム大農場脱出の手引きをしたのも彼だ。
 ペネ・ロペは目を丸くしていた。「そうだったんだ」
「はい。ハルトさんのお力添えがなければ、今ごろ私はここにいません」
 炎の照り返しを受けて、フィオナの頬がほんのり赤く染まる。
「やるじゃない、ハルトくん……ふわぁ」
 語尾にあくびが混じった。昼間頑張りすぎた反動で、睡魔がやって来たようだ。頭がぼんやりしてくる。
 王女は興奮して舌を動かし続けた。
「本当に、感謝してもしきれません。ファム大農場の時は、宿の部屋まで来てくれたんですよ」「へえ」「それで、マールキャラバンが待機しているから、村の外に出るようにと指示されました」「そう、なん、だ……」「キャラバン同士でここまで連携できるのですね。私、感銘を受けてしまいました」「えへへ……」
 ちょっぴり退屈な話が、眠気に拍車をかける。いつしか、ペネ・ロペは相づちを打つのも忘れ、立てた膝に顔を押しつけるようにして眠り込んでいた。
 ——彼女は夢の中でも、砂漠を歩いていた。ただし暑さは感じない。フィオナ抜きの四人旅のようだ。
 やがてオアシスを見つけ、キャラバンは小躍りする。
 ユリシーズが「水浴びをしてくる」と言って仮面に手をかけた。その下には何があるのだろう。ゆっくりと仮面を脱ぐ恋人を、彼女は固唾を飲んで見守っていた。
「なるほど。それではハルトさん……あなたは、その人を見殺しにしてしまったのですか」
 もやもやした夢の中に、鮮明な台詞が割り込んで来た。一気に目が覚める。今のはフィオナの声だ。
(な、なに? 聞いちゃいけない話だったかしら)ペネ・ロペは寝たふりを続けながら、忙しく頭を働かせた。
 ハルトが誰かを見殺しにした? 順当に考えるならば、黒騎士やデ・ナムのことになる。しかしここまで物騒な単語を使うほど、彼に非があるとも思えない。それに、この雰囲気——まるでティパ村の住人には教えられないような、秘密の話をしているようだ。
「打ち明けてくださって、ありがとうございます。あなたの心の負担が、少しでも軽くなればいいのですが」
 王女の声は真剣で、熱がこもっていた。
「さあ、ペネ・ロペさんを起こして、後半の二人と交代しましょうか」
 眠るどころかしっかり聞き耳を立てていた。ペネ・ロペは跳ね起きる。
「ひゃっ!? お、おはよう」よだれを拭う仕草は余計だったろうか。ハルトは穏やかに苦笑している。
「まだ朝ではありませんよ。では、お先に失礼します」
 タバサたちを起こしに行く二人を、ペネ・ロペはまぶたをこすりながら追いかけようとする。
「ありゃ。忘れ物だ」
 先ほどまでハルトの座っていた場所に、大判の本が落ちていた。好奇心がむくむくとわき上がる。
 拾ってみると、それはおとぎ話の本だった。マール峠に立ち寄った時、話題になったものだ。ダンジョンにまで持ってきているなんて……。
 子供っぽい趣味だなあ、とペネ・ロペはにやけながらページをめくる。
 ——遠い遠い昔、世界が瘴気のない楽園だった頃、『姫』は人の思い出の輝きを集めてクリスタルの輝きに変えていました。
 ある日、天より夜這い星が下りると思い出は輝きを失い、クリスタルの光も失せてやがて闇に満ちた世界に『魔』が生まれました。
 生まれたばかりで腹ぺこだった『魔』がどんどん闇を食べていくと、その後には魔物が残されました。
 魔物たちが思い出を黒く塗りつぶして回るとそうして出来た闇を、また『魔』が食べてさらに魔物を増やしてしまいました——。
 ん? とペネ・ロペは首を傾げる。『姫』や『魔』といった存在はいかにも作り話めいているが、夜這い星の飛来も魔物の出現も、史実通りの出来事だ。
 忘れ物に気づいて戻ってきた後輩に、
「ハルトくん、この本落ちてたよ」
「〜っ!」
 彼は顔を真っ赤にした。
「大丈夫よ、タバサみたいにいじめたりしないから。
 ねえ……これ、どうして持ってきたの?」
 ハルトは答えず、下を向いた。
「うーん。キミはこの話を、単なるおとぎ話じゃないって思ってるんだよね」
 マール峠でラシェと会話した時、ペネ・ロペは「おとぎ話の怪物なんていない」と断言し、ハルトの恐れを笑い飛ばした。けれど、実際の文面を確かめてみると、絵空事とはとても思えない。一考する価値があるのではないか。
「……」彼は否定も肯定もしない。
 かたくなに沈黙を守る後輩を見て、ペネ・ロペの胸に寂しさが宿る。
「やっぱり。あたしたちには言えないことがあるんだね」
 ハルトは辛そうに顔を歪める。
 対照的に、リーダーは翡翠色の瞳を優しく細めた。
「だったらあたしの勝手な推測、話してもいい?
 ハルトくん。キミは、思い出をとっても大切にしている。その理由には、このおとぎ話が関わってる。そうじゃないの」
 去年ファム大農場でクラリスが告げたこと——あいつは声を失ってから、思い出にこだわるようになった——がペネ・ロペの頭にこだまする。
「クラリスがキミのことを大切にする理由、分かったよ。キミは他人を否定しない。何でも受け入れて、辛いことだって記憶に刻みつける。でも、どこか深いところでは他人を拒絶している……。それが、思い出やおとぎ話、ガーディさんに関わることなんじゃないの」
 早口で言い切ってから、彼女はいったん息を吸った。
「でも、やっとこれだけ打ち解けられたんだもの。何も話してくれないと、あたしたちもちょっと寂しいかな。一番寂しがってるのは、クラリスだと思うけど」
 星空を見上げ、ほとんど独り言のように呟く。
「キミには、家族がいるんだから。辛いことを一人で背負わなくてもいいのよ、きっと」
 リーダーの金髪が夜空に明るく浮かび上がった。
 ここまでかたくなに隠し通し、家族にも告げない真実とは、一体何なのだろう。今までの行動から推測できるのは、やはり彼が崖から落ちた「あの日」が鍵となること——ただそれだけだった。
 二人は共にキャラバンとして試練をくぐり抜け、先々で起こる悲劇を胸に刻んだ仲だったけれど。ある意味で、彼女はまだまだ信頼されていない。
(なら、もっと信じてくれるまで、旅を続けるまでよね)
 ペネ・ロペは寂寥を押し込め、あえて前向きに考えた。
 星の光を浴びて、心細そうに膝を抱えるハルトが、どうしようもなく愛しく思える。自分を導いてくれる恋人も、最近悩みを振り切った様子のタバサも。みんな、家族のように思えてしまう。
 彼女は無造作になびくハルトの髪の毛をぐしゃぐしゃとなでた。
「砂漠の秘宝、絶対見つけようね!」
「……!」
 ハルトはこくんと頷いた。



 翌日、フィオナは元気に起き出して来て、キャラバンへ意外なことを申し出た。
「私にも何かお手伝いさせてください。良ければ、クリスタルケージをお持ちします」
「うーん……ケージの近くは戦場の中心にもなるから、結構危ないのよ?」
 それに、聖域の位置によって戦いやすさが格段に変わる。その点ハルトは抜群の感覚を持っているのだが。
 渋るペネ・ロペに、タバサが胸を張る。
「それなら安心しなさい、フィオナ姫は私が守るわ」
「タバサさん……!」
 麗しい友情が交わされるのを尻目に、ハルトはしぶしぶケージを渡した。
「ありがとうございます」フィオナは可憐な笑顔をこぼした。
 サボテンにサンダーを、朽ちたテントにグラビデを、キノコ岩にファイアを、岩の三兄弟にブリザドを。ハーディの詩のとおりに行動した結果、砂漠の入り口付近に戻った一行は、そこに咲き誇る真っ白な花を発見する。
「わあ、綺麗」
 タバサはここが戦場だと言うことも忘れて、束の間うっとりした。
「『聖なる光』だから、これにホーリーをかければいいのよね。ふたりとも、よろしく」
 ユリシーズとハルトはすぐにマジックパイルを発動させた。
 聖なる光を浴びた花は、見覚えのあるものに変化した。
「ホットスポット!」
 色は砂漠を照らす太陽のような白。これがガーディの示した秘宝の正体だ。
 フィオナは四人の視線を浴びて、おそるおそるケージを台座に置いた。
 クリスタルが宿したのは無色の光——すべての色を混ぜ合わせた、何ものにも染まらない色。
「この光、どこかで見たことあるわ」
 タバサは首をひねる。ペネ・ロペはぽんと手を叩いた。
「そうだ! 二年前、ハーディさんの紫の石で、瘴気ストリームを突破した時の」
「ってことは、もしかしてこのケージさえあれば、どんな属性の瘴気ストリームも通れるの?」
 考えると、胸がドキドキしてきた。
「それだけじゃないぞ。レベナ平野の先に行ける可能性もある」
 ユリシーズの発言に、全員がはっとする。
 大陸をゆくキャラバンなら、存在を知らぬ者はいない。レベナ平野の西の端にある、属性不明の瘴気ストリームのことだ。未だかつてその先を見た者はいないという。
「あの先へ行ける……」
 誰ともなしにそう呟いた。四人の目はきらりと輝く。大なり小なり旅を愛するキャラバンにとって、前人未踏の地ほどわくわくするものはない。
 ペネ・ロペは仲間たちの顔を順繰りに見た。
「ねえみんな。ティパの村に帰って、水かけ祭りが終わったら、行ってみない?」
 世界の果てへ。仲間と一緒に。
 このメンバーで冒険するのは、もう三年目になる。その間に彼らは大小様々な困難を克服し、秘密を分かち合う、一つの共同体になっていた。クリスタルキャラバンの使命から解放された、自分たちのためだけの旅——ペネ・ロペの提案は喜んで受け入れられた。
 しかし、彼らは分かっていた。果てを見てしまえば、世界の神秘はどこにもなくなる。一抹の寂寥はひっそり心に残った。
「あのー、みなさん……」
 おずおずとした声を聞き、四人はやっとフィオナの存在を思い出した。王女は不思議そうな顔をしている。キャラバン以外の人には、なかなか理解できない感覚だろう。
「あ、ごめんなさい」
「もう目的は達成したもの。やっとミルラの木へ向かえるわねっ」
 余計な寄り道をする必要は無い。一行は、ペネ・ロペの示す方角にまっすぐ向かった。
 快進撃を続ける彼らの前に、サボテンに足の生えた魔物サボテンダーと、ボス級の巨体を持つ怪鳥ズー、それにラミアの団体が現れた。嫌な組み合わせだ。
「うげっ。フィオナさん、とりあえずケージ置いて」
「はい!」
 王女は言われたとおりにし、戦闘の邪魔にならないように後ずさった。すると突然、足がずぶりと地に沈んだ。
「きゃっ」掴めるものなど何もない。そのままフィオナの体は重力に囚われ、すり鉢状になった砂の中に呑み込まれていく。
「!」
 窮状に気づいたハルトが王女に駆け寄り、手を伸ばした。
「危ないッ」
 タバサの叫びと同時に、ズーの巻き起こした突風が吹き抜けていく。間一髪でハルトがフィオナをかばうように覆い被さったが、いよいよ二人は砂に沈んでしまった。
「フィオナ姫!」
 ユリシーズはラミアと詠唱速度を競いながら、
「流砂に呑まれたか。ペネ・ロペ、どうする」
「フィオナさんはショートクリスタルを持ってるわ。ハルトくんもいるし、短時間なら何とかなるはず。ひとまずここを片付けてから、追いかけましょう」
 一方、砂まみれでどこかにたどり着いた二人組は、途方に暮れていた。相変わらず目の前には青空と黄色の大地が広がっているけれど、先ほどまで至近距離で聞いていた戦闘音はない。
「はぐれてしまいましたね」
 フィオナは力なく笑い、服の砂を払い落とした。ハルトは肩をすくめ、さっさと立ち上がる。そのまま歩いて行きそうになるが、
「ショートクリスタルの聖域は、ケージのものより狭いのです。なるべく離れずに行動した方がいいと思います」
「……」
 王女はそう言って、ハルトの隣に立った。背は彼女の方が少しだけ高い。
 二人はひとまず硬い地面を探すことにして、砂漠を探索し始める。
「あの、改めてお礼を言わせてください。ファム大農場でのお力添え、本当にありがとうございました。ハルトさんのおかげで旅を続けられました」
 無言で見返す少年。フィオナはどきっとする。
「それで、えっと……」
 ハルトはしいっと唇に手を当て、剣の柄に手をかける。
 巨大な頭に渦巻く角、胴体からは長い尾を生やした魔物。強敵キマイラが迫っていたのだ。



 ティパの三人が現場に駆けつけた時、ぎりぎりハルトは持ちこたえていた。
 彼の背中にかばわれたフィオナは、泣きそうな目で振り返る。
「みなさん!」
 彼女はハルトに渡されたケアルリングを握りしめている……が、武の民だけあって魔法は得意でないのだろう。肝心の彼は傷だらけだった。
 タバサが走る。彼女の到着によって前線はすぐさま交代された。少年は下がりながらブリザドを唱え始める。
 すれ違いざま、タバサが地を蹴った。合体攻撃が完成し、冷気をまとった槍がキマイラ目がけて突き出される。氷の粒子が魔物の体をえぐった。スムーズすぎる荒業に、フィオナは声もない。
「はい、一丁上がり」さらに群がってきたラミアを捌き、ペネ・ロペはラケットを肩に担いだ。
 戦闘は終わった。フィオナは真っ先にハルトに駆け寄る。
「ごめんなさい……なんにもお役に立てなくて」
 少年は首を振り、ケアルリングを返して貰った。もちろん自分で回復するために。味気ないが、結局これが一番確実なのだ。
「さあ、休んでる暇はないわよ。ミルラの木の前でアントリオンが待ってるわ」
 ペネ・ロペが後輩の肩を軽く叩く。ハルトは彼女と一緒に歩いていった。ケージがない分身軽だ。
 その後ろ姿を眺めながら、タバサは隣のフィオナに訊ねる。
「あいつ、キマイラ相手にフェニックスの尾使ってた?」
「いいえ……」
「ふうん。そのくらいは強くなったのか」
 ジャック・モキートの館での一件といい、セレパティオン洞窟での合体攻撃といい、着実に力をつけたようだ。後輩の成長を認めることは素直に心地よくて、タバサは唇の端を釣り上げた。
「ハルトさんって、不思議な方ですね」
 心なしか、フィオナの瞳には憧れの灯がともっている。タバサは嘆息した。
「不思議っていうか、相当面倒な奴だけど」
「そんなことありませんよ。あの人の背中に守られていると、クリスタルのそばにいるように安心出来ました」
 タバサは唇を噛んだ。
「クリスタル……か」
 確かに似ているのかもしれない。だが、彼女は知っていた。水晶のようにぎゅっと固まったハルトには、ひどく弱い部分がある。
「あの大クリスタルだって、隕石がぶつかったら壊れたのよ。あいつも、変なところでつまづかないかしら」彼女なりの心配が見え隠れする。
「ハルトさんなら、きっと大丈夫ですよ」
「だといいけどね」
 無邪気に信頼を寄せる王女とは正反対に、タバサは何故か不安に駆られた。
 五人はやがて、砂丘の頂上にたどり着いた。向こうは低い崖のようになっており、下りた先には柔らかそうな円形の砂地が広がっている。
「多分、あそこにアントリオンが出てくるのかな。それじゃ、フィオナさんはここで待っていてね」
 運んで貰ったケージを受け取り、ペネ・ロペは仲間たちに向き直る。ライナリー砂漠を攻略するのは初めてだったが、積極的にキャラバン同士で情報交換をしていたおかげで、ボスの対処法は頭に入っていた。
「アントリオンは、とにかくハサミでの攻撃が厄介ね。正面に立つのは極力避けて。
 おとものスコーピオンに刺されたら毒をもらうし、アントリオン自身は石化ブレスも吐いてくるわ。アクセサリで防御できるならしておいてよ。あたしができるだけ攻撃を引き付けるから、タバサは後ろに回り込んでちょうだい」
 白色のクリスタルケージは、他の色の時と違い、属性攻撃に対する保護はしてくれないらしい。これはちょっとした難点だった。
 キャラバンの四人はジャンプして崖を下り、砂地の中心へ向かう。
「お気をつけて」
 崖の淵に立って、フィオナはそっと手を振る。「任せておいて」という風にタバサは槍を持った右手を上げた。
 地面が激しく揺れ出した。キャラバンが足を踏ん張った時、ついに砂の中から巨大なアリジゴク——アントリオンが姿を現した。
「散って!」
 大きな顎に、破壊的な曲線を描くハサミを持っている。あんなに大きなハサミで切られたら、一撃で昇天だ。とにかくバラバラに別れて動き、まとめて攻撃を受けないように立ち回る。
 タバサはひたすらアントリオンの背後を狙った。彼女を追いかけるように、ケージを持ったハルトが円を描いて回る。
 正面側を担当するペネ・ロペは、落ち着いていた。「よっと」石化ブレスを予期してバック宙する。
「うわ」
 すると、後ろにいたユリシーズがブレスをモロに浴びてしまった。体が石に囲われて、身動きが取れなくなる。ハルトはすぐさまクリアを詠唱した。
「すごい……」
 フィオナは崖の上で感嘆の息を吐く。アントリオンの猛攻に対して、キャラバンは立派に善戦していた。あの勇気はどこから湧いてくるのだろう。
 ペネ・ロペは毒をもったしっぽの攻撃を回避しながら、手早くスコーピオンを処理した。
「あと、ちょっと!」
 タバサが槍を振るった。目にみえてボスの動きは鈍くなっている。
 不利を悟ったアントリオンは口のあたりに電撃を貯め始めた。キャラバンはすぐに回避しようとしたが、
「!」「きゃああっ」
 間髪入れずサンダーストームが放たれる。サンダガに匹敵する威力だ。おまけに範囲も広い。十分離れた位置にいたタバサまで、痺れに膝をついた。雷耐性アクセサリはつけていなかった。
 急転直下で苦境に立たされた。なかなか衝撃から復帰できない四人へ、アントリオンが迫る。ハサミが鈍く光った。
「大変!」
 気がつけばフィオナは走り出していた。腰の直刀を抜き放つと、躊躇なく崖から空中に躍り出る。
「フィ、フィオナ姫!?」
 タバサの叫びを聞き流し、武の民の王女は狙い過たずアントリオンの頭上に着地した。
「はあッ」気合いと共に剣を突き刺す。
 耳をつんざく悲鳴が上がった。「やった」とフィオナが頬を緩めた瞬間、最期の力でアントリオンが頭を振る。彼女は宙に投げ出された。
「——!」
 黄色の大地が視界に飛び込んでくる。王女はぎゅっとまぶたを閉じた。
 覚悟していた痛みはなかった。代わりに、何か柔らかいものを下敷きにした感覚があった。おそるおそる、目を開ける。
「ハルトさんっ!?」
 いち早く行動した少年が、落下地点で待っていたのだ。見事に彼女の体で押しつぶされている。フィオナは顔を赤くして立ち上がった。
「ご、ごめんなさい」格好つけてトドメを刺したのに、しまらない最後だ。
 砂まみれになったハルトは決まり悪そうに頭を掻いた。
「もう。私だったら絶対にキャッチ出来たのに」
 タバサは不満げに唇をとがらせた。彼女もフィオナを助けようと走ったのだが、追い抜かされたのだ。
 いつの間にか、アントリオンは姿を消していた。
「フィオナさん、すごかったよ今の」
「ああ、かっこよかった!」
 痺れから復活した仲間たちがまわりに集い、口々に感想を言う。
「まったく。お姫さまだってのに無茶をして〜!」
 ひとり眉を吊り上げるタバサへ、
「私だって半分は武の民ですもの」
 フィオナは艶然と微笑んだ。リルティの少女はあっけにとられ、やがて諦めたようにかぶりを振った。
 アントリオンから抜け落ちた剣を拾いに行こうと、王女は足を踏み出す。
「あ、うっ」
 途端に痛みが走った。「大丈夫か?」ユリシーズが駆け寄る。
「すみません。アントリオンから飛び降りた時に、足をひねったみたいです」
 との発言を聞き、ハルトは即座にケアルリングをかざした。緑の光が指からあふれる。
 しかし。
「……うう」フィオナは辛そうだ。
 魔法は、こういった怪我には弱い。内部の炎症を抑えることはできるのだが、切れた皮膚を治す場合に比べると、明らかに効き目は薄かった。
 ハルトは困ったようにユリシーズを見る。魔法に関しては、ユークの彼に一日の長がある。大きく頷くと、先輩は命令した。
「仕方ない。ハルト、お前が肩を貸してやれ」
 王女はうなだれた。「すみません……」
 ペネ・ロペは「まあまあ」と彼女を励ます。
「フィオナ姫、うつむいてたらもったいないよ。これからが本番、ミルラの木とのご対面なんだから!」
 アントリオンが消え、砂の引いた先に、岩で出来た天然のトンネルが現れる。影から吹いてきた涼風が、ティパキャラバンの肌に浮かぶ汗を乾かした。
 柔らかな砂を踏みしめて、五人は水晶のような葉を持つ木へ歩み寄る。
「まあ……」
 フィオナは目を見開いたまま黙り込んだ。ハルトは彼女と一緒にケージを運び、台座に置いた。
 ミルラの葉先がうるうると光り、雫がケージ目がけて垂れてきた。その様子を、フィオナは一番近いところで眺めていた。
 これで、今年の任務は完了だ。キャラバンの間に笑みがこぼれた。
「やっと終わったな〜」
「さあ、村に帰ろう!」
 フィオナはハルトに体重を預けながら、まぶたを閉じて、先ほど出来たばかりの思い出を反芻していた。
「私、とても嬉しいです。お父様も知らない光景を、この目で見ることが出来たのですから。キャラバンの方がひるまず魔物に立ち向かう理由が、少し分かった気がします」
 そう、リルティの王族ともなれば、キャラバンとして旅に出ることはない。もしかすると、彼女は一族で初めての経験をしたのかも知れない。
「お父様にこのことを話したくて仕方ありません。素敵な思い出は、持って帰るためにつくるのですね。帰る場所があるから、日常を愛しているからこそ、私たちは旅に出る。決して何かから逃げるためではない……。
 あなたに『言われた』通り、私も旅が大好きになってしまったようです」
 フィオナはにっこりした。ハルトは不思議な心地になる。まるで自分の考えを代弁されたようだった。
「お手紙クポー!」
 暑さにも負けず、モグが郵便配達にやってきた。
「あれ、毛が少ない。刈ったの?」タバサが驚けば、
「砂漠仕様クポ」
 モグはえっへんと咳払いする。
 一方フィオナは、モーグリと共にやってきた人物を見つけて目を丸くした。
「クノックフィエルナ!」
 なんと、姫を追いかけてはるばる砂漠の奥地までやってきたらしい。侍従長はハルトに寄りかかるフィオナを見て、目を吊り上げる。
「姫様、お怪我をなさったのですか!?」
「ええ……ですが、これは私の不注意です。みなさんに非はありません」
「どちらかというと、俺たちが助けられたような気もするが」とユリシーズが都合の悪いことを口走ったので、ペネ・ロペが笑って誤魔化した。
 姫の懸命な説得の末に不承不承頷いたが、クノックフィエルナは「せめてワタクシの肩を使ってください!」と言って聞かない。
「体格差的に無理でしょ?」
 タバサがペネ・ロペを運ぶようなものだ。こうして、当初の予定通りハルトが手助けすることになった。
 フィオナは上気した頬をほころばせ、
「みなさん、本当にありがとうございました」
「さっきからその言葉ばっかり。恥ずかしいじゃない」タバサは苦笑を返す。
「感謝されて当然だろ。もはや表彰ものだよな」
 おどけるユリシーズに、カタブツ侍従長の鋭い視線が突き刺さる。
 フィオナは目を輝かせた。
「そうです! この度のお礼に、みなさんをお城に招待しましょう」
 ティパ一行は不意を打たれた。アルフィタリアのお城に、キャラバンが招かれる? 前代未聞だ。
「晩餐会を開きます。キャラバンのお仕事が落ち着いた時期に……」
 お城での晩餐会! 乙女なタバサはロマンチックな光景を頭に描き、恍惚とする。
「そうしたら、またタバサさんに会えますよね」
 フィオナに微笑みかけられて、少女の心臓は跳ねた。
「うん——!」
 旅人たちは、それぞれの思いを抱えて家路についた。自分が居るべき場所、照らし出すべき場所へ。

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