果敢なき実りを胸に



 地上に出た途端にまばゆい光が網膜を刺し、テリオンは顔の前に手をかざした。
 廃教会内部には煌々と火が焚かれていた。周囲に人影が並び、いくつもの目がこちらを見ている。
「お疲れさま、テリオンさん!」
 真っ先に駆け寄ってきたのはトレサだった。その晴れ空のような笑顔に、彼はようやく「終わったのだ」という実感を抱いた。
 地下から脱出した四人と一匹は、仲間と聖火騎士に出迎えられた。人垣には町の衛兵らしき者も混じっている。盗賊団の逃亡を警戒していた彼らは、テリオンたちを見て肩の力を抜いた。
「竜石は取り戻した」
 テリオンが懐から二つの宝玉を取り出すと、おお、と歓声が上がる。聖火騎士まで喜んでいるのは、オフィーリアあたりが話を通したのだろうか。
「まだ地下に盗賊が隠れているかもしれない。引き続き警戒をお願いします」
 進み出た学者が聖火騎士に頭を下げた。
「ええ、引き受けました」
 地下へつながる階段の見張りは聖火騎士に任せ、八人は朽ちた教会の隅に集まった。
「やっぱり二つともここにあったんだな。いやーめでたしめでたし!」
 アーフェンが満足気に何度もうなずく。
「まだ後始末は終わってないだろ」
 テリオンはむすっとして答える。大して広くない教会を見渡せば、捕らえられた盗賊たちが何人も床に転がっていた。その中にダリウスはいない。まだ地下から出ていないのか、もしくはどこかに抜け道でもあったのか。どちらにせよ、テリオンには関係のないことだが。
 そうやって思考に浸っていると、右肩に大きな手が載った。
「それでもお前は仕事を果たしたのだろう。よくやったな」
 オルベリクだった。剛剣の騎士その人に功績が認められ、どうにも気恥ずかしくなる。
「……俺の用事に付き合わせて悪かったな」
 テリオンはぼそりと言った。皆は顔を見合わせる。アーフェンが何故か苦笑してほおをかいた。
「あのなーテリオン、こういう時は感謝してくれよ」
 仲間たちはぬるいまなざしをこちらに向けた。早くその視線から逃れたくて、「助かった」と投げやりに言う。アーフェンが大きくうなずいた。
「へへ、こっちこそ好きでやってるからな。それよりみんな、怪我はねえか?」
「だいたいは私が治したわよ」踊子が答える。
「そうだ、サイラスが穴に落ちかけたから診てやってくれ」
 ハンイットが学者を前に押し出した。
「え、穴?」「大丈夫でしたか……?」
 トレサとオフィーリアに見つめられ、学者は「ははは」と力なくほほえむ。
「なんとかね。ストーンガードの二の舞にならなくて良かったよ」
 さんざん肝を冷やしたテリオンとしてはまったく笑えなかったのだが。
 続いて学者はこちらを振り返る。
「テリオン、後始末は私たちに任せてくれ。キミはヒースコート氏に報告すべきだ」
「いいのか?」
 思わず問い返すと、皆がそろってうなずいた。
「いってらっしゃい」
 誰ともなしに言い放たれたその言葉は、テリオンの胸に不可思議な感慨を湧かせた。
 ふわふわした気持ちを振り払って、すぐに教会を出る。町の中は静寂に包まれていた。風も雪もやみ、傾きはじめた太陽が穏やかな光を家々に投げかけている。
 白い景色の向こうにぽつんと黒衣が佇んでいた。薬師オーゲンである。彼はこちらに歩いてきて、
「これで妻の墓参りができる……ありがとう」
 すれ違いざまに小さく頭を下げた。その手には花束がある。
 今回は彼の薬や知識に大いに助けられた。お互い様だ、と無言で会釈を返す。
 テリオンは小さな充足感を胸に、バイロンの屋敷に向かった。
 すっかり通い慣れた路地を抜けて家にたどりつく。戸を叩くと、すぐにヒースコートが出てきた。テリオンは、
「終わったぞ」
 とだけ告げる。老執事が大きくうなずいた。
「お疲れさまでした。話は中でうかがいます」
 室内に入った途端、テリオンは目を見開いた。廊下も居間も、見違えるように明るくなっている。カーテンが開いて雪明かりが室内に差し込んでいるのだ。
「バイロン様がこうされたのですよ」
 ヒースコートが満足げに言った。あの陰気な貴族といまいち結びつかない行動である。
「どういうことだ?」
「あなたがたが盗賊団と戦う姿を見て、貴族の矜持を思い出されたのでしょう。町のために協力したいと言って出ていかれました。おそらく衛兵に話を通しに行ったのでは」
 カーテンを開ければ外から屋敷の中が見えるようになる。それは盗賊団や町人の目から隠れるのをやめた、ということでもあった。
 テリオンの仕事は思わぬ方向に波及したらしい。彼はなんとも言えない心地になり、白っぽい光に照らされた部屋を眺めた。
 ヒースコートが鋭く目を細める。
「ところで、竜石は取り戻しましたか」
 テリオンはうなずき、懐から二つの宝玉を出した。
「これで満足か」
 そのままヒースコートに押し付けようとしたが、手のひらで止められる。
「あなたから直接お嬢様にお渡しください。仕事は最後まで果たすべきですよ」
 テリオンはじいっと執事を見つめた。
「あんた……腕輪のこと、分かってるんだろ?」
 竜石と引き換えに腕輪を外す、という取引はもう成り立っていない。何故なら、とっくの昔にヒースコート本人によって枷は外されているのだから。
「おや、何のことだか」ヒースコートは白い眉を持ち上げた。「とにかく、ともにボルダーフォールに帰りましょう。お嬢様が待っておられます」
 テリオンは大きく息を吐き、肩の力を抜いた。
「……そうだな」
 最後の挨拶くらいはしてもいいだろう。この分だと当主は腕輪の件を知らないようだから、目の前で外してやれば面白い光景が見られるかもしれない。
 緊張の解けたテリオンを見て、ヒースコートは目元のしわをより深くした。
「どうやらあなたも大切なものを見つけたようですね」
 いつになく柔らかいまなざしが注がれる。
 心境の変化はそれほど顔に出ているのだろうか。オルベリクにも似たようなことを指摘された。だが不快感はない。近頃のテリオンは、そうやって勝手に顔色を読み取られることを許せるようになった。
「そうかもな……。だが、俺は盗賊を続けるぞ」
「それは結構なことです」
 ヒースコートは悠然と首肯する。なんだか不気味なくらい雰囲気が丸くなっていた。
 テリオンにも、いつか彼と同じように老いを感じる日が来るだろう。だがそれは今ではない。目下のところは未来のことなど考えず、好きなように生きるつもりだった。
 テリオンは懐の竜石を確かめてから、身を翻す。
「あいつらと合流してくる」
 今頃仲間は盗賊の引き渡しや聖火騎士の統制など、面倒な事後処理に追われているのだろう。さすがにすべてを他人任せにはできなかった。少なからずテリオンのせいで盗賊団との抗争が勃発したのだから。
「ええ、お気をつけて」
 ヒースコートの言葉は、風のように軽やかにテリオンの背中を押した。
 玄関を出て、屋敷を振り返る。最初訪れた時と見た目は変わらないはずなのに、その家は生気を取り戻したかのように見えた。
 ノースリーチの町は相変わらず無音に支配されていた。盗賊団解散の噂が広がれば、少しは活気が戻るのだろうか。
 何度か戦いを繰り広げた広場を横切り、再び大通りに出る。すると、黒いローブが視界に入った。
(……あいつは)
 テリオンは思わず立ち止まる。首の後ろで束ねた髪を振ってあたりを見回していた学者は、こちらに気づいて大股で歩いてきた。
「もう報告は済んだのかい?」
「ああ。あとはボルダーフォールに戻ってからだな」
 ちらりと竜石を取り出せば、学者はすぐに納得したようだ。
「それはそうと……テリオン、少し気になることがあるんだ」
 彼はそう言った後、理由も告げずにさっさと体を反転させた。仕方なく後に従う。どうやら廃教会に向かっているらしい。
「気になることってなんだ?」
 大股になって学者の横に並び、問いかける。学者は柳眉をひそめて虚空をにらんだ。
「先ほど、金品を持って地下から逃げ出そうとした盗賊がいてね。聖火騎士が捕らえたんだ。その者たちが言うには――」
 続きを聞いたテリオンは居ても立ってもいられず、学者を置きざりにして駆け出した。雪を蹴り上げ、まっすぐ廃教会へ。
 扉を開け放つと、盗賊から事情を聴取していた聖火騎士たちが驚いたように振り向く。仲間たちはすでに移動したのか、姿はない。テリオンは聖火騎士の制止を振り切り、祭壇の裏から一直線に地下へと向かった。
 礼拝堂に赴く際は使わなかった階段――さらに地下深く潜った先に、倉庫として使われている部屋があるはずだ。
 段を飛ばして階段を駆け降り、廊下の奥を目指す。行き止まりが見えた。予想どおり、そこが盗賊団の財産を貯める倉庫だったらしい。たどりついた最奥の床には、コインや宝石、それに血痕が散らばっていた。
 テリオンは足を止めた。あるのは金品だけではなかった。壁に寄りかかるように倒れているその人物は――
「ダリウス」
 テリオンは呆然とつぶやいた。
 肌は土気色で、ひと目で生命を失っていることが分かった。まとった枯れ草色の外套はどす黒い血に染まっている。おそるおそる覗き込むと、顔にはかたく苦悶が刻まれていた。テリオンの剣やハンイットの矢による肩の怪我の他に、胸元に新しい傷が走っている。それが致命傷だったらしい。
(何故だ……どうしてこうなった?)
 テリオンは遺体から離れ、じりじりと後退りする。その背が何かにぶつかった。
「彼は部下に裏切られたんだ」
 振り返った先に学者がいた。彼はノースリーチの寒空のような視線をダリウスに向ける。
「聖火騎士が捕らえた盗賊は、キミをダリウスのもとに行かせるために私たちが引き受けたあの三人だった。ハンイット君の言った通り、彼らは不十分な縄を解いてこの倉庫に駆け込み、金品を奪って逃げるつもりだったらしい。
 しかし、そこに先客がいた。彼らは宝を独占するため、ダリウスを――」
 学者は言葉を飲み込み、長いまつげを伏せる。
 ダリウスは学者を人質にした時、「部下なんて使い捨てにすればいい」と叫んでいた。もしや、あの台詞が廊下や穴を伝って部下に聞こえてしまったのではないか。因果はめぐり、幹部たちはダリウスに牙を剥いたのだ。
 テリオンの口は勝手に笑いの形になる。
「誰を利用しても成り上がる、なんて言っていたくせに……自分が裏切られてたら世話ないな」
 空気の混じった声が虚ろにこだました。テリオンは顔の右半分を手で隠す。
「ダリウスは、俺が殺したようなものだ」
 学者が息を呑む気配がした。
「俺が剣や言葉であいつを追い詰めた……いや、それだけじゃない。聖火騎士を介入させて盗賊団の退路を断ったのは、俺だ」
 テリオンはうなだれる。さしもの饒舌な学者も口をつぐみ、二人の間にはそれこそ死に等しい沈黙が横たわっていた。
 実際に聖火騎士を説得して連れてきたのはオフィーリアや学者だが、テリオンが許可を出したことに違いはない。すべての発端は自分だ。
 ダリウスはついぞテリオンの話を聞き入れず、誰も信じないまま門の向こうに旅立ってしまった。かつての兄弟のことだけは信じてほしかったのに。
 喉元までこみ上げた後悔をなんとか飲み下す。その時、テリオンはあることに思い当たった。
(……待てよ。俺は、あいつにそう言ったことがあったか?)
「俺を信じてくれ」もしくは「お前を信じる」と、ダリウスに直接伝えたことはあったのか。
 かつて彼に「最高のコンビだ」と言われた時、自分はどう返した? 思い出せない。気持ちを素直に表現するのは照れくさくて、兄弟と呼ぶのが精一杯だった。
 ダリウスは、テリオンの盗みの腕に嫉妬していたらしい。そんなことは寝耳に水だった。テリオンは、彼が稼ぎの多寡に執着していたことすらろくに知らなかった。
 盗みの腕が上達するにつれて、テリオンは誰かを欺くこと自体が楽しくなっていった。技術が上がれば上がるほど、相対的に自分にとっての財宝の価値は下がった。コンビで盗みを働くとみるみる成果が上がったので、きっとダリウスも同じ心持ちだろうと勝手に思い込んでいた。
 だが、テリオンはいつからかダリウスへ文句を垂れることが増えていった――と思う。それは主に盗みの成果を着服しようとするダリウスへの真っ当な指摘であった。しかし、相手からすれば、無愛想な相方がいきなり生意気になったとしか思えなかったのではないか。
 テリオンの気持ちは何ひとつとして伝わっていなかった。何故なら彼は好意に蓋をして、言葉にすることを避けていたから。そんなもの、どうやって汲み取ればいいのだ。
(先にダリウスの心を裏切ったのは……俺の方だったのか)
 足元が崩れ落ちるような衝撃を受ける。目は開いているのに視界が真っ暗になった。
 テリオンと別れてからのダリウスは、ガーレスのように盲目的に己を慕う者か、金でついてくるろくでなしとばかりつるむようになった。その土台を作ったのは他でもないテリオンだった。彼がきちんと信頼に応えなかったから、ダリウスは誰も信じられなくなってしまったのだ。
 強く目をつむる。ダリウスの末路が頭から離れない。彼はテリオンのせいで命を落としてしまった。吐き気を覚え、口元をおさえる。
「……アーフェン君を呼んでこようか?」
 じっと見守っていた学者が静かに提案した。テリオンはなんとか首を横に振る。
「いや、いい。後で行く」
 学者はそうか、と短く答えた。
 彼が急いでテリオンをここに連れてきたのは、遺体が回収される前にダリウスに会わせるためだろう。こうして今もとどまる理由は不明だが、誰かがそばにいることは単純にありがたかった。おかげでなんとか自分を保つことができた。
 彼は下を向いたまま、学者に聞こえるように独りごとを言う。
「俺と出会わなければ、ダリウスは死なずに済んだのかもしれない」
 無意味な仮定だ。そうと分かっていても、テリオンはその考えを捨てられなかった。
 自分はどんな返事を期待したのだろう。学者がゆるく息を吐く音がする。
「人は誰かと出会い、知識や技術を教え合うことで成長するのだろう。私はキミたちの出会い自体が間違っていたとは思わない。それを認めたら、キミがここにいることまで間違いになってしまう。
 このような結果になったのは、ただ、ダリウスが学びを得るための環境が……少し偏っていただけだよ」
 ならばどうやって環境を変えれば良かったのだろう。誰かに教えを請う? そんなこと、天涯孤独の彼らにできるはずがなかった。
 刹那、脳裏に雷が走る。テリオンはぱっと顔を上げた。青空のようなまなざしと出会う。
 この大陸には、広範な知識を学び、人々を教え導く学者がいるではないか。
「……俺たちは昔、アトラスダムでしばらく稼いでいたことがある」
「そうだったのかい?」
 学者は驚いたように語尾を上げた。
 あそこを縄張りにしていたのは、ダリウスと出会ったばかりの頃だった。そうだ、あの時点ならまだ違う道を選べたはずだ。
「もし、ガキの頃あんたと出会っていたら、ダリウスは死なずに済んだのか……?」
 少なくとも今、この学者はテリオンという盗賊を受け入れている。そんな彼との交流があれば、ダリウスももう少しまともな人生を歩むことができたのではないか。
 それは途方もない夢想だった。学者が口を開く気配がする。
「……悪い、忘れてくれ」
 返事を聞く前にテリオンはかぶりを振った。考えても仕方のないことだった。
 そのまま沈黙する彼に、学者がそっと歩み寄る。
「テリオン……手を出してもらえないか」
 抵抗する気も起きず、言われたとおりに罪人の腕輪がはまった右手を差し出す。
 手のひらに載せられたのは、真っ赤なリンゴだった。
「彼の近くに転がっていたんだ」
 この鮮烈な色には見覚えがあった。テリオンはガーレスと戦う前にこの実をオフィーリアから受け取った。その後、穴に落ちかけた学者のもとに向かうため、ダリウスに投げつけた。
 兄弟と一つの果実を分け合った日々が、走馬灯のように脳裏を流れていく。
 元はダリウスの好物で、いつしかテリオンも好きになっていた。甘く酸味があって、かたいのにどこか儚くて、思い出に深く根付いた味がする。
 盗みが終わる度、ねぎらうようにダリウスからリンゴを渡された。反対に、テリオンから兄弟へ分け与えたこともある。赤い実りを咀嚼する時、彼らは確かに同じ喜びを胸に抱いていた。
 リンゴには歯型がついていた。テリオンと別れてから部下に裏切られるまでの短い間にかじりかけたのか。
「自分の行いを忘れず、何をなすべきだったかを考え続けること……それが、門の向こうへ去った者への唯一の手向けなのかもしれない」
 学者は不透明な表情でそう言い残し、身を翻した。
 テリオンは黒いローブを見送ってから、短剣でリンゴを半分に割った。大きく口を開け、歯型のついていない方をかじる。
 甘いはずの果実は、何故だか少し塩辛かった。

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