砂に刻む帰途



「ねえ、プリムロゼ。あたしたちってさ、友達……かな」
 ひび割れた唇が言葉を紡ぐ。必死にハンカチでおさえても、切り裂かれた腹から流れる血は止まらなかった。
 みるみる死に向かう青い踊子を、プリムロゼは強く抱きしめた。
「ええ。大切な……友達よ」
 復讐を果たすまでは誰にも心を許さないと決めていた。けれども、確かにユースファはたった一人の友達だった。
 サンシェイドの酒場で雌伏の時を過ごす間、プリムロゼは他人を寄せつけないよう意識して冷たく振るまっていた。それなのに、何故かユースファだけは積極的に話しかけてきた。プリムロゼは揺らぎそうになる心をなんとか抑えて彼女を遠ざけたが、支配人に弱みを見抜かれ、このような結果を招いてしまった。
 風がやんだ。音の失せた世界に、ユースファのかすれた声が響く。
「そっか。なら、もう寂しくないや……」
 ぱたりと手が落ちる。プリムロゼは赤く濡れたハンカチを力なく見下ろした。
 ——あれから幾星霜、彼女は大陸各地を旅して再び砂漠に舞い戻ってきた。
(ユースファ、あなたはどうして私を助けたの?)
 心の暗がりに向かって問いかけながら、染みの消えた布を握りしめる。
「プリムロゼ」
 静かな呼びかけに顔を上げた。目の前にオルベリクが立っていた。
 自分がいる場所をようやく思い出した。ウェルスプリングの町なかだ。リザードマンを退治した翌日、テリオンの目的のため守備隊の詰め所に向かう最中だった。
 仲間たちの背がずいぶん遠くにある。いつの間にか立ち止まっていたらしい。オルベリクはわざわざ引き返してきたのか。
 大樹のような広い背に陽光が遮られ、プリムロゼの前に影が落ちる。まるで木陰にいる気分だった。
「日差しを浴びすぎたのではないか。顔色が悪いぞ」
 彼は心配そうに眉をひそめる。
「今はアーフェンがいないから、調子が悪い時はすぐに言うんだ」
「ありがとう。もしかして、私が歩けなくなったら背負ってくれるの?」
 オルベリクは小さくうめいた。露出の多い服を着た彼女を背負ったらどうなるか、うっかり想像してしまったのだろう。
 どんな冷やかしにもきちんと応じるのが彼のいいところだ。プリムロゼはくすりと笑った。
「冗談よ。自分の足で歩くわ。そのために鍛えたんだもの」
 うろたえる彼を促して、仲間を追いかける。皆は詰め所の四角い建物の前で待っていた。
 中に入り、受付で「ベイル隊長に会いに来た」と伝える。リザードマンを退治した剛剣の騎士がいるおかげで、スムーズに執務室へ通された。
「おお、オルベリク殿。昨日は本当に助かった」
 忙しそうに書類をまとめていた隊長が立ち上がった。よく日に焼けた肌に、彫りの深い相貌をしている。オルベリクとはまたタイプの違ういい男だ。
 そういえば、彼は昨日の宴に参加していなかった。仕事が残っていたのだろうか。
「その後、リザードマンの様子はどうだ?」
 オルベリクの問いかけに、ベイルは「小康状態だな。目立った動きはないが、まだしばらく警戒を続けようと思う」と答えた。
「もしかして、エアハルトさんが討伐に出ておられるのですか?」彼の治療を担当したオフィーリアが質問した。
「ああ。昨晩は詰め所に泊まってもらったが、もう監視所に戻られたよ」
 オルベリクは黙って首を振る。エアハルトがウェルスプリングの防衛に固執するのは、国を裏切った罪滅ぼしの側面もあるのだろう。中途半端に放り出すわけにはいかない、と責任を感じているのか。
 すると、ハンイットが前に出た。彼女は真剣な面持ちで、
「リザードマンについて少し気になることがある。わたしは狩人なのだが、良ければ調査をさせてもらえないか」
 プリムロゼは驚いた。彼女の考えを今初めて聞いた。仲間たちも同様に目を丸くしている。
「気になることとは?」ベイルが腕組みをする。
「近頃急に動きが活発になったのだろう。何か理由があるかもしれない。
 すまないテリオン、わたしはそちらを調べてもいいか? あなたの目的を手伝えなくなるが……」
「構わん。好きにしろ」
 テリオンは目を伏せたまま答えた。ベイルがうなずく。
「こちらとしても助かる。具体的な話はエアハルト殿と相談されるといいだろう」
「そうするつもりだ。彼は西の監視所にいるのだったな。では、失礼する」
 彼女はリンデを引き連れ、一礼して執務室から姿を消した。
「ハンイットがああ言うなんて相当よね。よっぽど気になるのかしら」
 プリムロゼは小声でオフィーリアに話しかける。この神官は昨日、ハンイットと一緒に町に残っていた。
「どうなのでしょう。わたしも何も聞いていなかったので……」
「あいつ、烈剣の騎士とうまくやれるのか?」
 テリオンが会話に割り込んできた。オフィーリアが苦笑する。
「エアハルトさんとはほとんど初対面ですからね。でも、ハンイットさんなら大丈夫だと思います」
 プリムロゼも同感だった。己の職務に忠実な二人だから心配はいらないだろう。
「それで、オルベリク殿はどういったご用件でこちらに?」
 改めてベイルが問う。彼は常にオルベリクに向かって話しかけていた。やはり剛剣の騎士という肩書やその雰囲気から、彼が一行のまとめ役として見なされることは多い。
(でも、本当はちょっと違うのよね)
 それがこの旅の面白いところだ、とプリムロゼはこっそりほほえんだ。
 オルベリクも対応に慣れており、自然に答える。
「この町で闇市が開かれているという噂を聞いた。守備隊で何か把握していることはないか」
 噂はテリオンが仕入れてきた。元は竜石探しを依頼した執事から聞いたらしい。そんな機密情報を手に入れるなんてただの執事とは思えないが、テリオンは黙秘を貫いていた。
 闇市とは、盗品や質流れの品が取引きされる裏の市場だ。ボルダーフォールのレイヴァース家から盗まれた緑竜石は、ここの闇市に流れたようだ。闇市の存在自体はプリムロゼも聞いたことがあるが、その実態に近づくのは無論初めてである。彼女は少しだけわくわくしていた。
 ベイルは瞠目する。
「確かに噂は聞いている。しかし、ここのところリザードマン退治を優先していて、あまりそちらに人員を割けていないのだ。オルベリク殿は闇市に何かご用事が?」
「仲間のテリオンが、そこに出品されるものに興味があってな」
 突然矢面に立たされ、テリオンはきまり悪そうにしていた。職業柄か性格か、彼は目立つことを厭う。加えて盗賊として今まで何度も衛兵と衝突してきたはずだから、もともと相容れない存在なのだろう。
「なるほど。ならばできる限りの情報をお渡ししよう。といってもほとんど調べがついていないのだが」ベイルは一度言葉を切ってから、「闇市の顧客は、おそらくこの町に滞在する貴族だろう」
「貴族の方がいらっしゃるのですか」オフィーリアが不思議そうに首をひねった。
「ウェルスプリングには、王都マルサリムに向かう要人貴人が滞在するのだ」
 サンランド地方には十二の部族による連合王国が成立している。各部族はそれぞれ土地を治めており、時折部族長が王宮に集まって会議を開く。その際、部族長たちはマルサリムへの足がかりとして必ずウェルスプリングを通る。この町は人と物資の交差点になっているのだ。
「そこまで分かっているのに取り締まれないの?」
 プリムロゼが口を挟むと、ベイルは渋い顔になる。
「今のところ証拠がつかめていない。そもそも闇市の場所すら分からなくてな。我々に気づかれずに出入りできるルートがあるのかもしれないが……」
「その調査をリザードマンに阻まれたというわけか」
 オルベリクが台詞を引き継げば、
「そのとおりだ。あまりお役に立てず申し訳ない」
「いや、無理もないだろう」
 ベイルの顔には重い疲弊が刻まれている。執務室には書類が山積みだった。あまり彼に頼るのは酷かもしれない。
 四人は適当なところで話を切り上げ、詰め所を出た。
「どうするテリオン」
 オルベリクの視線を受けて、テリオンは仲間たちに言った。
「大勢で聞き込みをして、万一こちらの動きがばれたらまずい。情報集めは俺一人でやる」
 三人は顔を見合わせる。
(合理的だけど……なんだか面白くないわね)
 ひとつうなずき、プリムロゼは余計な世話を焼くことに決めた。
「待って、私も行きたいわ。盗賊さんのお仕事を見物させてよ」
「はあ?」
 テリオンは間の抜けた声を出す。反論が来る前にプリムロゼは畳み掛けた。
「だって私、ノーブルコートであなたの仕事を見ていないのよ!」
 あの時は事情があって、そもそも町自体に足を踏み入れなかった。後で竜石奪還の手腕をトレサから聞き、惜しいことをしたと思ったものだ。
 テリオンは露骨に嫌そうな顔になった。すかさずオフィーリアが援護に入る。
「そうですね、そちらはプリムロゼさんとテリオンさんにお任せします。わたしたちは——」
「町の様子を見て回るくらいは、問題あるまい」
 オルベリクの発言に、テリオンは不承不承といった様子でうなずいた。こうやって強引に話を進めれば彼を押し切れる。これは近頃の皆の共通認識だ。
「それでは、のちほどお会いしましょう」
「何かあったら宿に集合ね」
 こうして四人は二手に別れた。町に繰り出す神官と剣士を見送り、プリムロゼは隣に視線を戻す。
「で、どうやって情報を探るの?」
 テリオンは眉間にしわを寄せながら説明した。
「闇市の客は町にいるんだろ。まずはそいつを見つける。もしくは、緑竜石を出品する商人をおさえられたら楽だな」
「ふうん。ま、お手並み拝見ってところね」
 テリオンはわざとらしくため息をついた。
 二人で町を巡った。ウェルスプリングは今まで訪れたどんな場所とも似ていなかった。大きな泉を囲うように建物が立ち並ぶ独特の風景である。泉のほとりにはヤシの木が生えており、人々に涼しさと安らぎを提供していた。砂漠の中心とは思えないほど緑も水も豊かな土地だ。リザードマンが狙うのも道理である。
 少し歩くだけで、裕福そうな旅人や荷物を背負った商人とたくさんすれ違った。リザードマン撃退の報を聞いてさっそく町を訪れたのかもしれない。さて、テリオンは誰をターゲットに選ぶのだろう。
 不自然にならないよう慎重にあたりを確認していた彼が、ふと立ち止まった。
「あいつはどうだ」
 目だけで示したのは、日よけの赤い布を頭にかぶった少女だ。サンランド人の一般的な服装だが、隠しきれない気品が漂っている。彼女は何故か焦ったようにきょろきょろしていた。
「あら? あの子……」
 プリムロゼは彼女に見覚えがあった。テリオンの横を抜けて、声をかける。
「リア。リアよね?」
 彼女は振り向き、ぱっと顔を明るくした。
「あなたはいつぞやの!」
 遅れてテリオンがやってくる。「知り合いか?」
「以前サンシェイドで悪漢から助けていただいた、リアです」
 リアは丁寧に頭を下げた。
 プリムロゼはあの町で働いていた頃に旅人のリアと出会った。たまたま柄の悪い男に言い寄られている場面に遭遇し、男を追い払ってやったのだ。リアははっきりした性格で、プリムロゼとうまがあった。おかげで久々の再会でも互いによく覚えていた。
 リアの眉は下がったままだ。
「どうしたの? また厄介事でもあったの」
「ええ……宿泊中に大事な荷物を盗まれてしまったのです」
 プリムロゼは思わず隣を見やる。テリオンは不満げに唇を結んだ。もちろん彼を疑っているわけではなく、反射的な行為だ。
 リアは今朝、水場に行くため宿の部屋を留守にしたわずかな隙に、荷物を盗まれたらしい。
「荷物の中には重要な封書がありまして、あれがないと——」リアはくしゃりと顔を歪める。
「その泥棒もう町から逃げてるだろ」
 とテリオンは嫌なことを言った。
「うーん、もしかして闇市に流れたんじゃない? 荷物には他のものも入っていたのよね」
「……おい」
 テリオンににらまれ、「あっ」と口をおさえる。知り合い相手とはいえ、うっかり闇市の名前を出してしまった。
 リアにどう取り繕おうと思いながら視線を戻すと、
「闇市ですって……。そのようなものがこの町にあるのですね。どこで開催されているか分かりますか?」
 彼女の顔から先ほどまでの不安が消えていた。いつの間にか冷静そのものの態度に切り替わっている。プリムロゼが内心驚きながら「まだよ」と答えると、リアは頭を下げた。
「お願いです。どうか私の封書を取り戻していただけませんか。お礼ははずみます」
「それは魅力的な提案だけど」テリオンと目を合わせる。「本当にその荷物が闇市にあるかどうか、分からないわよ」
「それでも構いません!」
 プリムロゼは勢いに気圧された。そこまで必死になるなんて、よほど大切な封書なのだろう。
「そ、そう。私たち、いろいろあって闇市に潜入しようとしていたの。あなたが協力してくれたらお礼はいらないわ。それでどうかしら」
「もちろんですっ」
 すばやく約束を取りつける。テリオンは諦めたように息をついた。
 三人は人目を避けてヤシの木の下に移動した。強い日差しが遮られてほっとする。葉擦れの音が耳に心地よかった。
「闇市は町の近くで開かれているのですよね?」
 リアは落ち着き払って質問した。サンランド人の彼女なら何か心当たりがあるかもしれない。テリオンもそれを察したのか、積極的に答えた。
「多分な。町の中ではないだろうから、周辺のどこかだと思う」
 リアは「地図を貸してください」と言う。彼女の地図は封書と一緒に盗まれてしまったらしい。テリオンが渡し、リアが指で紙をなぞる。
「ここに南ウェルスプリング廃道というかつての街道があります。新しい道ができたためもう使われなくなったルートです。この道なら守備隊に見つからず、町を抜けることができるでしょう」
「道沿いのどこかで闇市が開かれているかもしれないってこと?」
「ええ、可能性は高いかと」
 守備隊の持っていた情報よりよほど有力である。プリムロゼは身を乗り出した。
「どうするのテリオン? しらみ潰しに廃道を探しましょうか」
「それは夜になってからだな。闇市の関係者に見つかりたくない。まだしばらくは町を探る。闇市と客を仲介するやつがいるはずだ」
 顧客や闇商人たちは、一般の旅人のふりをしてウェルスプリングで羽を休め、廃道を通って闇市に向かう。ならば彼らを案内する者が町にいるのではないか、とテリオンは語った。
「なるほどね。どうやって見つけるの」
「それは……これから考える」
 テリオンは目を閉じて木の幹に背を預けた。プリムロゼはリアと一緒にくすくす笑った。
 少し緊張がほぐれたらしく、リアは雑談をはじめた。
「お二人はどのようなご関係なのですか?」
「テリオンはね、サンシェイドで私を助けてくれたのよ。酒場勤めにうんざりしていた時、ちょうど町にやってきてね」
 テリオンが不意にまぶたを開けた。
「あれはあんたが勝手にやったんだろ」
 酒場の支配人を刺した件だ。直接説明したことはないが、テリオンはおそらくプリムロゼが旅路に加わった時点でそれを察していた。
「そうだけど。でもずっと一緒に旅してきたじゃない」
 茶目っ気たっぷりのウインクを、彼はそっぽを向いて受け流した。やがて木から身を離す。
「あんたたちは先に宿に戻ってろ。もう少し町を探ってくる」
「手伝わなくてもいいの?」
「必要ない」
 プリムロゼは肩をすくめた。
「そう。勝手にすれば」
 紫の外套は返事を聞く前から日差しの下に出ていた。みるみるうちに遠ざかっていく。
「いいのですか……?」
 リアが心配そうに声をかけた。けんかをしたと思われたのかもしれない。
「大丈夫よ。私たちの泊まってる宿に行きましょ。久々にお話ししたいわ」
 プリムロゼはリアの背に手を回して案内する。
 本当を言えば、あっさり離れていったテリオンに対してかちんと来ていた。
(せっかく手伝ってあげようと思ったのに。一人でせいぜい苦労すればいいんだわ)
 こうも邪険にされると癪だ。彼女は少し意地悪な気分で、テリオンとは反対方向を目指した。



 夕方になって、テリオンが宿に戻ってきた。
「おかえりなさい。どう、収穫は?」
 プリムロゼはロビーでリアとのおしゃべりに花を咲かせていた。女の旅人同士、話題が尽きることはなかった。互いに突っ込まれたくない部分だけ避けるようにすれば、楽しい近況報告が続いた。
 何気なさをよそおって尋ねたが、テリオンの返事はない。おそらく失敗だったのだろう。
 彼が無言で通り過ぎようとした時、また扉が開いた。
「テリオン、プリムロゼ」
「もう戻られていたのですね」
 オルベリクとオフィーリアだ。プリムロゼはおかえりを言う前に目を丸くする。
「……砂まみれだな」
 テリオンの指摘どおり、彼らは何故か全身に砂を浴びていた。砂嵐の中を突っ切ったような有様だ。
「町を回ってたんじゃなかったの?」
「そのつもりだったのですが……」オフィーリアが砂を払いながら照れ笑いする。
「そちらの女性は?」
 オルベリクが油断なくリアを見つめた。プリムロゼが簡単に紹介する。
「リアっていうの。私の知り合いで、闇市探しに協力してくれることになったわ。信頼できる子よ」
「そうか。ならちょうどいい。情報が手に入った」
 オルベリクがささやくように告げると、「どういうことだ」とテリオンが食いついた。
「まずは移動しよう。俺の部屋に行くぞ」
 連泊のため、皆昨日と同じ部屋をとっている。五人で押しかけるとさすがに狭かった。
 プリムロゼは遠慮なくベッドに腰掛けて足を組む。
「で、オフィーリアたちはどこで何をしてきたの?」
「はい、実は……」
 テリオンたちと別れて町を歩いていると、道端で何やら緊迫した空気を醸す衛兵たちと遭遇した。
「またリザードマンの被害があったのか?」
 オルベリクは思わず声をかけた。衛兵が声の主に気づいて姿勢を正す。
「これはオルベリク殿。実は、偵察兵が近くの洞窟で巨大なヘビを見たと言っていまして」
「リザードマンのことがあってしばらく後回しになっていたのですが、これから討伐に向かおうと思います」
 それなら協力しない手はない。二人は衛兵たちと一緒に流砂の洞窟に向かった。
「洞窟の奥には男がいて、そいつがヘビを操っていたんだ」
 魔物を使役して何をするつもりかと問いただしたが、相手はろくに話を聞かず、戦闘になった。二人は衛兵と協力してなんとかヘビを倒し、縛り上げた男から事情を聞き出した。
「その方は、闇市を運営する組織に雇われた用心棒だったそうです」
 ただし勤務態度が悪く解雇された。ヘビ使いの男はそれを逆恨みして、魔物を使った復讐をもくろんでいたらしい。
 テリオンは目を見開く。単なる寄り道と思われた魔物退治が、偶然にも彼の目的とつながったわけだ。プリムロゼはにっこり笑い、
「良かったわねえテリオン、仲間がいて。あなた一人じゃ一生手に入らない情報よ?」
 わざとらしく語尾を上げてやれば、テリオンはぐっと言葉に詰まる。「プリムロゼさん、それは……」とオフィーリアが苦笑した。
「で、闇市の情報っていうのはなんだったんだ」
 テリオンが低く尋ねた。
「町の路地にある小さな酒場のバーテンダーさんが仲介役になっているそうです。特殊な符丁でお客さんを見分けて、闇市の場所に案内しているとか」
「符丁ってどういうの?」
「メニューにないお酒を頼むことだと聞きました」
 テリオンはうなずき、さっそく立ち上がった。
「バーテンダーだな。探りを入れてくる」
 止める間もなく部屋を出ていく。自分ひとりでは成果が上がらず、焦りを感じているのだろうか。
 音もなく閉まった扉を見て、プリムロゼは口をとがらせた。
「相変わらず勝手に動きすぎよね」
「ご自分の目的ですから、わたしたちに負担をかけないようにしているのでしょう」
「それでも気になるのよ」
「珍しいな、プリムロゼ」
 オルベリクに指摘され、はっとした。
「……確かにそうね」
 昼間から、何かとテリオンの単独行動が気になってしまう。彼の協調性のなさは今さらの話なのに。
「あの……みなさんで闇市に乗り込むのですか?」
 リアがおそるおそる問いかける。プリムロゼはうーんと伸びをした。
「テリオンは一人で行くつもりみたいだけどね」
「わたし、できる限りお手伝いしたいです」
 オルベリクも無言で首肯した。
 テリオンのことだから、真正面から闇市に挑むはずがない。いつものように変装と芝居による潜入を選ぶだろう。正体がばれるリスクを考慮すれば一人の方が都合がいい、と考えてもおかしくない。
 その時、プリムロゼの脳裏に雷鳥が走った。
「みんな聞いて。いいアイデアを思いついたわ」
 思わず笑顔になり、たった今考えた案を打ち明ける。オルベリクが眉根を寄せた。
「それは……テリオンが嫌がらないか」
「そんなこと分かってるわ。でも悪くない話だと思わない?」
「わたしは賛成です!」
「私にも協力させてください」
 女性二人の支持を得て、プリムロゼは得意満面でうなずく。オルベリクは力なくかぶりを振った。反論する気をなくしたらしい。
 しばらくして、テリオンが戻ってきた。
「酒場で闇市の場所を聞いてきた。……どうした?」
 彼はじっと注がれる四対の視線にたじろいだ。プリムロゼが唇の前に人さし指を立てる。
「ねえ、あなたにとっておきの提案があるの」
「ほう」
 テリオンは眉を跳ね上げる。何か余計なことを言うのでは、という懸念がはっきり顔に出ていた。
 プリムロゼは口の端を吊り上げる。
「お客の貴族になりきって、闇市に潜入するのよ」
「貴族か。俺はスタッフでもいいと思ったが」
「演技をするのはあなたじゃないわ。ほら、ここに適任がいるじゃない」
 彼女はいっぱいに胸を張る。
「本物の元貴族のお嬢様がね!」
 オフィーリアがきらきらと目を輝かせ、オルベリクがうなりながら腕組みした。唯一プリムロゼの素性を知らないリアが、驚きに言葉を失う。
 テリオンはというと、表情を消してたっぷり数呼吸分の間をおいてから、
「……お嬢様っていう歳でもないだろ」
 プリムロゼは思わず彼のほおを張り飛ばしそうになった。

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