果敢なき実りを胸に



 薄暗い部屋に続々と仲間たちが集まってきた。
 ハンイットはバイロンという名の落ちぶれた貴族の家にいた。会議の場としてあてがわれた居間で、全員の集合を待つ。
 傍らには相棒のリンデが居心地悪そうにうずくまっている。床の埃が気になるのだろう。ハンイットはぽんぽんと白い毛皮をなでてやった。
 仲間たちは皆、じっと口を閉ざして外の物音に耳を澄ませていた。その中心で粛然とソファに腰掛けるのはレイヴァース家の執事ヒースコートだ。家主のバイロンは用事があると言って席を外しており、聖火騎士たちは外で残党との戦いを続け、薬師オーゲンもそちらについて負傷者の手当てをしている。
 そんな中、未だにテリオンとオフィーリアだけが集合していない。おそらく先ほどの戦いで散ったガーレスを弔っているのだろう。彼らが遅れることは織り込み済みなので、サイラスは何も言わずに机の上を準備している。
 冷たい壁に背を預けて身を休めていると、白いケープを着たプリムロゼがやってきた。
「うう、寒い。本当に室内なのかしらここ」
 自分を抱きしめるように腕をさすっている。ハンイットは笑みをこぼした。
「隙間風が入ってくるのだろう。わたしの右なら少しはあたたかいぞ」
「あら、いいの? あなたを風よけにしちゃって」
「別に構わない」
 プリムロゼは遠慮なく右側におさまり、ゆっくりと息を吐いた。体の震えが止まる。これで満足しただろうと思えば、何故かじと目でこちらを見上げてきた。
「最近のハンイット、ちょっと過保護じゃない?」
「そうか? そんなつもりはなかったのだが」
 不思議に思って首をひねると、プリムロゼは視線を外した。
「でも……ありがとう」
 消え入りそうな感謝はしっかりとハンイットの耳に届いた。
 復讐を終えてからというもの、プリムロゼは時折このように心細い顔を見せる。だからついハンイットは気にかけてしまうのだった。
「遅れてすみません」
 オフィーリアとテリオンが部屋に入ってきた。これで全員そろったわけだ。サイラスが声を張り上げる。
「竜石を奪還するため最後の作戦を決めたい。みんな、集まってくれ」
 ハンイットは壁から身を離し、プリムロゼや他の仲間とともに中央のテーブルを囲った。
 サイラスは竜石があると見込まれる廃教会地下の見取り図を広げる。テリオンから受け取ったものだ。
「竜石が安置されているのは、この二箇所のどちらかだろう」
 ひとつ目は廃教会から一旦地下に降りて通路を抜け、また階段を上がった先の礼拝堂だ。無理やり資金を投入して地下を拡張したため、こういう不思議なつくりになったらしい。もう一箇所は、礼拝堂への階段を上らずさらに地下に降りた先の行き止まりだった。おそらく倉庫として使われているのではないか、とサイラスが付け加える。
「そっちの倉庫は狭くて守りづらい。ダリウスは礼拝堂にいるはずだ」
 テリオンが断言した。サイラスも異論はないようで、地図から顔を上げた。
「地上に出てきた盗賊団はほとんど捕らえたか聖火騎士が引きつけているから、今がチャンスだ。ダリウスが何か行動する前に、残りの盗賊に見つからないよう地下に潜入して、礼拝堂の竜石を盗む。……このような作戦でどうだろうか、テリオン」
 サイラスはそっと今回の中心人物の顔色をうかがう。
「それでいい」
 短い承諾により作戦は定まった。ハンイットが発言する。
「全員で忍び込むのはさすがに無理だろう。教会には誰が向かうんだ?」
 周囲の視線がテリオンに集中した。彼は外套の下で腕組みし、すぐに口を開く。
「俺の他には、ハンイット、プリムロゼ――」
 呼びかけられ、二人は姿勢を正す。最後に彼はまっすぐ正面に視線を向けた。
「あとは、あんただ」
 指名を受けた学者は何度か瞬きした。
「……分かったよ」
 ハンイットは瞠目する。まさかサイラスが選ばれるとは予想していなかった。是非理由を聞きたかったが、その時間はないらしい。テリオンは同行者たちを見回した。
「この四人で行く。準備してくれ」
「了解した」「任せなさい」
 ハンイットはリンデを立たせ、プリムロゼが片目をつむる。サイラスは図面を畳みながら首肯した。
「おいおい、薬屋は連れてかなくていいのかよ?」
 メンバーから外されたアーフェンはテリオンに近づき、その肩に腕を回した。
「私の回復魔法の方が頼りになるってことでしょ」
 プリムロゼが自慢げに胸をそらした。そういえば今着ている白いケープは神官の服装に見えなくもない。テリオンは「まあそういうことだ」と答えたが、これは方便だろう。同じく治療のエキスパートであるオフィーリアがほほえんでいた。
 おそらくテリオンは仲間の疲労も考慮してメンバーを選出したのだ。だからあまり文句は言えなかった。諦めたアーフェンは鞄から薬瓶を取り出し、テリオンに握らせる。
「なら、これ持ってけよ」
「薬か?」
「ただの煙幕。地下で敵に挟み撃ちでもされた時に使ったらいいんじゃねえかな。今回は全然薬師らしいことできなかったからなー、ちょっとは役に立たねえと」
「オーゲンと張り合うつもりか」
「そういうこと!」
 気安いやりとりを聞きながら、ハンイットは腰に提げた武器を触る。ちゃり、と鞘の中で刃が音を立てた。まだ慣れない重さの正体は、長剣だ。
(人が相手なら、わたしはこちらを使うべきか)
 様々な武器を操る仲間たちに影響を受け、近頃の彼女は剣術を鍛えていた。狩りの際に使えたら便利だろうし、いつかザンターを驚かせてやりたいという思惑もある。そのため、オルベリクたちの鍛錬に混ぜてもらおうとしたら、何故かテリオンに嫌がられた。仕方がないのでアドバイスをもらうのみにとどめているが、オルベリク曰く筋は悪くないそうだ。
「ねえ、テリオンさんたちが忍び込んでる間、あたしたちは何をすればいいの?」
 トレサが机の上に身を乗り出す。帽子の羽がぴょこりと揺れた。テリオンが眉をひそめる。
「少しは休んだらどうだ」
「テリオンさんは働きっぱなしなのに?」
 不平を漏らす彼女に、サイラスが首を振る。
「何人か聖火騎士とともに教会の地上部分で待機してほしい。地下で遭遇した盗賊たちは、なるべく戦わずに追い出すことになるだろう。出口でうまく捕捉してもらえないかな」
「ああ、任せろ」
 オルベリクがうなずいた。オフィーリアが横から割り込んで、
「わたしはこの町の衛兵に協力を要請しようと思います。聖火騎士がいれば、彼らも盗賊団に抵抗する力が湧くでしょうから」
「あ、それあたしも行くわ!」
「じゃあ俺は旦那と一緒に教会で待機すっかな」
 このアーフェンの発言でそれぞれの役割は決まった。あまり時間がないため、全員すぐさま出発の支度を整える。
 アーフェンがまた無遠慮にテリオンの肩に手を置いた。まんざらでもないらしくテリオンは振り払わなかった。
「気をつけろよ、テリオン。ちゃんと帰ってくるんだぞ?」
「ああ、竜石は必ず取り返す」
「そうじゃねえんだけど……まあいいや」
 アーフェンは困ったように頭をかいた。ハンイットはくすりと笑いを漏らす。薬師の言いたいことを察したのだ。
 たとえ竜石を取り返せなくても、無事に戻ってきてほしい――テリオンのプライドにかけてありえないとは分かっているが、それが正直な気持ちだった。
 黙って話を聞いていたヒースコートが、ソファから立ち上がった。
「みなさん、どうかよろしくお願いします」
 老体にはこれ以上の戦闘が厳しいため、彼は引き続き隠れ家に待機するという。皆は口々に「任せろ」と言った。
「テリオンはいいお仲間を持ちましたね」
 穏やかな視線を受けたテリオンはびくりと肩を震わせ、思いっきり執事から顔を背けた。仲間たちの苦笑がその背を追う。
「よし、オフィーリア君とトレサ君は衛兵のもとへ、残りは全員で廃教会へ向かおう」
 サイラスの一声により八人は居間を出た。ヒースコートが玄関先まで見送りに来る。
「お気をつけて」
「ああ、行ってくる」
 雪の上に踏み出すテリオンの横顔には、覚悟と決意があらわれていた。



「で、また芝居なのか?」
 廃教会に向かう道すがら、ハンイットが尋ねる。ポニーテールに結った髪が歩く度に揺れた。気合を入れるために結んできたが、首筋に風が通るのは失敗だったかもしれない。
「結局それが一番確実なのよね」
 ケープの前をかきあわせ、プリムロゼが白い息を吐いた。
 盗賊団の一人から剥ぎ取った服に着替えたテリオンは、黙々と街路を歩く。捕らえた盗賊が吐いた情報によれば、赤いフードは幹部の証らしい。テリオンはそれを目深にかぶり、特徴的な白銀の髪を隠した。
 町中からは時折剣撃の音が聞こえてくる。聖火騎士たちが盗賊と戦いを繰り広げているのだ。妙に制圧に時間がかかっているのは、相手が逃げに徹してしまったからだった。ばらばらになった盗賊たちが町のどこに隠れているか分からず、探し出すのに苦労しているらしい。とにかく騎士が盗賊を引きつけている今のうちに侵入するのが吉だろう。
「相手は急造の盗賊団だ。ダリウスのことはともかく、幹部の顔すらよく覚えていないらしい。あとはテリオンの演技力さえあれば、問題はないね」
 サイラスが自信満々に言い放った。
 ダリウスたちは地上の正確な状況を知らない。ガーレスを釣り出す際の偽情報により聖火騎士の登場は察知しているが、ガーレス自身の死の知らせはまだ届いていないはずだ。テリオンが攻めてくるのはもう少し先だと高をくくっているだろう。この情報格差のおかげで潜入もしやすくなった。
 ハンイットは前に回り込み、フードに隠れたテリオンの顔を覗く。
「演技で他者になりすます……確か、そういう動物がいたな」
 テリオンは興味なさげにそっぽを向いた。後ろのサイラスが声を弾ませる。
「ほう。例えばどのような?」
「枯れ木に偽装し、獲物を狙うトカゲがいる。他にも植物や天敵になりすます、宝石になりすます……」
「ストーンガードで戦った幻影樹もそうだね」
 サイラスが補足した。テリオンとプリムロゼ、それにアーフェンはあの場にいなかったのでピンと来ないだろう。
「ああ。テリオンを見て彼らを思い出した」
「俺は動物と一緒かよ……」
 苦々しい返事を聞き、アーフェンがおかしそうに肩を震わせた。一方ハンイットはきょとんとする。
「褒めているのだ。テリオンほどの演技はなかなか見られない。今回もあなたの芝居に期待しよう」
「……できることはするさ」
 ハンイットはふっと笑った。
「うん、今みたいに素直なテリオンの方が素敵だな」
「調子に乗るな。まったく」
 テリオンはますます不機嫌になってしまった。何故だろうと疑問に思っていると、プリムロゼが人差し指をハンイットの顔の前にかざした。
「ハンイット、そういうサイラスみたいなことはあんまり言うべきじゃないわ」
「どういうことだ?」「何故私の名前が……?」
 学者とそろって首をかしげる。踊子と盗賊は同時にため息をつき、薬師と剣士は苦笑いを漏らした。
 続けて追及する前に、リンデの控えめな警告が耳に届いた。ハンイットは意識を切り替える。
 一行は廃教会に到着した。ずいぶん前に放棄されたとスサンナから聞いた通り、ボロボロの見た目である。正面扉の上にある大窓は破れ、屋根も一部抜けている。こんな場所に盗賊が住んでいるのか、と驚いた。
 テリオンはすばやくあたりを確認する。盗賊の姿はない。
「行ってくる。あんたたちは絶対に見つかるなよ」
「そちらは問題ない。安心してくれ」
 ハンイットがうなずくと、テリオンは慎重に教会の扉を開けて中に入っていった。
 見取り図によれば、内部の祭壇の裏に地下へ続く階段があるらしい。その先が盗賊団のアジトだ。見張りがいるとすれば、階段を降りてすぐの場所だろう。
 残った五人は教会のそばにあった墓地に入り、木立に身を隠した。念のためサイラスの魔法で気配を遮断する。この魔法は魔物にしか効かないという話だったが、近頃彼が自力で強化したらしい。クオリークレストで誘拐犯が使った魔法と同程度には人目につかなくなるだろう、とサイラスは請け合った。
 しばらく寒さに耐えながら教会の様子を伺う――と、扉が乱暴に開いた。
 盗賊が三人、慌てた様子で町へと駆けていく。テリオンが芝居によって見張りを追い出したのだろう。アーフェンが腕まくりの仕草をした。
「よっしゃ、俺たちの出番だな!」
「今の盗賊を確保したら、教会の中で待機する。ついでに聖火騎士も呼んでこよう」
「任せたよアーフェン君、オルベリク」
 サイラスが短い言葉とともに彼らを送り出した。残りの三人は静かに教会に入る。
 祭壇の裏を探せば、床板が四角く切り取られており、地下へ向かう階段があった。リンデを先頭にゆっくり降りていく。途中の踊り場でフードを外したテリオンが待っていた。
「地上の話は見張りに届いていなかった。幹部のふりをして『地上に加勢に行け』と言ったらあっさり従ったぞ」
 テリオンはそつなく役割を果たしたらしい。ハンイットは例の芝居が見られず、少し残念な気分になる。
「ここから先は見つかったらその都度対処するしかないわね。頼りにしてるわよ、リンデ」
 プリムロゼに軽く背を叩かれ、雪豹は任せろと言うようにしっぽを立てた。
 教会の見取り図を頭に入れたサイラスと、気配を探知するリンデを先頭にして進む。廊下の壁には必要最低限の明かりがぽつりぽつりと灯っていた。それでも地下は薄暗く、でこぼこした床石につま先を引っかけると転んでしまいそうだ。
 あたりに人の気配はない。不気味なほどに潜入は順調だった。サイラスの案内に従って何度も階段を上り下りする。所々にある朽ち果てた部屋は盗賊の住まいになっているらしく、廃墟には不釣り合いなほど立派な家具があった。住人の姿がないのは、皆地上に出ているからだろうか。
 行けども行けども敵が姿を現さないので、少し気が緩んだのだろう。プリムロゼがささやく。
「それにしても、テリオンはなんでこの三人を選んだの?」
 ハンイットも気になっていたことだった。問いかけられた彼はじろりと踊子をにらむ。「うるさい」とでも返すのかと思いきや、あっさり答えた。
「あんたはダリウスに恨みがありそうだからな」
 プリムロゼは目を丸くした。
「そんな理由で? まあ、確かに闇市のことは恨んでるわよ。リアから借りた服、お気に入りだったのに」
 彼女は砂漠の出来事を思い出したのか、柳眉をひそめた。テリオンほどではないが彼女にも因縁と呼べるものがあるのかもしれない。ハンイットはなるほどと相槌を打つ。
「わたしはリンデや狩人の勘を頼りにしてもらったのだろうな。この地下はなかなか複雑そうだ」
「そうだね。朽ち果てているし、改造などされていたら地図は頼りにならないだろう」
 サイラスの発言の後、沈黙が降りた。そのまま会話が終わりそうになる。
「……で、どうしてサイラスを選んだんだ?」
 ハンイットが問いかけると、プリムロゼが「しーっ!」と唇に人差し指をあてた。
 テリオンは何故かぎくしゃくとサイラスを見つめ、非常に言いづらそうに口を開いた。
「あんたが立てた作戦だ。責任をとれ」
「ああ。分かったよ」
 サイラスは神妙な顔になる。ハンイットはぎこちなくやりとりする二人を眺め、首をかしげた。
(本当にそういう理由なのか……?)
 学者を選出したことについて、テリオンは「気配を消す魔法が便利だから」とは答えなかった。いかにも彼が言いそうなことにもかかわらず、だ。それに、今更念を押さずともサイラスが責任を放棄するはずがない。
 もしやテリオンは曖昧なことを言って真実を誤魔化したのではないか、とハンイットは訝る。
「相変わらずねえ、あの二人も」
 隣に寄ってきたプリムロゼが呆れたように言った。男性陣に聞かれぬよう声をひそめている。「そうだな」とハンイットは同意した。
 以前、彼女はストーンガードでこの二人に「よく話し合え」と言い放ったことがある。あれからどのような会話があったのかは知らないが、近頃の彼らは互いに譲歩しているそぶりを見せていた。
 だが、まだ足りない。少なくともサイラスは重要なことをテリオンに告げていなかった。
「あのことは、テリオンに教えなくていいのだろうか」
 ぽつりとハンイットがこぼす。話題を察したプリムロゼが肩をすくめた。
「今更打ち明ける必要なんてないわ」
「そうだろうか。テリオンの旅はきっともうすぐ終わるだろう。今だからこそ告げるべきなのでは――」
 話しながら横を見ると、プリムロゼはぼんやり前を見つめていた。どうやら別のことに気を取られているらしい。エメラルドの瞳に憂いが浮かび、体の横で所在なく手が揺れている。
「プリムロゼ、大丈夫か」
 思わずその手を取った。皮膚から血潮の温度が伝わってくる。プリムロゼはのろのろと顔を上げ、表情を曖昧にする。
「……いきなりどうしたのよ」
「どうしたと言いたいのはこちらの方だ。なんだか不安そうに見えたぞ」
 彼女はむっと眉根を寄せ、反論を準備するかのように口をむずむずさせた。が、やがて肩を落とす。
「あなたには敵わないわね……」
 弱々しい笑みが暗がりに向けられた。ハンイットはなおさら心配になる。
「余計なお世話だったか?」
「ううん。でも、ハンイットがいちいち気にすることはないのよ。『あれ』は復讐が終わるまでの話だったでしょ」
「そうはいかない。元はあなたが頼んできたのだから」
 はあ、とプリムロゼは大きくため息をついた。そのほおが染まっているのは寒さのためだけではないだろう。
 二人はそれぞれ黙り込み、手をつないだまま暗い廊下を歩いていく。脳裏に蘇るのは、ハイランド地方の町エバーホルドを訪れる直前の出来事だった。



「キミに相談したいことがあるんだ」
 学者の怜悧なまなざしに射抜かれ、ハンイットはごくりと唾を呑む。
 山間のとある町の宿にて、たまたま廊下ですれ違った時にそう告げられた。サイラスの意図を読み取った彼女は、少しだけ表情をゆるめる。
「……やっと、話す気になったんだな」
「ああ。今後キミの料理が食べられなくなるのは嫌だからね」
 大真面目に答えるサイラスを前に、ハンイットは心の中で胸をなでおろした。
(良かった。あの脅しはまだ効いていたのか)
 ストーンガードの事件があってサイラスたちが一時的に旅を離脱し、ウェルスプリングで再会した後のこと。ハンイットは彼に「隠しごとをやめないともう料理をつくってやらないぞ」と釘を差した。
 果たしてこんな幼稚な脅迫が通じるのか、我ながら半信半疑だった。だが、彼女の宣言を聞いたサイラスは明らかに動揺し、苦悩するそぶりを見せた。よほどハンイットの料理を気に入っていたらしい。
 その後、ハンイットはマルサリムで倒した赤目について彼に語る機会があった。サイラスからも何か聞けるかと期待すれば、今度は「もう少し待ってほしい」と言われてしまった。決してふざけている雰囲気ではなかったので、渋々了承した。
 それから時は流れ、今日になってようやく声をかけられたわけである。一行はプリムロゼの最後の復讐を果たすため、エバーホルドの町に向かっている最中だった。これほど時間がかかったのは、きっとサイラスなりに悩んだ結果だろう。一体どんな話を聞かされることか――ハンイットもある程度の覚悟を決めた方が良さそうだ。
 相談の場として指定されたのは、今晩サイラスが泊まる部屋だった。ノックをして扉を開けると先客がいた。
「あら、ハンイットまで来たの。サイラスが『キミに話がある』なんて言うから、ちょっとだけ期待したのに」
 プリムロゼがつんと唇を尖らせる。ベッドに腰掛ける彼女の他に、壁際にはオルベリクが立っていた。ハンイットは目を瞬く。
「期待? 何をだ」
「……なんでもないわ」
 プリムロゼは肩をすくめた。ともあれ、ハンイットの他にも打ち明けられる相手がいるのは喜ばしいことだ。
「夜分にすまないね、みんな」
 最後にやってきたサイラスはきっちり扉を閉め、立ったままだったハンイットに空いた椅子を勧める。彼女は「別にいい」と返してプリムロゼの隣に腰掛けた。
 では、とサイラスは遠慮なく椅子に座る。これで全員そろったということらしい。ハンイットはふと違和感を覚えた。
(テリオンは呼んでいないのか)
 重要な話題であれば、一行のまとめ役である彼にも伝えるべきではないか。もやもやと疑問を抱える彼女の前で、サイラスがオルベリクに目配せした。ハンイットは直感する。
(もしや二人で結託しているのか……?)
 あらかじめ男性同士で打ち合わせていたということか。いよいよ何を聞かされるのだろう、と膝の上で両のこぶしを握った。
 サイラスは悠然と切り出した。
「今回みんなに集まってもらったのは、相談があるからだ。特にプリムロゼ君にはよく聞いてもらいたい」
「私?」
「ああ。現在私たちは多くの敵対者を抱えている。中でも黒曜会は一番大きな組織だろう」
 黒曜会の単語にプリムロゼが反応した。宝石のような瞳が鋭く細められ、優美な踊子から冷たい復讐者へと変貌を遂げる。ハンイットは背に寒気を感じた。最後の復讐が目前というだけあって、やはり気が立っているようだ。
 サイラスは構わずに続ける。
「グランポートでトレサ君が手記を盗まれた件もあったね。私たちはすでに多くの幹部を撃破し、彼らに少なからず損害を与えている。おそらく、こちらの存在はとうの昔に気づかれているのだろう。
 だからといっては何なのだが、みんなには自分や仲間の身辺によく気を配ってほしいんだ」
「それは問題ないが……」
 ハンイットの返答に困惑が混じる。彼は闇討ちを警戒しているのだろうか? いや、本題はきっと違う。プリムロゼも不審そうな顔で足を組む。
「で、私はどうすればいいの」
 一瞬口ごもったサイラスは、彼女に向かって深々と頭を下げた。
「プリムロゼ君。どうか……シメオンを討って黒曜会を潰してほしい。それが、みんなの安全を確保する一番確実な方法なんだ」
 ハンイットとオルベリクは息を呑み、二人を見守った。
 シメオンはプリムロゼの父親の仇であり、黒曜会のトップと目される人物だった。なるほど、これ以上仲間が危険にさらされるのを防ぐため、先に相手を倒してほしいと頼んだのか。実際にプリムロゼの負担が増えるわけではないが、それを了承すれば彼女個人の仇討ちには別の意味が乗ることになる。
(しかし、この依頼は……)
 ハンイットはおそるおそる隣の顔色をうかがう。プリムロゼは完璧に表情を消していた。やがて、腹の底から冷え冷えとした声を出す。
「何よ、それ。わざわざ頭を下げるようなことなの?」
 彼女はとてつもなく怒っていた。体から炎のように怒気が立ち上り、反対に部屋の温度はみるみる下がっていく。サイラスは伏し目がちに答えた。
「当然だよ。キミの復讐に余計な目的を追加してしまうのだから」
「余計ねえ……」
 プリムロゼは乾いた笑みを漏らし、オルベリクに視線を流す。彼は力なくうなだれた。彼女も男性陣の連帯には気づいているのだろう。ハンイットははらはらしながら眺めるしかなかった。
 踊子は何度か深呼吸し、幾分か落ちついた様子で答える。
「私の復讐で仲間が助かるならいいことじゃない。正直あなたの思惑なんてあってもなくても、やることは同じだけどね」
「……それは」
 サイラスは沈痛な面持ちになった。空色の瞳に隠しきれない情がにじんでいる。ハンイットはひそかに驚いた。
(そうか、サイラスもわたしと同じように感じていたのか)
 プリムロゼの人生を狂わせた男に対する怒りと、彼女が復讐に振り回されてほしくないという勝手な思いが胸に渦巻いている。
 それなのに、サイラスは仇討ちを完遂してほしいとプリムロゼに頼んだ。そうするしかなかった。仲間たちの安全を優先した結果、彼はプリムロゼの復讐にさらなる正当性を与えてしまった。今のサイラスはどうしようもない罪悪感を抱いているのだ。
 プリムロゼが怒っているのは、サイラスの言動に後ろめたさが出ていたからだろう。ハンイットもオルベリクも気持ちの上ではほとんど同罪だが、プリムロゼはそれに気づいていながら、あえてサイラスだけを怒りの対象にしているようだ。
 彼女は長い足を組み直した。
「それに、シメオンは多分組織の運営なんてまったく興味ないわよ。あの人は私のことしか見ていないわ」
 自信に満ちた発言に、オルベリクが追従する。
「それは俺も感じていた。俺たちはわざと見逃されているような気がする」
「ならば、サイラスの予想よりも危険は減るのではないか?」
 ハンイットが希望を持って問いかければ、学者は難しい顔で押し黙った。プリムロゼは形の良い唇を開き、息のかたまりを吐く。
「まあ、シメオンがいなくなった後、黒曜会の残党がどうなるかは分からないわ。そこはサイラス、あなたがなんとかしてちょうだい」
 サイラスは真面目くさった顔で「できる限りの力を尽くそう」と誓い、胸元に手を置いた。
「あなただけじゃなくて、みんなの協力を期待してるわ。その代わり、シメオンは私が必ず討ち取る」
 プリムロゼは緑の目を燃やし、不敵にほほえんだ。
 不自然な沈黙が舞い降りた。サイラスは消沈した様子でうなだれる。
(本当に、それでいいのか)
 ハンイットはまぶたを閉じて深く呼吸する。今や三人とも完全にプリムロゼのペースに流されていた。
「もう話は終わりよね? なら私はこれで」
 プリムロゼは反論を封じるように立ち上がり、今にも部屋を出ようとする。
 このまま行かせてはいけない、という強い衝動に突き動かされ、ハンイットはとっさにその手を掴んだ。
「待ってくれ、プリムロゼ」
「……何?」
 踊子は険のある表情で振り返った。ただ、目元が赤く染まっており、迫力は半減している。
 サイラスは何故ハンイットをこの場に呼んだのだろう。今の話をプリムロゼに頼むだけなら、ハンイットを招く必要はなかったはずだ。しかし彼はそうしなかった――つまりハンイットにも何かを期待していたのだ。だが、プリムロゼの剣幕に呑まれてしまい、その話題を出せなかったのではないか。
 それに、ハンイット自身もプリムロゼに言いたいことがあった。
「あなたの復讐は、もはやあなただけのものではない。わたしたちは最初の仇討ちからずっと手を貸してきただろう。シメオンを討つことが仲間を守ることにつながるなら、わたしも喜んで手を貸そう」
「何言ってるのよ、ハンイット……」
 プリムロゼは握られた腕を力なく下ろす。瞳に宿った光が明らかに揺らいでいる。ちらりと脇を見やれば、サイラスは驚いたように目を見開き、オルベリクが「それでいい」というようにうなずいた。ハンイットはさらに畳み掛ける。
「もちろん最後の一撃はあなたに譲ろう。だが、わたしだってもう我慢ならない。大切な仲間を傷つけられて、黙ってなどいられるか。
 あなたの復讐はわたしが支える。あなた一人にシメオンを討たせはしない!」
 堂々とした宣言が静まり返った部屋の中に響く。
 ――ハンイットはおそらく仲間でただ一人、プリムロゼの弱音を聞いたことがあった。
 赤目を倒すためにグレイサンド遺跡の奥を目指していた時のことだ。プリムロゼは唐突に「ザンターさんを助けた後も一緒に旅を続けたい」と打ち明けた。同行者である薬師と商人が離れたタイミングで切り出したから、きっとハンイットだけに伝えたかったのだろう。
 さすがに即答はできず、翌日になってこちらから同じ話題を振った。しかし、プリムロゼは「もういいわ。冗談だったもの」と言って、告白自体をなかったことにしてしまった。
 ハンイットはずっとあの会話が気にかかっていた。自身の目的を果たした後もこうして仲間の旅に付き合っているのは、プリムロゼの行く末が心配になったことも大いに関係していた。
 彼女がハンイットを選んだ理由は正直分からないが、頼られたからには力を貸したい。どうしても復讐の道を歩ませるしかないのなら、せめて一番近くで彼女を支えようと心に決めていた。それを伝えるべきタイミングが今なのだ。
 プリムロゼは一瞬泣きそうに顔を歪めた。目元を拭ってなんとか取り繕うと、震える唇で言葉を紡ぐ。
「もう、仕方ないわね」
 花のような笑顔が咲き誇る。先ほどのこわばった表情よりずっといい。ハンイットは心底安堵した。
 この状態であまり長居はしたくないだろうと思い、プリムロゼの背中をさすりながら部屋の外へと導く。
 さり気なくサイラスが先に立って扉を開け、ハンイットに小さくほほえみかけた。
「やはりキミに話して正解だったよ。……ありがとう」
 彼は肩の荷が下りたような表情をしていた。
 サイラスがずっと隠しごとをしてきたのは、罪悪感という厄介なものを抱えていたからだった。今夜のことでその荷が少しでも軽くなればいいのだが。多分サイラスも一人で対処しきれなくなったから、オルベリクやハンイットを頼ったのだろう。
 プリムロゼを先に廊下に出してから、ハンイットは振り返った。学者に正対する。
「わたしの方こそ話を聞けてよかった。今度はテリオンや他の者にも話してやるといい」
「……どうしてだい?」
 不思議そうにするサイラスに、ハンイットは笑いかけた。
「みんな、あなたの言葉を待っているからだ」
 今日打ち明けられたことは、隠しごとというよりもサイラスなりの悩みだったのだろう。彼は物騒な話をなるべく年少の者たちに聞かせたくないようだが、実際は誰もが学者の抱えたものに薄々気づいている。だからこそ、本人の口から打ち明けられる日を待ち望んでいた。
 本当はプリムロゼもサイラスに頼られて嬉しく感じたはずだ。それはテリオンも他の仲間も同じだろう。何故ならハンイット自身がそうだったから。
 この輪はいつか必ず仲間全員に広がると、ハンイットはかたく信じていた。

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