知に平和を



 世の学者に降りかかる数多の試練の中で、最上位にくるのはやはり研究費の問題だろう。
 その悩みから解放されている者はほんのひと握りしかいない。資料を集め、実験材料をそろえ、紙とインクを使って論文を書き上げる——このすべてに金銭が必要であり、ときには専門誌へ発表するにも費用がかかる有様だ。
 金銭という深刻な問題をある程度払拭するのが、王立学院の教師の職である。が、それにも限度があった。
 二年前、「彼」は財政難にあえいでいた。どうしても実験に必要な資材が買えない。こうなれば自宅を売り払うか、とまで考えた。
 そんな時、ある噂を小耳に挟んだ。
「アトラスダムの地下で賭けが流行っている」
「高価で貴重な本を持ち寄り、勝った者がすべてを入手することができる」
「手に入れた本は自分のものにしてもいいし、売るのも自由だ。売っても足がつかない専用のルートも確保されている」
 まるで夢のような話だった。「彼」は慎重に噂の元をたどり、その賭博場にたどりついた。
 初回、運良く勝ちをもぎとった彼は三冊の本を手にした。紹介された組織に売りさばくと、まとまった金が手に入った。「彼」は瞬く間に賭けにはまっていった。
 それからは勝ったり負けたりを繰り返した。収支はほぼ横ばいで、かろうじてプラスがつく程度だったが、気づいた頃にはもう抜け出せなくなっていた。
「最近負けがこんでいるね。もしよければ、こちらの『仕事』に協力してもらえないか。代わりにキミが勝てるように取り計らおう」
 ある時、賭けの参加者の一人にそう持ちかけられた。「彼」はついうなずいてしまった。
 今思えば、それは底なし沼への誘い文句だった。



 薄暗い地下深く、ほのかな明かりに照らされた室内には、もうもうと紫煙が漂っていた。
「余計に息苦しくなるからやめたまえ」
 パイプから吹き出す煙に耐えかね、一人の男が陰鬱な声を発した。「彼」は仕方なしに立ち上がり、換気のために壁に設けられた穴の口を開ける。
 部屋には男ばかりが三人集まっていた。中央にテーブルが一つあり、角をそろえたカードの束が載せられている。さらに、彼らはそれぞれ一冊の本を手元に置いていた。
 テーブルの四辺のうち空いた席はひとつ。三人は「彼」の真向かいに座るべき残りの一人を待っていた。
「やけに遅いな」
 右隣に座った男がぼそりと声を出す。彼は学者のローブを身にまとっていた。
「あいつの仕事、図書館の警備だろ? こんなに遅くなることなんて今まであったか」
「さあな」
 今度は左隣の男が答えた。こちらはベストにシャツといった、ごく一般的な町人の服装だ。
「彼」はむすっと唇を閉ざす。遅刻しているのは図書館の守衛だ。嫌な予感がした。
(まさかな……)
 その時、ノックの音がした。軽く二度。
「開いてるよ」学者の男が返事をした。
 あの守衛にしては妙に丁寧な挨拶だ。普段なら問答無用で開けるのに。もしや本当に何かあったのではないか。
 警戒を強める「彼」とは対照的に、他の二人はのんきなものだった。町人は背もたれに体重を預けながら、
「なんだ遅かったな——ん!?」
 ドアから入ってきた人物を見て、二人は椅子を蹴って立ち上がった。一方の「彼」は、足を床に縫い止められた心地になる。
「サイラスっ……」「お前、なんでここに!?」
 闖入者は目深にかぶったフードを手で払いのけた。叡智の輝きを宿した瞳と、無造作になびく髪があらわれる。
 サイラス・オルブライトといえば王立学院きっての若手学者であった。おまけに「このような場所」に最も似つかわしくない人物である。
「用があって守衛の彼が来られなくなってね。私が代理に選ばれたのだよ」
 身構える三人に、サイラスはあっけらかんと告げた。学者の男が険しい顔になる。
「あんたとあの守衛が知り合いだったなんて、聞いたことないが」
「図書館に通っていれば、誰だって毎日のように顔を合わせるだろう。まあ、ここの噂を聞いた私が、無理を言って代わってもらったのだが」
 もう夜も更けたのに、サイラスと接していると日差しの下にいるような気分になる。町人が低い声を出した。
「お前……ここがどういう場所か、分かってるんだろうな」
「もちろん。これを賭ける場所だろう?」
 サイラスはローブの中から一冊の本を取り出し、テーブルの上に置いた。
「彼」はごくりとつばをのむ。分厚い本には紙のカバーがかかっている。「賭ける本の表紙は隠すこと」という最低限のルールは知っているようだ。
 学者の男は眉根を寄せた。
「でもあんた、別に金に困ってないだろ?」
「どうしても手に入れたい本があってね。多少はこういったこともやむをえまい」
 この言葉をどこまで信用すべきか。サイラスは裏の取引きを最も嫌うタイプではないのか。
「ふうん……天才学者様でもこんなとこに来るんだな」
 町人の言葉には嘲りの気配があった。どうも「彼」以外の二人は乗り気のようだ。サイラスが不埒な遊びに興じることなんて滅多にないから、うまく「掛け金」を巻き上げて鼻を明かしてやろう、という魂胆らしい。
「彼」はもう止めないことにした。つとめて目を合わせないようにしながらサイラスに着席を促す。相手もこちらの正体にはとっくに気づいているはずだが、何も言わなかった。
「遅れてすまなかったね。では、はじめようか」
 サイラスはルールを聞かなかった。カード遊びなどどこで知ったのだろう。
 この賭博場で取り上げられるゲームは時々変わる。近頃は式年奉火を元にした盤上遊戯がメインだった。カードを使った賭けが多いのは、手軽に大人数が参加できることに加えて、重要な理由があるためだ。
 右隣の男が袋に駒を入れて口を閉じ、中が見えないようにした。その袋を順番に回して一人ずつ駒を取り出していく。
「白い駒をあてたやつが最初の手番だからな」
「私だね」
 サイラスはほっそりした指で白い石をつまみ上げ、カードの上に駒を置いた。
 順番はサイラスから時計回りだ。聖火を持った運び手が一人、また一人と式年奉火の旅に繰り出していく。
 町人の男は心の余裕を見せつけるように、空のパイプでサイラスの持ってきた本を指した。
「それで、天才学者様の『掛け金』はどんな本なんだよ」
「聞きたいのかい? 書名を出すのはルールに従って控えさせてもらうが、概要くらいは話そうか」
 サイラスは笑みをつくる。朗らかな表情なのに、「彼」は何故か背筋に冷たいものを感じた。
「実はね、この本は図書館の特別書庫から持ってきたんだ」
「は?」「お、おいっ」
 両隣の二人の顔色が変わった。「彼」も血の気が引いていた。
「じょ、冗談だよな……?」
「冗談なものか。蔵書印を見れば分かるよ」
 サイラスが学者の男に無造作に本を手渡す。裏表紙をめくり、そこに押された印を三人はためつすがめつした。
「うわっ本物だ……」
 一体どうやって持ち出したのだろう? 疑問の視線がサイラスに降り注ぐ。
 彼は他人の目などどこ吹く風といった顔で、「私の番だね」と駒を進める。今のところ進度に大きな差は出ていない。次の目的地たるセントブリッジのカードがまだ場にないからだ。
 手番を終えたサイラスに、町人の男がくちばしを挟んだ。
「サイラス先生、さすがに特別書庫はやばいだろ。こんな本を賭けに出すなんて、俺たちに盗みの罪を着せようってわけじゃないだろうな」
「特別書庫の本を持ち出したことがそんなに問題になるのかね? もともと、あそこの目録は何度も改ざんされているだろう」
 部屋の温度が一気に零下にまで落ちた。「彼」のこめかみを冷や汗が流れる。
「待てよ、どういうことだそれ。とんでもない話じゃないか……?」町人は青ざめた。
「もちろん冗談だよ」
 サイラスはにこやかに告げた。三人は顔を見合わせる。
「……そういう冗談はやめろ」
「うん、悪かったよ。楽しい賭けに水を差してしまった」
 彼だけ平常を保っているのがいっそ不気味で仕方ない。このままこいつを喋らせておくと危険だ。「彼」はちらりと右隣に目配せした。
 学者の男がテーブルの上にカードを置く。
「お、セントブリッジだ」
 町人が声を上げた。二番目の目的地のカードだ。次の手番がきて、「彼」は自分の駒を近くのセントブリッジに移動させる。これでサイラスに一歩先んじたことになる。
「運が良かったなあ」
 町人がのほほんと発言した。
 サイラスの駒の位置からセントブリッジまで移動するには、まだ時間がかかる。続く周回で、今度は「彼」の手札からゴールドショアのカードが出てきた。最終目的地であるフレイムグレースの配置も悪くない。順位は現在「彼」が一位で、学者の男がそれに続く。ゴールは目前だった。
 こんな賭けは一刻も早く終わらせてしまいたい。「彼」が焦りながら駒を動かした時だった。
「キミたち二人は結託しているね」
 サイラスの鋭い視線が、灯台から照射される光のように学者の男と「彼」を薙いだ。
「……何のことだ?」
 学者の男が白々しい声を出す。サイラスは手札をぱたりとテーブルに伏せた。
「このカードには、ごく微弱な火のエレメントが付加されている。それによって目的地のカードを判別しているのだろう?」
 町人が「えっ」と叫んでカードをまじまじと見た。サイラスは正面に座る「彼」とまっすぐ対峙する。
「ラッセル、火の属性はキミの得意な魔法だったね」
「彼」は——ラッセルはごくりとつばを飲み込んだ。
(最初から、こいつは全部知ってたんだ。俺の魔法も覚えていた……)
 サイラスは表情の穏やかさに似合わず冷たい瞳をしていた。今や、部屋の空気は完全に彼が支配していた。
「腹の探り合いなんて面倒くさい真似はよそう。単刀直入に言わせてもらう。キミが王立図書館から、その聖火教会史を盗んだのだろう?」
「なっ——」
 サイラスの台詞に、両脇の二人はラッセルが賭けた本を凝視した。
 もはや言い逃れは不可能だった。かっと頭に血が上る。
「お、お前さえ……お前さえいなくなれば、いくらでもごまかしようはあるんだ!」
 ラッセルはとっさに本を懐に入れると、サイラスに向かって机をひっくり返した。
「おいラッセル!」学者の男が焦った声を出す。
 ばらばらと降りかかる駒やカードを、サイラスは立ち上がってなんなく避けた。もしやこちらの行動を予測していたのか。
 彼は自分の持ってきた本を大事そうに抱えながら、
「ラッセル、やめるんだ。今回の盗難は王立図書館内で大きな騒ぎになっている。すでにメアリー殿下もご存知だ。私が戻らずとも殿下はきっとキミにたどりつく。私を消しても無駄だよ」
 冷静すぎる声が、沸騰したラッセルの頭に氷を浴びせた。もう終わりだ、と思った。
「やめろラッセル、どうにもならないって」
「このままじゃ俺たちも巻き込まれるぞっ」
 両脇にいた二人はどたどたとドアを開けて逃げていく。サイラスは何も言わず横目で見送った。
「さあ、ラッセル……どうする?」
 彼はカバーのかかった本を開き、片手で持つ。その紙面にエレメントが集まっていく。どうやら魔導書だったらしい。
 悠然と構えるサイラスをにらみつけ、ラッセルはすばやく唇を動かす。相手も詠唱で応じた。
「炎よ!」「氷よ!」
 属性の異なるエレメントが激しくぶつかりあう。部屋の空気が加熱と同時に冷却された。
「このような場所で火を放つとは。相当追い詰められているようだね」
 端の焦げたローブをはためかせ、サイラスは白煙の向こうに健常な姿を見せる。一方のラッセルは肩で息をしていた。心の乱れで魔法が制御できず、力んでしまったらしい。
 サイラスは涼しい顔で魔導書に指を走らせる。
「魔法とは、魔の者が使う技に秩序を与えたもの——魔術師の源流からそれた学者が操る魔法は、本来その多様な知識自体を守るためのものだった」
 いつしかこうして争いの道具になってしまったが、とサイラスは語尾に憂いを含ませる。「これ以上手荒な真似はしたくない。降参してくれ」
「断る!」
 かすかなため息とともに、再びサイラスの手にエレメントが集中する。間髪入れずに冷気が吹き荒れた。それはラッセルの操る炎を圧倒した。
 知識も地位も魔力も、何もかもサイラスには届かない。それは、ずっと前から分かっていたことだった。
 二年前、王女の家庭教師に抜擢されたサイラスは学院内の羨望の的だった。彼と同期のラッセルは、どうしようもない嫉妬に身を焦がした。もしかすると、その思いが己を間違った方向に走らせたのかもしれない。強すぎる光から逃れるように、ラッセルは薄暗い地下の賭博にはまり込んだ。
 炎が氷に押し負けた。ローブに霜が張りつき、ラッセルはがくりと膝を折る。
「オレは、ただ、金が……」
 サイラスは氷点下のまなざしをラッセルに突き刺した。
「確かに貴重な本は入手が困難だしとても高価だ。だが、盗んで売るなどと——生徒たちが困るとは考えなかったのか? 希少な本を読み、そこから学ぶ。その機会をキミは奪ったのだ。その罪はとても重い。キミにはそのことを反省してほしい」
 容赦なく浴びせられる正論に、ラッセルは唇を噛む。本はすべて自分のために売り払った。他人のことなど微塵も考えなかった。その指摘ひとつとっても、ラッセルの敗北は明らかだった。
「さあ、聖火教会史を渡してもらおうか」
 もう抵抗する気力はない。素直に本を差し出した。サイラスがすかさず開いて状態を確認する。そっと息を吐いたのは安堵のためか。
「ありがとう。それにしても、まさかキミがこの本に手を出すとはね。裏のルートがあるにしろ、これを売り払うのはリスクが高すぎるだろう。キミがあえて聖火教会史を盗んだ理由を聞かせてくれ」
 ラッセルはそっぽを向いた。どうしても、それだけは言えなかった。
「ふむ……ならば、私が事情を探った結果、考えたことを話そう」
 やめろ! と言いたくなるがその元気もない。ラッセルにできるのは、口をつぐんで話を聞くことだけだった。
 サイラスは微塵も疲れを見せずに唇を開いた。
「キミは誰かにそそのかされて、図書館の開架の棚から本を盗んでいた。本はこの賭博場を通して『ある筋』に流し、換金した。おそらく、先ほどのようなイカサマを仕込んで共犯者を勝たせ、盗んだ本を回収させて、あとから見返りでももらっていたのだろう」
 学院の地下室の噂は以前から聞いていた、とサイラスは言う。フラットランド地方に多く存在する鍾乳洞を利用してつくられた部屋だ。かつては何かの実験のために使われていたが、やがて放棄されたらしい。その部屋がとある組織によって発見されてから、秘密の賭博が開催されるようになった。
「組織の要求は徐々にエスカレートした。それまでは開架の書棚から盗んでいたが、今回新たに特別書庫が標的にされたのだろう」
 特別書庫への侵入を企てるにあたり、ラッセルはまず図書館の守衛を賭けに誘った。カードで大負けさせて弱みを握り、「特別書庫に入りたい」と頼んだ。元から少し抜けたところのある守衛は、戸締まりに対する意識が甘く、騙すのは簡単だった。
 サイラスは聖火教会史を閉じて、ゆっくりと表紙をなでる。
「その時、キミはあえて本来のターゲットではなく、聖火教会史を盗むことを思いついた。キミがこの本に手を出したのは……いい加減、盗みをやめたかったからではないかな」
 聖火教会史の紛失は、国家レベルの大問題に発展する。ラッセルはターゲットの本と偽って聖火教会史を組織に押しつけ、その直後に罪を白状することで、自分もろとも組織を告発するつもりだった。
 サイラスは真剣な面持ちでラッセルに語りかける。
「キミの訴えは確かに聞き届けた。出るべきところに出て、すべてを話してほしい。地下組織の情報と引き換えに、私もできるかぎりキミの罪が軽くなるよう協力するよ」
 あれほどラッセルの心をかき乱したとは思えないほど、今のサイラスは誠実な態度を貫いていた。
「なんで、そこまでするんだ?」
 複雑な思いが胸に去来し、思わずそう尋ねた。サイラスは少し眉を下げる。
「キミはあくまで自分の研究のためにやったのだろう。他人の機会を奪うのは重い罪だが、ひたすらに知識を求める気持ちは私にも理解できるつもりだ」
 ラッセルは、かつて神童と呼ばれたことがあった。しかし「二十歳すぎればただの人」という不愉快な言葉の通り、いつしか凡庸な学者に成り下がった。実験を繰り返しても思うように成果が出ず、もう研究をやめようと何度思ったことか。
 一方のサイラスは才能を認められ、みるみる出世の階段を駆け上がっていく。彼は悩みなどまるでなさそうな顔で、当たり前のように学者を天職としていた。そんなサイラスの考えることなど、ラッセルは一生理解できないだろうと思っていた。
(でも、こいつは俺のことを理解しようとしたのか……)
 不意に衝動にかられて髪をかき乱す。次いで、肺にたまった息のかたまりを吐き出した。
「……お前相手に隠しごとなんてできるか。どこにでも連れて行け。煮るなり焼くなり好きにしろ」
 ふてくされた返事に、サイラスが明るい声を重ねる。
「協力してくれるんだね。助かるよ、ラッセル」
 包み込むようなそのまなざしを直視できなかった。ラッセルは顔をそらしながら、相手の持つ本を指差した。
「それにしても、どうして魔導書なんて賭けたんだ?」
 あの蔵書印は図書館の職員が押したのだろう。手の込んだことをするものだ。
「この本は、私にとって何よりも大切なものだから。それこそ聖火教会史に釣り合う価値があると思ったんだ」
 キミたちは気づかなかったけれど、蔵書印も実は本体には押していないんだよ。無闇に本の状態を変えたくないから、紙を挟んで細工したんだ。
 サイラスは少しだけほおを上気させ、目を細めた。
(こいつ……こんなやつだったんだな)
 ラッセルは新鮮な気分で相手を眺めた。
 危険人物たるサイラスを警戒しつつも、こうして賭けに参加させてしまったのは——きっと、ラッセルが彼のことをよく知らなかったからだ。
 あれほど妬んでいたというのに、サイラス自身のことをほとんど分かっていなかった。知る機会もなかった。サイラスは常に人々の思惑の中心にいるけれど、実のところその内面は誰も把握していないのではないか。彼の生徒である王女だって、サイラスをきちんと「見る」ことができているのか、怪しいものだ。
 サイラスは倒れたままになっていたテーブルを戻し、駒とカードを拾い上げた。軽く胸に手をあてたのは、式年奉火に対する敬意を示したのかもしれない。ラッセルは何も言えなかった。
 構えを解いたサイラスは部屋の出口に歩いていき、ドアノブに手を置いた。
「ずっとここにいても仕方ないね。とにかく外に出て話を——おや」
 不意に声色を変えた。「開かないね」
 嫌な予感がした。ラッセルはサイラスを押しのけてドアに飛びつく。だが、どんなに力を込めてもびくともしなかった。
「外側に何か置かれたか、あるいは魔法で塞がれたか。とにかく閉じ込められたようだ」
 サイラスは首をかしげて分析する。
「そ、そんなことを言っている場合か!?」
 おそらく先に逃げた二人の仕業だろう。サイラスの追跡から逃れる時間を稼ごうとでも考えたのか。
 ここは地下で、おまけに今は深夜だった。目一杯叫んでも助けは来ないだろう。
「そうだお前、誰かここに呼んでないのか?」
 偽の蔵書印を準備するくらい用意周到なのだから、と期待したが、
「残念だけど、一人で来たから誰も助けに来ないよ」
「おい……」
 マイペースすぎる反応に、一周回って腹が立ってきた。
「まあまあ。ここには学者が二人もいるんだ。力を合わせればなんとかなるさ」
 サイラスはにこやかにドアを示した。まさか、魔法で破る気か。
「さっきの戦いで魔力は使い果たしたんだが」
「奇遇だね、私もだよ」
 二人は顔を見合わせる。サイラスが両手をぱしんと打って、相好を崩した。
「なら魔力が回復するまで話でもしようか。まずはキミが本を盗んだ具体的な手口について、それから——」
 口を挟む暇もなかった。ラッセルは怒涛のように浴びせられる質問に、頭をくらくらさせながら何時間も耐えるしかなかった。

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