Let Me Know the Truth



「そう、やっぱりザンターさんは……」
 ストーンガード下街の一角にあるナタリアの家で、ハンイットはお茶をごちそうになっていた。当初は朝一番に訪問する予定だったが、思わぬ狩りの依頼で遅れてしまい、すでに昼過ぎである。依頼主に山羊の皮を渡して、きっちり報酬をもらった後、ここにやってきた。
 石化したザンターにヘンルーダの薬は効かなかった。そう告げるとナタリアは瞳の色を沈ませた。ハンイットは彼女を元気づけるように、
「だが、これでやるべきことがはっきりした。赤目を見つけて狩ればいい」
「そうね。ハンイットさんやエリザさんたちなら、きっと大丈夫よ。私も何かしたいけれど……あなたに任せてばかりで、申し訳ないわ」
「そんなことはない。ナタリアさんは何度も師匠の面倒を見てくれたのだろう。そのお礼だ」
 栗色の髪を持つこの女性は、ザンターの古い知り合いだった。あのいい加減な師匠が今までどれだけ迷惑をかけたのか、見当もつかない。「そんなことないわよ」という返事をどこまで信じていいものか。
 頭が痛くなってきたので、ハンイットは話題を変えた。
「そうだ。師匠は赤目がストーンガードを縄張りにすることをあらかじめ察していたみたいなんだ。聖火騎士が大勢で追ってもなかなか見つけられないのに、何故居場所を当てられたのだろう。それについて、師匠は何か言っていなかったか?」
 幻影の森で考えたことを打ち明けると、ナタリアは首をひねった。
「確かにそうね。どうしてかしら……あ、一つ思い出したわ。ザンターさんは『赤目は人けのない場所にいる』って言っていたわね」
「人けのない場所……?」
 魔物は不用意に町に立ち入らないから当然だ。しかしザンターがそう明言したことには意味がありそうだ。赤目は知能が高いという話は、旅先から来た手紙にも書かれていた。
「それ以上はちょっと分からないわね」
「いや、助かった。ありがとう」
 師匠の発言についてはもう少し考える必要がある。何か分かったら、エリザに連絡しよう。
 思考の淵に沈むハンイットを眺め、ナタリアがほほえむ。
「今日はあなたが来てくれて良かったわ。誰かと飲むお茶はおいしいわね」
「そうか? いつもごちそうになってばかりだが……ナタリアさんは、一人で不自由していないのか」
 ナタリアは過去に夫を亡くしていた。子どももいないらしく、広い家に一人暮らしである。彼女はぽつりとつぶやいた。
「そうねえ……ひとりって、寂しいものよね」
 ハンイットは口をつぐんだ。いつもは心の奥に押し込めていた感情が、ふっと浮き上がる。こうしてたくさんの仲間と旅をする前、シ・ワルキで師匠の帰りを待ちぼうけていた時、しばしばどうしようもなく心細くなることがあった。
 湿っぽくなった空気を払うためか、ナタリアは軽く手を振った。
「ほら、ストーンガードは階段が多いでしょう? 一人で買い物するのはなかなか大変なのよ。良いメイドさんでもいれば雇おうと思っているのだけど、ハンイットさんの知り合いに良さそうな人はいないかしら?」
 冗談まじりに訊かれて、少し思案する。一人だけ思いあたる人物がいたのだ。
 占い師スサンナに会うため訪れたスティルスノウで、ハンイットはプリムロゼの元使用人であるアリアナと再会した。彼女は黒曜館がなくなってから村の酒場で働いていたが、現状にあまり満足していないらしく、しきりに「ここは寒い」とこぼしていた。プリムロゼも何とかしてやりたいと考えているようだった。
「承知した。いつになるかは分からないが、いい人がいれば声をかけてみよう」
「まあ、ありがとう」
 ハンイットはカップを傾け紅茶を飲み干す。リンデは絨毯の上に横たわり、心地よさげにしっぽを床に打ちつけた。
 つい長居してしまったが、そろそろ時間だ。離れがたい様子の相棒を促し、椅子から立ち上がる。
「また旅に出るのね?」
「ああ。次はサンランドに向かう予定だ」
 オアシスの町でテリオンとオルベリクの目的が待っている。ハンイットは自分の用件に協力してもらっている以上、仲間の旅路を全力で手伝うつもりだ。
 ナタリアは玄関先まで見送りに来た。
「優秀なお弟子さんがいて、ザンターさんも鼻が高いと思うわ。町を出る時には挨拶がしたいからまた呼んでね。気をつけていってらっしゃい」
「ああ、いってきます」
 ハンイットはごく自然にそう答えた。
 家の外に出て、高山特有の冷たい空気を吸い込む。石畳の道は今日も多くの人々が往来していた。
(これから何をしようか)
 今回この町に立ち寄ったのは、物資の補給に加えて、ハンイットがヘンルーダの薬を試したいと頼んだからだ。目的はすでに果たされた。ならば、宿に戻って夕飯の下ごしらえでも——
「ハンイット。こんな場所でどうしたの……ああ、知り合いの家にいたのね」
 不意に声がかかる。仲間の踊子プリムロゼだった。相変わらずどこもかしこも露出した服装だ。この格好のままあらゆる地方を旅するのだから頭が下がる。彼女はナタリアの家を覚えていたらしく、納得したように頭を振った。
「ちょうど今、用事が終わったところだ。プリムロゼこそどうしたんだ」
「町を見て回っていたのよ。ここは相変わらずおかたい商売が多いみたいね」
 プリムロゼは少しつまらなそうに町並みを眺める。手頃な装飾品でも探していたのかもしれない。言われてみれば、この町の産業はあまり踊子向きではなかった。
 ハンイットは先ほどナタリアと交わした会話を思い出した。
「そうだプリムロゼ、少し話したいことがある」
「珍しいわね。いいわよ、歩きながら話しましょ」
「構わないが……」
 立ち話ではいけないのだろうか? 疑問の視線を送ると、プリムロゼは何故かこちらにぴたりと身を寄せて、
「妙な視線を感じるの」
「何?」
「この町に来てからずっとよ。見張られているみたいで気色悪いわ」
 ちらりと振り返ったエメラルドの瞳につられて、ハンイットも肩越しに背後を覗き見る。どこからともなく視線を感じた。相手の位置は特定できない。
 今回はあまり落ち着いて散策していなかったので、言われるまで気づけなかった。足元に目を落とせば、雪豹も頭を縦に振った。
 ハンイットは声をひそめた。
「どういうことだ? プリムロゼ、あなたの姿に男性たちが釘付けになっているのでは」
 すると何故かプリムロゼは目をすがめる。
「……あのね、それを言うならハンイットも同じでしょ」
「うん?」
 彼女ははあ、と盛大にため息をついた。
「あなたもなかなか無防備よね。いいわ、あとで私が直々に男の扱い方を教えてあげる」
「なっ……」ハンイットは絶句した。話の流れがまったくつかめなかった。
 プリムロゼはいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「それで、私に話って何?」
 ハンイットはひとまず話題がそれたことに安堵する。二人は大通りをゆっくりと歩き出した。こちらの警戒に気づいたのか、視線の主は必要以上に近づいてこなかった。
「実は、ナタリアさんがメイドを雇いたいと言っていてな。スティルスノウのアリアナさんを紹介したらどうか、と思ったのだが」
「アリアナはもう私の使用人でも何でもないのよ。直接話をして、本人が了承すればいいと思うわ。まあ、前会った時は寂しそうにしてたし、いい話かもね」
 プリムロゼは目を細める。以前よりずいぶん雰囲気がやわらかくなったものだ。できれば復讐に燃える冷たい顔よりも、こちらの穏やかな表情を見ていたいと思う。
 ハンイットはうなずいた。
「そうか。なら、今度アリアナさんを誘う時は、あなたの踊りを見せてあげてほしい」
「え、どうして?」
「スティルスノウの酒場であなたが踊っただろう。アリアナさんはうっとりしながら眺めていたぞ」
 二度目に雪の村を訪れた時、プリムロゼはバーテンダーに請われて一度だけ舞台で踊った。旅の仲間たちと従業員のアリアナは、その流麗な舞を久々にじっくりと鑑賞した。魔物との戦闘で鍛えた肢体はますます磨き抜かれたステップを踏み、見る者を魅了した。
「わたしもあなたの踊りにはいつも見とれてしまうからな」
 素直に褒めたつもりが、プリムロゼは額をおさえてうつむいてしまう。
「……そういうところよハンイット。話はそれで終わりね? じゃ、これから私がたっぷり男の扱い方というものを——」
 ハンイットはのけぞり、どうやって矛先をかわすべきか思いを巡らせた。
「プリムロゼ、ハンイット」
 落ち着いた声が二人の間に割って入った。
 仲間のオルベリクがいつの間にか正面に立っていた。その後ろにはトレサとアーフェンに加えて、見知らぬ銀髪の少女もいる。皆、何故か切羽詰まった顔をしていた。
「あなたたちが一緒にいるなんて珍しいわね。そちらの方は?」
 プリムロゼは真面目な雰囲気を察して、すぐに表情を切り替える。
「サイラス先生の生徒さんよ。テレーズさんって言うの」
「へえ!」「ほう……」
 トレサの返事に、ハンイットは思わずまじまじと少女を見つめた。テレーズは居心地悪そうに一礼する。
「テレーズと申します。サイラス先生を探しているんです」
「サイラスか? わたしは狩りが終わってから一度も見ていないぞ」
 プリムロゼも「知らないわ」と首を振った。そもそも彼はトレサと一緒に製本工房を回っていたのではないのか?
「おっかしいなあ、誰も見てねえのか。テリオンもどっか行っちまったし、みんなどこで何してるんだか……」
 アーフェンが片眉を上げて腕組みする。事情が飲み込めず困惑するハンイットたちに、トレサが説明した。
「先生ね、ドミニクさんって人の家に行った後、行方が分からなくなってるの。宿にもいなかったわ」
「何かあったのか?」
 これだけの人数で探し回るのだから、よほど切迫した事情があるのだろう。するとテレーズが真剣な面持ちで胸に手をあてる。
「はい。わたしは先生に急いで知らせなければいけないことが——」
 彼女が告げようとした時、ハンイットたちのつくった輪の真ん中を、黒っぽい影が突っ切っていった。
 一瞬サイラスかと思ったが、違った。似ていたのは服装だけだ。すれ違う刹那、漆黒のローブと風に流れる墨色の髪が目に入る。どこか冷たい印象を持つ女性だった。彼女はみるみる遠ざかっていく。
「なんだ今の」アーフェンが首をかしげた。
 リンデが警戒の声を上げる。今度は複数の足音が近づいてきた。フードをかぶった三人の男である。彼らは先ほどの女性が走った跡をたどるように、まっすぐハンイットたちの間を横切った。ぶつかりそうになったトレサが「わあっ」と悲鳴を上げ、オルベリクに肩を引かれてなんとか避ける。
「もう、何なのかしら」
 プリムロゼが柳眉を逆立てた。皆が困惑する中、テレーズがあっと口元に手をやる。
「今の人、もしかして……!」
 彼女はスカートを翻していきなり駆け出した。「テレーズさん!?」「どこ行くんだよっ」と叫ぶ仲間たちを歯牙にもかけず、フードの男たちを追いかける。
 真っ先に動いたのはリンデだった。ハンイットもすぐ相棒に従う。石畳の道をゆく人々をうまく避けて大股で走り、やがてテレーズの隣に並んだ。
「あの女性はあなたの知り合いか?」
 彼女ははあはあと息を荒げながら、
「ええ、アトラスダムの王立学院で学長の秘書をしている人です。サイラス先生について何か知っているかもしれません!」
「なるほど」
 ハンイットはリンデに指示を出して先行させた。秘書は逃亡先に路地を選んだらしく、どんどん道が狭くなっていく。
 リンデが角を曲がった。その先は袋小路で、秘書が壁を背にフードの男たちと対峙していた。ハンイットは追いついてきたオルベリクにテレーズを任せ、相棒とともに突入する。
「うわ、魔物か!?」
 雪豹はうなり声を上げて手近な男に飛びかかる。ハンイットは別の男の腕をつかみ、ひねり上げて地に伏せた。相手はろくに鍛えていないらしく、簡単に無力化できた。
「い、痛い……」石畳に押し付けられた男の口から悲鳴が漏れる。
 最後の一人は逃げ足が早かった。もう少しでオルベリクが小道の出口を塞ぐというタイミングで、するりと抜け出されてしまう。
「あっ待ちなさいってば!」後ろにいたトレサたちも足止めしきれず、男は猛烈な勢いで上街へ向かう階段を上っていった。
「どうするオルベリク」
「……いや、やめておこう」
 後を追うか否かハンイットが尋ねると、剣士はかぶりを振った。
 取り押さえた二人の男を、トレサがリュックから出した縄を使って縛り上げる。
「あれ、この人たち気絶してない?」
 縄を持ったトレサが瞠目した。少し目を離した隙に、彼らはぐったり体の力を抜いていた。当然、リンデもハンイットも相手の意識を飛ばすほどのことはしていない。
「こいつら薬飲んでるぜ」
 気づいたアーフェンが駆け寄ってすぐに処置を施したが、「よっぽど強い薬みたいだ。しばらく何しても起きねえぞ」としかめっ面になった。
(どういうことだ。それほど渡したくない情報があるのか……?)
 ハンイットはどことなく不気味なものを感じた。
 皆は説明を求めて墨色の髪の女性に視線を注ぐ。
「危ないところを助けていただき、ありがとうございます」
 彼女は冷静に一礼する。言葉に反して、その顔には恐怖のあとも、感謝の気持ちも浮かんでいない。
「ルシアさん……ですよね? お久しぶりです、テレーズです」
 テレーズが前に出た。やはり顔見知りだったらしい。ルシアは表情の乏しい顔でうなずいた。
「あなたもここに来ていたのですね」
「はい。わたしたち、サイラス先生を探しているんです。どこにいらっしゃるかご存知ですか」
 テレーズはフードの男の正体より、そちらを優先させるつもりらしい。ルシアは苦しげに目を伏せ、ぽつりと告げた。
「彼は今、幻影の森にいます。私だけこうして逃げてきました」
 その言葉を咀嚼しきれず、ハンイットは瞬きする。
「逃げてきた、とはどういうことだ」「先生、また森に行ったの?」
 矢継ぎ早に繰り出される質問に、ルシアは落ち着き払って答えた。
「彼は、王立学院の学長に命を狙われているのです」
「え!?」
 思わず声を上げる者、黙って目を見開く者——その場にいた全員に等しく衝撃が走る。
 王立学院とは、サイラスの職場ではないのか。どうして命を狙われる羽目になるんだ。ルシアは皆の疑問を感じ取ったのか、手早く経緯を述べた。
「私は秘書の立場から、学長がある不正に手を出していることを知って、ずっと彼のことを調べていました。その結果、彼の出身地であるこの町に不正の証拠があることを突き止めたのです。サイラスさんも別の方面から同じことを探っていたそうで、ここで顔を合わせました」
 それがサイラスがドミニクの家を出た後の話か。アーフェンが慌てて口を挟む。
「ちょっと待てよ、それじゃ先生は最初から目的があってこの町に来たってことか?」
 旅の途中でストーンガードに寄ったのは、ハンイットの提案がきっかけだった。サイラスは自分の目的を黙ったまま、それを受け入れたということらしい。
 次々に明らかになる事実に、ハンイットはめまいを感じた。
「そうですね。しかし学院の機密事項ですから、あなたたちに黙っていたとしても仕方ないでしょう」ルシアの返事は冷ややかだった。「とにかく私たちは目的を分かち合い、ともに調べを進めようとしたのですが……」
 ある手がかりを得て幻影の森に赴いたところ、学長の手下であるフードの男——研究員たちが襲ってきたのだという。ルシアはサイラスを森に残し、自分は町に戻って彼らを撹乱した。その時、たまたまハンイットたちが助けに入ったというわけだ。
 もしかして、朝方一緒に狩りに行った時点で——いや、この町に来るよりもずっと前から、サイラスは自分が命を狙われていることに気づいていたのか? だったらどうして教えてくれなかったのだろう。
(大事なことは直接話せと言ったのに……!)
 ハンイットはこぶしを握った。
「俺が感じたあの気配も、研究員の一人だったのかもしれんな」
「私も変な視線を感じたわ。サイラスだけじゃなくて、私たち全員が警戒されていたのかしら」
 オルベリクとプリムロゼが眉根を寄せた。
「もしかして、テレーズさんは先生にそれを伝えるためにこの町に来たの?」
 トレサが尋ねると、テレーズは顔を曇らせた。
「そうです。黙っていてごめんなさい。みなさんを不安にさせたくなくて……それに、学院内部の事情なので、どうしても言い出せませんでした」
 彼女は深く頭を下げた。言い分は理解できるし、今はそれを追及している場合ではなかった。
「なあ、さっき逃げてったやつ、もしかして森に行ったんじゃねえか?」
 アーフェンが顔をしかめる。「大変! すぐ追いかけないと」トレサが腕を振り上げた。
 ルシアは平静なまなざしをハンイットたちに向ける。
「ええ、私もすぐに戻るつもりでした。サイラスさんのもとまでご案内します」
「この二人はどうするの?」
 プリムロゼは気絶した男を指さした。
「衛兵に突き出せばいいんじゃない?」とトレサが提案する。オルベリクが「では俺がここで見張りをするから、トレサが衛兵を連れてきてくれないか。皆は森の入口で待っていてくれ」と段取りした。
「お願いします。では、森に参りましょうか」
 ルシアの号令を受け、他の者たちは落ち着かない足取りで路地を出た。が、ハンイットが立ち止まって声を上げる。
「待ってくれみんな。テレーズさんまで森に行くのは危険だ。それに、まだ町にはテリオンとオフィーリアがいるだろう。二人に何も伝えないわけにはいかない。わたしは町に残って、二人と合流する」
 こういう事態だからこそ、全員の力を合わせるべきだ。ハンイットはそう主張した。
「で、でも……わたしも先生のところに……」
 テレーズは必死に訴えかけたが、
「ハンイットの言う通りよ。あなたはここに残った方がいいわ」
 プリムロゼに強く言いつけられる。テレーズはしばらく逡巡してから「……分かりました」と首肯した。
 ハンイットはリンデとテレーズとともに仲間たちを見送った。
「後から必ず追いかける。サイラスを頼んだぞ」
「任せてくれよ!」「面倒事はさっさと片付けましょ」
 去り際、案内のために先をゆくルシアが、ちらりと振り向く。青い双眸に冴え冴えとした光が宿っていた。思わぬ視線の強さにハンイットはたじろぐ。
 今のは何だったのだろう。頭の隅に疑問を残しながら、ハンイットは宣言通り次の行動に移った。
「テリオンたちがどこにいるか知らないか?」
 傍らのテレーズに尋ねる。彼女は唇に人さし指を置いて、
「テリオンさんは途中までわたしと一緒に先生を探していました。でも、オルベリクさんと会ってから、ふらりといなくなってしまって……」
 彼の気まぐれな行動はいつものことだが、今回ばかりは厄介である。
「ではオフィーリアは? 確か教会を訪ねると言っていたが」狩りを終えて解散する時、そう聞いた。
「神官の方ですよね? わたしと会った時は教会にいらっしゃいました。あ、でも、これから酒場に行くと言っていましたよ」
「酒場……?」
 ハンイットは目を丸くした。昼間からオフィーリアが行く場所とはとても思えなかった。
「教会にいた男性からお話を聞くそうです。テリオンさんも知らない方のようでした」
 オフィーリアが導いた相手だろうか。とにかく彼女を先に探すべきだろう。そう心に決めてから、ハンイットは少し肩の力を抜く。
「やはりあなたはサイラスの生徒なのだな」
「えっ?」
 テレーズは驚いたように目をぱちぱちさせた。
「記憶力がよくて、話も分かりやすい。先生によく鍛えられたのだろう」
 その言動の端々に、尊敬する「師匠」の存在が見え隠れする。いい部分は学び取り、悪い部分は反面教師にするのが、誰かに師事するということだ。
 彼女はほおを染めながら「そうでしょうか……」とうつむく。
「よし、ならば酒場に行ってみよう」
 二人は本日何度目かになる下り階段に足をかけた。



 酒場は宿屋の裏手にあった。以前ストーンガードを訪れた時、ここでザンターに関する情報収集をした覚えがある。ドアベルの音とともに中に入ると、閑散とした店内ですぐに目当ての仲間を見つけた。白い神官服をまとったオフィーリアがテーブルについている。
「まあ、ハンイットさん。それにテレーズさんも……?」
 彼女はびっくりしたように腰を上げた。予想通り、昼間から酒を嗜んでいるわけではなく、テーブルに置かれているのはどう見てもただの果汁だった。
 オフィーリアと同じテーブルにはいまいち風采の上がらない男がいて、こちらに顔を見せないようにしていた。
「……誰だ、その男は」ハンイットは声を低くした。オフィーリアが慌てた様子で手を振る。
「いえ、大丈夫ですから! サイラスさんの学院時代のお知り合いだそうです」
「あ、おいっ」何故それを喋った、とばかりに男は目を白黒させていた。
「サイラスの知り合いだと……?」
 どうして今日は彼の関係者とばかり会うのだろう。ストーンガードはアトラスダムからかなり離れているのに。
 男は学者らしく野暮ったいローブを着ていた。普段見ているサイラスの服よりも、いくらか装飾が少ない。
「あの、もしかしてあなたはラッセルというお名前では?」
 テレーズがおそるおそる尋ねる。男は反射的に顔を上げ、「失敗した」と言わんばかりの表情になった。「ああ、やっぱり」とテレーズがうなずく。
「テレーズさんのお知り合いですか?」
「ええと、知り合いというか……」
 テレーズとラッセルという男は互いに気まずそうにしている。生徒と教師の関係というわけではなさそうだ。
 オフィーリアはにこやかに説明した。
「ラッセルさんは、学者のお仕事を探してこの町にやってきたんですよね。教会で熱心に祈っていらっしゃったので、お話をうかがおうと思って導いてきました」
 なるほど、ラッセルはオフィーリアの穏やかな人柄と意外な押しの強さに逆らえず、酒場まで導かれたらしい。
 ハンイットはふと、クオリークレストで出会ったオデットという名の学者を思い出した。
「もしかしてサイラスの先輩が話していた人か?」
「そういえば……ええ、オデットさんが話題にしていましたね」
 オフィーリアはうまく言葉を濁す。オデットはラッセルに関して、「サイラスと同期だったのに名前を忘れられて云々」という笑い話をしていた。ラッセルは思い当たるふしがあったのか、頭を抱えていた。
「ところで、ハンイットさんたちはどうして酒場にいらっしゃったのですか? テレーズさんはサイラスさんと会えましたか」
 その質問に、テレーズは心細そうに衣の裾を掴んだ。
「それが……先生、一人で幻影の森にいるそうなんです」
「えっ」
 オフィーリアが戸惑ったようにこちらを見る。ハンイットは順番に説明した。この町にルシアという王立学院の秘書が来ていること。先ほど彼女と出会い、追手から逃れたサイラスが森にいるという話を聞いたこと。
 サイラスが学長に命を狙われていると打ち明けると、オフィーリアは先刻のハンイットたちと同じくらい驚いていた。やはり、何も知らされていなかったらしい。
「すでにテリオンとわたしたち以外は全員そちらに向かっている。だからあなたを探しに来たんだ」
「そうだったのですね。ありがとうございます、ハンイットさん」
「当たり前のことだ、気にするな。それよりテリオンの居場所を知らないか」
 オフィーリアはかぶりを振る。
「ごめんなさい、まったく心当たりがありません」
「そうか……テリオンを探すのはサイラス以上に骨が折れそうだな」
 彼を見つける頃には、すでに森の中での騒動は片付いていそうな気がする。「どうすべきだと思う」と意見を求めると、オフィーリアは思索に入り、あごを手でつまんだ。その仕草はなんだかサイラスの癖と似ていた。
 その時、ハンイットの足元でリンデが一声啼いた。
「どうしたリンデ」
 雪豹の両目が「何かおかしくないか」と訴えている。ハンイットはどきりとした。いつの間にか、自分は焦りに支配されていたらしい。おかげで頭がすっと冷えた。
(何かがおかしい……そうだ、違和感がある)
 焦燥に覆い隠されていた疑問が浮上する。ハンイットはひとりごちた。
「そもそも、どうしてサイラスは森に行ったんだろう。理由は? あの人は理由のない行動はしないはずだ」
 幻影の森で調査すべきことがあったなら、狩りに行った時点でそうしているはずだ。ルシアの語ったサイラスの行動には、とにかく不審点があった。
「確かにその通りですね」オフィーリアたちはそろって首をかしげる。
 迷い道に突入した女性たちへ、低い声が浴びせられた。
「サイラスは学長の生家に行ったんじゃないか」
 テーブルの隅で黙々と酒をあおっていたラッセルだ。
「何かご存知なのですね」
 オフィーリアが念を押すように問いかける。
「あいつはイヴォン学長と対立してるんだろ」
 ラッセルはテレーズに視線を刺した。アトラスダム出身者同士、何か共有する情報があるのだろう。
「学長の出身地はこの町だったはずだ。お前は学長について何かを知って、この町に来たんじゃないのか?」
「……そうです」
 テレーズは眉根を寄せながら認めた。酒場に他の客がいないことを確認し、小声になる。「わたし、偶然聞いてしまったんです」
 少し前、用があって彼女が王立学院の学長室を訪ねた時のことだ。扉を開ける直前に、部屋の中から学長が誰かと会話する声が漏れ聞こえた。テレーズは改めて訪問しようときびすを返しかけたが、他でもない「サイラス」という名前が耳に入り、思わずその場に釘付けになった。最終的に学長の話は不穏な方向に転がり、ストーンガードにサイラスを誘い込んで罠にかけるという恐ろしい計画にたどり着いた。
 テレーズはそのことを自分ひとりの胸にしまって、ほとんど反射的に町を飛び出した。先生の身に何かあったらと思うと、居てもたってもいられなかったのだ。旅慣れぬ身であるため、馬車を幾度も乗り継いでここまでやってきた。
「テレーズさん、そんなにサイラスさんのことを……」
 オフィーリアが祈るように手を組んだ。「い、いえ、そういうわけでは」とテレーズは何故か顔を赤くしている。教師のために自分を顧みず行動するとは、想像以上に思い切りのある生徒だ、とハンイットは感心した。
「それで、どうしてサイラスが学長の生家に行くことになるんだ?」
 ラッセルは椅子の上で背を反らせた。
「さあな。あいつが何を考えているのか、俺は知らん。だが俺と同じで、学長がストーンガードの出身だってことは知っていたはずだ。まだこの町に生家が残っているともな。もともとあいつはそれを調べるためにこの町に来たんじゃないのか?」
 なるほど、学長の不正とやらを暴くために森に向かうよりは、その方がまだ理屈が通るだろう。
 ハンイットは唇を噛み、思考を走らせる。
 幻影の森にはすでに四人が先行している。仲間たちは精鋭ぞろいで、何かあっても十分に対処できる。ならば、ハンイットたちが生家を調べてから合流しても遅くないだろう。
「ラッセルさん、生家の場所は分かりますか?」
 オフィーリアが尋ねると、
「そこまでは知らん。しばらく誰も住んでいないとは聞いたな。いい家の出身らしいから、上街にあるんじゃないのか」
 その答えを聞いてハンイットは決意を固めた。オフィーリアとテレーズに等分に視線を注ぐ。
「よし、学長の生家に行ってみよう。森の方は一旦オルベリクたちに任せる。オフィーリア、それでいいか」
 テリオンの行方も気になるが、手がかりがない以上は後回しにするしかない。
「そうですね……何もないことを確かめられたら、それでいいんですよね」
 と言いつつ彼女は眉を曇らせている。ハンイットも雲行きの怪しさに勘付いていた。とても口には出せないが、「何か悪いことが起こるのでは」という不安が胸に渦巻いている。
「わ、わたしも行きます」テレーズが慌てて名乗りを上げた。「黙っていたわたしにも責任があります。先生を助けたいんです!」
 これはもう、何を言っても聞かないだろう。変に頑固なところが教師とよく似ていた。
「分かった。あなたのことは、わたしたちが全力で守ろう」
 ありがとうございます、とテレーズはほおを上気させる。
 決意を固めるハンイットたちをよそに、ラッセルはグラスをテーブルに置いてそっぽを向いた。
「俺は遠慮しておく」
「ああ。情報をくれて助かった」
 ハンイットに礼を言われ、ラッセルはいよいよムキになったように肩を怒らせた。
 バーテンダーに口止め料として金銭を握らせてから、三人は酒場を出た。
 ハンイットは傾いた日差しを浴びる山々を眺め、そのはるか先にある平原の城下町を思い浮かべる。
(アトラスダムの王立学院とは、もしかしてとんでもない場所なのか……?)
 あの町には一度訪問したことがある。リプルタイドでトレサを仲間にした直後だった。サイラスが王城に呼ばれた際の寄り道だ。その時ハンイットたちは城下町で彼の帰りを待っていたので、学院には行かなかった。一度でも訪れていれば、不穏な空気を察知することができたかもしれない。
(いや、後悔しても仕方ないな)
 まだサイラスを見つけるには遅くないはずだ。それよりも、偶然ラッセルと会えて良かったと考えよう。
 出てきた酒場を何気なく振り返ると、初老の男性が入っていくのが見えた。「ドミニクさん……?」同じく後ろを向いたテレーズが小首をかしげていた。
 三人で町を歩く。もう怪しい視線は感じなかった。やはり、あの視線の主は研究員たちだったのだろうか? そこまで考えて、ハンイットは神経が過敏に研ぎ澄まされていることを自覚した。
(せめて、テリオンがいたらもう少し安心できたのだが)
 じわじわと追い詰められている感覚がある。そんな中でテレーズを連れ歩いていることが、どうも心もとなかった。テリオンはこういう時の立ち回りがうまく、細かいことに目端が利く。こんな時こそいてほしかった。
 ハンイットのとりとめもない思考を遮るように、テレーズが口を開く。
「わたしはイヴォン学長のお屋敷に心当たりがあります」
 慣れない階段を一日に何度も上り下りして疲れているだろうに、屋敷街を歩く彼女はしっかりした足取りをしていた。それは他でもない先生を見つけるためか。
「テリオンさんに会う前に、しばらく上街を散策していたのですが……一軒だけ、ほとんど使われていない様子のお屋敷がありました」
「そうなのか。よく気がついたな」
 ハンイットも何度かこの道を通っているが、あまり屋敷をきちんと観察していなかった。静かな森と違って町中は情報が多く、つい通行人に意識が分散してしまうことも大きいだろう。
 テレーズはリンデを引き連れ、迷いなくハンイットたちを導く。
「ここです」
 指さした先にその屋敷があった。ハンイットはひと目見て圧倒された。
(この感覚はなんだ……?)
 太陽の光が当たっているのに、その屋敷だけ暗く沈んで見えた。それは繁茂した植物のつくる影のせいだけではないだろう。陰鬱な空気が外にまで漏れ出している。今まで気づかなかったのが不思議なくらいだ。
 ハンイットは隣にそっと声をかける。
「よく注意して調べよう。危険なにおいがする」
「はい、気をつけます」
 オフィーリアは小さく首肯した。次に、ハンイットは緊張した様子の少女に目を合わせる。
「テレーズさんはどうする。ここで待っていてもいいが……」
「いいえ、行きたいです。行かせてください」
 彼女は胸元の護符をぎゅっと握る。その眩しいほどの決意は覆せそうになかった。とはいえ、あまり危険なことはさせられない。もしサイラスがここにいれば全力で止めるだろうから。
「分かりました、一緒にサイラスさんを探しに行きましょう。テレーズさんは、わたしの後ろについてきてください」
 ハンイットの懸念を察したオフィーリアが、すかさず引き受けてくれた。
 屋敷の正門は開いていなかった。塀に沿って裏口を目指す。こちらはごく最近開けられた形跡があった。三人は人目を気にしつつ裏口から侵入し、身を低くして玄関に回った。
 ハンイットは正面扉のドアノブにそっと手をかける。
(鍵がかかっていない……)
 いくら無人でも、戸締まりはするはずだ。つまり、誰かが出入りしている可能性が高い。
 ハンイットはきしむドアを片手で開け放つ。鈍い音とともに薄暗い室内が視界に入った。
「行くぞ、リンデ」
 魔境へと赴く心地で、彼女は相棒とともに一歩踏み出した。

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