第四章 春を告げる者



「ふうん。ティパの村がどんな場所かは、だいたい分かったよ。で、その後はどうしたの?」
 カーバンクルが訊ねる。体格に反して可愛らしい声だ。
 闇の中に繭が点々と浮かび上がっている。おとぎ話の町マグ・メルで迎えた夜は、薄ぼんやりとして幻想的だった。
「次は、タバサの番よ」
「えー私? 話すことなんてないわよ」
 膝に載せた真新しい槍をさすりながら、唇をとがらせる少女。
「その槍の話なんかどうだ」ユリシーズが楽しそうに言った。
「はいはい、話せばいいんでしょ」
 タバサは肩をすくめた。
 ……彼らは去年と同じように金色の瘴気ストリームを抜けて、デスポア大森林にやってきた。マグ・メルに寄り道したのは、置いてけぼりにしてしまったスティルツキンに会うためだ。そこでは旅好きモーグリだけでなく、長い眠りから覚めたカーバンクルたちが待っていた。
 一年にわたるスティルツキンの努力によって心を開いたカーバンクルたちは、意外とおしゃべり好きだった。キャラバンは話をせがまれて、ここにやってきた経緯を代わる代わる語った。
 数週間ほど前、勇んでティパの村を出発した時の話。そして今度は、道すがら立ち寄ったマール峠の話だ。
「そもそも、私は知り合いに呼ばれて行ったんだけどね——」



 マール峠はいつも通り、のどかな宿場町の顔をしていた。初めて見た時から何も変わらない光景。いや、クラヴァットの老人セシルはもういない。蔓延していた風邪は駆逐され、なんとなく明るい機運が高まっている。親しみが湧いた分、見える景色もより鮮明になった。
 入り口のあたりでティパの馬車が止まる。タバサはぴょんと地面に降り立った。
「ここに用があるの?」ペネ・ロペが御者台から話しかける。
「うん。大して時間は掛からないはずよ。なんかね、ロルフがこっちに寄って欲しいって言ってたんだけど……」
 彼女はあたりを見回した。真っ昼間だというのに、往来には誰もいない。
(おかしいわね)そこかしこから視線を感じた。まるでたくさんの観客が、舞台上を注視しているような——
 噂のロルフ=ウッドが向こうからやって来た。
「た、た、タバサ!」
 たった三文字の名前で噛んでいる。肩がぶるぶる震えていた。
「どうしたのよロルフ。用ってなに?」
「こっこれ!」
 持っていた槍を差し出された。ぱっと見ただけでわかる、精巧な作りだ。抜群に切れ味の良さそうな刃が光っている。タバサは反射的に受け取った。
「うわ、すごい出来じゃない。もしかして私にくれるの?」
 ロルフは真っ赤な顔で首肯した。いつの間にか、周りには同じくマールキャラバンのルッツ=ロイスとライン=ドットがいた。
「がんばってリーダー!」「男を見せろーっ!」
 一体何の集まりだろう、とタバサは冷や汗をかく。ペネ・ロペたちも後ろから興味深そうに観察していた。
 緊張しすぎて、ロルフは仲間の姿すら目に入らないようだ。まっすぐに彼女だけを見つめている。
「実はそれ、アルテマイトを使ってつくったんだ」
「アルテマイト! 幻の鉱石じゃない。そんな貴重なものを……私のために?」
 こくこくと頷くロルフ。タバサは頬をバラ色に染めた。
「ありがとう!」
 彼は感無量という表情になった。あらためて深呼吸し、一番大事な台詞を口にする。
「これを渡すからには、ちゃんと帰ってこいよ。その時は——」
 不意に口をつぐんだ。タバサにも、彼の言いたいことが分かってしまった。
 束の間、沈黙が下りた。
「分かってる、全部終わったら真っ先に……マール峠に行くから」
 押し殺した声でタバサが答えた。
 固唾を飲んで見守っていた聴衆にも、ほっとした雰囲気が漂う。
「ほらほら、野次馬は解散ー!」
 その筆頭たるルッツが手を叩いて追い散らした。
 口々に文句を垂れながら、見物人たちがばらばらになる。中には宿屋のヒュー=ミッドまでいた。ペネ・ロペも苦笑いして馬車ごと引き返そうとした、が。
「あれは?」
 ちょうど東のトンネルをくぐってきた黒塗りの馬車は、アルフィタリアのものだ。
「ハルトさん!」
 そして男所帯のアルフィタリアキャラバンにはあり得ない、高い声が響いた。幌から飛び出てうさぎのように駆けてきたのは、フィオナ姫だった。
「えっ」ペネ・ロペは驚いてハルトを見やる。彼は「しまった」という顔をしていた。
「待てど暮らせど来てくれないので、こちらから出向いてしまいましたよ」
 フィオナ姫は口をとがらせた。キャラバンの先輩たちにもじっとりとした視線を受けて、ハルトはうろたえた。
「……というのは冗談です。西岸を目指すならアルフィタリアは寄り道になりますものね。
 さて、お約束通り持ってきましたよ」
 王女が掲げたのは、何かの動物を模した盾だった。
「チョコボシールドです。クラヴァット族に伝わる、伝説の防具だそうですよ。かつて戦乱の時代、アルフィタリアへ献上されたものだとか……」
「へええ! チョコボって、伝説の鳥だよな。黄色い羽が全身に生えていて、空を飛ばずに地を駆けたという——」
 珍しいものに目がないユリシーズは、仮面からよだれを垂らさんばかりに凝視している。
「やったね、ハルトくん」
 ペネ・ロペが笑いかけた。ハルトはじわじわ表情をゆるめた。
「ところでフィオナ姫、タバサとお話ししていかなくてもいいんですか?」
 彼女はタバサと特別仲良くしていたはずだが。
「ええ……なんだか、お取り込み中のようですし」
 ロルフと親しげに会話するタバサを、王女は少し寂しそうに眺める。と、タバサが視線に気づいて振り返った。
「フィオナっ!」相好を崩してその名を呼ぶ。
 喜んで駆け出した王女と入れ替わりに、黒鎧を着込んだリルティが馬車から降りた。
「ソール=ラクトさんじゃないですか!」
 ペネ・ロペは驚いた。子供が出来てキャラバンを引退した、とクラリスから聞いていたのだが。
「久しぶりだな、ティパキャラバン」
 彼は小さな体に父としての貫禄を漂わせていた。自然とこちらの背筋も伸びてしまう。
「あ。もしかして、あたしたちのために来てくれたんですか?」
「もちろんだ。瘴気を晴らすと聞いて、居ても立ってもいられなくなった」
「うっ……わざわざありがとうございます」
 ソールは、ペネ・ロペがティパ村を出て一番最初に遭遇した旅人だった。厳しいけれど面倒見のいい彼に、何度もお世話になった。彼の紹介でスティルツキンとも出会えたのだ。
 家族でも友人でもない人に見送られるのは、また違った感慨が湧いてくる。
 ソールはくるりとハルトの方を向いた。
「ハルト殿、頼みがある。どうか、黒騎士の敵をとってくれないか」
 少年ははっとした。ハルトが二年前のファム大平原で黒騎士の最期を看取ったことを、ソールは覚えていたのだ。
 ハルトは神妙な顔で頷いた。
 別れ際、フィオナはあたたかい目でキャラバンを見つめ、見送りに来た人々全員を代表してこう言った。
「私たちにはこんなことしか出来ませんが……応援しています」



 今、ハルトの手元には誇らしげに輝くチョコボシールドがある。マグ・メルの暗闇にも負けないきらめきだ。
「その次のファム大農場もすごかったよな」
 カーバンクルの頭にくっついたルビーを眺め、ユリシーズが言った。
「シューラたちとアミダッティ、それにルダキャラバンまで待ってくれてたのよね」
「まさか、ヒルダが根回ししてたなんて……」
 タバサは親友の所業に呆れ返っていた。あの商人見習いは全く恐ろしい行動力を持っている。彼女は大陸中に行き渡ったペネ・ロペの手紙を補足するように、各村のキャラバンへ具体的な協力を頼み込んだ。「キャラバンに投資する」という発言には、こういう意味もあったのだ。
「あたしが一番嬉しかったのは、シェラキャラバンのプレゼントかな」
 ペネ・ロペはとろけそうな笑みを浮かべた。
 馬車の一角にどっさり積まれた紙束。それは代々シェラの里に伝わる、門外不出の貴重な資料だった。内容は、ヴェレンジェ山の魔物情報だ。四人の間では既に何度も回し読みしている。
「ハルトはファム大農場からしましまリンゴもらってたしな」
 そのせいでますます荷台が重くなった。文句一つ言わず働いてくれるパパオに感謝だ。
 ペネ・ロペはおかしそうに肩を揺らす。
「ダ・イースたちは、なんかセルキーらしかったよね。『とにかく応援だけしに来た』って言ってさあ」
 それでも十分だった。そう、彼らを何より喜ばせたのは、ただ「行ってらっしゃい!」という声援をもらえたことだった。
 四人はそこで、一端言葉を切る。
 カーバンクルは木の実のような目でクリスタルケージを眺めた。
「……それが、今のクリスタルキャラバンなのか。みんな、大昔に僕らが教えたことを、今も忘れないでいたんだね」
「どういうことですか?」
「そのケージは、かつて瘴気が世界に蔓延した時、僕らが人々に渡したものなんだ」
「じゃあ、あなたたちは二千年前からずっと生きてるってこと!?」
 タバサは仰天した。おとぎ話にカーバンクルやマグ・メルの名が残っていたことは、ほとんど奇跡だったのだ。
 小さな生き物たちに驚きが広がるのを見て、カーバンクルは愉快そうだ。
「そうだよ。と言っても、相当な時間を眠って過ごしたけどね」
 ペネ・ロペは姿勢を正し、緑の生き物を見上げた。
「あの……そろそろ、カーバンクルさんの知ってることを教えてくれませんか」
 カーバンクルは大きな頭を縦に振って、
「もちろんそのつもりだよ。
 遙か昔、この世界には大きなクリスタルがあったことは知ってるね」
「はい。夜這い星がぶつかった衝撃でクリスタルは砕かれ、世界に瘴気が広がったと伝わっています」
 ユリシーズがすらすら答える。
「なら星が落ちてくる以前、大クリスタルを潤していたものはなんだと思う?」
「え。やっぱり、ミルラの雫……ですかね」
「そう。命の雫は、人々が自然に忘れていった思い出からつくられた。そして、その光によって世界は照らされていたんだ。人々は生活し、また思い出を残していった」
 ミルラの雫をつくるのは、おとぎ話の姫の仕事だ。クラリスによると、この世ならぬ場所に実在する思い出の管理人・ミオこそが、その姫だという。
「でも、星が落ちてきてから命の雫がクリスタルを潤せなくなった。大きな流れが途切れたんだ。
 飛び散ったクリスタルは瘴気を寄せ付けなかったが、命の雫が必要だった。……キャラバンのはじまりだ。
 君たちが雫を手にするミルラの木——ミルラとは、元は『命』を意味する言葉だったんだ。でも、いつしか人々は永く続く時の中で、それが何を意味するのか忘れてしまった」
 クリスタルキャラバンの役割とは、人々の命を繋ぐこと。そして求める雫は命そのものだった。ここにも循環があった。
「星が落ちてきてから、以前の記憶をなくしたり、思い出せなくなったりする人が増えていった。人々は瘴気のせいだと言い、思い出を忘れることのないように日記や手紙に頼るようになった」
 ハルトは苦しげに胸を押さえる。記憶を残すため日記をつけ始めた彼と、太古の人々の行動はそっくり一致していた。
「辛いキャラバンの旅、なくしていく思い出、消えていった村々、死んでいく人々……。そして僕らは考えた。思い出を残す生き方は、実はとても苦しくて辛いだけじゃないか、と。
 体内にクリスタルを持つ僕らは、以後、何もしない生き方を選んでいったんだ。思い出がなければ、辛い思いをせずにすむから」
 タバサはそっと後輩を盗み見る。ハルトがカーバンクルと同じ立場なら、きっと別の生き方を選んだだろう。記憶を残すことを諦めず、あくまで抗い続けた彼は、ある意味でとても心が強かったのではないか……。
 カーバンクルは笑顔に似た表情を作る。
「でも、スティルツキンから君たちの話を聞いて、考えが変わってきたよ。そもそも瘴気そのものが悪夢のはじまりだったんだ。
 ここまで来た君たちなら、分かってるかも知れない。大きな星の落ちた跡に、全ての謎がある。
 君たちならやり遂げられる。この世界を、かつての明るく照らされていた頃に戻すことが出来るはずだ」
 きっぱりと断定した。二千年という長い時間をまどろみの中で過ごした彼らも、ティパキャラバンから大きな影響を受けたのだ。
 カーバンクルは宙に投げていた視線をふっと落とした。ハルトの方へ。
「君の目……とても綺麗だね。大クリスタルがあった頃の星空を思い出すよ」
 大きなまなこに映った自分を見て、彼はどぎまぎした。
「もう一度、そんな空を見せてあげるわよ」タバサは自信満々に言い放った。
 その夜はみんなで星を眺めながら眠りについた。
 翌朝。彼らはカーバンクルたちに見送られ、馬車に乗り込んだ。
 スティルツキンはここで彼らの帰りを待つらしい。
「瘴気のこと、期待してもいいよな?」
「もちろんです!」
 ペネ・ロペはガッツポーズをした。さあ、決戦の時だ。



 瘴気に覆われ異様に暗くなった空は、本当にティパの空と繋がっているのだろうか。嫌な湿気を含んだ風は、本当に海で生まれたのだろうか。そんな疑問を抱いてしまうほど、このヴェレンジェ山は現実離れした場所だった。
 ペネ・ロペは装備を調え、ごくりと唾を飲み込む。
「いよいよね……長丁場になりそう。気合を入れていきましょう」
 もはや言うまでもない。持ち込むものも身につけるものも、ヒルデガルドの徹底したサポートを受け、村の知識と技術の粋を集めたものだった。
「悪いけど、パパオはここで待っててね」
 リーダーは青い体毛をなでてやった。まさかクレーター内部に連れて行くわけにもいかない。
「時間はかかるかもしれないけど、必ず帰ってくるわ」
 ダンジョンを出て真っ先に「ただいま」を言う相手は、いつだってこの動物だった。パパオは軽くいななく。きっと心は通じただろう。
「今回は、とにかく生き残ることを重視して。特にハルトくん、あなたは何が何でも逃げ延びるのよ」
 二つのリングを持った彼はキャラバンの生命線だった。この日のために、彼は大陸中のフェニックスの尾をかき集めて来た。
「行きましょう!」
 四人は一丸となって山に挑んだ。
 武器を持つシェード、魔法生物スフィア、キマイラにデスナイト。凶悪な魔物たちは、出くわす度に一体ずつ確実に撃退した。シェラキャラバンのおかげで、弱点はもう分かっている。
 戦いの渦中でも、ペネ・ロペの目は鋭かった。
「ユリス! ダーククリスタルを」
 前回苦しめられたあの結晶は、ケージ聖域が触れない限り効力を発揮しないらしい。見つけ次第、魔法や必殺技を使って壊した。ハルトはほの光る紫の欠片を、複雑な目で見つめていた。
 キャラバンは記憶を辿って慎重にクレーター内部を進んだが、やがて道は行き止まりになってしまう。
「あれ。こっちじゃないのかな」
「ちょうどいいわ、休んでいきましょうよ」
 タバサの提案により、激戦の連続で疲れていた四人は、その場に腰を下ろした。
 抱えたケージはどんどん重くなるようだ。無性にモグが恋しくなる。ハルトは腕を休ませて、何気無く岩の壁を見た。
「……?」
「どうしたの」
 ペネ・ロペは視線の先を辿り、壁の割れ目を発見した。いや——それは木の扉だ。どきっとする。彼女は扉の隙間に、揺らめく光を見た。
「中から明かりが漏れてる」「まさか」
 リーダーとタバサは顔を見合わせた。
「おい、後ろから敵が!」
 切羽詰まったユリシーズの声に振り返る。トンベリの軍団がこちらへにじり寄っていた。
「逃げ込みましょう!」四人は迷わず扉を開けて飛び込んだ。
 思ったよりも中は明るい。むしろ、瘴気に包まれた外より視界が効く。網膜が刺激され、キャラバンは目をしぱしぱさせた。
「お、お客さんクポ!?」
 前方からモーグリの声。予想通りだったが、それでも驚愕は隠せない。
「こんなところにも住んでるのね……!」
 タバサの感嘆は他の三人にも共通していた。ペネ・ロペは、突然の訪問にびっくりしているモーグリへ頭を下げる。
「いきなりお邪魔してごめんなさい。あたしたちはティパの村って場所から来た、クリスタルキャラバンよ」
「ティパの村……?」
 怪訝そうにしている。心当たりはないらしい。
「モーグリさんは、いつからここにいたの」
「ずっと昔からクポ。うちは代々この家クポ」
 もしかすると、二千年前からずっとヴェレンジェ山に住んでいるのだろうか。
 ペネ・ロペはずいっと身を乗り出した。
「それじゃあキミ、このクレーターの奥に何があるのか分かる?」
「ううん。外は魔物がいっぱいで、瘴気がものすごく濃いクポ。魔物もいるし、怖くて行ったことはないクポ」
「そっか……」
 肩を落とした四人へ、モーグリは慌ててクッションを勧めた。
「まあまあ座るクポ! みんなは一体何しに来たクポ?」
 夢のように柔らかいクッションだ。枕にしたらさぞ気持ちいいだろう。ペネ・ロペは睡魔の誘いを必死に押しのけながら、
「驚かないでね。あたしたち、瘴気を晴らしに来たの」
「クポ?」
「多分この先に行けばいいと思うんだけど——って、よくわかんない話よね。ごめんね」
 手を振って誤魔化した。
 ユリシーズは何やら荷物を探っていたかと思うと、特製サンドイッチをひとつ取り出した。
「お近づきの印だ。食べてくれ」
「どうもクポ」
 おそるおそる口をつける。知らない味がするのか、モーグリは細い瞳を白黒させた。
 愛くるしい食事風景を見て、四人もお腹が減ってきた。時刻はさっぱり分からないけれど、食欲はばっちりある。ユリシーズは期待に応え、魔法のように次々とサンドイッチを出した。こんな場所でも彼の料理はしみじみ美味しい。
 タバサはごくんとパンを呑み込んで、
「モーグリくん。何年か前、ここにレオンとハーディっていう人が来たはずなんだけど、知らないかな」
「分からないクポ。今日はじめてモーグリ以外の種族を見たクポ」
「そうなんだ」
 ミネを流し込み、赤いマスクを締め直す。
「これからいっぱい見れるわよ」
 にやりとする。残りの三人から笑いの波動が漏れた。モグはそんな彼らに興味津々だ。
「山の向こうはどうなってるクポ? もっとお話聞きたいクポ〜」
 との発言を受けて、ハルトがどこからともなくクロニクルを持ち出してきた。タバサは文字通り飛び上がる。
「げ!? あんた、そんな重いもの持ってきたのっ」
 最後の戦いに、旅の思い出を持って行きたかったのだろう。気持ちは分かるが、実行しようとは思わない。
 じろりとタバサを睨んでから、ハルトは分厚い日記帳を広げた。
「クポ?」
「これはね、私たちの村で代々引き継いできた年代記よ。いわば思い出の結晶かな」
「思い出の結晶……」
 モーグリはゆっくり言葉を噛みしめている。
 ペネ・ロペは腕を伸ばしてクロニクルに触れ、まぶたを閉じた。少し古びた紙の手触り。指先によくなじんだ感覚だ。
「いろんなことがあったよね。この四人が揃ったのは三年前かあ。最初はダンジョン攻略も毎回ぼろぼろでさあ」
「思えばあの年は酷かった。リバーベル街道でいきなり後輩二人ともぶっ倒れたもんな」
「ユリス、あれ結構ショックだったんだからやめてよ……」
 ひとしきり思い出話に花が咲いた。モーグリは精一杯、彼らの語るものを想像しているようだ。
 用意してもらったお茶を飲み干したところで、ペネ・ロペははっとする。
「なんだか随分お世話になっちゃったね、そろそろ行こうか」
 仲間たちは腰を上げる。だが、ハルトだけが動かない。彼は物欲しそうな目でモーグリを見つめていた。
「どうしたクポ?」
 少年は尻込みしたが、やがてモーグリへ手を差し伸べた。「クポ?」空を飛んで行くと、すっぽり体が抱きしめられる。
「……!」
 今までモーグリが感じたことのないあたたかさだった。
「補給は終わったか?」
 ユリシーズの笑い混じりの声に、ほくほく顔で頷くハルト。モーグリは彼らの背中に声をかける。
「あのね……また来て欲しいクポ」
「うん。今にモーグリの仲間にも会わせてあげるわ」
 ペネ・ロペはウインクした。戦場へ向かう四つの背中はどれも凜々しかった。



 灰のような細かな粒子が空を舞う、クレーター最奥にて。ティパキャラバンは今まさに、瘴気の根源たる魔物と激戦を繰り広げていた。
 地面にどっしり居座る巨体は、この世の生物とは思えない姿をしている。メテオパラサイト——思い出の管理人ミオが告げたその怪物は、時折本体と思われる細い触手を伸ばして攻撃してきた。それと同時に、周りに生えたテンタクルが、各種属性攻撃で責め立てる。地を這うレーザービームやガトリング攻撃で、地面はぼこぼこだった。
 もはや執念の勝負だった。誰かの集中が少しでも切れたら終わり、という際どい一線で、彼らはずっと戦い続けていた。
「テンタクル潰したぞっ」ユリシーズが快哉を叫ぶ。
「サンダガするよ!」
 ペネ・ロペはサンダーの魔石を構えた。タバサはひたすら本体を攻撃している。前線に行けば行くほど集中攻撃を受けるが、彼女はひるまず立ち向かっていた。背中を守る人物に、全幅の信頼を置いているから。
 あらゆる轟音が響く戦場で、ハルトは静かにたたずんでいた。カム・ラから受け取った魔剣ラグナロクを振るう暇もなく、ひたすら二つのリングの魔力を解放し続けている。思い出の力を味方につけ、しかるべき装備を揃えた彼は、もはやユークにも劣らないスピードで詠唱を完了させていた。
 彼が落ちない限り、キャラバンは全滅しない——その安心感が三人を支えた。
「サンダガ!」
 ペネ・ロペとユリシーズの雷光が敵を貫いた直後、タバサの手元でアルテマランスが閃く。
「やああーっ!」
 全てを切り裂く最強の槍が、ついに敵のコアをとらえる。苦悶の声を上げて、コアが地を這った。
「やった……!?」
 長い戦いに終止符が打たれたのだ。槍にすがって体を支えるタバサの元に、三人が駆け寄る。
 不意に、背後で光が生じた。
「何?」
 振り返る。地面に置かれたクリスタルケージに、眩しい光が宿っていた。
『ヤメロッ!』
 聞き覚えのない叫びだ。メテオパラサイトをかばうような発言は——
「……!」
 悲鳴は光の壁にのまれ、四人の視界は真っ白に塗り潰された。

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