流れる者たちの公理



「テリオン君、アーフェン君。キミたちに調査を依頼したい」
 いつもの涼しい顔で学者はそう言った。
 ——クオリークレスト滞在初日、テリオンは一人でふらりと町を回った。結論を言うと、盗賊の視点ではあまり魅力のない町だった。住民のほとんどを占める鉱山労働者たちはせっかくの稼ぎをすぐ酒や賭博に費やすらしく、おしなべて懐が寂しい。そもそもゴールドラッシュ自体が終わりかけで、金鉱石の採掘なんて夢のまた夢という状況のようだった。肥え太っているのは鉱山で見かけたあの大地主だけだろう。
 となるとテリオンにとってはあまり長居したくない町だったが、学者は何やら用事があるらしく、商人も新たな商売を見つけたようだ。一応旅の連れとして付き合う必要があるため、しばらく滞在する羽目になる。その暇つぶしになるのなら、調査の手伝い程度は構わないだろう。
 というわけで滞在二日目、テリオンたちは宿のロビーに集められて学者の依頼を受けた。
 薬屋が首をかしげる。
「それは構わねえけど、何があったのか教えてくれよ先生」
 うむ、とうなずき学者は説明をはじめる。また例の長話だった。
 学者は今、この町で起こっている失踪事件を追っているらしい。昨日ほとんど顔を見なかったのは、知り合いの家で失踪者の名簿を調べていたからだという。
 慈善の旅ではないのだから、失踪事件なんて放っておけばいいとテリオンは思ったが。どうも、学者の知り合いの恩人(なんとも遠い存在だ)が関わっているらしく、不可抗力で巻き込まれたようだ。そしてテリオンにまでしわ寄せが来る。旅の連れが持ち込む騒動についてはもう諦めているのでいちいち文句を言うつもりはないが、「何故こんなことになった」という疑問はある。ヒースコートが次の竜石の場所を探り当ててくれない限り、テリオンの寄り道は永遠に続くだろう。
 気が遠くなってしまった彼を差し置いて、学者は話を続ける。
「行方不明者は名簿からほぼ絞り込めた。アーフェン君には、彼らが本当に行方知れずとなっているのか、聞き込みをして確かめてほしい」
「おう、頼まれたぜ」
 薬屋は気前よく胸を叩く。彼の人の良さはもう救いようがなかった。
 最後に学者は秀麗な顔をこちらに向けた。
「テリオン君は、近くにある朽ちた採掘所を調べてほしい」
 話の流れが変わった。行方不明者を捜索するのではなかったのか。
「なんだ、それは」
「もう使われなくなった廃坑だ。どうやら、最近人の出入りがあるという噂があってね。そこに行方不明者がいる可能性も考慮した方がいいだろう」
 どうもきな臭い話だった。釈然としない。テリオンは顔をしかめ、
「どこから出た噂だ」
「私の先輩だよ」
 学者はしれっと答える。
「……本当に信頼の置ける情報なんだな?」
 テリオンは声を低くした。相手が気を悪くするのでは、などという気遣いは一切ない。薬屋が驚いたように瞠目する一方で、学者は顔色ひとつ変えず、
「そう思ってくれて構わないよ」と答えた。
(なんだその言い回しは)
 いつもの回りくどい発言なのか、もしくは何か含みがあるのか。しかし、これ以上引っ張る必要もないだろう。テリオンは仕方なしにうなずく。
 すると薬屋が肘で小突いてきた。
「なんだよテリオン、結局引き受けんのかよ」「うるさい」
 薬屋は学者との取引きの件を知らないのだ。学者がテリオンに何かを頼むということは、この件には彼が探している貴重な書物が関わっているらしい。であれば引き受けるしかなかった。
「では二人とも、よろしく頼んだよ」
「先生もあんまし無茶すんなよ!」
 学者は肩にかけたローブを翻し、宿を出ていく。そういえば依頼した本人はこれから何をするつもりなのだろう。先輩とやらと一緒に作戦会議でも開くのか。
「じゃーなテリオン、また後で」薬屋は名簿を片手に勇み足で町に繰り出していく。
 テリオンは渡された地図を見ながら、クオリークレストからほど近い廃坑へと向かった。
 クリフランドもこのあたりまで来るとかなりの標高がある。道の端は切り立った崖になっており、見下ろした先に細い川が流れていた。
 テリオンは人知れずため息をついた。
 ——崖、そしてはるか下を流れる水。どうしても「あの時」のことを思い出してしまう。
「テリオンさん、どうされたのですか」
 不意に、聞こえるはずのない声が耳に入った。ぎょっとして振り返る。
 思索にふけって背後の気配に気づけなかったのは失態としか言いようがない。そこには、不思議そうな顔をした神官と、腕組みする剣士がいた。
「どうしたテリオン、黙りこくって」
 どうしたと聞きたいのはこちらの方だ。
「何故ここにいる?」
 まさか学者の差金か。ありえる話だった。しかし神官が先回りして「誰かに頼まれたわけではありませんよ」と答える。
「たまたま町を出ていくテリオンさんが見えたので、気になってついてきてしまいました」
「お前はこの先に用があるのか?」
 答えてやらないと二人はいつまでも引き下がらないだろう。テリオンは事情をかいつまんで説明してやった。
「まあ、失踪事件ですか! それは放っておけませんね」
「サイラスも水くさいな、俺たちのことも頼ればいいだろうに」
 薬屋といい、どれだけ人が良いのだ。しかも、テリオンへ向けるまなざしが妙にあたたかい。どうやら自分は「積極的に依頼を引き受けた」とみなされているらしい。
「それにしても廃坑か。打ち捨てられた場所なら魔物もいるだろうな」
「是非お供させてください」
 ここまで踏み込まれてはもう断れないだろう。テリオンは不承不承うなずいた。
 クオリークレスト到着時とは逆に道をたどって分岐を逸れ、すぐのところに廃坑の入り口があった。ちょうど町の土台あたりだ。
 廃坑とは、つまり金が取れなくなったということか。もしくは昔、別の鉱石を採掘していたのか。頭の隅で考える。
「……行くぞ」
「はいっ」と元気に答える神官にややうんざりしながら、廃坑に足を踏み入れた。
 ランタンの明かりが土の壁を照らす。中は意外と広かった。天井もしっかりと柱で支えられており、落盤の心配はなさそうだ。
「どうだテリオン、何か痕跡は見つかったか」
「まだ分からん」
 土の上に足跡があるが、暗い上に乱されていて、魔物のものか人のものか判別できない。
 テリオンはさっと顔を上げた。闇の中から物音が聞こえる。
「あっ魔物です!」
 神官が杖をしゃらりと鳴らした。余計な音をたてるから位置がばれるのだ。ちなみに男二人はとっくの昔に気配を察知しており、すぐに武器を抜く。
 廃坑には菌類や化けきのこといった魔物が巣食っていた。数も強さも大したことなく、三人でも問題なく対処できた。
 坑道はゆるやかな上り坂になっていた。幾度か魔物を退けた後、神官は声のボリュームをほとんど落とすことなく話し出す。
「サイラスさんはこういう場所を調べるのが得意なんですよ」
 顔の向きからしてこちらに話しかけているようだが、テリオンは黙っていた。代わりに剣士が応じる。
「ほう、どういうことだそれは」
「気配を隠す魔法を使って、魔物に見つからずに歩けるんです」
 テリオンはぴくりと肩を揺らした。
(そんなに便利な魔法があるのか)
 聞き捨てならない話だった。もしそれが自由に使えたら、洞窟探索もとい盗掘が一層捗るだろう。だからといって、あの学者から教えてもらうのは論外だが。
 どうにかその魔法を利用できないものか……と考えていると、神官が横に並んだ。
「テリオンさんは洞窟や遺跡が好きなんですよね。アーフェンさんから聞きました」
 今度は名指しだ。返事をしないわけにはいかない。
「何故そんな話になった」
「いつも進んでこういうところを探索しているからな」
 剣士が横から口を挟んだ。余計なことを言ってくれる。
 テリオンは己の正体を隠している間、本業に専念できない腹いせとして、事あるごとに盗掘に精を出した。薬屋はその印象が強かったのか、神官にまで言いふらしたらしい。
 おまけに剣士にも似たような感想を抱かれていたとは。テリオンは苦い気分になった。
 神官は発言を続ける。
「そういえばトレサさん、今日の商売はうまくいっているでしょうか」
 この神官、少し雑談が多くないか。おそらく黙りがちになる男二人を気遣っているのだろうが、いささか緊張感に欠けている。
「テリオンはあの商売をどう見る?」
 毎度こちらに話を振るのは何故なのだ。一回付き合えば気が済むだろうか、と口を開く。
「品物自体の質はいいが、売り方はもっとやりようがある」
「どういうことですか?」
 自分ならあの石をどうするか——テリオンは芝居を打つ時の感覚に照らし合わせる。
「あの宝石は高級品だろう。となると、労働者の多いクオリークレストに大した需要があるとは思えない。貴族のいるボルダーフォールに持っていく手もある」
 そこまで話して、二人の期待のまなざしに気づいた。……完全に失言だった。
「テリオンさんは商売にくわしいですよね。どこで学ばれたのですか」神官が嬉しそうに尋ねる。
「別に学んだわけじゃない」
 見て、覚えた。生き残るために必要だったから。
 なおも神官が質問を重ねようとした時、テリオンはふと異臭を感じた。どこかに生き物の死骸でもあるのか——いや、違う。
「……待て」
 剣士が足を止めた。ぴりっとした緊張が宙を走り、テリオンは瞬時に短剣を抜く。
 いつの間にか廃坑の一番奥にたどり着いていた。行き止まりの手前に、巨大な影がうごめいている。先ほどから漂っていた妙な匂いの正体だ。
「デッドモウルです!」
 神官が叫ぶ。相手は植物が集合した化物のようだった。太すぎる茎の先に大きな花が何本も生えている。花弁の中には何故か鋭い牙が見えた。足元では無数の根がうねる。魔物はこちらを認識し、今にも襲いかからんとしていた。
「気をつけてください、毒を使ってくるはずです!」
 思えば近頃、相手の正体を見抜きまわりに注意を促す役割は、自然と学者が引き受けていた。神官が魔物の名前を知っていたのは彼から教わったのだろうか。
 毒を操る相手となるとこの場に薬屋がいないことが気にかかるが、治療のハーブは持っている。多少ならこれで間に合うはずだ。
 話し合わずとも布陣は決まっていた。神官は後ろに控え、剣士とテリオンが前に出る。
 まず、魔物が振り上げた根を剣士が盾で受け止めた。かつて剛剣の騎士と呼ばれていた彼は、切り込むだけでなく守りに徹してもその強さを発揮する。
 剣士が作り出した隙をついて、神官が両手を前にかざした。
「光よ!」
 魔物の足元から光の柱が立ち上り、廃坑内を明るく照らした。だが相手は動きを止めない。残念だが効き目はいまいちのようだった。
 攻撃の手を緩めぬよう、交代でテリオンが突出する。デッドモウルは彼を頭から喰おうと花弁を広げて襲ってきた。短剣を逆手に握り、頭上で横に薙ぐ。花びらをいくらか斬り飛ばして攻撃を防いだが、無論決定打にはならない。
(こいつ、何が弱点だ)
 あの茎すべてを相手にしていたらキリがない。どんな生物にも必ずあるはずの弱みはまだ見つからず、前衛の二人は攻めあぐねていた。
 また茎が伸びてくる。もう一度、と短剣を振り上げれば、花弁の中から色のついた煙が吐き出された。
「うっ」
 テリオンは地に膝をつく。焼けつくような痛みが肺の中を走った。まともに毒の煙を吸い込んでしまったらしい。「テリオンさん!」という神官の悲鳴が聞こえる。
 気力を振り絞って目を開き、手持ちのハーブを探す。以前眠りの瓶詰めのせいで痛い目にあってからというもの、テリオンは治療薬を持ち歩くようにしていた。こちらに駆けつけようとする神官を制し、探り当てたハーブを噛み砕いた。幾度かゆっくり呼吸すれば、徐々に痛みが引いていく。
 彼が毒にやられていた間、剣士が一人で前線を支えていたらしい。痛みを多少引きずりつつ、すぐに復帰して隣に並ぶ。
「無事かテリオン」
 剣士は幅広の大剣を横に構えて攻撃を防ぐ。魔物と距離を取るよう心がけているらしく、毒の影響は受けていないようだ。
「なんとか。弱点は分かったか」
「剣の攻撃は効くようだ。あとは植物だから——」
「炎か」
 テリオンは指先に火を灯す。
「鬼火」と呼ばれるそれをいつから操ることができたのか、彼には覚えがない。学者によると魔法の一種のようだが、詠唱なしで扱える。大したことのない火力でも、攻撃に幅を持たせようとする際には重宝する。
 テリオンは手のひらを開き、一気に炎を拡大させる。人の頭ほどの大きさになったそれを、デッドモウルの口の中に投げつけた。体内なら無防備ではないか、と考えたのだ。
 ジュウという音がして、あたりが焦げくさくなる。植物なので苦悶の声は上がらなかったが、魔物は明らかにひるんでいた。
「今です!」
 神官が放った加護の光を受け、テリオンはひときわ大きい茎に向かって走った。
 普段あまり使わない長剣を鞘から抜き放ち、相手の根を足場代わりにジャンプしながら、下から上へと斬り上げる。確かな手応えがあった。跳躍の頂点に達した後は、落ちる勢いで別の茎に剣を突き刺した。
 バランスを失って地面に崩れ落ちる魔物に、「十文字斬り!」と剣士がとどめを刺す。相手はもう動かなかった。
「終わったようだな」
 剣士がぱちんと音を立てて剣をおさめる。テリオンはやっと一呼吸ついた。
「大丈夫ですか、テリオンさん」
 神官が小走りで近寄ってきて、杖から光を放った。いつの間にか腕に走っていた一本の赤い線がみるみる癒やされていく。魔物と接近した際に牙でも引っ掛けたらしい。
 回復魔法というのはいつ見ても不思議なものだ。初めて目の当たりにした時は、複数人を同時に癒す力に愕然とした覚えがある。以前神官は「聖火神への祈りが天に通じて云々」と説明していたが、聞いてもよく分からなかった。
 しかし魔法は決して万能ではない。その証拠に、どうやっても魔法では解毒できないという。
 やがて傷はすっかり消えた。「助かる」と告げると、神官は驚いたように目を開いた。
「なんだその顔は」そんなにテリオンが礼を言うのが珍しいのか。
「いえ……。あ、そういえばこの魔物、その場からまったく動きませんでしたね」
 神官はやや強引に話題をそらした。指摘の通り、確かにデッドモウル本体は移動しなかった。おかげで戦いやすかったが——
 魔物の死体を検分していた剣士は腰を上げた。
「どうやらこれで地面につながれていたようだ」
 彼が手に持っているのは鎖だった。それが魔物の体を縛っていたらしい。三人は顔を見合わせる。
 こんな場所に、魔物が人為的に繋ぎ止められていた? どういうことだろう。
 薄気味悪いものを感じ、テリオンはかぶりを振った。理屈を考えるのは学者の仕事だ。視界の隅で、神官は神妙な顔で魔物の死体に祈りを捧げていた。
「さて、採掘所はここで行き止まりのようだが」
 剣士がランタンであたりを照らす。行方不明者の痕跡はない。結局は空振りだったのか。
 ——ふと、小さな音が鼓膜を叩いた。テリオンは直感により、壁にぴたりと耳をつける。
「テリオンさん?」「オフィーリア、静かに」
 ごうごうという音が壁の向こうから発せられていた。
「この奥に水が流れている」
「水……ですか?」
 テリオンは確信していた。間違いなく向こう側に空間がある。
「壁を破壊するか」「サイラスさんの魔法があればできるかもしれませんが……」
 話し合う剣士たちをよそに、テリオンはその場にしゃがみこんだ。土がえぐれて四角い石が露出している。それは先ほどの魔物を戒めていた鎖のつながる先だ。少し考え、短剣の柄で石を叩いた。がこりと音がして、おもむろに壁の一部に切れ目が入る。
「これは……!?」
 神官が口元をおさえる。
 壁に穴——もとい入り口がぽっかりと空いた。あの礎石がスイッチだったらしい。
 入り口の先には石の床や柱が見えた。廃坑とは比べ物にならないほど広い空間があるようだった。カビくささが漂ってくる。
「遺跡のようだな」
 テリオンの予想は当たっており、一気に水音が大きくなった。暗い水面がランタンの明かりを反射している。
「どうする、テリオン」剣士がこちらを振り返る。
「……一度戻る」
 この先に行方不明者がいる可能性は確かにあるだろう。だが、このまま突入してこちらまで行方不明になっては元も子もない。
「そうですね、サイラスさんに報告しましょう。どうすればいいか考えてくださるはずです」神官は若干癪に障る発言をした。
 テリオンはもう一度礎石を叩いて入り口を元に戻した。開いたまま放置することははばかられた。
 この遺跡は嫌な気配がする。おそらく剣士も同じものを感じているだろう。そのまま踏み込むのをためらわせるような何かがあった。
 三人は足早にその場を後にした。

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