エピローグ 新しい日



 金の髪を長く伸ばし、桃色のドレスに身を包んだ女性が出窓に腰掛けている。そこは白く高い壁に囲まれた、中庭のような場所だった。
 彼女はゼロに気づいて腰を上げた。その三日月型の唇が言葉を紡ごうとした時、
「ルミナ?」
 ゼロは素っ頓狂な声を上げてしまう。
「えっ?」と驚く女性は、声も仕草もルミナと全く違う。ただ顔立ちや雰囲気がどことなく似ているというだけだった。姉妹と言うならうなずける程度の相似だ。
「あ、いや……知り合いに少し似ていたものだから」
 どうして間違えてしまったのだろう。恥ずかしさで顔が熱くなる。おまけに相手は美人だったので、ゼロはどぎまぎしてきた。
「ああ、彼女はルミナというのですね。私はゼルダ。ハイラルの王女です」
 ゼロはぽかんと口を開けた。
「ハイラルって、リンクの故郷ですよね。確か、あなたはリンクと一緒に魔王と戦った人……でしたか」
「ええ。ですが、私たちだけじゃなくて、あなたもハイラルを身を挺して守ってくれましたよね」
「い、いや、そんなことしてないと思うんですけど」
 今やたくさんのお面を取り戻したゼロには、無数の記憶がある。鬼神として暮らした日々、ムジュラに敗北して何もかもなくし、時の勇者を育てるために延長された二度目の生。結局聖地を守りきれなかった七年後から、リンクがトライフォースに触れて聖地の主となり、自分は記憶を失ってタルミナに生きる「ゼロ」となったことまで。
 その時間は過去から未来に向かって一直線に流れてきたものではなかった。あまりにこんがらがっていて把握しきれないが、今のゼロは鬼神時代から一応連続した記憶を持っていた。
「いいえ。あなたが聖地で七年間リンクを守り抜いてくださったから、我々は魔王を封印できたのです。感謝しています」
 こうして今話しているゼルダは、きっと七年後のハイラルの姫君だ。ならば、どうしてゼロは彼女と会話できているのだろうか。そもそもここはどこなのだ。月の中で意識を手放した感覚はありありと思い出せたが。
 ゼルダは混乱するゼロを置き去りにして、どんどん話を進める。
「私がリンクを時のオカリナで七年前に戻したことには、二つの理由がありました」
 そこで一旦言葉を区切る。
「一つは彼にも告げたとおり、失われた七年間を取り戻してほしかったから。あの時のリンクに正しい意図が通じていたかは分かりません。それでも、彼には平和なハイラルで絶対に掴み取るべきものがあると思いました。
 心残りなのは、彼に人々の感謝を十分に伝えられなかったことです。戦いが終わった後にハイラルで開かれた、さまざまな種族を交えたあの宴を彼にも見せてあげたかった……。
 ですが、あの時は時間がなかったのです。それはもう一つの理由によるものでした。
 そのもう一つとは――彼が七年前に戻ることにより、聖地のあった場所を一度空白にしてもらいたかったからです」
 空白とは、どういう意味だろう。
「マスターソードと賢者たちの力を合わせても、力のトライフォースを持った魔王ガノンを完全に滅することはできませんでした。そこで、魔王を封印して現世から隔離するための場所が必要となったのです。
 私は聖地の跡地がふさわしいと考えました。しかし聖地は昔からリンク自身と深く結びついた場所です。なので彼を七年前に帰し、私たちのいる時間軸と切り離すことで跡地を空白にして、魔王の封印を可能にしました」
 リンクはトライフォースに触れて正式に聖地の主になる前から、聖地と関わりが深かった。実際に聖地で面倒を見ていたゼロはよく知っている。
 ゼルダは胸に手を当て、苦しげに顔を歪めた。
「その時はそれが最善だと思いました。でも……正解だったのかは未だに分かりません」
 ゼロは一歩前に出る。
「ゼルダ姫がリンクを七年前に帰してくれたおかげで、今のタルミナがあるんですよね。オレたちにとっては、もう感謝しかありませんよ」
 ゼルダは花咲くようにほほえんだ。それは先ほどまでの憂いを浮かべた表情よりもよほど似合っていた。
(やっぱりルミナみたいだ)
 そう思ったのが顔に出たのか、
「ありがとうございます。そちらの聖地にも念のため私の分身を送り込んだのですが……あなたがいたのなら、余計なことだったかもしれませんね」
 もしかしてそれがルミナのことだろうか、とゼロは夢想する。
 それにしても、時を越えて聖地に介入するなんてとんでもない力だ。
「あなたは……時の女神様なんですか?」と思わず尋ねてしまう。
 ゼルダは破顔した。
「まあ。ゼロさんと違って私は神などではありませんよ。ハイラルを守る賢者たちの長をしております。他の賢者の力を借りることで、ほんの少しだけ時に干渉できるのです」
 そこで、ゼルダはやや姿勢を改めた。
「ゼロさん、リンクのことをどうもありがとう。彼はあなたと会えて本当に良かったと思います」
「いやあ……オレにはもったいないくらいの仲間です」
 ゼルダは空に手を差し伸べた。降り注ぐ光が強くなっていく。彼女とのお別れが近いのだ。
「リンクに伝えてください。あなたの相棒がここで待っていると。彼女はリンクと違って、残念ながら聖地を通して時間を遡ることができなかったのです」
 彼女の隣には、いつの間にか青い妖精が控えている。アリスでないことはひと目で分かった。
「分かりました。必ず――」
 うなずきかけて、ゼロははたと気づく。
 自分の生は、月の中でぷっつり途絶えたものだと思っていた。今いる空間も走馬灯か何かなのだと思い込んでいた。だが、ゼルダはリンクに伝言を託した。暗に「違う」と告げている。
 それなら……オレはまた、リンクに会えるんだ。



 視界の隅で銀色の髪が揺れた。木漏れ日が全身をあたため、葉擦れの音がさわさわと心地よく鼓膜を叩いている。
 この時間のこの場所って、いい風が吹いてて気持ちよくて。つい昼寝しちゃうんです――
 ゼロはぱっとまぶたを開ける。
 イカーナにあった例の丘の頂上だった。まだ月の中にいるのか、はたまた夢でも見ているのだろうか。
「本当にお寝坊さんなんですねえ」
 すぐ隣から声がする。半分呆れた様子のムジュラが仰向けに寝転んだゼロを覗き込んでいた。
「うわ!? な、なんでキミが」
「失礼な。そんなに驚かなくてもいいじゃないですか」
 ゼロはばくばく音をたてる心臓をおさえ、ゆっくりあたりを見回す。
「これって夢……?」
「よく見てください、イカーナですよ」
 ムジュラの指差す方向には、半分廃墟になった城が昼の日差しに照らされていた。
 やっとゼロにも理解できた。ここはタルミナにある、現在のイカーナ王国跡地のようだ。
 邪気の抜けたムジュラは驚くほど普通の女の子に見えた。彼女はぼうっと膝を抱えて座り込んでいる。
「あの、オレたちって月の中で戦ってたよね? それで、ええと」
「あなたは力を使い果たして仮面になり、私も結局時の勇者に負けました。
 ……まあ、そもそも我々の正体は仮面です。肉体なんてあるといえばある、みたいな中途半端な状態ですから。一時的に力をなくして、姿を保てなくなっていただけです」
「そ、そうなんだ」
「こんなにきれいに復活できたのは、どうも大妖精の差金のようですが……」
 ムジュラは苦々しい口調でこぶしを握った。よほど大妖精が嫌いらしい。この場合の大妖精は、おそらくルミナが協力していた町の大妖精のことだろう。
 そうして説明するだけしてしまうと、ムジュラは黙って風に吹かれている。気詰まりな時間が流れた。
 彼女に聞きたいことがたくさんあったはずなのに、うまく言葉が出てこない。ゼロは悩みながら口を開く。
「聖地がタルミナになっちゃって、嫌だった……?」
 ムジュラは半眼になってちらりと視線をよこすと、大きなため息をつく。
「そりゃ、まあ。人も土地も何もかも変わって、自分だけ置いていかれたみたいでしたから」
 鬼神はその変化を積極的に受け入れてゼロになった。しかしそれができない人もいる。女神の決定にどうしても納得できなかったムジュラは、過去にすがる道を選んだ。
「キミはこれからどうするの。行くところ……ないんだよね」
「さあね。まずはお面屋に引き渡されるでしょう。まあ、どこへなりとも流れていきますよ」
 彼女はなげやりに言い捨てる。全てがどうでもいい、と言うように。
「タルミナのこと、好きになれないよね……」
 ムジュラはその緋色の瞳でゼロを見つめる。
「ここは、私が生きていくべき場所じゃないんです」
 それでもまだ、生きるつもりがあるというのなら。失うばかりでなく、彼女にも何かを掴み取ってほしいとゼロは思う。
 鬼神もゼロも、彼女の居場所になることはできなかった。だが、いつか彼女にもその場所を見つけてほしい。過去の思い出と切り離された「誰か」が、きっとそこで待っているはずなのだ。
 ムジュラはすっくと立ち上がった。彼女が見つめる先で、空から大翼のフクロウが降りてくる。
 ゼロは腰を浮かせた。もうあの嫌悪感はこみ上げてこなかった。
「お久しぶり。私のことをあざ笑いに来たの」
「いや……」
 フクロウは言葉に迷っているようだった。いつもは勝手に喋りはじめるのに、珍しいこともあるものだ。
「太陽と月は同じ空に昇らない。そんなの当たり前のことよね。あーあ、なんで分からなかったんだろう」
 ムジュラは自嘲気味にくつくつと笑った。フクロウが、どこか愛おしむようなまなざしを二人に等分に注ぐ。
「ワシの予言も絶対ではない、と信じたかったのかもしれぬ。いつか覆されることもあると思い込みたかったのかもしれぬ……。しかし、あれは余計な言葉だったようじゃな」
 タルミナの冒険の端々で出会うフクロウは、しきりにゼロやリンクを試すような言動をした。導くだけでなく発破をかけることもあった。友好的だがどこか得体の知れない態度は、予言をひっくり返すような行動をリンクたちに求めていたからだったのか。
 ゼロは木の幹から離れ、一歩踏み出す。
「あの……大翼さん、ごめんなさい」
 そしてきっちり直角に腰を曲げた。
「今までたくさん助けてもらったのに、オレはずっと失礼なことを言ってきました。謝らせてください」
 ゼロがフクロウを警戒していた理由は、もう自分でも分かっていた。
「気にしておらぬよ。時、場所を越え、ワシらは永遠に友だちじゃからのう!」
 ホッホウと鳴きながら町の方へ飛んでいく。クロックタウンでは、大きな翼を広げたフクロウをたくさんの人が目撃することだろう。
 飛び去る鳥をじっと見守りながら、ムジュラは目を細める。
「私、鬼神さんのことが好きでした。大好きでした。あの大妖精より絶対、私の方が気持ちは強かったはずです」
 ゼロとは決して目を合わせない。こうして告白した瞬間、彼女はある意味で過去と決別したのだろう。
 その気持ちに応えることはできないけれど、ゼロにも彼女に言っておくべきことがあった。
「鬼神は……さっきのフクロウの予言が契機になって、キミがイカーナを裏切る道に走ってしまった、と思い込んだみたいなんだ。だから意味がないって分かってても、フクロウを警戒する気持ちが抜けなかった。
 鬼神にとって、キミはそうするだけの理由がある存在だったんだよ」
 ムジュラはぽっとほおを染める。
「そう、ですか……」
 緋色の瞳を揺らし、かつての王国に思いを馳せる。
「そういえば、私の考え方はそこまで間違ってなかったって、時の勇者が言っていました。あんな偉そうなヤツの言うことを認めるのは癪だけど……ちょっとだけ、嬉しかったな」
 ほおを緩めたムジュラは、何気なく丘の向こうに視線を投げて――驚愕とともに固まった。
「げっ!」
 彼女は変身が解けたかのように、一瞬にして仮面になる。地面に落ちる寸前、ゼロが慌てて受け止めた。直接触っても特に異常はない。今やムジュラの仮面は、ただただ不気味な見た目をした仮面だった。
 それにしてもムジュラは一体何を見たのだろう――と考えた、その時。
「――お前は一体、何時間余計に寝たら気が済むんだ?」
 とくんと心臓が音を立てる。胸がうるさいほどにさわぎはじめた。
 そよ風が木の葉を揺らすのと同じくらい、ゆっくりとゼロは振り向いた。
 リンクだ。たんぽぽ色の髪いっぱいに太陽の日差しを浴びている。緑の旅装は草原に溶け込み、眩しいくらいに輝いていた。
 言葉のトゲに反して、彼は穏やかな顔をしていた。ほんの少しの間しか離れていなかったはずなのに、前より背が伸びて見える。
「ご、ごめん。もしかして心配かけた?」
「……別に」
 リンクはそっぽを向いた。ああ、これは図星だなとゼロは思う。
 彼は小さな左手を差し出した。手首は空っぽで、あの腕輪はない。
「ムジュラの仮面を渡せ」
「うん」
 反射的に背中に隠していた仮面を、リンクに手渡す。彼はコツコツ仮面の表面を叩いた。
「もしかして、何かこいつと話したのか?」
「少しだけ」
「ふうん」
 それ以上追及せず、代わりに仮面を持つ左手にぐっと力を込める。
「正直この場で二つに割ってやりたいくらいだが、お面屋に引き渡す約束があるからな。残念だ」
「あはは……それは勘弁してあげてよ」
 苦笑し、ゼロは天を仰いだ。葉の天井の隙間からちらちらと日差しが差し込む。
「ここ、鬼神が好きな場所だったんだって」
「月の中にも似たような場所があったな。ムジュラにとっても印象的だったんだろう」
「うん……本当に、ここでいろいろあったなあ」
 枯れ果てたイカーナでこの丘だけが緑を残していたのも、ムジュラの感傷のあらわれに違いなかった。
 ゼロははるかな過去に思いを巡らせる。その一方で、「それよりも……」とリンクは町の方に視線を飛ばした。月があったはずの場所に、薄れかけた大きな虹がかかっている。
「わあ、気づかなかった。綺麗だね」
「そうだな」
 うなずいた彼は、虹に向かって手を伸ばした。
「俺ならあの虹も掴めるだろうな」
 子どもじみた発言だろうか。だが、他の人にできないことでも、リンクならできる。
「ううん、キミはもう掴んでるんだよ」
 ゼロはその上から右手を重ね、リンクの左手を包み込んだ。二人は顔を見合わせた。
「そうだな」
 リンクはくすっと笑った。聖地で過ごした日々で見た彼自身を彷彿とさせるような、年相応の明るい笑みだ。
「そろそろクロックタウンに帰ろう。カーニバルがはじまるぞ」
「うんっ」
 二人は並んで丘を駆け下りていった。



「ねえ、ジイ」
 その枯れ木を見たきり膝をついて動かなくなった執事に、デク姫は声をかける。
 フシギの森を抜けた先にぽつりと佇む小さな木。節が目や口のようにへこんでいて、まるで見知ったデクナッツがそこにいるかのようだ。
「葉っぱをひとつ、いただいてもいいかしら」
 少し前にウッドフォールを襲った毒沼事件は、誰も気づかぬうちに解決されていた。城中の者に尋ねても功労者の名前は上がらなかった。そこでデク姫は、もしや行方不明になっていた執事の息子が解決したのでは――と考えたのだ。
 仮説が正しくても違っていても、あの少年と会って話をしたい。そう思ったデク姫は友だちのサルを伴って捜索を開始したのだが、森の奥でこの木を発見し、執事を連れてきたのだ。
 デクナッツの顔をした木には緑の葉が茂っていた。デク姫はそれを持って帰りたい、と執事に頼む。
「今日はクロックタウンのカーニバルなんですって。この子にもお祭りを見せてあげたいの」
「ええ……ええ、お願いします」
 たとえ葉をカーニバルに持っていっても、執事の心の溝が埋まるわけではない。
 だが、デク姫はこの国を救ったのは彼なのだと無邪気に信じていた。その功績を忘れないために、一人でも多くの人々に彼のことを伝えなければならない。葉っぱを持ち歩いてあちこちの景色をこのデクナッツに見せると同時に、人々にその存在を認知させる。それができたら、執事だって一時の悲しみから立ち直れるはずだ。
 デク姫は葉っぱを大切にしまいこんだ。



「ゴロンの勇者ダルマーニ三世、ここに眠る」
 そう刻まれた墓石の前で、ゴロンの子どもがすんすんと鼻を鳴らしている。
「あら、どうしたのボーヤ」
 たまたま通りがかったから、という風に緑色の妖精が洞窟に入ってきた。光の玉のような姿をした他の妖精たちと違って、彼女にはとぼけたような顔がついている。
「もしかして、このお墓の人と知り合いだったワケ?」
「うん……ダルマのにいちゃん、山が吹雪だった時に死んじゃったゴロ。妖精さんは、生き返らせてくれないゴロ?」
「そうネエ、さすがのワタシでも無理かなそれは」
 山の大妖精は難しい顔になる。そして、
「ダルマーニ三世かあ……どんな人だったノ?」
 ゴロンの子どもは涙に濡れた目を輝かせた。
「オラが泣いてるといつも子守唄をうたってくれたコロ。そうコロ、ほんとはダルマのにいちゃんの前じゃ泣いちゃダメだって、分かってるけど……」
 どうも、普段の強がりが限界になると一人でお墓の前に来て、こうしてメソメソしているらしい。
 大妖精は物柔らかに諭した。
「泣くのは悪いことじゃないヨ。あんまりずっと泣いてたら体の水分なくなっちゃうケド……。それでも泣きたくないなら、逆にいっぱいダルマーニのことを思い出すといいヨ。その度に泣いてたら、いつか涙が出なくなるワ」
「そうコロ?」
「うんうん。そうコロ!」
 子どもは本格的にすすり泣きをはじめた。もう後はそっとしておくことにして、大妖精は外に出た。
 洞窟からふらりと抜け出すと、入口から半身を出して子どもを心配そうに見守る、老いたゴロンがいた。父親かもしれない。
 そろそろいつもの散歩から帰ろうと思い立って帰路につく。その途中、眼下の険しい登山道を泉に向かって上っていく影が見えた。
「いけない、早く戻らなくちゃ」
 人々は心の安定を求めて泉を訪れ、願いをかけたり心情を吐露したりする。だが、大妖精にできることはごく限られている。結局はさっきのように悩みを聞いてやるのが一番の薬になることもある。
 勇者が取り戻した平穏を、自分たちが支えていく。山の大妖精はそういう地味なサポートが案外好きだった。彼女は適度にサボりつつも、要領だけは良いのでしっかり仕事をこなしていた。
(だからアリスも……もっと好きに生きていいんだケドなあ)



「お姉さま!」
 紫、赤、青、緑。色とりどりの幽霊たちが抱き合っている。イカーナ古城の玉座の間だ。ポウマスターはその様子を遠くから見守っていた。
 このイカーナ王国にやってきたのは、どのくらい前のことなるのだろう。彼は死後の世界の安定を図るため、神の命を受けて遣わされた者だった。と言ってもポウマスターは神の座にあるわけではない。あくまで代理だ。だいたい、本来その役割を果たすべき死神が暴走したおかげでイカーナに亡霊が溢れかえったのだから、今回は最もタチが悪いケースと言える。
 今回の仕事ももう終わりだ。亡霊は亡霊として、これ以上生者に関わるべきではない。そうとは分かっていても、イカーナ王国の関係者を死後の国へ連れて行く日取りを、彼はなんとなく先延ばしにしている。
 幽霊四姉妹はきゃあきゃあと黄色い声を上げている。
「イカーナは平和になったのだから、ゼロ様もいつかいらっしゃるのよね」
「早くお会いしたいわ」
 一方で、玉座についたイカーナ王が肘置きを叩いた。
「鬼神どのには今まで失礼なことばかりしてしまったな……今度こそ王国を上げて歓迎せねば!」
 こんなに亡霊たちに気に入られていると知れば、あの青年は帰りたくなくなるのではないか、と思えて仕方ない。
 盛り上がる亡霊たちを置いて外に出ると、亡霊研究家の学者が正門前に立って城をにらんでいる。
「ううむ、あそこから亡霊の気配を感じる。実に研究が捗りそうだな」
「お父さん……」
 子どもが白衣にすがりついた。
 こんな状況、もはや自分では収集がつきそうにない。なんでもいいから例の青年には早く戻ってきてほしい。ポウマスターはため息をついた。



「お客さん、たくさん入ってるわよ」
 ルルは舞台袖から出した顔をひっこめて、ダル・ブルーのメンバーたちにささやいた。
 ミルクバー「ラッテ」の狭い客席には人々がひしめいていた。ダル・ブルーは前座のゴーマン一座に引き続き、これからライブを行うのだ。しかしこのライブは何もかも予定通りではなかった。今朝まで町に月が迫り、カーニバル開催すら危ぶまれていたのだが、なんとおとぎ話の神様がやってきたおかげで町は壊滅を免れたのだという。
 おかげで大幅にライブの時間がずれこんで、本番のステージでのリハーサルはできなかった。自分と仲間の腕前とこれまでの練習を信じて臨むしかない。
「よろしくね、ミカウ」
 ルルが声をかけると、バンドの花形ギタリストはうなずいた。
 実はこのミカウは、しばらく前から姿を消していた。彼抜きでライブをするのか、やっぱり公演を取りやめるべきでは――などと仲間たちは議論を戦わせたが、結局はこうして開催に意見が傾いた。
 ダル・ブルーがミルクバーにつくなり、ミカウはいきなり姿を現した。しかしメンバーたちは何も聞かなかった。一番行方を気にしていたルル自身が黙って受け入れたからだ。
 無事に揃ったメンバーで軽く音を合わせた。それだけなのに、リハーサルをこなしたかのような一体感があった。この感覚は容易に本番で覆されこともあるので危険なのだが、今回は「いける」と皆が感じていた。
「みんな、頼むよ」
 舞台袖に控えたマネージャーのトトが言う。彼は町と海を駆け回り、見事に調整役を果たした功労者だった。
「ええ。行ってきます」
 マネージャーに向けたルルのいつもの発言に、何故かミカウが軽く目を開く。
 ルルを先頭にしてステージに出ていく。ミルクバーの客席は薄暗かったが、まぶしいステージからでもひとりひとりの顔が見渡せる。いいハコだ。客との距離感がちょうどよい。これなら相手に直接声が届き、反響音が余韻を増幅させるだろう。
 ルルはミカウのギターを聞きながら、気持ちよく新曲を歌い上げた。
 セットリストが終わっても拍手が鳴り止まない。ルルは後ろを振り返り、皆に目配せする。
「アンコールは――風のさかな!」
 わあっと客席が沸いた。その瞬間、カウンターに座っていたひげの男性が突っ伏して泣きはじめた。隣りにいた金髪の女の子がなぐさめているのが見える。
 ルルはくすりと笑った。つられてこみ上げてきたのは、もちろん嬉し涙だ。ミカウと視線を合わせる。
 ……私、幸せ!

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