流れる者たちの公理



 湿った匂いが地面から立ち上る。風の流れが変わった。にわか雨の到来を予感し、テリオンは歩調を早めた。神官と剣士も同じく早足になる。
 クオリークレストに戻るなり雨粒が降ってきた。道行く人々は逃げ惑い、手近な屋根の下を目指す。
 こちらは雨宿りをしている暇などない。さっさと入り口付近の露店街を駆け抜けようとした時、視界の端に見覚えのある羽飾りを見つけた。
「トレサさん、どうされたのですか」
 目ざとい神官が走り寄る。仕方なしにテリオンも同じひさしの下に入った。剣士までやってくると狭い雨宿り場所はもう満員だ。
「オフィーリアさん、みんな……」
 商人はぼんやりと顔を上げる。見るからに元気がない。普段は放っておいても薬屋と一緒に騒いでいる印象があるので、その暗い表情には違和感があった。というより、本人が一番困惑しているらしい。
「えっと、なんでもないわ。ちょっといろいろあって」短い返事の中で矛盾している有様だ。「それよりみんなはどうしたの?」
「テリオンがサイラスから頼まれた調査に、俺たちがついていったんだ」
 間違ってはいない。テリオンが「やむを得ず」依頼を受け、「渋々」剣士たちの同行を認めた事実が抜けているが。
 何気なく視線を移せば、こちらを凝視する若葉色の瞳にかち合う。
「なんだ?」
「う。えっとね……」
 そういえば商人は昨日から妙にテリオンに注目しているようだった。そんなに碧閃石の目利きが気にかかるのか。
 クズ石の山からあれを手にとったのはただの偶然だった。それに、たとえ見分けられたとしても、テリオンはわざわざ石を磨こうとは思わなかっただろう。ましてや広場で売ろうなんて考えもしない。埋もれた価値を見つけて育て上げるのは、盗賊の仕事ではないのだから。
 何か言いかけた商人が、すっと目を横に流した。
「すまないが、ここを使わせてもらっても構わないかな」
 雨のカーテンをくぐって新たな雨宿りの客がやってくる。白いひげをはやした商人だった。
「ええ、どうぞ」
 神官が場所をあける。その横で、テリオンは雷に打たれたような衝撃を受けていた。
(こいつ、まさか……レイヴァース家に出入りしていた豪商か)
 その男は、テリオンが以前ボルダーフォールで信用状を盗んだ相手だった。あの後信用状はヒースコートに取り上げられたので、もう持ち主のもとに戻っているはずだ。顔を覚えられるようなへまはしていないし、テリオンが犯人だとは気づいていないだろうが——正直気まずさはある。
 こんな場所で会うとは思わなかった。テリオンはさりげなく剣士の広い背に隠れる。
「おや、もしやそこのお嬢さんも商人かね」
 豪商は帽子に羽飾りをつけた少女に目をとめた。
「あ、はい。まだ修行中ですけど」
「いいねえ修行か。私も昔はそうして腕を磨いたものだよ。行商の旅で大陸全土を回ってね——」
 年寄り特有の長話がはじまった。真面目に聞いていたら夜になりそうだ。
「あの、見たところおじさんは商品を持ってないみたいですけど、クオリークレストの町には何をしに来たんですか?」
 商人がタイミング良く話を遮る。
「いいことを聞いてくれた。ずばり、こちらの地主と金鉱石の取引きをするのが目的だよ」
「えっ!」
 商人は甲高い声を上げ、慌てて口をふさいだ。そんなに驚くことなのか。
「じゃ、じゃあ、今の金の買取価格を知りたいんですけど!」
「あのなあ、なんでそんなことを教えなくちゃいけないんだね」豪商は訝しげだ。
 そうだ、いくらなんでも切り出し方が直球すぎる。もっと別のアプローチを考えるべきだろう。
 だらだらと会話するうちに多少雨足が弱まってきた。テリオンは連れを振り返る。
「もう戻るぞ。さっさと報告をすませたい」
「でしたらご一緒します」「トレサはどうする?」
 商人はまごまごしていたが、豪商に「失礼します」と頭を下げた。
「あたし、探してる人がいるの。だからまた後でねっ」
 ひさしから出て、商人はカエルか何かのごとく跳ねるように駆け出して行った。
 結局彼女は何を言おうとしていたのだろう。かすかに疑問を浮かべながら、テリオンは小さな背を見送った。



「おかえりテリオン君。おや、みんなも一緒だったか」
「ずいぶん遅かったじゃねえか、俺の勝ちだな!」
「オフィーリアたちとともに調査に行っていたのだな」
 集合場所として指定されたのは、高台にある学者の知り合いの家である。小雨の中テリオンたちが訪問すると、そこには商人以外の旅の連れが全員そろっていた。いつの間に捜査に加わったのだろう。おかげで部屋は非常に狭苦しい。
 家主である学者の先輩は、見るからに疲れた顔をしていた。
「サイラスの仲間が大勢いるって話、本当だったんだね……」
「オデットさん、私が嘘をつくと思ったの?」踊子が首をかしげる。
「そうじゃないけどさ。ちょっと予想外だね、これは」
 女性は困惑したように椅子にもたれた。
 ごちゃごちゃと本が積まれた居間に総勢八人が集う。当然椅子の数は足りないので、半数以上が突っ立っていた。
「では、みんながそろったところで、今回の事件について状況を整理しようか」
 そう言う学者の目元には隈が目立つ。相当根を詰めて捜索しているらしい。この事件には、そこまで彼を焦らせるものがあるというのか。
「まず、一昨日のことだ。この町でオデット先輩がお世話になった方の、お孫さんが突然行方不明になった」
 その時の状況を、と促されて先輩が話しはじめる。
「お孫さんは女性だよ。歳は二十二。一昨日、いつもどおり露店街に買い物に出かけたきり、帰ってこなかったんだ。最後に目撃されたのは家を出た時で、露店街に着く前にはもう失踪していたみたいだね」
 先輩はゆるゆるとかぶりを振る。
 彼女は今までテリオンが見てきた学者勢の中で、一番常識がありそうだった。あの男の先輩だからどれほど酔狂かと思いきや、むしろ逆らしい。すべからく学者は変人である、という考えは改める必要がありそうだ。
「彼女の失踪に関しては、少し気になることがあってねえ」
「気になること……ですか?」神官が首を傾ける。
「金採掘者や地主を毛嫌いしていたんだ。それに、労働者たちの監督と組んで地主の不正を暴こうとしていた。結構派手に態度に出してたもんだから、そっちの恨みを買っていた可能性がある」
 なるほど、あの腹の出た地主が犯人候補に上がっているらしい。だが、孫の件はともかく、自分の所有する鉱山で働く労働者を誘拐する意味などあるのだろうか?
 学者は手元にメモを取り、顔を上げる。
「ふむ、それも考慮に入れて推理する必要があるね。そして、オデット先輩は彼女について調べていた時、この連続失踪事件に気づいたんだ」
 先輩が相槌を打った。
「聞き込みをするうちに、どうやら他にもいなくなった労働者がいるらしいって話を聞いてね。一旦お孫さんの捜索は監督に任せて、わたしは労働者の名簿を漁ることにしたんだ」
 そこにたまたま学者が訪ねてきた。一人で丸一日、学者と二人で半日かかって名簿を照らし合わせ、失踪した疑いのある人物を絞り込んだ。
「行方不明者については、アーフェン君に頼んで裏を取ってもらったよ」
 薬屋が自慢げに胸を叩く。
「ここで俺の出番ってわけよ。まあ、プリムロゼやハンイットにも手伝ってもらったけどな」
「手が空いていたから、この程度はやぶさかではない」
「聞き込みなんて普段しないから、面白い体験だったわ。みんな素直に話してくれたわよ」
 踊子は髪をかき上げる。聞き込みと言うより半ば誘惑していた可能性がある。相手はさぞ面食らっただろう。
「で、最終的な行方不明者は十人ぴったりだったぜ」
 薬屋のほおは少し赤くなっていた。もしや、酒を飲みながら聞き込みをしたのだろうか。労働者相手なら有効な手段だろうが、薬屋は「昼間から堂々と酒が飲める」と内心喜んでいた可能性がある。
 学者はうむ、と首を縦に振った。
「私は念のため、町で労働者登録の順番を待っている人々と、労働者以外の住民からも行方不明者が出ていないか探ってみた。が、そちらは空振りだったよ」
 テリオンたちに調査を依頼した後、彼も別の場所で聞き込みをしていたのだ。
「そして、これがみんなの協力のおかげで出来上がったリストだ」
 学者が新しい紙をテーブルの上に出す。確定した行方不明者だけを名簿から抜き出したものらしい。
「行方不明になったのはここ半年で十人と一人。ペースは不安定だが、明らかに連続して起こっている事件だね」
 学者は事件と断定した。彼らは自発的に出ていったわけではない。ならば、どこかに誘拐した犯人がいる。
「鉱山労働者ばかりなのは、人の入れ替わりが激しく、失踪しても発覚が遅れるためか」
 と言いながら剣士がリストを覗き込む。彼も犯人の存在に気づいているのだろう。
「おそらくはね。失踪した時のくわしい状況を聞けたら良かったのだが、さすがに半年前のことを思い出してもらうのは厳しい。正直情報が足りていないよ。
 そこで、彼らの行方なのだが——」
 学者が涼やかな瞳をこちらに向けた。
「テリオン君、調査の結果を教えてくれ」
 こればかりは神官や剣士には任せられない。自分で話すしかないだろう。
「廃坑の奥を調べると、遺跡のような場所につながっていた」
「ほう、遺跡か」
「テリオンさんが入り口を見つけたんですよ」神官が何故か得意げに言う。
「入り口の手前には魔物がいて、何者かによって鎖でそこにつながれていた。あの遺跡の中に行方不明者がいるとすると、魔物は門番のような役割をしていたのかもしれん」
 剣士の発言に学者が「なるほど」とうなずく。
 その時、椅子の背に体重を預けていた先輩が、急にがばりと起き上がった。
「もしかしてその遺跡——」と不意に台詞を切る。
「オデット先輩、何か知っているのかな」
「ああ……前に知り合いから聞いたことがあってね。町の地下に遺跡があるって話さ。確かに、行方不明になった人たちがそこにいる可能性は高いだろう」
 先輩はそれまでと微妙に態度を変えていた。何故かは分からない。テリオンでも気になるくらいの変化だが、学者は特に突っ込まなかった。
「しかし、遺跡のつながった先が朽ちた採掘所か。お孫さんが失踪した時の状況からすると、露店街を通り抜けて町の外に出たとは考えにくいが」
「魔物がいたなら廃坑の入り口は普段使ってないんだろ。万一行方不明者が逃げ出さないように出口を塞いだのかねえ……? となると、この町からも遺跡に入れるかもしれないよ」
 二人はテンポ良くやりとりを続ける。学者が「ならばもう一つの入り口を探ろうか」と、再びテリオンに青いまなざしを向けた。
「行ってくる」
 頼まれる前に身を翻した。町を探索して遺跡を見つけろと言いたいのだろう。「任せたよ」という声が背中を叩く。これ以上狭い室内で小難しい話を聞くよりは、雨だろうと外を歩く方がずいぶんましだ。
 玄関を開けると雨は小降りになっていた。テリオンはどんよりした雲の下に出る。
 遺跡は町の地下にあるという。となれば地面が怪しいか、と足元に注目しながら道をゆく。にわか雨により通行人は消えていた。鉱山の操業も止まっているのか、町は妙に静かだった。
 周囲を見回して、テリオンははたと思い当たる。
(この町、やけに水はけがいいな)
 道の端に溝が切られているわけでもないのに、地面にほとんど水たまりがなかった。水はけなんて普段は気にしないが、雨模様なのに妙に歩きやすいのでたまたま気がついた。
(どこかに水が流れ込んでいるのか……?)
 テリオンは雨水の行き先を追うことにした。先輩の家からどんどん町の下層へと降りていく。
 住宅の建ち並ぶ区画に入ると、水の動きが複雑になった。何度も立ち止まって慎重に流れを調べる。この区画は町の中心部に接続するだけでなく、郊外に至る道も伸びている。そちらに大地主の屋敷があることは初日に確認済みだ。たとえ忍び込む予定がなくとも、ああいう場所は必ずチェックする癖がついていた。
 遠目に見える屋敷は仰々しいシルエットをしていた。そちらに水が流れていないことを確認し、視線を外す。
 その時、赤いバンダナをした少年とすれ違った。耳の上につけた羽飾りからすると商人のようだ。彼は一心不乱に郊外へと走って行く。そちらには地主の屋敷しかないが。
(まあ俺が気にすることじゃないな)
 気を取り直して探索を再開する。広場を過ぎて、宿屋のあたりまで来た。
 通行人が少ないおかげで、今のところテリオンの行動もそこまで目立っていない。ありがたいことだと考えていたら、誰かが目の前を横切った。
(……ん?)
 旅の連れの商人だった。うつむいてとぼとぼ歩いている。テリオンたちが会議を開いている間もずっと外に出ていたようで、服は濡れそぼっていた。
 テリオンは声をかけるタイミングを逃し、通り過ぎる彼女をただ見守った。商人は心ここにあらずといった様子だ。足元に意識が行っていない。そのまま木の階段に足をかけた。濡れていると滑りやすい箇所だが——
「きゃっ」
 案の定商人はバランスを失った。おまけに手すりをつかめない。ふらついた体が向かう先は、クリフランドの切り立った崖だ。
 刹那、テリオンの脳裏に過去の情景がフラッシュバックした。高い崖と流れる水。彼は即座に駆け出し、落ちゆく商人に手を伸ばす。
「あぶな——」
 雨粒混じりの風が吹いた。まるで商人を谷底から押し上げるように。
「よっと」
 商人は軽業のような動作で後ろに向かってジャンプした。あっさりと体勢を持ち直し、なんなく階段の上に着地する。
「あれ? どうしたのテリオンさん、こんなところで」
 全身から力が抜けた。商人はぴんぴんしていた。おそらく緊急回避とかいう技を使ったに違いない。
「……別に」
 全力で目をそらした。商人は不思議そうにしていたが、
「サイラス先生のところに行ってたんじゃなかったの?」
「また別の調査だ。お前こそどうした、探しているやつは見つかったのか」
「それが、どこにもいなくて……」商人はうなだれる。「あいつ、今朝あたしと一緒に広場で碧閃石を売ってたの。でも地主のモーロックさんに石の権利を奪われそうになって、怒ってどこかに行っちゃったのよ」
 商人は商人で、さまざまな出来事と遭遇していたらしい。テリオンは先ほどすれ違った少年を思い出した。
「そいつは赤いバンダナをしたやつか?」
「そうだけど……もしかして見つけたの!」
 彼女は期待に満ちた目をする。行方を教えること自体は構わないが、その前に訊きたいことがあった。
「なんでその男を気にかけるんだ」
「……え?」
 商人は目を丸くした。テリオンは重ねて尋ねる。
「そいつはお前の商売敵じゃないのか。邪魔者が消えて好都合とは思わないわけか」
 彼女はぶんぶんと頭を振った。
「そんなこと思ったりしないよ! あいつはムカつくけど、商売で勝たないと意味ないし」
「……そうか」
「もう、おかしなこと聞くんだから」
 テリオンは少し感心していた。盗賊ならば同業者は絶対に警戒すべきだが、商人はそうではないらしい。彼女はしっかり線引きを行っているようだった。
「その男なら、地主の屋敷に走っていったぞ」
 すると商人は真っ青になる。
「嘘でしょアリー……ど、どうしよう」
 焦ったように再びふらふらしはじめた彼女は、何気なく近くの崖壁に手をついた。
「うわあっ!」
 突然その姿が消えた。テリオンは目を見開く。
 崖の一部にぽっかりと穴が開いていた。商人はそこに吸い込まれたらしい。今度ばかりは緊急回避も間に合わず、転倒してしまう。
「え、何これ?」
 起き上がった商人は帽子を拾い上げ、おっかなびっくり周囲を確かめる。その足は冷たい石の床を踏んでいた。
「ここにあったのか」
 商人が仕掛けを作動させ、壁が開いたのだろう。テリオンも中に入る。床と壁の材質からして、廃坑の奥にあったあの遺跡で間違いない。どうやら町の排水を流す下水道としても機能しているらしい。
 それにしても、町の地下に遺跡とはまた意味深な話だ。学者の先輩はどういう経緯でここを知ったのだろう。
「もしかしてテリオンさんはここを調査してたの?」
「そうだ。お前のおかげで助かった」
「え」
 商人は固まった。珍しい品物を見つけた時のように、まじまじと見つめてくる。
「なんだ?」
「い、いや別に。テリオンさん、ここに入るの?」
「一度報告してからだな」
「そっか」
 二人で遺跡の外に出た。商人はぱんぱんと服を叩いて泥を払う。テリオンはそれを見下ろしながら、
「お前はこれから地主を倒しに行くのか?」
「あ、あたしが? なんで?」
 商人はぽかんとして聞き返す。
「先に喧嘩を売りに行った知り合いを追いかけるんじゃないのか。それに、自分の商売が横から奪われそうになってるんだろ。血の気の多いお前が考えそうなことだ」
 故郷で似たようなことがあった時、海賊をしばきに行ったんだってな。少し意地悪な気分で言ってやると、商人は何故か放心したように唇を開いた。
(……なんだ、この反応は)
 彼女は濡れた帽子に手をやり、空を仰いだ。雨を浴びてすくすく育つ新芽のような色の瞳が、だいぶ薄くなった雲の向こうに太陽の存在を透かし見る。
「——そうよね。最初からそうすれば良かったのかも。あーあ、変に悩んじゃった。あたしらしくなかったわ」
 雨はまだ上がらない。けれども商人は晴れ晴れとした笑みを浮かべた。
「ありがとうテリオンさん。宿題の答えが見つかったわ!」
 宿題とは何のことか、どうして感謝されたのか、疑問は尽きない。
 だがそれよりも、テリオンは彼女の見せた変化に驚いていた。露店街の軒先で雨宿りした時からさほど時間は経っていないというのに、商人の中で「何か」が花開いたようだった。
 この商人、まだまだ化けるかもしれない。

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