第一章 月の呪い

Side Star 3

 目覚めのソナタと名付けられた軽快なメロディが、デクラッパの音色に乗ってウッドフォールに響き渡る。眠れる者を呼び覚ます音色により、沼の中から神殿が出現した。神殿は頂上が平らになったピラミッド状をしており、入口から暗黒が覗いている。
『うわあ、こんなものが沼の中に……。デク姫は大丈夫なのかしら、中で水浸しになってるんじゃないの?』
 チャットの軽口に答えず、リンクは目覚めのソナタを吹いた台座から降りる。そばに生えていたデク花を使って沼を渡り、神殿へ飛んだ。
 城からここにたどり着くまで思わぬ時間を食ったせいで、外で一夜を明かした。現在は二日目であり、タイムリミットである月の落下は明日の深夜となる。
 神殿の中は、暗かった。どんより曇った二日目の空よりもなお暗い。
『こ、この中にお姫様がいるっていうの? 本当に探せるのかしら』
 不安がるチャットに構わず、リンクは躊躇なく足を踏み入れた。まっすぐどんどん進んでいく。
『ねえ! ちょっとアンタ慣れてない?』
「そんなことはない」
 ところどころに置かれたたいまつと、チャットの光だけが暗闇を退けている。神殿の中には魔物の気配をひしひしと感じた。
『やな場所ねえ。毒の匂いも一層濃いし』
「嫌なら帽子の中にいたらどうだ?」
『べ……別に平気よっ』
 とはいえ、ここまで密度の高い殺気にさらされたことのないチャットは縮こまっていた。リンクは持っていたデクの棒で燭台に火を灯して扉を開きつつ、緊張をほぐすように質問した。
「この神殿は何を祀っているんだ? あの執事が祈っていた神とやらか」
『えっとね……タルミナの四方には、それぞれの土地を守る神様がいるのよ。たぶんそれじゃないかしら』
 なるほど、とうなずく。だがここに神がいるとしても、この様子ではまともに役目を果たしていないだろう。
「沼に毒が回ったのは、月が落ちてくることが分かったのとほぼ同時期だったな」
『そうみたいね』
 リンクはゆっくり息を吸う。
「沼地の異変はスタルキッドが原因かもしれない」
『ま……まさか! アイツがそんなことするなんて』
「信じられない」よりも「信じたくない」気持ちが強いのだろう。チャットは光を散らして否定する。スタルキッドとは友人だった。
「だが、奴の意志がムジュラの仮面に操られていたとしたら? お面屋は、あの仮面は相当危険なものだと言っていた。あれをかぶっているスタルキッド自身だって、無事で済むとは思えない」
『じゃあスタルキッドは、弟は……』
 嫌な予想をしてしまったのだろう、チャットは光を弱らせ消沈する。
「悪かった」
 余計なことを言った、とばかりにリンクは口をつぐむ。普段口数の少ない彼が会話を持たせようとすると、気遣いを欠いてこうなるのだ。
 二人は押し黙ったまま道なりに進む。次に入った扉が、背中側で勝手に閉まった。
『閉じ込められたの……!?』
 雄叫びとともに姿を現したのは、リンクよりも背の高いトカゲの魔物である。鎧を身につけ、剣と盾を持っていた。
『ダイナフォスよ!』
 リンクはすばやく仮面を脱いだ。こういう相手に対しては人間の武器が有効だ。
『気をつけて、アイツ火を吹いてくるから――って、ちょっと!』
 彼の剣は相手よりリーチが短い。だが、数合打ち合う間に敵の姿勢が崩れた。自分より大きく力の強い魔物に相対する時のコツを、リンクは熟知していた。
 ダイナフォスがよろけた隙に距離を詰め、袈裟懸けに切り裂いた。狙い過たず剣は鎧の継ぎ目に入り込む。急所を突かれ、魔物は断末魔を上げた。
 リンクは手首を振って刀身から魔物の体液を飛ばすと、流れるような動作で鞘におさめた。
 チャットはほっとしたように息を吐く。
『なあんだ、心配するまでもなかったわね』
「当たり前だ」
 リンクは初めて少し満足そうに表情を緩めた。
 尾に電撃をまとったドラゴンフライや、大きな口を持つ植物デクババなどを退け、二人はウッドフォールの神殿を深く深く潜っていく。
 やがて、最深部と思しき巨大な扉の前にたどりついた。道中で、すでに彼らはそれを開くためのカギを見つけている。
『この奥にデク姫がいるのかしら?』
「おそらく、沼に毒を流した元凶と一緒にな」
 まさか、スタルキッドがここに? とチャットが疑問を呈する。リンクは首を振るだけで答えず、カギを差し込み扉を開けた。
 高い天井を持つ円形のホールだった。毒の根源は見当たらないが、一段と濃い瘴気が流れている。ホールの端にはデク花にバクダン花――衝撃を与えると爆発する実をつけた、危険な植物だ――が自生しているのが見えた。
『何もいないじゃない』
 心配して損した、とふらふら前に出たチャットをリンクが無言で掴み、引き寄せた。
『いきなり何よっ』
 リンクは天井をにらんでいた。
 低く空気が振動する。まるで打楽器を叩いているような、妙にリズミカルな律動が聞こえる。天井から巨大な質量を持つ「何か」が降ってきて、どしんと床に落ちた――否、着地した。
 リンクの身の丈の何倍もある剣と盾を持ち、仮面を身につけた魔物の戦士である。
『なっ』
 それを見て絶句したチャットは、おとなしく引き下がる。自分がどうこうできる相手ではない、とすばやく判断したのだ。
『密林仮面戦士オドルワだって。あの仮面に書いてあるわ』
 仮面。ムジュラの仮面もデクナッツの仮面もそうだが、よほどこの旅はかぶりものに縁があるらしい。
 すぐさま横薙ぎに繰りされた剣の一撃を、リンクはバックステップで避ける。
 入れ違いに無数の蛾が寄ってきた。オドルワが呼び寄せたものらしい。盾で振り払うが、あまり効果はない。剣で切るのも無理がある。
『虫を寄せるなら火よ!』
 チャットの助言で閃いたリンクは、壁際に寄ってバクダン花を引き抜き、一つを蛾に向かって、もう一つをオドルワ目掛けて投げつける。衝撃を受けて実が爆裂し、二箇所で噴煙が上がった。蛾の方はそれだけで掃討できたらしい。
『オドルワが怯んだわ!』
 膝をついたところに斬りかかった。ダイナフォスを易々と切り裂いた剣も、オドルワ相手ではおもちゃのように小さい。多少皮膚を切り裂いた程度では効いているのかよく分からない。
『こ、こんな奴、どうにかできるの!?』
「やるしかないだろっ」
 リンクは叫び返しながら、忙しく思考を巡らせる。
(脚ではダメージが少ない……せめて頭部に剣が届けば)
 こういう大きな敵は弱点を突くに限る。では、相手がひるんだ隙によじのぼるか? 途中で振り払われそうだ。そうなれば硬い床に叩きつけられるしかない。
『アンタ、ほらあれ――デクナッツよ!』
 同じことを考えていたであろうチャットが叫んだ。「そうか」とリンクの唇が動き、仮面をかぶる。
 だが、その行動を読んだようにオドルワは口から火を吹いた。変身したばかりで一瞬棒立ちになっていたリンクは、たちまち全身炎に包まれる。
『キャーッ』とチャットが悲鳴を上げた。リンクは肌を刺す痛みに歯を食いしばりながら走った。その勢いで体の火を消すように。目指すはデク花だ。
 彼は心の中でデクナッツに語りかける。
(お前も故郷を救いたければ、もっと高く飛んで見せろ!)
 半分炭化した花にもぐり込み、すぐに飛び出た。炎が巻き起こす上昇気流も手伝って、最高到達地点は敵の頭よりもなお高い。チャットの歓声を受けながら、リンクは空中で仮面を外した。
 重力に引かれた剣がまっすぐにオドルワの額に落ちる。リンクの剣は、そのまま魔物の股下まで一直線に切り裂いた。
 濁った叫声を上げながら魔物が倒れる。その体をクッション代わりにして、リンクはうまく着地した。念のため復活を警戒したが、今の一撃が致命傷となったらしい。オドルワが消えた後には、亡骸として仮面だけが残った。
(この仮面……やはりスタルキッドが?)
 拾い上げようとした亡骸がいきなり光を放つ。思わず目をつむった。
 一瞬にして別の世界に移動していた。まわりを霧に包まれたような曖昧な景色の中、リンクとチャットは円柱状に突き出た足場の上にいた。
 何もない場所から綺麗な水が流れ落ち、滝を作っている。その下は透明な水場だ。乳白色の霧でよく見えないけれど、それはウッドフォールの正しい姿を思わせた。
『ここは一体……?』
 まわりを観察するうちに、リンクは気づいた。霧の向こうに「何か」がいる。赤っぽい二つの柱のようなものがそびえている。
『なに、アレ?』
 柱はふるふると動いていた。どうも生き物の足のようだ。オドルワよりもさらに大きい。もはや巨人である。
 巨人は唐突に吠えた。
『ねえちょっと、なんか言ってるみたいよ。もしかしてあの声、何かの曲を伝えようとしてるんじゃないの……?』
 よく耳を澄ます。確かに、生き物は節がついた音の連なりを繰り返しているらしい。
『メロディを聞き取ってみるわ』
 チャットは羽根を震わせ、鈴のような音を出した。たった六音で構成された単純な曲だ。リンクは時のオカリナで奏でてみた。これも、いやしの歌のような特別な力を持った曲らしい。
 チャットはどうも巨人の言葉を聞き取れるらしく、
『誓いの……号令? って言ってるのかしら。それで、ええと、よ・ん・で……だって』
「それはどういう――」
 リンクが言い終わる前に、視界が切り替わった。
 乳白色の霧は消え失せ、二人はウッドフォールの神殿最深部に戻ってきていた。彼の手には、邪気の抜けた亡骸だけが残っている。
『トレイルの言ってた四人の人たちって、もしかして』
「さっきの巨人だろうな。この亡骸の中に封じ込められていた、ということか』
 結果的に、デクナッツの城で目的を切り替えて正解だったわけだ。遠回りと思えた毒の根源をたどる道が、思いもかけず月の落下を防ぐ方法へと結びついていた。
 オドルワの亡骸を見つめたまま頭の中を整理するリンクに、チャットが不意に声をかける。
『それよりアンタ……けっこうやるわね! なんか慣れてない? その調子で残りの三人もがんばって助けてあげなさいよ』
「言われなくてもそのつもりだ」
 どこか不自然なタイミングの激励だ、とリンクは思う。チャットはふわりと宙に浮かび、いかにも言いづらそうに続けた。
『ねえ! その……アンタに今までしたことと馬のことは、謝るわ。ゴメン!』
 リンクは目を丸くして固まる。
 なるほど、この調子のいい妖精も、自分と友人がしでかしたことをずっと気にしていたのだ。彼女はスタルキッドが仮面に操られているとも知らずに手を貸して、リンクから時のオカリナと馬を奪った。リンクとしては、とうの昔にその罪を追及する気はなくなっていたのだが。
 チャットはばつが悪そうに光を明滅させる。
『ちゃ、ちゃんと謝ったからね、根にもたないでよ! 
 じゃあ、急いでデク姫を助けるわよ。早くスタルキッドのヤツを何とかしなくっちゃ』
 リンクはうなずき、姫と会う準備としてデクナッツに変身した。
 ホール内を探索すると、垂れ下がったツタに隠された小部屋を発見した。
 小部屋の中心には、ちょこんとデクナッツが座っていた。ピンクの花飾りをつけ、ポニーテールのように葉っぱを頭の上でまとめている。ただそこにいるだけでどことなく気品が漂っていた。
「あなたは……誰なの?」
 彼女は不思議そうに見上げた。
「リンクだ。お前はデク姫だな」と問い返す。
「あ、はい。私はデク国の姫です。あなたは……もしかしたら、あのおサルさんに頼まれて、私を助けに来てくれたのですか?」
『あら、どうして分かったのよ』
 デク姫はにこりと笑う。
「だって、あなたの体からあのおサルさんのニオイがかすかにしますもの! おサルさん……無事だったのですね。よかった」
 リンクは若干気まずい思いをした。牢に入れられ縛り上げられている状態は、とても無事とは言えないだろう。神殿に入ってからずいぶん時間も経った。すでに三日目に近づいている時刻だ。正直、現時点でサルの無事は保証できない。あの執事が何か配慮していたら良いのだが。
 デク姫は解放された嬉しさか、踊るようにステップを踏んだ。
「私の帰りが遅いので、心配性のお父様があのおサルさんを誘拐犯と間違えて、おしおきでもしてるんじゃないかと心配してたのですよ。フフフ」
 リンクは黙って首を振った。
『残念ながら、その通りなのよね』
 チャットの返事も力がない。
「……まさか、マジ? 本当に、お父様がそんなことを! お父様ったら、また早合点して!」
 デク姫の顔は怒りで真っ赤になる。このあたりは親にそっくりだ。
「と……とにかく、時間がありません。リンク様、急いで私を何かに入れて、デクナッツのお城まで運んでもらえないでしょうか?」
「何かに?」『入れる?』
「ええ。私はキュウクツでもかまいませんから」
 姫たるもの、自分の足ではあまり長距離を歩かないのかもしれない。おんぶで運んでも不敬に当たるのだろうか。
 荷物を漁ったリンクが取り出したのはガラスのビンだ。確かに入れ物ではあるが、手のひらサイズである。
『出たー、アンタが妙に大事にしてるビン』
「あのな、こういうものは貴重なんだぞ」
 口を尖らせつつ、ビンを姫に差し出した。「ありがとうございます」姫はビンにひゅんと吸い込まれていく。リンクは思わず息を呑む。一度デクナッツの体になって分かったが、この種族は見た目以上に中身の空気が多い。それを応用すれば、こういうことも可能なのだ。
「しゃあ、リンクしゃま、時間がありましぇん! わたひをいひょいでデクナッツ城までお願いしまひゅ」
 ガラス越しにデク姫のくぐもった声を受け、リンクは再び大翼の歌を使うことにした。



 国王の間に似つかわしくない光景だった。ぐらぐらに茹だった鍋が真ん中に据えられている。その上で熱い蒸気を浴びるのは、木の棒にくくりつけられた白いサルだ。
 今にもその身を支えるロープが切り落とされ、茹でザルができあがろうとしていた――
「なっ、なんてコトひょ!」
 リンクの腰で姫が叫ぶ。すぐにビンを逆さにして振った。
「お父様のバカ!」
 この上なく容赦ない罵りが雷鳴のようにとどろいた。父王よりもさらに大きい声に、デクナッツたちは全員凍りつく。誰一人動けない状況の中、デク姫は国王の間を大股で突っ切る。部屋の半ばで力強く踏み切り、父親に飛びかかってキックで仰向けに倒してしまった。さらに、その腹に乗ってぽんぽん飛び跳ねる。何度も何度も。
 さすがに止めさせようと衛兵がやってきたが、逆に姫ににらまれて震え上がった。
「ナニをしているんです、早くおサルさんをおろしてあげなさい!」
 姫よりも権力のある国王はもはや命令ができない状態である。衛兵は慌てて姫の言うとおりに行動した。
 ロープ痕も生々しく残るサルに、姫は抱きつく。
「おサルさん、本当にごめんなさい。父は私のことを心配するあまりこんなことを……」
「分かっているよ姫さん。そんなことより、神殿はもとどおりになったのかい?」
 サルは笑顔だった。ついさっきまで茹で上げられそうになっていたのに、寛大すぎるほどだ。それは、さんざん己を痛めつけた張本人である国王が床の上で伸びており、溜飲が下がったからかもしれないが。
「ええ、ここにいらっしゃるリンク様のおかげで。リンク様、本当にありがとうございました」
 姫は深々と礼をする。「別に大したことは……」と身を引くリンクへ、サルも頭を下げる。
「そうか、オマエはリンクっていうのか。オイラとの約束、守ってくれてありがとな! 恩に着るぜ」
「何かお礼をしなければなりませんね」
 そんなものはいらないと断ろうとした瞬間、別の声が割って入った。
「リンク様、ワタクシが代わりにお礼を用意いたしました。のちほど、デクナッツ城を出て右手にあるほこらの中に来ていただけますか」
 執事は真剣そのものだった。そしてそのまま去ってしまう。国王がぐったりしていることには、もはや誰も突っ込まない。
「まあ。ジイはリンク様がよほど気に入ったのでしょうね」姫は視線を戻し、「アナタのしてくれたことは一生忘れません。でも、もうあのキュウクツなビンの中はゴメンですけどね!」
 やっぱり窮屈だったんじゃないか、とリンクは肩をすくめる。チャットは別の部分に反応した。
『一生忘れないなんて言っても、時を巻き戻したら忘れちゃうわよね……』
 それに、時の歌を使えば沼を救ったことすら無駄になるのだ。一日目に戻れば再びオドルワは復活し、ウッドフォールは毒沼になるのだろう。
(だが巨人を一人復活させた。俺は着実に前進している)
 そう信じて進むしかない。
 浮かれるサルと姫、おろおろする側近たちに別れを告げ、リンクは城の外へ向かった。
『で、どうするの? 執事のところに行く?』
「まあ……もののついでだからな」
 城のまわりの沼もすっかり浄化されていた。澄んだ水の上をジャンプで渡り、執事との約束の場所にやってくる。ほこらというより洞窟のような場所だ。
 中では執事が待っていた。
「リンク様、このたびは姫様のこと、本当にありがとうございました。お礼と言ってはなんですが、あなた様のお役に立つ品を用意させていただきましたので、ワタクシのあとについていらしてください。
 ここから先は足元が暗く、大変アブのうございますので、決してはぐれないようお願いいたします」
『なんか大げさねえ』
 執事はデク花とよく似た花弁を持つ傘を持って宙に浮かび、先へと進んだ。その行く手を示すように壁の燭台に火がともる。
 追いかけるリンクの後ろで、音を立てて扉が閉まった。
『えっ』
「侵入者避けだな。巻き込まれたら面倒そうだ」
 いよいよリンクは駆け出した。さすがに変身の最中を見られる危険は避けたいため、デクナッツ姿のままだ。ほこらの中には底の見えない奈落もあったが、軽い体を最大限に活用して越えていく。
『ねえ、お宝までの道のりが長すぎない……?』
「こんなものだろ」
『アンタは動じなさすぎなのよ!』
 奥に行くほど意地悪な仕掛けが増えた。足元から炎の壁が吹き出す罠をかいくぐり、やっと最奥の祭壇にたどりついた。
 執事は涼しい顔で待ち構えていた。
「さすがリンク様! では、約束の品でございます。どうぞお納めください」
 最深部に安置されていたのは、豚のような顔をしたお面だった。『ええー……』とチャットは露骨にがっかりする。
「これはブーさんのお面といって、かぶるとニオイをかぎわける力が鋭くなるそうです。息子はそのお面で、森のキノコをよく取ってきてくれたものでした」
『息子ねえ』
「ああ、あの頃が懐かしい。一体今はどこで何をしているのか……便りの一つもよこさんで……。
 失礼しました。つい、息子のことを思い出してセンチな気分になってしまいました」
 どうも、先ほどの執事は息子と競争している心地になって、年がいもなく力いっぱい駆け抜けてしまったらしい。道理でリンクがさっぱり追いつけないわけだ。
 執事は出口を指さした。
「お帰りはそちらからでございます。リンク様、またお会いできる日を楽しみにしております……お気をつけて」
 繰り返される息子の話にどこか後ろ髪を引かれる思いを抱え、ほこらを後にした。
 ついに三日目を迎えた空は、夕方でもないのに赤く染まっていた。ここからでははっきり見えないが、月は刻一刻と町に近づいている。
 チャットが振り返った。
『これからどうするの? 巨人は助けたんだし、このあたりでやることはもうないわよね』
 月を止めるには他の三つの地方に向かい、神殿に巣くう魔物を退治して、巨人を解放すれば良いのだろう。だが、もう一度地方を移動するには、圧倒的に時間が足りなかった。
「時の歌を吹こう」
 その決定にチャットも異論はない。だが、
『なんかもったいないわねー。せっかくデクナッツの国を救ったってのに』
「大元の月をなんとかしない限り、タルミナに未来はない。どこの誰を助けても同じだ」
『あら、アンタはムジュラの仮面さえ取り返せれば、それでいいんじゃないの』
 そうだ、ここで油を売っている暇はない。早くあの青い光を追いかけなければ――
 リンクはまたぼうっと虚空を眺めそうになり、我に返った。無意識のうちに左手に巻いた紐をさすっていた。
 さっさと各地の神殿を攻略すれば、それだけ早く本来の目的に戻ることができる。
 リンクはデクラッパに変化した時のオカリナを吹いた。デクナッツの王国とそこで出会った人々、清浄さを取り戻した沼が、まるごと遠ざかっていく。
 そして、また「一日目」がやってくる。

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