若葉のワン・ステップ



「……それで、野盗退治を引き受けてきたの?」
 トレサとオフィーリアが交代で事情を語ると、プリムロゼは目を丸くした。
 昼間の自由行動を満喫した五人は、夕食時になって酒場に集まった。この町にはリプルタイドと異なる海鮮料理がそろっている。外洋の魚はよく身が引き締まっていて美味であることをトレサは知っていた。普段の彼女なら真っ先に手を伸ばしていたが、今日ばかりは違う。
 トレサは食卓に載った垂涎のメニューを一旦視界の外に置き、仲間たちに頭を下げる。
「お願い、興味のある人だけでいいから手伝ってほしいの。お礼は装備品の割引よ」
「急な話だな」
 テリオンが顔をしかめる。彼の持つジョッキはすでに半分ほど空になっていた。
 文句を言われるのは予想通りだ。いくらメリットがあるとはいえ、勝手に野盗退治を受けるなんて「また面倒ごとを持ってきた」と思われても仕方ない。
「トレサは碧閃石が関わっているから気になるのよね? 気持ちは分かるけど……私たちに相談もなく話をつけるのは感心しないわ」
 同じく難色を示すプリムロゼに、オフィーリアが目を伏せる。
「ごめんなさい。わたしもその場の勢いで引き受けてしまいました」
「気にすんなってオフィーリア、俺は構わねえぜ。近くで野盗が悪さしてたらエリンとフリンが危ねえしな」
 一方でアーフェンが大きくうなずいた。町に知り合いがいる彼らしい視点だろう。あとは盗賊と踊子が承諾するかが焦点である。トレサは祈るような気持ちで二人を見つめた。
「テリオンさん、プリムロゼさん」「いかがでしょう……?」
 さらにオフィーリアの真摯な瞳が注がれる。酒場の喧騒の中で、五人のいるテーブルの周囲にだけ静けさが漂った。
 テリオンがわざとらしく音を立ててジョッキを置く。
「……わかったわかった、手伝ってやる」
「ちょうど新しい短剣が欲しかったところだし、まあいいわ」
 プリムロゼが苦笑いした。彼女はともかく、テリオンはオフィーリアの頼みだから引き受けたのでは……とトレサは邪推したが、口には出さなかった。
「みんな、ありがとう!」
 安堵したトレサは早速フォークを手にとり、目をつけていた白身魚のフライを一口でほおばる。揚げ物は時間が経つと衣の食感が失われるため、先に食べるのが吉なのだ。
「それで、野盗の出る場所は? 時間帯とかアジトは分かってるの?」
 一度心を決めると乗り気になったらしく、プリムロゼが積極的に尋ねる。トレサは隣のオフィーリアから受け取った水を飲んで、口の中を空にした。
「野盗が出没するのは西ゴールドショア海道よ。碧閃石はクオリークレストから中つ海を渡ってリプルタイドまで運ばれて、そこから陸路でゴールドショアに来るらしいの。で、行商人は砂浜が終わって岩場になったあたりの街道で襲われるんだって。野盗は真っ昼間でもお構いなしに出るって話よ。アジトの場所は分からないわ」
「あそこは道幅が狭い。馬車が通るルートは限られているから、そこを待ち伏せされるんだろ」
 焼き魚をフォークで突き刺したテリオンが鋭く指摘する。もしかすると、盗賊の視点から「行商人を襲うにはどうすればいいか」を考えたのかもしれない。
「なるほどなあ。そういや商会って護衛を雇ってるんだろ? 今まで一度も野盗を捕まえられなかったのかよ」
 赤ら顔のアーフェンが首をひねった。トレサは渋面をつくる。
「護衛がいる時は全然野盗が出ないらしいの。でも油断して護衛をつけないと、すぐ襲われるんだって」
「ずるいやつらね」
 プリムロゼの率直な感想が身にしみる。その対面でオフィーリアが上品に口元を隠して海藻のサラダを嚥下し、眉をひそめた。
「護衛がいない時に限って野盗が出る……ということは、野盗はどこかから行商人を観察しているのでしょうか?」
「そんな気がするわね。とにかくもっと調べないと。
 そうそう、ちょうど明日ここに碧閃石を運ぶ行商人が到着するらしいの。連絡が行き違ったせいで、その人には商会の護衛をつけられなかったから、あたしたちが代わりに用心棒をすることになったわ。みんな、明日はそれを手伝ってくれる?」
「分かったわ」「了解!」
 威勢の良い返事を聞き、トレサは満足してうなずいた。
 作戦会議は終わった。詳細は明日詰めるとして、トレサは香辛料で黄色く色付けした米と、様々な魚介類を平鍋で煮込んだ料理をもりもり平らげる。米には魚や貝の出汁がよく染み込んでいた。
 少しお腹がふくれて一息ついた時、不意にプリムロゼが唇を開く。
「ねえ、護衛は商会が自分で雇ってるの? そういう独自の人脈でも持っているのかしら」
「ううん。もともと商会のお得意様にドレビンっていう貴族の人がいて、野盗に困ってるって相談したら護衛を斡旋してくれたんだって」
 貴族が傭兵を雇うのは珍しいことではない。もともと自前で警備用の戦力を持っていることも多かった。テリオンの関わるレイヴァース家もその一例だ。
「ふうん……」
 プリムロゼが形の良い唇を閉ざす。その胸で例のペンダントがきらめいた。踊子が身につけると、緑の石は何倍もの価値を持つように見えた。彼女ならきっと碧閃石もよく似合うだろう。
 とはいえ、トレサは宝石を売り買いする前にまずは野盗退治をしなければならなかった。



 翌日、トレサたち五人は太陽が昇ってから西ゴールドショア海道にやってきた。
 海に突き出す岩場はでこぼこしていて、あまり整備されていない印象だ。昨日テリオンが言った通り、馬車ではすれ違うのに苦労するだろう。
「数日前、リプルタイドから商会あてに旅程表が届いたわ。その内容からすると、行商人は今日の昼頃には月隠れの海道を抜けて、このあたりに来るはずよ」
 トレサは帽子のつばを持ち上げて視界を広げる。目に入るのは白く波立つ海と岩場、それと空を泳ぐように飛ぶ海鳥くらいだ。魔物は見当たらなかった。
 アーフェンが同じく手でひさしをつくってあたりを見回す。
「で、どうすんだ? 全員で行商人の護衛に行くのか」
「ううん、二手に分かれるわ。アーフェンとプリムロゼさんは、街道を南に下って行商人と合流して。馬車の特徴を書いたメモを商会でもらってきたから、これを目印にしてね。
 馬車がこのあたりまで来たらあたしたちも護衛に加わるわ。でも万が一月隠れの海道で野盗が出た時は、二人で対処してもらうことになると思う」
「分かったわ」「腕が鳴るぜ」
 メモを受け取ったプリムロゼが力強い笑みを浮かべ、アーフェンが握りこぶしをつくる。もし不測の事態が起こっても、この二人ならトレサたちが応援に行くまで十分持ちこたえるだろう。
 それから彼女はくるりと後ろを振り返り、青い空を指さした。
「で、あたしたちはこのあたりで野盗がひそんでそうな場所を探すわよ!」
 テリオンは黙って首肯し、オフィーリアが「はいっ」と元気よく返事をする。もしハンイットがいれば魔物の嗅覚を使って捜査できたが、ないものねだりをしても仕方ない。だから野盗探しに多めの人員を割り振ったのだ。
「それじゃ、行ってくるわ。また後で会いましょう」
 プリムロゼが優雅に手を振った。ひらひらした衣の踊子に素朴な格好の薬師という組み合わせは、正直あまり護衛らしくなかった。行商人が彼女たちを見たら驚くだろう。
 去りゆく背中を見送ってから、オフィーリアがきょろきょろする。
「まずはどのあたりを探しましょうか?」
 岩場を切り開いてつくられた道の片側には切り立った崖と深い海があり、反対側にはごつごつした斜面が高くそびえている。野盗はどこから行商人を観察しているのだろう? 
「うーん、このへんは岩が多くて視界が悪いから、岩の陰……とか?」
「野盗の人数は聞いてるか」
 テリオンが突然割り込んできた。トレサは目をぱちくりさせる。
「え? 確か、十人より少ないくらいだったかな」
「その人数が全員岩陰にひそむのは厳しいだろ。どこかに洞窟でもあって、そこに隠れてるんじゃないか」
 思わぬ助言を受けて、トレサはぽかんと口を開ける。
「そ……そうよね。なら洞窟を探そう!」
 テリオンが予想よりもずっと協力的で、少し動揺してしまった。ぎくしゃくと手を振り上げた彼女に対し、オフィーリアがくすりと笑う。
 万が一野盗や魔物に出くわした時を考えて、三人はひとかたまりになって行動した。トレサはあたりを注意深く確認しながら街道を南下する。岩壁の割れ目を見つける度に洞窟の存在を疑った。何度も通った道でも別の視点を持って歩くと、また新鮮さを覚えた。
 目を凝らしすぎて疲労を感じたトレサは、油断なくまわりを睥睨するテリオンに尋ねる。
「テリオンさん、案外やる気よね。やっぱり装備の割引に釣られたの?」
「別に。理由なんてなんでもいいだろ」
「でもいつもなら、こういう人助けは積極的にやらないじゃない」
 トレサが反論すると、テリオンは黙ってそっぽを向いてしまった。都合が悪くなったらしい。オフィーリアが口元を緩める。
「もしかして、テリオンさんは野盗のやり口が気に入らないのではありませんか」
 図星だったのか、彼は前髪で顔を隠すようにうつむいて、渋々口を開いた。
「……まあな。俺のやり方とは違う」
「大勢で襲って荷物を奪うなんて、確かにテリオンさんっぽくはないよね」
 なるほど、盗賊としてのプライドがあるから、テリオンは野盗の行動を看過できず、この作戦についてきたのかもしれない。
 オフィーリアはにこにこしながら続けた。
「それだけではなくて、テリオンさんはトレサさんが心配になったのですよね」
「えっ」トレサの口から間の抜けた声が漏れた。即座に表情を消したテリオンに、彼女はおそるおそる「そうなの?」と尋ねる。
「……ガキが野盗退治なんかするもんじゃない」
 灰銀の前髪から冷たい右目が覗く。突き放したような物言いにトレサはかちんときた。
「あのねえ、あたしは故郷で海賊だってやっつけたのよ! もう、テリオンさんまであたしのこと子ども扱いして……」
 地団駄を踏むと、オフィーリアが不思議そうに目を丸くした。
「もしかして、トレサさんは他の方にもそう言われたのですか?」
「うん、似たようなことをね。商会のご主人も、プリムロゼさんも、アーフェンも……要するにあたしが『子どもだ』って言いたいみたい」
 不満たらたらのトレサを、テリオンが鼻で笑う。
「事実だから仕方ないだろ」
「し、仕方なくなんかないわ」
 トレサの声が震えた。オフィーリアが「まあまあ」となだめるが、テリオンは容赦なく言葉を続ける。
「ガキ扱いされる理由が自分で分かってないところが、ガキなんだ」
 まるで謎掛けのような台詞だ。煽られたトレサは肩を怒らせて仲間たちの前に出る。
「もういいわよ、今回の仕事であたしが大人だってことを証明……わああっ!?」
 突然がくんと視界が落ちた。感情に任せて右足を踏み出した場所に、何もなかった。いつの間にかトレサは街道の際にいたのだ。浮いた体は見えない力に引かれて海へと向かう。
「トレサさん!?」
 オフィーリアの叫びを聞きながら、トレサは岩に尻餅をついてずるずると斜面の下へ落ちていく。目の前に岩が迫ってきて、悲鳴を上げた。
「きゃあっ」
 しかし岩はアーチになっており、身をかがめることで激突を免れた。その先は海ではなかった。金色の砂浜が視界に広がって、トレサは息を呑む。
 斜面は緩やかになり、彼女はゆっくりと最下層にすべり降りた。節々の痛みをこらえて立ち上がる。
(……何ここ?)
 岩場に三方を囲まれた秘密の浜辺だった。大岩が波に削られたのだろう、浜は意外と奥深くまで続いている。そして、朽ちた帆船が砂の上に載っていた。座礁した挙げ句に放棄されたようだ。
 改めてトレサは自分の体を確かめた。あちこち擦りむいているが、どれも回復魔法なら一発で治る程度の傷だ。大事な商売道具がたくさん入ったリュックも無事だった。
 興味を惹かれて帆船へと足を踏み出した時、先ほどすべってきた斜面の上から「ご無事ですか!」という切羽詰まった声が聞こえた。トレサははっとする。
「……あ、あたしは大丈夫!」
 うっかりしていた。上で心配しているであろう仲間たちに、真っ先に無事を知らせるべきだった。途中でくぐった岩のアーチで仲間の視界は遮られ、こちらの姿は見えないはずだ。
 すぐに返事がくる。
「待っていてください、そちらに降りる道を見つけます」
 オフィーリアの言葉に「お願いね」と大声で返し、トレサは汚れた服を手で叩く。
 仲間を待つ間に帆船を調べることにした。船は横っ腹に穴が空いて船室が覗いている。強い日差しに遮られて真っ暗な船の中、一点の明かりが目に映り込んだ気がした。
「おい、何してるんだ」
 折れたマストが落とす影を踏んだ刹那、背後から声がした。トレサはびくっと体を震わせる。この不機嫌そうな声はテリオンのものだ。彼女は慌てて振り返った。
「あ、あはは……早かったわね」
 テリオンが半眼になって腕を組む。その隣にはオフィーリアと、さらに見知らぬ男性がいた。オフィーリアは擦り傷だらけのトレサに駆け寄ってさっそく回復魔法をかける。光が消えると傷は跡形もなくなっていた。
「ありがとうオフィーリアさん」
「お礼ならあちらの方に言ってください。たまたま上で出会って、道を教えていただいたのです」
 オフィーリアが杖を振れば、涼やかな音が鳴る。この男性は彼女が導いた相手のようだ。
「えっと……どなたですか?」
 トレサは頭に疑問符を浮かべながら男性の身なりを確認する。使い古された数々の装備は革製や布製が多く、どれも軽そうだ。彼は明るい茶髪を揺らして笑った。
「ただの旅人だよ。よくこの道を通ってグランポートとゴールドショアを往復してるから、道にはちょっとくわしいんだ」
「へー、ありがとうございます」
 トレサはぺこりと頭を下げ、ついでに思いついたことを尋ねた。
「あの……このあたりで野盗を見かけませんでした? それっぽい人影でもいいんですけど」
 頻繁に街道を行き来しているならヒントを持っているのでは、と考えたのだ。男性は眉間にしわを寄せる。
「野盗かあ、さすがに遭ったことないな。そういう噂も聞かないよ」
「噂も……?」
「行商人じゃないから襲われないんだろ」
 テリオンが口を挟む。旅人が不思議そうにしているので、トレサは説明を重ねた。
「あたしたち、ゴールドショアの商会から頼まれて、行商人ばっかり狙う野盗を退治しようとしているんです。このあたりに出るはずなんですけど……」
「へえ、若いのに大変だね」
 男の発言にトレサは一瞬むっとしたが、これは過剰反応だろう。昨日から、子ども扱いされることについ敏感になっている。テリオンが小さく肩を揺らす気配がした。
 旅人は自分のあごをなでた。
「もしかすると、俺が野盗に出会わないのは、街道を使ってないからかもしれないな」
「他にも道があるのですか?」オフィーリアが目を見開く。
「あるよ。ついてきて」
 旅人はきびすを返すと、ひょいひょいと岩場を登っていった。トレサがすべった場所よりも斜度がゆるく、足場となる岩もたくさんあるようだ。どうも、そのルートが砂浜に降りる唯一の道らしい。トレサはリュックの重さに苦労しながら、テリオンは軽々と、オフィーリアは慎重にスカートを持ち上げてついていく。
「これが道だよ」
 旅人が案内した先は、街道よりもさらに高い位置――岩場のてっぺんだった。抜けるような青空が頭上いっぱいに広がっている。
 トレサは息を整えながら改めて足元を眺めた。一見ごつごつしているが、よく目を凝らすとその隙間に平らな一本の道がある。健脚な旅人なら問題なく歩けるだろう。
「こんな道があるなんて知りませんでした」
 感心したようなオフィーリアの発言に、男性は自慢げに腰に手をあてる。
「俺、こういうところを行くのが好きだから。たまには街道から外れて歩くのも乙なものだよ」
 トレサはあたりを見渡す。比較的平坦な街道に比べて、この道はでこぼこしているが抜群に見晴らしがいい。ゴールドショアに向かう吊り橋から、月隠れの海道の輝く浜辺まで一望できた。
「あ、そっか!」
 不意にぽんと手を叩くトレサに、テリオンが不審そうな目を向けた。彼女は気にせず、道にくわしい旅人に地図を差し出す。
「すみません、この道は地図のどのあたりにあるのか教えてもらえませんか? 野盗退治に使えるかもしれないんです」
「教えるのは構わないけど……こんなので野盗を追い払えるのかい?」
「はい。お願いしますっ」
 旅人は訝しみながらも、さらさらと地図に書き込んでトレサに渡す。
 オフィーリアが岩の上に杖をついた。
「助けていただきありがとうございました。あなたに聖火のお導きがありますように」
 涼やかな音を聞いた男性は破顔する。
「こちらこそ、お役に立てて嬉しいよ。良い旅を」
 彼はまた身軽に岩の道をたどり、ゴールドショア方面へと歩いていった。
 十分に旅人と離れてから、トレサは再び周囲を確認する。岩からおそるおそる身を乗り出せば、街道を楽に見渡せた。反対に、街道側から上の道に気づくことは難しいだろう。
「ここから野盗が見てる……ってことはないわよね。だってさっきの人は野盗に会ってないんだから。でも、いい情報が聞けたわ」
「どうするつもりですか、トレサさん」
 神官の好奇心に満ちた視線を、トレサは真正面から受け止める。
「オフィーリアさんは、この地図を持ってプリムロゼさんたちを追いかけて。二人はもう行商人と会った頃だと思うわ。
 合流したら馬車の積荷を小分けにして、一人で運べる分の荷物だけ行商人に持たせて、上の道を通ってもらうの。その代わり、馬車はいつもどおりに街道を走らせて、囮にするわ。もちろん馬車の中には護衛が隠れて、野盗が襲ってきたところを返り討ちにするの。どう?」
「予想よりも野盗の数が多くて、押し返されたらどうするつもりだ」
 テリオンが厳しい言葉をかける。プリムロゼたちの実力を疑っているわけではないだろうが、多勢に無勢という状況は確かに考えられた。
「そのためにあたしたちがいるのよ。先に野盗のアジトを見つけ出したら先手を取れるし、それがだめでもこの岩場の上に隠れて、馬車を襲う野盗の後ろから不意打ちができるわ」
 流れるように説明すれば、テリオンは腕組みを解いた。
「……やってみるか」
 合格点ということだろう。安堵したトレサはオフィーリアに地図を手渡す。神官はサイラスから教わった学者の魔法で、魔物に気づかれないように移動することができる。今回は適役だ。
「それじゃあよろしくね、オフィーリアさん」
「重要な役割ですよね……承りました」
 神官は背筋をぴんと伸ばして岩場を降りていった。
 太陽が高く昇るに従って、じわじわと気温も上がっていく。首筋に感じた汗が海風に冷やされ、トレサは目を細めた。完全に二人きりになってからテリオンが唇を開く。
「で、野盗の居場所のあてでもあるのか」
「下の砂浜に壊れた船があったでしょ。あそこに隠れてないかなって思ったんだけど……」
「だからさっき一人で調べようとしてたのか」
 テリオンは非難する調子で言った。
「うっ……ごめんなさい。でも、テリオンさんがいれば調べても大丈夫よね!」
 彼は嫌そうな顔をしたが、否定はしなかった。
 方針は決まった。二人は旅人に教わった道を通って再び岩場を降りる。道中、テリオンがつぶやいた。
「……少し気になることがある」
 もったいぶった言い方だ。トレサは警戒しつつ「何?」と聞き返した。砂浜に降り立ち、まっすぐ帆船の方へと向かって、テリオンは顔をしかめる。
「さっきの旅人が言ったことが本当なら、野盗は見晴らしのいい場所から馬車を観察していたわけじゃないんだろう。それなのに、護衛のついていない行商人が通るタイミングを知っていた。
 つまり、野盗はそういう不用心な行商人がいつ来るのか、あらかじめ知っているんじゃないか」
「えっと……それってどういうこと?」
 嫌な予感がしたトレサは、問いかけながら帆船の腹に空いた大穴を覗き込む。
 その時、暗闇でちかりと何かが光った。
「待て」
 急にテリオンが腕を伸ばしてきた。トレサは帽子ごと頭を掴まれ、下を向くように押さえつけられる。文句を言う間もなく、テリオンに引きずられて帆船のそばから退避した。二人は岩場の出っ張りを回り込む。ちょうど帆船の穴から死角になる位置だ。
「な、何?」
「静かにしろ」
 テリオンのささやき声は緊張をはらんでいた。トレサはどきりとする。
 すぐに、岩の反対側から複数の人間の足音がした。砂を踏みしめるじゃりじゃりという音だ。ちょうど帆船の方角から聞こえる。トレサは身を固くした。
「二、四……六人か」
 テリオンがつぶやく。帆船は彼のいる場所からしか見えない。トレサは岩陰の奥に押し込まれ、ただ息をひそめることしかできなかった。
(やっぱりあそこに野盗がいたんだ……)
 危なかった。テリオンがいなければ、トレサは真正面から野盗に出くわしていたかもしれない。しかも彼はごく当たり前のようにトレサをかばい、自分は野盗に見つかる可能性の高い位置に陣取っていた。
 胸が苦しくなる。仲間を危険に晒した上に守られてしまうなんて、これでは子どもだと言われても仕方ない――
「まずいな」
 テリオンの焦った声が、トレサのもやもやした思考を遮る。
「おい、これ足跡じゃないか?」「本当だ。誰か来たのか」
 野盗たちの声が警戒の色を帯びる。彼らはゆっくりとトレサたちの隠れる岩陰に近づいてきた。
 テリオンはいつの間にか短剣を抜いていた。トレサもそれに倣い、静かに息を吐いて集中に入る。
 とはいえ、さすがに二対六で戦うのは厳しいだろう。五人の仲間を分散させたのはトレサの判断であり、その時は別行動が最適案だと思っていた。しかし、自分の判断のせいでテリオンを危ない目に遭わせるかもしれない。今はそれが歯がゆかった。
 握りしめた手に汗がにじむ。テリオンが今にも飛び出そうと身を低くした。
 ――と、重いものが転がるような音が、斜面の上から届いた。
「ターゲットが来たぞ」
 野盗たちはつぶやき、動きを止めた。トレサは浅く呼吸しながらひたすら聞き耳を立てる。
「それじゃ、いつもどおりに行くか」
 声をかけ合った野盗たちはそれ以上こちらに近づくことなく、すばやく移動の方向を変えた。ばらばらの足音が岩だらけの道を駆け上がっていく。
 しばらくして、テリオンがわずかに身をずらし、岩壁の向こうを慎重に覗いた。
「全員行ったらしいな」
「そ、そう……」
 トレサは深呼吸とともに体を弛緩させる。一気に緊張が解けたのだ。テリオンがぎろりと目をすがめた。
「何ぼけっとしてるんだ。あいつらがいなくなったってことは、ターゲットの行商人の馬車が来たんだぞ」
「あっそうだったわ!」
 慌てて隠れ場所を飛び出す。一瞬でも落ち込んだことがテリオンにばれないよう、いつもどおりの態度を心がけた。
 二人は野盗から十分に距離を保って後を追った。砂浜から岩場を登った先に、まず街道がある。おそらく野盗は馬車を襲うためここを通ったのだろう。一方、トレサたちはさらなる高所を目指し、旅人に教わった岩の上をゆく。
 街道にはすでに剣戟の音が響いていた。護衛たちと野盗の交戦がはじまったのだ。二人はできるだけ戦場に近づいてから、身を低くして街道を見下ろす。
「行け、リンデ!」
 凛々しい声が波間を貫いた。屈んで狭まったトレサの視界の中、つややかな毛並みを持つ雪豹が野盗と思しき男に襲いかかり、地面に引き倒した。
「ハンイットさん……!? なんでここにいるの」
 斧を振って野盗を牽制する狩人を発見して、トレサは息を呑んだ。ストーンガードで狩りをしているはずの彼女と相棒、それにオルベリクとサイラスも戦場にそろっている。
 先遣隊のプリムロゼとアーフェンは馬車を守る位置にいて、狩人たちを援護していた。オフィーリアだけ姿が見えないのは、同じくこの場にいない行商人を護衛しているのかもしれない。
 隣のテリオンがすっくと立ち上がった。
「俺たちも行くぞ」
「うんっ」
 野盗たちはすでに逃げ腰になっている。護衛がいないと踏んで馬車に襲いかかったのに、予想外の抵抗にあったせいだ。その中で、今にも包囲網から逃れようとしている一人にトレサは目をつけた。
「幸運の風よ、吹き荒れよ!」
 槍を立てて追い風を呼ぶ。テリオンは外套を翼のように広げ、岩場から飛び降りた。
「なっ」野盗は上から急襲する影にすんでのところで気づき、武器を振り上げる。テリオンが重さの乗った一撃をお見舞いすると、澄んだ金属音が鳴って野盗は崩れ落ちた。
「テリオンか!」
「トレサもいるじゃない。遅かったわね」
 気づいた仲間たちから歓声が上がった。トレサは槍を振り上げて応える。
 その時、ざわりと空気が動く。これは強力な魔法が発動する予兆だ。トレサは再び大風を招いた。
「火炎よ、焼き尽くせ」
 サイラスが放った炎が風に乗り、野盗の退路を断つように広がる。衣を焦がされた男たちはたたらを踏んだ。
「くそ、やっちまえ!」
 岩場を背にして、野盗の頭と思われる男が号令をかけた。野盗たちはひとかたまりになって最後の抵抗を試みる。オルベリクの槍が、ハンイットの呼んだ魔物が、テリオンの短剣が繰り出された。
 トレサも街道に飛び降りて、野盗の一人と槍で渡り合う。相手の長剣は一瞬迷うように切っ先を揺らしてから、防御の構えを見せた。トレサは槍の長い柄を回転させ、相手の刀身を弾き飛ばす。こういう場所ではリーチ差もあって槍の方が有利だ。武器による相性や戦い方についてはオルベリクに学んだ。当の剣士は少し離れた場所で二人もの野盗と対峙していた。
 不意打ちに加えて数の有利を取れば、もうこちらのものだった。ほどなくあたりは静かになった。仲間たちがうまく気絶させた野盗を、プリムロゼやサイラスが縄で縛り上げる。
 武器をしまったトレサは仲間たちに――中でも狩人のもとに駆け寄った。
「ハンイットさん、どうしてここに……?」
 息せき切って尋ねると、ハンイットが笑った。
「昨日でちょうど狩りが終わってな。今朝、ゴールドショアに向かうために町を出たんだ。それで月隠れの海道を歩いていたらプリムロゼたちと会って、馬車を護衛すると言うからそのままついてきた」
「そっか。みんな、手伝ってくれてありがとう」
「このくらいは造作もない」
 オルベリクが言う。彼の落ち着いた声を聴くと、野盗退治など本当に大したことではなかったように思えた。
「これで野盗は全員かな?」
「ああ」
 サイラスの質問にテリオンがうなずいた。彼とトレサは上から戦闘を見ていたため、敵の正確な数を把握している。幸い一人も逃さずに退治できた。
「あとは、オフィーリアが無事にゴールドショアにたどり着いたら一件落着だな!」
 アーフェンが腕を振り上げる。縛られた野盗たちを眺めて、プリムロゼが満足げにうなずいた。
「これで武器の割引はもらったわね。やるじゃない、トレサ」
 確かに一件落着である。しかしトレサの気分はどうにも晴れなかった。
(あたし……ほとんどなんにもしてない!)
 優秀すぎる仲間たちは、各々の判断で動いて事態を解決してしまった。おまけに、先ほどテリオンに一方的に助けられたことも尾を引いていた。野盗退治を提案した自分がこの体たらくでいいのか、とトレサはぐるぐる考え込んでしまう。
 一行は縛った野盗を馬車に乗せて、ゴールドショアに向かった。仲間たちは馬車の前後に分かれて歩く。アーフェンが「あんた、やっぱりやる気になったな」と言って、嬉しそうにテリオンに絡みに行くのが見えた。盗賊は迷惑そうに顔をしかめて後ろに下がる。トレサはそれを目で追いながら、「せめて最後くらいは役に立とう」と一番前を歩くことにした。
「この野盗退治は、トレサとオフィーリアが持ち込んだ話らしいな」
 不意にオルベリクが隣に並んだ。トレサはとっさに表情を繕う。
「そうなのよ。前にあたしが関わった碧閃石が野盗のターゲットになってるって聞いて、ゴールドショア商会から引き受けたの」
「それで五人とも街道にいたのか。……テリオンと何かあったのか?」
 心臓がどきりと跳ねる。まさかオルベリクに言い当てられるとは……。それほど分かりやすく顔に出ていたのか、とトレサは自分のほおを引っ張る。
 おそるおそる剣士を確認すれば、彼は凪いだ顔を前に向けていた。必要以上にこちらに気を遣っている様子はない。この亡国の騎士と接する時、トレサはいつも大樹の木陰にいるような気分になる。なんだか安心した彼女は、素直に心根を打ち明けた。
「さっき、あたしとテリオンさんで野盗のアジトを見つけた時、相手にこっちの存在がばれそうになったところを助けてもらったの。あの人に子ども扱いされるのが嫌だったのに、肝心な時は頼るしかなかったのが……ちょっと悔しいわ」
 そう、悔しいのだ。仲間なら対等に扱ってほしいし、自分もきちんと相手の役に立ちたい。一方的な関係はトレサの望むものではなかった。
 オルベリクは少し間を置いてからぽつぽつと語り出す。
「テリオンはお前を子ども扱いしたわけではないだろう。まあ、普段のあいつの態度にも問題はあるだろうが……野盗から助けたのは、あいつが自分の役割をよく分かっているからだ」
 もし他の誰かに同じことを言われたら、トレサは反発したかもしれない。だが、オルベリクの言葉は浜を洗う海水のようにすんなりと胸に染み込んだ。
「商会と話をつけることは俺たちにはできない。トレサの商人としての働きは、十分皆の役に立っている……と思う」
 彼は常々「自分は剣でしか語れない男だ」と主張している。しかし、ヴィクターホロウの町で武闘大会を勝ち抜いてから、何かがじわじわと彼の中で変わりはじめているようだった。剣士は、もしかするとかつて揃いの衣を着て隣に立っていた友人にかけるべき言葉を、この旅で探しているのかもしれない。
「オルベリクさん、ありがとう。ちょっと元気出たわ」
 トレサが表情を緩めると、オルベリクはむず痒そうにほおを指で引っかく。
「それはともかく……トレサは商人だから、こういう戦いは俺のような慣れたやつに任せた方がいいのではないか」
 ぐさりと指摘が心に刺さった。彼女は顔を歪める。
「一人前の商人だったらもっと別の戦い方があるってことよね……。考えてみるわ」
 クオリークレストにて、彼女は地主の屋敷に直接乗り込み、武力で問題を解決した。それが商人らしい解決法かと言われれば違うだろう。理不尽に直面するとつい血気にはやってしまうトレサだが、生粋の武人の意見はさすがに効いた。リプルタイドでの海賊退治も、商人が取り組むにはリスクの高い行為だったことは確かだ。
 しゅんとして視線を下げるトレサに、オルベリクは破顔した。
「ああ、そうしてくれ。とにかく、今回は報酬をもらうまでがお前の仕事だ」
「うんっ」
 トレサはこっくり首肯し、岩場の先のゴールドショアに視線を投げた。

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