流れる者たちの公理



「サイラス先生、ちょっと話したいことがあるの。今時間はある?」
 テリオンの案内で高台の一軒家を訪れるなり、トレサは学者にそう告げた。
 現在、仲間たちはサイラスの指示のもと、クオリークレストで発生している行方不明事件の解決に動いている、とテリオンが言っていた。おそらくトレサが何度か会話した老婆の孫の件だろう。思わぬところで話がつながっていた。そして行方不明者たちは、先ほど彼女が偶然見つけた遺跡の中にいるかもしれないという。
 他方で、モーロックの屋敷に向かったであろうアリーのことが気にかかった。もし一人で傭兵に戦いを挑んでいるとしたら——こちらもあまり時間の猶予はない。
 だが、トレサはどうしても今すぐサイラスに相談したいことがあった。
 彼女が切羽詰まったように切り出すと、仲間たちは顔を見合わせる。オデットという名の先輩は「あんた、どうするんだい」とサイラスに問いかけた。
「分かったよ。では一度外に出ようか」
 必死に見つめたのが功を奏したのか、サイラスはあっさり応じてくれた。
 時刻はそろそろ夕方だ。雨はほとんど上がりかけていた。サイラスはフードをかぶり、トレサはそのまま歩く。長時間雨の中を動き回ったので帽子はずいぶん濡れていたが、何故か不快感はなかった。
 両足は迷いなく鉱山へと導かれる。採掘作業は雨で休みになり、代わりに酒場がにぎわっているようだ。
 トレサは山々を一望できる場所で立ち止まった。
「あたしなりにコインの絵柄の意味を考えてみたの。聞いてくれる?」
 これはきっと、今答えなければいけないことだ。だから彼をこの場所に呼んだ。
「もちろんだとも」
 サイラスはうなずいた。トレサはすうと息を吸う。
「盗公子エベルは、いろんな地方から盗んできたお宝をクリフランドに隠したっていう話を聞いたわ。そのお宝は別の地方では必要とされていないものだった。どうして埋もれた価値を見つけられたのか——それはエベルが旅人だったからだと思うの」
 考えに考えて出した自分だけの答えを、トレサはつたなく紡いでいく。
「商人だって同じよ。土地の人には分からない価値を見つけ出して、誰かに届けることができる。人、もの、お金には流れがある……だから、コインの表にエベルの象徴が描かれていたんじゃないかな。
 これがあたしの答えだけど……ど、どう?」
 しとしと降る雨の中、トレサは祈るような気持ちでサイラスを見上げた。彼はあごに手をあてて考え込む。
 彼が王立学院で行っていた授業はどのようなものだったのだろう。生徒たちも、こうしてドキドキしながら返事を待つ瞬間があったかもしれない。
 やがてサイラスは大きく首肯した。
「なるほど、それは私の想定していない答えだった」
「えっ」
 トレサはさっと青ざめる。もしや間違えてしまったのか。
「だが、確かにコインの絵柄の由来というなら、キミの考えの方が正しいのかもしれないね」
 謎掛けのような答えだった。トレサは慌てる。
「ちょ、ちょっと待って! くわしく説明してほしいんだけど……」
 サイラスはにこりと笑い、手のひらを広げて小雨を受けた。青い視線が濡れた山々をなでる。空はだんだん明るくなり、雲の向こうに夕焼けの気配があった。
「キミも知っての通り、ここは乾いた土地で草木も少ない。けれどこうして雨が降ると山は水を蓄え、必要な分だけ外に排出する。日照りが続いても崖下を流れる川が決して枯れないのは、そのおかげだ。
 この豊かな水は、盗公子エベルによってもたらされたものとして知られるんだよ」
「神様が水を?」
 どういうことだろう。トレサが首をかしげると、サイラスは弾んだ声で説明してくれた。
 まだ十二神が神界へと去る前——人々と共に暮らしていた頃の話だ。盗公子エベルは諸国漫遊の旅の途中、この地方にたどり着く。その頃、クリフランドの民は水不足にあえいでいた。
 人々の訴えを聞いたエベルはあることを思いつく。隣のリバーランドに赴き、霊薬公の氷室からこっそり氷をいただいてきたのだ。それを少しずつ鬼火で溶かすことで、水を確保した。
「このようにして、クリフランドは水の豊富な土地になった。人々は盗公子に感謝して、この地方の守護神として祀るようになったのだよ」
「へええ……」
「そう、盗公子は盗みによって、動きようのない状況を打開したんだ」
 動きようのない状況を打開する——そのフレーズが頭にこだました。彼女は雨だれを見つめながら、胸元に手を置いた。
「私の想定と、キミの導いた答えは違った。だが決して間違いではない。それは今、キミが一番必要としている答えなんだよ」
「今のあたしに必要なこと……」
 まぶたを閉じようとした瞬間、雲の切れ間から夕日が差し込んだ。ついに雨がやんだのだ。眩しい光が目を刺して、トレサは顔の前に手をかざす。
「トレサ君、あれを」
 指の隙間からサイラスの示す方を見つめた。
 傾いた陽光を浴びたクリフランドの山々が、そこに眠る鉱脈を示すかのように金色に輝いている。雨上がりの清涼な風に吹かれ、急峻な山はいつになくはっきりとした輪郭を持っていた。
 あそこにはたくさんの宝物が眠っている。トレサとアリーが見つけ出した碧閃石だけでなく、もっと別の鉱石だって発掘の日を待っているかもしれない。それは決して誰にも奪われてはならないもの、この町の人々に還元されるべきものだ。
 トレサはぐっとこぶしを握った。
「あたし、この町を変えたい」
 言葉に出して、やっと気づいた。このもやもやした気持ちの源は怒りだ。トレサは湧き上がる思いを声に込め、サイラスに訴える。
「お金をたくさん持ってたら何をしてもいいわけじゃないわ。地主が町の人を搾取するなんておかしいし、やっぱり許せない」
 何よりも、
「このままじゃ人の動きも、ものの流れも止まっちゃう。お金は回り続けないと価値を生まないわ。そんなの、商人として絶対に見過ごせないの!」
 テリオンに指摘された旅立ちのきっかけを思い出す。あの時トレサは大切な商品を奪われたことが我慢ならず、海賊と戦おうと決意した。今思えば、自分の町の問題だったからすぐ行動に移せたのだろう。
 しかし今回は部外者だからと遠慮していた。どう考えても自分らしくないことだった。碧閃石を見つけたトレサは、もうクオリークレストと無関係ではありえない。
 サイラスはどこか満足気に、
「キミならこの町を変えられる。流れる者——部外者だからこそ新たな視点が持てるのだよ」
 一を話すだけで百を理解してもらえる。そんなサイラスが仲間としてそばにいてくれることは、彼女に途方もない喜びをもたらした。
「ありがとうサイラス先生!」
 トレサは破顔する。
「でもあたし一人じゃなんにもできないわ。みんな手伝ってくれるかな。行方不明事件の方で忙しいわよね……」
「大丈夫、仲間は必ず協力してくれるさ。事件の調査も最終段階だから、もうそんなに人数も必要ないだろう」
 サイラスは目元を和らげた。
「私もトレサ君を手伝いたい。この町を変えるために何をすればいいか、一緒に考えよう」
 二人の間を風が吹き抜けた。気分は爽やかだが、服が濡れているせいで少し寒い。「そのままでは風邪を引くよ」とサイラスは鞄から乾いた布を取り出す。ありがたく受け取り、服を拭く間もトレサは考え続けた。
「モーロックさんはお金持ちで、強い傭兵をたくさん雇ってるわ。普通に戦っても勝ち目はないわよね」
「トレサ君、それを覆す手段をキミはもう知っているはずだよ」
 なんのことだろう。トレサはクオリークレストで巡り合った出来事をひとつひとつ思い浮かべた。
「うーん、数で押すとか……? ああそっか、鉱山の人たちだ!」思わず膝を打つ。
「そう、鉱山労働者は千人を超える。彼らを味方につけよう」
 サイラスの助言を受け、トレサは必死に策を練った。
「全員でなくても、労働者の何割かが不満を訴えただけで十分な数になるわ。モーロックさんも無視できないはずよね」
「しかし、ただ不平を言っても金の力で握りつぶされてしまう可能性がある。決定打を与える必要があるね」
 トレサは老婆から聞いた話を思い起こす。それと、アリーが広場で地主に突きつけた言葉も。
「モーロックさんは金の買い取りで不正をしてるかもしれないの。どうにかしてそれを暴けないかな」
 サイラスは形の良い眉を上げた。
「不正か。屋敷には、金の取引きに関する書類が保管されているはずだね。それがあれば動かぬ証拠になるだろう」
「そうだわ! ちょうど今、モーロックさんから金を買い取ってる商人が町に来てるの。あの人に書類を突きつければ——」
 商売は信用が第一だ。地主の不正が暴かれ、豪商が金の取引きをやめたらどうなるか。悪い噂ほど早く広まり、モーロックから金を買い取ろうとする者はいなくなるはずだ。
「なるほど。その商人をこちらに引き込むことができれば、勝利の天秤はキミに傾くだろうね」
 サイラスは唇をほころばせた。
 問題は「どうやって書類を手に入れるか」であるが——トレサの脳裏には、先ほどからある人物が浮かんでいた。その「作戦」についてサイラスに話してみる。
「ふむ。そういうことなら本職に聞いてみようか」
 彼も同じことを考えていたらしい。
「よーし、ならさっそく呼びに行かないと!」
 トレサはサイラスの手をとり、オデットの家に向かって走り出そうとした——が。
 澄んだ空気の中、ぎゅうと腹の虫が鳴いた。それは予想外に大きく鉱山に響き渡る。
「あっ……」
 そういえば昼食を食べそこねていた。三度の食事をこよなく愛する彼女としたことが、緊急事態の連続により忘れていたらしい。
 サイラスが朗らかに笑った。
「一度休憩しようか。みんなも疲れているだろうからね」
「うう……そうします」
 二人は沈みかけた太陽に背を向け、肩を並べて歩く。軽やかな風がその背を押した。
 トレサはふと鼻をひくつかせた。
「ねえサイラス先生、なんだかいい香りがしない?」
 空腹時、彼女の嗅覚は普段の何倍も鋭敏になる。その香りはオデットの家に近づくにつれてどんどん複雑なものに変化してきた。
 一方のサイラスはあまりぴんときていないようだった。
「さあ……私には判別できないが、キミが言うなら確かなのだろう」
「間違いないわ。みんなあたしたちを待ってるのよ!」
 トレサは高台へ向かう階段を一段とばしで駆け上がる。
「ただいまー!」
 ばたんと玄関を開け放ち、元気よくオデットの家を再訪した。待ち望んだ香りを肺いっぱいに吸い込む。
「おや、いいタイミングじゃないか。ちょうど準備できたところだよ」
 家主のオデットはテーブルの上に大皿を並べていた。あたりに食欲を誘う香りが広がる。食卓には肉、魚、野菜、果物までそろっていた。「これよこれ」とトレサは今にも飛びつきそうになる。
 全員で片付けたのだろう、部屋は出てきた時よりも広々としていた。他の仲間も次々と皿を運び込み、食卓がどんどんにぎやかになっていく。
「オデット先輩、この料理はどうしたんだい?」
「悪いけど手作りじゃないよ。露店で買ってきたのさ。みんなそれぞれ好物を選んできたみたいだよ」
 オデットはくすりと笑う。なるほど、トレサとサイラスが出かけてから、こちらでも休憩をとる流れになっていたらしい。
 味の濃いもの薄いもの、ちぎっただけの新鮮な野菜と凝った煮込み料理。バラバラの好物がむしろ仲間たちらしい。見たところ、酒は並んでいなかった。なにせ事件の捜査はこれからが本番だ。酔っ払っている暇などない、ということはアーフェンやテリオンも分かっているようだった。
 サイラスが耳元で囁いた。
「トレサ君、先ほどの話は食事の後にしよう」
「賛成っ。もうお腹ペコペコだもの!」
 数の足りない椅子を部屋の隅に寄せる。九人は立ったまま食卓を囲み、「いただきます」と唱和した。
 気心の知れた仲間たちとの食事は、酒が入らずとも十分に盛り上がる。誰がどの料理を買ってきたのか予想しながら食べるとより楽しかった。トレサは取り皿いっぱいに料理を盛り合わせ、次々平らげていく。
「ちょっとがっつきすぎじゃねえか、トレサ」アーフェンは少々口寂しそうに水の入ったグラスを傾ける。
「むぐ……だって、お腹減ってるんだもの」
「食べながらしゃべるのは良くないぞ」
 すかさずハンイットが指摘した。慌てて口の中のものを飲み込めば、あたたかい笑いが返ってきた。
 オデットもすっかり八人の中に馴染んでいた。彼女は「とっておきだよ」と言って、サイラスの学院時代の話をしてくれた。
「こいつ絡みの笑い話はいくつもあるが、中でもひどかったのはあの時だね。ほら、あんたの同期のラッセルさ。同じ年に学院に入ったってのに、五年経つまで顔も名前も覚えてなかったってやつ」
「オデット先輩、それは少し話を盛りすぎだよ……」
 学者は困ったように眉を下げる。彼には悪いが、トレサは遠慮なく笑わせてもらった。
(普段はちゃんとしてるのに、先生ってば抜けてるところも多いのよね)
 そう思うたび、「あたしがしっかり見ておかなくちゃ」と思う。なにせトレサは彼の生徒ではなく、仲間なのだから。
 やがて十分に腹を膨らませ、トレサは両手をぱしんと胸の前で叩いた。それは「ごちそうさま」の合図ではない。
「あのね、みんなに聞いてほしいことがあるの」
 注目を集めてから、トレサはサイラスと目で会話した。彼はそれでいい、というように首肯する。
 ゆっくり深呼吸して、この二日間でトレサの周囲に起こった出来事と、それに対する自分の考えを仲間に打ち明けた。
「この町はそんな状態になっていたのだな」
 ハンイットが目を丸くする。アーフェンは酒も入っていないのに何度もうなずき、すっかり同情モードに入っていた。
「あたしだけじゃモーロックさんをどうこうするなんて絶対に無理だわ。だから、どうしてもみんなに協力してほしいのよ」
 きっと良い返事が聞けると分かっていても、お願いした瞬間は少しだけ緊張した。
「やっとやる気になったのね、トレサ」
 一番最初に口を開いたのは意外にもプリムロゼだった。もしや、トレサが広場でアリーに負けた時から気にかけていたのだろうか。
「もちろん手助けさせてください」「俺たちにできることがあったら何でも言ってくれ」
 他の仲間も口々に同意を示す。
「みんな、本当にありがとう!」
 トレサはぴょこんと頭を下げた。
 サイラスは両目に穏やかな光をたたえて仲間を眺めると、壁際で腕組みをしているオデットに話しかけた。
「一応聞いておくけれど、オデット先輩もそれでいいね?」
「構わないよ。モーロックのやつは最初から気に食わなかったんだ。あいつ、前の地主を無理やり追い出したって噂もあるんだよ。ちょっとくらい痛い目を見ればいいさ。クオリークレストの住民も歓迎するんじゃないかな」
 ありがたい援護だ。たくさんの協力者を得て、トレサは「絶対にやってみせる」と決意を新たにする。
「それで、商人のお嬢ちゃんはこれからどうするんだい?」
「知り合いがモーロックさんの屋敷に文句を言いに行ってるかもしれないの。危ない目にあってたら大変だから、できれば今から追いかけたいんだけど——」
 トレサは輪の外れにいる人物をさりげなく確認した。先ほどから一言もしゃべらないけれど、「彼」は協力を拒否したわけではなかった。
「それで、サイラスは遺跡の探索に行くわけだね」
 オデットに断言され、サイラスは一瞬不思議そうな顔をした。そういえば、彼にはまだ遺跡の話をしていなかった。
 サイラスはすぐに得心がいったらしい。
「ああ、もしかしてテリオン君が遺跡の入り口を見つけてくれたのかな」
「俺じゃない」
 すかさず本人から訂正が入る。テリオンはこういう時だけ声が大きい。トレサはおずおずと告白する。
「えっとね、たまたまあたしが寄りかかった壁に、入り口が隠されてたの」
 盛大に転倒したことを思い出すとちょっぴり恥ずかしかったが、サイラスが「それは僥倖だったね」と言ってくれたので良しとしよう。
「それでは、屋敷か遺跡か——みんながどちらに向かうべきか、割り振りを考えなければいけないね。トレサ君、キミの希望を聞こう」
 トレサはうなずき、部屋の隅に行って紫の外套の裾を引いた。
「その前に、テリオンさんに相談があるわ」
 彼はぴくりと眉を動かす。
「何だ、一体」
「サイラス先生も来て!」
 疑問符を浮かべるオデットたちをその場に置いて、トレサは二人と一緒に外に出た。日は完全に沈み、山の方から夜風が吹いてくる。
 三人は明かりの漏れる玄関先で顔を突き合わせた。
「モーロックさんの屋敷に忍び込んで、書類を盗みたいの」
 トレサは単刀直入に切り出す。テリオンは目を見開いた。
「俺に屋敷に行けと言いたいのか?」
「ううん、テリオンさんはサイラス先生と一緒に遺跡の調査があるでしょ? だから、屋敷にこっそり入るための作戦を考えてほしいのよ。お願い、この通り!」
 帽子をとって頭を下げる。テリオンは瞳を閉じて熟考に入った。
 トレサは彼の盗みに対して割り切れない思いを抱えている。他人の財産を奪うのは邪道な行為である——その考えはきっとこれからも変わらないだろう。しかし今、トレサは彼に教えを請おうとしていた。
 武力や財力に阻まれて正道の手段が通用しない時、盗みという行為は重大な意味を持つ。盗公子エベルが盗みによってクリフランドの問題を打開したように、技術は使いようであると信じているから、彼に助けを求めるのだ。
 白銀の髪が夜風にさらさら揺れる。やがて彼はまぶたを開けた。
「……相手が傭兵を雇っているなら、正面突破は面倒だろう。相手の注意を玄関にでも引きつけられないか。不満分子をけしかけて、思いきり騒がせるとか」
 真剣かつ具体的な提案だった。トレサは身を乗り出す。
「なるほど! やっぱり先生の言ったとおり労働者を味方につけるのがいいわね。玄関で騒いでもらって、その隙に侵入するわけか。ねえ、そういう時って窓を破って入るの?」
「俺なら窓は割らない。侵入経路がばれるからな。もし破るなら、応接間の窓がいいだろう。そこなら夜に使われることはまずない」
「そっか、なら屋敷の間取りを知る必要があるのね。書類も探さなくちゃいけないし。監督さんなら何か知ってるかな」
 みるみるうちに話が進む。やはりテリオンを頼ったのは正解だった。
「他にも注意しなきゃいけないことはある?」
「傭兵の人数だけは絶対に把握しておけ。得物の確認もな。鉱山で働いているやつらならある程度は知ってるんじゃないか」
 二人が作戦を組み立てる間、サイラスは何も言わず、ただ目を細めて会話に耳を傾けていた。
 トレサは手記の空いたページにやるべきことを書き込んだ。テリオンのおかげで方針はまとまった。
「まずは監督さんに話をしてみるわ。もともとモーロックさんに不満を持っていたみたいだから、協力してくれるはずよ」
 サイラスが大きく首を縦に振る。
「それがいいね。さあ、みんなに話をしよう」
「うん!」
 二人はオデットの家のドアを開けた。
 その時、背中の方で小さな声がした。相変わらず聞こえづらかったが、澄み切った空気のおかげでその言葉はしっかりトレサの耳に入る。
「うまくやれよ」という激励だった。



 こうして仲間の割り振りが決まった。トレサの方にはハンイット、オフィーリア、オルベリクがついてきてくれることになる。傭兵と戦う可能性を考慮して選出されたメンバーだ。
 鉱山に向かう階段の下で、トレサは丁寧にお辞儀する。
「よろしくね、みんな」
「ああ、任せてくれ」「わたしたちは全力でトレサさんをお守りします」
 オフィーリアは神官らしからぬことを請け負ってくれた。仲間とはこれほど心強いものなのか、とトレサはじんわり感じ入る。
 濡れた地面を踏みしめ、明かりのついた監督小屋を訪ねた。昨日はすげなく追い返されてしまったが、今のトレサはもう部外者ではない。碧閃石を見つけた彼女は進んで自らの責任を負うつもりだ。
 小屋に入ると、見覚えのある少年がいた。赤いバンダナに羽飾りをつけた——
「アリー!? なんでここにいるのよ」
 トレサは仰天した。地主の屋敷に向かったはずではなかったのか。屋敷に忍び込むにあたり「アリーを助ける」という大義名分があったのだが、いきなり雲散霧消してしまう。
「よお、トレサじゃねえか」
 アリーは余裕たっぷりの様子で腰に手を当てる。最後に見た時よりもずいぶん落ち着いていた。
「来るのが遅かったな。今、この人と話してたんだよ」
 アリーの隣には、日が暮れる前に一緒に雨宿りしたあの豪商がいた。
(あ。まさかアリーも?)トレサは話の流れをなんとなく察した。
 豪商は不安そうな顔で、カウンターに座る監督に話しかけていた。
「モーロック氏が金の買取価格を不当につり上げているという話は本当ですか……?」
「アリー君の話によると、そうですね」
「それを確かめるためにこれから屋敷に乗り込むんだよ」
 トレサは仲間と視線を交えた。ハンイットがふふ、と笑みをこぼす。
「商人同士、考えることは一緒というわけだな」
 豪商を仲間に引き入れ不正を突きつける——サイラスと一緒に練り上げた作戦の一つは、すでにアリーによって実行されていたのだ。
 トレサは小声でアリーに話しかける。
「ね、そのおじさんとはどこで会ったの?」
「屋敷に行こうとしてたところをつかまえたんだ。トレサと別れた後、金を買い取る商人がちょうど町に来てるって聞いてな。あちこち探し回ってやっと見つけたよ。口説き落とすのは結構大変だったぜ」
「大変」と言いつつもアリーは達成感にあふれた顔をしている。実際説得に成功したのだから大したものだ。彼は口のうまさを最大限に活用し、豪商を管理小屋まで引っ張ってきた。
 アリーは鼻から息を吐く。
「もしかして、おたくらも地主とやりあおうってか? そりゃそうだよな。碧閃石のこと、諦められるはずないもんな」
 トレサはこくりとうなずいた。
「うん。あたし、この町を変えるって決めたの」
「お? おう……」
 きっぱり言い切ると、アリーは何故か眩しいものを見るような目になった。
 トレサはカウンターに近寄り、真正面から監督に視線を合わせた。
「監督さん、モーロックさんの屋敷の間取りを知りませんか? 取引きの書類がどこに保管されているか調べたいんです」
 彼はトレサの意図を察したようだ。
「何度か屋敷に入ったことはあるが、ごく一部の部屋しか知らないな……。待ってくれ、分かる範囲だけでも今書き出そう」
 胡散臭そうにしていた当初の態度はどこへやら、監督は素直に話を聞いてくれた。老婆やアリーから碧閃石の話が伝わっているのかもしれない。
 監督は紙を取り出し、書きものをはじめる。その作業の間、トレサにはやるべきことがあった。次なる作戦の発動だ。
「アリーも商人さんも、あたしと一緒に来てもらえますか」
 怪訝そうな二人を無理やり引っ張り、三人の仲間とともに鉱山から一番近い酒場に向かった。
「こんなところに何の用だよ」
「いいからいいから」
 そう言って扉を開け放つ。中には仕事を終えてすっかり酔客となった労働者がたくさんたむろしていた。酒場は大盛り上がりで、誰もトレサたちに注意を払わない。
 トレサはカウンターの前にずいと進み、両手を筒のようにして口の横に当てた。
「みんな、聞いて!」
 宵の口の酒場に若く活気ある商売声が轟いた。
 あたりがしんと静まり返る。仲間たちを含め、酒場に集った人々は皆、一体何がはじまるのかと目を瞬いている。
 この場の誰よりも小さいトレサは目一杯背伸びして、演説をはじめた。
「ここにいるみんなは碧閃石って知ってる? あたしとアリーが今日広場で売ってたこの石よ」
 トレサは売れ残りをリュックから取り出して明かりにかざす。人工の照明の下でも碧閃石は鮮烈な緑に輝いた。
「あたしはこれを、鉱山で捨てられていたクズ石の中から見つけたの!」
「なっ——」血相を変えたアリーを「まあ待て」とオルベリクが押し留めてくれる。
 そう、彼女は碧閃石の秘密を堂々と打ち明けていた。商売の観点からすると悪手である。だが、もはやトレサは自分たちだけで利益を独占することは絶対にできないと考えていた。
「最近金の出る量が落ち込んでるでしょ? これさえあれば、みんなもっと稼げるのよ!」
 おお、とどよめきが上がる。酔客の目の色が変わっていた。
「でもね……」ここで声をひそめる。「金と同じように、この石も地主が一括で買い取りをすることになっちゃったの。とんでもなく安い値段でね」
 ざわめきはすぐに落ち着いた。皆が真摯に耳を傾けている。
「みんなだっておかしいと思わなかった? 働いても働いても全然稼げないでしょ。何故かと言うとね、そもそもモーロックさんは金の価格を相場よりずっと下げてるのよ。モーロックさんから金を買い取っているこの人が証明してくれたわ」
 トレサはぽんと豪商の肩を叩く。「え、私かね?」急に舞台に引き上げられた彼はびっくりしていた。
 これは完全にハッタリである。不正の証拠や取引きのからくりはまだつかめていない。だが、テリオンならこのくらいの芝居は打つだろう、とトレサは勝手に考えていた。
「このままじゃ碧閃石も金と同じようになっちゃうわ。そんなこと、許されると思う?」
「いや、あんな地主許しちゃおけねえ!」「そうだそうだ」賛同の声が次々に上がった。
 今や人々の視線はトレサ一人に集中している。場の盛り上がりは最高潮になっていた。彼女はこぶしを振り上げる。
「みんな、地主の屋敷に行きましょう! 不正を直接訴えるのよ!」
 おう、とたくさんの腕が天井に向かって突き出された。
 オルベリクがいいタイミングで酒場の扉を開け放つ。ゆくべき方角から心地よい夜風が吹き込んできた。
 勢いづいた労働者たちをぞろぞろと引き連れ、トレサは夜の町に繰り出した。仲間やアリーたちと一緒に列の先頭を歩き、モーロックの屋敷を目指す。
 管理小屋の前を通りがかると、ばたんと扉が開き、監督が出てきた。彼は持っていた紙をトレサに渡す。
「見取り図は書いた。しかしものすごい騒ぎだな、キミがやったのか?」
「みんなの不満が爆発しただけですよ」
 トレサはくすぶっていたものをちょっと煽ってやったに過ぎない。そう答えると、監督は何故かため息をつく。
「監督さん、あたしたちは屋敷についたら裏手から侵入します。その間、みんなのことをお願いできませんか? 玄関で騒いで、できるだけ傭兵を引きつけてほしいんです。その間に証拠の書類を探そうと思って」
「なるほど、了解した」
 監督はすぐ列に加わった。常に落ち着いた印象のある彼が、瞳をギラギラと燃やしていた。労働者たちの勢いに焚き付けられたらしい。
 再び郊外に向かって歩き出したトレサの横に、オフィーリアが寄ってきた。
「トレサさん、とても演説がお上手ですね。講話の見本にしたいくらいでした」
「ええ? そんなんじゃないわよ」
 いくらなんでも褒め過ぎではないか、と慌ててしまう。
「それに声もよく通る。外にいたリンデが驚いていたぞ」ハンイットが雪豹の背をなでた。
「ああ。あの号令のかけ方はホルンブルグの合戦を思い出したな」
「そ、それってどういうこと?」
 オルベリクの発言は真面目な調子だったが、さすがに反応に困った。
「トレサさんがこの町を変えるのにふさわしい人だということですよ」
 オフィーリアがふんわり笑う。トレサはじわりと照れくささがこみ上げてきた。
「本当だよ、あんなに喋れるなんて思わなかったぜ。お前もやるじゃん」
 アリーにまで肩を叩かれる。実力を認めてもらえたようで、嬉しくなった。
「へへ……まだ本番はこれからよ、気を引き締めていかないと」
 と言いつつトレサの顔が一番緩んでいるのだった。
 そろそろ住宅街にさしかかる頃だ。気を取り直してずんずん歩みを進めるトレサの前に、背の低いシルエットが出てきた。
「あんた、地主の屋敷に行くんだってね」
 このしゃがれ声は——トレサはぱっと表情を明るくする。
「おばあさん!」
 騒ぎを聞きつけ、見送りに来てくれたのだろうか。老婆は何故か長い棒を杖のように地面についていた。
 トレサは胸を張る。
「あたしたち、これからモーロックさんの屋敷に行くの。金も碧閃石も必ず取り戻してみせるわ」
「ああ、頼んだよ」
 いつになく老婆の声が優しい。監督も「任せてください」と請け負っていた。
 オフィーリアがすっと前に出る。
「お孫さんはわたしたちの仲間がもうすぐ見つけます。おばあさんはどうか家で待っていてください」
 導きの仕草で杖をかざすと、老婆は「ありがたや」と頭を下げた。
 最後に、老婆は持っていた棒をトレサに押し付ける。
「あんたに貸してやるよ」
 ずしりと重い。暗くて見えづらいが、槍のようだった。「ほう、これは禁断の槍か」とオルベリクが感嘆の声を出す。トレサの知らない銘だったが、その重さや握った感触から、相当な価値のあるものだと悟る。
「こ、こんなの……もらえません!」
 きっと町で一番の業物だろう。どうして老婆が所持していたのかは分からないが、わざわざトレサのために持ってきてくれたのだ。
 老婆はすごんでみせた。
「貸すだけだって言っただろう。終わったら手入れして返してもらうからね。ま、その槍でせいぜい親分としての箔をつけな」
「親分って……」
 なんだか故郷で出会った海賊たちを思い出してしまった。背後で仲間たちが苦笑している。
 老婆は片目をつむってみせた。
「本当に欲しくなったら商人らしく買い取ることだね」
「……はい!」
 トレサは槍を大事に胸に抱いた。
 数十人の団体で住宅街を抜けると、ドアや窓から人々が不審そうに顔を出す。彼らは知り合いの労働者を見つけては行進の理由を聞き出し、自らも列に加わった。そうして勢力を増しながら、モーロックの屋敷のある郊外に出た。
 道の向こうに立派な建物が見えた。夜でも煌々と明かりが灯っている。
 トレサは一旦立ち止まった。仲間やアリー、集まった労働者たちを見渡す。これだけの力が集まれば地主に勝てないはずがない。皆、この町が変わることを望んでいるのだ。彼女は「流れる者」として、その思いを手助けしたかった。
 十分に視線を集めたトレサは、夜空に向かって勢いよく禁断の槍を振り上げた。
「さあ、開店よ!」

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