第一章 月の呪い

Side Star 1

 遠ざかっていく青い光に、手を伸ばした。
 何故離れていくのか、どこへ行ってしまうのか。疑問には答えてくれない。
「行くな」と手を伸ばすのは無駄なことだろうか。何も掴もうとしてこなかった自分が、今になって誰かがいないと寂しいだなんて――
 左手首に巻かれた紐が揺れる。青い光が空に吸い込まれていく。
 リンクは目を見開いた。
 視界いっぱいに巨大な月が浮かんでいた。高い鼻とぎょろりとした二つの眼、歯の生えそろった口までついている。顔のある月は、それこそ手を伸ばせば届きそうな位置にあった。
 去っていったはずの青い光は、逆にどんどん大きくなり――落下してきて、リンクの手をすり抜け床にぶつかった。
『ああもう、何やってんのよ!』
 焦ったような叫びが鼓膜を刺激する。リンクは自分の腕を確認した。見慣れない短い手は、かさかさの木肌に覆われていた。それは二足歩行の植物・デクナッツ族特有のものだ。
 床に落ちたのは青い光――ではなく、オカリナという笛だった。そっと拾い上げる。
 そのオカリナは、月を従えるように浮かぶ小鬼の手から取り戻したものだ。森に迷った子どもの成れの果て、スタルキッドと呼ばれる小鬼は楽器に構わず月を呼ぶ。不気味な顔がどんどん近づいてきた。
 楽器を持ったまま宙をにらむリンクに対し、
『しっかりしてよ、オカリナなんか取り返したって何の役にも立たないわ! 
 あ〜神様時の女神様、誰でもいいからお願い、時間を止めて!』
 白い妖精チャットは空を仰いだ。月が間近に迫り、世界は今にも滅びようとしている。彼らはその真下にある時計塔のてっぺんにいた。
「時の女神……か」
 手の中の笛はある国の秘宝で、「時のオカリナ」という名を冠していた。ふと、リンクの脳裏に少女の声が蘇る。
 ――もし何か起こったら、この歌を思い出して。時の女神はあなたを守っています。
 オカリナの吹き口をくわえようとしたが、デクナッツの体ではどうやっても吹けそうにない。戸惑うリンクの前で、オカリナが光を放った。
『アンタ……その楽器、ラッパ? いつの間に』
 オカリナは形を変え、前よりはるかに質量を増して、デクナッツの背にずしりとのしかかる。ラッパなんて演奏したことがない。音階を変える方法すら分からないが、これならデクナッツの飛び出した口元でも対応できそうだ。
 リンクはラッパに大きく息を吹き込み、体が教える通りに指を動かした。奏でるのは「時の歌」だ。
 単純な三音を繰り返すだけのメロディは、不思議とおごそかな響きを持っている。ラッパの音色は月が迫る轟音にも負けず空を貫いた。
 時の歌が空気に溶けると同時に、体がふっと床に沈むような感覚があった。
 リンクの脳裏に、今日一日で起こった様々な出来事が駆け巡った。とある森の中でスタルキッドに遭遇し、愛馬とオカリナを奪われたこと。このタルミナという場所に迷い込んだこと。刻のカーニバルの準備に浮かれる町、その一方で月への恐怖から避難を図る人々。何故かもぬけの殻だった大妖精の洞窟も、迫る月も、すべてが真っ白な時間の渦に飲まれていく。
 そして――時は「一日目」に巻き戻った。



『ああ、もうだめ! ……あれ?』
 ざわざわという雑踏が耳に入った。まぶたを開くと、そこは明るい朝の町だ。
 年季の入った石畳に覆われた街路に、そびえる石造りの家々。カーニバルのために飾り付けられたクロックタウンは、ここタルミナ地方の中心にある町である。
『……戻ってる』
 妖精チャットは呆然とつぶやく。空を見上げれば、目と鼻の先にあったはずの月がはるか遠くの空に戻っていた。今にも壊れそうになっていた時計塔も元どおりになっている。
 リンクは壁のポスターを確認した。「刻のカーニバルまであと三日」というカウントダウンがついている。
『ど、どういうこと? まさか、時間が戻ったとか……』
「どうやら成功したみたいだな」
 リンクはデクナッツの小さな肩をすくめた。いつの間にか時のオカリナは元のサイズになって手の中におさまっている。
『ええー!?』
 チャットは羽を震わせた。
『アンタ、いったい何者? さっきの曲といい、とりかえした楽器といい……』
 それには答えず、
「ひとまず、お面屋のところに行くぞ」
『え? ああそっか、アンタが盗られた大切な物をとりかえしたら元の姿に戻してくれる、って言ってたわね。
 でも、お面屋の時間も戻っちゃってるんじゃないの』
 リンクは時計塔を正面から見上げた。午前六時。「前回の三日間」でタルミナにたどり着いた時刻と同じだ。
「この時間帯なら、少なくとも一度お面屋と会った後だろう。問題ない」
『むしろ、すぐに戻ってきてびっくりするかもね』
 二人はきびすを返して時計塔の中に入る。
『あっ……大丈夫かしら』
 チャットがぼそっとひとりごちたが、リンクには何のことか分からなかった。
 中は薄暗くひんやりしていて、歯車のついた名称不明の大きなからくりが活動していた。時計を動かすための機構なのだろうが、仕組みは検討もつかない。
 そして、低い天井の下に一人の男が立っている。
 常に笑いがはりついたような顔だ。まるで相手におもねるように揉み手をしている。ひょろりとした体に釣り合わぬ大きな荷物を背負うあたりは商人らしいが、全身からなんとも言えずうさんくさい雰囲気を醸している。
 デクナッツリンクがひょこひょこ近づいていくと、お面屋が口を開く。
「おや。あの小鬼から、アナタの大切な物をとりかえせましたか?」
 リンクがオカリナを見せようとした瞬間、
「よく見るとアナタ、とりもどしてるじゃないですか!」
 このテンションの急変化についていけない。リンクたちは一言も口を挟めなかった。
「ではどうぞ、ワタクシの奏でる曲をその笛で吹いて、覚えてください」
 お面屋はくるりと背を向けると、壁際にあった鍵盤楽器――オルガンの前に座った。
(そんな場所に楽器なんてあったか?)
 とにかくリンクは再びオカリナを構え、ラッパに変化させた。
 お面屋が奏でたのは、意外にも物悲しさをたたえるメロディだった。明朝には必ず日が昇ると分かっていても、夕暮れを見ると無性に寂しくなる――そんな時と同じ気分にさせる曲である。
 このメロディには力が宿っているとリンクは確信した。この世には、時の歌と同じようにそういう曲があるのだ。
 お面屋に続いて曲を吹き終えた彼は、目を見開いた。唐突に、真っ暗な空間に放り込まれていた。そして目の前には小さなデクナッツがいる。どこか見覚えのある顔だ。
「お前、まさか――」
 デクナッツは視線を外すと、リンクに背を向けて歩いていった。闇が晴れていく。
 己の体に無理やり結び付けられていたものが切り離された。そんな解放感があった。
 からんと音がして、リンクの足元にデクナッツの顔をかたどった仮面が落ちる。
『アンタ! 元の姿に戻ってるわよ』
 真っ先に目に入ったのは肌色をした指だ。続いて、馴染んだ服装である緑のチュニックと、揃いの帽子が視界に映る。体が問題なく動くことを確認したリンクは、力を抜いて息を吐く。
 お面屋は笑い顔のままオルガンのふたを閉じた。
「この歌はいやしの歌といって、邪悪な魔力や浮かばれぬ魂をいやし、仮面に変える曲。この先きっとお役に立つと思います」
 床に落ちた仮面を拾い上げ、リンクへ差し出す。
「そうそう、記念にこのデクナッツの仮面も差し上げます。安心してください、魔力は仮面に封じ込めました。かぶると先ほどの姿に乗り移れますが、はずせば元の姿に戻ります」
「あ、ああ……」
 受け取りながら、「お面屋の背負う荷物もそうやって作り出したものか」などと考えてしまい、リンクの背筋はぞくりとする。
「これでアナタとの約束は果たしましたよ。では、約束の物をこちらへ……」
 お面屋は期待のまなざしを向けてきた。リンクは一瞬言葉に詰まって、下を向いた。
「まさかアナタ、ワタクシの仮面をとりかえして……いないとか?」
 言葉尻がどんどん無機質になっていく。冷え切った空気に耐えかねて顔を上げると、鬼のような形相と目が合った。
「なんてことをしてくれたんだ!」
 両肩を掴まれて宙に吊り上げられる。「うわ」一体あの細腕のどこにこんな力があったのか。さしものリンクも圧倒され、チャットは怯えて声もない。
「このままあの仮面をのばなしにしていたら大変なことになる!」
 お面屋はひとしきり怒りを発露させた。すると、落ち着いたのかそこで降ろされた。リンクはなんとか無事に着地する。
 お面屋は器用にも笑い顔のまま困った声を出した。
「実はワタクシの盗まれたあの仮面……ムジュラの仮面といって、太古のとある民族が呪いの儀式で使っていたとされる、伝説の呪物なのです。
 その仮面をかぶった者には、邪悪ですさまじい力が宿ると言い伝えられています。伝説では……ムジュラの仮面がもたらす災いのあまりの大きさに、それを恐れた先人たちが仮面を悪用されないよう、永遠の闇に封じ込めたといいます」
 つまり、そんな仮面をお面屋が持っていた時点で、永遠の封印とやらは失敗だったということだ。まあ封印というものは往々にして破られるものだ、と経験のあるリンクは思う。
「その力がどんなものなのか、伝説に記されたその民族が滅びた今では分かりません。しかし、ワタクシは感じます。苦労して手に入れた伝説の仮面――あれを手にした時感じた、身の毛もよだつまがまがしい力。あれが今、あの小鬼の手にある……」
 お面屋は再びこぶしを握った。
「お願いです! はやくあの仮面を取り返さないと、とんでもないコトがおきます!」
 リンクは苦々しい顔で「あの仮面は必ず取り返す」と断言する。
「頼みましたよ。大丈夫、アナタならきっとムジュラの仮面を取り返せるはず。ワタクシは信じていますよ」
 お面屋は「信じなさい、信じなさい」と繰り返す。聞けば聞くほど信じる気持ちが失せていくような言葉だ。
 リンクはデクナッツの仮面を持って、さっさと外に出た。深くため息をつく。あのお面屋は、はっきり言って苦手だった。
『やっぱりこうなったわねえ』
 どうもチャットは、ムジュラの仮面のことでお面屋に何か言われることを察知していたらしい。うかつだった、とリンクは反省する。
「スタルキッドは、この上か」
 気を取り直して時計塔を見上げる。
『ちょっと、またあそこに行くわけ? さっきも見たでしょ、向こうは宙に浮かんでるのよ。アンタ飛び道具もないじゃない』
 痛いところを突かれた。時のオカリナが手に入ったとはいえそれはただの延命手段で、今のリンクには今すぐスタルキッドとムジュラの仮面をどうこうできる力はない。
 さらに、小鬼に奪われた愛馬の行方も気がかりだ。時計塔にはいなかったから、タルミナのどこかに放されてしまったのだろうか。探さなければならない。
 考え込むリンクに、チャットが助言する。
『アタシの弟、トレイルが言ってたでしょ。沼、山、海、谷――四人の人たちをここに連れてきてって。あれ、多分四界のことだと思うのよ』
「四界?」
 ここタルミナには、クロックタウンを中心として東西南北の「地方」があるとチャットが説明した。南には沼、北には山、西には海、東には谷。それぞれに集落があるそうだ。
『四人の人っていうのが誰のことかは分からなかったけどね。あのコったら、肝心なところがいつも抜けてて――まあとにかく四界に行けば、アタシたちに協力してくれたり、月をやっつけてくれたりする人に会えるんじゃないかしら』
「……お前もついてくる気か」
 リンクは声を低くした。チャットが「アタシたち」と言い、自分と妖精とをひとくくりにしたことに反応したのだ。
『当たり前でしょ。スタルキッドを捕まえるまでは相棒になってあげるって言ったじゃない。早くあんなことやめさせて、弟を助けなきゃ』
 確かに今、リンクとチャットの目的は一致している。タルミナの事情に明るいチャットがいれば助かることも多いだろう。リンクはうなずいた。
「ここからだと、どの地方が一番近いんだ?」
『えっと……どこも同じくらい離れてると思う。あっでも、まずは沼がいいかも』
「なぜだ」
『あそこにはデクナッツの王国があるから。ちょうど変身できる仮面もあるし、何かと便利でしょ』
 例の変身は、別の体に自分の魂を入れ込むようであまりいい心地ではないのだが、やむをえない。
 リンクは沼の方角に一番近い南門を一直線に目指した。時計塔から中央広場を突っ切った先だ。クロックタウンがまわりをぐるりと壁に囲まれた町であることは、前回の三日間ですでに把握している。
『ねえ、町を探索しなくてもいいの? せっかく元の姿に戻ったんだしさ』
「その必要はない」
 冷たく返事をし、朝の支度で忙しく動き回る人々の中を歩く。必要以上に目を合わせないよう、斜め下を向いたまま。
 リンクには、あまりこの町に長くとどまりたくない理由があった。
「これキミ、待ちなさい!」
 南門では町兵が通せんぼするように両手を広げ、行く手を阻んだ。
「この先の沼に何か用かい? 町の外はブッソウだから、キミのような子どもを一人で外に出すわけには――」
 リンクは心底面倒くさそうに、背負った剣の柄に手を置く。兵士ははっとして背筋を伸ばした。
「剣? ……失礼、子どもあつかいして悪かったね。この先は沼のあるウッドフォールだよ、気をつけて」
 剣さえあれば誰でも外に出られる、というわけではないだろう。リンクの持つ気迫が、反論を封じたのだ。
 門番に送り出され、二人はタルミナ平原に一歩踏み出す。
(少し風が湿っている……か?)
 町の南側は見渡す限り緑の平原だ。魔物の数も少なく、平和そうである。町に迫る月には背を向けることになるから、自ずと緊張感も減った。沼の方角には一つ大きな山があって、上に雲がかかっていた。
 ピクニックでもできそうな陽気なのだからのんびりとした足取りで――とはいかず、三日という限られた時間を生かすため、リンクはそれなりのスピードで平原を渡った。
 じわじわと太陽が天頂に近づいていく。こんな時愛馬がいれば、と思いつつ黙々と足を動かすと、遮るもののない平原から徐々に景色が変わり、樹木が増えてきた。そろそろ沼の入り口に差し掛かったあたりだろうか。
『あっ』
 チャットが急に声を上げた。地面に横たわった朽ちた木へ、すうっと近寄る。
『これこれ、懐かしいなあ。初めてスタルキッドと会った時のラクガキよ』
 リンクがつられて顔を寄せれば、木肌にひっかき傷のような落書きがあった。スタルキッド本人らしき人物と、周りに妖精が二匹飛んでいる。拙い線だがよく特徴が捉えられていた。
『ここに初めてトレイルと来た時、アイツは友だちとケンカして一人ぼっちだったって言ってた。そりゃあたしかにイタズラばかりして、みんなから相手にされないけれど……だからといって、あんな恐ろしいことするなんて』
「身の丈に合わない力を持ったからだ」
 空を見上げると、月は明らかにクロックタウンの中心部――時計塔を目指していた。あの月は、小鬼がムジュラの仮面の力を使って呼んでいるのだ。
『ほんと、なんでお面屋なんて襲っちゃったんだろう』
 チャットがぽつりと言う。
 リンクは落書きから興味を失ったようにそっぽを向いて、再び歩き出した。南へ進むに従ってどんどん湿度が上がり、植生が変化していく。その木のすぐ向こうにでも沼がありそうな気配だ。
「沼というものは、湖とは違うんだよな」
『湖より浅いのが沼だったかしら。そうそう、ここの沼地はきれいな水で有名なのよ。観光客も多いって聞くわ』
 自分たちは遊びに来たわけではなく、月を止める手がかりを求めている。そのためにも何か情報がほしい。誰かいないかと注意して歩いたが、観光地という割に人気がなかった。
 それにしても、トレイルの「四人の人」発言はヒントが少なすぎる。沼地に住む人とは誰だろう。デクナッツ王国の誰かが力を貸してくれるのだろうか。
 ふと、リンクは立ち止まった。
(……なんだ、このにおいは)
『なんかイヤな予感がするわ』
 妖精は邪悪な気配に敏感だ。しかしこれだけ分かりやすく垂れ流されていると、リンクにも感じ取れる。
 熱帯雨林というべき木々の間を抜けると、一気に視界が開けた。
「うっ」
 思わず口元を腕で覆った。行く手の地面のほとんどを覆う大きな沼は、見るからに害のある紫色に染まっていた。
「これは毒か」
『毒!? な、なんで?』
 当然、二人では結論が出ない。
 沼のほとりに足場を組み、高い位置に床を設けた家屋を見つけた。看板には「薬屋」と書いてある。兎にも角にも誰かに話を聞こう、とそちらに足を向ける。
 はしごをのぼって扉を開けた。すると、毒のにおいとは別種の薬くささが押し寄せてくる。
 薄暗い室内だ。カウンターの向こう側には白い髪をした老婆が座っていた。こくりこくりと船を漕いでいたが、リンクがドアを閉めた音で目が覚めたようだ。
「ホッホッホ……いらっしゃい」
 ぎょろりと飛び出た両目には奇妙な愛嬌があった。黒いローブと額にかがやく青い宝石という、さながら魔女のような衣装を身にまとっている。
 その店主の顔を見た途端、リンクはぴたりと足を止めた。ひゅっと息を吸い、そのまま無言で出ていく。
「おや、お客さん?」『ちょっとアンタ!』
 焦るチャットを置いて、リンクはその場から逃げ出した。
(あいつ……何故こんなところにいるんだ!?)
 混乱しながらはしごを降りた彼の前に、巨大な影が差した。
 フクロウだ。リンクの身の丈よりも大きな鳥が、羽ばたきながらゆっくりと降りてくる。
「ケ――」
 思わず名前を呼びそうになって、リンクは苦虫を噛み潰したような顔になる。
 薬屋の老婆もこのフクロウも、クロックタウンの人々も。何故かこのタルミナには、リンクの知り合いとよく似た人々がたくさんいる。
 次から次へと何なんだ。どうして、二度と会えない奴らの顔ばかり見ることになるんだ。

inserted by FC2 system