砂に刻む帰途



「テリオンさんがご自分で何でもできてしまうのは、ずっとひとりで生きてきたから……でしょうか」
 寝間着姿のオフィーリアはカーテンに覆われた窓を見やり、気遣わしげにまぶたを伏せた。
「そうね」
 プリムロゼは一種の共感とともに相槌を打った。
 ウェルスプリングに来る前、ハイランド地方との境界付近でとある町に滞在した。二人は宿で相部屋になり、寝る間際にそんな会話をした。昼間に訳あってテリオンが例の芝居を披露し、その感想を語り合った後である。
 オフィーリアは胸の前で手を組む。
「ということは、助けてくれる方が……大人がまわりにいなかったのでしょうか」
「あり得るわね。最初からいなかったのか、いなくなったのかは知らないけど」
「あ……ごめんなさいっ」
 プリムロゼの境遇に思い当たったのか、オフィーリアは慌てて頭を下げた。苦笑を返す。
「いいのよ。でもあの様子だと、最初からまともな大人なんていなかったんじゃないかしら。家名も家族の話も、一度も聞いたことがないもの。もしかすると、大人は全員ろくでもない奴らだって思ってるかもね」
 彼がそうやって悪態をつくさまは簡単に思い描けた。オフィーリアは少しうつむき、言葉を重ねる。
「それでは、オルベリクさんやサイラスさんのことはどう思っているのでしょう」
 例に挙がったのは旅の仲間でも年長者としてくくられる二人だ。プリムロゼは少し考え、返答を濁す。
「少なくともオルベリクのことは頼りにしてると思うわ」
 テリオンは分かりやすくサイラスを邪険に扱い、一方でオルベリクを認めているふしがある。サイラスとの関係が捻転してしまった件については双方に非があるから、今は置いておく。
 素直とは程遠い性格のテリオンがはっきり態度に示すのもうなずけるほど、オルベリクはまともな年長者だ。テリオンにとっては生まれて初めて出会った、掛け値なしに頼れる年上なのかもしれない。
 オフィーリアは祈るように胸に手をあてていた。プリムロゼはにやりとする。
「ずいぶんテリオンのことを気にするのね」
「え? そうですね……確かにあの人のことは気がかりです」
「それって深読みしていい感じ?」
 笑いながら指摘すると、オフィーリアのほおがぼっと燃え上がった。
「ち、違います!」
 彼女はそのままベッドに飛び込み、布団をかぶってしまった。
 ほほえましい気分でそれを眺めながら、プリムロゼは壁をいくつか挟んだ先にいる彼のことを考える。
 ひとりで生きてきたように見えるテリオンにも、「誰か」がいたのだろうか。プリムロゼにとっての父親のような、決して失ってはならない存在が。



 月明かりに照らされた砂漠を、三つの影がひっそりと横切る。プリムロゼとオフィーリア、それにオルベリクだ。
 目的の洞窟は南ウェルスプリング廃道をそれた場所にあった。テリオンがバーテンダーから入手した地図を頼りに道なき道を歩いて、ようやくたどりつく。
 洞窟の入り口には二人の用心棒が立っていた。どちらも仮面で顔を隠している。用心棒は彼女たちを認め、愛想笑いを浮かべた。
「ようこそおいでなさいました。今宵も様々な品を揃えております」
「うふふ。楽しませてもらうわ」
 あっさり通された。仮面の下でプリムロゼの唇が弧を描く。身分証の効果は絶大だった。
 洞窟の中にはそこここにかがり火が焚かれ、ある程度の明るさとあたたかさが保たれていた。オフィーリアが隣に並んでそっとつぶやく。
「うまくいきましたね、プリムロゼさ……お、お嬢様」
 ぎこちない呼びかけだった。プリムロゼはこっそり苦笑いする。
 オフィーリアはいつもの神官服ではなく、召使いのような地味な格好をしている。その後ろをゆくオルベリクは亡国の青衣を脱ぎ、護衛らしい服装をしていた。
 プリムロゼはというと、大胆に肩を出した真っ赤なドレス姿だ。それでも普段より肌の露出は控えている。ピアスや首飾りといったアクセサリーまで完璧にそろえ、誰がどう見ても立派な貴族だった。
「全員で変装して闇市に潜入する」というプリムロゼの提案を、テリオンは最終的に承諾した。当初はもちろん難色を示したが、「テリオンはスタッフに、プリムロゼたちは貴族に扮して二手に別れることで、あらゆる事態に対応しやすくなる」というオルベリクの説得が効いた。
 衣装はすべてリアが用意した。さらに彼女は竜石を買い取る際の資金まで援助してくれた。もはやどう考えてもただの旅人ではない。が、素性を探られて困るのはプリムロゼたちも同じである。利害は一致しているので何も尋ねないことにした。リア本人は闇市に潜入せず、町で吉報を待っている。
 プリムロゼたちは正式に招待された客の証として、揃いの仮面をかぶっていた。闇市に出入りする際は身分に応じた仮面が必要になる、というのはテリオンがバーテンダーから聞き出した情報だ。彼はすでに酒場の倉庫から自分用にスタッフの仮面を盗んでいたが、作戦の変更によりもう一度侵入して客用の仮面を三枚確保した。
 テリオンは先行して闇市に潜入している。今頃スタッフに紛れて緑竜石を探しているはずだ。彼が何事もなく竜石を盗めたらそれでよし、だめでもプリムロゼたちが買い取る算段である。
 たっぷりとスカートを揺らし、彼女は洞窟内の細い道をゆく。
「長いわね。闇市はまだかしら」
 その疑問に答えるように、スタッフの仮面をつけた男が道の先に立っていた。涼しげな目元が印象的だ。仮面に加えてフードまでかぶって人相を隠す徹底ぶりだった。
「お客様はこちらへどうぞ」
 彼は落ち着いて道の奥を示した。プリムロゼは鷹揚にうなずく。
「ありがとう。あなたは?」
「この度護衛として雇われました」
 男は腰に二振りの短剣をさげていた。オルベリクたちが流砂の洞窟で戦ったという用心棒の代わりだろうか。
「衛兵対策?」さらりと問えば、
「いえ、また別の件でして……。ご心配なく、お客様は必ずお守りします」
 彼は言葉少なに答えた。信頼できる雰囲気だ。プリムロゼは「任せたわよ」と言って男と別れた。洞窟はまだ奥へと続いている。
 十分に離れてから、オルベリクがつぶやく。
「あの男、できるようだな」
 彼が言うのだから間違いないだろう。万一テリオンの盗みがばれた場合は彼と戦うことになるかもしれない、と心に留めておく。
「あ、そろそろではありませんか?」
 オフィーリアが前を指さした。声が弾んでいる。プリムロゼも気分が高揚してきた。
 通路を抜けると、天井の高いホールに出た。闇市という単語から怪しげな雰囲気を想像していたが、実際はまったく違った。屋内に露店街が出現したかのようなにぎやかさだ。いくつもの店が絨毯を広げ、その上に商品を並べている。どうやら闇商人たちが個別に店を出しているらしい。
 めかしこんだ客たちが楽しげに店の間を周遊している。ざっと見回しただけでも骨董、書物、絵画が目に入った。砂漠では珍しい青々とした植物を鉢ごと売っている店もあった。あんなもの、どうやって運び込んだのだろう。
(へえ、こんな感じなのね)
 プリムロゼはわくわくしながらあたりを見回す。その時ふとテリオンの顔が脳裏に浮かんで「遊んでいる場合か?」と喋ったので、慌てて意識を切り替えた。
(まずは竜石の確保、それとリアの荷物も探さなくちゃ)
 となればまず見つけるべきは宝石商だろう。ホールの中心へ踏み出そうとした時、誰かがそばに近づいてきた。
「踊子」
 振り返れば、スタッフの仮面をつけたテリオンがいた。プリムロゼは小さくあごを引く。
「もう竜石は手に入れたの?」
「……いや。探したが見つからなかった」
「へえ」
 プリムロゼが面白がる気配を察したのか、彼は不機嫌そうに黙りこくる。
「ふふ、すねないでよ。仲間のミスは私が取り返してあげるわ」
「……宝石商は三人いる。位置はここに書いておいた。一通り回ってほしい」
「分かったわ」
 手にメモを押し込まれる。下調べの成果らしい。オフィーリアに渡して確認してもらった。
(こういうマメなところが誰かさんに似てきたわよねえ)
 それについては指摘しないでおく。
「もうひとつ」とテリオンが付け加える。「気になることを聞いた。ここは盗賊団に狙われているらしい」
 プリムロゼは思わず声を上げそうになった。とっさにオルベリクが横に出てまわりの視線を遮る。
「盗賊団? あなたの知り合いとか?」
「そこまでは分からん。とにかく、それで護衛を増やしたと言っていた」
「ふうん。気をつけるわ」
 なるほど、先ほどの護衛役が雇われたのはそれのせいか。
 役目は果たした、とばかりに立ち去ろうとするテリオンにじっと視線を集中させた。彼はうろたえたように足を止める。
「……なんだ?」
「やっぱり、私たちがいないとだめなんじゃないの」
 彼は答えず、表情を消して一歩下がった。「いってらっしゃいませ奥様」とそつなく演技しながら。
 プリムロゼは肩をすくめようとしてやめた。貴族らしくない仕草だ。代わりに仲間たちを振り返る。
「さ、宝石を見に行くわよ」
「はい、お嬢様!」
 オフィーリアは元気よく返事した。もはや完全に普段どおりである。テリオンに比べてずいぶん心もとない演技だ。一方でオルベリクは余計な口を利くよりましと考えたのか、闇市に入ってからずっと沈黙していた。
(これならエアハルトさんの方が適任だったかもね)
 ホルンブルグで長年演技していたから……と考えたが、さすがに口には出さなかった。
 オフィーリアがメモを読み解き、先導する。三人は一番近くの宝石商に向かった。
 陳列用の棚に、箱に入った色とりどりの石が並んでいた。ホールの不十分な明かりがかえってきらめきを引き立てている。プリムロゼの審美眼はテリオンやトレサには劣るが、それでも本物と分かった。
(そういえば、トレサは闇市をどう思うのかしら)
 表に流通しないものを取引きする場所だから、思い切り憤慨しそうだ。別の店には書物もあったので、そちらはサイラスの逆鱗に触れるのだろうか。
 この場にいない仲間たちを一旦頭から追い払い、店主に声をかける。
「私の瞳みたいな色の宝石を探しているの」
 今回のターゲットは緑の竜石だ。プリムロゼは現物を確認していないが、こう言えば伝わるだろう。
 仮面をつけた商人はこちらを上客と見たのか、商売用の笑顔をつくる。
「そうだなあ、これはどうだい?」
 うやうやしく木箱から宝石を取り出す。確かに色は緑だが、表面にカットが施されていた。ノーブルコートで本物の竜石を見ているオルベリクに確認したが、彼は首を振った。
「これも素敵だけど、丸くて大きな石を探しているの」
「ううん、残念ながらうちにはないな。他をあたってもらえるかねえ」
「そう。ありがとう」
 店主に言われたとおり、次に向かうことにする。店と客の間をすり抜けながら、闇市に並ぶ商品を流し見た。
(リアの封書も探さないとね)
 封書は立派な木の箱に入っているらしい。箱自体も一級の工芸品なので目印になるだろうと教わった。注意しながら歩いたが、それらしきものは見つからなかった。
 次の宝石商の前には人だかりができていた。店主の男が客に向かって声を張り上げる。
「そこの旦那、この東方の宝石なんかどうだい? 古より天を翔る竜の瞳と伝わる、緑竜石って掘り出し物だよ!」
 掲げたのは緑色の大きな玉石だった。後ろの二人に目配せして、間違いないとうなずきあった。無理やり客の輪に割り込む。
「まあ素敵。もっとよく見せてちょうだい」
 オフィーリアも隣から興味津々で首を伸ばす。竜石は吸い込まれそうな深い緑色をしていた。「間違いなく本物です。赤竜石と同じ力を感じます」と彼女がささやく。
「ねえ、その宝石をいただきたいのだけれど……」
 さっそくリアから借りた資金を取り出そうとした。もし他の客と競合しても、この潤沢な元手があれば勝てるだろう。
「プリムロゼ!」
 不意にオルベリクが押し殺した声を発した。どきりとして財布を戻し、身構える。客の輪の外から複数の足音が近づいていた。
「命が惜しけりゃおとなしくしろ!」
 粗野な声が会場に響いた。客の悲鳴が上がる。何ごとかと振り返れば、頭にバンダナを巻いた男たちが会場に乱入し、集まった客に武器を突きつけていた。
(まさか、テリオンの言っていた盗賊団……!)
 判断を求めて剣士を見やる。彼は小さくかぶりを振った。まだ抵抗すべきタイミングではないということか。
 彼がそう判断するのもうなずけた。相手の数が多すぎる。見える限りでもざっと十数人。盗賊たちはまっすぐこちらにやってきて、プリムロゼたちを包囲した。
 盗賊の一人がこれ見よがしに曲刀を手でもてあそびながら、緑竜石を持った商人に近づいていく。
「その宝石を渡してもらおうか」
(竜石を狙っているの!?)
 プリムロゼは唇を噛む。商人はひっと声を上げた。
「こ、これはうちの大事な商品で……」
 問答無用、とばかりに盗賊が曲刀を薙ぐ。オルベリクが止めに入る暇もなく、ぎゃあと叫んで商人が地面に転がった。その手から竜石がこぼれ落ちる。オフィーリアが駆け寄ろうとしたが、「おっと動くなよ」と他の盗賊に阻まれてしまう。
(このままじゃ竜石が取られちゃう……!)
 少し手を伸ばせば届く距離にあるのに。プリムロゼは居ても立ってもいられず、近くの客を盗賊に向かって突き飛ばした。どよめきが上がる。倒れ込んだ客に盗賊が気を取られているうちに、さっと竜石を拾い上げた。
「おい女、どういうつもりだ」
 盗賊は凄みながら曲刀の切っ先をこちらに向けた。プリムロゼは竜石を胸に抱き、相手を強くにらみつける。
 すると目の前にオフィーリアが飛び出してきた。
「先に行ってください、プリムロゼさん!」
 かばうように両手を広げる。その手に杖があるわけでもないのに、彼女はプリムロゼを導こうとしていた。
 盗賊が反応する前に、今度はオルベリクがすばやく剣を抜いた。
「お前の相手は俺だ」
「なんだこいつら……!?」
 曲刀と剛剣がかち合った。かたい金属音が戦闘開始の合図となり、オフィーリアが魔法を使うための集中に入る。盗賊は突然反旗を翻したオルベリクたちに殺到し、客が悲鳴を上げて逃げ惑う。
 場が混乱した今がチャンスだ。プリムロゼは客の波に飛び込み、仲間の背に向かって叫んだ。
「ここは任せたわ!」
「ああ。お前はテリオンに竜石を!」
 逃げ出そうとする客の流れに逆らって走り、ホールの端を目指す。
「竜石を持った女が逃げたぞ!」「追えーっ!」
 かかとの低い靴を選んで正解だった。走りながらスカートをまくりあげ、太ももにくくりつけていた短剣を抜く。
 ちらりと後ろを振り返った。二人の盗賊が追いかけてきている。相手は余裕のある表情だ。「か弱い貴族の女などどうとでもなる」と顔に書いてあった。
「油断してくれてありがとう、盗賊さん」
 プリムロゼは片足を軸にして優雅に反転した。相手はいきなり止まった彼女に驚き、前につんのめった。その隙を逃さず、踊るような脚さばきで距離を詰める。狙うのは足だ。心臓を貫かずとも、そこさえ断てば相手は動けなくなる。プリムロゼは盗賊に足払いをかけ、体勢を崩したところに短剣を閃かせた。悲鳴が上がり、程なくして二人の盗賊が地面に転がる。
「一生そこに這いつくばってなさい」
 盗賊たちに冷たく視線を刺して、壁際へ向かった。ホールを出てどこかに身を潜め、テリオンとの合流を目指すつもりだった。
 通路を見つけて反射的に飛び込む。入り口につながる道とはまた違った。スタッフ用の通路だろうか。風が流れているから、外につながっているはずだ。
 走り続けて息が切れた。少しペースを落とす。いつの間にかホールの喧騒はずいぶん遠のいていた。
 この先、また追手と戦うことになるかもしれない。そう考えた彼女は躊躇なくスカートを裂いた。これで少しは動きやすくなった。やむを得ない事態だから、きっとリアも許してくれるだろう。アクセサリーは全部外して荷物にしまった。とても町を歩けない格好になったが文句は言えない。竜石の確保が第一だ。
(もう、テリオンはどこに行ったのよ)
 彼が途中で仕事を投げ出すはずがない。もしや、騒ぎを聞きつけてホールに向かったのだろうか?
 ふと顔を上げれば、通路の先に誰かがいた。
 気づくのが遅れた。慣れない衣装での戦闘に疲れ、知らず知らずのうちに注意を散らしていたらしい。この距離では相手もこちらを見つけているだろう。体がこわばった。
 しかし、そこにいたのは見覚えのある人物だった。
「ご無事でしたかお客様。早くこちらへお逃げください」
 ホールの手前で出会った護衛の男だ。彼は折り目正しく頭を下げる。プリムロゼはそれに従いかけて、立ち止まった。
「……ねえ、なんで客を助けに行かないの? 護衛なら真っ先にホールに向かうべきよ」
 相手は答えない。プリムロゼは短剣の柄を強く握りしめる。
「あなたたちが盗賊団だったのね」
 おそらく彼は護衛を装って闇市に潜入し、内部から仲間を手引きしたのだ。盗賊団があっさりホールに侵入できたのはそのせいだろう。
「ばれては仕方ない」彼は仮面を投げ捨てた。二振りの短剣をそれぞれ逆手に持つ。「緑竜石を渡してもらおうか!」
 プリムロゼはさりげなく体の重心を移動させ、己の得物を構えた。
「嫌よ。私にはこれが必要だもの」
「お前も盗賊なのか?」
「まさか」
 すると、男はフードの下で目をすがめた。
「それなら何故竜石を狙う。素直に渡すのが身のためだぞ。命が惜しくないのか?」
 プリムロゼは瞬きした。確かに彼女は本来、闇市や竜石とは何ら関係がない。そんなものに命をかけるなどおかしい、と昔の自分なら思ったかもしれない。
 だが、今は違った。
「もちろん命は惜しいわよ。だからあなたと戦うの。己を信じ、貫くためにね!」
 プリムロゼはとびきりの微笑をひらめかせた。
(とは言ったものの……勝てるかしら)
 この服装では、短剣の攻撃に踊りを織り交ぜたいつもの戦法は満足に使えないだろう。それに相手の方は増援がいつ来てもおかしくない状況だ。数で攻められたら間違いなく負ける。
 背中を冷や汗が流れる。オルベリクたちが追いつくまで時間を稼ぐ? それも厳しいだろう。そもそも、彼らがホールの乱戦を抜けてここまで無事に来られるかも分からない。
 考える間もなく相手が斬りかかってきた。慌てて短剣を振り上げ応戦する。
 連撃が来ると見込んでいたのに、手首に走った痺れは一回きりだった。
「持ち物には気をつけな」
 プリムロゼと距離をとった盗賊が口の端を吊り上げる。彼が武器を握るのは片手のみ——空いた手には掠め取られた竜石がおさまっていた。いつの間に!
「やるわね」
 乾いた唇を舐める。戦いにばかり気を取られ、本職の盗賊に対する警戒が足りなかった。二本の武器を見せびらかすように構えていたのも作戦のうちだったのだ。
 このままではオルベリクたちが体を張った意味がなくなる。なりふり構わず突撃しようと覚悟を決めた刹那、相手の前に突如として火柱が立った。
「なんだ!?」男が飛び退く。
 背後に聞き慣れた足音が迫る。紫の外套をまとった青年が薄明かりの下に現れ、プリムロゼの隣に並んだ。
「テリオン!」
 緩む顔を誤魔化すため、彼女は唇をとがらせる。
「来るのが遅いわよ」
「悪かった」
 テリオンは珍しく素直に謝った。プリムロゼはびっくりしてしまう。おかげで少し緊張がほぐれ、今度はこちらから謝罪する。
「ごめんなさい、竜石をあいつに取られたわ」
「だったら取り返せばいいだろ。やるぞ」
 二人はそれぞれに得意な構えをとった。相手はじりじりと後ずさりをはじめる。
「これで二対一よ。もう逃さないわ!」
「いや……向こうにも増援が来た」
 テリオンが低くつぶやいた。「嘘でしょ」と耳を澄ませる。本当だった。今度の足音は正面からやってくる。
 通路の暗がりを抜けて、ホールにいた盗賊と同じ格好をした二人が登場した。彼らは竜石を奪った男を見つけると、「こちらです」と言って後ろを振り返る。まだ誰かやってくるらしい。
 続いて姿を見せたのは、顔に真一文字の傷を持つ男だった。
「お頭!」
 フードの男が呼びかける。最後の男が盗賊団の頭領か。言われてみれば、それなりの貫禄がある。
 戦況は目まぐるしく変わり続ける。プリムロゼたちは再び窮地に立たされた。
「ねえテリオン、どうすべきだと思う?」
 声をかけたが返事がない。横を見れば、彼は両手を下げ、構えすら解いて前方を凝視していた。
(何? 一体どうしたの)
 初めて見るテリオンの反応に、プリムロゼの胸を不安がよぎる。
「こそ泥と女ごときに足止めさせられるとは。お前もまだまだのようだな、ガーレス」
 ガーレスと呼びかけられたフードの男は「申し訳ありません」とかしこまった。
 隣でひゅっと息を呑む音がする。
「お前は……ダリウス!」
 テリオンの喉から、聞いたこともない苦い叫びが絞り出された。

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