果敢なき実りを胸に



 早く、早くこの先にたどり着かなければ。
 オフィーリアは焦燥を抱えながらノースリーチへの坂道を踏みしめていた。
 その隣に誰かが並んだ。雪に浮かび上がる真っ黒なシルエットは学者サイラスだ。
「オフィーリア君、足元に気をつけて」
 彼はかすかに息を乱しながらほほえむ。オフィーリアは止まらずに答えた。
「でも、わたしのせいで遅れてしまったのですから」
 少し前に氷竜の口を訪ねたが、待機しているはずのオルベリクは忽然と姿を消していた。サイラスが「何か理由があってノースリーチへ向かったのだろう」と推測したので、一行はそのまま町に向かうことにした。
(どうしましょう、もしも大変なことになっていたら……)
 気が気でないオフィーリアに対し、サイラスが首を振る。
「そんなことはないよ。私こそもっと早くこの案を思いつくべきだった」
「そもそもテリオンが変に急ぐからこうなったのよねえ」
 同じく歩幅を広げて追いついたプリムロゼが横目を流す。彼女は真っ白なケープを肩にかけていた。
 新雪のような毛並みを持つ雪豹リンデが目の前に躍り出る。続くのはもちろん相棒のハンイットだ。
「そうだぞオフィーリア。あなたが彼らを導いてきたんだ」
 仲間の励ましを受け、胸がじわりとあたたかくなる。ハンイットにつられて振り返った先には、十数名の聖火騎士が列をなしていた。彼らはオフィーリアの導きによってノースリーチを目指しているのだ。
 ――ウィスパーミル村で黒炎教が起こした事件を解決した後、オフィーリアは一時的にサイラスたちの旅から抜けていた。大きなダメージを受けたリアナの精神が回復するまで、そばで支える必要があったからだ。
 薬師ヴァネッサの助けもあり、近頃リアナは笑顔を見せはじめた。
「オフィーリア、私はもう大丈夫。だからあなたは自分のやりたいことをやって」
 他でもないリアナ自身がそう勧めたこともあり、オフィーリアは「そろそろ旅に復帰できそうだ」という手紙を仲間に送った。
 すると、サイラスたち三人がいきなりフレイムグレースに現れた。彼女は突然の訪問に驚きつつ、仲間たちを大聖堂の居住区にある自分の部屋に招いた。
 盗賊に支配されたノースリーチを解放すべく、聖火騎士団を出動させてほしい。サイラスにそう頼まれて、オフィーリアは目を丸くした。
「テリオンさんがそのような提案をされたのですか?」
 あの孤高の盗賊が竜石探しのために聖火騎士団を活用するなど、とても考えられなかった。
「いいや、これはサイラスの案だ」
「でもテリオンが『全部任せる』って言ったから、私たちがここに来たのよ」
 狩人と踊子の返事はオフィーリアを再度驚かせた。テリオンはサイラスの提言を受け入れ、自分の仕事に他者が介入することを許したのだ。
 オフィーリアは、旅のさなかでテリオンが少しずつ変わりはじめていることを察していた。それにしても今回は劇的な変貌である。自分がいない間に何かあったのだろうか。
「ノースリーチにはテリオンたちが先に向かっているんだ。オフィーリア君、どうか手伝ってもらえないだろうか」
 サイラスは頭を低くする。オフィーリアは慌ててそれをやめさせ、うなずいた。
「もちろんです。聖火騎士はわたしが説得します」
 サイラスはぱっと破顔した。
「ありがとう。実はいくつか交渉材料を持ってきたんだ」
 相変わらず準備がいい。オフィーリアはほっとして聖火騎士との交渉に臨んだのだった。
 ――崖の頂上が見えた。もうすぐ南ノースリーチ雪道の終点だ。一歩一歩踏みしめるように坂を上りながら、オフィーリアはつぶやく。
「それでもみなさんがいなければ、聖火騎士団は動かなかったでしょう」
 赤目を倒したハンイットや、式年奉火を手伝ったサイラスの発言力は抜群だった。プリムロゼの容姿と色目もさりげなく効果を発揮しただろう。何よりも「ある事情」をサイラスが探り出さなければ、ここまでうまくはいかなかった。
 サイラスはうっすらほおを上気させ、こちらを見つめる。
「それなら一番の理由はオフィーリア君だよ。式年奉火を成し遂げたのはキミなのだから」
 オフィーリアはどきりとした。
「そうですね……そうでした」
 あの旅は彼女にとって大きな自信の源となっていた。神官として日々の務めを果たし、祈りの句を唱える意味も自分の中でより明確になった。
 彼女は杖を雪の上に突きながら、肩越しに背後を見る。大勢の騎士たちが文句も言わずに従っていた。
「聖火もないのに誰かを導けるなんて、なんだか不思議な気分です」
 今までの「導き」は神官としての研鑽があったからというより、あの炎の権威に頼るところが大きかった。だが、それがなくても聖火騎士は彼女についてきたのだ。
 雪まじりの風にサイラスのローブがはためく。彼の声は風の中でもよく耳に届いた。
「それはきっとキミ自身の力だよ」
「ありがとうございます。今でも時々、この手に聖火のあたたかさを感じることがあるのです。式年奉火のおかげでしょうか」
 オフィーリアはそっと胸に手のひらを置く。すると、サイラスは整った顔にみるみる喜色を浮かべた。
「それだよ、オフィーリア君!」
「は、はい?」
 オフィーリアは目を瞬いた。ハンイットとプリムロゼは「またはじまった」とばかりに呆れ顔をして、こっそり列から離れていく。
 興奮した様子のサイラスは、完全に教師の顔をして語りはじめた。
「魔法を扱う時に必要となる力は二つ。自然の事物に宿るエレメントの力と、私たち自身に備わる魔法を操る力――魔力だ。それはキミも知っているね」
 オフィーリアはうなずいた。ウィスパーミルを訪れた時、テリオンやオルベリクにその話をした覚えがある。
「はい。それがどうされたのですか?」
「私たちに宿る力は、もしかすると炎の形をしているのかもしれない」
 サイラスは指を立て、そこに小さな火を灯す。風に吹かれても魔力が続く限りは消えない炎だ。オフィーリアは神官服の胸元についた飾りを握り込んだ。
「炎が、ここに……?」
 とくとくと鼓動が伝わってくる。ずいぶん飛躍した仮説のはずが、オフィーリアは続きが気になって仕方なかった。
 サイラスは火を消して遠くを見据える。雪でかすむ景色の向こうにぼんやりとノースリーチの灯が浮かび上がった。
「私は、式年奉火の種火が運び手の心を映す、という話がずっと不思議だったんだ。各地の司教様たちははっきりとそう感じていたようだから、おそらく再現性のある現象だろうと思った。それに、漆黒の洞窟ではリアナさんの心象と種火の様子が明らかにリンクしていただろう。これらのことから、人と炎の間には何らかの強い結びつきがあると考えたんだ。
 そこで仮説を立てた。もともと誰もが魔法を操る力として炎をその身に宿していて、聖火はその魔力が目に見える形であらわれたものかもしれない、と」
 オフィーリアは思わず叫びそうになった。
 ウィスパーミルでマティアスを倒した後、彼女は夢を見た。亡くなったヨーセフ大司教と暗闇の中で再会する夢だ。懐かしき養父は片手に採火燈を持ち、オフィーリアと青い火を交互に指さしていた。
(もしかして、父様はこのことを伝えようとしていたのですか)
 胸がいっぱいになる。もう雪の冷たさなど微塵も感じない。坂を踏みしめる度に力が湧いて、笑みがこぼれた。
「それは……とても素敵な考えですね」
 この大陸に生きる皆に、聖火と同じ力が備わっているとしたら――誰もが自分で自分を導けるということだ。オフィーリアは空に煌めく星々のように、大陸に無数の炎が灯る光景を思い浮かべる。
 式年奉火とは、それに気づくための旅路だったのかもしれない。



「みなさん、おまたせしました」
 ノースリーチの路地を見据え、オフィーリアは力強くほほえんだ。
 盗賊と対峙する仲間たちが驚きと安堵の声を上げる。彼女は間一髪で危機に間に合ったのだ。すばやく全員の無事を確認してから、背後の味方にうなずきかける。
「お前たちがダリウス盗賊団だな!」先頭の聖火騎士が堂々と剣を掲げた。「人々の生活を脅かすお前たちを見逃すわけにはいかない。覚悟してお縄につけ!」
 騎士たちは一斉に剣を抜き、盗賊に向かっていく。
「聖火騎士だと!?」「なんでこんなところに」
 盗賊団は泡を食って応戦した。広場にいるオフィーリアから見て、聖火騎士、盗賊団、テリオンたち、また盗賊団という順番で路地に並んでいる状況だ。
 オフィーリアの登場に沸いた仲間たちはすぐにこちらの意図を汲みとり、背後を塞ぐ盗賊たちを崩しにかかった。一方、聖火騎士たちは順当に手前から攻めていく。挟撃された盗賊たちは半ばパニックに陥っているようだ。
 これほど狭い場所では迂闊に魔法を使えない。オフィーリアははらはらしながら様子を見守った。
「くそ、覚えてろよっ」
 いよいよ窮地に陥った盗賊たちは、倒れた味方を置きざりにしてバラバラに逃げ出した。
「待て!」
 騎士たちは最低限の人員のみを残し、すぐさま追跡に移る。あたりは打って変わって静寂に包まれた。
 テリオンたちも無事に背後の敵を倒したらしく、気絶した盗賊を踏み越えて路地から出てきた。
「ずいぶん来るのが遅かったな」
 いつもと色の違うマフラーを巻いたテリオンが、オフィーリアを見てにやりとした。服装のせいだけでなく、少し雰囲気が変わった気がする。
 ぼうっと彼を見つめたオフィーリアは、すぐ我に返った。テリオンはフレイムグレースの酒場で交わした会話――なるべく早く戻ってこい――に言及しているのだろう。慌てて頭を下げる。
「すみません、聖火騎士団の説得に手間取ってしまって……」
「テリオンよお、そうじゃねえだろ?」
 追いかけてきたアーフェンに小突かれ、テリオンはため息をつく。
「……援軍を呼んでくれて、助かった」
 一転して声が小さくなった。いえいえ、と笑顔で答えながら、オフィーリアは内心どぎまぎする。どうやらテリオンは本当に聖火騎士の干渉を認めたらしい。
「お役に立ててよかったです。と言っても、わたしだけではどうにもならなかったのですが」
 彼女は隣に並ぶ仲間たち――フレイムグレースに迎えに来た三人を見やった。
「なんとか間に合ったようだね。オルベリクに氷竜の口に残ってもらって正解だったよ。おかげで対応しやすかった」
 サイラスの発言に、「伝わったようで何よりだ」とオルベリクが重々しくうなずく。
「みんな、今までよく戦ったな」
 ハンイットが激励の言葉をかけるそばで、トレサが「お願いリンデ、あたしの疲れを癒やして!」と雪豹の頭をなでた。リンデは気持ちよさそうに喉を鳴らす。
 プリムロゼは順番に仲間の顔を確認し、目を大きく開く。
「あら、オーゲンさんまでいるじゃない」
 黒衣の薬師は黙礼した。
「たまたま町で会ってさ。俺たちを手伝ってくれるんだ」
 アーフェンが胸を張った。その横でオルベリクが学者に話しかける。
「よくあれだけの聖火騎士を動員できたな。どうやって説得したんだ?」
「ああ、それはだね……」
 さっそく長話をはじめようとしたサイラスは、すかさず「私が説明するわ」とプリムロゼに遮られた。
「単純よ。聖火教会がノースリーチを放置したせいで町が荒らされたんじゃないか、って攻めたの」
「フレイムグレースには町の状況が正確に届いていなかったようだ。教会に盗賊団の件を話したら、青くなってすぐに騎士の派遣を決めたぞ。そうだったな、サイラス」
 ハンイットが引き継げば、サイラスは「うん……」と少し寂しそうにうなずいた。オフィーリアはこっそり苦笑する。
 ともあれこれで旅の仲間が勢揃いしたわけだ。オフィーリアが万感の思いを込めて久しい顔を眺めれば、トレサがじいっと視線を返してきた。
「トレサさん? どうかされましたか」
「オフィーリアさん、おかえりなさい」
 商人は満面の笑みで歓迎してくれた。他の仲間たちもあたたかい目をしている。オフィーリアはとびきりの歓喜に心が浮き立った。
「はい、ただいま……戻りました!」
 自分はやっと仲間の輪に帰ってきたのだ。フレイムグレースとはまた違った意味で、ここは間違いなく自分の居場所だった。
「これで八人揃ったし、もう楽勝よね!」
 トレサが明るく言えば、
「……だといいがな」
 テリオンは油断なくあたりを確認する。
「まだ何かあるのかよ?」
 アーフェンが訝しんだ。先ほど町に出ていた盗賊団のほとんどは聖火騎士によって捕らえられた。逃げた者たちが捕捉されるのも時間の問題だろう。それなのにどうしてテリオンは警戒を続けるのか。
 サイラスがはっとしたように声を発した。
「そうだ、ガーレスは?」
「まだ見ていない」
 テリオンの落ち着いた返答に、オフィーリアはやっと得心がいった。ガーレスというのは盗賊団の頭領の右腕だ。闇市でも一度武器を交えており、その後ウェルスプリング守備隊によって身柄を確保されたが、牢から逃げ出してここまで戻ってきたらしい。実力は確かで、今回の竜石奪還にあたって注意すべき人物の一人だ。
 サイラスがあごに手をあてて考え込む。
「彼とダリウスを同時に相手にすることは避けたい。おそらくこちらがある程度隙を見せれば、ダリウスよりも先に姿を現すだろう」
「何か考えがあるんだな」
 テリオンのまなざしにははっきりとサイラスへの期待が含まれていた。オフィーリアは「まあ」と言いかけて飲み込み、自然と上がる口角を両手で隠した。
「ああ。聖火騎士とみんなの協力が必要だ」
 学者の青い瞳はいつだって確かな未来を見据えている。その導きに従った結果、今の旅路があることを誰もが知っていた。
 仲間たちは一斉にうなずいた。テリオンが片ほおを持ち上げる。
「よし。ガーレスを釣り出すぞ」



 分厚い雲に太陽が覆い隠され、一層強く雪が降ってきた。
 ガーレスをおびき出すための「ひと仕事」を終えたオフィーリアたちは再び広場に集まった。転がっていた盗賊たちは聖火騎士が回収したため、あたりはがらんとしている。
「それでは手筈通りに頼むよ」
 サイラスの合図により仲間たちが各々の持ち場へと散っていく。広場には彼とオフィーリア、テリオン、それにハンイットとプリムロゼだけが残った。今回の作戦上、大人数での対処はできない。よって、他の者たちは聖火騎士の手伝いに向かったのだ。
「私たちは広場の周囲を見回る。盗賊を見つけたらすぐに知らせよう。テリオンと、それにオフィーリア君はここで待っていてもらえるかな」
「分かった」
 テリオンが返事すると、サイラスたちは街路に消えた。吹きさらしの広場に二人きりで取り残される。オフィーリアはマフラーに顔をうずめるテリオンに近寄った。
「テリオンさん、お疲れではありませんか? もう何度も盗賊と戦ったのでしょう」
「大したことじゃないさ」
 薬師二人のおかげで大事はないようだが、それでもオフィーリアは心配だった。今日のテリオンはどこか気負っている部分があるように感じていた。
「あの、これでもいかがですか」
 オフィーリアは自分の荷物からリンゴを取り出した。受け取ったテリオンは目を丸くする。
「どこから持ってきたんだ、こんなもの」
「フレイムグレースからです。リアナがテリオンさんの好物を覚えていて、出る時に持たされました」
 オフィーリアはくすりと笑った。
 ウィスパーミル村からフレイムグレースに戻るまで、会話はなくともリアナは確かにテリオンと一緒に旅をした。彼女はあれほど落ち込んでいたにもかかわらず、しっかり仲間たちを観察していたらしい。リアナは「お世話になったあの人に渡してちょうだい」と言ってオフィーリアにリンゴを託した。テリオンが道中よく食べていたので印象に残ったのだろう。
「余計なことを……」
 顔をしかめながらもテリオンは丁寧に果実の表面を拭いている。好物を前にして分かりやすく態度が軟化していた。オフィーリアは笑みを深くする。
「ふふ。以前は受け取ってもらえなかったので、嬉しいです」
「一体いつの話をしてるんだ?」
 テリオンは肩をすくめた。とぼけた返事だが、オフィーリアの言いたいことはしっかり伝わったらしい。
 彼女がテリオンと初めて顔を合わせた時――フラットランドにある、リンゴと本で有名なあの村における出来事だ。オフィーリアは果樹園のトラブルを解決したお礼に山盛りのリンゴをもらい、サイラスを経由してテリオンに渡そうとした。だが、学者は「拒否されたよ」と言ってそのままリンゴを持ち帰ったのだった。
 オフィーリアは自分のリンゴをかじる。冷たく鮮烈な甘さが舌に染み込む。
「そういえば、テリオンさんはどうしてリンゴがお好きなのですか?」
 彼は赤い皮に目を落とし、ぽつりと言った。
「あいつと……ダリウスとよく食べてた」
 オフィーリアの心臓が跳ねた。
 彼女はテリオンとダリウスの関係についてとやかく言える立場ではない。もし自分がテリオンと同じ境遇だったら、きっとダリウスのような人物にひどく傾倒していただろう、とは思う。だから、黙ってテリオンのささやきに耳を傾けた。
「盗みやすいとか、腹がふくれる上に喉が潤うとか、あいつなりに理由があったのかもしれん。とにかく、いつの間にかよく食べるようになった」
「おいしいですよね、リンゴ」
「まあ悪くない味だ」
 テリオンは果実に口をつけないまま懐にしまう。オフィーリアは気にせず残りを咀嚼した。リンゴを胃におさめて満足していると、テリオンが緑の目でじろりと見つめてくる。
「あんた、顔が赤いぞ。冷えてるんじゃないか」
「え、そうですか?」
 そういえば、焦って街道を駆け上がってからろくに汗を拭っていなかった。いつの間にか体温が下がっていたらしい。
「ほら」
 テリオンが指に火を灯し、さりげなくオフィーリアに近づける。サイラスが作り出す神秘の炎とはまた違う、あたたかい鬼火だ。オフィーリアは「ありがとうございます」と手をかざした。
「この炎は、わたしたちに宿る魔力のあらわれだそうですよ」
「はあ?」
 不意をつかれたテリオンはぽかんと口を開く。オフィーリアは揺らめく火に焦点を合わせた。
「サイラスさんがそう言っていました。わたしたちの体には、エレメントを操る力として聖火と似た炎が宿っているのではないか、と。まだ仮説だそうですが、素敵な話ですよね」
「夢みたいなことを言うんだな」
 それはサイラスのことか、それともオフィーリアのことだろうか。尋ねようとした時、広場の隅から雪の塊のような獣が駆けつけた。
「……来たのか」
 いち早く気配を察したリンデが連絡しに来たのだ。テリオンはしゃがんで軽く雪豹の喉をなでる。
 ハンイットが相棒を追いかけてきて、「あちらの方角だ」と指さした。オフィーリアは杖を持ち直し、静かに準備を整える。
「案外早かったわね」「凍える前で助かったよ」
 プリムロゼとサイラスもそれぞれ広場の中央に集まってきた。五人と一匹はそろって敵の方角に体を向ける。
「ガーレス様、こちらです!」
 すぐに盗賊たちが路地から姿を現した。完全に準備を整えて立ちはだかるオフィーリアたちを前に、彼らはぴたりと足を止める。
「テリオン……そうか、騙したのか」
 フードを深くかぶったその男は砂漠で戦ったガーレスだった。ここまで案内してきた部下が慌てたように「話が違う!」と叫ぶ。
 オフィーリアは少しだけ申し訳ない気分になる。その抗議も無理はない、と思えるくらい、こちらのとった作戦は悪辣だった。
 彼女たちは捕らえた盗賊を見張る聖火騎士に事情を説明し、作戦への協力を要請した。見張りの騎士に頼んだことは次の三つだ。まず、一人の捕虜の縄をわざと緩めること。次に、その盗賊の前で「今いる聖火騎士はあくまで先遣隊であり、これからもっと大勢やってくる」「まだ戦力が整っていないからここで一気に叩かれたらまずい」と発言すること。その後、他の盗賊を移動させるとの名目で、縄を緩めた一人だけを残して持ち場を離れること。
 すなわち「今すぐ大勢で攻め込めば聖火騎士を倒せる」という都合のよい錯覚を捕虜に植え付けた状態で、意図的に逃がしたのだ。その盗賊は廃教会に戻り、ガーレスを伴ってそれなりの勢力で地上にやってくる――これらはすべてサイラスの発案だった。そして作戦は見事に的中した。
 テリオンがおもむろに前に出る。ガーレスは開き直ったように二振りの短剣を構えた。
「お前をダリウス様の場所には行かせない」
「そうか」
 テリオンは淡々と武器を抜いた。
「ガーレスは俺が引き受ける」
 誰も口を挟めなかった。ガーレスの部下ですら、二人の気迫に負けて遠巻きに様子を見守っている。
 風はやみ、雲の隙間から青空が覗く。二人の短剣によって反射した陽光がオフィーリアの目を刺した。次の瞬間、澄んだ音が鳴り響く。一合だけ刃を交えたのち、両者は同時に飛び離れた。
 ガーレスは戦線に出たばかりだが、一方のテリオンはすでに疲労している状況だ。一対一でもこちらの方がずっと不利ではないか、とオフィーリアは固唾をのんだ。
「大丈夫だよ」
 隣のサイラスが前を向いたまま言い切る。
「今の彼なら十分に勝てる相手だ」
 そうだった。オフィーリアが旅を離れている間も、テリオンはオルベリクと試合をこなして研鑽を積んできたはずだ。だったら何も心配はない、と自分に言い聞かせる。
「あっちはテリオンに任せましょ。私たちはこいつらの相手よ」
 プリムロゼが優雅にかかとを鳴らし、盗賊たちをにらみつけた。
「お前ら、テリオンの仲間だな」
「よくも嘘を流しやがって。絶対許さねえぞ」
 偽の情報を掴まされた元捕虜は特にいきり立っているようだ。こちらも相手もちょうど四人ずつ。ならば勝てない道理はない。
 ハンイットは開戦を宣言するかのように、すばやく手を横に振った。
「行け、リンデ!」
 雪豹が街路を駆けて先制攻撃を仕掛ける。降りやんだ雪に代わって、矢と魔法が雨あられのように飛び交った。
 治癒を担当するオフィーリアは一歩引いた位置に陣取り、テリオンとこちらの状況に等分に気を配った。
 白い景色の中で水色のマフラーが鮮やかに翻る。テリオンがのけぞってガーレスの攻撃を避けた。いささか大げさに回避しているのは、相手の刃に触れないためだろう。あれに斬られると生気を取られる、という話を聞いた覚えがある。
 それなら長剣を使ってリーチを確保した方がいいのでは、とオフィーリアは考えたが、きっとテリオンなりの意図があるのだろう。現に回避は完璧で、ガーレスの連続攻撃も短剣のみで見事に防ぎきる。相手はだんだん焦れてきたようだ。
 テリオンの防御の技術は格段に上がっていた。きっとオルベリクの指導の賜物だ。彼はあの剣士から守備の心得を学んだのだ。
「いい加減落ちろ……!」
 逆上したガーレスが渾身の力で斬撃を叩き込む。避けきれなかったテリオンは武器で受け止めたが、一瞬片足が浮く。オフィーリアが息を呑んだのもつかの間、すぐに体勢を立て直して距離をとった。
「盗公子エベルよ……」
 低い祈りが唇から流れる。あれは奥義の構えだ。ガーレスは以前その攻撃を受けて敗北していた。一瞬相手の動きが止まる。
「残念だったな」
 テリオンは口の端に笑みを閃かせると、構えを解いて逆にガーレスに肉薄した。守護神への呼びかけはハッタリだったのだ! ガーレスはとっさに対応できず、宙を泳ぐ腹部をテリオンが短剣で二度刺す。マティアスに浴びせたものと同じ技で、エルフリックの導きがなくとも十分なスピードだった。
 少量の流血とともにガーレスはがくりと膝をついた。
「……俺の負けか」
 あまり大きな傷ではないのに、ガーレスは地に両手をついて体を支えている。もしやあれは生気を吸う技――ガーレス自身の技すらテリオンは盗んだというのか。
「あんたもよくやる」
 余裕を持って近づいたテリオンは、短剣をガーレスの首筋に向かって振り下ろす。思わずオフィーリアは目をそむけたが、予想した瞬間は訪れなかった。刃は肌の手前ぎりぎりで止まっていた。やはり殺す気はないのだ、とほっとする。
「――火炎よ、焼き尽くせ」
 サイラスの涼やかな声が耳に入り、慌てて意識をもう一方の戦いに戻す。降り積もった雪が一気に溶けて水になり、盗賊たちが足を滑らせた。
「オフィーリア、一緒にお願い!」
 前線から退いたプリムロゼが隣に並び、両手を前に突き出す。オフィーリアはうなずき、杖を振り上げた。
「光よ!」
 二人の叫びが重なって、光の柱が盗賊たちを撃ち抜いた。
 魔法から逃れた盗賊はリンデが飛びかかって地面に拘束し、ハンイットの矢が的確に足を射抜く。部下たちも全員問題なく片付いた。
 ガーレスは首に刃を受けたまま同胞の敗北を確認した。
「降参しろ。悪いようにはしない」
 テリオンの冷たい声が、うなだれるガーレスに降り注ぐ。
「……断る」
 ガーレスは顔を上げ、にやりと笑ったかと思うと、いきなりテリオンの手首を掴んだ。
「なっ……!?」
 それは逃げるための行為ではない。むしろ真逆だった。短剣がずぶりと肌に食い込む。自ら首を傷つけるガーレスに、さすがのテリオンも度肝を抜かれたようだ。必死に振りほどこうとするが、最後の力を振り絞るガーレスの腕はびくともしなかった。石畳にみるみる血溜まりができていった。
「ダリウス様は、必ずお前に勝つ……!」
 ようやく手が離れ、ガーレスは血を吐いて倒れた。
 オフィーリアが慌てて駆けつける。が、テリオンが制した。彼は黙って首を振る。
「そんな……」
 ダリウスがそれほど忠誠を向けるべき人物なのか、オフィーリアには分からない。重すぎる覚悟に呆然とするしかなかった。盗賊団の部下はすっかり消沈し、彼らを縛り上げていたハンイットたちも厳しい表情をしていた。
 テリオンは血にまみれた両手と短剣を丁寧に拭いた。
「とにかく、これでガーレスは潰した」
 目一杯感情を抑えた声に、オフィーリアは胸を締め付けられる。一方、サイラスはいつもの顔でうなずいた。
「そろそろ教会に突入すべき頃合いだろう。みんなを集めてくるよ。どこかに話し合いができる場所はないかな」
「ヒースコートの隠れ家がある。アーフェンが場所を知っている」
「分かった」
「あと、これを見ておけ」
 テリオンが紙のようなものを手渡した。サイラスは折り畳まれたそれを少し広げ、中身を確認する。横からハンイットが申し出た。
「アーフェンを探すならわたしとプリムロゼも一緒に行こう。盗賊たちを聖火騎士に引き渡したい」
「ああ、それがいいね」
 首肯したサイラスは、雪の上の遺体をちらりと見やり、まぶたを伏せた。
「それでは、後で隠れ家に集まってくれるかな」
「ああ」
 サイラスたち三人は、テリオンとオフィーリアだけをその場に残して去っていった。
 オフィーリアは冷たくなりゆくガーレスのそばにひざまずき、祈りを捧げる。
「盗賊団にも誰かのために命をかける方がいるのですね」
 以前黒炎教と戦った時は多くの命が失われた。相手がどのような人物であれ、死に直面すれば喪失感がわく。ガーレスが自死を選んだことは、余計に彼女の心を空虚にした。
「こういうやつばかりじゃないがな」
 テリオンは死体を見下ろし、抑揚のない声で答える。彼もレイヴァース家に忍び込むまでは、そんな冷たい環境の中で生きてきたのだろう、とオフィーリアは推測した。
「テリオンさん、もしかしてずいぶんとご苦労を……」
 祈りを終えたオフィーリアが向き直ると、彼はかぶりを振った。
「どうということはない。他人を羨んでも、過去や生まれは変わらないからな」
 泣き言を吐くよりも手を動かした方が有益だった、と乾いた緑の目で続ける。
「同情も、説教もいらん」
 彼はもう完全に過去を割り切っているのだろう。孤児として同じような道をたどる可能性があったオフィーリアは、力強く首を振る。
「いえ、わたしが言いたかったのは……テリオンさんは自らの境遇について、世の中や誰かを恨んだりしませんでした。それはきっと――」
「さあな」
 それ以上の言葉を遮るように、テリオンは背を向けた。水色のマフラーがなびく。
「何かを恨んで生きるのは、性に合わないだけだ」
 もしかすると、彼は裏切ったダリウスのことも、すでに恨んでいないのかもしれない。
 オフィーリアは胸に手を置く。そこに炎のようなあたたかさを感じた。きっとこの炎はテリオンにも宿っていて、彼はそれを他人に分け与えられる人だ。
 誰かが目の前で傷つくのが嫌で、自分の目的に余計な者を巻き込みたくない。それはつまり――
(あなたは、誰よりも優しい人なんですね)

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