踊るために生まれた子よ



 それから二人はオルステラの各地を回った。
 プリムロゼは探しものの正体を明かさなかったので、自然とテリオンの依頼を優先することになった。彼はリストに記された人物と縁深い場所を順番にたどって、目的のものを集めていった。
 中でも一番面倒だったのは、フレイムグレース大聖堂の倉庫を漁った時だ。協力を申し出たオフィーリアと三人がかりで一週間もかかったが、無事にある人物の筆跡を見つけることができた。テリオンは疲れた頭で「こういう地道な作業こそサイラスの出番ではないか」と思ったが、後の祭りである。
 首尾よくリストを埋めていった彼らは、最後にリバーランド地方の奥地にあるリバーフォードの町を訪れた。
 テリオンたちが八人で訪れた時、この町は領主によって圧政が敷かれており、入ってすぐの広場に火刑台が据えられていた。しかし、オルベリクや反乱軍の活躍によって町は秩序を取り戻した。今や火刑台は献花台となって、無実の罪を着せられて処刑された者たちへの手向けの花が飾られている。
 領主の屋敷に向かって石畳を歩きながら、隣のプリムロゼがつぶやいた。
「テリオンは昔ここで暮らしてたのよね?」
「ああ、ダリウスと一緒にな」
 あのノースリーチでの戦いからずいぶん時間が経った今、テリオンはやっとその名前を比較的穏やかに思い出せるようになった。
 多少治安が悪い程度なら、盗賊にとって過ごしやすい町だ。だが、問答無用で民を火あぶりにするような場所では、こそ泥が悪事を働くどころではない。もし圧政時代にテリオンがこの町にいたら、高確率で殺されていただろう。
 リバーフォードが立て直せたのは、新しい領主ハロルドのおかげだ。彼の父親は前の領主だったが、ヴェルナーという男の陰謀に巻き込まれて失脚した。ハロルドは地下に潜んで反乱軍のリーダーをつとめ、プリムロゼと違って町だけでなくその地位をも取り戻したのである。
 ちょうど屋敷にいた銀髪の青年は、執務の合間を縫って二人を歓迎した。テリオンが挨拶もそこそこに訪問理由を話すと、ハロルドは活力に満ちた顔を歪める。
「ヴェルナーの筆跡……ですか。すみません、彼に関する資料は何も残っていないんです」
 謎多き男ヴェルナーは、反乱軍が屋敷に攻め込んだ時点で――もしくはその前から、自分に関わる一切の痕跡を消していたらしい。取り戻した屋敷には圧政時代の書類が存在しなかった。
「最後の難関ね」
 客間のソファの上で足を組んだプリムロゼがつぶやく。ここにきて、テリオンが最も恐れていた事態が起こった。そもそもこの世に存在しないものは手に入れようがない。今まで集めた筆跡はどれも完璧な形で残っていたので、今回もそうだろうとつい期待していた。
 後ろ暗いものを抱えながらも妙に堂々としていたヴェルナーは、リストに記された他の対象者とは一味違うようだ。
「さて、どうするか……」
「ここ以外にあの男の筆跡が残っていそうな場所、ねえ」
 テリオンの独り言に対し、プリムロゼが腕組みして真剣に考え込む。ハロルドが助け舟を出した。
「ヴェルナーはハイランドで傭兵団をやっていたと聞きます。そちらの知り合いをたどるのはどうでしょう? 確率は低いですが、誰かが手紙くらいは持っているかもしれません」
 確かシュヴァルツェコールという名前の傭兵団だ。何年も前に解散して、団員は各地に散っている。
「俺たちが知ってる関係者は……エアハルト、グスタフ、それとガストンだったな」
 テリオンが名前を列挙した瞬間、プリムロゼの目が鋭く輝いた。
(なんだ?)
 そのぎらぎらした光は、彼女がかつて復讐に邁進していた頃に宿していたものだった。今の話のどこに反応したのだろう。テリオンはやや身構える。
「ここから一番近いのは、ウェルスプリングのエアハルトさんね」
 踊子はまるで誘導するような言い方をした。とはいえグスタフは行方が分からず、ガストンはウェルスプリングより離れたコブルストンの村で自警団をしているので、筋は通っている。
「ああ、確かにエアハルトさんなら可能性がありますね。以前傭兵団時代のお話も少し伺いました。さすがにヴェルナーの筆跡を持っているかどうかまでは聞いていませんが……」
 ハロルドが首をかしげる。かの烈剣の騎士は、反乱軍とヴェルナーとの決戦時にサンランドからはるばるここまで駆けつけたのだった。その後にでもハロルドと話をしたのだろう。
 領主が申し訳なさそうに目を伏せた。
「せっかく訪ねてくださったのに、あまりお役に立てなくてすみません」
「いや、ヒントだけでも助かった。恩に着る」
 軽く頭を下げたテリオンが隣を見ると、プリムロゼはどこか上の空で視線を落としていた。やはりエアハルトのことが気になるのか。テリオンは勘ぐりつつ、ハロルドの方に目を戻す。
「最近リバーフォードの調子はどうだ。見たところ平和そうだったが」
 彼にも世間話をするくらいの愛想はあるのだ。領主は穏やかに笑った。
「ありがとうございます。私も、そろそろヴェルナーの支配の影響は薄れてきたのではないかと思っています。反乱軍時代の仲間たちのおかげです。しかし……」
「何か問題があるのか?」
「いえ、問題というほどではないのですが、一つ悩みがありまして。
 リバーフォードは以前の町に戻るだけでいいのでしょうか。本当の意味であの記憶を乗り越えるには、新しい文化などによって、次の時代が来たことを強く印象づける必要があるのでは……。最近はそんなことを考えています」
 町から傷跡が消えただけでは人々の心は満たされない、ということか。為政者らしい考えだった。
 過去の痛みから立ち直ろうとしている点では、ノーブルコートもリバーフォードと似た状況にあるわけだ。ならばあの平原の町にも新たな潮流があるのだろうか。後ほど踊子に聞いてみてもいいだろう。
 そこまで考えてから、テリオンは肘の先で隣を示した。
「なら、踊りはどうだ。見たら分かりやすく元気になるやつもいるだろ」
「え?」
 間接的に話題を振られたプリムロゼがぽかんとする。テリオンは「話を聞いてなかったのか?」と嫌味を言いたくなった。
「いいですね! 音楽や踊りは鑑賞するだけでも気分が明るくなりますから、復興の象徴にぴったりでしょう」
 ハロルドは打って変わって表情を明るくし、身を乗り出した。
「そうだ、プリムロゼさんが今日来てくださったのも何かのご縁です。この町で一曲踊っていただけませんか?」
 いきなりの提案にプリムロゼは身をこわばらせた。客間の空気が微妙に変化する。が、ハロルドはそれに気づかず、
「以前見たあなたの踊りは、ただの観客だった私にも活力が湧いてくるようでした。町の復興作業で疲れている皆を励ましたいのです」
「……ごめんなさい。ここしばらく練習してないから、踊りは披露できないの」
 彼女は申し訳なさそうにかぶりを振る。ハロルドはしゅんとしてまぶたを閉じた。
「そうですか……ご無理を言いましたね」
「ううん、私の問題だから気にしないで。踊ることはできないけど、リバーフォードがいい町になるように応援しているわ」
「私もお二人の目的が無事に果たされるよう祈っています。エアハルトさんやオルベリクさんにもよろしく」
 にべもなく提案を断られたにもかかわらず、ハロルドはにこにこして二人を送り出した。
 テリオンたちはそれぞれ物思いにふけりながら、来た道を戻る。
(こいつ、やっぱり踊らなかったな)
 ちらりと横を盗み見る。うつむき加減のプリムロゼは栗色の髪を顔の横に垂らしており、表情はうかがい知れない。
 そう、この旅をはじめてから、テリオンは一度も彼女の踊りを見ていなかった。
 八人で旅をしていた頃に比べて、プリムロゼはぼんやりすることが増えた気がする。今の彼女は、復讐とは明らかに別種の、それでいて何か面倒なものを抱えているらしい。その証拠に、彼女は時折思いつめたような顔をした。
 目下の旅の同行者たるテリオンは、それを解消するために何かアドバイスでもすべきなのかもしれない。だが――
(それは俺の役割じゃない)
 神官や薬師や狩人など、誰でもいいがテリオンよりもっと彼女の精神面を気づかえる人物であるべきだろう。間違っても盗賊や学者ではない、ということだけは分かる。
 だが、プリムロゼはそういった仲間たちと何度も旅をしているはずだった。何故、今回はテリオンを頼ったのだろう。
(……考えても分からんな)
 一方で、リバーフォードの訪問において一つだけ判明したことがある。彼女の探しものは、おそらくエアハルトが鍵を握っている。
 リバーランド地方を後にした二人は、砂丘を乗り越えてエアハルトが住まうウェルスプリングを訪れ――守備隊に彼の不在を告げられて、最終的にマルサリムにたどり着いたのだった。



 焼けつくような日差しを浴びながら東マルサリム砂道を横切る二人は、やがて目的の建物を見つけた。岩山の裾野にひっそりと四角い入口が存在している。間違いなく地下墓地のものだ。
 入口前の日陰にやつれた様子の墓守が佇んでいた。死者の呪いが云々という物騒な噂の最前線に立っているのだから、無理もない。墓守は近づいてくるテリオンたちに「無関係の旅人か」と警戒をあらわにしたが、エリザにもらった書状を見せるとすぐに態度を改めた。
「エアハルトさんは昨日この中に入ったきり、出てきていません。あなたたちが迎えに行くのですね」
「ああ。エアハルトが見つからなくても、夜までには出てくる」
「分かりました。お気をつけて」
 エアハルトの実力は以前目にしたのでよく知っている。武器の扱いはテリオンやプリムロゼよりもずっとうまく、実力自体を心配する必要はない。問題なのは、魔物に数で囲まれた場合や例の噂が本当だった場合である。そのために二人が助太刀に赴くのだ。
 角の揃った石材で組まれた入口をくぐり、硬い床にかかとを落とす。マルサリム地下墓地は昼間だというのに陰鬱な雰囲気に支配されていた。砂漠でも墓所特有のじめじめした空気は健在らしい。
「王様のお墓ってこういう感じなのね」
 プリムロゼは物珍しそうにあたりを見回し、しっかりした石壁をなでた。
「権力なんて、死の門の中まで持っていけるわけじゃないのに……お墓ばっかり豪華でもね」
「こういうのは、死人に置いていかれたやつが自分の気持ちを納得させるために作るんじゃないか」
 何気なくつぶやくと、プリムロゼが目を丸くしてテリオンを見た。何をそんなに驚くのだろう。もしや、自分の父親の墓でも思い出したのか。
「……まあ、死ぬ間際まで威張り散らしたくて、ご立派な墓を建てる奴もいるだろうがな」
「ふふ、確かに。一族の栄光を見せつける役割もあるのかもね」
 プリムロゼが緊張をほぐすように小刻みに肩を揺らす。テリオンはランタンを掲げて先を照らした。
 魔物も現れず平和なまま、やがて壁が崩れた箇所を発見する。テリオンはそっと中を覗き込んだ。
「ここが調査隊の入った横穴か」
「一本道だから、エアハルトさんと行き違いにはならないらしいけど……」
 プリムロゼはそっと息を呑む。通路に満ちているのは光をも吸い込む暗闇だった。エリザにもらった地図の写しはこの先どれほど役に立つだろう。多少の不安はあるが、行くしかない。
「入るぞ」
 テリオンは軽く号令をかけてから、真っ先に穴に足を踏み入れる。昔と違って他人を率いる立場にもすっかり慣れてしまった。
 暗闇の中は細い通路だった。外から吹き込んだ砂が床に溜まったのだろう、よく注意しても足元が音を立てる。抜き身の短剣を持ったまま歩くと、ランタンの明かりの先を影が横切った。すぐそこに開けた部屋があり、何かがうごめいている。
「さっそく出迎えか」
 テリオンは武器を握り直し、思い切って部屋に踏み込む。プリムロゼも軽快なステップで続いた。
 部屋の隅からわらわらと湧いてきたのは骸骨の魔物、ボーンズだ。多種多様な格好をしたアンデッドは、糸の切れた操り人形のような動きで襲いかかってくる。たちまち乱戦になった。
「雷鳴よ、轟き響け!」
 プリムロゼが放ったいかづちが敵を押しのけ、活路を開く。テリオンはその一本道が再び魔物で埋まる前に走り抜けた。魔法の衝撃でばらばらになった前衛を蹴散らし、後ろに控えていた相手に切りかかる。魔物は単調な動きを繰り返すだけだったので、さして苦労することなく相手の数を減らしていく。一息ついた彼は手首で短剣をくるりと回した。
「まだよ!」
 プリムロゼの声に振り返ると、部屋の奥にさらなる敵影が見えた。思わず舌打ちする。
「エアハルトがある程度倒したんじゃないのか?」
「キリがないから無理やり押し通ったのかもしれないわね……」
 テリオンは長剣を横に一閃し、周囲に迫る骨の胴部を切り裂いて後退する。プリムロゼとなんとか合流し、背中合わせになって尋ねた。
「どうする。俺たちも無視して通り抜けるか」
「帰り道が怖いけど……今はエアハルトさんのところに急ぐべきよね。私に任せなさい」
 力強く請け負ったプリムロゼは、両手を高く天に差し伸べた。
「聖火の光よ、輝きたまえ!」
 こんな場所でも聖火神への祈りは届き、神聖な光が足元から骨たちを撃ち抜く。体勢を崩した敵をテリオンの長剣が仕留め、二人は切り開いたスペースを一気に駆け抜けた。部屋を出てからしばらく全速力で通路をたどれば、やがて魔物たちは追ってこなくなった。
 二人は息を整えるため歩調を落とす。テリオンは改めて隣の踊子に怪我がないことを確認した。ついでに話しかける。
「あんた、割と魔法が得意だよな」
 プリムロゼは学者と神官、両方の魔法を習得している。今回の二人旅ではその技能に助けられた場面も多かった。
「あら、おかしい? 踊子だから反対の属性の使い手だって言いたいのかしら」
「別にそうは言ってないだろ」
 妙な方向から食ってかかるものだ。テリオンが口をつぐむと、つんと唇を尖らせた踊子はリズムよくかかとで床を叩く。テリオンは眉をひそめた。
(……こいつ、やっぱり踊らなかったな)
 魔法は頻繁に使うにもかかわらず、本業のはずの踊りがさっぱりだ。やはり何かがおかしい。それを指摘すべきか逡巡した時、くらり、と視界が揺れた。慌てて両足を踏ん張る。
(なんだ……?)
 頭が重い。息が苦しい気がする。「ちょっと!」とプリムロゼの手が肩に置かれて、なんとか平衡感覚を取り戻した。
「もしかして毒じゃないの。さっきの魔物が持ってたのよ。ハーブは?」
「持ってる。今探してる」答えながらテリオンはふところを漁る。
「一旦休みましょう。私も少し疲れたわ」
 吐き気をおさえてランタンを掲げ、あたりを見回す。前も後ろも細い通路しかない。こんな場所では魔物に挟み撃ちにされる可能性があった。見取り図を読んだプリムロゼが「少し先に小部屋があるわ」と言ったので、そこまで進むことにする。
 テリオンは歩きながら、ようやっと探り当てたハーブを噛み砕く。爽やかな味が喉奥に広がり、正常な呼吸を取り戻した心地だ。彼はそのまま視線を横に滑らせる。
「……そういえば、あんたの探しものは見つかったのか?」
「何よ、急に」
 プリムロゼは虚をつかれたように顔を上げる。
「俺の方はヴェルナーの筆跡を手に入れたら終わりだからな」
「エアハルトさんが持ってるとは限らないじゃない。それに、筆跡をサイラスに届けるまでが依頼でしょ」
「まあな。最後はあいつを呼び出して、直接押し付けてやるつもりだが」
 今までは手紙で済ませたが、報酬を受け取るにはサイラスと顔を合わせる必要があった。ちなみに何を要求するかはこの旅路の中ですでに決めていた。学者と対面する日が楽しみである。
「そうね……私の探しものも、今回できっと見つかるわ」
 プリムロゼは茫洋とした視線を前方に向けた。テリオンはあえて探りを入れる。
「それは、アーフェンたちと一緒にいても手に入らなかったんだな?」
「……ええ」
 天井の低い通路に重苦しい沈黙がおりた。
 唇を引き結ぶプリムロゼはなんだか弱々しく見えた。かつての八人旅で、彼女はテリオンに対していつだって余裕のある態度を見せてきた。さすがに父親の仇の前では緊張していたが、こういう吹けば飛ぶような表情を浮かべることはなかった。
 復讐心に裏打ちされたものとはいえ、あの危うさとしたたかさは、テリオンにとってある意味で好ましいものだったのだ。
 月日が流れれば人は変わる。プリムロゼは十年抱えていた復讐に終止符を打った。憑き物が落ちたように変化してもおかしくはない――そう分かっていても、奇妙におとなしくなった近頃のプリムロゼに対して、テリオンはずっと違和感があった。
(……俺がどうこうできる話じゃないがな)
 もし探しものが見つかれば、再び彼女の中で何かが変わるのだろうか。
 踊子がエアハルトに会いたがるのは、おそらく二人の「共通点」が関係しているのだろう。テリオンには、彼女の探しものの正体がうっすらと見えはじめていた。
 プリムロゼが通路と手元の地図を交互に見比べて、安堵の息を吐く。
「良かった、この図面で合ってたわね。部屋があるわ」
 気が急いたのか、先走った彼女が部屋に突入する――と、床にぴしりと嫌な音が走った。
「プリムロゼ!」
 とっさに駆け寄ったテリオンは踊子を突き飛ばした。音は止まらず、床が崩れていく。彼も避難しようとしたが、踏み出した足が落下する床石に乗った。
 テリオンは轟音とともに崩落する床に巻き込まれた。上下左右の感覚がつかめないまま、背中に鈍い痛みが走る。もうもうと土埃が立って視界を覆った。
「くそっ……」
「テリオン、大丈夫!?」
 しばらくして天井の向こうからプリムロゼの声がした。床材の上に寝ていたテリオンは起き上がり、指で前髪を払った。
「ああ、瓦礫に着地したから問題ない」
 土煙が晴れて、天井にあいた穴の縁から心配そうに覗き込む踊子が見えた。テリオンは汚れた外套を叩く。どうやら床が抜けて階下に落ちてしまったようだ。衝撃は殺しきれなかったが、思ったよりも落差がなかったため怪我はしていない。ただ、ここから上階には手が届きそうになかった。
 プリムロゼは頭を引っ込めた。地図を確認しているらしい。
「下の部屋に落ちたのね。待ってて、私がいる場所から階段が近いの。すぐそっちに行くわ」
「頼む」
 どのみちエアハルトは地下深くにいるのだから、下で合流した方がいいだろう。踊子の軽い足音が遠ざかっていく。合流前に彼女が魔物と遭遇しなければよいのだが。
 テリオンは痛む背中をさすって瓦礫の上に腰掛ける。未だ喉奥に残るハーブの清涼感が陰鬱な空気を吹き飛ばしても、音ひとつない墓地はさすがに不気味だった。
 手持ち無沙汰にプリムロゼの到着を待っているうちに、いくつかの疑問が脳裏をよぎる。
 墓地の中では調査隊や聖火騎士が同士討ちをした、という話をエリザから聞いた。今のところテリオンとプリムロゼの間にその傾向はないが、あれはどういう理屈なのだろう。
 それに、アンデッドの大量発生とマルサリムの異変についても気になる。本当にそれは死者の呪いが原因なのだろうか?
(……こういうことを考えるのは、俺の役割じゃないんだがな)
 ついほおを緩める。いつの間にか学者の癖が移ったらしい。
 不意に、コツコツと部屋の奥から足音がした。プリムロゼが来たのかと腰を浮かす。だが違った。
 かざしたランタンの明かりに、オレンジ色の髪が浮かび上がる。テリオンは息を呑んだ。
「まさか」
 現れた影は、決してこの世にいるはずのない、彼がよく知る人物のように見えた。

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