第二章 つながりとまじわり



「もうすぐカカリコ村だから。あと少しだけ我慢できるか」
「ええ……大丈夫です、リンクルさん」
 リンクは愛馬エポナの背にイリアを乗せ、平原をとぼとぼと横断していた。城下町からの帰り道である。
 旅慣れぬ身の彼女には、長時間騎乗したままでいるのは辛いだろう。腰ががたがたになっているはずだが、イリアは気丈にも首を振る。実際、体を気にしている場合ではないのかもしれない。
 リンクが請求書を突きつけると、東通りの医者は「診察料代わりにイリアからあるものを奪った」と白状した。それこそが記憶の手がかりに違いない。しかし、あいにくそれは医者の元から盗まれてしまったという。
 なのでリンクはオオカミに変身して匂いをたどることにした。城下町をケモノ姿で走り回った結果、正門の外に縄張りを持つガイコツ犬たちがそれを掠め取ったことが判明する。夜になるまでガイコツ犬を待ち構えてやっと取り返したものは、不思議な形をした木彫りの像だった。
 酒場に戻り、翌朝イリアにその像を見せた。すると彼女は頭を抱えて記憶を紐解き始めたのだが——
「わたしはどこかで監禁され、一緒にいた誰かに助けられた……。コレはその時、わたしを逃がしてくれたその人がくれたモノ。
 そうだ、早くその人を助けないと! だけど、その場所がどこだか思い出せない!」
 記憶のかけらが戻っても、真っ先に他人を心配してしまうあたりが彼女らしい。とにかく、今度はイリアを助けた誰かを見つける必要があった。「監禁されていた」というのはおそらくキングブルブリンにさらわれてからの話だろう。イリアがどうして記憶をなくしてしまったのか、その人なら知っているかもしれない。
 木彫りの像を抱えながら、エポナの背に乗ったイリアは不安げに問う。
「リンクルさん、本当にわたしの記憶は戻るのでしょうか? 赤の他人のアナタを巻き込んでしまって……すみません」
「いいよ、気にするなって」
 落ち着いて答えたが、内心はもやもやしていた。赤の他人だなんて言われたくない。何のためにがんばっているのか分からなくなってしまうから……。
 カカリコ村のゲートをくぐり抜ける。城下町の東に位置するオルディン地方の、ちょうど真ん中あたりにある村だ。ハイラルの最高峰デスマウンテンの麓、険しい峡谷の狭間に集落がある。故郷の村とは違って、乾いた風の吹き抜ける荒野の中だ。だが意外にも豊かな水源を持ち、湧き出した温泉が名物である。
 ここの村人たちは影の国の襲撃によりほとんど亡くなってしまったらしい。生き残ったのはボム工房のバーンズと、牧師親子くらいだ。今はトアル村の子どもたちが身を寄せ、ゴロン族も山から降りてきて復興の手伝いをしている。村にはいくらか活気が戻っていた。
 入口付近にある教会の横に馬を寄せる。リンクは先にエポナから降り、手を貸してイリアを地面におろしてやった。
 ぐるりと村を見渡して、首をかしげる。
「あれ、誰か来てるのかな」
 トアルから来た男の子タロの姿が崖の上の見張り台になかった。彼なりに村の警備に関して責任感があるのか、よほどのことがない限りあそこから離れないのだが。珍しい来客でもあったのか、とリンクは推測した。
 ポストマン以外で、このご時世に辺境の村を訪れる旅人——ふと、例の翠の頭を思い浮かべる。
 まさかな、と思いつつリンクはイリアを連れて教会に顔を出した。
 素朴な土壁に囲まれた教会だ。あちこちにかがり火が揺れている。聖なる守りがあるためか影の者たちも足を踏み入れなかったという、カカリコ村の精神的な中心部だった。
 祭壇の前には人だかりができていた。その真ん中に、翠の髪がひょろりと高く飛び出ている。
「ノア! やっぱり来てたんだ」
 ただいまを言う前に駆け寄った。もはや城下町の外に出るたびに会っている気がする。
「リンク、おかえり」
 真っ先に声をかけてくれたのはモイの息子、コリンだった。母親に似たさらさらの髪をなびかせ、柔らかくほほえむ。
「この兄ちゃん、リンクと一緒に戦ったことがあるんだってな!」
 喧嘩好きなタロはその話をせがんでいたらしい。ノアはゆっくり首を振る。どうも子どもたちの扱いに困っているようだった。
 相手をしてやりたいのは山々だが、まずは隣で黙りこくっているイリアの話をしたい。
「レナード牧師はいるか?」
「私ならここに。どうでした、イリアさんの記憶の手がかりは」
 牧師は階段の上から降りてきた。黒い髪を長く伸ばしていて、クロスともまた違う異国の雰囲気をまとっている。以前ゾーラの王子を治療してくれた人であり、現在は子どもたちやイリアを保護してもらっていた。トアル村の村長とは知り合いらしく、リンクたちはお世話になりっぱなしだ。
「それが、一応ちょっとは記憶が戻ったんだけど」
 促すようにイリアに視線をやる。
「もやがかかったみたいに全部は思い出せなくて……この像が、手がかりなんです」
 と、彼女は木彫りの像を取り出す。道中ずっと大切そうに持っていたものだ。
「進展したのですね、それは良かった。残念ながら私には心当たりがありませんが——」
 かぶりを振るレナードの横で、ノアが像を凝視していた。
「どうした? もしかして見覚えがあるのか」
 期待するようなリンクの質問に、翠の頭がこくんとうなずく。
「本当か!」
「教えてください、どこでこれを見ましたか」
 イリアも真剣そのものの表情で身を乗り出す。
「オルディン大橋を越えた先——ラネール地方の手前。道を脇にそれたところに洞窟があって、抜けると人里がある。そこで見た」
 彼にしては珍しく長台詞だった。それだけイリアの必死さが伝わったに違いない。
「今すぐそこに向かいましょう!」と彼女は意気込むが、
「あそこへの道は今、岩でふさがっている」
 ノアはにべもなく言い切った。
 どうしてそこまでくわしいのだろう。もしや、彼も最近その集落に入ろうとしたのか?
「ゴロンたちに事情を話しましょう。きっと協力してくれるはずです」
 年長者であるレナードは冷静な意見を出す。
 彼は教会から出ていき、すぐにゴロンの長老ドン・コローネを連れて戻ってきた。
 小柄な体に不釣り合いな力を持つドン・コローネは、つぶらな瞳を見開く。
「おお、その像は確か……! 昔、ハイラル王家に仕えてきたある一族だけが持っていた、聖なる像ゴロ」
 その一族は王家を裏で支えていたため、人里離れた場所にひっそりと暮らしていた。しかし、長引く戦乱によって一族は滅んでしまったらしい……と長老は語る。
「その一族の住んでる場所への道が、岩でふさがっているらしいんだ。なんとかどかせないかな」
 リンクの懇願に、ドン・コローネは胸を叩いた。
「こんな時にこそワシらがいるゴロ。兄ちゃんには世話になったから、今度はワシらが恩を返す番ゴロ。族長のダルボスを向かわせるゴロ」
 さすがの子どもたちも、話の重要性を悟ったのか静かに聞いていた。そんな中、イリアが一歩前に出る。
「わ、わたしも連れて行ってもらえませんか」
 わずかに足が震えている。抑えきれない恐怖がにじみ出ているにもかかわらず、自ら行動しようとしているのだ。
 だがリンクは首を振った。
「もしイリアを助けてくれた人が監禁されたままなら、犯人も一緒にいるはずだ。悪いけど、危ないから連れていけないよ」
「そう……ですよね」
「イリアはここで待っててくれ。俺が確かめてくるから」
 リンクは翠の青年に視線を向ける。彼もこちらを見つめていた。
「ノア。いつもいつも助けてもらってばっかりで悪いんだけど、案内してもらえるか」
「分かった。おれも行きたかったから」
 初めて彼がまともに欲求を示した気がする。リンクはこんな時なのに感動すら覚えた。
 それから、子どもたちには席を外してもらって打ち合わせをした。ダルボスが今日中に先んじて岩を破壊しに向かい、リンクたちは翌朝出発することになる。
 イリアは誰よりも張り詰めた雰囲気のまま話を聞いていた。
「お願いです……わたしの記憶よりも、逃がしてくれたその人を助けてください。リンクルさん!」
 ノアがかすかに首をかしげた。それに苦笑を返しながら、
(またちゃんとリンクって呼ばれるためにも、急がなくちゃな)
 と決意を新たにした。



 日の暮れたカカリコ村は真っ暗に沈んでいた。近頃は夜でも明かりの焚かれた城下町に馴染んでいたので、人里といえど闇の濃い場所があることを忘れかけていた。
 リンクは夜道を歩いてオルディンの精霊の泉にやってきた。いつものようにミドナと密会するためである。
 オルディンの泉は教会からほど近いが、一段上にある水源付近なら人目につかない。ここは隠れた釣りスポットでもあった。
 今回ばかりはノアも来ないだろう、と思いたい。慎重にあたりを確認してから、
「やっと、イリアの記憶が戻るんだな」
 静かな感慨とともにつぶやく。闇とほとんど同化しているミドナはゆっくりうなずいた。
「そうだな……ここまで長引かせて悪かったよ」
「ミドナが謝ることじゃないだろ?」
「いや。ワタシの事情に構わなければ、彼女の記憶はもっと早く戻ったかもしれない」
 リンクは浮かぶミドナの両頬に腕を伸ばす。そして、無造作に手ではさんだ。ミドナはぎょっとして身をよじった。
「お、おい! なんだよリンク」
 彼はミドナを元気づけるようにその目を覗き込む。
「そんなこと言うなって! 明日イリアの恩人を助けたら、何も問題ないさ」
「……そうかもな」
 ミドナは静かな水面に目線を投げる。
「リンク。あのノアってやつを、仲間に引き入れようとしてるな?」
 どきりとした。隠し事は苦手だと自覚していたが、こんなにも早くばれるとは。
「だめかな?」恐る恐る尋ねた。ミドナは重たそうに首を振る。
「だめというか……もともとこっちの事情には関係ないやつなんだから、巻き込むべきじゃないだろ。この先あいつにどこまで話すんだ。影の国のことも打ち明けるのか?」
 ミドナとしては、自分の存在を含めて全部隠し通したいのだろう。苛立ったようにたたみかけてくる。
 だが——リンクはぐっと腹に力を込めて、秘めていた考えを告白した。
「俺は、ノアだけじゃなくて、みんないつかは知るべきだと思うんだ。影の国は確かにあるのに、誰も知らないなんて変だよ」
 熱のこもった発言に、ミドナはそっとまぶたを閉じる。
「ザントを倒して全部終わったら、ゼルダ姫に頼んで影の国の話をハイラルに広めてもらいたい。最近、ずっとそう考えているんだ」
 こうして告げることで、初めて明確になった。それこそがリンクの本心だった。
 そもそもこんな状況はおかしいのだ。本当の功労者はリンクではない。影の国から逃れ、ハイラルに来て協力者を見つけ出し、今まさにザントを追い詰めようとしている。それは全部ミドナの功績だというのに!
 本人は黙って聞いている。かぶった結晶石に隠れて表情は見えない。
「勝手かな……?」
 少し声のトーンを落とすと、
「ああ、勝手だよ」
 乾いた言葉が返ってきた。ミドナの全身からは戸惑いや怒りではなく、何故か諦めのようなものが漂っている。どうしてそこまで拒絶するのだろう、とリンクは困惑しながらこぶしを握った。
「俺は、みんなにミドナのことを認めてもらいたい! ザントを倒すのはミドナなんだって、知ってもらいたいだけなんだ」
「いや、ハイラルを救う勇者はオマエだ。オマエとゼルダが、そうなるんだよ」
「ミドナ!」
 彼女はまるで捨て台詞のようにつぶやくと、そのままどこかへ行ってしまった。
 リンクは空っぽの影をかかえてしばらく一人でうなだれていた。
 やがて不思議な感情が胸に渦巻いてくる。今夜の闇と同じような、いつもは見て見ぬふりをするどろどろしたものが、リンクの心からあふれそうになっていた。
(そんなに嫌なら、いっそ……)
 内なる思いに突き動かされ、彼は今夜の寝床に取って返した。
 カカリコ村唯一の宿であるホテル「オルデ・イン」だ。かつてはそれなりの高級宿だったようだが、今はトアルの子どもたちの仮住居になっている。
 音を立てないように扉をくぐり、二階に上がる。
 いた。旅人たちに割り当てられた部屋で、その青年は霞がかった月を窓越しにぼんやりと見上げていた。
 彼が振り返った。リンクはつかつかと近寄り、真正面から向き合う。
「ノア……お前に教えておきたいことがある」
 答える隙を与えず、矢継ぎ早に言葉を紡いだ。
「俺は、ハイラルの勇者なんだ」
 翠の瞳が大きく見開かれた。



 埃立つラネール地方北東部。そこに、人々の記憶から忘れ去られた洞窟がある。
 ゴロンの族長ダルボスが豪腕を振るい、最後の岩をバラバラに壊した。石の粉が舞ったので、リンクは腕で口元を覆う。
「おお、来たか。この先が隠れ里ゴロ。長老たちは『忘れられた里』とも呼んでいたゴロ」
 ダルボスはゴロン族の中でもひときわ大きな体を持つ。以前、影の結晶石の魔力に侵され異形と化していたこともある。その際リンクと戦ったが、当時の記憶はないらしい。
 洞窟の向こうには赤茶けた大地が見えていた。ダルボスは難しい表情で周囲を見回す。
「さっきから鼻につくこのニオイ……ある化け物たちの匂いだゴロ。絶えず強い奴の下につき略奪を繰り返す、ハイエナみたいな連中だ。
 三十……いや、多くても二十匹ほどだな。どうせどこかで生きのびた残党が、この里に住みついただけだろう」
 隣のノアと顔を見合わせる。確かにこのケモノ臭さには覚えがある。ダルボスの話す特徴にも嫌というほど心当たりがあった。
 ずばり、砂漠で攻略したブルブリンのアジトと似た空気だった。ならば、ここにもキングがいる?
 ダルボスは腕組みする。
「これぐらいなら兄ちゃんたちで充分ゴロ。だけど、奴らを倒さない限りあの娘の恩人は助からないからな。
 最後に、奴らと戦うコツを教えてやる。見つかる前に、やれ! 分かったな!」
 二人はそれぞれうなずいた。
 カカリコ村に戻るダルボスと別れ、奇襲を受けないよう注意しながら洞窟を出る。
「忘れられた里」というだけあって、寂しい荒野と廃墟があった。人の気配はない。代わりに魔物が大量に潜んでいるのだろう。
 真ん中にメインストリートが通り、その両脇に木造の建物が立ち並ぶ。壁も薄くて柱も細く、なんだか弱そうな建築様式である。窓ガラスはほとんど破れているようだ。
 都合のいいことに、集落の入り口手前に木箱が置かれていた。二人は素早くその影に隠れる。
 ノアは悠然とボウガンを構えた。木箱から顔を出し、その恐ろしく良い視力で魔物の姿をとらえたらしい。
「……いる」
「狙撃できるか? 近づいてきたら俺に任せてくれ」
 ノアは無言で動いた。箱から上半身を出し、弦を引く。
 奇しくも砂漠のアジト攻略の時と同じく、見張り役のブルブリンを倒したことが戦闘開始の合図となった。
 断末魔が里に響くと、建物の中から魔物たちがわらわらと出てきた。
「行くぞ、ノア!」
「ああ」という短い返事を聞きながらリンクは前に出て剣を構える。
 建物の二階から矢を射かけてくる敵はノアがすかさず撃ち落としてくれるので、リンクはマスターソードを効率よく振ることに集中できた。
 しばらく夢中で戦っていた。波のように押し寄せるブルブリンの群れが一度途切れたので、二人は建物と建物の隙間に入って息を整えた。
「あと何体くらいだ?」
 リンクには「とにかくたくさん倒した」と言うことしか分からない。「えーと」とミドナが影の中で数えているうちに、ノアが「あと三体」と冷静に教えてくれる。
「どうも、ここに親玉はいないみたいだな」
 それは不幸中の幸いだろう。ボスが不在のおかげでアジトの時よりもブルブリンたちの連携がとれていない。こちらとしてはずいぶん気が楽だった。
 しかし、そのせいでリンクはうっかり気が緩んでしまった。
「リンク、後ろだ!」
 ミドナの声に慌てて反転した。割れた窓の向こうにブルブリンが潜み、目いっぱい弓を引き絞っている。まずい、と体を動かすが明らかに反応が遅れた。
 視線の先にノアの背中が重なる。
 衝撃とともにその体がぐらりと崩れ落ちる。右肩に矢が刺さっていた。
「ノア……!」
 リンクは蒼白になる。傷ついた彼を抱え、ブルブリンの射線から死角になる場所を探す。体当たりで窓を破って隣の建物に転がり込んだ。ざっと見回して、敵がいないことを確認する。怪我人はひとまず壁際に座らせた。
(雪山の廃墟の時と同じじゃないか!)
 どうしてこうなってしまうんだ。油断してむざむざノアを危険にさらした自分に対し、怒りが湧いてくる。
 二階で何者かが移動する足音が聞こえた。ぐったりしているノアに敵を近づけるわけにはいかない。リンクは「こっちだ!」と叫びながら外に飛び出した。マスターソードを水平に構える。
「あと三体だな」
 ベランダから降り注ぐ矢を盾で防ぎ、ひさしの下についた。これで射程からは外れる。続いて近づいてきたブルブリンの棍棒を避け、脳天を割った。弓兵に対しては階段を駆け上がり、至近距離からこちらも矢を放った。
 最後の一体は集落の奥にある見張り台の上にいた。降りかかる矢の雨に応戦するのも面倒だったので、足場をチェーンハンマーで破壊する。高所から落下したブルブリンはそのまま息絶えた。
 あたりは静かになった。
 ノアのもとに急いで戻る。が、彼がいるはずの場所には血痕しか残っていなかった。まさか残党にやられたのかと肝を冷やし、血の跡を追う。
 彼は建物の外に出てうずくまっていた。ほっとしたのもつかの間、リンクは再び仰天することになる。無理に自分で矢尻を引き抜いたのか、目を背けたくなるほど肩口が赤く染まっている。
「て、手当てを……!」
 ノアが自分でのろのろと布を巻こうとしていたのでそれを奪い、きつくしばった。彼はわずかに眉をひそめる。
 どんどん染み出てくる血に、リンクは不安に駆られた。
「もう少し、自分を大事にしたらどうなんだ」思わず文句をこぼしてしまう。
 ノアは不思議そうに瞬きする。
「リンクは、勇者なんだろう」
 ミドナが息を呑む気配がする。昨夜、彼女はその告白を聞いていなかった。きちんと説明する必要があるが、それよりもリンクはノアの発言に気を取られていた。
(俺が勇者だから、かばったってことか?)
 心がざわめく。彼は何を言おうとしているのだろう。
「ハイラルにとって重要な存在だ。絶対に失うわけにはいかない」
 ノアは今までになく強い意志を見せていた。血の気の失せた顔に力が宿っている。
 だが、リンクの胸に込み上げてきたのは喜びではなく——
「それは……勇者じゃないお前なら、どうなってもいいっていうのか」
 ノアは静かに見つめ返してくる。「そうだ」と答えるように。
 勇者だと告白した昨夜、ノアにはキングブルブリンの裏にいる存在のことを曖昧に伝えていた。リンクがそれを倒すつもりでいることも。影の国の具体的な話や、ミドナという相棒の存在はまだ話していない。
 そのせいだろうか、ノアとの間に何か深刻な食い違いがあるようだった。
「ダメに決まってるだろ!」
 がらんとした集落に叫び声が響く。
(俺は勇者だから、そのために命を捧げろ……なんて言った覚えはない!)
 そういうつもりで正体を告げたわけではなかった。彼になら背を預けることができるかもしれないと思ったのに、それは幻想だったのだろうか。
 怒りで身を焼かれるようだった。包帯を押さえるノアに詰め寄り、リンクはその手の上から肩を掴んだ。
「お前の仕事はただの観光案内だろ。そこまでする必要なんかない。キングブルブリンは俺が倒すし、平原も俺が平和にする」
 ぐっと手に力を込める。「リンク!」ミドナの声もどこか遠くに聞こえた。
「これ以上お前を戦わせるわけにはいかない。自分を大事にできないんだったら、一緒には戦えないよ」
 誰かに対してここまで厳しい言葉を吐いたのは初めてかもしれない。だがリンクはそんな些細なことが気にならないほど興奮していた。
「リン、ク……」
 ノアは途切れ途切れにうめく。まるで痛みをこらえるような……否、傷ついた表情をしていた。
 それは確かに彼が見せた「感情」だった。ノアは眉根を寄せて、ショックを受けているようだった。
 一気に怒りが冷めた。体中の血がさっと足元に降りていく。
(俺が、やったのか……?)
 手甲にはノアの血がついていた。
「ご、ごめんっ」
 慌てて手を離すが、放り出された格好になったノアはその場に膝をつく。腕を伝って流れ出した血が地面にぽたりと垂れた。リンクは呆然としていた。
「おい、早く傷を塞がないと」
 ミドナが焦ったように言ったその時、すぐ近くにあった家の扉が開いた。
 リンクはぎょっとして振り向く。
「獣どもの鳴き声が消えた……もしかして、あなたが?」
 家から出てきたのは小さな老婆だった。
 この里に人がいた? そうだ、ここにはイリアの恩人を助けにきたのだ。リンクは苦労して頭を切り替える。
「そ、そうです」
「おお、救世主じゃ。あなたはまさに救世主じゃ! どうか、扉を開けなかったことを許して下され」
 老婆は深々と頭を下げる。リンクは肩の力を抜いた。
「すみません、話は後にしてください。彼を休ませてくれませんか」
 リンクはノアに肩を貸してなんとか立たせた。
「おお、そちらの方は……!」
 翠の青年を見て老婆は目を見張った。ノアは青ざめたまま会釈する。「知り合いだったのか」という驚きを引っ込めて、リンクは急いでノアを家の中に運び込んだ。
 手持ちの道具で手当てをし、家にあったベッドに寝かせた。ノアは意識はあるがぐったりしていた。
 老婆が淹れたお茶を飲み、リンクは少しだけ肩の力を抜く。
 いくら一方的にかばわれたことが嫌であっても、勝手に怒って相手を傷つけていいわけはない。後悔と罪悪感ばかりが胸にうずまいている。
 老婆は飼い猫の背中を撫でてやりながら、気をつかうように小声で尋ねてきた。
「彼はラネール観光協会の方ですよね? 以前お目にかかったことがあります。あの獣どもが里にやって来る前でした」
 軽くうめいて何か話そうとするノアを遮り、リンクは老婆から事情をうかがった。
 数ヶ月ほど前にノアはこのあたりを訪れた。どうも観光協会の仕事の一環だったそうだ。僻地に人里があるという情報を得てひたすら探し回り、やっとのことでここを見つけた。いつもの通り強行軍の一人旅だったので、この老婆に寝食の世話になった。
 しかし、忘れられた里は観光に適しているとはとても言えない場所だった。他の仕事もあるためそのまま里を後にしたが、ノアはどうも一人暮らしの老人のことが気がかりだったようだ。
 ハイリア湖の調査を請け負う直前にも、彼は一度ここを訪れた。しかし洞窟が岩で塞がれていてどうにもならなかった——とノアは仰向けに寝たまま語った。
 老婆は改めて姿勢を正す。
「申し遅れましたが、私はこの村に住むインパルという者です。その昔、この村をおつくりになった偉いお方の名前をもらいました。
 この村はかつて王家に仕えた一族が住んでいた隠れ里でしたが……今は荒れ果て、あのような魔物がうろつく物騒な場所になってしまったのです」
 軽く首を振ると、インパルはひたとリンクを見定める。
「失礼ですが、あなたのお名前はリンクと言うのでは?」
「あ、はい。そうです」
「おお、やはり。では、あの娘は助かったんですね?」
「イリアのこと、知ってるんですか!」
 リンクの声が上ずる。
「はい。あの娘はここに捕まっている時、いつもあなたが助けに来てくれると私を励ましてくれました。村から逃がしてあげる時も、最後までこの老婆のことを気遣ってくれて……」
 やはりインパルこそがイリアを助けた人だった。そして、その時イリアはまだ記憶を失っていなかったのだ。
「もしかしてイリアに木彫りの像を渡しましたか?」
「ええ、お守り代わりにと。ともに逃げられたら良かったのですが、私は王家の命によりあるお方が現れるのを待っているため、どんな酷い目に遭おうとこの村を離れるわけにはいかなかったのです」
 里から人がいなくなっても、ブルブリンの集団に家を囲まれてもここに留まり続けていた理由がそれらしい。よほど大切な使命なのだろう。
「そうじゃ、コレをあの娘に返してもらえませんか?」
 インパルが戸棚から出してきたのは、陶器の飾りがついたペンダントだった。馬の蹄鉄の形を模しているように見える。
「あの娘が肌身離さず大切にしていた物を、この老いぼれのために貸してくれたのです。私が今まで無事でいられたのはそれのおかげだと思っております」
 リンクは内心首をかしげた。イリアがこの首飾りを持っていた? 全く見覚えがない。疑問に感じつつも受け取る。
「必ずあの娘に渡してください。そして、この老いぼれが感謝していたと伝えてくだされ」
「分かりました」
 リンクは首飾りをしっかりと荷物にしまった。
 そしてベッドのそばに寄る。目を逸らしたくなるのをこらえて、まっすぐノアの顔を見つめた。彼は、再び心をどこかに置いてきたように静かな表情をしている。
「ノア、傷の具合は?」
「……大丈夫」
 まだ包帯には鮮やかな赤がにじんでいる。その返事がどの程度信用できるだろう、と考えてリンクは自分が嫌になった。
 言いたいことは山ほどあるが、つとめて抑える。
「きついかもしれないけど、今日中にカカリコ村に帰ろう。泉や温泉につかればきれいに治るだろ。いつまでもインパルさんにお世話になるわけにもいかないしさ」
「分かった」
 ノアはゆっくり起き上がる。まるで平気そうな顔をしているのが逆に恐ろしい。相手が何を言っても、洞窟の外で待っているエポナの背に乗せていこうと決意する。
 二人はインパルに見送られながら洞窟を通り抜ける。リンクは前を向いたままつぶやいた。
「さっきの話だけどさ……やっぱり自分のことなんかどうでもいいなんて考えてるなら、俺はお前と一緒に戦えない。戦わせたくないよ」
 返事はなかった。反応を見るのが怖くてリンクも振り返らなかった。
 ミドナの言う通りだったのかもしれない。あまり他人を巻き込むべきじゃなかった——リンクはそう思いはじめていた。

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