続・大いなる翼を広げ



 白っぽい地に、薄い茶色の斑点が散っているそれは、人の頭より二回りほど大きな卵だった。
(あの二人が拾ったのか?)
 アーフェンは内心汗をかく。素性の分からない男女がドラゴンの卵を持っていた。彼らは卵の正体に気づいているのだろうか。そもそも、どうして川に入って卵を引き上げたのか?
 アーフェン一行と謎の男女の間に緊張が走った。互いに相手の素性を推し量っているのだ。その間を、卵しか目に入っていないアメリがまっすぐに駆けていく。均衡が破れ、アーフェンたちも呪縛が解けたように彼女を追いかけた。
 息を切らすアメリを見つめた男性は、一転して朗らかに笑った。
「そうか、キミの落とし物だったんだね」
 低く落ち着いた声だ。表情がほぐれて冷たい第一印象が塗り替えられる。トレサは胸に手をあててあからさまにほっとしていた。
「どうぞ。もう落とさないように」
「ありがとう……!」
 男性がそっと手渡した卵を、アメリは大事に抱えた。ほおを殻に擦り寄せて温度を確かめている。
「ど、どうだ?」アーフェンはおそるおそる尋ねる。
「中も無事みたい」
 笑顔になったアメリは、卵を持っていた男女を順繰りに見つめた。
「あなたたちが拾ってくれたの?」
「ああ、川の上流から流れてきたものだから」
 女性が落ち着いて答えた。彼女はアメリたちの不思議そうな視線に気づいたのか、
「わたしはシ・ワルキのハンイットという。魔物使いの血を引く狩人だ。こっちは相棒のリンデ、見ての通り雪豹だ」
 と自己紹介する。リンデは賢そうな目を瞬いた。
「へー、ウッドランドの狩人さん」
 トレサが目を輝かせる。かの豊かな森には狩人が多く暮らしていて、特に高い実力を持つ者は大陸中に遠征していると聞いたことがある。ハンイットもおそらくその一人だろう。彼女はアメリの持ち物を指差し、説明を続ける。
「それは魔物の卵だろう。歩いていたらたまたま流れてきたから、見過ごすわけにもいかなくてな」
「なるほどなあ」
 アーフェンは納得した。狩人としては、川で魔物の卵を見つけたら確かに気になるだろう。
「で、そっちのあんたは何者なんだ」
 警戒をあらわにしたテリオンが男性に尋ねた。先にハンイットが口を開く。
「ああ……この人は」
「学者だよ。サイラスと言うんだ。専門は魔物の生態――特にドラゴンについてはくわしいよ」
 さらりと答えたサイラスに対し、何故かハンイットは眉を持ち上げて奇妙な顔をしている。
(げえ、研究者かよ……)
 アーフェンはひやりとした。ドラゴンの研究者が卵を拾うなんて、偶然にしてはあまりにもタイミングが良すぎる。
「ところで、その卵はドラゴンのものではないかな」
 当然、サイラスは目をきらきらさせてアメリに詰め寄る。少女は「あの、えっと……」と言葉に詰まった。学者が何を要求してくるか分からない以上、素直に答えるのはまずいと思ったのだろう。最悪の場合、研究のためと称して卵を奪われるかもしれない。
 するとハンイットが間に入った。
「安心してくれ、サイラスは卵を盗ったりしない。ただ……興味があるだけなんだ」
 本当に? とトレサが疑いのまなざしを向ける。しかしサイラスは気にする様子もなく、アメリと卵を見つめていた。
「もしかして、キミはこの卵を育てるつもりかい?」
「う、うん……」
「そうか! なら――」
「まあまあ学者さんよ、アメリも困ってるだろ。質問攻めはよしてやってくれ」
 アーフェンはアメリを守るように前に出た。サイラスはあっさり引き下がる。
「おっとすまない。つい好奇心がうずいてしまって」
 悪人ではなさそうだが、なかなか厄介な相手だ。サイラスは他人を自分のペースに巻き込むのがうまく、一行の視線は彼がぴんと立てた人差し指に惹きつけられた。
「では、質問ではなく提案をしよう。キミたちは上流で卵を川に落として、ここまで追ってきたのだろう。つまり街道をどこかへ移動する途中だったのではないかな。
 もしこの推理が当たっているなら、目的地まで私たちが護衛を引き受ける代わりに、その卵のことを観察させてもらえないか」
「えっ……」
 アメリは困ったように卵を抱きしめ、こちらを見上げる。アーフェンは仲間二人に目配せしてから――テリオンも不承不承といった様子で首肯した――アメリに言った。
「実は、俺たちもこれからクオリークレストに行く予定だったんだ。無事に卵も見つかったし、そこまではついていくつもりだぜ」
 アメリがぱっと顔を明るくする。
「本当? それじゃあ、えっと……」
「ハンイットさんたちのことはアメリちゃんが決めたらいいよ」
 トレサの助言に、アメリはしばらく逡巡してから答えた。
「わたし、ドラゴンについてよく知らないの。だからいろいろ教えてくれる?」
「ああ、いいよ」
 サイラスがほほえみ、ハンイットが弓を背負い直した。
「では決まりだな。行き先はクオリークレストなのか」
「うん。そこに卵を孵す名人がいるの」
 アメリの返答を聞きながら、アーフェンは念のためサイラスに尋ねた。
「学者先生、アメリを困らせねえよな?」
「それはもちろん」
「サイラスが余計なことをしないよう、わたしが見張ろう」
 ひたすら実直な態度を貫くハンイットは、連れた魔物を使ってこちらを脅す様子もない。彼女は信用できそうだとアーフェンは思った。一方アメリは狩人にぴったりと寄り添う雪豹リンデに興味津々のようだ。魔物とともに生きる人間の良い実例である。
 こうして一行は仲間を増やし、来た道を戻りはじめた。卵は今度こそ袋の口をしっかり閉めて、アメリが背負う。彼女はおそるおそるサイラスの隣に並んだ。
「ねえ、先生はドラゴンを見たことがあるの?」
 アメリはアーフェンの真似をして「先生」と呼んだのかもしれない。サイラスもそれで気を良くしたようで、鷹揚にうなずく。
「あるよ。以前見たクリフランドのドラゴンはきれいな赤色をしていたな……。卵についてはくわしくないが、成体のドラゴンならば話せることは話そう」
 サイラスは懐かしむように目を細めた。ハンイットが口をつぐんで何か言いたそうにしているが、どうしたのだろう。
「あんた、そんなにドラゴンにくわしいのに、卵の孵し方は分からないのか」
 黙って聞いていたテリオンが意地悪く突っ込んだ。だがサイラスは動じない。
「ドラゴンの生態についてはまだまだ謎が多くてね。人間に托卵するという噂も知ってはいたが……」
「それ、どういう話か教えて!」
 アメリが熱心に質問をぶつけ、サイラスは喜んで応じた。長い話になりそうだ。
 そんな中、トレサは上り坂をゆきながら、ハンイットに近づいて小声になった。
「ねえ、サイラス先生とハンイットさんってどういう関係なの?」
 たまたま漏れ聞いたアーフェンも耳を寄せる。彼もそれが気になっていた。学者と狩人という組合せは、あまり接点がないように思える。薬師・商人・盗賊で旅をしているアーフェンたちが言えたことではないのだが……。
「わたしはサイラスの依頼で動いているんだ」
 ハンイットは即答した。つまり、学者のフィールドワークの護衛でもしているのだろうか。アーフェンはほおをかく。
「本当にそんだけ? 護衛と依頼者っていうより、もうちょっと仲が良さそうに見えたけどなあ」
「仲がいいかは分からないが、サイラスはわたしのつくる料理が好きらしい。懐かれてはいると思う」
 え、料理食べてもらったことあんの? しかも懐くってどういう意味……?
 アーフェンは盛大に混乱した。「懐かれている」なんて、おおよそ同年代の男性に対する発言ではないだろう。トレサも首をかしげている。
「わたしがサイラスと知り合ってから一年ほど経つ。少なくとも悪いやつではないから安心してほしい」
 ハンイットは堂々と胸を張る。だが、気づけばアーフェンたちの後ろでは立場が逆転し、サイラスがアメリを質問攻めにしていた。気づいたハンイットが振り返って口を尖らせる。
「こらサイラス、アメリが困っているぞ」
 サイラスはびくりと肩を揺らした。アメリが困ったように笑っている。
「すまないね。ドラゴンについて思う存分話ができる機会は少ないものだから、つい話しすぎてしまうんだ」
 そう答えるサイラスの視線は常に卵に固定されていた。
(この人、本当に卵を狙ってねえんだよな……?)
 ついついアーフェンは疑念を抱いてしまう。なんだかサイラスは怖いくらいに熱意が有り余っているのだ。これはあくまでアーフェンの勘だが、サイラスはただの好奇心だけではない「何か」を卵に対して抱いている気がする。
 不思議なことに、サイラスたちと出会ってからはまったく魔物が出なかった。日が傾いてきた頃になって、一行は再び川と街道が交差する地点にやってくる。狩人ハンイットの助言で、水を安定して確保できるこの場所で野宿することになった。
 川にほど近い野営地にて、アメリがふうと息を吐いて大きな荷物をおろした。どうやらほとんどが寝具のようだ。しかも、かさばるので持ち歩きに適さないタイプのものである。旅立ちにあたって慌てて揃えた、というところか。
「あなたはどうして一人旅をしているんだ?」同じく疑問に思ったのだろう、ハンイットが直截に尋ねる。
「わたしは……ごめんなさい、明日ちゃんと話すね」
 疲れが出たアメリは卵を抱えて目をしょぼしょぼさせている。そうか、とハンイットはうなずいた。「明日話す」と返事したということは、アメリの旅立ちにそこまで重い事情はなさそうだ。アーフェンはひそかに胸をなでおろした。
 ハンイットがグローブを外しながら宣言する。
「晩ごはんはわたしが用意しよう。ちょうどいい食材があるんだ。あなたたちと会う直前に狩った獲物だから新鮮だぞ」
「おっ、そりゃ楽しみだ。なら料理は任せるぜ」アーフェンは今からわくわくしてきた。
「ハンイット君の料理は本当においしいんだよ」
「そ、そうなんだ……」
 何故か自分のことのように自慢するサイラスに、トレサが目をパチクリさせた。本当に二人はどういう関係なのだろう。
 学者は「料理では役に立たないから」とハンイットに追いやられ、代わりにトレサとアメリが夕飯の準備を手伝った。男性陣は薪の準備だ。サイラスは作業をしながらもよく喋るので、テリオンと二人きりだった時と比べて一気に男性陣がにぎやかになった。その見解をこっそりテリオンに伝えたら、「おたく一人だけでも十分すぎるほどうるさかった」と言われてしまったが。
 やがて即席の台所からいい匂いが漂ってくる。その日は焚き火を囲んでの夕飯となった。メニューは、獣の肉や薬草を煮込んだスープだ。黄金色の汁があたたかく胃袋に染み込んで、じんわりと疲労が癒えていくような味わいだった。アーフェンも薬草にはそれなりにくわしいが、調理によって治癒効果を増進させる方法についてはまだ未知の領域だ。
(あとでレシピを教えてもらおう)
 警戒しながらスープを飲んだテリオンも目を丸くし、それから器を大きく傾けていた。よほどおいしかったのだろう。トレサは言わずもがなで、アメリは一口ずつ大事に味わっていた。その様子を眺めたサイラスは満足気に自分の器を平らげていく。
 アーフェンは空になった器を地面に置いた。
「いやーうめえな。これで酒でもあれば最高なのになあ」
「アーフェンは本当にお酒好きだよね。クオリークレストまでは我慢してよ」とトレサが笑う。
「酒か。その時は私もご相伴に預かりたいな」サイラスがにこりとした。
「お、先生いける口かよ」
 学者は涼しい顔をしているが、こういう人の方が案外よく飲むのかもしれない。ハンイットがさじでスープをすくいながら付け加える。
「以前、わたしの師匠と飲み比べをしていたな。サイラスが勝ったが」
「師匠って狩人の?」
「ああ。今は長期の仕事に出かけている」
 そう答えたハンイットはさじを持ったまま唇を閉ざした。その姿は少し心細そうに映った。サイラスが黙ってまぶたをおろす。師匠とやらに何かあったのだろうか?
 夕飯を食べたアメリは、卵を膝に載せたままうつらうつらしていた。トレサが慌てて空の食器を回収する。
「アメリちゃん、もう寝たら?」
「うん、お片付けできなくてごめんね……。おやすみなさい」
「おやすみー」
 アーフェンが手を振ると、アメリは卵を持って寝具の方へ歩いていった。きっと一緒に布団をかぶって眠るのだろう。
 一行は後片付けをはじめた。今がチャンスだと思ったアーフェンは、隙を見つけてサイラスの肩を叩く。
「あのさ先生、ちょっと質問があんだけど……」
「なんだいアーフェン君」
「こっちに来てくれ」
 いいよ、とサイラスは二つ返事で応じた。アーフェンは野営地から離れた川の近くまで彼を連れて行く。
 澄んだ空気がせせらぎの音を運んだ。ここならどんな会話をしても他の仲間には聞こえないだろう。アーフェンの持ったランタンの明かりが二人を照らした。そうしないとサイラスの姿は夜に溶けてしまいそうだった。
 アーフェンは呼吸を整えて尋ねる。
「あのさ、俺の勘違いだったらいいんだけどよ……サイラス先生は本当に卵を狙ってないんだよな? 最終的にアメリから取り上げてどっかに持ってこうとか、考えてねえよな」
 サイラスは一瞬きょとんとしてから、首をかしげる。
「それを本人に直接聞くのかい?」
「うっ……俺もおかしいとは思ったけど、はっきりさせてえんだよ!」
 きっと彼は他人を裏切るような人ではない。本当に怪しい人物なら、ハンイットやリンデがああして身元を保証するはずがないだろう。だが、違和感があるのだ。
「……先生が卵を見る目が熱烈すぎて、どうしても気になってさ。ハンイットやあんたを疑ってるわけじゃねえんだけど、ちゃんと先生の口から聞いておきたいんだ」
 いまいちはっきりしない話になった。自分でも何をしたかったのか見失いそうになったアーフェンがぶんぶん頭を振った時、サイラスがふっと口の端に笑みを浮かべる。
「そうか、キミには悟られてしまったか」
「えっ」
 心臓が大きく跳ねる。サイラスは降参するように両手を上げた。
「私があの卵に特別な思い入れがあるのは事実だ。ただし、アメリ君から奪ってまで自分で育てたいわけではないよ」
 あるかなしかの風にサイラスのローブの裾が揺れる。なんだか彼の影が大きく広がったように見えた。得体の知れない気配を感じるのは気のせいか。アーフェンはごくりとつばを飲む。
「私は無事にあの卵が孵ってほしいと思っている。そのために……アメリ君から卵を奪おうとする者を追っているんだ」
 闇夜に青い瞳がきらりと光る。アーフェンははっとした。
「やっぱりそういう悪者がいるのかよ」
「ああ。その者が橋から落ちた卵を狙っていると知っていたから、私たちが先行して卵を確保したんだ。
 そしてアーフェン君、トレサ君、テリオン君――キミたち三人の中に犯人が紛れているのではないか、と私は考えている」

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