双曲線の交わる場所



 旅の薬師の使命は無辜の人々を救うこと——そう信じてやまないアーフェンは敬愛する恩人に一歩でも近づくため、集落を訪れる度に腕まくりして家々を見回るのが常だ。
 だが今回、彼は拍子抜けする気分を味わっていた。
「ここの村ってみんな健康なんだな。いや、いいことなんだけどよ。正直俺の仕事がなくなっちまったっつーか……」
 思わず愚痴まがいのつぶやきを漏らすと、安楽椅子に座った老人は遠慮なく笑った。
 故郷のクリアブルックと似たりよったりの、ごくごく小さな村だ。こういう場所は得てして旅の薬師に頼り切りになるものだが、滋養豊富なリンゴが特産であるおかげか、意外と病人が少ない。アーフェンが家々を訪ね歩けども、結果としてはこの老人が「足の具合が悪い」と訴えただけだ。それも大した症状ではなかった。一応痛み止めを処方したが、根本的な治療はとうの昔になされていたようだった。
「仕方ないさ。うちの村にはいい薬師がいるからなあ」
「へえ、誰だよ。会ってみてえな」
 アーフェンは下がった気持ちが持ち直すのを感じた。是非その薬師と話をしたいものだ。
 老人は大きくうなずく。
「村長の息子さんさ。勉強家でなあ、リンゴ園やってる親父さんと一緒に、うちの村を支えてくれてるんだよ」
 リンゴ園といえば今朝方、プリムロゼやオルベリクが魔物退治に向かった先だ。狭い村なので思わぬつながりが見つかる。
「そうそう、今やってる本祭りもあそこの息子さんがはじめたんだよ」
「へええ。結構にぎわってるんだってな。じいさん、あんたは祭りに行かねえのか? もう足も良いだろ」
「いや……わしには少し騒がしすぎるよ」
 老人は背を丸める。アーフェンの目には、その姿がどこかさみしげに映った。旅人の自分には推し量りきれない理由がありそうだ。
 それ以上踏み込んだ質問はできず、アーフェンは腰を上げてぽんと老人の肩を叩いた。
「んじゃ、俺もう行くわ。元気で長生きしてくれよじいさん」
「おう、あんたもな」
 老人に見送られて外に出た。からりと晴れ上がったいい天気だ。
「よっし、この村はこんなところかな」
 今の家が最後の見回り先だった。アーフェンは大きく伸びをし、居住区の小道を抜ける。
 予想よりも大幅に短い時間で見回りを終えられた。村長の息子とリンゴのおかげだろう。
(何にせよ、病人が少ないならいい村だぜ)
 しみじみ感じ入りながら爽やかな気分で空の下を行く。今晩のエールはさぞ美味いことだろう。まだ昼日中なのが惜しいところだ。
 思わぬ時間ができたので、祭りでにぎわう市場の方でも見に行くか——と足を向けた先に、真っ黒な影が立っていた。
「キミは薬師のアーフェン君だったね」
 髪もローブも黒いものだから、穏やかな日差しの中でひどく目立つ。おまけに極めて整った顔立ちが、その学者の特異性をより一層引き立てていた。
 まっすぐにこちらを見つめる学者へ、アーフェンはうなずく。
「ああ、そうさ。あんたは学者先生だったな」
 名前はサイラス。昨日、宿の食堂でこの村の祭りに関する長話を披露していた男だ。
「キミはもしかして、村の見回りをしていたのかな」
「おうよ、それが旅の薬師の役割ってもんさ」
「なるほど。とても心強いね」
 サイラスは心とろかすような笑みを浮かべる。いかにも女性にもてそうな表情で、それが今はアーフェンだけに向けられている事実に苦笑したくなった。
「アーフェン君。キミの薬師としての腕を見込んで、尋ねたいことがある」
 改まった発言にも、アーフェンは落ち着いて答える。
「なんでも言ってくれよ先生」
「キミはこの薬草を知っているかな」
 差し出したのは細長い葉を持つ野草だ。根には土がついていて、たった今摘んできたばかりのようだった。
 改めてサイラスを見れば、彼はしみひとつない服を平気で土で汚していた。やや驚きつつ、アーフェンは受け取ってよく観察する。すぐに正体は知れた。
「ああ、痛み止めなんかに使われるハーブだな。『獣の血止め』って呼ばれてる。怪我した動物や魔物たちがよく食べてるんだ」
「やはりそうか。これは虫除けとして使われることもあったはずだね?」
 サイラスはさらりと言葉を引き継ぐ。アーフェンは目を丸くした。
「え……そうだけど。もしかして知ってたのか?」
「文献ではね。本物を見たのは初めてだったから、特定する根拠に乏しかったんだ。ありがとう、助かったよ」
 そのままサイラスは回れ右してどこかに行きそうになる。アーフェンは慌てて追いかけ、横に並んだ。晴れた空を映した瞳が、不思議そうにこちらに向けられた。
「なあサイラス先生、俺の用事はちょうど終わったところなんだ。何か用があるなら付き合うぜ」
「そうだね……ならば、少し手伝ってもらおうかな」
 サイラスは大股で歩きながら、いかにも高価そうなハンカチに無造作に薬草を包む。
 今のハーブについての質問は結局何だったのだろう。アトラスダムの学者であれば深遠な意図がありそうだが——と頭の隅で考えながら、別の話題を振った。
「で、どこ行くんだ?」
「市場へ。トレサ君に頼んでいた仕事がそろそろ終わった頃だろう」
 そりゃあちょうどいい、とアーフェンはうなずく。たまたま同じ場所が目的地だったのだ。
(もしかすると、テリオンも市場にいるかもな)
 宿で朝すれ違った時は何も言わなかったが、そんな予感がした。テリオンは無愛想なくせに、ああいう人通りの多い場所を好んで散策する。短いような長いような付き合いの中で、アーフェンは仲間の趣味嗜好をだんだん把握してきていた。
 住居が密集した区画を抜けて、露店の並ぶ通りに出る。思ったよりも通行人で混雑していた。もしや薬学に関する本もあるのか、とアーフェンは目移りしそうになる。サイラスは学者だからなおさら誘惑が多いだろうに、まっすぐ奥に向かって歩いていく。
 やがて広場にたどり着く。こちらは市場と違って閑散としていた。何人か集まって仮設の舞台を解体している。
「ここは?」
「本の競り会場だ。すでに催しは終わったようだね」
 当然トレサの姿はどこにもない。
「宿に帰ったんじゃねえか?」
「うむ……。失礼、ちょっといいかな」
 言葉の後半は、会場の片付けをしている運営側と思しき男に向けられたものだ。男は「なんだあんたは」と胡散臭そうに見返してくる。
「競りは終わったのだね? トレサという名の少女が本を競り落としたかどうか、教えてほしいのだが」
「え? ……ああ、あの背の低い女の子。食べ物に関する本を買ってたよ」
「タイトルは?」
「そこまでは知らないよ」
「そうか、手間を取らせたね。ありがとう」
 サイラスはうなずき、去り際に「それと」と付け加える。
「その服は洗った方がいいだろう。匂いが染み付いているよ」
「……あんた、一体」ぽかんとした様子を一変させ、男は顔を険しくした。
「では失礼」
 サイラスはローブの裾を翻して戻ってくる。やりとりを眺めていたアーフェンは始終ハラハラしていた。
「よ、良かったのか? さっきの人」まだこちらを睨んでいるのだが。
「うん? キミが気にすることはないよ」
 いや、あんたが気にするべきなんだって。
 出会ったばかりで遠慮があるためとてもそんなことは口に出せず、アーフェンは唇を引き結ぶ。
 サイラスは他人の視線などどこ吹く風で、広場に背を向けた。
「今の話は嘘だろうね」
「へ?」
「私が頼んだのは薬草に関する本だ。トレサ君が間違うはずがない。さて、何故彼は嘘などついたのだろうか」
 学者はすらすら話しながらあごに片手をあてる。その瞳には明らかに好奇心の火が灯っていた。
「謎は、解き明かさなくてはならない」
「……お、おう」
 サイラスがなんだか子供のように顔を輝かせているので、アーフェンは反応に困った。
(この人、偉い学者先生なんだよな……?)
 冷静で落ち着いている頭のいい大人、という第一印象を塗り替えるような行動と言動ばかり見せつけてくる。こんなに掴みどころのない人と出会うのは初めてだった。
 サイラスはこちらの困惑にまるで気づかず、話を続けた。
「それにあの匂い……キミは感じなかったかな」
「匂いって?」
「先ほど広場の彼から漂っていたものだ」
 少し離れた場所にいたため、アーフェンには分からなかった。かぶりを振ると、サイラスは「そうか」とうなずく。
「とにかく、トレサ君は競り落とした本を持ってここを離れたようだね。探しに行かないと」
 年少の商人の行方は確かに気になる。ここまで来たらアーフェンもとことん付き合うつもりだ。
 広場から再び露店市場のある通りに戻る。歩きながらサイラスがちらと脇に目を走らせた。つられて視線を流せば、書物の並ぶ間にリンゴの果汁を売る屋台が混ざっていた。
「そういえば、リンゴには匂いを消す効能があるそうだね」これはアーフェンに薬師としての意見を求めているのだろう。
「ああ、匂いの強いもんを食べた後なんかによく効くんだ。おまけに『薬師いらず』って言われるくらい滋養があるときた。まったく、恵まれた村だよなあ」
 おいしい果物に、市場にあふれる本に、祭りの主催者である腕のいい薬師。三拍子そろって村の豊かさを維持している。
「そうだね」
 その返答はどこか硬質な響きを持っていた。こういう話題には手放しで飛びつきそうなのに、とアーフェンは疑問を抱く。もしや、先ほどの匂いが云々という発言と何か関係があるのだろうか。
 サイラスは筆で描いたように整った眉を少し下げ、立ち止まった。
「ところで、アーフェン君は気づいているかな」
「へ? 何に?」
「これだよ」
 示したのは道の上。そこにきらりと光る何かが落ちている。サイラスが拾い上げてよく観察した。どうやらガラスの破片のようだった。
(ただのゴミ……だよな?)
 次いで彼は背後を指差した。確かに、今まで歩いてきた道にはぽつりぽつりと同じ輝きが残っていた。
「おそらく、誰かが歩きながら落としたんだ。私のような者が後を追いかけられるようにね」
 こちらに続いているようだ、とサイラスは露店の間に伸びる路地を見つけ、躊躇なく入っていった。
「ちょ、ちょっと!」
 アーフェンがついてくることを前提としたような動きで、少し目を離したらあっという間に置いていかれそうだ。
 幸いにも、サイラスは路地の途中で立ち止まっていた。
「おや、ここで道しるべが途切れているね」
 彼は最後の破片をつまみ上げた。
「先生、このガラスがどうかしたのか?」
「少し気になることがあるんだ」
 サイラスは質の良いローブの裾が地面につくのも厭わず、膝をついて隅々まで調べはじめた。土の跡や建物の外壁などを丹念にチェックする。
「ここは少し前に掃除されたようだ」
「掃除?」
「証拠が消された、とも言うね」
「な、なんの証拠だよ」
 突然不穏な単語が出てきたものだからアーフェンはうろたえてしまった。知らぬうちに妙な方向に事態が転がっている。
 サイラスは答えず、「念入りな掃除だが見落としがあったらしい」と木箱の裏から何かを拾い上げる。
「それって……本か?」
 黒っぽい表紙は外れかけている。はっきり言ってボロボロの見た目だった。ずいぶん前から打ち捨てられていたものでは——と考えた時、表紙に記された「薬草栽培の手引き」というタイトルに気づく。
「おおっもしかして!」
「トレサ君が購入したものだろうね」
 それがどうしてこんな場所に? 疑問だらけのアーフェンを置いて、サイラスは表紙の留め具を外し、ページを開く。きっと中身も相当な古紙なのだろう、という予想を大きく裏切るものが姿を現した。
「なんだよこれ……」
 分厚いページの真ん中が矩形に切り取られ、その中が一面の緑で埋まっている。本の中に隠されていたのは、何かの葉のようだった。
「なるほどね。こういう仕掛けになっていたのか」
 納得するサイラスとは対照的に、アーフェンはまるで話についていけない。そんな彼にヒントを出すかのように、
「アーフェン君。この形の葉を持つ植物に、キミも心あたりがあるだろう。それも『獣の血止め』のようなハーブで虫除けをして育てる必要があるものだ」
「え? えっと……」
 唐突に問答がはじまった。まごつきながらも脳内のメモを素早くめくり、やがてアーフェンは息を呑む。サイラスの言わんとしていることが分かってしまったのだ。
 光の差さない狭い路地で、青い瞳が強い輝きを放った。
「この葉を乾燥させれば、幻覚を引き起こす効果と強い常習性を持つ薬となる。『一夜の幻』と呼ばれる薬草だ」
 故郷のリバーランドには自生しない薬草で、アーフェンも噂で聞いたことがあるだけだ。今後も関わることはないはずだった。何故なら、裏社会で流通するいわくつきの薬草だからだ。
 落ち着き払ったサイラスとは真逆に、アーフェンの混乱は一層激しくなる。
「どういうことだよ先生、そんなもんがどうして本の中に」
「おそらく本の競りに混ざり、密かに取り引きを行っていたのだろう。間違いなくこの薬草は村の近くで育てられている」
 サイラスは断定した。もしや彼には全ての流れが見えているのではないか、とすら思えてしまう。
「ここにこの本が残されているということは——トレサ君に何かあったと考えるべきだろうね」
 目を伏せたサイラスの横顔にわずかに影が差す。にじんだ感情は悔恨のようだった。
「それってまずいんじゃねえか。どうするんだよ先生」
 焦るアーフェンに対し、サイラスはあくまで冷静だった。
「トレサ君は偶然取り引きに巻き込まれただけだ。疑いが晴れれば危険は薄れるだろう。とはいえ、急いで居場所を見つける必要があるね」一旦言葉を区切り、最後に「それに、おそらくトレサ君には『彼』がついている」と付け加える。
「彼」って誰だ、とアーフェンが首をひねっている間に、サイラスはさっさときびすを返した。
「って先生、俺を置いてくのかよ!」
 路地から出ようとする黒い背を慌てて追いかけた。本日二度目だ。
「ここから先は危険になるよ」サイラスはあまつさえそう言ってアーフェンを諦めさせようとする。
「どこに行くかは知らねえけどよ、そんな場所に一人で行ったら余計に危険だろ?」
 何しろこの学者は見るからに非力だ。頭が良くて口も回るけれど、それが封じられたらどうなることか。どんどん心配がこみ上げてくる。
「俺、腕っぷしには結構自信があるんだ。それにほら、もしトレサが怪我してても薬師がいれば安心だろ」
「ふむ、確かに。ありがとうアーフェン君。キミのような薬師と出会えて私は幸運だよ」
 衒いなく向けられるやわらかい視線に、アーフェンは若干照れてしまう。臀部がむずむずしてきた。
「あー、えっと、早く行こうぜ。先生にはあてがあるんだろ?」
「あてがあるのは私ではないよ」
 不思議な返事の意味はすぐに判明することになる。



 その洞窟は村からほど近い森の中に、ひっそりと隠れていた。
「ありがとうハーゲン、助かったよ」
 サイラスは小声で感謝を告げ、ここまで案内してくれたダイアーウルフの背をなでる。この狼は狩人ハンイットの仲間なのだという。
 トレサを探すため、村の外に出たサイラスはすぐにハーゲンを呼び寄せて「一夜の幻」を嗅がせた。薬草の取り引きに巻き込まれたのなら、彼女はその匂いの先にいるはずだと推理したのだ。心得た狼は鋭い嗅覚を発揮し、木々の間を抜けてこの洞窟を見つけた。
 サイラスが何ごとかつぶやくと、狼は一目散に駆けていった。きっと「もう大丈夫だ」と告げたのだろう。
「ここにトレサを連れてったやつがいるのか……」
 アーフェンはごくりと喉を鳴らす。周囲には草を踏み荒らした跡があり、つい最近誰かが出入りしたことを伺わせた。
「村の中で込み入った話をするのはリスクが高いからね。人気のない場所に移動するのは理にかなっている」
 サイラスはほとんど冷淡と思えるほど平静を貫いていた。
(なんでこんなに落ち着いてられるんだ?)
 アーフェンは不思議で仕方なかった。何気なくその横顔をそっと覗き見て、どきりとする。洞窟に向けられた涼しい目元は、いつになく険しく細められていた。
(……いや、この人だって焦ってるんだ)
 当然だろう。自分の判断でトレサを単独行動させた末、このような事態になった。責任を感じないはずがない。村の探索中、アーフェンに構わず先を急いだのはそのあらわれだった。
 それでもサイラスは年下の自分に心配をかけまいと、あくまで冷静にふるまっている。そう考えたアーフェンは、彼を見習い心を鎮めることにした。
 サイラスはローブを翻し、軽く首をかしげた。
「しかし、何故洞窟の中なのだろう? 人目を忍ぶにはうってつけだが、薬草を育てる環境に適しているとは言えないな」
 おとがいをつまんで何やら考えはじめる。のんきとも形容できる仕草を見て、アーフェンは考えを改めた。これは多分、焦燥を隠そうとしているわけではなく——素でやっているのだ。
「先生、今はとりあえずトレサを……」
 アーフェンは控えめに声をかけた。だんだんこの学者の扱い方が分かってきた。
「うん。まずはよく様子をうかがおうか」
 二人は両側にわかれて入り口の岩壁に張り付き、中を覗く。が、暗くてよく分からない。
 サイラスが唇の上にそっと人差し指を立てた。よく耳を澄ませということらしい。
 木立の天井から降り注ぐ葉擦れの音にまじって、洞窟内からいくつかの声が反響してくる。
「ちょっと、なんであたしがこんな目に合わなくちゃいけないのよ!」
「……おとなしくしておいた方が良さそうだぞ」
 前者の元気な声はトレサ、そして後者のぼそぼそした声は——テリオンだ。
 アーフェンははっとした。経緯は不明だが、二人が中にいる!
「そのとおりだ。では、黒曜会のことを洗いざらい吐いてもらおうか」
 今度は知らない声だ。テリオンたちが誰かとやりとりしているらしい。まず間違いなく二人をこんな場所まで連れてきた張本人だろう。
 思わず飛び出そうとしたアーフェンは、いつの間にかそばにいたサイラスに制止される。
「私が先に入って注意を引きつける。キミはトレサ君たちを頼むよ」
 返事をする暇も与えず、サイラスは堂々と靴音を響かせて洞窟に突入していった。
(……だ、大丈夫なのか?)
 アーフェンは途端に不安に陥った。勝算がある上での行動だと信じたいが。
 しばらくして、洞窟の中からは三者三様の驚きの声とともに「やはりここで薬草を育てていたんだね」というサイラスのよく通る声が響いた。外まで聞こえるよう、わざと大きな声を出しているようだ。
 すぐに戦闘がはじまる気配はない。学者の声を耳に入れながら、アーフェンはそろりそろりと洞窟内部へ移動しはじめた。
 入り口から続く細い道を抜けると、半球形の広い部屋に出る。洞窟なのに明るいのは、天井に穴が空いているからだ。日の差し込むその真下に、サイラスの推理通り「一夜の幻」と「獣の血止め」がすくすく育っている。闇の取り引きに利用されている原料だ。
 アーフェンは息を潜めて細道でかがんだ。まずは内部の位置関係を把握する。
 サイラスはこちらに背を向け、自らの推理を朗々と語っていた。彼と対峙するのは村人らしき男が三人、剣を構えてはいるがいきなり現れたサイラスに呆気にとられているようだ。トレサとテリオンは縄をかけられて男たちの後ろに座っていた。
 洞窟の壁沿いには、薬草栽培に使う道具や木箱が雑然と積まれている。あの遮蔽物を駆使すれば、なんとか隠れたままテリオンたちのところまで辿り着けそうだ。アーフェンの潜む入り口からうまく男たちの視線がそれたら良いのだが——
「その薬草は『一夜の幻』だね。栽培が難しい品種だというのに、よく育てたものだ」
 サイラスがいいタイミングで話を運び、薬草畑の方へと犯人たちの目を向けさせる。
 今だ、とアーフェンは壁伝いに移動した。
「助けに来たぜ、二人とも」
 小声で声をかけると「あ、薬師の人だ」とトレサが顔を輝かせた。もちろん声のトーンは抑えている。思ったよりずっと元気そうにしていた。薬草採取用に持ち歩いているナイフで縄を切れば、彼女は「ありがとう」とはにかんだ。
 続いてテリオンの方に取り掛かろうとしたら、その前に彼が動いてぱらりと縄が解ける。どういうわけか、すでに外していたらしい。
 テリオンは白銀の髪から覗く片目を光らせた。
「何故ここが分かった?」
 当然のように感謝の言葉はない。アーフェンもすでに慣れているので、「テリオンはそういうやつだ」と再認識するだけである。
「それはだな——サイラス先生の話を聞いてくれ」
 アーフェンは丸投げした。彼だって全てを理解できているわけではないのだ。
 反撃に転じるべき瞬間はまだ少し先だった。再び木箱の裏に隠れ、斧を取り出す。テリオンたちも、まるで縄がかけられたままかのようにおとなしく座っている。
 この場を支配しているのはやはりサイラスだ。彼は平素と変わらぬ調子で謳い上げるように言葉を紡ぐ。
「キミたちはこの洞窟で薬草を育て、金銭と引き換えに何者かに提供していた。しかし最近相手と何らかのトラブルが生じたため、今回に限って他人の目がある場所——すなわち競りの場での取り引きを持ちかけたのだろう。まわりの興味を惹かないような見た目の書物に偽装してまで、ね。
 そのせいで、『薬草栽培の手引き』を競り落としたトレサ君を、トラブルを起こしていた相手の組織の一員であると勘違いしたのだね」
「勘違いだと……?」
 三人の中でも一番若く、上背のある男が眉間にしわを寄せた。
「さっきから何度も言ってるじゃない!」
 トレサが怒りをあらわにした。あんまり暴れて注目を集められると困るな、とアーフェンはひやひやする。
「私たちはその組織とは完全に無関係だよ」
 サイラスが諭すように言うと、相手は顔を見合わせる。
「それなら……お前たちはどうやってここまで来たんだ!」
「手がかりは十分にあったよ。一番は、この本が村に残っていたおかげさ」
 村の路地で拾った黒い本を掲げる。
「それは確かに回収したはず——」男の一人がはっとして自分の懐から本を取り出し、表題を見て愕然とする。「違う本だ……すり替えられてたんだ」
 何故かサイラスは意味ありげにトレサの隣の青年へ視線を投げる。テリオンはマフラーに顔を隠すように下を向いた。
「え、え、どういうこと?」
 トレサは終始目を丸くしていた。話の流れを把握しきれていないのは、アーフェンだけではないらしい。
 サイラスは丁寧に本をしまい、首謀者と思しき男にまっすぐ目を向けた。
「先ほども言ったとおり、『一夜の幻』は扱いが難しい植物だ。これだけの量を育て上げる技術があるということは、キミは相当な腕を持つ薬師なのだろうね」
 その一言で、アーフェンの脳裏に稲妻が走る。相当な腕を持つ薬師——まさか。
(こいつがあのじいさんが言ってたリンゴ園の息子か!)
 つまり、本祭りの主催者だ。アーフェンは物陰で斧を握りしめた。
(薬師の腕をこんなことに悪用するなんて……許せねえ)
「そうよ。あたしたちはそいつのつくった薬で眠らされたの!」
 トレサが威勢よく声を上げると、首謀者の男は歯を食いしばって、低くうなる。
「言いたいことは、それだけか?」
 一気に空気が冷え切る。全員が臨戦態勢に入った。
「いいや。まだまだ語り尽くせないよ」
 底知れない笑みさえ浮かべ、サイラスが首を振る。その瞬間、テリオンが弾かれたように飛び出した。
 完全に不意をつかれ、遅れて反応した取り巻きがなんとか短剣の一撃を受け止める。高く澄んだ音が洞窟内に響き渡った。
 同時にアーフェンも物陰を出て、振り返ったサイラスにトレサを引き合わせる。
「二人とも解放しといたぜ!」
 学者はほおをほころばせてうなずいた。
「じゃ、俺はテリオンの方に行ってくる」「頼んだよ」
 アーフェンは走り出す。背後でトレサがサイラスに駆け寄った。
「先生!」
「無事だったかい、トレサ君。危険な目に合わせてすまなかったね」
「先生のせいじゃないわ。怪我もしてないし。でもあたし、武器とられちゃって……テリオンさんはどこにしまってたんだろう?」
「それを考えるのは後だ。キミは風で支援を頼むよ」
「はい!」
 アーフェンはそのやりとりを背中で聞きながら、テリオンの加勢に入る。短剣を自在に操る彼も、さすがに三対一では厳しいところだ。テリオンはこちらを一瞥し、無言のまま戦闘に戻った。
「幸運の風よ、吹き荒れろ!」
 出し抜けにトレサが高らかに叫ぶ。そこに「氷よ」というサイラスの声が続く。冷気をまとった風が洞窟内を走り、アーフェンは思わず足を止めた。
 魔法の風の狙いは、争い合う人間たちではない。光を浴びて天に葉を伸ばす薬草畑であった。緑の絨毯は鋭い冷風を浴びてたちまち凍りつき、葉を散らす。
「こ、この……っ!」
 恨みのこもったまなざしがサイラスに突き刺さる。彼は涼しい顔で魔導書らしきものを広げた。
「魔法か、すげえなこりゃ」
 斧を振り抜き、一旦引き下がったアーフェンは感嘆の声を出す。この規模の魔法にはお目にかかったことがなかった。
 丁々発止の打ち合いからこちらも反転、テリオンがステップで相手と距離を取る。アーフェンと背を合わせ、珍しく会話をつなげた。
「あれに巻き込まれたらひとたまりもないぞ」
「へえ、あんたは巻き込まれたことあんのかよ」
 テリオンは失言に気づいたかのように押し黙り、再び敵に向かっていく。心当たりがあるのだろう。こんな時なのにアーフェンは笑いそうになった。
 が、すぐにそれどころではなくなる。
 振り下ろされた首謀者の剣を武器の柄で受け止めれば、じんと腕がしびれる。直後に横合いから襲いかかる武器をなんとかかわした。内心冷や汗を拭う。
(こいつら、様子が変だ……!)
 目は血走っているのは怒りのせいだけだろうか。異様に力が強く、動きも素早い。あのテリオンも苦戦しているようだ。
 背後でサイラスが息を漏らす。
「やはり薬の作用か」
「どういうことなの、先生」
「あの薬草は幻覚だけではなく、恐怖心や痛覚の麻痺を引き起こすのだよ」
「ってことはあいつら、自分で育てた薬を使って強くなってるってこと?」
「そうだね」
 テリオンが思いっきり舌打ちしたのは、薬の厄介さに加え、のほほんと会話している二人への苛立ちからだろう。とはいえ、サイラスとトレサは敵味方入り乱れる洞窟内でやたらと魔法を使うわけにもいかない。四人はだんだん押されてきた。
「外に出るぞ」
 テリオンの判断に「おう」と短く返し、相手を誘導すべく入り口に足を向けるが——
「おっと、そういうわけにはいかないな」
 入り口の方から別の足音が聞こえてきて、アーフェンはたたらを踏む。
 増援だった。新たに二人。しかもその顔には見覚えがある。
(広場で片付けしてたやつらじゃねえか!)
 サイラスに服の匂いを指摘され、こちらを睨みつけてきた運営側の男たちである。もしや、広場でのサイラスの発言を気にして、ここまで追いかけてきたのだろうか。
 トレサはサイラスの後ろにかばわれつつ、悔しげに言った。
「お祭りの運営側はみんなグルだったのね。だから服に薬草の匂いが染み付いていたんだわ。競りの最中も匂ってたもの」
「ああ。それを隠すため、匂い消しの効果があるリンゴを利用していたのだろう」
「せっかくの特産品をそんな使い方するなんて……もっといいことに活用してよね!」
 トレサの意見はもっともだが、今は「そんなこと言ってる場合か……?」というテリオンの抑えた声に賛意を示したい。
 そう、状況は悪化の一途をたどっていた。入り口は増援たちによって完全に塞がれてしまう。おまけにそちらにはサイラスたち非戦闘員が固まっていた。
「余計なことしてくれやがって。もう終わりだ!」
 サイラスは自分に突きつけられた剣をじっと見つめ、
「終わり、か。そうだね、キミたちはもう商売をたたむべきだ」
 冷静に説教をはじめる彼に、アーフェンは頭を抱えたくなる。追い詰められているはずなのにこの余裕は何なのだろう。
 その時、短剣を構え首謀者たちを牽制するテリオンが、ぴくりと肩を揺らした。
「……何か来た」
 変化は一瞬だった。「それ」は増援の背後から突然現れ、矢のように男たちに飛びついた。
「なんだこいつら!?」
 真っ白な毛皮を持った雪豹。それに狼のハーゲンだ!
 すかさずサイラスがトレサの手を取り、壁際に避難する。洞窟の入り口からは、立て続けに白い糸のようなものが投げつけられた。こちらにも降ってきたのでアーフェンは慌てて避ける。増援の二人は魔物の相手をしていて回避が間に合わず、あっという間に糸に絡め取られた。
 軽快な足音とともに、新たな侵入者が姿を現した。
「なるほど、ハーゲンが知らせに来たのはこのことか」
 弓を構えた女性——狩人のハンイットだった。彼女は一瞬で状況を理解すると、緑の瞳を鋭くサイラスに向けて、
「あとで説明してもらえるんだろうな?」
「もちろん」
「ならば……行けリンデ、ハーゲン!」
 アーフェンとテリオンが空けた道を魔物が通り抜ける。犯人の三人は泡を食って武器を振り回しはじめた。
 サイラスは矢をつがえる狩人へ、
「ハンイット君、雷鳥を呼んでくれないか」
「何?」
「彼らもそろそろ幻から覚める時間だ」
「何を言っているかよく分からないが……」ハンイットはひとつうなずき、詠唱に入る。「友なるいかづちよ!」
 開いた天井からよく制御された雷が降り注ぐ。「きゃーっ」トレサが耳を塞ぎながら悲鳴を上げた。鳴動、そして閃光。一瞬視界が白く染まる。
 呼ばれた雷鳥の威力は相手を倒すには至らない。しかし、空気中を走り抜けた衝撃は洞窟内に満ちる澱んだ空気を一掃した。アーフェンは心のどこかが目覚めたような気持ちになった。
「さあみんな、集中していこう!」
 サイラスの号令を受けて、我に返った魔物たちと狩人、それにアーフェンとテリオンが一気に攻勢を仕掛ける。
 数において上回ってしまえば、あっけなく戦況は逆転した。相手も気力が萎えたのか抵抗は弱まり、取り巻きの二人は自ら武器を手放す。無力化した相手はトレサが自らを縛っていたロープを使い、拘束した。妙に手慣れた動作だった。
 最後に残ったのは首謀者の男だった。
「く、来るな……これを使うぞ!?」
 彼は後ずさりしながら赤銅色の精霊石を高く掲げる。それも、めったに見られない大きさだ。
 大事に育てた薬草は散り、味方は全員抵抗をやめた。進退窮まった首謀者はやけになり、洞窟もろとも吹き飛ばすつもりらしい。
 さすがにこんな場所で精霊石の一撃を喰らえばひとたまりもない。牽制は十分な効果を発揮し、アーフェンたちは動きを止めた。魔物たちもハンイットの指示で一旦下がる。
「はは……いい気味だな」
 勝ち誇るように笑う男に、アーフェンは焼け付くような怒りを覚えた。斧を握る手が震える。
「あんた、薬師だろ。村の人たちにもあんだけ慕われてるのに、なんでこんなことしてんだよ……!」
 男は髪を振り乱す。
「うるさい。私は村を発展させようとしたまでだ。それの何が悪い!」
「手段が悪いって言ってるのよ!」
 トレサの容赦ない反論に、男は声を詰まらせる。
 理知的な青を静かに瞬かせ、サイラスが一歩前に出た。
「もしキミが父親の心配をしているのなら、そちらはもう大丈夫だ。ハンイット君たちが片付けてくれたよ」
 ハンイットは目を見開き、黒いローブの背を注視した。リンゴ園で何かあったのだろうか。
「投降するならこれ以上危害は加えない。武器を下ろすんだ」
 サイラスはさらに一歩踏み出す。いや、一歩どころかどんどん男に近づいていく。
「先生、危ないっ!」
 トレサが叫んだ。男が腕を振りかぶったのだ。投げつけられたのは精霊石——ではなかった。反対の手に隠し持っていた瓶だ。地面に落ちて砕け、そこから黒い煙がもうもうと立ち上る。
(しまった、暗闇の瓶詰か!)
 視界を暗闇に導く煙が洞窟内に満ちていく。とっさに目をつむったのでアーフェンは被害を免れたが、近づいていたサイラスは避けようもなかったはずだ。
 精霊石はハッタリだった。相手はこの隙に逃げるつもりなのだ。追いかけようにも、まぶたを開ければ視界を奪われる。それでもアーフェンが闇雲に移動しようとした時——
「伏せろ!」
 突然テリオンが叫び、アーフェンは服を掴まれて地面に引き倒された。「トレサ!」こちらはハンイットの声だ。
 抗議する暇もなく異変を悟った。ぱちぱちと空気が音を立てる。それは雷撃のエレメントを宿した魔力が弾ける音だと、後で知った。
「雷鳴よ、轟き響け!」
 サイラスの涼やかな詠唱とともに雷鳴が駆け抜けた。ハンイットの雷鳥とは比べものにならないレベルの轟音が走る。それも二度。平原を渡って村まで響いたのではないかと思えるほどだ。
 びりびりと鼓膜が震え、肌が粟立つ。テリオンがとっさに動かなければ、雷に当たるのはアーフェンだったかもしれない。
「……もう大丈夫だよ」
 サイラスの穏やかな台詞を聞いて、恐る恐る目を開けた。
 煙が晴れたおかげで洞窟内の惨状がよく分かった。雷撃を受けた地面は大きくえぐれ、近くに首謀者の男が倒れている。直撃は免れたが気絶しているようだ。
 サイラスはこちらに黒いローブの背を向けている。そのまま一向に振り向かないので、どうしたのかとアーフェンが横から回り込むと、彼は片手で目元を押さえていた。
「だ、大丈夫か!?」
「ああ。少し目がかすむかな」
 やはり暗闇にとらわれていたのだ。その状態で大魔法を放つなんて、彼の度胸はどうなっているのだろう。
「待ってろ、今治療すっから」
 すぐさま鞄を探る。幸い手持ちの薬で治療ができた。
 視界を取り戻したサイラスは、気を失った男のそばにしゃがみこみ、懐をあさりはじめた。
「……ああ、あった」
 一冊の本を取り出し、ページをめくって一人で納得している。盗みと呼ぶにはあまりにも堂々としており、とても口を挟めなかった。
 サイラスを除いた四人は、戦闘時の緊張がまだ続いているかのような不思議な感覚を味わっていた。そんな中、一番最初に調子を取り戻したのはトレサだった。
「もー、先生ひどいわよ。あたしが雷苦手だって知ってて、こんな……」
 じわりと涙目になる。無理もない、先ほどの魔法はたとえ雷が苦手でなくてもすくみ上がるほどだった。
 サイラスは奪った本をしまいこみ、申し訳なさそうに眉を下げた。
「いや、すまない。とにかく彼を逃さないよう考えた結果なのだが」
「明らかにやりすぎだろう……」
 大きなため息をついたハンイットには、「そうだろうか?」というとぼけた返答が戻ってくる。
 トレサはなおも恨めしそうに学者を見つめていたが、無駄だと悟ったのかもう一人の仲間に意識を向けた。
「あ、そうだ。ハンイットさん、助けに来てくれてありがとう!」
「いや、全員無事のようで良かった」
 ハンイットはぽんぽんと彼女の頭をなでてやり、続けて魔物たちにも同じようにしてやると、「あたしはペットじゃないのに!」とトレサがむくれる。緊迫した状況から一転、ほのぼのしたやりとりだった。アーフェンは気の抜けた笑いを漏らし、テリオンは静かに武器をしまった。
「彼らはあとで衛兵に引き渡そう」
 そう言い放つサイラスに、自然と全員の視線が集中する。
(結局、この人がほとんど話を動かしてたな……)
 この半日ほど付き合ってみて、アーフェンはますますこの学者がどういう人物なのか分からなくなった。
 それでも、サイラスの知識と機転によって込み入った状況が解決したのは事実だろう。そこに関しては素直に「すげえ人がいるもんだな」という尊敬の念がこみ上げる。
 ものいいたげな視線を感じ取ったのか、サイラスはハンイットに向き直る。
「リンゴ園の盗難事件は魔物ではなく、人間の仕業だったのだね?」
 ハンイットは眉をひそめた。
「……知っていたのか?」
「いいや。手持ちの情報から推測しただけだよ」
「まったくあなたは……言いたいことは山ほどあるが、くわしい話はみんなと合流してからにしよう。全員に対して説明を頼む」
「分かったよ」
 トレサは「それなら今は質問しないことにするわね」と言い、離れた場所に一人で佇む青年に歩み寄った。
「テリオンさん、今日はありがとう」
 礼を告げられた相手はマフラーを引き上げて表情を隠す。アーフェンは思わず横から口を出した。
「なあ、もしかして二人は今日一緒に行動してたのか?」
「うん。競りの時からずっと、あたしを助けてくれたの!」
「おいおい……マジかよ」とひとりごちる。単独行動を好むあのテリオンが、まさかそんなことをするなんて思いもしなかった。それなりの期間を共に旅してきたアーフェンだって、酒を口実にやっと一杯分の付き合いを確保できるくらいなのに。
 ショックを受けているアーフェンの横で、サイラスが黒い表紙の本——村の路地で拾ったものだ——を示しながらテリオンに声をかける。
「そうそう、キミがこの本を村に残してくれなかったら、私たちはここまでたどり着けなかったんだ。素晴らしい判断力だね」
 ハーゲンが匂いをたどる手がかりとなったあの本が現場にあったのは、テリオンの働きによるものだ、とサイラスは告げていた。「え、本当か?」とアーフェンが尋ねれば、テリオンは不機嫌そうに唇を閉じた。
「あっその本。なんで先生が持ってるんですか?」
 トレサは本を受け取り、表紙をめくって「何これ」と顔をしかめる。中身までは確かめていなかったらしい。
「村の路地に捨て置かれていたんだよ」
「えーっ?」
 トレサが目を丸くしてテリオンを見やるが、
「……帰る」露骨に視線を避けられた。
 ううむ、とサイラスはあごに手をあてた。
「彼の言う通りだ。みんな疲れただろう、衛兵を呼んで宿に戻ろうか。
 そうだ、みんなを巻き込んでしまったお詫びと、手伝ってくれたお礼として、今晩は私が奢るよ。良ければアーフェン君たちも招待されてくれないかな」
 それは望外の申し出だった。
「もちろんさ!」
 アーフェンは胸を叩いた。こういう日は酒場でぱーっと盛り上がって、ベッドでよく眠るに限る。サイラスによる説明とやらもじっくり拝聴したいところだ。
「テリオンも来るよな」
 帰ると言いつつその場に留まっていた彼は、たっぷり数秒沈黙してから「仕方ない」と首を振った。
 そう答えると思った。テリオンは相当な酒好きだから、この話に釣られないはずがない。
「やった、ご飯だ!」「ずいぶん気前のいいことだな」女性二人も満足げに提案を受け入れている。
 食卓を囲むメンバーにトレサがいれば、競りの場でのテリオンの行動について語る場面もあるだろう。ハンイットたちのリンゴ園での一幕だって気になる。今夜かわされる会話は、たまたまこの村に集った八人をより強く結びつけるものになるはずだ。
 アーフェンはすでに、ただ居合わせた旅人以上のものをサイラスたちに対して感じているのだった。

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