第一章 月の呪い

Side Star 2

『ホーホッホッホ。これはめずらしい。お前は妖精のコじゃな?』
 当然のようにフクロウはくちばしを開き、言葉を発した。リンクは黙って視線を返す。
『こんな毒におかされた沼地に何の用じゃ? 用がないのなら悪いことは言わん、早く人里に戻った方がよいぞ。お前がいるこの沼地は守護神を失い、いずれ消え去る運命じゃ』
 まあ、それは沼地にかぎったことではないが……などとフクロウはべらべら喋り続ける。リンクは質問を挟んだ。
「消え去るとはどういうことだ」
『言葉通りの意味じゃ。いずれは毒が全ての水に回る。誰もこの地では生きていけぬようになるじゃろう』
 他人事のように言うフクロウに、リンクは反発を覚えた。
「ならその前に、デクナッツのいる場所まで連れて行け」
 これだけ大きな鳥ならば、そして今のリンクの体ならば可能なはずだった。状況を打開するには、ちまちま聞き込みをするよりも、デクナッツの王国とやらに行ったほうが早そうである。
『タダでは聞けぬのう』
 フクロウの尊大な物言いに、リンクはむっとする。
『ここに来るまでに、ワシによく似た石像を見ておらんか? アレは、この世界の運命を変えるであろう者が現れた時に役立ててもらおうと、ワシが各地に置いたものじゃ。お前がその石像に出会いの証を残していれば――』
 フクロウはふわりと空を飛んだ。気づかなかったが、道の端に苔むした石碑があり、その上に着地する。
『ワシの足元に刻まれた歌が、きっと役に立つじゃろう……。よく覚えておくのじゃ』
 石碑には確かに楽譜らしき線が引かれていた。かろうじてリンクにも読める形式だ。譜面の通りにオカリナの上で指を動かしてみる。新たな楽譜を見つけた時はいつもそうしている。
『うわ、なによこの鳥は』
 リンクを追いかけて薬屋から出てきたチャットが驚く。リンクは無視してオカリナを構えた。
 石碑には、「聖なる剣を持つ者は、我と出会えし証を残せ」とも記してある。「聖なる剣」という単語に引っかかりを覚えた。
 そうして吹いたのは、いやしの歌や時の歌のように三つの音で構成されたメロディだ。その音の並びは、テンポを速くして演奏したくなる小気味良さを持っている。
 フクロウはばさりと翼を広げた。
『お前が大翼の歌を奏でた時から、時、場所を越え、ワシらは永遠に友だちじゃ! 友の頼みなら喜んで聞こう』
「なっ」
 リンクは絶句した。いつから友になったのだ。
『ワシの足につかまるとよい』
 とはいえ、移動手段ができたのはありがたい。彼は浮かび上がったフクロウの足を慣れた様子で掴み、姿勢を安定させた。『待ってよ!』とチャットがふところに飛び込んでくる。
 フクロウは一気に飛び立った。見渡す限りの沼地はほとんど毒に侵されているようだった。上空だとにおいは幾分かましになる。
 デクナッツがいるとおぼしき場所はすぐに見えてきた。赤い色彩がふんだんに使われた、大規模な木造の建物だ。城壁までしっかり備わっている。
『あれがデクナッツの城ね』
 フクロウはゆっくりと下降し、城の前に降り立った。リンクもやっと両足が地面について人心地ついた。
 ふと、フクロウに尋ねる。
「そういえば、ここが毒の出処なのか?」
『いいや。毒の原因はこの向こう――ウッドフォールの神殿じゃ。だが、神殿に入るにはある歌が必要でな。それはデクナッツたちしか知らぬ』
 こういうヒントを出すと言うことは、どうもフクロウはリンクに沼の異変を解決してもらいたいらしい。しかしリンクたちは人を探しに来たのであり、基本的に沼の問題とは無関係だ。毒の出処、さらに神殿という場所が気になることは確かだが。
 フクロウはもの言いたげな視線をよこしたが、「健闘を祈る」と言い残して去って行った。
 二人は城に向き直る。
『そろそろ人間の姿のままじゃ不都合なんじゃない?』
「そうだな」
 リンクはデクナッツの仮面を取り出し、一息にかぶった。何かが体に入ってくるような感覚があって、数瞬後には視界が低くなる。
 そこにいたのは、腰に緑の布を巻き、帽子をかぶったデクナッツの子どもだ。
『本当に変身できたわ……それ、自由に外せるのよね?』
「ああ、問題ない」
 無理やりスタルキッドにかぶせられていた時とは身体感覚が違う。顔に手をあててそれこそ仮面をはがすようにすれば、元に戻れるはずだ。
 城の前には門番が二人いて、ひょこひょこやってきたリンクの前に立ち塞がった。
「ここはデクナッツ王国のお城だッピ。用のないヤツは通さないッピ!」
 用はある。だがそれをどう伝えるべきか……リンクが悩みかけると、
「でも、今は国王の怒りをかったバカなサルを晒し者にしているから、特別に見ていってもいいッピ。ここをまっすぐ行くと国王の間だッピ。それ以外のところには絶対に入るんじゃないッピ!」
 と入城を許可してくれた。なんだか王国は物騒なことになっているらしい。一歩門を抜けると、もうピリピリした雰囲気が肌に刺さる。
 正門から国王の間までは一本道だったが、仕事をサボって噂に興じる者がたくさんたむろしていた。話の内容が嫌でも耳に入ってくる。
「オレは見たッピ、あのサルと姫様が夜中に神殿に入っていくところを! ……でも、出てきたのはサルだけだったッピ! うわさじゃ、サルが姫様を食ってしまったらしい……。恐ろしいことだッピ」
「あのサルは、沼に沈んだ神殿に入れるのは代々王家のモノだけだと知ってて利用したんだッピ! 小さかった姫様が最近やっとデクラッパを吹けるようになって、国王様は大喜びしていたところだったのに……」
 よほどサルを目の敵にしているようだ。
『ずいぶん気が立ってるみたいね……アタシたちの話、聞いてもらえるかしら?』
 リンクも同様の危惧を抱いていた。下手をすると、力を貸してくれる人物はヒトではなくサルである可能性もありそうだ。
 廊下を抜けてたどり着いた国王の間では、異様な光景が広がっていた。中央に焚かれた大きな炎と、その上でぐらぐら煮えたぎる鍋。オリに閉じ込められてぐったりする白い毛並みのサル。
 真正面に陣取り、異様に膨らんだ頭部をイライラと揺らしているデクナッツが王様だろう。リンクが話しかける前に、王がじろりとにらんできた。
「このへんでは見かけない顔じゃ。旅のモノか? 本来ならオマエのようなモノが国王の間に入ることは許されんのじゃが、今日は特別じゃ! これから我がデク国の姫を誘拐したバカザルをおしおきするところじゃ! 
 王室のモノにふざけたことをしたヤツがどうなるか……目にモノ見せてやる!」
 完全に頭に血がのぼっている。とても月が云々という話を切り出せる雰囲気ではなかった。どうやら王にとっては、月が落ちることよりも目の前のサルをいたぶることの方が重要らしい。
 チャットも同じことを悟ったようで、『どうする?』と声をひそめて尋ねてくる。
 ここで「デクナッツのことなど知らない」と言って放り出すのは簡単だ。だが、それでは何も変わらない。今回の三日間も前と同じように過ぎるだけだ。
「こうなったら――」
 リンクは小さなこぶしを固める。
「沼の異変を解決する。そうでないと落ち着いて話もできない」
『三日以内に、ってことよね……できるの?』
「やるしかないだろう」
 お面屋との約束を果たすためにムジュラの仮面を取り返す。そのために「四人の人たち」を集める。さらに、そのために沼の異変を解決する――なんという回り道だろう。
 しかし、リンクが突然言い出したことにチャットは反対しなかった。「面倒くさい」とでも言いそうな気がしたのだが。
 一応、沼の異変解決に関しては手がかりがある。リンクには、フクロウやデクナッツたちの話に出てきた「神殿」という言葉に覚えがあった。
 リンクは横目でオリの奥を見る。この場では、デクナッツよりもサルの方がまだ話が通じそうだ。
「あそこに忍び込むぞ」
『えっ!』
 リンクは国王の間を辞して、堂々と城の中を歩きはじめた。
「オリの裏手に入口が見えた。そこまで回り込む」
 オリのあった方向を頼りに中庭に侵入する。見張りの目をかいくぐり、慎重にあたりを探索して、デク花を見つけた。デクナッツたちが移動用に使う花だ。花の咲いている場所から地中に潜り込むと、勢いよく飛び出して、体の軽いデクナッツはそのまま空を滑空することができる。クロックタウンでも同じ花を使って要領を掴んでいたリンクは、そつなく飛び立った。
『多分あそこがオリの裏よ!』
 城から突き出たバルコニーによじのぼる。いつもと手の長さが違うため目測を誤ったが、なんとかしがみついた。
『もー、焦らせないでよね』
 リンクは黙って中に入った。
 もくろみ通り、オリの裏手だった。木の格子の向こうにいきり立つデクナッツ王が見える。リンクは姿勢を低くして様子をうかがった。
「オイラを捕まえたって姫はもどってこないって、何度言ったら分かるんだよ〜! ボヤボヤしてたら姫はバケモノの餌食になっちゃうよ! 
 オイラの話、信じてくれよ……」
 ずっと叫んでいたのだろう、サルは声が枯れかけていた。棒に縛り付けられていることもあり、悲壮感が漂っている。
 リンクは小さく声をかけた。
「おい」
 サルはびくっと全身を震わせる。おそるおそる下を見て、こちらに気づいた。
「オッ、オマエ……どこから入ってきたんだ?」
『すぐそこからよ』
 チャットが答えると、サルは自分から尋ねておいて「シーッ! あいつらにバレたら捕まっちまうぞ!」と言う。
 リンクは王たちの死角になる位置に移動し、サルにささやいた。
「この騒ぎの理由を教えてくれ。デクナッツたちでは話にならない」
 平然として同種族をこき下ろすリンクを、どういうわけかサルは信用する気になったようだ。
「とりあえず、このロープを切ってくれよ。話はそれからだ」
 サルは一本立った丸太の高い位置にくくりつけられていた。デクナッツたちはどうやってあんな場所に結んだのだろう。これでは人間に戻っても届かない。
「やっぱりダメか……それならオマエ、遠くまでよく響く楽器持ってないか?」
『は? 楽器?』
「デクラッパのことか」
「それそれ、姫とおんなじデクラッパ! それならきっとうまくいくよ」
 何がうまくいくのか。そこでやっとサルは二人をまじまじと見て、
「ところで……あんたダレ?」
 がくりと力の抜けたチャットが床に落ちかけたのを、リンクがとっさに手のひらで受けた。
「……まあ、この際どうでもいいや。とにかく、オイラの話を聞いてくれ」
 説明の必要を感じたのか、サルは小声で語りはじめた。
 サルとデクナッツの姫は元々友人であった。一ヶ月ほど前から、沼の上流にある滝を伝って毒が流れ出すようになったため、二人はその原因を探ろうと滝の上にあるウッドフォールの神殿に向かった。だが神殿はバケモノのすみかになっていて、探索の途中で姫がバケモノに捕まってしまった。その上、デクナッツ王は戻ってきたサルを、姫を誘拐した犯人だと思い込んでいる――
「このままじゃ姫さんがアブナイんだ。急いで神殿に行って助けなきゃ」
 姫を助け出せば誤解も解ける。王が落ち着けば、こちらの話もしやすい。
「俺が行ってくる」とリンクは即答した。
「ありがとう!」
 サルは声を弾ませる。わらにもすがる思いなのだろう。突然現れたリンクが都合のいい提案をしても疑問を挟まないのは、そのためだ。
「それじゃあ、姫さんに教えてもらった神殿に入るメロディーを教えるよ! ヤツラに気づかれるとまずいから、小さな音でやるよ。目覚めのソナタって言うんだ」
 サルはハミングでメロディを奏でた。いやしの歌や大翼の歌よりも長い旋律だった。
『ねえ、何でデクラッパ出してんの?』
「……一度楽器で弾かないと確実に覚えられないんだ」
 チャットがちかりと強く光る。
『そんなことしたら一発でばれるわよ! いいわ、アタシが覚えたからもう行きましょ』
 今はその言葉を信じるしかない。
「ウッドフォールの神殿に行くには近道を使うといいよ。とにかく急いでくれ!」
 二人はサルに送られ、再びこっそり裏道を抜けて城の外に出た。
 門番たちから十分に離れ、小声で作戦会議をする。
『で、これからウッドフォールの神殿とやらに行くのね?』
「ああ。姫を取り返せば、デクナッツたちも少しは落ち着くだろう」
「あの……もし」
 突然背後から声をかけられ、さすがのリンクもビクッと肩を震わせた。普段なら気づかないわけはないが、これから先の神殿攻略について考えていたため反応が遅れたのだ。
 声をかけてきたのは、デクナッツのリンクよりもはるかに背が高い、大人のデクナッツである。彼はこの国の執事だと名乗った。見れば、ひげのような青い葉を口元に生やしている。
「失礼しました。実は、先ほどあなた様を見かけた際、昔家を飛び出した息子を思い出しまして……」
 リンクとチャットは顔を見合わせる。もしこの姿が、いやしの歌で仮面となった魂の持ち主と似ているとしたら――
 あまり関わるとややこしい話になりそうだ。リンクは視線をそらした。
「残念だが、その息子とやらと俺は関係ない」
「そうですよね……すみません」
 相手が見るからにしょんぼりしたので、少し罪悪感がわく。
『それより執事がこんなところにいていいの? 王様、あんな状態だったけど』
 執事は物憂げにひげをなでた。
「最愛の姫様が行方不明になられて、国王様は冷静な判断力を失われております。ワタクシはあのサルが言っているように、姫様は何かのトラブルにまきこまれたのではないかと……」
 冷静な答えだった。あれだけ怒り狂う上司のそばにいると、部下はこうならざるを得ないのかもしれない。
「しかし、国王様があの状態では、姫様を探しに兵を出すこともできません。もう国王様を止める者はどこにもおりません……。城のまわりはすっかり毒沼になってしまったし、このままではデク国は滅んでしまうでしょう。
 おお神よ、我らをお救いください」
 両手を組んで天に祈りを捧げる執事に、リンクは冷ややかな目を向けた。
「祈る暇があるなら行動を起こしたらどうなんだ。姫やあのサルのように」
 執事ははっとする。
「俺はウッドフォールの神殿に行く。神殿への近道とやらを教えろ」
 その時、執事は初めてリンクを王国の外から来たデクナッツと認識したらしい。正門から見て左前方を指さす。
「そこのデク花を使って崖をのぼった先でございます」
「そうか。助かる」
 執事は立ち去らずにそのままリンクを見送る気らしい。若干やりにくさを覚えながら、リンクはデクナッツ特有の水切りジャンプで軽やかに毒沼を渡っていく。
『あのフクロウの言ってた通り、月が落ちるのが先か、沼に毒が回るのが先かって感じよね』
「どちらも阻止するさ」
 うろのようなデクナッツの瞳に、強い意志の光が宿っていた。

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