エピローグ 新しい日



 ダル・ブルーのライブの余韻はいつまで経っても引かなかった。ミルクバーはずっと大混雑のまま、観客が口々に感想を言い合っている。
 ゼロたちはテーブルをひとつ確保してリンクの帰りを待っていた。やがて、ゾーラの仮面を脱いだリンクが戻ってくる。彼はゼロに視線をやってうなずいた。
 こうして海の大妖精の見た未来は実現した。リンクはミカウに体を貸し、ステージに立たせた。確かにミカウとルルは同じステージの上でカーニバルの本番を迎えたのだ。
 ダル・ブルーの演奏が素晴らしかっただけに、ゼロにはひとつ心残りがある。
「今の曲、アリスも聞けたら良かったなあ」
 うんうんとルミナが大きく首肯する。彼女も立派に前座をこなした後だ。ローザ姉妹の妙にぬるぬるした動きのダンスやグル・グルの手回し式の自鳴琴など、物珍しいこともあって一座の芸は好評だった。
「そうだねえ……アリスはまだ泉にいるんだっけ? 後片付けとかで忙しいのかなー。
 リンクは朝会ったんでしょ? 何か知らないの」
 水を向けられ、彼は一瞬思考するように目をつむる。
「ゼロ、お前が呼んでこい」
「オレが? もちろんいいけど……」
 リンクとチャットの視線から、意図は不明だが気遣いを感じた。
「なんだろう」と訝りつつも、ゼロはミルクバーの階段を上る。
 ゼロにとって唯一の相棒であるアリスだが、会うのは久しぶりだった。ムジュラの仮面との戦いでは、彼女が大妖精とともに陰ながら支えてくれたと聞く。
 さらに、ゼロは町の大妖精と会うのも初めてだった。合わせてお礼を言わなければならない。
 どきどきしながら訪れた町の泉だが、予想に反して誰もいなかった。しんと静まり返っている。
「大妖精様ー?」
 一番はじめにここを訪れた時とそっくり同じだった。もしや、何か理由があってゼロには姿を見せてくれないのだろうか――と不穏な想像をしてしまう。
 ひとしきり水面を眺め、それでも誰も出てこないので、いい加減戻ろうときびすを返した時。
「待ってください……!」
 聞き慣れた声が背中を叩いた。
「アリス――いや、大妖精様?」
 振り返ろうとしたら、そっと後ろから抱きしめられた。一瞬で鼻孔が花のような香りに包まれる。
 仰天したゼロは、視線を前に固定したまま動かせなくなる。
「あ、あの、何を……!?」
 体の前に回された細腕は、明らかに女性のものだ。大妖精に抱きつかれている!? 
 その額がゼロの背中にそっと押し当てられる。髪が服の上をさらりと擦る音がした。
「ごめんなさい、ゼロさん」
 それはアリスの声だった。
「私はあなたをずっと利用してきました……。あなたが鬼神であった時から、記憶を失って目覚められた後まで」
 ぽたりぽたりと、背中があたたかい水で濡れていった。
「いやしの歌を使えばあなたに甚大な被害が及ぶことも、知っていました。それでも、私はムジュラの仮面を倒すほうが大事だと判断しました。そうです……あなたの命を切り捨てたんです」
 アリスは――町の大妖精は、肩を震わせしゃくりあげる。
 さすがのゼロも察した。何故町の大妖精もアリスも彼の前に姿を見せなかったのか。それは罪悪感のせいだったのだ。
 少しずつ肩の力を抜きながら、ゼロは考え考え言葉を紡ぐ。
「でも、アリスがそうしたのは多分、オレの力が足りなかったからだよね」
 体の硬直を解いた彼は振り向き、そっとアリスの肩に手を置いた。
「キミの選択肢をなくしたのはオレだよ。つらい道を選ばせてしまって、ごめん」
「ゼロさん……」
 大妖精アリスは、つややかな墨色の髪を生真面目にまっすぐ伸ばしていた。澄んだ空色をたたえるはずの目は今、泣き腫らして濁っている。こんな表情を浮かべていると普通の少女にしか見えなかった。
(オレはこの人と会ったことがある)
 イカーナで鬼神とともに戦った大妖精が、彼女だった。今まで気づかなかったのが不思議なくらいだ。やっと取り戻した記憶の端々に彼女は存在していた。ゼロの胸はいっぱいになる。
 アリスの唇が震えた。
「い、いえ、それだけじゃないんです。私は記憶をなくしたあなたに指図して、あちこち連れ回しました。記憶が戻るからとそそのかして、その実、自分の目的だけを遂げようとしていました」
「でも、結果的にキミの導きは正しかった。それにオレは好きでキミについてきたんだ。アリスは使命とは関係なくても、記憶のないオレと一緒にいてくれた」
 彼は鬼神として、あるいは聖地を守る者として、ずっと与えられた使命をこなしてきた。それはもちろん自分にしかできないことだし、達成感もあった。けれど、記憶を失ってからアリスと旅をした日々では、彼はごく単純に自分の楽しみを追いかけられた。それはどちらも同じくらい大切な、今のゼロを構成するものだ。
「謝りたい気持ちは分かるけど、だからってオレのことを遠ざけたりしないで。またいつもみたいに隣にいてほしいな」
 アリスはほのかに色づいた唇を結び、潤んだ目でゼロを見上げた。
 とびきりの美人と思わぬ近距離に迫っていたことを唐突に思い出し、彼のほおはかっと熱くなる。
「あーえっと、大妖精ってことは忙しいのかな? たまにでいいんだけど」
「いいえ……」
 アリスは涙を拭き、にこりとほほえんだ。
「また、一緒に行かせてください。タルミナを旅できて、私も本当に楽しかったんです」
「良かった、オレと一緒だね。
 それならまずはカーニバルを見に行こう。せっかく待ちに待ったお祭りなんだから、こんなところにいたらもったいないよ」
「はい!」
 ぽん、と軽い音を立ててアリスはいつもの青い妖精姿に戻った。ゼロは露骨にほっとする。あの姿のアリスと一緒に町を歩く度胸はない。鬼神は一体どうやって彼女と接していたのだろうか。
 二人は洞窟の出口に向かう。
「オレの名前って、リンクとアリスにもらった大事な名前だったんだね」
 記憶を失ったゼロが便宜上アリスにつけられた名前は、リンクが聖地における七年の間に鬼神につけたあだ名と同じだった。彼は無邪気にその偶然を喜ぶが、
『いいえ。私はきっと記憶のどこかで、リンクさんの名付けを「知っていた」のでしょう……。ここは彼のための聖地ですから、そうなるべきです。
 ……でも、本当のことを言うと、私が一番最初にあなたに名前をつけたかった』
 アリスにしては珍しい願望だった。言葉にも少しだけ甘えるような響きがある。ゼロは驚いてしまった。
「リンクの方が先だったかもしれないけど、あの時オレが喜んだのは嘘じゃないよ」
『はい。それは分かっています』
 二人はさんさんと午後の日差しが降り注ぐ北地区に出た。町への流入が落ち着いたのか人混みは解消されて、カーニバルで疲れた人々がそこここで休憩している。いくつか屋台も出ていて、良い香りを漂わせていた。
『ゼロさん』
「なに?」
 アリスは「なんでもないです」と言い、幸せそうな声で笑った。
 ミルクバーに戻ると、リンクたちは外に出ていた。おまけに人数が増えていて、時計塔の屋上で見た小鬼スタルキッドと妖精トレイルまでもが一緒にいる。
 リンクは腕組みを解いて、ゼロを一瞥する。
「ちゃんとアリスを連れてきたな」
「うん」
 ゼロがうなずくと、何かを語り合うようにリンクとアリスが視線を交わした。そこに含まれる意味は何なのだろう。
 その脇で、友だちの妖精たちと語らうスタルキッドに、近くを通りかかったボンバーズ団員が目を留めた。
「あっオマエ、イタズラばっかりのスタルキッドじゃないか!」
 小鬼は見る間にバンダナ姿の子どもたちに取り囲まれてしまう。
『待って、スタルキッドは悪くないんだ。全部あのお面が――』
 割り込むトレイルを制して、スタルキッドがぴょこりと頭を下げる。
「あの時は……悪かった。もうへんなイタズラはしない。だからオイラ、またボンバーズに入りたいんだ」
 殊勝な態度の小鬼を前に、ボンバーズたちはこそこそと会議を開く。
「えー、どうする?」「こいつを入れてもまた同じことになるぞ」「でももうしないって言ってるし」「人数多いほうがいっぱい遊べるよなあ」
 話し合いを終え、赤いバンダナの団長ジムが前に出てきた。
「分かった、オマエの入団を認める。ただし、おれたちとの鬼ごっこに勝ったらな!」
 スタルキッドの顔がぱあっと輝いた。横合いから眺めていたリンクがにやりと笑い、とある木の実をスタルキッドに差し出す。
「デクの実でも使うか?」
『相変わらず容赦ないわねえアンタ』
 その時、鐘が鳴った。定時刻でもないのに。カンカンという二連続の音が何度か繰り返された。
『何かの知らせかしら?』
 あっとルミナが声を上げた。
「アンジュたちの結婚式がはじまるんだ!」



 刻のカーニバルの日に結婚式を行うというのは、実際どうなのだろう? 
 ただでさえ忙しいカーニバルの日だ。しかも新婦のアンジュは町唯一の宿、ナベかま亭の看板娘だった。仕事に加えて結婚式の準備だなんて、そこまで一人に負担をかける必要はないだろうに。
 ――などと、ルミナは当事者でもないのに勝手な感想を抱いていた。
 それでもアンジュは幸せそうな顔をして真っ白なドレスをまとい、新郎のカーフェイと並んでいる。
 そう、カーフェイは大人の姿に戻っていた。子ども姿でもなかなか際立った造作をしていたが、成熟した彼は惚れ惚れするような男前である。
 大人に戻ったのはきっとムジュラの仮面の呪いが解けたからだろう、とリンクは言っていたが、ルミナにはなんのことだかさっぱりだった。とにかく大人のカーフェイに会えて万々歳だ。
 結婚式は町の門を開け放ち、タルミナ平原に式場を設ける形で行われた。カーニバル参加者なら誰でも参加できる、開放的なシステムである。お祭り気分の客がいる方が盛り上がるからだろう。
 居並ぶ参列者を見回して、ルミナが声を張り上げる。
「クリミア! 来てたんだ」
 ミルクロードの牧場主は、少し影のある笑みを浮かべた。
「うん。友だち……だからね」
 その表情は複雑だが、思ったよりも暗くない。クリミアだって、ここまで来たら割り切るしかないと気づいているのだ。
 新郎新婦は皆が注目する中で誓いの言葉を述べた。次にアンジュが前に出てくる。どうやら白い花で構成されたブーケを後ろ向きに投げるらしい。それを受け取った女性が次に結婚すると言われる、他愛もない風習だ。
 ルミナはぼうっとしているクリミアの腕を引いた。
「ほら行くよ。絶対あれをとるよ!」
「え? ルミナってそういう人がいたの」
 クリミアは面食らっていた。ルミナはからりと笑う。
「いいや別に。でもああいうのってほしくなるじゃない! ほら並ぶ!」
 無理やりクリミアを人垣の中に入れた。ルミナはこっちこっち、とアンジュに手を振る。見ているだけのカーフェイが呆れて笑っていた。
「では行きます」
 アンジュが放り投げたブーケが、きれいな放物線を描いて飛んでくる。
 ルミナは力いっぱいジャンプしたのだが、
「あっ」
 ブーケは指先にあたって弾かれ、鋭角に落ちていく。その先にいたのは――
「え?」
 手の中にあるブーケを呆然として見つめるクリミアだった。
「クリミア、良かったね!」
 ルミナはにこやかに祝福した。
「うん……良かったのかなあ?」
 彼女はいまいちぴんと来ていない様子だったが、やがてぷっと吹き出した。
 クリミアはカーフェイとアンジュに駆け寄り、ブーケを手渡す。そして久々に会った親友とおしゃべりしていた。
 もしかすると今後、クリミアに求婚する者が続出するのではないか、とルミナは思った。明るい笑顔が魅力的な彼女は町の隠れたアイドルなのだ。
 生きていれば何があるか分からない。来年のカーニバルではクリミアが主役になってもおかしくない。
 ルミナは過ぎ去ったあの三日間を思い出す。試行錯誤の連続で、時に悔しい思いもした。それでも最後は自分なりの目標をやり遂げて、友人の結婚式だって見られた。
 自分にしては上出来の結果だ。彼女は満面の笑みになる。
 そして、「わたしも混ぜて!」と叫びながら友人たちに突撃していった。



「もう行っちゃうの……?」
 クロックタウン時計塔の前。旅の仲間たちにスタルキッドとトレイルまで加わって、総勢七名が集合していた。もう夕日が沈みかけており、カーニバルはそろそろ終わりを告げようとしている。
 すでにべしゃべしゃに泣いているのはルミナだ。
 輪の中心にいるリンクは、これからエポナだけを伴にして、故郷のハイラルへ帰るのだった。
「ああ。この中でお面屋も待っているからな」
 めそめそしているルミナとは対照的に、ゼロは黙ってリンクを見つめている。その一挙手一投足を目に焼き付けるように。
 最初に前に出たのはアリスだった。
『リンクさん……本当に、ありがとうございました。タルミナに生きる者たち、皆に代わってお礼を言わせてください』
「いや。俺の方こそ……あれには感謝している」
 リンクは彼方を指差す。暗くなりかけた茜色の空に、ぽっかりと白い月が見えていた。ゼロはにこりと笑った。
「そうそう、アリスがあれをタルミナの空に戻してくれたんだよね。オレ、ちゃんとした月が見られて嬉しいよ」
『いえ……』
 アリスは照れたように明滅する。リンクは目を細めてそれを眺めていた。
 彼とアリスには不思議な連帯感があって、その間にはゼロでも入ることができない。自分がいない間に何を話したのだろう、と思った。
 会話が一段落したと判断したルミナが、がばっとリンクに抱きついた。
「リンク、アンジュたちのことと、ゴーマン一座のみんなのこと……他にもいろいろありがとうね!」
 そしていきなり体を離すと、まじまじとリンクの顔を見つめる。
「な、なんだ?」
「いや〜改めてかっこいいなと思って。十年――いや七年もしたら、絶対いい男になるよ!」
「当たり前だ」
 リンクは少し自慢げに胸を張った。ルミナは目の端ににじんだ涙をぬぐって、うんとうなずいた。
 次はチャットとスタルキッドたちの番だった。
『元気でね。ま、アンタならどこにいてもそれなりにやれるでしょ』
『ネエちゃんったら素直じゃないなあ。寂しいって言いなよ』
『え、誰がなんだって!?』
 ムキになるチャットを見て、スタルキッドがケタケタ笑う。彼はリンクと目を合わせて首をかしげた。
「オイラ、オマエのこと忘れないぞ。鬼ごっこのコツもな!」
「ああ。存分に活用してくれ」
『そういえば――』と、ひとしきりトレイルとやりあったチャットが、何気なく話題を変える。
『アンタの相棒をする期限は、スタルキッドを捕まえるまでだったわね』
「そうだったか。それ……延長できないか」
 リンクは真顔で発言した。チャットは少し声のトーンを落とし、
『いつまで?』
「それは……」
 真剣に悩み始めたリンクに、チャットは笑いの衝動をこらえる。
『いいわよ、これからもずっと相棒ってことでね。そのかわりアタシのこと忘れないでよ?』
「もちろんだ」
 リンクはほおを緩めた。伸ばした手がチャットの羽根に触れて、ハイタッチを交わしたようになる。
 そして彼は最後の一人に向き直った。
「――リンク」
 ゼロは、静かにその名を呼ぶ。
 赤と青の視線が絡まりあった。彼はそのまま右手を伸ばし、そっと少年の頭を撫でる。
 リンクは黙って目を閉じ、されるがままになっていた。
 やがてその手が離れていくと、リンクは不敵に口の端を釣り上げる。
「お前の身長を越すにはあと何年かかるかな」
「そうだなあ、前の時は七年でも足りなかったよね」
「きっとミルクを飲んでいなかったからだ。今度は五年で追いついてみせる」
「うん、楽しみに待ってるよ」
 ハイラルで正しく成長したリンクは、今よりさらに魅力的な人物になっているに違いない。遠くない未来を想像して、ゼロはふわりとほほえむ。
「旅に疲れたらいつでもタルミナに帰ってきて。オレもみんなも待ってる。だって、ここはキミの故郷なんだから」
「……ああ!」
 リンクは朗らかに笑った。
 それはいつか聖地で見せてくれた、彼だけにしかできない最高の笑顔だった。幾度も時を超えた末に大切なものを取り戻したリンクは、雲のない青空のような笑顔を見せた。
「行ってきます!」
 約束を果たし、かけがえのない仲間を手に入れた時の勇者は、故郷を後にした。



「おお、やはり仮面から邪気がなくなっている……」
 リンクからムジュラの仮面を受け取ったお面屋は、仮面を調べて何度もうなずいている。
「確かに受け取りましたよ。さて、ワタクシは旅の途中ですので、これで。アナタもそろそろお帰りになられた方がよろしいのでは……?」
 ここはリンクが初めてタルミナに来た時に通り抜けた、時計塔の足元の部屋だった。聖地とハイラルのはざまに当たり前のように存在するお面屋は、相変わらず謎が多かった。そもそも、ムジュラの仮面に対抗するためアリスが開発したといういやしの歌を知っている時点で怪しいことこの上ない。
 だが、ある意味で彼がリンクをここに導いた。「ムジュラの仮面を取り返す」という、タルミナと関わるための理由をくれた。あまり認めたくないが、リンクはその点に関してはお面屋に感謝していた。
「出会いがあれば、必ず別れは訪れるもの。ですが、その別れは永遠ではないはず……。別れが永遠になるか一時になるか、それはアナタしだい」
 お面屋は意味深な言葉を告げる。永遠にならない別れ――リンクはゼロの言葉を思い出す。
 ゼロは「イカーナの丘で目覚める直前、ゼルダ姫と会った」と言っていた。
 にわかには信じがたいが、彼はゼルダ姫がルミナと似ていることまで知っていた。ある程度信頼のおける情報のようだ。そして、ゼルダ姫に頼まれたという伝言を教えてくれた。
 かつての相棒ナビィは七年後のハイラルにいる。妖精はリンクと違い、聖地を通って時を遡ることができなかったのだ。
 今や完全に別れてしまった時間の先に、どうやってたどり着けばいいのだろう。先行きは不透明だったが、リンクは「必ず七年後に舞い戻ってみせる」と決心していた。一時の別れを永遠にしないために。
 時計塔の中からいずこへと帰りかけたお面屋は、ふと足を止める。
「おや、アナタ。ずいぶんたくさんの人を幸せにしてあげましたね。アナタの持っているお面には、幸せがいっぱい詰まっている。これは実にいい幸せだ」
 と言われても、持っていたお面はゼロに全て託してきた。デクナッツ、ゴロン、ゾーラの仮面たちはゼロがふれても消えることはなく、彼は責任を持って親しい人々に返すと言った。
 リンクは胸に手を当てる。幸せのお面屋なんてうさんくさい名前だと思っていたけれど、少なくともあのお面たちによってタルミナの旅の充足感が増したことに違いはない。
 お面屋になるのも悪くないのかもな、と冗談まじりに考えてから、エポナと一緒にその場を後にした。



「それじゃあまた来年ねー、ゼロ!」
 ギターを担いだルミナはぶんぶん手を振った。タルミナ平原につながる門の前だ。カーニバルの仕事を終えたゴーマン一座は、今日新たな興行の旅に出発するのだった。
 カーニバル公演の成功を受け、さっそく座長はアロマ夫人に来年の分の約束を取り付けたらしい。そうでなくともルミナは一年後、全力でここに戻ってくると宣言していた。
 見送りの人数は少ない。チャットとトレイルは、今日もスタルキッドと一緒に森で遊んでいるのだろう。
 いってらっしゃいと答えるゼロに、ルミナは顔を寄せた。
「うちの座長ね、これから楽器の練習はじめるんだって。昔一回諦めちゃったけど、また触りたくなったんだってさ」
「へえ! もしかしてルミナとセッションするの?」
「どうしてもって言うならしてあげてもいいかなー。わたし、楽譜は読めないけど!」
「読めないんだ……」
 ルミナは一座の仲間とともに馬車に乗り込み、にこやかにクロックタウンを去っていった。
 それを見送るゼロのかたわらには、青い妖精アリスがいる。
『これからどうされるんですか?』
「うん、まずはリンクから預かった仮面を返さなくっちゃね。イカーナの人たちにも挨拶して、その後は――」
『その後は?』
 ゼロは紅茶色の瞳を大きくして、アリスを見つめた。
「ここは聖地でリンクの心を映した場所だけど、タルミナの外にも世界が広がってるんだよね。だって、ルミナはそこから来たんだから。
 オレはもっと色んな場所を見てみたい。きっとリンクも全然知らないような場所があるはずなんだ。それでおみやげ話をいっぱい持って、いつか帰ってくるリンクを驚かせたい!」
 アリスはゼロの願いに呼応して、空色の光をこぼす。
『ええ……私はどこまでもゼロさんについていきます!』
 肩書きをなくした二人は門の外に駆け出す。そうしていつか戻ってくる場所に、一時の別れを告げた。



 巨木の立ち並ぶ森を抜けると、すっかり夜になっていた。
 リンクはエポナの背から下りて、空を見上げる。
 漆黒のキャンバスの真ん中には丸い月があり、その隣に無数の星が瞬いていた。
 中でも一番明るい星に向かって、リンクは手を伸ばす。あの腕輪が消えた手首にも、もう寂しさは感じなかった。
 伸ばした手の先には必ず何かがあるし、掴んだものは空っぽではない。そっと開いた手のひらの中で、月と星が一緒に浮かんでいる。
「さあ、ハイラルに帰ろうエポナ」
 時の勇者は長い三日間の旅路の果てに、帰るべき故郷とその帰りを待つ仲間を手に入れたのだった。

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