明日に贈る組曲



「なんでよ。どうして時の歌を吹いたの!?」
 チャットがほとんど悲鳴に近い声を上げた。
 再び、一日目に戻ってきた。クロックタウンには、ほんの少し前までの「月が落ちてくる」という切羽詰まった雰囲気はなく、どことなく気の抜けた空気が流れている。
 リンクは唇を引き結んだまま、いきり立つチャットを見返した。
「おかしいじゃない。あれだけがんばって、やっと二人が結ばれたっていうのに……」
 その口ぶりからすると、いつの間にか、彼女はカーフェイたちにかなり感情移入していたようだった。リンクはようやく唇を開き、乾いた口調で言う。
「確かにカーフェイたちは結ばれた。でもそれって、何のためなの?」
 同時に彼が懐から取り出したのは、石ころのお面だ。それをかぶれば、まるで路傍の石ころのように誰にも認識されなくなる。
「二人は再会した先に、タルミナの終わりを見てたんだ。未来を諦めた人のためにできることなんて、ボクにはないよ」
 チャットはひるんだ。冷たい言いようだが、一理ある。それでも彼女は食い下がり、
「あの二人は普通の人なのよ。時が繰り返すことなんて知らないの。あの状況なら、未来を諦めたって仕方ないわ。だからこそ、アンタが時計塔に上って、誓いの号令を吹いたら良かったんじゃない」
 リンクはお面をかぶった。気配が消える。その瞬間を間近で確認し、さらに気配に敏感な妖精であるチャットだけが、彼を視認できるようになる。
「ボクみたいなよそ者の力を借りて結ばれても、二人のためにはならない。時を操るなんて、そもそも人の身に余ることだったんだ」
 昨日までの様子が嘘のように自嘲的な発言をするリンクに、チャットは心が寒くなる。
「アンタ、一体どうしちゃったのよ」
 石ころのお面の覗き穴から見える瞳は、氷のように青く澄んでいた。
「別にどうも。ただ、ボクはこれからの三日間、一回だけを除いてこのお面を外さない。それで、最期の日になったらスタルキッドを止めに行く。トレイルも助ける」
 それはつまり、誰にもその存在を知られないまま、タルミナを救うということだ。
 リンクはぎゅっとこぶしを握った。
「今回が、本当のタルミナの歴史になるんだ。そのたった一度きりの機会に起こる出来事を、ボクが全部決めてしまうなんて……できないし、やっちゃいけないんだよ」
 理屈は通っている。しかしチャットは、リンクがやけっぱちの考えからその結論にたどり着いたのではないか、と危惧してしまうのだ。
 だが、こういう時リンクは決して意見を曲げない。だから彼女は、しぶしぶうなずいた。
「……分かったわ。もう文句は言わない。でも、お面を外す一回って、いつのことよ?」
 無機質なお面の下で、リンクが薄く笑う気配がした。
「それは、今日の深夜までのお楽しみ。こればっかりはやっておかないと、寝覚めが悪いからね」



 リンクは徒歩で、タルミナの南に位置するロマニー牧場へやってきた。
 すでに深夜二時を回り、あたりはひっそりとしている。チャットの明かりを頼りにして、虫すら寝静まった牧草地を踏みしめた。牧場の母屋に隣接して建てられた、馬小屋を目指す。
 小さな足音を聞きつけて、一頭の子馬がぴくりと反応した。
「お待たせ、エポナ」
 リンクはお面を外し、愛馬に話しかける。エポナはこんな時間でも起きていて、どこか嬉しそうにいなないた。
「まさか、用事ってこれだけじゃないでしょ?」チャットがいぶかった。
 リンクはボンバーズ団員手帳を取り出すと、該当のページを開く。
「うん。そろそろだ」
 彼は牛小屋の方をちらりと確認した。
 途端に、空に大きな光点が差した。まるで地平の彼方に消えた太陽が、突然顔を出したようだった。ただし、ずいぶん異様な雰囲気である。不気味な光は徐々に大きくなり、牧場中に散らばった。そこから、無数の化物が生まれる。
 リンクは体格に比べて大きめの矢立を取り出すと、弓を構えた。無造作に引き絞られた弓弦から、双眸を怪しく光らせた化物へと矢が放たれる。相手は悲鳴とともに弾けた。
「アンタが寝覚めが悪いって言ってた理由、分かった気がするわ」
 チャットは納得した。化物どもが狙うあの牛小屋の中には、牧場のオーナーの妹であるロマニーがいる。もし化物(ロマニーいわくオバケ)がそこに到達してしまえば、どうなるか分からない。
 もちろん彼らの目の前でそんな事態になったことはないが、リンクたちは一度だけ「ロマニーがどうにかなってしまった」場面に遭遇していた。あれはいつかの「三日目」、初めて牧場に訪れた時だった。ロマニーは本来の明るさを失い、腑抜けのようになっていた。虚ろな顔でとぼとぼ歩き、時折辛そうに頭を抱える。牧場主クリミアは仕事も手につかず嘆き通しで、とても見ていられない光景だったのだ。
 リンクもその時の記憶があるからか、手加減はせず的確にオバケを狙撃していく。もはや、相手の出現位置すら正確に記憶していた。彼はなんでもかんでも団員手帳に書きつけるが、決して記憶力が悪いわけではない。
「そろそろかな」
 三時間ほど経過した頃だろうか。徐々に空が白んできたと思えば、不意に朝日が山の端から差し込んだ。それが光の剣のように化物たちを刈り取り、相手は濁った声を上げて次々と消えていく。
 リンクが一息ついて腕を下げた時、ロマニーが牛小屋から出てきた。将来美人になるであろう大きな瞳を、驚きに見開く。
「あ、あなたは……?」
 ロマニーは太陽を背にして立つリンクを、眩しそうに見つめた。
(……しまった)
 彼は返答に困った。こうなった場合どうするか、まるで考えていなかったのだ。視界が狭くなるからと、石ころのお面も外したままである。
「だ、誰でもいいでしょ?」
 結局、人を食ったような答えを返してしまう。だがロマニーは怯まず、
「ふーん……そう。じゃあね、バッタくんってのはどう? ロマニーがつけたキミの名前よ」
「えっ」
 彼女は花咲くような笑顔になった。
「だってキミ緑の服きてるし、パタパタ走りそうなんだもの。バッタくんにキマリね!」
「そりゃ、どうも」
 リンクは苦笑するしかない。ロマニーは大地色の長い髪をなびかせて、彼に体を寄せた。
「ねえ、バッタくんがあのオバケをやっつけてくれたの……?」
「えーと、まあ、そうかな」弓まで用意しておいて、とぼけるのは難しい。
「なら、何かお礼しなくちゃ!」
 ロマニーは喜んでポケットをごそごそしはじめたが、リンクは慌てて手を振った。
「いいって。代わりに、エポナをもらっていくよ。実はボクの馬なんだ」
 彼は馬小屋まで走って行って、さっとエポナにまたがった。飼い主と馬、ともに慣れた様子であり、ロマニーは確かにリンクが主だと理解したらしい。
 彼女は大きくうなずき、目をキラキラさせる。
「バッタくん。また来てね、次はビッグなお礼をするんだからっ」
 リンクは不意をつかれたように眉を上げ、わずかに目線をそらした。
「うん……また」
 エポナは朝日の中を、たてがみを光らせながら走り去る。
 チャットがそれを追走しつつ、くすりと笑った。
「ビッグなお礼だって。お姉さんそっくりじゃない。クリミアさんの口癖かしら」
 リンクは上の空だった。ロマニーの去り際の台詞を反芻していたのだ。「また来てね」——次の機会なんて、あるのだろうか。
「そういえば、今日の夕方ごろ、クリミアさんが馬車でクロックタウンに行くわよね。そっちはどうするの」
 チャットが尋ねる。リンクは片手で手綱を操りながら、器用に石ころのお面をつけた。
「そっちは関わらない。人が死ぬわけじゃないから」
 クリミアはミルクを町に届けに行く最中、夜盗に襲われてしまう。リンクはそれを知りながら、きっぱり否定した。チャットにも、その決断にけちをつける気はもうない。
「だとすると、三日目まで結構暇よ? どうするの」
「そうだなあ……」
 すっかり二日目の太陽が上りきって、ミルクロードはぼちぼち活動をはじめようとしている。
「人間観察でもしてみようかな」
 タルミナの人々をじっくり眺める、最後の機会だ。



 人々は、少しずつだが確実に、月の落下を事実として受け入れていく。そのさまを、リンクはひたすら気配を殺して観察した。
 町長邸では相変わらずカーニバル実行委員と町兵が言い争い、時間ばかりが過ぎていく。月の落ちるぎりぎりまでこの調子でやっているのだ。「月を叩き切ってやる」と吼える剣道場の主も、いずれは掛け軸の裏の小部屋に隠れて死に怯えることになる。
 そんな中、クロックタウン銀行の店員だけは、少し様子が違った。時々やってきては全財産を引き出していく町民に、「もし町のウワサを信じておろすならやめときや、あんなんデマやで!」と声をかけている。徹底的に終末を認めていない人物もいたのだ。これは新たな発見だった。
 三日目の朝には、ゴーマン一座など多くの住民たちがほうぼうへ避難していった。ボンバーズの子どもたちが何も知らずに歩き回っているのが不思議なくらいだ。親は一体どこでどうしているのだろうか。
 そして、いよいよ月も押し迫ってきた、夕方のことである。
「あ。あれって、アンジュさんじゃない?」
 南門の外に、見慣れぬ馬車が止まっていた。リンクは不思議に思い、門兵の横をすり抜けてタルミナ平原に出た。そこでしばらく待っていたら、ナベかま亭の一家がやってきたのだ。アンジュと母と祖母。女だらけである。
 アンジュは祖母の車いすの近くにしゃがみ、「おじいさんの家から出て行きたくない」と駄々をこねている祖母をなだめている。
「なるほど、これから牧場に行くのね」
 チャットは合点した。カーフェイの手紙を受け取ったアンジュに対してリンクが何も手を打たなかった場合、彼女は三日目になると南のロマニー牧場へ避難していく。
 今頃カーフェイは、イカーナ地方でサコンの帰りをひたすら待っているのだろう。町に帰ってきても婚約者はいないというのに……。そして、たとえアジトに侵入できたとしても、スイッチの関係で先に進めない。前の前の三日目のようにアジトに閉じ込められることがないのは、幸いだが——
 逃げ支度をするナベかま亭一家を眺めながら、リンクは前に一度耳にした、アンジュと母のやりとりを思い出していた。ナベかま亭のナイフの間に泊まった時、薄い壁の向こうから不可抗力で聞こえてきたのだ。
「いいね、アンジュ。私たちも夕方には牧場に発つからね。クリミアも受け入れてくれるさ。アンタの大の親友じゃないか」
 ロマニー牧場のクリミアとナベかま亭のアンジュ、そして町長の息子カーフェイは友人同士らしい。このトライアングルは二人の結婚をめぐって、見えない確執を生んでいる。リンクがあまり関わりたくない部分だ。
「カーフェイは本当にクリミアの所にいるのかしら……」
 町でのもっぱらの噂は、「カーフェイはアンジュとの婚約を破棄したくなってクリミアの牧場に逃げたのではないか」ということだった。根も葉もないが、そういう噂ほど広く流布する。アンジュの耳にもしっかり入っているらしい。
 ごそ、と誰かが——おそらく母親が動く音がする。
「そこにカーフェイがいたら、かあさんがぶん殴ってやるよ。でもね……クリミアのことは、分かっておあげ。彼女には支えが必要なんだ。カーフェイや、町長夫人がね。
 それに、結婚前に逃げるような男と一緒になったって苦労するだけさ……かあさんみたいにね」
 アンジュの父親はトータスといったか。何があったかは知らないが、ナベかま亭には現在女性しかいない。
「手紙には『必ず戻る』って書いてあったわ……」
「戻るって、どこにだい? 明後日の朝には、この町は月の下じゃないか。そんな手紙は忘れておしまい。
 とにかく、生き残ろう。それからだよ……」
「うん……。かあさん、ありがとう」
 ——だからリンクは、アンジュが「牧場へ逃げる」という決断をするまでの、苦悩を知っている。カーフェイを待てない気持ちも十分理解できる。
 リンクの足はひとりでに動き出していた。アンジュたちの馬車を追いかけるように。
「牧場に行くの?」チャットがとがめるように言う。午前零時までもう時間がない、と言いたいのだろう。
「帰りはすぐだし、大丈夫だよ」
 当たり前だが、エポナは石ころのお面で気配を隠すことができない。リンクは徒歩で、だんだん遠ざかる馬車の影を追った。
 とっぷり日が暮れた頃、やっと牧場の門をくぐる。母屋の前では、疲れた様子のクリミアが馬車を出迎えていた。
「お疲れさま、アンジュ」
「クリミアこそ……」
 会話が途切れた。親友同士の間に気まずい静寂が流れる。
「三人もお世話になって、悪いねえ。先におばあちゃんを部屋に連れて行きたいんだけど、入ってもいいかい」
 アンジュの母親は探るような目線を投げた。やはり「カーフェイがクリミアのもとにいるのではないか」と勘ぐっているようだ。さすがにクリミアの前でその話は出さなかったが、なんとも嫌な感じの空気だった。
 母屋に入る彼らを見届けた後、リンクは牧草地を横切り、人気のない木の陰に腰を下ろした。お面を外す。歩き通しで、さすがに一息つきたくなったのだ。
 ゆっくり深呼吸していると、
「あれ、バッタくん」
 幹の向こう側からロマニーがひょっこり顔を出した。
「!? ……や、やあ」
 まさかこのタイミングで再会するとは思わず、リンクは思いっきり動揺する。一方のロマニーは嬉しそうにぱちんと両手を合わせた。
「分かった、バッタくんも避難してきたのね!」
「や、まあ、ちょっとね、たまたま寄っただけだよ。ロマニーこそどうしたの」
「大人がつまんない話してるから、外で遊んでたの」
 と言ってももう夜だ。月も迫っているし物騒極まりない。適当なところで話を切り上げて、家に帰した方がいいだろう。その口実を考えていたら、ロマニーはリンクの隣に座り込んで、頬をぶうっとふくらませた。
「お姉さま、昨日町に行ったんだけどね……ミルク、ちゃんと届けられなかったんだって。それで落ち込んでるのに、友だちが避難してきて、大変なんだ」
 リンクの表情がわずかに曇った。
「そうなんだ」
 ミルクを届けられなかったのは、リンクの選択のせいである。胸の奥に封印したはずの罪悪感が、かすかに蘇った。
 どうやらロマニーは愚痴を言いたいわけではないらしい。
「でも、ミルクなんて絞ればいくらでもとれるよね! 今度、お姉さまに絞り方を教えてもらおうかな」
 リンクはその発言に違和感を抱いた。違和感、というよりも——ふっと心が動くような何か。この三日間、すっかり忘れていた感覚だった。
 不意に、低い音とともに地面が揺れた。ますます空は不気味に赤く染まり、顔のある月がクロックタウンを飲み込もうとその口を開く。
 決戦の時が近づいている。リンクは立ち上がった。
「そろそろ、行かないと。ロマニー、お姉さんをしっかり助けるんだよ」
 牧場の入口へ、決然としたまなざしを向ける。ロマニーが朗らかな声をかけた。
「うん。また、明日ね!」
 リンクは踏み出しかけた足を、その場に下ろした。とくんと心臓が小気味よく跳ねた。
 ロマニーは、無邪気に明日を信じている。それは彼女が子どもで、事の重大さをよく分かっていないからかもしれないが——タルミナの中にも、未来を信じて求める人がいるのだ。
 ただそれだけで、リンクは肩が軽くなるような気がした。
 彼はかすかに片頬を持ち上げて笑う。
「そうだね、これから明日を迎えに行ってくる」
 大翼の歌が空に響けば、少年と妖精の姿は消え失せていた。



 午前零時の少し前、リンクはクロックタウン時計塔の、屋上へ向かう階段前についた。矢などの消耗品の在庫、そして剣の状態を入念にチェックしておく。
 準備が全て終わり、日付が変わるのを静かに待っている時、不意にチャットが尋ねた。
「今さらだけど……アンタ、どうしてスタルキッドを止めに行くの」
 リンクは何度かまばたきする。
「どうして、って?」
「だってアンタ、よそ者でしょ。タルミナのためにここまでする必要なんてないわ。
 デクナッツから元の姿に戻れた、エポナも取り戻した、あとはお面屋との約束で、ムジュラの仮面を取り返すことくらいだけど——あんな約束のために、命をかけるっていうの?
 月を止めて、タルミナを救ったって、アンタは誰にも感謝されないのよ。それで、何のために戦うのよ」
 その時、ちょうど零時を告げる鐘が鳴った。バクダン屋の渾身の力作である花火が景気よく上がる。ろくに観客もいないというのに。そして、時計塔の扉はひとりでに開き、スタルキッドへ至る階段が姿を現した。
 月にも届きそうな花火が、どうしようもなく「終わり」を感じさせた。リンクはぼんやりと空を眺めながら、
「分からない」
「はあ?」
「何のためって言われても、分からないよ。感謝されたいわけじゃない……とは思うけど。なんでだろうね?」
 リンクはからりと笑って、ふと気づいたように、石ころのお面を外した。
 ——自分はその答えを探すために、明日を迎えに行こうとしているのかもしれない。
 彼は最初で最後の一歩を踏み出した。

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