流れる者たちの公理



「わああ、全部なくなっちゃった……!」
 空になった敷布を見て、トレサは感動の声を漏らした。
 ハンイットと手分けして磨いた碧閃石をリュックいっぱいに詰め、トレサは広場でさっそく商売をはじめた。「世にも希少な碧閃石だよ!」と声をかければ通行人がぽつぽつ立ち止まる。見たことのない宝石ということではじめは不思議そうにされたが、質の良さもあって飛ぶように売れ、ついに在庫がなくなった。
 近くで見物していた仲間たちが寄ってくる。
「なかなか見事だったぞ」「やりましたね、トレサさん」
 ずっと付き合ってくれたハンイットは満足気だ。広場で見物に加わったオフィーリアも拍手してくれる。
「ありがとう二人とも!」
 トレサは掛け値なしの笑みを返す。本日の品はどれも仕入れの倍以上の値で売れた。大商人への階段をまた一歩上ったようで、気持ちが大きくなる。
 商売に熱中するうちに、いつの間にか日が暮れかけていた。トレサは敷布を丸めてリュックの上にくくりつけ、売上を再度チェックした。
「ふふ、今晩はあたしのおごりにしちゃおっかな」
「それは素敵なお話ですが、大事な資金なのでは……?」
「そうだぞトレサ。そのお金でさらに碧閃石を仕入れるのだろう」
 二人の助言に「それもそうか」とうなずく。元手がなければ商売はできない。
「じゃあ今日はその分もたくさん食べよっと。クオリークレストの名物料理、何があるかなあ」
 クリフランド地方には塩鉱があるというから、岩塩を散らした肉料理などがいいだろう。想像するだけで喉が鳴る。
 トレサは踊るような足取りで集合場所の酒場に向かった。二人も後ろから楽しそうについてくる。
 元気にドアをくぐると、仲間たちがすでにそろっていた。
「トレサ、こっちこっち!」
 アーフェンの大きな声に導かれてテーブルにつく。トレサはあたりを見回した。
「あれ、サイラス先生は?」
 集まった仲間はトレサたちを含めて七人だ。学者の姿がない。
「知り合いの家で調べものよ。夕食はそっちでとってくるみたい」
 プリムロゼが答え、「そうなのですか」とオフィーリアが相槌を打つ。
「って、なんでプリムロゼさんが知ってるの?」
「途中まで一緒にいたからね。面倒そうな作業がはじまって、私だけ逃げてきたの」
「サイラスさんとプリムロゼさんの共通のお知り合いだそうですよ」
「へええ」
 オフィーリアの補足を受けて、トレサは腕を組む。
(それじゃあ、碧閃石についてはまだ聞けないわね)
 明日以降も商売を続けるにあたって、何かヒントをもらえないかと思ったのだが。宿で会えたら尋ねてみよう。
 七人は待ちかねたように乾杯した。グラスのかち合う澄んだ音が鳴る。トレサは果汁飲料を喉に流し込み、ぷはっと息を吐いた。乾いた土地ほど甘みの強い果物が成るというのは本当らしい。柑橘類のジュースは爽やかな味わいだった。
 七人が張り切って頼んだ料理が次々と卓に並べられていく。各地から労働者が訪れるためか、ここの酒場の特色は大陸各地の郷土料理だった。野菜を方形に切ってスパイスとともに盛り合わせたサラダは、サンランド地方のものか。ハイランドの羊肉も歯ごたえがあって、噛めば噛むほど味が出てくる。トレサは片っ端から料理に手を伸ばした。
「トレサ、なんかやけに嬉しそうにしてんな」
 酒気で顔を赤らめたアーフェンの質問に、彼女は「いいことを聞いてくれました!」と声のボリュームを上げる。そのまま得意満面で昼間の商売を説明した。
「……こうしてあたしは大儲けしたってわけよ!」
 どんな人が聞いているか分からない場所なので、さすがに碧閃石の出どころは話さないでおく。
「やるなあトレサ」「さすがは未来の大商人ね」
 仲間たちの称賛を浴び、トレサは大いに気を良くする。目の前の取り皿にはお祝いとばかりに肉が盛られた。
「あ。そういえば」
 口いっぱいに含んだ肉を嚥下したトレサは、一人で静かにジョッキを傾ける青年に話しかける。
「テリオンさんは、もしかして碧閃石のこと知ってたの?」
 いきなり話題の中心に引き上げられ、彼は目を瞬いた。
「……いや」
「でも、あれがただの石じゃないって気づいてたんじゃないの」
 テリオンはあの一瞬で的確に碧閃石を掴んでいた。トレサにはそれが偶然とは思えなかった。「そんなことはない」と重ねて否定されるが、彼女はさらに前のめりになる。
「ねえ、テリオンさんはどうして——」
 言いかけて、はたと口をつぐんだ。テリオンが眉をひそめる。
「なんだ、俺に言いたいことでもあるのか」
「な、なんでもないわ」
 トレサはその瞬間、心の奥底に秘めていた考えに気づいてしまった。
 それからは妙に「そのこと」ばかり考えてしまって、いまいち会話の輪に加わる気になれなかった。急に黙りがちになり、仲間たちには不審そうな目を向けられたが、トレサは食べ物に集中しているふりをした。
 サイラス抜きの食事はつつがなく終わりを告げる。クオリークレスト滞在の第一日目が穏やかに過ぎ去ろうとしていた。
 七人は酒場を出て夜道を歩き、宿の前までやって来る。
「明日もがんばれよトレサ!」
 アーフェンがばしんと肩を叩いてくる。「いたっ」酔っ払っているのか力加減ができていない。トレサは苦笑しながら、
「任せて。アーフェンの分も稼いでくるから」
「な、なんで俺の話が出てくるんだよ」
「いっつも患者さんから薬代もらってないからでしょ!」
 きっと今日も無償で患者を見て回ってきたに違いない。そう指摘してもアーフェンはただ陽気に笑っている。困ったものだ。トレサは商人としてバランスをとってやろう、と意気込む。
 鉱山は月明かりの下に音もなくそびえ立っていた。酒場街から離れるととたんに静かになる。次々宿に入っていく仲間を見送りながら、トレサは少しだけその場にとどまった。澄み渡った夜の空気が火照った体をほどよく冷やす。
 うーんと伸びをして、そろそろ戻ろうと思った時。ランタンの明かりとともにこちらに近づいてくる人影を見つけた。
「サイラス先生!」
 トレサはぱたぱたと駆け寄った。学者はすぐに気づき、足元から視線を上げる。
「おやトレサ君、こんばんは」
 安穏とした声が夜闇に心地よく響く。
「先生」と呼ぶと、サイラスはいつも嬉しそうに返事をする。トレサは彼の正式な生徒ではないが、サイラスと出会ってその身分を聞いてから、自然とそう呼びかけるようになった。
 先生という存在にはあまり馴染みがない。リプルタイドに学校はなく、子どもたちは近所の人の家に集まって読み書きを教えてもらった。
 むしろトレサにとっては港が学校だった。読み書きと同時に、実地で商売の感覚を学んだのだ。
「こんなところでどうしたんだい」
「今、みんなで酒場から帰ってきたところなの。先生はごはんちゃんと食べた?」
 サイラスは言葉に詰まった。
「それが……調べものに夢中になってしまってね。オデット先輩も疲れてそのまま寝てしまうし」
 つまり食べそこねたのだ。どことなくばつが悪そうにしているのは、教師のとるべき行動ではないと思っているからか。言葉を重ねて誤魔化そうとするあたりがなんだか子どものように思えて、くすりと笑ってしまう。
「なら、あたしとどこかで食べない?」
 トレサは学者のローブの袖を引いた。
「それは構わないが、トレサ君は先ほど夕食をとったのでは……?」
 不思議そうにするサイラスの前で、トレサはお腹を叩く。
「デザートならまだ入るわよ」
 サイラスは暗がりの中で苦笑したようだった。
「それなら、喜んでご一緒させてもらおう」
 サイラスに連れられ、トレサは先ほどとは別の酒場に向かった。
 仲間たちと一緒に入るのは、たいてい大衆向けに開かれた店だ。大人数での旅なので、ある程度の広さと席数がない店はそもそも選定から外れてしまう。
 なので、サイラスの選んだ店に入ったトレサは驚いた。中は明かりが絞られていて高級そうな空気を醸しており、椅子はカウンター前の数席だけ。そこに客が一人だけ座っている。店内は静まり返っていて、マスターがグラスを拭く音すら聞こえてきた。まさに大人のための空間だった。
 リプルタイドにも少数ながらこういう酒場はあった。コルツォーネ商会とも取引きしていたので、トレサは是非とも配達を引き受けたかったが、父親に「お前にはまだ早い」というよく分からない理由で断られた覚えがある。
(ついにあたしもこういうお店に出入りできるようになったのね……!)
 ただしサイラスがいないと門前払いだろうが。
 横並びに席を取り、サイラスは軽食とワインを頼んだ。トレサはその横でドキドキしながらミルクと果物のムースを選ぶ。悲しくなるほどお子様な注文だが、メニューにあったのだから仕方ない。
 二人はひっそりと乾杯した。
「それでトレサ君、キミは今日どんなことをしていたのかな」
 慣れた様子で赤紫色の液体を口に含むサイラスは、やはり立派な大人に見えた。トレサはちょっと雰囲気に飲まれながら、自分のグラスに口をつける。
「あ、うん。新しい商売の種を見つけたんだけどね……」
 仲間たちに話した時とは正反対に、トレサは落ち着いて説明した。
「碧閃石か。良いところに目をつけたね」
 サイラスは目を細め、手の中で軽くグラスを揺らした。悔しいほど決まっている仕草だ。
「やっぱり知ってたんだ」
「いや、私が知っているのは鉱石の一種ということだけさ。キミでないと、その石が碧閃石であるとは気がつかなかっただろうね。商人の勘……とでも言うのかな? 鋭い観察眼だね」
「へへへ、そっか。あたしも確信があったわけじゃないけど」
 褒められると率直に嬉しい。相手がアトラスダムの教師となればなおさらだ。
 トレサは上機嫌でデザートをほおばってから、ぽんと手を叩く。
「あ、もしかしたら、テリオンさんも碧閃石に気づいてたかもしれないの」
「ほう?」
「ちゃんと教えてはくれなかったけどね——」
 一番最初にクズ石に目をつけたのはテリオンだった、という話をしてみた。
「そうか。彼も目利きが得意だったね」
 サイラスは感心したように言った。
 トレサはスツールの上で膝をそろえた。いい機会だから、この教師に尋ねてみたいことがあった。
「ねえ、サイラス先生。テリオンさんはどうして今の生業を続けてるのかな」
「それは——」サイラスは目を見開く。
「だってテリオンさん、びっくりするほどいろんな才能があるんだもの!」
 トレサはノーブルコートで目の当たりにした彼の「芝居」を思い出す。あの時テリオンはある学者の屋敷に侵入するため、「屋敷の主人に届け物をし来た人」を演じた。それは普段の様子からは想像できないほどのクオリティで、トレサが思わず「こういう人、いるいる」と言いたくなるような見事な演技だった。
 さらに本業の盗みはまさに神業であり、ポケット、懐、鞄の中など、相手がしっかり身につけたものからでも楽々盗み出す。戦闘においても立ち回りが上手くて頼りがいがあるし、さらには商人のように目利きもできる。正直、どこで何をやっても生きていけるだろう。
 それなのに、テリオンは盗賊という生業を続けている。トレサにはそれがどうしても理解できなかった。彼はお金やものに執着しているようでもないのに、稼業に対してだけはこだわりを持っているようだった。
 さらに、この場で口には出さなかったが、トレサは盗賊行為自体に対してもやもやしたものを抱えていた。必要のない盗みはしない人だと分かっていても、「どうして?」という思いが拭いきれない。彼が様々な才能を見せつけるたびにその思いは強くなった。
 サイラスは少しばかり頭を傾け、口元に手をやった。
「トレサ君。キミは今の大陸で広く使われているリーフ貨が、ここエドラス王国の発行するコインであることは知っているね」
 いきなり明後日の方向に話題が飛んだ。トレサは目をぱちくりさせた。
「は、はい? それはもちろん」
 サイラスのことだからきっとテリオンの話題と結びつくのだろうが、まったく話の筋が読めなかった。
「コインの表には何が描かれているかな」
「えーと……」トレサは懐から一枚のコインを取り出す。額面の書いてある面をひっくり返せば、「あ、今の王様の横顔ね」
「そうだ。そして、このデザインは今代のエルマン王になってから変更されたものだ。それ以前、コインには短剣が描かれていた」
「短剣?」
「短剣はクリフランドと縁深い神、盗公子エベルの象徴だよ」
 トレサは何度か瞬きした。
「なんで紳商伯ビフェルガンじゃないの?」
 ビフェルガンはコーストランド地方で祀られている商売の神だ。確かにエドラス王国の領土からは離れた場所を守護している。だからといって、盗公子がお金と関係あるとは思えない。むしろ金品を奪う方ではないか。
 サイラスはにこりとほほえんだ。
「その理由が分かれば、きっとテリオン君のことも理解できるよ」
「はあ……えっ?」
 ますます混乱が深まった。リーフ貨と、盗公子と、テリオン? 一体何がどう結びつくのだろう。
 トレサはたくさん疑問符を浮かべつつ、デザートを平らげた。サイラスはワインを飲み干し、トレサが財布を取り出す暇もなく、さらりと勘定を済ませる。
「一日の最後にキミの話を聞けて良かったよ」
 これで話は終わりということらしい。トレサはあわあわしながら立ち上がった。
(自分で考えろってことよね。宿題かな……)
 あのサイラスが出してくれたヒントだ。きっとトレサの助けになるに違いない。明日、碧閃石を売りながら考えてみよう。

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